1.魔王の最後
国連本部地下、極秘平和交渉室。
午前3時23分。
黒崎零は、震える指を机の下で握り締めていた。
あと三つ。
モニターに表示された電子署名欄。
あと三カ国。
十年続いた代理戦争が、終わる。
そのはずだった。
「……零」
隣に立つ佐伯美咲が、静かに囁く。
「ここまで来たね」
彼女は三年間、零の右腕として動いてきた。
誰よりも現地に入り、誰よりも泥をかぶり、何度も命を狙われた。
零は、彼女を信じていた。
「終わらせる。絶対に」
最後の国から承認コードが届く。
残り、二つ。
ハッサン・カリムが電話越しに怒鳴る。
「大統領は了承した! これで我が国は兵を引く!」
残り、一つ。
零は思わず笑った。
「……やっとだ」
十年。
爆撃で崩れた街。
瓦礫の下で泣いていた少女。
全部、終わる。
最後の承認ボタンが点灯する。
あとは俺がこの承認を押せば全てが終わる。
その瞬間。
零の視界の端で――
美咲が、小さな端末を握っているのが見えた。
見慣れない、黒い装置。
「……美咲?」
彼女は、泣いていた。
「あなたは正しい。でも……あなたの正しさは、冷たい。ごめんね、零」
クリック音。それは署名の音ではなかった。
彼女は叫んでいた。
「この合意は、うちの国を殺すの!!」
その瞬間、世界が裂けた。
凄まじい爆発があちこちで始まり。
鼓膜が破れ、天井が崩れ、炎が吹き荒れる。
零は吹き飛ばされながら、美咲を見た。
裏切り。
零の胸に、爆風よりも重いものが叩きつけられる。
(守れたはずだった)
血を吐きながら、床を這う。
モニターは粉々になり署名は未確定。
戦争は、続く。
「……なんでだ」
問いは届かない。
それは責める声ではない。
問いだった。
(どこを、間違えた?)
もし間違えていたのなら次は。
次は、間違えない。
意識が途切れる直前、零は思う。
(俺は正しかったはずだ)
(だが――足りなかったのか?)
もし次があるなら今度は。
全体最適も国家も感情も。
全部、掌握する。
そして。
俺を否定した世界ごと、証明する。
意識が落ちる直前。
零は確かに、憎しみを抱いた。
美咲にも。
世界にも。
そして。
自分の甘さにも。
(次は――負けない)
闇が落ちる。
異世界アルテミシア、魔族帝国・最深部の封印室。
魔王ヴォルド・ザ・デストロイヤーは、膝をついていた。
石造りの床に、自らの血が広がる。
鎧は砕け、左腕はもはや動かない。
それでも、彼は立ち上がろうとしていた。
「……まだだ。まだ、終わらせん」
だが、体が応えない。
ヴォルドは玉座ではなく、帝国最深部——先代が封じた禁断の術式が刻まれた石室に、一人でいた。
(俺では、駄目だ)
それが、ヴォルドに辿り着いた結論だった。
力は誰よりも強い。魔力の総量だけなら、この大陸で並ぶ者などいない。
だが、力だけでは世界は変えられなかった。
帝国は力ある者が支配し、力ない者は従い、力で奪い、その連鎖の中で、魔族は内側から腐り始めていた。
(俺に足りないのは……力ではない)
ヴォルドは壁に刻まれた古い術式を、震える指でなぞった。
数百年前の先祖が、命と引き換えに書き残した禁断の魔法。
「魂の代替召喚」。
術者が自らの魂を代償として差し出し、代わりに「術者が望む能力を持った魂」を異界から呼び込む。呼び込まれた魂は術者の体を器として使い、術者の意識は消える。
先祖はこう記していた。
『己が消えた後、何が残るかを考えよ。それでも使うなら——少なくとも、帝国のために使え』
ヴォルドは、静かに笑った。
「帝国のために……か。だから俺は、今ここにいる」
彼は右手に残った力を全て集め、術式の中心点に押し込んだ。
(俺が望む魂——力ではなく、交渉と情報と、人の心の動きを知り尽く、武力なき戦い方を知る者)
血が石に染み込み、術式が輝き始める。
「……後は、頼んだぞ」
光が爆発する。
ヴォルドの意識が、静かに消えた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。
反応があると更新速度が上がります。




