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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十一章 夢幻泡影の章
196/314

#06 物語が転調するときそこには必ず雪兎の足跡が

 



 永禄十三年(1570)二月二十五日






 清涼殿西にある書院造の建物を諸太夫の間という。


 東から西へ三室あり、それぞれ公卿の間・殿上人の間・諸太夫の間という。

 公卿とは正式に定義があり太政官高官(官職参議以上)を指す。官位従三位以上も可。

 殿上人とは清涼殿殿上間に昇ること(昇殿)を許された身分を指す。三位以上は原則全員。四位五位は例外的に一部。

 諸太夫とは官位四位五位の総称であり、または摂関家・清華家・大臣家に仕える貴族の別称。猶大名諸侯もこの諸太夫の枠に入る。


 つまり太政官参議である天彦と地方大名である信長の待機場所は別となる。

 天彦は案外そういった慣例や仕来りには従順な性質。例えば空港のVIPラウンジもドヤ顔で入っていく粋りカスには思うところはあっても、制度自体の適否には割と柔軟な姿勢である。そこを目指してがんばろっかなぁーとは考えないけれど。


 反面、制度を運用する側には相当かなり含むところはある。それが例え人でも組織でも大抵がカスだから。選民意識カス。優越思想カス。出自カス。血統カスetc……、要するにおもんないやつ全部のカス。

 猶、天彦の使用する“おもんない”には話自体の面白くなさも然ることながら、人格否定の意味合いもこっそり含まれている場合もあるので、「お前さん、おもんないん」指摘された人物は気を付けた方がよいのかも。知らんけど。


 かといって天邪鬼。抜け穴を探し無理やり突破を図ろうとするハッカーは逆にダサいと感じる性質。こいつはこいつでカスである。

 むろん必要性に駆られたらその限りではないのだが、少なくとも身分相応に与えられた居場所くらいは余裕で従う。ちっちゃい大人として。


 何が言いたいのかというと、そのキッズのお手本とならなければならない日ノ本一、その動向を注視されているだろう肝心のホンモノの大人が、まったく従う心算がなさそうなのが虚しさを誘うということ。

 まるでルールを守っている自分だけがダサいと思われているような冷ややかな視線に晒される虚しさにも似て、そこはかとない無力感を誘っていた。


「ここは内裏。清涼殿におじゃりますぅ」

「で、あるか」

「いや涼しい顔して! その清涼感は要らんのん。お願いします、伝統と格式は守って?」

「ふん。ならば従わせればよい。余はこう見えて勝者には敬意を表する人間ぞ」

「遂に居直って無茶苦茶言い出したでこの大人さん」

「何が無茶か」

「全部ですけど」

「よいか天彦よ、法とは敷いた側にも義務が生じるのじゃ。即ち従わせる権力あっての物種であるぞ。強制力のない権威など、ふん。室町第と同じではないか」

「いや正論やけど!」


 一方的にディスられる義昭にも問題はあるとしたって。

 言葉は選んで……? お耳さん、ざっと二百個は壁に引っ付いていはるから。


 そしてご自分さんが無茶苦茶の出鱈目であることにも気づいて? それはそう。誰が「あの、魔王さん。そこはお部屋が違い……」言えるのか。

 なぜじゃと問われたらお仕舞いです。あなたには家格はもちろん個人での格式も家柄の血統も何もかもが足りないですから。誰が言えんねん!

 言った瞬間その者は物言わぬ躯となること請け負いです。正しいことが正解ではないことの最大事例を世に示して。


 魔王が直接手を下さずとも、数万の家来の誰かが必ず確実に鉄板100の確度で報復に打って出るだろう。避けられない事実である。そして正義でもある。


「ずいぶんと見栄えだけはよくなったの。礼状一つで済ませおったが」

「朝ごはん、ちゃんと呼ばれましたん?」

「なぜじゃ」

「やけにチクチクなされているので」

「で、あるか。……なるほど道理で。天彦、後で付き合え」


 はーい。お寝坊さんなのね。


 さて、内裏建物の修復はもちろん、警備体制も刷新されてずいぶんと体面を保てる布陣となっていた。

 むろん織田家だけが頑張ったのではないが比率でいうなら8対2くらいだろうか。2は室町第。天彦もその2の内のコンマ5くらいは貢献している。


 だから素直に心からの言葉を送れた。


「信長さんのおかげさんを持ちまして。この通り内裏も立派におなり遊ばせておじゃりますぅ」

「……貴様、ときおり朝廷の側に立つのはどういう心算つもりか」

「ときおり? これは異なことを。身共は常に朝家の忠臣におじゃりますぅ」

「ほう、朝家の」

「はい。朝家の」

「帝のとはけっして申さぬのじゃな。悪たれ小童め」

「はて? なんぞ違いがおじゃりましょうや」

「それを詭弁と申すのじゃ! かかか、じゃが悪くないの。余が許す」


 てへぺろ。


 アップルtoアップルは経営戦略上における比較分析の大原則。とか。知らんけど。

 今上陛下にはご健勝にあらせられ、かつ右腕の近衛には精々頑張ってもろて。けれど時代は移ろいやすい。新たな風が吹いたのならいつまでもしがみついていないで次代に受け継いでいくが最善。


 といった風なパフォーマンスは存外信長公にはウケがよかった。


「貴様も冷や飯組であったの」

「さて、何のことですやろ」

「貴様の太々しさはやはり血筋か。権大納言、あれも相当にしぶとい公家であるな」

「……」

「ふん、貴様にも柔らかい部分があるようじゃな。だが余は確信いたした。血筋とはやはり侮れぬとな」

「持たぬ者の知恵におじゃりますぅ」

「抜かせ。貴様のいったいどこに持たぬ者の要素がある」

「この通り、みーんなですが」

「で、あるか」


 峻烈な視線の御咎めをひらりかわすと信長の右目が鋭く眇められた、それと同時に気配が変わる。


「しかし主上。とことん儂を――」


 そ、それはアカン!


 わーわーわーわーわー


 天彦は咄嗟に奥義“やーめーてー訊かせんといてーわーわーわー”を発動させ、信長の不穏当かつ不穏極まりない発言の鼓膜からの侵入の阻止に成功した。


「――許さん。見ておれ、確実に引き摺り下ろし春宮をその座に据えてやる」

「え、地雷なのですが。もう許して?」

「儂を虚仮にしおって。絶対に許さぬ」

「あ、はい」


 無念、失敗した。


 厭すぎた。不敬すぎた。阿呆なの氏ぬの。

 何でもいいが本当の本当に勘弁願いたい。そんな感情で天彦が本域の半べそを掻いていると呼び込みの侍従(帝の側近)が姿を見せた。


「失礼さんにおじゃりますぅ」

「どうぞ」

「御支度整いましておじゃります。どうぞいらしゃいませ」

「ほっ。おおきにさん」

「そ、それほどお待たせいたしましたやろか。もし麻呂が関知せぬご無礼がございましたんなら――」

「いえ、こっちの話なん。お気遣い御無用にて。ほな信長さん、参りましょ」

「で、あるか」


 簾越しに救いの声が掛かるのだった。せーふ。……なのか。


 天彦はどこか憮然とする信長を見やる。

 信長が言ったことはつまり自分を認める権威だけを権威と認める。きっとそういうことのはずで。ならば天彦はこの呪文のような言葉を、果たして受け入れてもよいのだろうか。


 ……む。


 珍しく逡巡した。天彦が軸足をどちらにも置かずに思案するのは珍しい。

 本当の意味での逡巡は、案外あるようでない場面であった。

 天彦の構想に朝廷は欠かせない。意義の有る無しではなく制度として必要だから。だが信長公は。

 中間努力目標を信長を関白に据える世界線への誘導から別ベクトルを模索しなければならないのか。それとも織田家自体を……。


 天彦は避けていた横顔をちらっと盗み見る。そこにはいつも通り険しい表情の怜悧な外面があった。笑うとあれでキュートなのに。


 ええええ。


 すると目が合った。しかも最上級で非難されるときの目を向けられてしまっているではないか。……じんおわ。


「ふん。――で、あるか」

「何も申しておりませんけど」

「目が申しておる。……小癪な。じゃがわかっておる」

「あ、はい」


 何を。とか、そんな無粋な言葉は続けない。

 信長公がわかったと申されたのだ。それ以上でも以下でもない。のだろう。きっとおそらく。……ほんまかな。


 ええい、降りてこいお雪ちゃん。訊きたいなぁ、訊いたろ。


「身共は主上を御支え差し上げる公家の端くれにおじゃります」

「わかっておるわ。貴様のような狡賢く敏捷はしこ武士もののふがおってたまるか」

「ほんまやろか」

「くどいぞ狐。余は一度吐き出した言葉を違えたことはない」

「ほえ、身共とおんなじなん」

「おのれ、余の言葉の信憑性を地の底に落として何とする心算か」

「あ、はい」


 言われていることはえげつない侮辱だが、あぁ。確信犯っていう。


 ほとんどだいたい伝わった。嬉しくもあり、驚きは……、どうだろう。信長公はやはり天彦の想像の上を超えてくるので今更驚かないかもしれないけれど。

 信長公は言外に天彦の願いを聞き届けてくれた。つまり帝にはたてつかない。のではない。たてつかないどころか強請らないことを約束してくれたのである。


 謁見の場はお強請りの場ではない。その公家的常識を少なくともこの謁見の場では。準拠してやるとそう請け負ってくれたのだった。


 信長からすれば何を置いても理が非でも手に入れたい勅があっても。


 そう。織田家は将軍家からの朝倉討伐令を手に入れていた。

 義昭の真意がどこにあろうとも関係なく、今の織田家は官軍である。

 だがそれでは弱いと進言したのは天彦で、史実でもその将軍ごと裏切ってしまって地獄の包囲網ロードに突入したのだ。安心材料などどこにもない。


 故に逆賊認定と討伐の勅はどうしても手に入れたかったはずである。

 天彦の知る限り信長公が人生で最大の試練を迎えることになるだろうから。

 これでも天彦がかなり苦難を排除した。それでも歴史の綾はある。いやきっとある。経験則が訴えた。


 そしてそれを強請る機会はおそらく謁見時の一度きり。強請れば帝も首を縦に振らずとも拒否はそうとう厳しいはず。なにせ織田家。目下朝廷を経済面から支える一番の大金主なのである。

 おまけに朝家の侍臣の家領をサルベージして回ってもいる。(菊亭の成果だが表立っては三介の実績となっている(理由は180何話かを参照されたし。すべては三介に官職を与えるための悪巧みであるため、菊亭の名は大っぴらに表には出ていない)。


 でも堪えてくれる。それは天彦の面目をたててのこと。じんわり。

 胸が熱くなる。


 天彦はその口約束が未来永劫継続されることを切に願いながら、


「たまには予想外に想像を下回ってくれてもええさんよ」

「抜かせ。大人をなめるな。貴様ごとき小童の想定など、いつでも軽々と超えて見せてやる」

「ほえ……、無敵に素敵にかっちょええん」

「ふん、では参ろうぞ」


 はーい。


 大人がちゃんと大人役を演じてくれるのはめちゃんこ嬉しい。

 天彦はそんな嬉し味を隠さずにるんるんの足取りで謁見の場に向かうのだった。




 ◇




 内裏。別名京都御所。当然だが帝の御在所でありこの世で最も神聖な場所である。


 その内裏の中でも特に別格な場所を清涼殿という。要するに帝の居住スペースのこと。

 建物は東向きの白木造りで屋根は桧皮葺ひわだぶき入母屋造いりもやつくり。床は総板敷となればつまりオニ寒。

 その一角、南北九間・東西二間、四方すべてに幅一間のひさしで囲われている空間の、その中心に帝は御座す。


 そんなここを額間という。清涼殿と記した額を掲げているから。案外ラフ。


 だが用途はまったくラフではない。それはそう。帝の執務室だから。

 政務について侍臣から聴き取りを行う部屋であり、けっして謁見用の部屋ではない。


 そんな額間に天彦たちは通された。


「陛下の御成-りー」


 よく通る声が額間に響いた。天彦は故実に則り平伏する。


 さささ。


 ややって簾に覆われた一角に帝が鎮座された気配が伝わる。

 お付きの者たちも定位置に付いたのだろう。じっと辞を低くして待ち受けていると、


「ふん、悪童か。まだ生きておったのじゃな。さすがに悪運は強いか」

『参議、主上はよう参ったとお悦びにあらせられます』


「東宮とは近づくなと申したが、悪童。朕の耳には可怪しな噂が届いておるぞ」

『洛外の新たな住居での暮らし向きは如何なりや。主上は甚くご心痛にあらせられる』


「おい悪童、またぞろ朕の侍臣を誑かしておるようじゃが、よからぬことを企んでおるのではなかろうの」

『公家家令を取り戻したこと。褒めて遣わす。後日褒美を与える故、改めて参内するがよいぞ。大儀であった』


 どんなウソ松やねん!


 お声お届け役の近衛は半分面白がっていた。いやこの場合、登場人物全員が面白がっているのだろうか。侍従(帝の側近含める)の誰もが浮ついている。

 あるいは浮つくどころか実際にどこからともなく失笑さえ漏れ聞こえてくるではないか。さすがに、ぐぬぬぬぬ。……ところが。


「ごほん」


 そんな謁見の砕けた雰囲気も天彦の枠だけの話。

 ターンが魔王様に移った瞬間、額間にえげつない緊張の帳がおりた。



 …………。



 魔王はどうやら回ってこなさそうなターンを自らの手で手繰り寄せた。

 その意図はさて措き、天彦の斜め45度後ろから、ほんの少しの咳払いが聞こえただけで場が一瞬にして凍りついてしまうのだった。


 ノッブぱっぱ、お約束しましたよね。……しましたよねッ!


 もちろん天彦には不安でしかない。そっとしておいたら終わる芝居だったのだから。

 だが天彦には、果たしてどの氏神が聞き届けてくれるのだろうお祈りの言葉を、何度となく心の中で念じるしか手立てはない。それが魔王の意思だから。意志だからこそ絶対に。

 それほどに信長公の存在感は圧倒的で、すでに座の中心は彼へと移り変わっていた。


 でも腹立つん。


 男子として普通に腹立つ。天彦はいつか自分だって。の感情でこのクソ忌々しい応接の違いに今は屈服する……、


 心算だったのに。


「弾正忠、何やら企んでおるようにおじゃるな」

「まさか。この弾正忠に二心などございませぬぞ。あるとすれば……」


 そこな子狐に。


「え、なんでぇー!!!」


 前後どころか360から包囲されてしまう。視線の包囲網。

 織田家が包囲される前に菊亭が包囲されていた。とか。


「悪童、しらばっくれるな。すでにネタは上がっておるぞ」

「天彦、この期に及んでは観念いたせ」

「参議、どうやら麻呂の勝ちのようにおじゃりまするな。ほほ、おほほほほ」


 近衛さあ。


 天彦は心底から嘆息した。昨日今日、共闘の誓書交わしたばっかしですやんの嘆息である。

 いずれにせよ唐突に舞台に引っ張り上げられ、右往左往のテイしていると、


「吐け」

「疾く吐くがよろしい」

「吐かぬか」


 矢のような追及の手が。いったい何を……? とか。


 うん、知ってたん。徳川と組んでやっている悪巧みの件ですよね。

 けれどいったいどこから足が付いたのか。


 まさか……、まさかね。まさかだよね。……お雪ちゃん?


 信じるからね。2億%信じるから。2兆%信じたよ。


 だが天彦は知っていた。雪之丞を信用するということの意味を。

 多くは語るまい。まぁ、まんじ。なのである。


「あ……!」


 そこで閃く。すると周りの大人たちも天彦に同調してニヤニヤする。


 つまりこの件、これはそういう回。またはそういう会と気づいた。

 そう。天彦をネタに朝廷と織田家との和睦の謁見と受け取っていいだろう。キッズを出汁に大人たちが和解をしたの図、または巻なのである。ならばよい出汁となってやるまで。

 舐められているのではなく買われているのだろうから。……ですよね?

 ならば言い換えるのなら天彦が仲裁したとも取れなくもない。それはそれで喜ばしいこと。ようやく考えが纏まった天彦は理解して納得した。


「おい天彦、何を一人で終わったような顔で納得しておる。逃がさぬぞ、疾くと吐け」

「ええー」


 そして同時にやはり役回りが常に損だとも感づいてしまう。自分さえ道化役に徹すれば世は並べてことも無しなのだろう。と言わんばかりの配役ではないか。知らんけど。いや知って!


 絶対おるやろ神さん。あるいはGM。居らんかったら逆に引くん。


 そう勘繰ってしまうほど、状況が常に菊亭から銭を引き剥がすのであった。












【文中補足】

 1、春宮

 東宮の別称。東方が四季の春に配置されることから。猶、東宮とは皇太子の住む御殿からとられている。












Thank you for reading. I am really grateful. It’s my pleasure.


This week might be a bit impossible.Sorry if I couldn't upload it. Bye-bye!


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[良い点] 声を届ける人と主上の発言の違いおもしろ。それに後半から空気緩み出してますね笑
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