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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十一章 夢幻泡影の章
198/314

#08 血統の正当性にエビデンスなどむしろ要らない

 



 永禄十三年(1570)三月二日






「るぅかーちゃん」

「ひっ、ちゃ、ちゃん!?」


 庭先の縁側で胡坐をかき、うつらうつら舟をこいで日向ぼっこをしていたルカは飛び起きた。


「ちゃんはええ。なんや“ひぃ”て」

「ひいはひいです。悲鳴です。そんなことよりお殿様の意地悪」

「お殿様とは意地悪としたもんなんやで」

「ルカのお殿様は違うだりん!」


 ほう、やりおる。


 その切り口はちょっとしたレトリックとして使われる上手い手渡しの手法である。つまりええテクニック使ってくるやん。


 天彦はルカの巧みさと殊勝さに免じて許してやることにした。


「許したろ。お願いごとがあるん」

「許された部分の説明を求めます」

「なら許さんのん」

「ひどっ」

「お願い訊いて」

「……ルカのお耳はお休みだりん。なぜならご承知の通りお殿様から与えられた激務から帰ってきたばかりだからです」


 事実である。天彦の人使いは控えめに言ってもオニだった。


「ふーん。ほな体だけでええん、貸してんか。……なにその胡乱な目ぇさん」

「そのままですけど」

「そのままとは」

「どこぞの大店の苦労しらずな若旦那みたいなおバカな台詞、お殿様には似合わないのでやめるだりん。の目です」

「あ、うん。具体的におおきにさん」

「どういたしましてだりん」


 天彦も自分でもなるほどと思ったので秒で引っ込める。

 だがお願い事は引っ込めない。ずいと体を寄せて強請る。完璧に飲んでくれるまで引き下がらないという粘る姿勢で。


「訊いて?」

「うぅ、そもそも話が違うだりん!」

「話?」

「はい。お姉様を解放してくれるとお約束下さっただりん」

「あぁ、あれか。あれは無しや」

「あっさり!? それも僅か一言で片付けるなんて扱いが雑で酷いです!」

「しゃーないん」

「お殿様の意気地なし」

「くっ」

「お殿様の意気地なし!」

「ぐはっ」


 意気地なしはさすがに効いた。意地っ張り系男子には、あるいは一番効いたのかも。


 だが酷いのは天彦か、それとも……。


 イルダは戻っていない。むろん帰還命令はとっくに下してある。だが実益が解放しないのだ。どういう経緯でそうなっているかは想像がつく。

 どうせ放したくとも放せないのだろう。あの二人、イルダとコンスエラは頼もしいのだ。

 普段はならず者すぎてあちこちからクレーム噴出。出禁を食らっている場所や店や家も少なくない二人だが、いざ戦場では無類の頼もしさを発揮するのだ。


 天彦はそのことを痛いほど知っていた。


 むろん天彦とて“いったいどっちの家来やねん!”という感情面の不満はある。

 あるのだが言葉にする愚は犯さない。それを発声してしまうと家内が一気に西園寺離れムーブに移行してしまうから。その可能性は極めて高い。納める自信はあれども面倒くさいことこの上ないのでしたくはない。

 それに天彦とて怖いものはある。今がそれ。怖いのだ。イメージが具現化される現象が。


 というのも少なくないのだ。西園寺に付く意味に疑問を覚えている者たちの疑義の声が。

 公家を見切り自ら下向した西園寺など見限ってしまって、栄えある清華家の頭領となれという声が。


 部分的には正しい。実益は血気に逸った。いくらでも居残る手段はあったのにも関わらず、自分の意思を優先させ公家大名に成り下がった。そう。天彦たち公卿からすれば格を下げたのだ。実益は自ら進んで。


 今出川本流直系の血筋には清華家の筆頭になるその血統的根拠がある。

 そして何よりそうすることによって初めて本家今出川の呪縛から解放され、延いては宗家西園寺を凌駕できるのだという、有形無形の意思が菊亭にはずっとあった。


 その筆頭が茶々丸算砂組の政所勢であることはさて措き。

 天彦はその今は言葉にはなっていない、けれど厳然として存在する家内の共通意識がひょんなことから顕在化してしまうことを一番恐れていた。


 天彦とてバカではない。なぜ実益に拘るのかを自分なりに分析してみた。

 答えは出た。それが結論、嬉しかったから。バカっぽいが真実である。

 幼少期、義務感で一門の爪弾き者を構ってくれたからではなく。

 もっと単純に必要とされることが嬉しいのだ。仕事が嫌いな天彦の感性として必要とされるならやるか。の感情で嬉しいのだ。来るならおいでよのノリなら要らない。仕事はノリで。

 そんな天彦の特性を知ってか知らずか実益は、ずっと自分を買ってくれ、ずっと自分を必要としてくれたのだ。嬉しかった。ずっと嬉しい。


 だから応える。世界がそっぽを向いてでも。逆に燃える。むしろそっぽを向けまであった。


 むろん他者に理解されようなどこれぽっちも思ってない。


「お願いするん。身共のお願い訊いて欲しい」

「仕方ありませんね。貸しですよ」

「うん」

「らっきー」


 ……あれ。


 まあええやろ。の感情で聞き流しお願いごとをごにょごにょ。

 口頭では弱いので事前に認めた計画書ベースの部門ごとの指示書を手渡した。


 ルカはそっと目を落とす。


「お祭りの場所の選定、だりん」

「そうや」

「期日は」

「桜の開花に間に合わせて欲しいん」

「なるほど。お花見だりん」

「ちゃう。武芸のお披露目なん。花見はあくまでお飾りなん。これを世に映えと申すん」

「映え。覚えました。しかし武芸の。お武家様が御認めになられましょうや」

「向こうさんからのお願い事、断る道理などあるんやろかぁ」

「見世物ともなると話が違うのでは」

「ほな命より大事な自尊心と一緒に滅びたらええさんや」


 なるほど。これはそういう事案なのだとルカも秒で理解する。


「……それで如何ほど想定なさっておられますか」

「最低でも二十万。可能なら三十万は集客したいん」

「さ、三十万!?」


 声が裏返っているとおり、ルカは魂消た。


 むろん五百万都市(推定)の京都の人口からすれば相対的な凄さはない。

 だが一か所に収容するとなると尋常ではない。場所も数も。数はそのまま脅威となる。その教訓の絶対性を地で行く射干党なら誰もが体感で知っている。射干はそれで自らの存在感を誇示してきたのだから。故に三十万の暴威は危惧しかない。


 ましてや集められたとして。集まる人々から入場料をせしめるとなれば話は変わる。仮に一人10文徴収しても3,000貫文が濡れ手に粟で入ってくるのだ。可能ならば美味すぎた。

 すると各方面との調整は至難を極めることだろう。利権という私欲はこの世の何よりも恐ろしいものである。


 しかも天彦の悪知恵はそれだけにとどまらず、むしろルカへのお願いごとは軸足をそちら側へと置いている節が窺えた。


「この寺院との調整とは」

「そや。五月蠅いのは抱き込んで黙らせるが最善なん」

「……ああ、なるほど。もしや富くじの共同販売者に」

「冴えてるん。そういうこっちゃ。さぞ霊験灼然な富くじになるやろなぁ。富くじ付き入場券は二百文で販売できそうやな。ふふ、くふふ」

「ここに謳われているご利益は」

「ご利益? なにそれ美味しいん?」

「最低です」

「褒められ序に閃いたん。お言葉がけ券も別売りしよかぁ。名のあるお武家にお声を掛けられる券や。物販としては最高級やろ。いっそ握手でもさせたるか」

「褒めていません。手口まで最低ですと見下げ果てているだりん」

「はは、まさか」

「最低です」

「う」

「お殿様は意気地なしの最低です」

「ぐはっ」


 氏んだ。メンタルが。


 そんな天彦にルカの表情はどこか慈愛に溢れていた。

 むしろ柔和を演出している節すら伺える作ったような穏やかさと柔らかさに包まれていた。


「お殿様。無理はなさらないでくださいね」

「……偽物やな」

「眠れておりますか。お殿様は我ら射干のお日様です。お日様がぽかぽか。お膝ならお貸ししますよ」

「要らんのん。そんな固い太もも枕」

「ひどっ」


 健脚なルカの太ももはパンパンだった。


 だがルカとてまったくの本心であるはずもなく。天彦が一家のために全力を尽くしているだけだということは先刻承知。

 本心では一人で罪を背負い込む必要はないと言いたいのだ。一人で悪名を請け負う必要などまったくないと言いたいのだ。そんな汚れ仕事こそ射干党に割り振れと逆の意味で拗ねていた。のが一つ。


 そしてルカのもう一つの感情は。


 寺社の御利益を日ノ本で一番信用していない人物の言葉に、ルカの笑いも乾いてしまう。

 当り前だがルカは射干党で、射干は切支丹の受け皿の総本山。と、少なくとも世間では見做されているし一党もその自覚を以って務めている。

 するとこう見えてルカも熱心な切支丹。天彦のこの一面にだけはまったく以って共感できない。


「硬うてええ太ももなん。お家のために尽くしてくれるええ足なん」

「お殿様……」


 だが心は常に揺さぶられる。惹きつけられる。

 甘い言葉と、その裏腹な峻烈な生き様に。


 誰かが言った。お殿様は我ら射干に指す一条の光明であると。

 ルカはそうは思わない。すべてを照らす眩い光だからではない。一条は五摂家だから。とか。

 話に落ちをつけるだなんて、ずいぶん自分も毒されたなと小さく笑って。



 すやすやすや。



 鼻息が居眠った気配を確信させる。頬を撫で撫で。しっとりと吸い付くような感触にルカの指が止まらない。


 ルカは天彦の瞳の閉じられた瞼に乗る長い睫毛を見つめながら、


「お支えいたします。この命ある限り」


 きっと本心からのだろう。そう感じさせる柔らかな笑みを浮かべるのだった。






 ◇◆◇






 不覚。居眠ってしまった。しかもルカの膝枕で。

 しかも謎に不気味な夢も見てしまった。


 目を覚ました天彦は慌てて政務に戻る。


 そんな日もすでに三日も前のこと。


 動き出せば菊亭の車輪はよく回る。単的にたいへん素早い。

 明けて三日。永禄十三年(1570)三月五日の午後には事態は完ぺきに動いていた。


 目下現在は富くじの利権調整の真っ最中。


 交渉相手は場所の選定先候補の一つである伏見醍醐寺の住職である。

 菊亭の担当役員は佐吉である。その補助に次郎法師を付けてある現行菊亭の許される完璧な布陣で臨んでいる。


 伏見醍醐寺は今は荒廃して久しいがこれから後、藤吉郎が大々的なお花見を開催して復興の一助となり一躍脚光を浴びる真言系の寺社である。

 天彦はその寺領にある桜馬場さくらのばばでの開催に目星をつけていた。

 一番に安いから。二番に安いから。三番に……。


 安いのだ。何せ荒廃した寺社だから。

 むろん今は菊亭の手の内に近いという理由もなくもない。なくもない。ない。


 バンザイ。


 住職は諸手を挙げて賛同した。何でも差し出しますとも言い放って。ならばお言葉に甘えまして。

 結果、菊亭は寺領はもちろん領民もまるごと頂いている。まさに頂きショタ爆誕の瞬間である。ふっ儲かったん(棒)。

 むろん儲かることなどありはしない。荒廃した寺領など百害あって一利なし、なのである。なにせ思想つよつよのウザ領民の巣窟。面倒この上ないのである。


 即ち現状では大損もいいところ。寺領民およそ八千。毎日の炊き出しだけでも日銭の領域を突き抜けている。


 境内、炊き出しには諸太夫の多くが出張っている。

 中でも是知の長野党は張り切っている。多くがテンションの低い中、一党だけは熱量が違った。

 どうやら一族の気質はとてもよく似ていて、天彦の関心を買えるなら泥水でも飲めてしまうのが長野家の気風のようであるようだった。


「長野殿、よき文官になられましたな」

「与六の眼鏡に適ったのなら重畳なん」

「何の。某の炯眼など殿の先見に比べれば烏滸がましく」

「謙遜は要らんのん」

「では、自信を持つといたしましょう。某の根拠のすべてが仰せであるならこれ以上心強い担保もござらぬ」

「ふふ、そうしい」


 天彦の苦笑をしり目に、


「きちんと並べ! そこ見た顔だぞ! 貴様、おい童、手づかみは、わ、よさぬかっ! 拭くなばか者めが! 引っ張るでない。うわぁあああ」


 諸太夫に推挙されたての長野一党は生き生きと喉を枯らして氏んでいた。



 閑話休題、


「して、某への御用向きとは」

「うん。話はちょっと複雑や。少し歩こうさん」

「はっ」


 天彦は与六を引き連れ境内の階段を下りて行った。


 道すがら、


「あくまでも仮定なん」

「確度百と専ら噂の仮定にございますな」

「ふっ、噂は噂。まあ訊くん」

「はっ。謹んで拝聴致しまする」



 戦略の概要MP1



 4月20日 織田軍総勢五万が出陣 名目は幕府の命じた上洛要請に応じない朝倉家の討伐

 21日 高島郡田中城に着陣

 22日 若狭に入り熊河に着陣

 23日 若狭街道を北進、佐柿に着陣。この日予定通り元亀に改元される

 24日 休養日・軍議評定

 25日 越前へ侵攻する 柴田勝家・木下藤吉郎・徳川家康が手筒山城を攻める

 26日 金ヶ崎城(城主朝倉景恒/一門衆)を攻撃、たちまち降伏、開城させる

    勢いを駆って木目峠を越えて越前国内への侵攻を試みたところ、援軍として北上しているはずの浅井軍の裏切りに遭い背後を突かれる。

    裏切りの報を受けた信長はそれでも信じず前進を命じ被害を悪戯に拡大させてしまう

 27日 観念した信長は殿を藤吉郎にだけ申し付けて退却する

 30日 手筈通り朽木基綱と合流。およそ五千の死傷者を出したものの、

    信長は玉体として最低限の職務を遂行、無事な帰還を果たすのであった


 別視点AP(近江国)

 4月29日 六角氏蜂起 北部の浅井氏と申し合わせて織田家から離反

 4月30日 観音寺城を起点とした安土砦を境に近江以北半土を掌握する


 別視点AB(駿河国)

 4月26日 第三次駿河侵攻が発生する(猶、史実では永禄12年1569年に行われた侵攻がこの年にずれ込む(見込み)またこの侵攻によって駿府城は陥落。(蛻の空状態の)駿河は信玄公の手によって占領されてしまう


 別視点AC(畿内)

 4月30日 元亀騒乱勃発。本願寺自体は直接関与していないと言い逃れができる手の込んだ一向一揆が  畿内各地で頻発する。その被害は都にまで及び、一向一揆を主導する当地の有力寺院がまたぞろ台頭し影響力を高めていく。……史実では。 

 だがこの世界線ではそうはならない。何しろこちらには野生のカリスマが御座すのだ。身共の勝ち!



 戦略総論、これにより室町幕府の信頼は失墜する。もはやどの大名も義昭の命には従わないだろう。何しろ朝廷への誓いを立てたその三日後に裏切り行為をしてしまうのだから。故にまんまと賊軍へと成り下がることは確実である。


 結論、人生は実力である。運も含めて引き寄せる実力ですべてが決まる。見せつけてやるよ、菊亭の実力をよ。



 天彦は、――というようなことを大雑把に語って訊かせる。



「……こんなことが一度に。しかもなんと。開示なされたのだ、その手当のすべてをお済ませであられると。つまりそう仰せなのですな」

「まあ否定はせん」


 与六は大袈裟に驚いてみせた。

 だが天彦の感覚では大袈裟でも訊いていた側近たちからすればまだ全然足りない驚きようだったのだろう。いっそ与六も纏めて奇異な視線を向けられている。


 だがそんなことは慣れっこの二人は気にせず会話に没頭する。


「あなた様というお方は、いったいどこまで見通されておられますのか」

「目先のことも見えてないん。今朝も段差に蹴躓いて転んだん」

「笑えばよろしいので」

「笑えばよろしいさんやで」

「神仏の化身とお明かしになられても、今ならまったく笑いませぬぞ。如何」

「はは、与六も阿呆になったん。ええこっちゃ」

「明かしては下さりませぬか。ならば我が身の不徳を悔やむと致しまする。しかし徳川殿、へたをすれば滅亡するのでは。唯一想定として手当なされておられぬご様子。よろしいので」

「次郎法師は切れ者なん」

「その次郎法師殿が口を開けばやれ恐ろしいおっかないと申しておりまするが」

「……饅頭が怖いんやろ」

「饅頭。はて」

「ええのん。粒立てんといてんか」

「なるほど。ご無礼ご容赦のほど。するとすでに手当は済まされているのですな。そして扶殿がご不在なのもこの一揆の手当てに。……しかし驚く」


 与六は一人で結論付けてうんうんと唸り始めた。それはそう。

 こんな荒唐無稽な絵空事。実現する方がどうかしている。しかも実現したらしたでこんな空恐ろしいこともまあ滅多とないだろう。どっちに転ぼうといずれにせよ恐ろしすぎた。


「今なら御屋形様が、いや謙信公が申されたお言葉、我が事として実感できる所存にござる」

「どうせ悪口なん」

「まさか。謙信公ほど我が殿を見込んでおらえる御方もおりますまい。お聞きになられますか」

「いや要らんのん。それでな与六――」

「お待ちくだされ」

「待とう」


 悪戯好き遊び好きの与六らしく、自身の考えでこれから与えられるだろう予定のお役目の答えを自力で導きだそうと待ったをかけて懸命に頭を捻った。


 ややあって、


「もしや……! 迂回路にござるか。おい地図を持て」

「はっ」


 ざっと概略地図が広げられた。与六は一点を凝視して指をさす。


「退路ならばここしかござらぬ。だがここは敵方の版図。よって某のお役目は丹波経路の確保と後詰にござるな」

「ビンゴ! 凄い! さすが与六なん」

「お褒めに預かり光栄至極。我ながら感心の閃きにござったが、半ば導かれたのも同然のお膳立てあったればこそ。あまり胸は張れませぬ」

「いいや与六は凄い! 身共には無理や」


 どの口が。えげつない搦手を張り巡らせておいて。


 周囲の目は甚く辛辣だった。そして与六に贔屓目すぎると生温かい視線もちらほら。

 だが改めて主君の歓心を得ている与六の評価が上がるだけで天彦にはむしろ得しかない呆れられであったので問題はない。


 そして何よりこの作戦の肝は与六の働きに掛かっているといっても過言ではないのである。どれだけ持ち上げようとも過分だとは思わなかった。


「そうなん。与六にはちょっとしんどい場所を受け持ってもらうん。頼める?」

「はっ! 惟任日向守。相手にとって不足はござらぬ。していつ頃」

「いますぐに」

「はっ、ならば善は急げ。では御前御免仕る。者ども、参ろうぞ」


 応――!


 凄まじい勢いで与六は前を辞し去っていった。引き連れられた郎党の鼻息もそうとうに荒い。あれで案外気忙しいのだ。樋口与六という人物は。その郎党も同じく。

 だが頼もしい。一を語れば十を勝手に理解してくれる家来は、価値が他とは比べられない。ちょっと怖い面もあるけれど。


 史実にはないイレギュラー対応を与六には任せた天彦は、ようやく胸を撫でおろす。あとはお祭りで儲けるだけ。

 本当に儲かってくれないと、菊亭は破産してしまうので後はなかった。今回の悪巧みにはそれほどの約束手形を切っていた。


 だが難しいことはない。もっと厳しい場面はいくらでも切り抜けてきた。

 与六が惟任を睨んでくれてさえいれば自分の策に抜けはない。抜けはない。ない。絶対にない。


 不安の裏返しなのだろう。

 天彦は何度も自分に言い聞かせるのであった。


 するとそこに、


「若とのさん。不安な時はお人さんの字を書いて飲むのがよろいんやて」

「それは身共が教えたん」

「ちゃいますよ」

「ちゃわへんのん」


 事実はどうあれ不安な感情は薄れていた。いやあるいは消え去ってさえいるのかもしれない。それほどに緊張は和らいでいたから不思議である。


「なんかご馳走したろ」

「ほんまですか! ほなあんこさんたっぷりのお団子が食べたいですっ」

「いっつもそれ」

「えぇ、だって美味しいですやん」


 まあね。でもわらび餅の口な天彦は、


「わらび餅さんはどうやろ。最近流行の」

「なんや訊いたことありますん。どんなですの」

「古くは奈良時代のお菓子さんで、今また京でブームなん。身共も一遍呼ばれたん、たいそう美味しいさんやでぇ。ふわっとしてとろっとしてそれでいてモチっとしてて」

「そ、それ食べられますのん」

「食べれるよ」

「はい! 某、それ食べますっ! 食べたいです! はよ参りましょ、はよはよ」

「これお雪ちゃん、童みたいに急かさへんの」

「だってー」


 ちょろ。気になっていた茶屋へと向かうのだった。


















いつもいいね、☆、ブクマ、誤字報告等々の高評価でご後援いただきましてありがとうございます。

あと2つでbクマ1200らしいですよ。この機会にご登録などいかがでしょうか。

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