#17 この世に事実などはなく、あるのは歪んだ解釈だけ
永禄十二年(1569)十二月十三日
「がははは、儂、よゆー。儂、よゆー!」
「あははは、身共もよゆー、楽勝のよゆーなん!」
二人は視線で語り合い、
「がははは! ――で、あるか。じゃが菊亭、儂はもしや最強かもしれんぞ。がはははは」
「まぢ!? 奇遇やね。身共も同じこと思うてたん! ほんなら身共ら最強タッグやね!」
「おう。たっぐとやらが何だかはわからんが、最強じゃ! がはははは」
「あはははは!」
違う。絶対に。
三介の横大路城は半壊しているしけっして少なくない人的被害だって出していて、与六がいなければ生命線である大手門も突破されていたことだろう。けっして余裕ぶれる要素はない。
他方天彦とてそれは同様。次はないという仄めかしどころか実際に言い逃れできないようにきっちりとトドメ(言語化された)を刺された上できついお灸を据えられている。
東宮との接見禁止という沙汰で。
だがまだ辛うじて警告的お叱りで済んでいるのも、この三介から先に繋がるDNA供給元のお人様のおかげ。
織田家の威光あるいは武威がなければ天彦など疾っくの疾うに追放刑に処されているか島流しにされている。
それがわかったことだけが収穫であった。新内待基子は何も悪くない。
コロスの……? 氏ぬの?
秒で損切りされたので天彦の感情も尤もなのだ、彼女ら彼らは日を追う情勢でいくらでも風向きを変えてくるのでどうでもいい。
そしてそんな天彦も風見鶏と同一種族。何ならむしろ代表選手。
だからこそ天彦は三介のご機嫌を窺いに参っているわけだが、その三介は天然素材。攻め手が戦巧者の惟任軍だと知るや猛攻を凌ぎ切ったことにたちまち有頂天になって100図に乗ってしまっていた。
そんな三介はもはや救いようがないかもしれないが、そうと承知で煽る天彦もそうとうに悪い。あるいは半分くらいは本気で乗っているまであるので、やはり天彦も同様に救いようがないかもしれない。いやない。
そんな二人を主君に持つ家来の感情といえば、
「……」
「……」
やたらと馬鹿っぽく虚勢を張るど阿呆二人組を上座に頂く天守の間には、もはや乾いた笑い声さえ響かない。若干一名、空気を読まず状況を無視して感情の赴くまま、けたけた歯を見せて笑っている包帯姿の奇特な人物はいるが。
他はまったくの無である。クソデカため息さえ吐いていない。
菊亭・織田双方のイツメン、家来、家老、重臣たちは、互いが互いの苦労・心労・心痛にたいへん共感できるのだろう。
まるで同じ群れの仲間同士、傷を舐めあう狼のように憐憫の視線を交錯させて共に労いあうのであった。
そんな中、
「がはははは」
「わははは」
「儂ら最強か!」
「うん、身共ら最強タッグなん!」
がはははは、わはははは――。
快活な笑い声を響かせる。
この一見すると共通項のなさそうな二人だが、探せば意外にも多くあった。
むろん人だから探せばいくつかは複合する。だが他にはほとんど見当たらず、けれど二人には共通してみられる兆候が確かにあった。
決定的に似通っているのは志向性。天彦も三介も己が矢面に立つという気構えだけは誰にも負けないほど強くあった。
むろん前に出たがりの三介とあくまで逃げたがらない天彦とではまるでベクトルの向きはまったく違う。
けれど導き出される結果は同じ。味方の士気を上げるという意味でも似通っていて、双方ともに家中の人気は絶大だった。
「あははは、お前阿呆やろ」
「がははは、おいコラ。なんじゃと!」
「いや実は賢なん」
「当り前であろう。何を今更ほざいておる」
やっぱ阿呆か。いったんアホやな。
だから天彦は三介をずっと勘繰っている。心の底では道化を演じているのではと疑ってかかっているのだ。
天彦の推測が正しいとするなら三介は稀代のトリックスターであり大天才となるのだが、やはりそれも違うと思ってしまう。三介とは天彦さえ惑わすつくづく不思議な人物であった。
というのも天彦の思考の根底には限りなく100に近しい確率で発生する未来予測があって、天彦のすべての策意の叩き台となっているのはご承知の通り。
その未来予測(史実)で信長が辿るはずの惟任謀反、信長自刃、藤吉郎乗っ取り、織田家滅亡ルートだと、ほとんどすべての織田一門衆は淘汰されてしまうのである。
ところがそんな中で三介は最後の最後まで生き残り、しかも大名としての生を全うするのである。あの猜疑心の塊である鬼藤吉郎の疑心の網を掻い潜って。
兄であり嫡男である信忠が家督を継いだ状況となんら変わらないムーブでこの生き馬の目を射抜く戦国室町~安土桃山、そして江戸時代を駆け抜けたのだ。
果たして本当に可能なのだろうか。阿呆に。
可能なら運ゲー。だが普通に考えて運だけとは思えない。運だけだとするとさすがにいくらなんでも強運すぎる。
一般人を自称する天彦にとってやはりどうしても可能とは思えず、消去法的に擬態を勘繰ってしまうのだ。この世には才能の塊が存在すると知りながらも、凡人はどうしたって己の尺度で見てしまうもの。
ましてや、
「がははは、して菊亭。当家の兵は弱すぎるな。知恵を貸せ」
…………。
このように時折り痛烈に芯を食ったクリティカルなパスを投げてくるものだからたまらない。天彦の結論は三介と会うたびグラグラ揺らされ先送りを余儀なくされてきた。やはり今回も。
それはそれとして、織田の兵はたしかに弱卒すぎた。
今回の防衛線も与六率いる射干党の頑張りがなければいったいどうなっていたことか。少なくともかなり危うかったことだろう。
というのも織田は兵士専業(主に足軽)の傭兵を主力としていて、彼らはたしかに常設常備できるという点では使い勝手はよろしいが、ここ一番のときの踏ん張りが効かないという弱点を抱えていた。要するにすぐ負けを察すると逃げるのだ。
一般的に軍隊の壊滅条件として挙げられる死傷率は30%である。敗北条件ではない。壊滅条件である。
部隊は30%を失う(死傷)と戦闘効力を消失したと見做されるのだが、今回、織田の常設軍はその数値を軽く上回る数を失っていた。逃走によって。まぢで本当に敵前逃亡したらしい。お仕舞いです。
故に今回の一戦、惟任にとっては手痛い敗北と思われがちだが、いやいや彼ならきっとほくそ笑んでいることだろう。
あるいは織田の有力な弱点が掴めたといって祝杯をあげているまである。それほどの大失態だったのである。
それもこれも偏に、
「足利将軍家の威光、ちょっとめんどいん」
「む。どういうことじゃ」
どうもこうもない。文字通りその通り。
足利家の二つ引き両紋が威力を発揮しすぎていた。史実もそうであったのかはさて措き、この世界線における足利家は依然として武家の名門筆頭家として存在感を発揮していた。正しく征夷大将軍として大小43の大名家の頭上で燦然と置石の役目を果たして君臨しているのである。
それもこれも将軍家と朝廷が一枚岩だからに他ならず、すると究極的には近衛牡丹憎しとなる。すべてあの妖怪政争強強狒狒じじいが描いた絵だろうから。
「茶筅さん、箔つけよう」
「箔、であるか」
「そうなん。織田の弱卒を踏みとどまらせるには将軍家の威光に匹敵する箔付けが要るん。――と、身共は考えるがどないさん」
「なるほどの。……じゃが容易に落ちているものであろうか、その箔とやら」
「それを拾いに行くんやん。やっぱし阿呆?」
「何じゃとコラ。まあよい、してどこの家領を切り取ってやるんじゃ」
「すごっ」
「む。やはり貴様、儂を軽んじておるな! そこへ直れっ」
なんでわかるん。てか身共の方が万倍格上なんやけど……。
まあええと天彦は早々に思考を切り替える。そして結論、三介は違う。彼は真正。ホンモノである。と確信した。
「明日、明け六つの鐘が鳴る頃、お迎えに参上いたします」
「相分かった。腕が鳴るの。……おい樋口!」
唐突に名指しで呼ばれた与六は、けれどさして動じることなく、
「お呼びでござろうか」
「貴様、公家の家来にしておくには惜しい器量である。褒美を取らせる。儂の家来になれ」
キン――。
ただでさえ冷えたのに、
「否は許さぬぞ。これは織田家の総意である」
あろうことか三介は本気で欲しがってしまっていた。
日ノ本に数万とある神社仏閣が悪の化身と恐れ戦慄く天彦の、この世で一・二を争う宝物を欲しがってしまっていた。
ぱちん、ぱちん、ぱちん。
扇子を弾く音が小さく響き、怒れて如何にも薄気味悪い含み笑いが追いかけてくる。
「……くふ、ふははは、はぁ、おもろ。なあ与六」
「はっ、ここに御座いまする」
「織田家の盆暗のお下知や。して、どないさん」
「はて、よもや殿のお言葉とも思えませんな」
「ほなゆーて。ちゃんと言葉にして身共に訊かせて」
「では、御免仕る」
与六は言うと槍を掴んだ。周囲に緊張が走る中、けれど何らお構いなしに穂先の安全カバーを放って構えた。
そして、
「この樋口与六兼続、生涯主君は菊亭天彦をおいて他にはなしと決めてござる! それを承知でそれでも馳せ参じよと仰せならば是非もなし。後には引けぬと決めたからには己を貫き戦うまで」
な――!
まさか――!
なんたる――!
全織田家の反感を一身に浴びると承知で、実に気持ちのいい大見得を切ってみせて天守の間に大音声を響き渡らせた。
天彦は与六のすべてに痺れて震えているのだろう。何なら瞳を潤ませて、もはや心はここにない。控えめに言って阿呆である。キモすぎた。
それを証拠に天彦の脇を固める周囲はドン引きよりも更に奥深くで引いている。
だが他方の三介は引く程度では許されない。何しろ織田の家名まで持ち出して口説いたのだから。後に引けるはずもない。
あるいはこの一連の流れ、事前に決められていた信長公の思惑または意向まで感じる応接であるのだから。
三介は場の鎮静を待ってぽつり言う。
「菊亭、それでよいのか」
「?」
「儂が引かねば、この儂が敵に回るのじゃぞ。貴様の無二の盟友のこの儂が!」
「ああ、そんなこと。ほな茶筅さん、そのときは恨みっこ無し。お互いに正々堂々死力を尽くして矛を交えましょ」
「き、さま……、正々堂々などとどの口でほざく」
「このお口さんで。可愛いさんですやろ、身共のお口さん」
「……もうよい。相分かった」
「然様で」
三介はこの瞬間、初めて天彦の恐ろしさに触れたのだろう。
無意識の内に腰に佩いた刀の柄を握りこんでしまっていた。
額に大粒の汗を滴らせ固まる三介と、一見するとニコニコにまにまして応接する天彦との絵柄は、猛烈な違和感を周囲に植え付ける異様な光景となっていた。
三介を筆頭に緊迫より緊迫を高めて構える対する織田家に対し、
「若とのさん。またびっくりさせてしもて。もうあきませんやん」
「ん? 何がよお雪ちゃん」
「何がって、その薄気味悪いお顔のことですやん。ちっとも治らへんのやから」
「ひどっ。いくらなんでも酷すぎやで」
「酷いことありませんわ。ほらほら、用済んだなら帰りますよ」
「うん、そないしよ。ほな茶筅さん、明日参りますよって」
「お、……おう」
菊亭家人たちにとってはもはや常態。常態は盛ったが今や親の顔よりよく見た景色。ただ天彦のよくない二面性が垣間見えただけのこと。
但しその感情を向けられた相手が今も存命かどうかはかなり怪しいけれど。
天彦は大手門を出て振り向き様、茶筅のいる天守に信長の確かな策意を感じ取って。
「負けたるかボケ」
一言でまとめるならこの感情。そんな言葉を小さく吐き出す。
そして続けさまに、
「茶筅さん、やっぱしあんたさんはホンマモンやわ」
何がとは敢えて断定せずに。但し紛れもない本物であるとだけ結論づけて天彦は三階天守の間を後にするのであった。
◇◆◇
永禄十二年(1569)十二月十四日
約束の翌朝早く。予定よりかはやや遅れて向かった先は醍醐荘。
醍醐荘は三宝院の僧兵がとある公卿家から接収した荘園である。
「いい刀だな。どこで盗んだ」
「殺すじゃん」
醍醐は交通の要衝。
天彦たちが箔付けに狙った公卿家領はすでに先客万来であった。
あれは、喧嘩……?
傭兵同士の小競り合いだね。
小競り合い……。あれで、ですか。都とは何とも壮大な倫理体系ですね。
お恥ずかしいばかり。目障りじゃ、ええい、やめい――ッ!
天彦の耳に周囲の会話が漏れ聞こえる。
話しているのは何やら商人とその護衛らしきキャラバンであった。
天彦はまるで自分事のように恥ずかしかった。死にたかった。
耳が声を忘れても、心が波動を覚えています。ゆーてる場合か。
野良犬じゃあるまいし、テリトリーを誇示するのに吠えてどうするという率直な恥ずかし味はあった。いやハズいて。
そういうこと。
目下天彦の目の前で痴態を晒しているのは、そう。昂った感情が獣性となって口から漏れ出ている系女子キラリンでお馴染みの、千賀党の姫、年魚市であった。
久々の海賊女子の登場に天彦のテンションも……。
「え、地雷なのですが。やめて?」
上がるわけがなかった。むしろ駄々下がりである。
散々っぱら流した涙を返して欲しい。しかもあろうことか本物の海賊ムーブで再会させるなんて、酷い。
天彦の照れ隠し半分、本心半分の感情も尤もで、なにせ隣には轡を並べる親友の目があるのだから。
天彦にだって面目くらいはある。お兄ちゃんぶるためにはむしろいる。
こうなったら是非もなし。亡き者にするかしらばっくれるかの二択である。
「菊亭、もしやあれは」
「やーめーてー」
「手広いとは訊いておったが、ふっ、副業で武家もやっておるようじゃの」
「ふっ、ってゆーた。今この人、ふって鼻でゆわはった!」
「申したがそれが何じゃ」
「あ、はい」
いずれにしてもどうやらいずれの場合も無効のようで。秒で天彦のポンコツ策意は見抜かれてしまう。
と、そこへ氏郷が馬首を合わせて寄ってきた。
「殿、あれは千賀の……」
「そう、やろな」
天彦は氏郷にぽつりと返す。
よもや別人と見間違えることはないだろう。
年魚市の愛刀は海賊刀風にこそ模しているが、名のある巨匠が拵えた紛れもない名刀である。
何しろ天彦が褒美としてわざわざ織田領内から銘刀鍛冶師を呼び寄せて打たせた逸品である。いい刀に決まっていた。
その刀が抜き放たれ、燦然と白日の下にその波紋を煌めかせているのだから。
そして千賀の郎党がこれ見よがしに掲げる御旗は実によく映える代物で、そしてそれは天彦が誰よりもよく知る家紋を模した指物であった。
まさかあれは三つ紅葉!
三つ紅葉だと!?
そんなはずはあるまい、いや三つ紅葉だ!
「だっる。声張らんでも聞こえてるん。……なあ氏郷、無用な殺生はあかんとあれほどゆうたん。一つも生かされてないさんのようで、身共なんや虚しなってくるん」
「……始末をつけまする」
結果は手段を正当化できるのか。できる。
勝者は正しいのか。正しい。
優勝劣敗なのか。優勝劣敗である。
正義とは勝者が語る戯言である。とか。知らんけど。
いずれにせよ戦国室町時代は可能性に満ちている分だけ誰も彼もが歪んでいた。
「蒲生党、掛かれ――ッ!」
おおおおおおお――!
天彦の想いも何もかもひっくるめて、蒲生党が巻き上げる砂塵がすべてを消し去り攫って行くのであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。ブクマ、少し増えていて嬉しかったです! ポイントもありがとー。むちゃんこ励みになりました。