#19 消滅エフェクトと専用SEと
コメディ要素の強いホラー回です、どうぞ
永禄十二年(1569)十二月二十日
連日公家家領をサルベージして六日目の、茶器蒐集家の大商人茜屋宗久が捕まってしまったのと丁度同日数が経った日の午後。
本日は季節柄の大雪に見舞われ予定順延。天彦にとってもそうだがフル稼働だった菊亭家人たちにとっても格好の休養日となった。
この調子では年内の行軍は厳しいだろう。多くを予感させるほど大雪は止むことなく降り荒み、京の町を一面銀世界の静謐に迷い込ませていた。
「いやぁ久しぶりの大雪ですねぇ」
「ほんまやな。いつ以来やろか」
「若とのさんがこのぬくぬくオコタを発明なさったその年以来ですわ」
「ひーふーみー、もうそないなるか」
「はい。某しかと覚えてますねん」
それはそうだろう。天彦の菊亭への出仕を散々嫌がって駄々を捏ねくりまわしていた雪之丞が、文句も言わずに通い始めた一番の理由だから。
だが天彦はそのエピ含めて胸がじんわりと熱くなる。それはそう。雪之丞たち青侍にとって当時の菊亭への出仕とは出世を絶たれたも同然の左遷だったから。
雪之丞は厭な素振りを100押し出しながらも、一日たりとも休むことなく傍に居て支えつづけてくれた。主従関係はいつしか信頼関係へと変化し、今では親愛以外の何物でもないほど固い絆へと昇華されている。
それもすべて偏に雪之丞の愛があればこそ。彼だって他の家人たちと同じようにいつでも反転して天彦を虐げることはいくらでもできたはずである。
だが文句を言いながらもずっと世話を焼いてくれた。だからこそ今がある。
だから天彦は雪之丞といるときだけは固い理論武装の鎧は脱ぎ捨て、限りなく素に近い自分をさらけ出すことができた。
「お雪ちゃん。……おおきになん。好きやで」
「……銭ならありませんよ。某、使うてしまいましたし」
「なんでそうなるん」
「なんでそうなりませんのん。気色悪い。この凍てつく寒さにやられてしまいましたんか。本格的に寒なるんはまだ先やのに、あーあ。今がこれでは先が思いやられますわ」
「誰が比翼連理じゃい! そこへ直れ」
「直ったらなんかくれますのんか」
「あげるよ。この鉄拳ロケットぱんちを」
「仕返ししますけど」
「どこの世界に主君の拳骨をやり返す御家来さん、居てるん」
「ここに居りますやん。目までやられてしもたんですか」
「……じゃあやめとこか」
「それがええと思います」
前言撤回。いつかシバく。
なぜなら雪之丞はやると言えば本当にやれてしまう系男子なので。
「ぬぐぅうううううう」
「お餅さん焼けた! やったお餅さんがふっくらこーと焼けましたよー」
天彦の歯ぎしりが雪之丞のお餅焼けたミームに掻き消されたところで、さて。
菊亭のいいことしてますキャンペーンの成果は五つの荘園と二つの村里と一つの関。内、荘園、関はそれぞれ押領先から自発的に返納してきた。所有権者に直接ではなく菊亭に仲介を求めて。
むろん天彦も意味を考えた。だが答えは出ない。
第一に考えられるのは公卿や武家の間に流れる空気感みたいなやつ。将軍家が菊亭の自儘を許しているのではないかという空気感のことを指す。
だが将軍家が菊亭と三介の専横を見逃しているのは単に改元で釣られているからであって、本質的なVS関係が改善されているわけではけっしてない。
むしろこのサルベージ大作戦によって因縁が深まっているまであるので、その見立ては間違っているだろう。
ならば何だ。
射干による流言の計も勘繰ったがどこを調べても出てこない。
噂の広まり具合と精度は陣屋の丁稚六男の反応で確かめれば大抵測れた。だが六男の反応は鈍かった。てかあの野郎、……まあいいだろう。
第三に今、菊亭に与して得は一つもなかった。むろん天彦の見据える先にならそれこそ末代まで遺産で食える鉄板の私財を蓄えさせてやれるプランと腹心算はある。主に今、苦楽を共にしている家来たちには強く思っている。
が、如何せん現状その可能性は極めて低い。情勢的にも噂的にも。
となれば門外家や外様ですらない友好関係程度の武家が菊亭に阿る意味があるのだろうか。ない。
なのに……。
こうしている今も続々と仲介のオファーが舞い込んできていた。
「申し上げます! 今しがた摂津・池田城池田勝正殿、並びに茨木城荒木村重殿から取り急ぎの打診が参っておりまする」
出た――!
もはや疑いの余地はない。
将軍義昭は改元に本気なのだ。だからこそ幕府を挙げて菊亭と三介のコラボを支持しているのである。そうでないと間尺が合わない。
まさか菊亭が東宮との接見を禁止されているとも露知らず(非公表勅命の打診どまりだったため)に。
この謎の利敵行動がすべて改元策に繋がっている固く信じて。
それは仕方ない。天彦は義昭との会談時、すべてのリソースを改元に割くと明言しているのだから。
ならばこの公家に対する救済策もきっとその一環であると誤解して尤もである。
善悪で測るなら善。是非で測ればむろん是。適否で測っても適格であろう。
だが、すると、たいへん、ひじょーに、
「具合い悪いん」
じんおわ。
あるいは終わるより性質がわるいかも。なにせ倫理的にアカンかった。理念的にもアカンかった。
いくら政敵でも上げて落とすは禍根を残す。ましてや期待させて裏切るなど、どうしたって天彦の流儀に反するのだ。
実は義昭はそんなに憎く思っていない。何なら生理的に無理ぃと言われている先方の感情さえ氷解してくれれば共闘する世界線だって十分あり得る。または検討の余地があるお相手さん。それが足利十五代当主、義昭さんへの天彦評。
それもこれも惟任の唆しが悪なのだが、いずれにせよたいへんよろしくない兆候だった。
公家としての矜持はどうだっていい。けれど天彦個人の正当性は理が非でも損なってはいけなかった。主にこの時代を生き抜くにあたっての自分のメンタルヘルスマネジメントの一環として。
「わかる? 失笑が聴こえてこなくても無性にハズい感情ってどんなか」
菊亭は善きにつけ悪しきにつけ信じた者を裏切らない。
そんなキャンペーンを張ってやってきた。
だから味方は命を賭けて支えてくれ、敵は命を懸けて抵抗した。
それが根底から瓦解してしまう。今回の誤解はそういう筋悪な流れに引き寄せられて乗らされていた。
だからもう一度言った。
「はぁ、ほんまに具合い悪いん」
……と。
「殿、お加減が!?」
「殿! 如何なされました」
祐筆の佐吉が膝立ちですり寄ってきてデコに触れ、遅れて取り次ぎ役の是知がこれまた膝立ちですり寄ってきて天彦のおでこに触れて熱を測った。
まあないのだが。むしろこの愛され演出で出るよね。微熱くらいなら。
そんな気まずさに負けないように踏みとどまりつつ、むろん嬉し味100の感情で、けれどなんでお前は心配する素振りさえしないの。と雪之丞の塩対応に要望通りのしょっぱい顔を送っていると、
「申し上げます。後宮より至急謁見を求む触れのお使者が参っております!」
「謁見?」
「はっ、しかとそう申し入れなさいましてございまする」
「ほう」
下位に対して面会要求に謁見の語句は使わない。
だがそれでは文脈が矛盾する。内裏後宮から参上なさるお使者は押し並べて菊亭家の上位者であるのだから。
と、どこからともなく影が天彦の視界の端に舞い込んだ。
「葉室の姫だりん」
「ルカ」
数日ぶりのルカが姿を見せた。
天彦はしげしげと観察する。すると違いが見つかった。
あまりにも簡単な設問だからか。それとも別の意味があるのか。天彦の片眉はかなり上がった。眇めるまではいかないが、不満ですの感情表現として眉を上げているのは明らかだった。
「遅参の段、伏してお詫びいたしまする」
「ちゃう。身共の不快はそこにはない」
「……お役目に負傷は付き物にございまする」
「心配もさせてくれへんのか」
「っ……、面目次第もございません」
天彦は立ち上がりルカに近づく。そしてそっと掌を彼女の傷んだ頬に添えた。
「掌が冷たいと心も冷たいらしい」
「その定説。ならばすでに看破なされておりますね」
「傷は……。勲章などと気安く言えん身共を許せ」
「これがお勤めなれば言葉など要りませぬ。ましてやお殿様の甘い言葉など、喜ぶどころか逆に警戒してしまいます、だりん」
それでいい。一々阿るなクソガキ。
ルカの言外の訴えに気づいた天彦はニヤリと笑ってこの件を仕舞った。
「ご寛恕、忝く頂戴いたしまする、だりん」
「ん。詫びの言葉、受け取ったん。収穫はあったんか」
「はっ。近々善き報せをお届けできるかと存じまする、だりん」
「さよか。ほな身共も気張らんとな」
「お手並み拝見いたしまする」
天彦の予想より早く朝廷からの使者がご来臨遊ばせた。
◇
「女房奉書にございます」
「謹んで拝聴いたすでおじゃります」
「天彦さん、そう構えずに。これは親書にあらしゃります」
「勾当内侍さんにおかれましては、過分なご配慮おおきにさんにおじゃります。ではお言葉に甘え――」
女房奉書のテイこそ整えているものの勾当内侍椛が持参した親書ははまぎれもなく帝の御上意である勅旨であった。
「東宮との接見禁止、解くには講和を致せと……」
「然様におじゃります」
座がざわめいた。
それもそのはず。新書と言っておきながら朝廷の提案はあまりにも酷い内容だったのだ。
だがそれも束の間、天彦の扇子がピシ――ッ。
ひとたび小さく虚空に放たれると、応接間は表の銀世界の静寂よりも厳しい静寂に包まれた。
その静寂をもたらした天彦といえば自身の指し過ぎを自覚しているのか、どこか後悔を滲ませる双眸を、定まっているようで定まらない感情を見える化したかのように視線を右往左往させながら何事かをぶつぶつとつぶやいていた。
ややあって、
「SEならへん。もう消滅エフェクト出てるんやろか」
誰にも理解されない言葉を、けれどはっきりとつぶやくと、
「臣藤原天彦、こたびの勅、ありがたくお引き受けいたします」
「な……っ」
提案した勾当内侍椛が驚嘆すると、その驚愕は波状的に拡散されていき、部屋中に行き渡った。
誰もが言葉を失う、あるいは探している最中、天彦は泣きだしそうなほど沈痛な表情をしている勾当内侍椛にらしくない優しい言葉をかける。
「正しさなど二の次なん。椛が気に病むことはないさんよ」
「天彦様――!」
優しい気遣いが決定打、だったのだろう。勾当内侍椛は感極まって立場も忘れて天彦の胸に飛び込んでいた。正確には覆いかぶさるだが、彼女の感情的には胸に飛び込んでいるだろうからそれでいい。知らんけど。
「勾当内侍、人目があるん」
「厭や」
「……駄々をこねる心算なら出禁にするで」
「退きます。退きました!」
口外禁止。
おそらく大丈夫とは思うがこの場には奏の従者もいる。念のために。
さて、話を戻す。
つまり講和の打診は勅命講和。では誰と。惟任日向守光秀との。
なるほど惟任、さすがである。きっちりと朝廷に食い込むどころか帝にさえ恩寵を賜っているようである。
しかし二度ならずも三度まで。天彦はつくづく当代帝との相性の悪さを嘆く。
あるいはいつの時代も若い世代の台頭は目障りなのだろうか。
むろん恨みはしない。念のために。
天彦は勾当内侍椛を見る。
そうするよう仕向けられたから。具体的には小袖を引かれた。強引に。
「どないさんにおじゃります」
「訊いてくださいますか」
「公用でなければいくらさんでも」
「むろん違いまわ」
「ほな、身共でよければお耳をお貸しいたしましょう」
「はい。実は……」
曰く葉室の姫椛が後宮に入った理由は、すべて天彦の妻になるために。とのことだった。
この時点でそうとうかなり“……”なのだが、話は訊いた。そう言ってしまったから。
方程式は至極単純。椛自身も役に立ち、天彦はむろん名を馳せる。彼女の中ではどうやら決定事項のようらしいので。
そこで椛は下賜されるのだ。彼女にはその必要があったらしい。帝の褒美としてならけっして粗末にはされないだろうから。えげつない策意であった。その発想もヤバいが行動力も人並み外れて図抜けていた。
で、詫びたいと。
「はい。……大御所様を頼ってしまいました」
「……ほな父御前の差し金やな」
「はい。然様にございます」
「ちっ、クソか」
「あ」
天彦は吐き捨てた。感情が制御できないのだ。身共ワルクナイの感情で。
だが後宮に入るということはそういうことである。違うとは言わせない。
すると特に処女厨ではない天彦でもさすがに引く。むしろ経験など積む方が偉いまである思想の天彦でも事情が違った。理解できない。しかもこれは視点を変えれば裏切りである。
気持ちが嬉……、しいかどうかさえわからないこの献身に対して、天彦が覚える感情はただ一つ。
愛ってキモいんやね。
それだけであった。
どうせならラブコメに寄せてこい。その方がいくらかマシな応接をしてやれた。とも憤る。えげつない美人なのに、なにこのえげつない残念な感じは……。
けれど葉室頼房の娘、権大納言高倉永相の養女である椛姫の天彦に対する想いは愚かしいまでに本気だった。
「必ずやお傍に侍る日がくることをお誓い申し上げこの場は御暇いたします」
誓われちゃった。
なぜか勾当内侍椛は勝ち誇ったような顔をして天彦の許を辞すのであった。
「おい誰かある! 医療班、直ちに――」
天彦は真横に崩れ落ちるのだった。
【文中補足】
1、SE
ゲーム業界の文脈ではsound effect(サウンドエフェクト)つまり効果音を指す。
お読みくださいましてありがとうございます。