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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十一章 夢幻泡影の章
197/314

#07 あるいは人の編み出した倫理体系を摂理というなら

 



 永禄十三年(1570)二月二十七日






 なんで身共の好きなお人さんは、みーんなお口がヘリウムガスより軽いんやろ。



 おのれ三介、お前もか。信長に密告した犯人は三介であった。あっさり。

 雪之丞でなかったことがせめてもの救いだろうか。それとも一ミリも救いなどなく、勘繰り疑ったことを詫びるべきなのだろうか。


 そんなことを考えながら場所を移して東宮御所へ。


 しかし懸念するのもバカらしいほど、東宮との謁見はまったく以って問題なし。気安い雑談を交えた今後の予定を報告差し上げてお仕舞いである。


 東宮家、菊亭家、織田家の間には彼我を遮るものはない。廂も簾も衝立も溝も何もない。あるのは席次の上下だけで、膝をつき合わせる距離でゆるく語らい合う。


「別当、並びに上総介。よう参ってくれたな。侍臣たるお前さんら揃い踏みの来殿、朕はたいへん喜ばしく思う」

「はい。麻呂も嬉しくお思いさんにあらしゃりますぅ」

「はっ、恐悦至極に存じ奉りまする」


 そしてその際には天彦は周囲が呆れるほど阿茶局に厚遇される


「難しいお話は終わったの。ほな別当さん、ここにおいで」

「え」

「何を躊躇っておじゃる。おいで。ほら早う」

「あ、はい」


 腹を括ってお膝におっちん。羞恥心はお亡くなりになられました。

 だが口答えなどできるはずもない。内心はまさか、まさか一色である。


「なんや。入り婿といえば我が子同然におじゃります」

「違います」

「違うぞ、晴子」

「……」


 阿茶局のチャレンジに、天彦は脊髄で反応し東宮は汗を拭きながら天彦を肯定した。そして信長の極めて胡乱な目つきに波乱を読み取ったのだろう。阿茶局もそれ以上には踏み込まなかった。


 どこにいても政治であり闘争である。


 この場合、東宮家は天彦を今最も使える手駒と見做したのだろう。取り込みに掛かったのだからきっとそう。

 そしてそれを察した信長との刹那の綱引きが行われ、この場面では信長に軍配が上がったようであった。


 小競り合いは室町の常。誰も特段取り立てないし粒立てない。それが習いであり流儀だから。しかし事は大きかった。

 阿茶局は女房(女官)だが実質の正室である。この親密さにはさすがの信長公も魂消ていた。


「貴様、鈴を付けぬと何をしでかすかわからぬな」

「人を猫みたいに」

「なんじゃ。歯切れが悪いの」

「む」

「おお、そうであった。貴様は狐であったか。ならば油揚げを与えねばな」

「……え。ほう。ですがこの狐、ちょっとやそっとの――」

「醍醐の設え支度金。倍の四万貫出してやろう」

「好きです! 織田さんのことが一生好きと決まりましたん」


 ぷっ――、あはははは、おほほほほ。


 信長を始めとして周囲は大いに破顔する。天彦の節操のない現金さに。むろん菊亭家人を除け者として。

 天彦に同行した家人の多くはあまりの恥ずかしさに俯き、肩を怒りに震わせている者多数であったとか。


 そんな茶番はさて措き、この気安さもすべては天彦の策からなっている。つまり誰も彼もが現金なのだ。無償の親しさなどあり得はしない。

 すでに京の町中に天彦の石見銀山の件は広まっている。天彦が仕掛けた銀山分捕り譚は半ば英雄譚として市井に広まりつつあった。毛利家の他に類を見ない朝家への忠節をセットとして。


 誰の仕掛けかは明らかだが噂など広まったら勝ちである。

 東宮家、織田家双方の座に集うすべての者が、改めて目の前にいるちんまい公家のただ者ではなさ加減に感情を処理しきれない熱い息を吐くのであった。


「冗談はさて措き上総介よ、二つほど訊ねたき儀がおじゃる」

「はっ。何なりとお問い質しくださいませ」

「うむ。ならば下問いたす。一つになぜ改元日を拘った。なぜ4月23日などという半端な日取りを選んだのか」

「東宮殿下。その件につきましては我が宰相からお答えさせていただきまする」

「ほう。ならば我が別当に下問いたそう」

「いいえ、我が宰相に答えさせまする」

「故に我が別当に下問いたすと申したぞ」


 やれやれ! もっとやれ!


 モテるのは嫌いではない天彦はテンションを爆上げた。あるいはモテたいだけの人生だったので異存はない。影も形もどこにもない。

 嬉しさはレッドゾーンを振り切った。けれど何食わぬ顔をして無関心を装った。巻き添えはダルいからね。の感情で。


「痛い! なんでどつくんっ!」

「何をじゃと。貴様が答えぬからじゃ。なんじゃその不貞顔は。もう一発食らわせるか」

「ギブ」


 くそ、まあまあ本気でどつきおって……。450年後なら執行猶予付きの有罪判決確定やぞ!


 然は然り乍ら、そんなことは決まっている。その日である必要性があったからに決まっている。一日二日のずれも許せない。その日は吉日。織田信長公が自ら大軍を率いて出征する三日後。


 その日は吉日。義昭が裏切って信長包囲網が敷かれる二日前だから。


 正確には改元日の二日後、信長軍は背後を突かれ壊滅的なダメージを負う。

 そして武田が徳川の駿河に大侵攻して暴れまくるから。史実では徳川は壊滅的被害を受ける例のアレ。

 家主不在の虚を突かれる。徳川は織田の要請を受けて朝倉征伐に出張っていて駿河はほとんど蛻の空である。


 だがこの世界線ではすでに手当は済ませている。少しWIP(やりかけの作業)があるにはあるが、放っておいても絆創膏で済むレベル。すでに大怪我はカバーできてある。

 信長はその頃とんでもない目に遭っていることだろう。浅井の裏切りと六角の挟撃を被って。そちらの手当てはしていない。……藤吉郎、退場してくれへんかぁの感情で。

 そして義昭は真宗本願寺と連携し内乱を誘発させる。山城国での一揆はここ京の都にも飛び火し、尋常ならざる被害をもたらすことだろう。すべてが室町幕府の描いたビジョンで。


 考えようによっては義昭という将軍、これでかなりのやり手である。天彦は率直にそう感じた。利害が相反していなければだが。

 いずれにせよ、これによって義昭は詰む。帝の御前で改元の儀の本願である天下泰平を誓ったその二日後に自らの策意によって大乱を引き起こすのだ。面子どころの騒ぎではない。


 これぞまさしく逆賊一確演出である。


 天彦のプランAが炸裂すれば惟任もろとも室町幕府を撃破できる。

 達成率50%でも大打撃は必至であろう。待ち遠しい。待ち遠しすぎた。


「くふ、くふふ。むは、きゅふふふふふ」

「……」

「……」

「やめんか、気色の悪い」


 ごん――!


 痛い! 一々、どつくな! ……あ、はい。


 という策意だが、言えるわけなー。

 しゃーない、スピるかぁ。天彦はうんざりしながらも自分なりに霊験灼然っぽさを演出して、


「元号は元亀。期日はその日に致せとの由。釈迦如来の思し召しにあらしゃりますぅ」


 抜け抜けと言い放った。コツは何食わぬ顔をして抜け抜けと言い放つこと。


 天彦は自身の揶揄される五山の狐伝説を利用して、五山別格南禅寺の本尊のお告げと言ったのである。

 普通なら眉唾どころか半笑いの冷笑でお仕舞いである。あるいは距離を置かれてお仕舞い。だがこの時代、神仏のお告げは呪文の言葉のようによく効いた。

 それを証拠に東宮も阿茶局も頻りに得心した風にうんうんと頷き、ウソ松彦に対し甚く好意的な感情を寄せている。そういうこと。

 彼らがけっしておバカなわけではない。ここはそういう世界線であり、むしろその反応の方が自然なのだ。


 ところがここには一人。あるいは一柱。そういったまやかしや詭弁や詐欺の類を一切寄せ付けない信用しない奇特な御仁がいたのである。不運にも。


「……何ですのん」

「何も申しておらぬがな」

「申したはりますやん。そのおっかないお目目さんで」

「ならば後程、答え合わせをしようではないか」

「あ」


 ……はい。


 あとでお仕置きですね。了解でーす。


 だがここで終わったのでは殴られ損。そこらの利発なキッズと一緒。

 天彦は天彦であることにしがみつくべく、あるいは天彦であることのへの矜持を見せるべく、ちゃんと一石を投じてみせた。


「お三方さん。物の序に身共の陰陽占い、訊かはりますかぁ」


 聞くに決まっている。そして結果が出て震えて眠れ。

 天彦には100の確度の自信があった。


「大儀でおじゃった。また罷り越すがよいぞ」

「はっ」

「はい」


 こうして東宮との謁見は有意義なままお開きとなるのであった。




 ◇




「先ほどの言。どのくらいの自信がある」

「100の内の100」

「……つくづく貴様は面妖よな」

「おいて!」

「して東宮とは馬が合うようじゃな」

「はい。気持ちのええ御方におじゃります」

「ならばよい。貴様がむずがると面倒なのでな」

「赤子扱いは酷い!」

「ふん、児班も消えておらぬ小童が」


 あー、それはそう。まあええやろ。


 いずれにせよ天彦の予見の確度を知らぬ信長ではないだろう。故に訊いてはいたがまさかここまでといった反応だろうか。だが警戒感は抱いていない。むしろ好感触。

 というのも今後東宮誠仁を擁して朝廷工作に打って出る心算の信長にとって、自身の参謀的位置づけの天彦との接近は望ましく、逆に戦略に弾みがつくと大っぴらに喜んだほど。


「天彦よ、貴様が居れば当家も安泰であるな」

「あたぼーなん。織田家向こう三百年の安泰はこの身共が請け負うん」

「三百年であるか。大きく出たな」

「はは、信長さんにしては面白い冗談を申さはるん。三百年などむしろ小さいくらいなん」

「……で、あるか」


 子孫に最低でも千年は引き継げる財と地位を残す心算の天彦は、まぢなので真顔である。尤もふざけていても真顔なことが多いのでその区別はつきにくいが、信長ほど多く接しているとその機微にも感づいてしまう。


「徳川とは程々にいたせよ」

「うん」


 信長公はおよその察しを付けた上で泳がせる気遣いを見せた。これは彼にしては随分と温い対応である。

 つまり織田家三百年のくだりに対する返礼の意味なのだろう。

 よって先ほどの件は天彦一流のリップサービスとでも解釈したのだろう。当たり前だが。


 いずれにせよそれらはすべて東宮御所でのとある場面のとある会話。もちろん東宮も阿茶局も御座す場での会話である。

 むろん周囲は大いに驚き感嘆した。菊亭家と織田家のとの気安さも然ることながら、当主同士の信頼関係が誰の目にも厚いように映ったから。

 実際に厚いのでその通りなのだが、このこと一つとっても天彦はすでに織田一門衆扱いをされていることの自覚を持つべきであった。


 この日を境に天彦に対する周囲の認識が別のフェーズに入ったとか入らなかったとか。

 だが当の本人はいつも通り。まったく関知していない。認知バイアスかそれとも自己肯定感がオニ低いせいか。気付いた素振りはまったく見せず御所を後にするのであった。


 けれど終始ご機嫌さん。東宮家は自分にとってこの世で唯一暴力や謀略なしに真面まともに話が通る相手先かもしれない。の感情でいつになく気をよくしての退場であったとか。


「そうじゃ天彦」

「はい」

「近々、東国から面倒な者が一人参る。帥の方で適当に扱ってやれ」

「は?」


 全部台無し。


 やめてね。去り際に際立つぶっといフラグを立てるのは。






 ◇◆◇






 永禄十三年(1570)三月朔日






「おい菊亭、この女はなんじゃい」

「扶様、ご挨拶が遅れましたこと誠に申し訳ございません。徳川家の名代として罷り越しました井伊次郎法師直虎と申します。お見知りおきくださいませ」

「ふん、己には訊いてへんがまあええ、その人質風情がなぜ評定の場におるんや」

「ご意見を具申致せと仰せですので、やむを得ず」

「やむを得ずやと」

「はい。お気に召さねば言い換えましょう」

「不愉快じゃ」

「ならばご不快を与えております、この醜い面を伏せまする」

「おのれ……」


 茶々丸の視線が天彦に突き刺さる。知ってた。だから粒立てた反応はしない。茶々丸の苦手、いや嫌いなタイプど真ん中が彼女、次郎法師だから。

 見るからに賢明あるいは頭脳的に格上なのに、男というだけで男をたてる女性を茶々丸は蛇蝎の如く嫌っている。視点を変えればある意味で公平なのだがあまりにも酷過ぎた。判断基準が厳しすぎた。


 気に入らん。氏ね、コロセ! の世界観で、非力な女性がどの理屈なら突っ張ることができるのか。できない。霊長類最強と謳われる女性アスリートでも出来っこない。

 即ち茶々丸はおそらく生理的に女性が無理なのだろう。だから天彦は敢えて分析はしていない。善悪の判断も下していない。何よりそれは悪ではないと知っているから。それも広義の多様性の一種だから。と。


 保身的お為ごかしはさて措いても、彼ら室町人は独自の倫理秩序に整合させて生きる人種である。天彦の令和感覚で倫理観を問うのはちょっと違って当然である。いやかなり違って不思議はない。少なくとも天彦はそう受け止めている。

 特に茶々丸のような貴種はその傾向が強く、例えば令和人なら最も恐れ忌み嫌う同調圧力などという概念にはまったく以って屈しない、鉄強の精神性を生まれながらに装備していた。そう装備である。

 つまり仕様。個の概念が強固なため群集心理が有効性を発揮しないのである。あるいは仮にしたとしても有効打を放たない。


 何とも羨ましい話だが、よって何が言いたいのかというと天彦の感覚でこの手の判断を下すと往々にして認知を歪まされてしまうので危ういのである。

 では何が危ういのか。

 認知はあらゆる判断の基準であり拠り所。この方位磁針が狂ってしまうと、さあたいへん。御池に嵌るどころの騒ぎではない。この大室町海を羅針盤なしに渡っていかなければならなくなる。それは無理。そういうこと。

 感覚を室町に擦り合わせている心算でも、一旦掛けられてしまったバイアスから逃れることは容易ではない。やはりどうしたって狂ってしまう。


 即ち天彦はとうのとっくに善悪を辞めていた。何なら適否も引退している。


 散々っぱら御託を並べておきながら、――好きか嫌いかだけでやらせてもろてます。という一番寒いオチを付けたところで。


 茶々丸はきっと絶対にラウラとも水が合わない。何となくだがそこに最大の波乱が待ち受けている。天彦には確信的な予感があった。



 閑話休題、


「反りの合わん者同士、仲良うせえとは申さん。せめていがみ合うな」

「はっ、肝に銘じまする」

「ふん」

「茶々丸。二度は申さんのん」

「……聞き届けた」


 おうふ。


 茶々丸は峻烈な視線の一瞥を残し何も言わずに席を立ち去ってしまった。


「前途多難にございますね。よろしいので。私が相談役としてお傍に侍っても」

「あれは遊撃手や。気にせんでええ。他から聞こえる雑音もや」

「ほう。ご存じで」

「当り前なん。身共は菊亭の当主やで」

「御見それいたしましてございます。ならばこの状況を踏まえて猶、自由に致せと仰せになられまするのですね」

「なられまするん」

「……想像の何倍も強く大きな御方にございました。謹んでお詫び申し上げまする」

「詫びる必要などない。阿呆なだけかもしれんしな」

「ではそれで」


 納得はやめて?


 一件が落ち着いたところで政務に入る。

 するとすかさず目通り役の是知がさっと膝立ちですり寄ってきて一礼する。


「殿、前々よりお目通りを乞う者が三名ございますが如何なさいましょう」

「いつから待っているん」

「彼是十日余りかと」

「気持ちは伝わった。で、是知は合わせたいのか」

「いえ。まったく」

「ほな会おう」

「え」

「お前さんが嫌うんや。さぞええ人材なんやろ」

「……カスにございます」

「益々会おう。血縁か」

「……不肖、長野家の類縁にございまする」

「すぐに寄越すん。兄御前とはどないさんや」

「もうこの世には居らぬものと」

「辛い思いをさせて堪忍なん。その忠にはいずれ必ず報いるしな。許してや身共の最愛のお一人さん」

「うへ」


 是知死亡。熱に浮かされふらふらとどこかへ立ち去ってしまうの巻。


 だが半分以上本心である。是知は悪いしあくどいが、ある意味で最も信頼できる家来の一人でもあった。何より逆張りセンサーが利いてわかりやすいので便利であった。


 一部始終を見ていた次郎法師の生温い視線を掻い潜り、さて政務を片付けるかと筆を取ると、


「殿、よろしいでしょうか」

「佐吉の願い、あかんかってもよろしいんやで」

「はっ。三名ほどがお目通りを願っておりまする」

「誰や」

「紀之介、並びに市兵衛と虎之介にございまする」


 紀之介はいい。大谷だから。だが市兵衛と虎之介とは……、いったい。


「あ」

「はい。元服を済ませ名を改めましてございまする。本日はそのご報告とおそらくはお役を強請りに参ったのでございましょう」

「なる。通したって」

「はっ。しばらくお待ちくださいませ」


 今年に入ってすぐ市松・夜叉丸が元服を済ませていた。

 市松は改め福島市兵衛正則に。

 夜叉丸は改め加藤虎之介清正に。いずれも史実通りであった。


 役目を請うと言っていたので配置先を考える。

 普通なら引き続き高虎の麾下に置いておくのが楽ちんだが、癖強同士長く組ませるとよろしくない。単的に言えば潰しが利かなくなってしまう。

 武家なら武辺一辺倒も構わないだろう。だがあいにく菊亭は公家である。道化と道化役が似て非なるように、武士と青侍もまるで別物。


 その違いをメンタルに叩き込むにはどうすればよいのか。

 当初は天彦も二人の長所を伸ばすために、藤堂高虎麾下から外し天彦の専属護衛(母衣衆)として抜擢する心算であった。だが今は少し違っている。


「文官といたしませ」

「……妙案か。さすがは相談役。頼もしいん」

「お褒めに預かり光栄にございまする。ですが即座に意図を読まれた参議様こそ英明と存じまする」

「そういうの要らん」

「ならばそのように」


 ほんとうにスキ。この無駄を省いた合理的な会話。

 こうして市松改め福島市兵衛正則と夜叉丸改め加藤虎之介清正は、諸太夫として文官仕事の雑務からキャリアを始めることとなった。


 そして気懸りがもう一つ。二人が育ちすぎている件。すでに天彦を余裕で見下ろすサイズに成長を果たしている。なんでぇー!


 ぐぬぬぬ。許せん。一個下やのに。もう大人サイズとか許せない。厳密には七か月下やのに。


 そや。意地悪したろ。


「ばらして競わせるのもよいか」

「よろしいかと。恨みを買ってもよいのなら」

「家閥かぁ。……却下で」

「賢明ですな。ときに参議様」

「なんやろ」

「はい。実は――」


 かくかくしかじか。


 まんじ。


 徳川家との段取り、打ち合わせに入るのかと思いきや、次郎法師はまあまあまんじな爆弾を投下してきた。

 何やら今回の件で徳川から個別の政務担当が送り込まれるようであり。

 その際、先方から従四位下・治部大輔じぶたいふ今川彦五郎氏真が担当として罷り越すとのことらしかった。


 これかぁ。


 天彦は一瞬で一昨日のフラグが回収されたことを予感する。

 そして危惧する。これも何かの罠だろうかと。少なくとも地雷塗れには違いなく、天彦はローマの執政官のように家康お前もかとつぶやいたとか。


「因みに徳川さんでの御扱いは」

「腫れ物にて」

「従四位の貴種やのに?」

「貴種だからこそ」


 ですか、デスヨネ。


 これは明日は我が身という教訓だろうか。

 それともやはり貴種は殺されない。その示唆なのだろうか。いずれにせよそのことを再認識はできたものの、何一つ喜べなかった。どうしてもそこに策意をありありと感じ取ってしまうから。


 尤も事実は案外しょーもなく、扱いに苦慮した家康は一番害のない菊亭に預けたつもりだろうけど。次郎法師を強請り奪ったその代償として。あるいはバーターとして持って行けと押し付けたのだろうけど。


 つまり今川の御曹司。次郎法師の言葉通り、扱いにそうとう苦慮している内幕が窺えた。

 たしかに一理ある。父親を信長にたおされ、かつ自分も家康に敗れてお家を滅亡させている人物。頼った血縁先の後北条家からも疎まれて粗雑に扱われ遂には放逐され。頼った先がまさかの自分を滅ぼした相手先とか。普通に考えれば扱いやすいはずがなかった。


 天彦からすれば地雷なのは考えるまでもなく、なぜ信長公も家康も彼を始末しなかったのか不思議なくらいである。

 尤も答えは案外簡単で、旧今川領のスムーズな支配統治あたりなのだろうけれど。何せ駿河もやにこい土地柄。そして駿河における今川氏は依然として庶人にとってはハイブランドらしいので。理には適っているのだろう。氏ぬほど面倒くさいだけで。


 天彦が考えを纏めていると、すると外が騒がしくなった。


「噂をすれば影。何やらお越しになられたご様子にて」

「ここは当家、菊亭やぞ」

「面目次第もございませぬ」

「いやええ。ひょっとしてまだプリンス気取りか」

「ぷりんすとは」

「御曹司や」

「……」


 え、うそ、しんど。ムリなのだが。


「はぁ、しゃーないん。会おう」

「お手数おかけいたします」

「貸しやで」

「あ、え、それは」

「貸しなん」

「う」

「貸し」

「はい。承ってございます……」


 返せよ。高いぞ。


「まあええん。そっちがその心算ならこっちにも心算はあるん」


 時間ならある。さあ皆さん、恒例の悪巧みのお時間です。


「くふ、くふふふ、むふ」


 笑い方が特殊過ぎることも勿論だが、天彦の顔はすぐに声をかけるには唐突すぎる、あるいはすぐに事情を飲み込むにはいきなりすぎる何ともいえないいい(悪い)顔に変貌していた。


「……各々方。これは、お、お招きしない方がよろしいので」


 是知を除くイツメンたちはすぐさまいいえと首を振った。

 是非ともお招きくださいませ。ささ、何をもたもたしておられるのか。どうぞどうぞ。むしろ前のめりに歓迎の意を表明した。犠牲者は部外者から出た方がよいの意味合いで。


 あら、まあ、なんと。


 薄々感じとったのだろう。次郎法師は呼び込む声に躊躇していた。


「会うん」


 当主に宣言されれば理非もない。


 天彦はここから先は真面目な大人時間ですよの感情と目性できつく訴え、今川家の元プリンスと面会するのであった。















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― 新着の感想 ―
[良い点] 氏真さんきたー!! 数奇な人生を生きた彼がどんな人物として書かれるのか楽しみです!
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