退学エンド
放課後のホームルームが終わってすぐ、一番早く下校する生徒が立ち上がるよりも前。
勢い良く開けられたドアを、クラス中の生徒が見つめた。それは担任が何かを伝え忘れたとか、書類を配り忘れたのではないかと思えば当たり前だった。
――しかし――そこに現れたのは、四人の男子生徒だった。
「藤原文雅は居るか?」
「私ならここよ」
四人の中でも学校で最も名の知られた有名人、次期生徒会長が名指ししたのは、意外にも接点のない生徒だった。
「よくもまあ、堂々と手を挙げられますね? 流石はイジメなんて低俗なことをするだけのことはある」
「厚顔無恥……」
「ていうか、なんで男の癖に八木を自分の物だと思えるんだろ?」
緊迫感が増す中、下級生に名前を呼ばれた八木藍司の元に視線が集まる。八木は視線を受けてか立ち上がると、ある女子生徒の机の前に立った。
「逆波……お前を巻き込んでしまってすまないが、一緒に来てくれないか?」
「い、良いけど……何が始まるの?」
逆波彩南は薄々感づいているのか、文雅と藍司を交互に見て困ったように笑った。或いは、泣きそうな顔で。
「場所を変えよう。生徒指導室を前もって借りてある」
「ねえ……みんな、おかしいよ。こんなこと止めて」
そんな彩南の言葉は誰の行動も止めることができなかった。
「――さて。やっと落ち着いて話ができるな。藤原」
「ええ、こんなところで顔を突き合わせてお話なんて、ちょっとときめいちゃう♪」
「うげろ~、気持ち悪い女言葉止めろって。八木だけじゃなく会長まで? 見境ないわけ?」
「フン、ガキはお呼びじゃないのよ。スーツと和服を着こなしてから文句言いなさい」
文雅に一蹴された立川礼は、未成熟な体格というコンプレックスを刺激されて顔を赤く染めた。次いで怒りに歪む顔。一方でそうさせた文雅はどこ吹く風、と涼しげに笑った。
「無駄話はそこまでだ。単刀直入に言うぞ、八木に過剰なつきまとい行為を重ね、更に八木を助けて庇った逆波に嫌がらせをした……これは事実か?」
「そうねぇ、否定しても良いんだけど、優秀な生徒会長サマのことだから証拠もよりどりみどりで取り揃えてるんでしょ?」
「……当然」
ポツリと呟いたのは、剣道部副将の剣菱千太。文雅は首を傾げ、自身の色素の薄い髪を指で摘まんで彼を横目で見ると薄笑いを浮かべた。
「口下手っていうより、病気の域に達しているわよね。防具を着けなきゃ目も合わせられないの? 剣菱クン」
「っ卑怯者に言われたところで」
「ちょ、ふ……藤原君。そんな言い方してどうしたの? 剣菱君は寡黙でシャイで努力なところが良いんじゃないの?」
「あーら、逆波さんたらこの子のことやけに肩を持つのね? 好きなの?」
「違う、そんな話してない! 第一、」
「待ってくれ逆波、剣菱を庇いたい気持ちはわかるが、こいつの口車に乗せられては話が進まない」
「あぁん、やっぱり素敵。男らしい人♪」
表情や言葉だけを拾えば、それはまさしく恋する乙女なのだが、いかに中性的な顔立ちだろうと彼は男性だ。もちろん制服は男子用だし、戸籍も彼の気持ちも男そのものである。
「チッ、黙ってろ。関係ない言葉を発するんじゃねえよ。訊かれたことだけ答えろ」
「そうねぇ。八木クンのお願いなら、聞いてあげても良いわよ?」
「八木君、あなたも少し口を慎んだ方が良いのでは? 我々に正義があるのならば、下手に恫喝と捉えられる物言いはマイナスになります」
「相変わらずもったいぶったしゃべり方してるわね。似非腹黒インテリ眼鏡の分際で。父親の背中を追いかけたって、あなたに非情で冷酷な役回りは無理よ」
「フ……何をわかったようなことを……」
「苛立つと貧乏揺すりをする、悪い癖が出てるわよ?」
指摘されて、江本伸吾の膝が止まった。八木を諌めた手前、目を眇めただけに止まったが、胸中では文雅に悪態を吐きまくっているだろう。
「ふぅ……何故お前ほど立場も能力もある人間が、こんな下らないことをしでかしたのか理解に苦しむが……既に二度の停学処分を受けているし、教師も親御さんに話をしている……それでも反省が見られず事態が悪化した以上、もはや生徒会で庇うことは不可能だ」
「誰が庇って欲しいなんてお願いしたのよ? 惚れた弱味かしら? 知ってるのよ、逆波さんと休日に――」
――手のひらで机を叩いたのは、彩南だった。
「良い加減にして! 茶番にしたって見るに堪えない。私はイジメられてなんかないって。藍司にも説明したでしょ、納得してくれたんじゃなかったの?」
「彩っち先輩、もう内々には処理できないんだよ。話は刑事事件として告発できるレベルなんだよ?」
「そうですよ、被害者のあなたが事件などないと言い続けたから、よりエスカレートしてしまったんです。これはこの男の自業自得としか言いようがありません」
「ヤダわぁ、これってアレよね。巷で流行りの逆ハーレムってやつ。イケメンたちに囲まれて羨ましいこと」
「藤わ……ううん、文ちゃん。一言で良いの、今までのことは全部冗談でお芝居でしたって言って。そうしてくれたら笑いごとになるから……から……意味わかんないよッ、私、何か怒らせるようなことしたの? 言って、冗談だって!」
「ふふっ、本当に甘ちゃんでお人好しなのねー。ヤダヤダ、私が転ばせて怪我させたのも覚えてないの? あんたが何かした? 自惚れてんじゃないわよ! 私は自分のために嫌がらせしたに決まってるでしょ! さあ、これがお望みの答え!?」
とうとう彩南は涙で喉を詰まらせた。うずくまって泣きじゃくる彼女の肩を藍司が抱き寄せる。
「てめぇ、何泣かせてんだよッ! 表出ろ、ぶん殴ってやるからよ……!」
「おあいにく様、私は殴られて喜ぶ性癖は持ってないのよ。それにねぇ、殴らせてあげても良いけど、多分その方が後でいっぱい後悔するわよ?」
余裕を見せる文雅は、現在の法律では先に殴った方の心象がどうしても悪くなることを知って言っている。
もちろん正当防衛も成立しないし、ストーカーされたから殴りましたという言い訳は苦しい。ストーキングが事実だと確かめた彩南が、文雅を説得しようと止めるようになってから、嘘のように藍司にはつきまとわなくなっていたからだ。
そこまで計算ができる彼が、何故ここまで愚かな行為を繰り返して、あまつさえ最後のチャンスを与えた彩南を泣かせたのか、これで気にする者もいなくなってしまった。
「悔しいのはわかりますが、藤原の言う通りです。ここは抑えてください。会長」
「ああ、今の一連の発言は自分の罪を認めたものとする。録音もした。生徒会はこれらの証拠を学校側に提出する、お前は退学処分を受けるだろう」
「……そう、望むところよ。お話はこれで終わりね? じゃ、皆さんさようなら」
「ま、待って! 文ちゃ……」
「気安く呼ばないで! あんたはイケメンどもに慰められてれば!? 二度と顔を見せないでよね」
先ほどにも勝る暴言をぶつけられ、彩南は完全に怯んでしまう。そして文雅は、振り返ることなく生徒指導室を後にした。
「幸せになんなさいよ、彩南……」
切なさを滲ませた言葉は、誰にも届かずに虚しく消えていった。