#04 なけなしの良心を全賭けしてもぜんぜん足りないやつ
永禄十三年(1570)二月二十日
信長公は“皆の衆、大儀であった”の一言だけを残し会見の場を立ち去ってしまった。天彦たち上座に着く公卿とさえ視線一つ交えずに。
横並びだった天彦たち公卿との位置的条件を加味してもあまりに素っ気ない応接に場は騒然としていた。
中には早速、織田と菊亭との関係性に捩じれが生じていると実しやかに噂する者もいるらしい。……が。
「織田殿、随分と動揺されておられましたね」
「なるほど。そういう見方もできるんやねぇ。ずずず」
「はい。あれは確実に度肝を抜かれておりましたわ」
「あまり強い言葉を使うもんやないさんよ?」
「これは失礼を。まさか十も若いお方にご高説を賜るとは、この直虎、一生の不覚にございますわね。うふふふ」
10つ。……そこは絶対に踏み込んではならない領域。なのだろう。
知らんけど。と続けたい衝動を抑え込んで、
「一般的に年齢と経験が比例しているだけで、何もそれが普遍に適用される絶対解ではないさんということやろ。ずずずず」
「参議とこうして膝をつき合わせていると、どこか恩師の説法を聞いているような。かつての記憶が蘇りまする」
最大値でも27年なのでそれはない。
言いかけて飲み込んだ。これも禁忌に抵触するだろうワードだから。
女子、いや女史むずいねん! 女子もむずいけど。
いったん不満を強いめの声にしておいて、さて。
天彦は呑気な台詞な風を装って実際呑気にお茶を啜った。それがカッコいいと思ったから。
だが妙齢の美人女史さんにはややウケか。大人な笑みを浮かべて生温かい視線を向けられていることを加味すれば滑っているまであるのかも。
「参議は相変わらず自信家のご様子で」
「はは、まさかなん。身共ほど自己肯定感の低いお人もまあ居らんよ」
「それこそまさか。何せあの織田殿の顔色を失くさせておいてそのご反応。天下広しと雖も、他に類はございませんでしょうことを不肖井伊谷の次郎法師が請け負いまする」
「そういうのいっちゃん要らんねんけど」
え、地雷なんですけど。やめて? の感情で切実に。
「ならば引っ込めまする。ご健勝にあらせられるようで、何よりに存じまする」
「あんたさんも変わらぬご様子。身共もたいへん嬉しく思うん」
光栄にございまする。こっちこそなん。
空気の読める人ほんますこ。天彦の嬉し味が存分に伝わったのだろう。お相手もいくらか雰囲気を和らげた。やはりどれだけ強がってみせても、天彦と直に対面するのは怖いのだ。
知れば知るほど、その脅威は現実的な数値となって対面者に重くのしかかる。手に汗握りビビり散らかして当り前であった。
それを証拠に今の天彦に対し負の感情あるいは畏怖の念を抱かずに平常運転で会える武家はほとんどいない。居たとしても織田家のブラッドサインを継ぐ者だけに限られるだろう。三介とか三介とか、おそらくきっと。
上杉でも武田でも毛利でも、天彦と会うときは無条件にというわけにはいかない。そういう間柄であった。
裏を返せばそれほどに天彦は成果を挙げてきた。ましてや今やあれほど敵対していた幕府さえ転がしてみせている。その手腕たるや……。
「昨年は過分なご高配を賜りまして――」
「なんのそれしきのこと。容易い御用におじゃりますぅ」
そしてお互いに社交辞令の限りを尽くしあって、ややあって無礼講タイムとなった。
一度は本気で殺し合った仲。というと語弊があるかもしれないが、それに近い腕試しの関係性には突っ込んでいた両者。すると不思議なもので、どこか戦国の習いを踏んだというのか一線を越えた事実が他の誰とも違う、妙な感覚でお互いの距離を縮めていた。
あるいは女史からすれば一方的にしてやられただけの関係性をどうにか五分には戻したい。そんな感情的な面目的な思惑があるのかもしれないが、いずれにしても端的にいうなら気安いのだ。
おそらくきっとここまで親しめる武家は他にはないだろう感覚で、天彦は目の前に座る妙齢の女史と向き合っていた。
そう。イケボで萌えボ女史、井伊谷の策士にして次郎法師こと井伊谷城の女城代直虎と余人を介さず差し向かいで。
そのように彼女に求められたから。むろん襖や引き戸を一枚挟んで、天彦窮地のおりにはいつでも雪崩れ込める手配はされているとしても。
閑話休題、
さて、信長公が顔色を失った。あるいは盛って動揺した。とのことである。
だがおそらくきっと事実であろう。それほどに信長らしくなく失態を演じてしまっていたので。
無粋が過ぎるため何に対して動揺していたのかは問わない。天彦としてはこれが大人の青春かぁ。くらいの感覚で聞き流す。
むろん大人な青春なのでひとつも青くなければ甘くも切なくもないやつ。ただただ表現が曖昧模糊に終始してぼんやりと過ぎ去っていくだけである。
どうしてもという方のために敢えて仮説を立てるとするなら、信長公はまさか無理難題と承知で突き付けた要望が実現するとは思わず、けれど列強のネガティブの押し付け合いを一手に引き受け集合させた天彦の本気に度肝を抜かれた。
の、かもしれないし、またはそれらの可能性を包括的に仮想して幾つかの結論にたどりつき、天彦のその手腕に肝を冷やしたのかもしれない。とか。
いずれにしても近い位置からしかも俯瞰で見られる人物に、そう言われたのだ。天彦としても存外悪い気はしないのであった。
「それでお人払いの本題を訊かせてんか」
「あら、女性を急かすと好まれませんわよ」
にょしょう。女将。……この日ノ本にただお一人では。
誾千代含めてもお二人さんでは。対象分母が圧倒的に限られている上に、モテんでええねんけど。……あ、はい。
天彦はこれもまた世に出さずに封印した。
え、何この禁句ワードゲーム。いつ始まったん。身共ぜんぜん訊いてへんねんけど。の感情で、慎重に言葉を選びながら相手の出方を伺った。
「本日はお願いがあって罷り越しましてございます」
「……そやろなぁ」
「お察しのよろしいことで。これが主命にございまする。どうぞ」
親書を受け取る。封印も確認する。たしかに何かわからないが蜜蝋で封印はされている。封を切って書の後方を確かめるとなるほど見知った筆跡の花押がきちんと認めてあった。
「三河守さんか」
「はっ」
親書の冒頭に戻って読んでいく。
なぜ家康は天彦に頼めるのか。それは簡単。裏できちんと繋がっているから。
繋がっているに誤解を生むなら文通相手。彼らは頻繁に文のやり取りを交わしていた。むろん第三者に盗み読まれることを前提とした中身の薄い文面だとしても、きちんと繋がる意思を以ってお互いがお互いに文を交わしあっていたのだ。
そんな家康からのお願いごと。
こうして余人を介したのは意味合いとしての建前以上に意味がある。即ち既成事実の積み上げだけ。あるいは言質が欲しいよう。
つまり家康は本気の本気で切羽詰まっているようだった。
「ほう。三河守さんも身共と同じ無理難題で泣かされてはりますんやね」
「はっ」
「ほなら勝負や。……とはならんのか。何や端から白旗上げたはりますご様子」
「はっ」
「次郎法師さん、それやめて?」
「はっ」
延々ずっと額を畳みにこすり付け、懇願の態度で泣き落としにかかる図。
控えめに言って脅迫であった。クソだった。女性に対して不適当ならうんこちゃんであった。
「京の町を賑やかせよ。京に織田ありと言わせてみせよ、か。まあこの情勢なら至極妥当な要求ではあるよね。無茶やけど」
「はっ」
京の町は善きにつけ悪しきにつけ水色桔梗一色である。
それほど惟任は市井に浸透していた。おそらく戦略として。そのためには割く労力を一切惜しまなかったことだろう。その点に関しては頭が下がる。思いだけで。
結果は御覧の通りである。もはや管領。今や京兆家など押し退けて誰もが惟任家を幕府管領家と見做すほどに至っていた。
それほどに惟任の治安維持には定評が高かったのだ。やりおる。……文脈としてだけ感心しとくん。
天彦が別視点で難しい顔をしていると、
「やはり参議様でも難しいでしょうか」
「は?」
「あ、いえ、その……」
ちょっと語尾が荒くなるだけで次郎法師はおたおたした。
おたおたすると萌えボに補正がかかるのだ。すこ。
「お前さんが欲しいん」
だから申し入れた。萌えボくれと。声フェチのボイス担当要員として。
「なんたる僥倖。はい。わたくしでよければ是非とも娶ってくださいませ。この際欲張って正室を望みまする」
なぜにガッツポーズ。そして娶るとは。
これも封印……。
「するかぼけっ! 次郎法師さん、お遊びが過ぎるん」
「あら、案外本気でしたのに」
「あんましふざけていると雪崩を打って乗り込んでくる阿呆が十や二十では利かへんのん」
「参議様も不便をなさっておいでなのですね。ならばその憂慮。この次郎法師がすべて払って差し上げますわ」
不穏。まさか次郎法師が煽りカスだったとは。
天彦は襖がカタリと動いた気配にかなりの重圧を感じ取り、おふざけムードを一変させた。
「ほな人質、代わりにお身内から差し出すんやな」
彼女がここに単身で寄越されているということはそういうこと。
これは織田を差し置いた菊亭と徳川の正式な盟約なのだ。同盟はよほどの対等関係でもない限り請う相手方から何か代償を差し出すのが流儀である。
そして余程の対等関係での同盟などこの世には存在しないので、弱者が差し出すのが専らである。この場合は天彦もそうとう危ない橋を渡る。
むろん天彦とて望むところ。それはそう。今後300年を占う大偉人との密約。あるいは神にさえ昇格した人物との口裏合わせ。
こんなもんナンボあっても困りませんからねー。の感情でテンションは上がった。
故に人質を要求した。人質という語句に印象が悪いなら人材交流。何しろ天彦は井伊家と繋がりたい系男子だから。今後を思えば絶対に。確実にこの機を掴んでおきたいところ。
そして菊亭天彦、人を圧倒的に信用しているので。人質は絶対に欠かせないアイテムと認識している。裏を返せば……、裏を返してはいけません。それが大人の流儀なので。よって“なにも~な゛かった”と、
ゾロ風に心で泣いて、そして虎松の存在を言外に匂わせたのだが……、
「ならば井伊の滅亡を覚悟で一槍馳走いたしましょう」
デフォルトキティはたちまち猛虎に豹変していた。眠れる獅子を起こしてしまった。お母ちゃんゆーたやろ、要らんことすなっって!
そんな幻聴が聞こえてきそうなほど、獰猛な牙を剥いて膝立ちになっていた。
「こ、腰のもんは抜いたらアカンよ。フリやない。ホンマにやめて、どっちも氏ぬから」
「それは一興。ならば試してみまするか」
「っ……」
「如何」
「参った」
「ふっ、よろしい。では」
これだから戦国武将はさあ!
天彦は思わず声に出してしまう。それも強いめに。
それほどに呆れていたのだ。そしてその呆れ顔で視線を切ると次郎法師も手に掛けた小刀から手を外した。……ほっ。
「模擬刀にて」
「はは、ほなそれで」
ぱちんぱちん。天彦は扇子をいつもより強く弾いて、“その言い訳、どこの田舎なら通用しますの”完璧に強がりのセリフを脳裏に思い浮かべたて、これを言うか言うまいかを思案していると、
「その前にお一つだけ」
「どの前や」
「菊亭様とあろう公卿様が庶人のように無粋なことを仰せになるとは」
まんじ。
「ほんまに一つならええさんや。何でも訊くがよろし、いや中には申せん無理もある」
「ではお言葉に甘えまして。列強がなぜ参議様の呼びかけに応じたのかを、是非ともご教授くださいませぬか」
「あー……、それは数少ない無理の内の一つに入るん」
「殺生です。お答えください」
「ならば身共に仕えるがよい」
半分冗談、半分本気で口説いてみると、
「菊亭卿、不肖井伊家、末永く縁を繋いでくださいませ」
「あ、はい」
次郎法師は天彦の先手を取って、臣下の礼を取っていた。
さすがに冗句ですやん。言える空気では一ミリもなく。
天彦は一切の無駄口を許さない気迫で次郎法師にまんまと押し込まれるのであった。
さすがは史実に名を残す傑物である。これならどちらが望んで搦め捕ったのかわからないではないか。……え。あ、そういう……。
気づいたときには既に遅し。なるほど英雄。攻め口も引き際も落としどころもすべてがすべて、張りぼての虎とはわけが違った。
こっわ!
大事なことなので二回言う。
戦国女将、こっわ!
この調子なら後見人たる城代もすでに目星をつけているのだろう。あるいは手当て済みまであるのか。これが武士。これが国人。
その強かさに舌を巻く。だが学びにはなった。そして奇しくもこうして肝の据わった知恵物をまた一人ゲットできたのだ。ここはいったん素直に喜ぶことにする天彦であった。
と、
「わっ――、なんで押すん! やめてと某ゆーたよね」
「某ではござらんぞ」
「押すなともうしておろうが」
「わ、わ、――!」
雪崩を打って家来どもが無様を晒すほどには、どうやら関心も高そうだし。
◇◆◇
永禄十三年(1570)二月二十四日
信長公定宿の二条衣棚・明覚寺。
本日は室町第への表敬訪問の日である。総勢百名ほどの武者がすでに主の登場を待ち侘びている。
そんな境内に天彦もいた。イツメンたちを引き連れて。
やはり主役は遅れてやってくるもの。勢揃いする中、ビロードのど派手なマントを纏った主人公が数名の美男子を引き連れて姿を見せた。
「お早いご登場で」
「ふん、参っておったのか。呼びもせぬのに」
「天彦。大儀であったな。余はお前の顔を見て礼を申したかったぞ。が、この場面の唯一の正解なん」
「ご苦労」
待ち惚けを食った天彦は開口一番嫌味をぶっこむ。
だがブッ込まれた方は歯牙にもかけず、あるいは鼻で笑い飛ばすこともせずに颯爽と愛馬に跨り鞍上から見下ろした。
これは効く。突っかかっていった方からするとそうとうに痛い応接である。
そんな天彦と言えば見下ろされて口惜しい。単純に。
しかも鞍上の信長はちょっと煽っている風に顎をツン。下目使いに見下ろしてくる。ぐぬぬぬぬぬ。
しかし天彦に馬はない。何しろこれから先、向かうのは室町第。しかも公卿として正式にお招きを頂戴した式典である。公家として有職故実に倣うに決まっていた。つまり籠。
天彦は地を這う目線の乗り物にもう一度“ぐぬぬぬ”と歯噛みして、内心で地団太を踏んだ。
そこに追い打ちの野次が飛ぶ。
「おい小童、余を待たせて何をもたもたしておるのか」
「おいて!」
秒で言い返されるの巻。
意外性も何もなく、究極に負けず嫌いな二人のこと。当たり前だが気は合わない。たとえ惹かれ合ったとしても。
馬がいる。それも喫緊大至急。だがいずれも織田の配下ばかり。菊亭は馬を持ち込んではいなかった。……いた!
「な、なんじゃ」
「はい」
「おまっ……、この状況で」
「はい」
「ちっ」
無駄口を最小限に省いてじっと手を伸ばして待つ。すると根負けした三介が掴んでくれて引き上げてくれた。これでよし!
天彦は鞍上、三介のタンデムに着くや信長と目線があったところでドヤ顔をキメて、
「おおきに茶筅さん」
「お、おう」
父親に勝ち誇る。
だが勝ち誇られた父親はただの父親ではなかった。
鋭い双眸に峻烈な覇気を滲ませて天彦を見つめ、天彦を見つめたそのままの状態で冷たく突き放すように言い放った。
「三介。貴様も友は選べよ」
「選んでおるわっ! 無礼を申すなら親父殿でも許さぬぞっ」
「何を、小癪な。どう許さぬと申すのじゃ」
「小癪がどうした! 儂は織田三介なるぞ!」
「ほう」
その目の前には本家織田信長公が御座すのだが、どうやら三介にはあまり関係しないよう。
普通に痛い。アホ過ぎる。だが天彦は嬉しかった。
天彦がこっそりじんわりしていると、さすがは三介。斜め上の回答ですべての感動をぶち壊しにしてくれるのだった。
「厳選しておるから友は菊亭一人しか居らぬのじゃ。がははははは――! どうじゃ参ったか」
あ。察し。
参ったん。その場のほとんどがこめかみに指を這わせたとか這わせないとか。
だが信長だけは和んではいなかった。
張り詰めた表情のまま、ともすると冷えた空気以上に冷たい口調で言い放つ。
「三介よ。貴様、うかうかしていると母屋まで乗っ取られかねんぞ」
「何の意味じゃ」
「貴様の背に隠れている化け狐に訊ねるがよい」
「菊亭に……?」
天彦は隠れていた。広い背中に。
すると三介は怪訝な顔をして首を15度傾けると、
「菊亭、あれは何のことじゃ」
「うーん。さてなんでしょう」
「隠し立てするな」
「隠し立てなどしておりませんけれど、思い当たる節が……、おお。ひょっとしたらあの件かもしれません」
「それを申せ。あと下手な芝居はよせ。次に勿体ぶったら思いきり殴る」
「殴るな! 言います、申します。縁あって井伊さんを拝借しまして。当家の行儀顧問としてご指導頂戴しております。きっとそのことに関してお小言を仰せなのでしょう。知らんけど」
「ふーん。井伊と申さば徳川殿の陪臣か」
三介は少し考えこむ表情をして、
「つまり親父はこの菊亭が織田家を乗っ取ると、そう言いたいのじゃな。ならば儂はこう答える。その程度で乗っ取られる家ならば乗っ取られるが吉、いや重畳であるとな! がはははは、儂天才! わははははは」
野生の天才だった。限りなくホンモノ臭のする。
堂々と言い放ってあの魔王を呆れさせるのだ。天才以外の何物でもない。
あるいは実父を感心させたのかもしれないが、いずれにせよ当人はまったく意図せぬ出来事であろう。故に野生の天才であるQED。
「茶筅。今のカッコよかったん」
「ん? そうなのか。よくわからぬが、お前が言うなら正しいのじゃろう。ならばよい。がはははは」
らしいので。
さてそんな信長公。あるいは今日という日のイベントをもしや勘違いなさっておいでなのではというラフな姿で登場なされた。
当然だが周囲はかなり戸惑っている。
本日は室町第への表敬訪問。つまり将軍様への謁見である。
なのに彼は武家の正装である衣冠を着衣していなかった。着崩したフォーマルですらなく、武家の常服である素襖で臨むつもりのようであった。
「はは、阿呆やん」
「あ゛……、ふっ、抜かす貴様も阿呆であろうが」
「ふん」
「ふん」
やーめーてー。
周囲は唖然、愕然、悄然もか。この二人の言い合いはウィットに富み過ぎていて周囲の寿命をたいへん縮めた。
だがこれで信長も天彦は平常なのだ。とくに天彦に至っては至極穏やかな感情だった。
だって知っていたから。知っていたに誤解が生じるなら予感していた。
信長ならやるよね。そんな痛いヤツがスピった風な勘が冴えていての予感であった。見事的中!
そんな天彦も高見えする正装で臨んでいる。衣冠束帯ではあるものの、見る者が見ればひと目で安物を言い当てられる、染め、仕立て等にかなり手を抜いた吝嗇った代物である。
そんな天彦を見て信長はにやり。さすがにわかっておるな貴様。風な笑みを浮かべて愛馬の胴を強かに蹴った。
「者ども、いざ出立――ッ!」
応――ッ!
いざ室町第へと向かうのだった。まるで戦のノリと熱気で。