#22 二極思考の凝り固まったスクリプト
永禄十二年(1569)十二月二十八日
目下1569年現在の日ノ本における九大財閥。
>大山崎 (自治都市・油座の元締め)
>堺 (自治都市)
>山門使節 (室町幕府が延暦寺の僧侶を統制するために作った機関)
>青蓮院 (天台宗の門跡/皇族や公家が住職を務める特定の寺院)
>興福寺 (法相宗の大本山)
>比叡山三塔(比叡山の山上に位置する東塔・西塔・横川の総称)
>織田家 (説明不要の経済軍事大国・尾張・美濃(岐阜)・京都の一部と経済収益・北伊勢・東部南部近江・摂津・堺の徴税権・大和国に対する命令権)
>上杉謙信 (幕府関東管領、越後など四か国を領有)
>惟任日向守(幕府奉公衆政所執事代・京都所司・山城国の1/3を領有)
と、されている。(猶、朝廷と室町幕府は別格除外するものとする)
大山崎自治区に関しては誰かさんのせいでかなり既得権を侵害されているため上記他八勢力からはかなり劣る。だが概ね世間の認識とも合致する財閥ではないだろうか。という表となっている。
このことからも九大財閥の内、実に四つが寺社勢力なのである。
織田信長が天下布武を唱えるにあたって、寺社の破却あるいは壊滅をマストとした理由もおわかりいただけるはずである。しかも比叡山は四つの寺社関連の内三つも占めている日ノ本最大財閥である。
さすがにこの事実を前にすれば天下統一を目論む武家にとって目の敵にして尤もであろう。この時代の寺社はこの財力を基盤として独自武力を有し、しかも政治に積極介入してきたのだから。
そして意向に沿わなければ自国内の信徒を扇動されてしまい、たちまち内乱を誘発されてしまう。統治者にとってまさにこれ以上目障りこの上ない存在もなかったのである。
何が言いたいのかというと、天彦はこの財閥の中に自身の親分である東宮の名を臨席させようと企んでいる。いや今後を見据えるにあたって確実に名を連ねておかなければならない絶対の是、案件として考えているのだ。控えめに言って無茶である。他の財閥が保有する資産量を考えれば、仮定でも家庭しない額だから。
だがこのショタ、まぢです。
そのためには一にも二にも経済基盤。それも少々の戦や不況如きではびくともしない強固な岩盤基盤が必要である。と真剣に考えておりました。ところに、
……あるやん。目の前に。
となったのです。そういうこと。
そして件の毛利家はこの九大財閥のすぐ後に位置する巨大勢力である。
おそらくだが幕府内における序列がもう少し高く、土地柄田舎大名と侮られていなければ上位九傑には確実に食い込んでくるだろうポテンシャルを秘めている逸材である。
天彦的には純粋に経済規模だけを算出すればあるいは上位三傑にだって名を連ねるだろう大国であった。それが天彦の知る毛利家である。
しかも石見銀山をろくに稼働させずにこのポテンシャルである。生前の元就公が本気を出せば天下布武も夢ではなかったと思っているが……。
如何せん彼も凡人。凡人が適切でなければ人であった。やはり魔王は日ノ本にただ一人なのである。
というのもどんな大名も室町幕府の権威を乗っ取り自らが幕府を開く祖となることは考えなかった。だからこそ毛利家も常に室町代の動向を窺がう舵取りに終始していた。死後の遺言にしてもそう。石見銀山を献上せよなどと馬鹿げたとしか思えない遺言は残さない。それ一つで巨大な財閥に匹敵する収益を上げる金の卵ならぬ銀の卵なのに。
その遺言のおかげもあってこうして毛利は割れているのだが。
むろんそこに付け込まない天彦ではない。
そして何度でも言う。これはチートではなく神視点のメタでもない。ただのライフハック。なんためーなのである(鼻ほじ)。
「凡人はこのくらいのハンデ貰わんと、どないもなりませんのん」
言い訳ではない。事実である。
歯切れよく居直った言い訳をしてさて、十分検討の時間は与えた。
依然として思案に耽るしん姫だが、背中を押さねば決められるような代物でもない。
天彦はしん姫が決断を下しやすいようそっと背をおしてやる。
「差し出した身共の手を今この場で取らな、確実に滅ばっしゃりますやろなぁ。そうやなぁ具体的には一年半後に。跡形もなく」
「っ……」
人によってはどんっと激しく押された錯覚に見舞われるとしても。
この宣告はしん姫の迷いを一掃させた。
第一に天彦の予言は外したことがないことで広く知られており、当然彼女も調べ済みであろう。第二にこれは西国出征の次回予告である。
ならば可能なのか。結論から述べれば可能である。来年度から始まる信長地獄巡りシリーズは天彦がかなりの部分で予め芽を摘んでいる。
浅井の裏切りはすでに身を以って表面化させているので信長に油断はない。背後の武田も上杉に掛かりきりで織田対応どころではない。一生やってろ。
修正力で包囲網イベントが発生しても想定最低限度で収まる算段はついている。
何しろ本願寺との地獄の10年戦争は確実に回避できるから。茶々丸を引き入れた功績はむちゃんこでかい。誰も褒めてくれないけれど。
よって天彦予測である一年半後西国侵攻予告は可能であった。
そして今や万全を期した織田が全戦力を傾けて攻め込む先がどうなるかを、理解できない戦国武家はいないのである。
たしかに毛利なら善戦はするだろう。但し割れていない一枚岩状態の毛利家なら。
「もって三月。織田さんを舐めているなら挑んでみるのも一興やが」
その場合は知らん。天彦は素っ気なく突き放した風に告げる。
歴然と国力が違い過ぎた。織田の総動員力は二十万。それも兵士の専属が。
他方毛利はどうだろうか。その三分の一も動員できれば優秀である。数は力。その絶対力学はこの戦国室町にこそ最もその猛威を振るった。
「……どうか何卒、同意条件をお聞かせ願えませぬか」
「白紙の委任状、それ一択や。……と言いたいところやが堪忍なん。試すような真似をして」
「あ、え。……なるほど、こちらの本気をお試しになられましたか」
「うん。今度はこっちの番や。ええかしん姫さん」
「はっ。心して拝聴いたしまする」
「遺言状に従うんや」
「……」
しん姫は一瞬ぽかんとした。そして次第に天彦の言葉の意味が理解できてきたのだろう。元から白かった顔色を蒼褪めさせ、わなわなと身震いを始めてしまった。
「なぜ、それをご承知なのでしょうや」
「身共になぜを問うのは愚かしいんとちゃうかったんかな」
「ですが……、さすがに」
「ただしちょっと色を加える。けれど御大のけっして天下を睨まないという大題目には適うやろ」
「ご存じで」
「むろん承知。だからこそお前さんともそちらの金鶴丸とも手が取れる。右衛門督さんがどんなお人かは存じひんが、きっと手を取れるやろ。どないさん」
しん姫は甥であり当主である右衛門督の為人を請け負うように力強く頷いた。
「身共の毛利救済案はこうや。石見銀山を御大の遺言通り献上致せ。但し室町幕府にではなく朝廷に。それも現執行部にではなく次期執行部の東宮さんに、吝嗇なことを考えずにまるっとすべて献上するんや」
絶句。
天彦の案を耳にした者はすべて言葉を失ってしまう。
それはそう。
足利でも織田でもない第三案、朝家の忠臣路線を提案したのだから。具体的には東宮への石見銀山の献上で、東宮を奉戴して即位を促していく。
なんと僭越で恐ろしい事を考えるのか。
だがそう考える朝家の忠臣はこの場にはいない。この場には各々の立場でしか物事を捉えられない不埒者ばかりである。
だから不謹慎だとは思わない。思うとすれば可能なのか。それ一点に尽きるのだ。
そして大方の考えが、けっして机上の空論と切り捨てるには早いのでは。
その方向に傾いていったようである。だからこそ当初の絶句は次第に感心の唸り声へと姿を変えているのだから。
むろん天彦に100都合のいい話であることは承知の上で。しかも諸々の都合と欲目が隠せていない超ご都合主義であることも承知の上で。
なのに誰も彼もがその可能性の有無を真剣に考えこみ始めていた。
それほどに案外的を射ていたものだから、しん姫でさえすぐには拒否の言葉を紡げなかった。
朝家の直臣。この言葉は戦国室町を生きる武家にとって、どんな魔法の呪文より効き目のある言葉だった。
天彦はその心の柔らかい部分を巧みにつつく。それこそが己の真骨頂だと言わんばかりに。
「毛利家は朝家を……、頂く。そこにしか活路はない。それが五山のお告げであると……」
「菊亭を介せばそれは可能や」
「……確かに、仰せの通りにございまする」
ならば足利将軍家ともむろん織田家とも対等である。
しん姫のつぶやきを笑うものはこの場にはいない。
なぜなら天彦は神のお告げ(笑)によって、元就公の遺言の中身を正確に把握していたからだ。この効き目は控えめに言って超絶絶大である。
特に神仏の加護が信じられている全盛期にあって、しかもその未だ姉弟のそれも一部にしか知らされていない遺言状の中身を言い当てた精神的圧力たるや果たして幾何であろうか。
あるいはその圧力が即座に畏怖へと変換されてももはや誰も驚かないことであろう。
すると天彦の存在を一介の公家の童から神がかった五山の御狐の御遣いへと昇格させても不思議ではなかった。
趨勢は決した。
「お任せ致します。何とぞ我ら毛利を御導きくださいませ」
「ええこっちゃ。そうしい」
「はっ、ご指導ご鞭撻のほど平に御願い申し上げ奉りまする」
「こちらこそあんじょうお頼み申し上げ、お慶びさんにあらしゃいますぅ」
天彦としん姫は固く頷き合い、菊亭と毛利はここに盟を結んだ。
「最後にお一つ」
「かまへんよ」
「流れ的に東宮様を奉戴し別当たる菊亭様が太政大臣をお務めになられるかと推察いたしますが、即ち菊亭様は内裏を掌握なさるお心算なのでしょうか」
「つまり関白を視野に入れているのかと問うているんやな」
「はい。言葉を選ばずば然様にございます」
「目指してはないん。けれど血筋的にその地位にあれば自ずとなってしまうものなんやで」
「なるほど。お血筋で。さすがは英雄家にございますね。それは御見それいたしました」
何のフラグか、ウソ松すぎた。家系図ロンダリングも大概である。
天彦の清華家の極冠は太政大臣。つまり関白にはなれない。官職としての関白は五摂家の世襲職である。
それを曲げるには自身が五摂家を継承する地位に就くか、新たに五摂家に組み込まれる新家を創設するしかないのである。豊臣姓を創設した史実の禿ネズミさんのように。
「では菊亭様、一旦御前をご無礼仕りまする」
「うん。ごゆるりと召されるがええさんや」
二人は天彦の前を辞した。
◇
ほっ……。
まんじ痺れたん。
さて勝利を捥ぎ取った天彦だが、かなり苦しい綱渡りだった。なので薄氷の上をどうにか渡りきれて人心地。という感情はあまりない。何しろその策と言えば思いつきの当て推量だったのだから。
さすがにそこまで酷くはないが、言うなれば一夜漬けのヤマ勘が炸裂しただけでそのヤマが外れれば詰んでいてもおかしくなかった。そんなぎりぎりの山場が実は幾つも裏には潜んでいたのである。
その一つに石見銀山を何らかの形で献上し公用とせよ。というものがあり、天彦はその遺言を悪用した。
つまり遺言の捏造である。公用即ち室町幕府への献上が明らかなところを、公用=朝廷と恣意的に書き換えたのである。そして序に公用の文字も同音異義で遊んだ。公用=紅葉バンザイ。
そもそも遺言自体が存在しないことも十分考えられた。あとこの時代の人の信心深さにも大いに救われている。
寺社を毛嫌いしている天彦だが、いい加減認めなければならない時期に差し掛かっているだろう。この世で最も恩恵を授かっている内の一人であると。
「雪が収まるまでゆっくりしていったらええ」
「はっ、ありがたき幸せに存じ奉りまする」
姉とは一件落着。
天彦は実に育ちの良さそうな若侍を見た。
「金鶴はどないさん」
「訊けば同年代の武者が多く御座すようにて。某は叶いますれば御家にて修練を積みたく存じまする」
「うんうん、それがええ。切磋琢磨すればええ」
天彦は上機嫌で与六を呼んだ。
「はっ、ここにござる」
「与六。こちらさんが毛利家の金鶴や。あんじょうしたってんか」
「毛利金鶴にござる。お見知りおきくだされ」
「菊亭侍所扶を預かる樋口与六兼続にござる。よしなにお頼み申し上げる」
優良な人材がまた一人手に入った。
ホクホク顔で天彦は一旦のお開きを宣言する。
「さ、難しい話はこれにて仕舞いや。用人さん、固めの祝膳を用意したってんか」
「はっ、直ちに」
急遽、お祝いの食事会が開催される運びとなった。
あまりの急な出来事にしん姫と金鶴はびっくりしているが、菊亭では割とよくあるイベントである。
いずれにしてもどうやら遺言はあったようで一段落。だが問題はさらに先、この詭弁を形にするには越えなければならないハードルが山積しているのである。
しかもぶら下げられた餌は目もくらむほどのお宝権益の山。文字通り銀山権益なので山なのだが、果たして折り合いを付けられるのか。それが厳しい問題であった。
チョロ松ならぬチョロ軍(義昭)は改元を餌にいけるとして、問題は一生ウソをついているウソ松である。ウソ任は確実に介入してくる。そこをどうかわすかが今回の最大の肝になろう。
あと朝廷も。煩方には各々の趣向する鼻薬を嗅がせなければならないだろう。
「ルカ」
「お殿様」
「最近はいとすぐに応接せんな」
「お殿様!」
「な、なんや」
「お姉様方、いい加減に呼び戻してくださいだりん。うち一人抱え込む案件多すぎて、もう無理だりん!」
あ、はい。
だが天彦は肩を竦めるにとどめ何も言質を与えなかった。
つまり一顧だにしていないのである。
今、実益の元から主力を抜くという意味を知らないルカではあるまいに。
つまりこれは遠回しな損切り進言。アホかとまでは言わないが、
「阿呆か。寝言は寝て申さんかい」
「お殿様は過保護だりん」
言った。
「辛いとき寄り添ってくれて(イメージ)励ましてくれて(拳で)支えてくれて(彼なりに)、邪魔やからと見捨てるような菊亭やと思うてか」
「本当に得があるだりん。一度再検討すべきだりん」
「黙らっしゃい。ここから先は謀略のお時間なん。お子ちゃまの出番はないん」
「ならばそのお子ちゃまとやらをこき使う回はないのですね。安心いたしました。これで本業の家来育成に傾注できます」
「あ、えと、ルカは本来人材育成担当なん?」
「はい。然様ですが何か」
「ワイズスペンディング!」
「その程度の詭弁で誤魔化されるとでも。適正部署への配置を求めます」
「それは党内人事やろ。身共の関知する――」
「では党内で差配してよろしいのですね」
「……」
「なぜお返事を頂戴できませんのでしょう。よろしいのですね」
「……」
それはさぞ。
なんだか、なんだかだね。
「どっちか片一方でも呼び戻したろ」
よっしゃああああああああああああああ――!
ルカの粘り勝ち。
こうしてルカが菊亭のプラチナブラック勤務体系に反旗を翻し、同時に天彦の西園寺家依存体質に警鐘を鳴らしたところで祝の酒宴となるのであった。
「どないしましたん」
「ん?」
するとそこに宴会と訊きつければ必ず馳せ参じるマンが姿を見せた。
目を膨らんだお餅の目にして。
「今そこの渡り廊下でるんるん鼻歌歌うルカとすれ違いましたけど」
「身共の遺恨と引き換えに敬愛する上司を呼び戻せたんやろ。知らんけど」
「イルダ、呼び戻さはるんですか。それはまぁ随分と命知らずな真似をしはりましたね。亜将さん、手放さはりますやろか。戦況芳しくないと訊いてますけど」
「さあなぁ。離せばよいし、渋れば悪いとなるんと違うか」
「あれ、若とのさんちょっと感じかわりました?」
直参に命題を突き付けられればそれは感じも多少は変わる。
だがならば意地でも実益のいる四国を舞台の主役にしてやる。思ったり思わなかったり。
「しゃーない。射干も台所事情が苦しいねんやろ」
「多く亡くさはりましたもんね」
「しんみりさんはやめようか」
「え、してませんけど」
本人はその心算でも優しさが顔ににじみ出ている。あるいは優しさに通じる感傷とか。
いずれにせよ雪之丞ほど侍に似つかわしくない侍志望者も珍しいだろう。
「でも若とのさん、来年こそええ年にしたいですね!」
「ほんまやなぁ」
「毎年ゆーてますけどね! あはははは」
「ははは、ほんまやなぁ」
リーダーとしてはかなり寒い指摘をされた。だったら笑うしかない。
さあ改元を控えた来年度は本格的な謀略の年である。
射程エリアも格段に広がってくるし、キャストの粒が大きくなる。
だが負けられない。天彦の菊亭はのらりくらりとかわしつつも挑む勝負には常勝無敗を築いていかなければならないのだ。それがこの戦国室町を生き残っていける唯一絶対の護符だから。
果たしてどんな年になるのやら。
天彦はふと差し込んだプラチナの月明りに導かれるようにそっと上空を覗き込む。
「……はは、ないん」
月は雲に隠れていた。それが妙に今の心境とぴったりで少し笑えた。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
これにて十章お仕舞いです。お付き合いくださいましてありがとうございました。
それでは次章でお逢いいたしましょう。皆さまごきげんよう。