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8.リルムとドレイク

~緋色の薔薇亭・奥の特別室~


リルムの営むサキュバスの娼館、緋色のバラ亭の部屋は甘い香りと柔らかな灯りに満ちていた。


リルムはいつもの派手なドレスを纏い、ソファに座っていた。甘い笑みを浮かべる。

その左右に、二人のサキュバスが優雅に控えていた。


左側に黒髪を艶やかに流した妖艶なレイラ。黒いドレスが深い胸元を強調し、静かな微笑みで商人たちを見つめている。

右側には明るい金髪のフィオナ。ピンクのドレスがふんわりと揺れ、無邪気な瞳で甘えるように寄り添う。


目の前には三人の聖王国の商人。一人は太った中年男バルド。もう一人は細身の眼鏡をかけた知的な顔の男エリオット。最後の男は髭を綺麗に整えた中年の商人タイター。

レイラがバルドの肩にそっと手を置き、グラスに酒を注ぎながら低く囁く。


「バルド様……今日もお疲れですわね。こんなに逞しい腕で聖王国を支えてらっしゃるなんて、本当に素敵……もっと近くで、癒して差し上げたいわ」


フィオナはエリオットにぴったりと寄り添い、胸を押しつけるようにして笑う。


「エリオットさん、眼鏡の奥の瞳、かっこいいですぅ〜♡ 私、こんな賢い人に褒められるとドキドキしちゃうの。今日もいーっぱいお話ししてね?」


リルムはグラスを優雅に傾け、甘い声で全体をまとめながらタイターに視線を集中させる。


「ふふっ、皆さん今日も本当に素敵♡ 戦争のど真ん中でこんなに元気でお仕事してるなんて、男らしいわぁ〜。私、こういう強い男の人、大好きなんだけどなぁ」


バルドが照れくさそうに頬を赤らめ、レイラの胸元に視線を落としながら酒をぐいっと煽る。


「ははっ、リルム嬢にそう言われると、悪い気はしないもんだな!」


リルムは目を細めて、すっごーい! という感じで身を乗り出す。


「えーっ! バルドさんってば、ほんっとうに頼もしいわぁ〜。聖王国軍の補給だって、きっとバルドさんの力で回ってるんでしょ? すごーい! 私、感心しちゃう♡」


レイラがバルドの耳元でさらに甘く囁く。


「本当に……バルド様みたいな人がいてくれるから、私たち安心して暮らせるのよ……」


バルドはもう完全に上機嫌。


リルムはさらに甘く、目をキラキラさせて続ける。


「魔石って、そんなに足りなくなってるの? 帝国側が困ってるって本当? でも皆さん、ぜーんぜん余裕そうに見えるんだけど……どうしてかなぁ? 秘密、教えてくれない? お願い♡」


エリオットが眼鏡を押し上げ、少し得意げに口を開く。


「ふっ、帝国の鉱山産出が減ってるのは表向きさ。実際は……」


フィオナがエリオットの腕に抱きつき、甘える声で。


「えーっ!? どういうことなのぉ〜? エリオットさん、詳しく教えて! 私、知りたーい!」


エリオットは酒の勢いもあって、つい口を滑らせる。


「タイターの奴が上手くやってるんだよ。横流しで帝国の魔石をこっそり市場に流してる。俺たちも少し分けてもらってるけどな」


リルムは「すっごーい!」と手を叩きながら、すかさずタイターに視線を移す。


「タイターさんも、きっとその中の一人なんでしょ? そんな賢い人、ほんっとうにカッコいいわぁ〜。私、タイターさんの髭とか、落ち着いた雰囲気とか、見てるだけでドキドキしちゃう♡ どうやって横流ししてるのかな? 教えてくれないと、寂しくなっちゃう……」


タイターは髭を撫でながら、ニヤリと笑う。完全に油断している。


「へへっ、リルム嬢にそこまで言われちゃあな。実はギルドの幹部から“帝国を少し弱らせろ”って指示が来ててよ。魔石を3割くらい横流しして、備蓄を削ってるんだ。そしたら交易条件がこっちに傾くって寸法さ」


リルムは目を丸くして、すっごーい! を連発。


「ええー! 3割も!? タイターさん、ほんっとうにすごいわぁ〜! そんな大仕事、一人で回せてるの? 私、惚れちゃいそう♡」


レイラとフィオナもタイミングよく商人たちをさらに煽り、部屋全体が甘い熱気に包まれる。

タイターはさらに調子に乗って続ける。


「交易所の荷車の隠し底で運んでるんだ。誰も気づかねぇよ。あそこの赤鼻が、鉱山のルートを握ってるからな。」

「赤鼻?」

「ああ、ドワーフのことさ。」


リルムは内心で(交易所の荷車ね。赤鼻のドワーフの知り合い? 名前までは出なかったけど、重要なヒントだわ)とメモを取る。


「すごーい! 男の人って、ほんっとうに頭いいのねぇ〜! 私なんか全然わかんない♡」


三人はさらに調子に乗って、細かいルートやギルド幹部の名前までポロポロと漏らし始めたが、タイターが直接やり取りしているドワーフの名前だけは最後まで出てこなかった。

リルムは甘い香りを漂わせながら、心の中で冷たく笑う。


(酒と褒め言葉とサキュバス三人に囲まれて、こんなに簡単に……男って本当、バカ丸出しよね。ふふっ、かわいい。肝心のドワーフの名前までは出なかったか。でも十分すぎるヒントをもらったわ)


その後、得られた情報をもとに少女たちに交易所を張らせ、密会の証拠を掴み、魔石の微粉末まで回収。

すべてを羊皮紙にまとめ、証拠の欠片を小さな袋に封じて。


三日間、リルムはこうして情報を集め続けた。



――ドワーフ共和国の玄関口である鉄鉱街道の関所は、魔王の使者が到着した瞬間からざわついていた。


「魔族の使者だと……?」

「鍛冶王様に会うって本当かよ……」


髭面の衛兵たちが槍を握り直し、互いに小声で囁き合う。長い髭を震わせ、目を丸くする者。

魔族帝国の紋章を刻んだ黒い馬車が門をくぐる。

馬車から降り立ったのは二人。


先頭に立つのは吸血鬼族の成り上がり貴族、ドレイク。

黒いコートを翻し、傷跡の残る顔に薄い笑みを浮かべ、赤い瞳で周囲を一瞥する。

その半歩後ろに、リリアが静かに随行していた。


漆黒のドレスに銀の装飾、冷たい美貌を崩さず、しかし一切の隙を見せない。

彼女の存在だけで、ドワーフたちのざわめきはさらに大きくなった。


「吸血鬼の女……リリア様か」

「魔王の側近が二人も……」

「これはただの交渉じゃねえぞ……」


衛兵の一人が震える声で門番に報告を飛ばす中、二人は粛々と鍛冶王宮の大広間へと通された。

鍛冶王シュレッゲンは、酒を飲みながら羊皮紙を睨んでいた。

石造りの大広間は薄暗く、壁には歴代鍛冶王が打った名剣がずらりと並ぶ。

天井から吊るされた魔石灯が橙色の光を落とし、その下に帝国からの交渉役——吸血鬼族のドレイクが直立していた。


「まあ座れ。突っ立ったまま話すのは、ドワーフの流儀じゃねえ」


シュレッゲンは顎で椅子を示した。

肩幅は人間の倍近く、顔の半分を覆う赤みがかった顎髭は三十年分の油と煤を吸い込んでいる。

ドレイクは静かに腰を下ろすと、羊皮紙を卓に置いた。


「三点、ご提案があります。まず——」

「待て。順番が違う」


シュレッゲンは杯を置き、前のめりになった。


「聖王国の未払いが三ヶ月分——知ってたよ、そんなこた。だから何だ。そっちの魔王様は、こんなもんを持ってきて俺たちに何をさせたいんだ?」


ドレイクは淡々と答える。


「聖王国の未払い分を、帝国が肩代わりします。利息分も含めて、全額即金で」


シュレッゲンの眉が動いた。


「……即金か?」

「契約締結後、二週間以内に現物でお支払いします」

「二週間……」


シュレッゲンは指で髭を掻き、数字をなぞり始めた。計算が早い。


「で、見返りは?」


ドレイクは静かに続ける。


「帝国の魔石を、市場価格の六割で優先供給します。年間生産量の三十五パーセントまで。その見返りに、聖王国軍への新規武器輸出を四ヶ月間停止していただきたい」


シュレッゲンは太い指で卓を叩いた。


「魔石が六割……鉄砲水みたいな話だな。うちの工房で魔導鋼を精製できるが、今は原料が高くて量産できてねぇ。それが安く入るなら——」


独り言のように呟き、指を折る。

横で側近が「鍛冶王様……」と口を開きかけたが、シュレッゲンは手を振って黙らせた。


「四ヶ月の停止か」

「はい。既存の注文分は期限通りに履行して構いません」


シュレッゲンはどかりと背もたれに寄りかかり、目を細めた。


「ってことは、勝負がつく頃合いには俺たちは中立。聖王国が勝っても条約違反じゃねぇ——既存分は出してる。負けても滞納の回収は諦めてた分だから損はねぇ。そういう算段か」


ドレイクは内心で舌を打つ。


(さすがに早い)


「ご明察です」

「算盤の上ではそうだ」


シュレッゲンは杯を回しながら、ゆっくりと言った。


「だが、俺が気に食わんのはな。人間どもの聖戦に、ドワーフの鉄が使われてる。俺たちが打った鎧を着た兵士が、誰かを殺してる——それは商売だ、構わん。だが、代金を踏み倒されて、鉄だけ持ってかれるのは話が違う。鍛冶の誇りってやつだ」


卓を指で叩く音が響く。


「条件を変える。魔石は六割で構わん。こっちが譲歩するように見えるだろうが、六割でも工房は回る。その代わり——」

「代わり?」

「肩代わりの金は、二週間以内じゃなく……一週間以内に届けろ。うちの工房の支払いが月末に詰まってる。二週間じゃ間に合わねぇ」


ドレイクはわずかに間を置いた。


(ヴォルドから『期限は詰めてくる。五割まで下げていい、一週間までなら問題ない』と言われていた)


「承知しました。一週間以内に届けます」


シュレッゲンは立ち上がり、ドレイクに手を差し出した。


「鍛冶の神に誓って、契約は守る。魔族も同じだな?」

「魔王ヴォルドが名前をかけて、約束します」

「……名前か」


シュレッゲンは少し面白そうに笑った。


「そういや、一つ聞いていいか。あの魔王ってのは、本当に戦う気があるのか? わざわざ俺らに金を払って、力押しの方が早いんじゃねぇのか?」


ドレイクはヴォルドからその答えを渡されていなかった。


「……存じません」


シュレッゲンは笑いを深めたが、すぐに表情を硬くした。


「まあいい。条件は飲む。だが——」


側近の一人が慌てて進み出る。


「鍛冶王様! 待ってください!」


シュレッゲンは視線を移す。


「なんだフェアルード」


鍛冶王の側近の一人である赤鼻のドワーフ、フェアルードは声を低くして続ける。


「この条件……長期的に見て、王国にとって不利です。帝国は今、勇者率いる軍に押されています。消滅する恐れすらある。四ヶ月後、帝国がなくなれば、魔石の優先供給など絵に描いた餅。聖王国との長期契約の方が、長い目で見れば確実な利益になります」


他の側近たちも頷き、ざわめきが広がる。

その頃、広間の端ではリリアが静かに拳を握っていた。


(まずい……フェアルードが動いた)


視線がドレイクの背中に向く。


(ここで崩れれば、全てが水の泡だ)


しかしドレイクは、微動だにしなかった。

シュレッゲンは髭を強く掻いた。深く、長く。


「……ちっ、面倒くせえな。……聞こえたな?」


ドレイクは静かに頷く。


「聞こえました」


シュレッゲンは杯を卓に叩きつけた。


「悪いな、魔王の使者。俺は鍛冶王だが、王国は一人で決めるもんじゃねぇ。幹部の反対もあるし今は交渉決裂だ。惜しい話だったがな」


リリアの指先が、わずかに震えた。

ドレイクは表情を変えず、ただ一礼した。


「承知しました」


シュレッゲンは最後に、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「伝えておけ。魔王に。俺たちは鉄を打つ。だが、打つ相手を選ぶのも鉄の掟だ」


ドレイクは静かに踵を返した。

その口元に、ほんのわずかな笑みが浮かんでいたことに、フェアルードは気づかなかった。


戻りの馬車で、リリアはずっと押し黙っていた。

山脈を抜ける風が、幌の隙間から冷たく差し込む。

やがて、堪えるように口を開いた。


「……フェアルードに潰されましたね」


ドレイクはシートに深く沈み込み、傷跡の残る指で顎を撫でながら、静かに息を吐いた。


「……ええ」

「想定していたんですか」

「まあ、そんなところです」


リリアは眉をひそめる。

ドレイクは窓の外へ視線を向けた。

遠ざかる灰色の山脈。


「交渉が決裂した理由を、フェアルードは説明しましたね」

「……ええ」

「ではその説明は、誰のためのものだったでしょう」


リリアは静かに目を見開いた。


「シュレッゲンは飲むつもりでした。それを止めたのはフェアルードだ」


ドレイクはゆっくりと振り返り、リリアをまっすぐ見た。


「それならば——今日の交渉は、十分な収穫だったかと」


馬車の揺れが、二人の静かな帰路を運んでいく。

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