#01 φ、∀、Д、他人軸に屈するとか無理なんで絶拒します
永禄十三年(1570)一月十五日
天彦が好きな物だけで打線を組むと確実にスタメン入りするだろう人材が毛利金鶴丸であった。らっきー。
予定外の収穫に気をよくしたのかしないのか。天彦は連日精力的に暗躍した。
するとどういう訳だろう。京都にはこんな噂が蔓延し始める。
五山の御狐さん。あの西国の雄、毛利家をも誑かして騙くらかしたらしいで。
――と。
加えて他にも色々と、ここにきて天彦の風聞はピークに達していた。
善きにつけ悪しきにつけ炎上しやすいネタ枠というギミックを差し引いても燃えすぎであった。
「はい!」
「なにお雪ちゃん。しんどい中身やったら相手でけんよ」
「若とのさんが毛利家五竜姫の御落胤らしいです! ほんまですか?」
「お雪ちゃんさあ」
「何ですやろ」
「相手してられへんってゆーたよね」
「してください! 某、噂が気になってしゃーないんです」
ハッシュタグ付けて拡散してんの誰やねん。それともメンションしてんのんか。
いずれにせよコロス氏ねどす。
天彦は100の感情で不愉快だった。なにせ母親のことはやめて? では済まされないレベルの地雷である。
母親のことを思うとなぜか血を吐くような感情に苛まされてしまうから。
この物事を何かに付けて批判的に吟味してしまう癖もきっとそのせいだと勘繰っているほど地雷だった。
「お前さんら、おのれ……」
…………。
だが天彦の感情など二の次とばかりイツメンを始めとした家中の視線が雪之丞ガンバレ!と訴えている。猛然と。
それほど天彦の母方の出自は秘匿されていて闇の中だったのだが。
いくら何でも馬鹿馬鹿しい。甲斐源氏武田家ならいざ知らずさすがに大江毛利氏では家格が合わない。それにまるで別種の武家を内に抱え込むなどどだいむりな仮説である。
なのに、
「市井はその噂で持ち切りにございます」
「そのとは」
「……五竜姫がお殿様の母御前であるという噂にございます、だりん。ぷふ」
言ってるルカが笑ってしまってるよね。ダウト!
だがそれは知識があればこその可笑し味であって、無知な庶人にそんな理屈は通用しない。
そしてそれとは別の問題として今回の噂、実害が出る公算が高かった。
万が一毛利家の耳にでも入ってしまえば、最悪の微意ご破算になる可能性さえ秘めていたのである。
つまりこれは誰かの仕掛け。誰か、惟任に決まっている。
菊亭の不利。だいたい全部惟任のせい。そう高を括って違和感がないほど、天彦は出所を確信していた。
だからこそその情報の拡散元を叩かなければならなかった。
「仕掛けはわかってるん。なんで出元が見つからんのん。早う見つけんとちょっとややこいことになるん」
「はっ、もうしばらくご猶予をくださいませ」
「もう五日も与えているんやけどなぁ。なぁルカ、いや射干の当主代理さん。何や知らんけど菊亭の直参になりたい家は多いらしいでぇ」
「くっ」
言外のサプライズ人事を匂わせて脅す。いや喝を入れる。
天彦の思うサプライズでも一番要らんヤツをぶっこんでみた。効果は覿面である。
天彦の何かにつけて特別待遇を隠してこなかった射干党にたいする応接としては非常に珍しい塩対応に、座に集うイツメンたちも驚きを隠せない。
「蒲生党、見回りを強化せよ」
「何をもたもたしておる、藤堂党もじゃ! 続かぬか!」
「片岡党、もう一度陣を再編いたすぞ」
「この後、侍処の軍議を招集いたす」
「政所もしとこか」
「長野家郎党、別件で評定を行う。遅参いたすでないぞ」
「植田家しゅうごー」
お雪ちゃんは用人さん集めてどないするの? ハンカチ落としかな。
それほど天彦のトーンに余裕が感じられなかったのだ。焦りからくる苛立ち感情は明らかで、けれど反面、天彦の焦りも尤もであった。
というのも悪風はピークアウトの兆しをまるで感じさせず、日に日に燃え盛っていたのである。
今日明日にも内裏の一丁目一番地にも届きそうな勢いで。
そうならないよう朝廷及び公家町工作をしてきた意味がまるでなくなる。
いったいどれだけの銭を撒いてきたというのか。考えるだけで胃が、胃が、ぐぬうううう。むろん財布の出所は菊亭大金主お馴染みの彼だが、天彦にだって怒る権利は十分にあった。
何せこの策が頓挫すれば振り出しに戻るどころか一族郎党、本当の本気で路頭に迷う旅一座暮らしを余儀なくされる公算が高いのだから。
無理です。そもそも厭です。
そういうこと。
だからこそ天彦は声を荒げた。その思いを洒落ではないのだと伝えるために。
菊亭の面々さん。どうやら他所様の御家来衆と違って、尻に火が付いているのを察知する嗅覚に疎い、あるいは気づきながらも対応が非常に遅いずいぶん呑気なお方が多いようであった。誰に似たのかはわからないけれど(棒)。
「ほらぼさっとしてんと総出で掛かるで」
応――ッ!
但し返事だけは一流の。
◇
まだ正月気分が抜けきらない幕の内最終日、年が明けると寒気も幾分か和らいでいて、寒いは寒いが耐えられないほどの気候ではなくなっている、そんな京都洛外で。
天彦は悪巧み(改元)をゴリ押すために今日も今日とて各方面の調整に奔走している。そんな天彦がイツメンを引き連れ向かっている先は洛中の一丁目一番地である。
何せ今回の策、内裏(朝廷)抜きには語れない。あるいは舞台のメイン所といって大袈裟ではないだろう程に最も重要なターゲットの一つである。
だがこのショタ、表立っては出禁を食らっていて入れない。
仮にも天彦は太政官参議。出禁を食らっているとはいえ表立って拒絶できる弾正台の者はいない。
「お断り致す」
「うそーん」
いた。普通に。
「嘘も何も毎回同じ扱いですやん」
「お雪ちゃんはいったん黙ろうか」
「はい」
年が明けて天彦も一つ年を重ねた。数え11。お雪は12。けれど何一つとして変わらない。
二人とも務めてショタでブサかわいい。
「ほな参ろうさん」
応っ――!
何度傷ついたってへこたれない。出来立てのかさぶたは気持ちいいん。
と嘯いて、粗末な扱いにもめげず天彦は真っすぐに狙いを定めて歩を進めた。
◇
そんな天彦にも転機が巡ってきた。すべての行動が無駄ではなかった。あるいは結果として報われた。
先方から呼び出しがかかり、菊亭一行が向かった先は洛中公家町、その一丁目一番地。
本日は内裏の代理人と初会合の日。
訪問先は桜木御殿。そう。やはりというべきか。朝廷の代弁者、即ち帝の代理人は当然のように関白太政大臣・近衛前久であったのである。
その見事なお庭を眺めながら、ぽかぽかと温かい暖の利いた部屋で佇む初老の人物がぽつり、
「久しいの今出川殿の利かん坊」
「桜木御殿のお狸さん、ご無沙汰におじゃりますぅ」
☒☒☒(文字化け)みたいな何んとも掴みどころのない口上で口火を切った。
天彦がそう感じたとおり口調やセリフ回しはさて措き、対面する御大の態度はいたって慇懃。むろん天彦だって同じ。
互いは互い実に公家らしく作法に適った故実で徹底的に礼を尽くし、これから始まる交渉に一切の瑕疵がないよう卒なく振舞った。
社交辞令を一頻り終えて、さて。
「して別当、件の噂は事実におじゃるか」
「まあなんと! 関白殿下ともあろうお方さんが、民草の手慰みである口遊びなどに関心をお示し遊ばされるとは、驚きを通り越してふっ、……逆に可笑しなってしまいすわ。くふ、くくく」
だが前久は手を緩めない。
「如何なるや」
「ほう。これは異なことを仰せにならしゃります。仮に事実が紛れていたとてそれが何といたしましょうや」
「それをこうして詮議しておる。宮中でも専らその噂で持ち切りである」
「はて、如何なお噂さんにおじゃりましょうや」
「しらばっくれるな小童めが! 己、いいや別当さんが西国の大大名毛利を誑かして関白の座に就くと専らの噂であろうが。己、今回の件は罪が重いぞ。御咎めなしで済むとは思うな」
天彦は扇子をとんとんと掌に打ち付け調子を刻む。
そしてその何食わぬ顔のまま、抜け抜けと言い放つ。まるで阿呆を見る目で完璧に蔑んで。
「事実はこの世にお一つとでも仰せになられる。はて、それでは議論は平行線を辿ったままにおじゃりまするなぁ」
「抜かせ」
「ほな抜かしましょ。よろしいですか関白殿下。事実など所詮は複数ある事実の一つにすぎません。こうして身共らが相まみえているのも事実としての側面であり、数舜先に笑顔で手を取り合っているだろうことも事実の一端におじゃりますぅ」
「はは、おほほほほ、小童が、酒落臭い戯言を申しおる」
「小粋な戯言におじゃりますぅ。お気に召したようで幸いさんにあらしゃりますぅ、おほほほほ」
数舜後には前久の気に入る、延いては面目の立つ土産話があるからいったん黙れ。
天彦の言外の申し入れが伝わった瞬間であった。
「織田の太政官就任、並びに春までの改元。こちらからの要求はその二点。飲んでいただけるなら石見銀山の採掘権、半分を献上いたしましょ」
「……」
前久は異常なほどに警戒した。
それもそのはず。こんな骨を折って菊亭に目に見えた得がないからだ。それは間接的にはあるだろう。だがそれを言い出せば今回の一件ではほとんどの貴族が恩恵に授かる。
甘んじるのか。否。天彦はそんな殊勝な玉ではない。それを誰よりもよく知る前久だからこそ異常なほどに警戒感を高めてしまう。
「蔵人綸旨である」
「はは、謹んで拝聴いたしまする」
前久はさも当初からの予定の通り振舞った。
それを証拠に蔵人が認めたという綸旨はまったくの白紙委任状であったのだ。
それを当意即妙のアドリブで切り返し、天彦の案を然も朝廷案のようにすり替えて演じたのであった。
「はっ、臣藤原朝臣天彦、御綸旨の言、謹んで拝命いたしまする」
「そうしい」
俎上には上がった。
天彦は関白殿下と対等な立場でテーブルに着く。
これは特異なことである。武家ならまだしも天彦は生粋の公家。身分に縛られる人種である。それが何段も上位の関白と対等な立場で交渉できているのだ。それもオフィシャルで。これは地味だが歴史書に載っていいレベルの画期的な出来事であった。
「当方からは二点におじゃる」
「はっ、拝借いたしまする」
天彦は予め認められてあった文書を受け取る。
改元に関しての異論はない。それはすんなり受け入れられた。
問題は朝廷からの申し入れ二点である。その一、石見銀山の採掘権の半分の要求、その二、攘夷。つまり京都からの外国人の追放である。
この二点がボトルネックとなってこの交渉を暗礁に乗り上げさせる。
何せいずれも天彦にとっての肝心要の肝なのだから。易々とは首を縦にはふれっこない。
採掘権は東宮推しには欠かせない財源であり、攘夷は論外以ての外。何しろ天彦を裏に下にと献身的に支えてくれている半数以上が伴天連関係者なのである。
形式上でも追放などしてみろ。未来を失った彼らが果たしてどのような行動に打って出るのかは容易に想像できてしまう。それこそ菊亭はお仕舞いです。あるいは京都だって無事では済まない。今の射干にはそれだけの武力と軍事的技術力が備わっていた。故に天彦としてもそれだけは断固として飲めなかった。
「譲れぬ折れぬでは話にならん」
「はい。重々承知しておりまする」
非常にわかりにくいが前久、これで相当譲歩しているのだ。驚くべきことに菊亭はかなり配慮されているらしかった。
多少はいい人キャンペーンの効果も出ているようだが、実際はどうだろう。
天彦はこう考えている。公家は本質的に武家を忌避していて、同じ支配されるなら同質の公家がいいと思っているのではと。
なぜなら天彦も100同意できるから。公家はしょーもないし頼りないが至極平和。血生臭さとは対極にある。
その生温さでこの戦乱の世を統治できるとは思えないが、というより不可能だが、だからこそ願望としては根底にある。京の町は公家に統治してもらいたいものであると。
天彦はその確かな意思を前久から感じ取っていた。きっと前久も同じはず。
そんな宿敵ながらも共感ポイントのけっして少なくない二人だからこそ、年代は大きく違えども寄り添う意思は示せるのだ。
事実、というのも前久、朝議で帝に本来なら石見銀山の採掘権100の要求とすべての伴天連を日ノ本中から追放要求して丁度、あの狐の化身にはいい塩梅であると訴えたほどであったらしい。知らんけど。
つまり前久は天彦に譲歩を勝ち取ったと喧伝できる余白を与えよと言っているのだが、その感情はあまり朝廷サイドには理解されていないようである。結果実に実践的な数字になって出来上がってしまったから。
するとやはりこの件一つとっても近衛前久は実務の人であり、現役でいるかぎり天彦の目の上のタンコブで居続けるのだろう宿敵である。
だが結果はやはり思った通り。天彦には腹案があった。すべてを覆す奥の手が炸裂した。
「ご嫡男信基さん、東宮が預かろうと仰せにおじゃります」
「……」
「むろん次代の東宮として、確と遇することをお約束さんにならはりましておじゃりますぅ」
「貴様……、いったい何を考えておじゃる」
「身共の真意は常に帝と共におじゃりますぅ」
「天下泰平。ぬけぬけとほざく。……しかし悪うない放言におじゃるな」
「お褒めに預かり光栄さんにおじゃりますぅ」
談合はなった。
ウソ松であることは火を見るよりも明らかなのに。
天彦が次世代の太政官最高位である関白の地位を易々と捨て去ることによって、双方の臨むべきものはすべて奇麗に整ったのである。
完璧な政治は誰にも実現できない。だが筋の通った政治なら誰にだってできるのでは。
そんな小生意気な主張も少し織り交ぜて。天彦は宿敵である近衛家に勝ちを譲った。
「しかし別当、麻呂は確信に至ったでおじゃる。やはり貴卿、努々油断ならぬ末恐ろしい逸材であるな」
「なんで……!?」
勝っても畏怖され負けても警戒され。もはやこれは呪いであろうか。
いずれにせよ合意はなった。
細部は実務者レベルで詰めればいい。概ね合意。この魔法の合言葉が何よりも欲しい両家であった。
十一章 夢幻泡影の章 始まります⸜(*ˊᵕˋ*)⸝アリガトウ
無限抱擁でも可。ウソ松です。いやウソ松ではありません。感情的には後者がいいです! あ、はい。
フォロワー様、またまた寛容な御心で作者の戯言にお付き合いくださいませ。よろしくお願いいたします┌○ペコリ