#14 双子素数予想の無限性を証明せよ
書けた! どうぞ、そっとね
永禄十二年(1569)十二月十三日
巳刻隅中、朝四つの鐘が鳴る頃、
「ぱっぱに会いにゆきます」
「若とのさん、なんで片言なんですか」
「それはね、お雪ちゃん。とってもお厭さんやからやで」
「ほなら参らはらへんかったらよろしいのに」
「ほんまやねー」
「あ、嘘のほんま言わはった!」
天彦は深く同意。だが雪之丞の尤もには具体的なレスを投げずに支度を頼むん。と、定位置にしれっと居座るルカに告げる。
ルカは“はいお任せくださいだりん”空々しく請け負った。松永弾正との交渉をまんまとゼロ成果に終えたと報告したそのお口で。
天彦はその面の皮の厚さに感心し、同時に思いの外信長公の威光の効き目が減退していることに危機感を覚えていた。
没交渉は射干のせいではない。松永弾正は義昭上洛戦以前から信長と連携していた信長公のマイメンである。そして菊亭は織田家の朝廷対応役。袖にされる理由がなかった。
だが現実はされた。これの意味するところは即ち、
「松永弾正、本願寺に付いたな」
な……っ!
天彦の誰に向けたかわからない、けれど確実に外に向けて発信されたであろう発言に座が揺れた。
松永弾正は京都から半ば締め出しを食らっている織田勢にとっての最大後援者。ましてや信長公とはツーカーの仲と聞き及んでいる彼らにとって、裏切りにも等しい天彦の推論は想像以上に動揺を誘ったようであった。
たしかに彼らイツメンたちの動揺にも理解は及ぶ。何しろ今現在、将軍家に本気で攻められたら選択肢は限られているのだ。
この現有戦力と横大路城では籠城戦しか選択できない。籠城の頼みの綱は補給と援軍。食料は茶々丸のカリスマ頼りで確保できたとしても、援軍までは無理をお願いできない。真宗の信徒とて本家を裏切ってまで血を流してはくれないだろうから。そこに松永弾正を頼れないとなると……。
控えめに言って横大路城は詰んでいた。
援軍がない籠城戦など真夏の灼熱の室内で窓を閉め切って扇風機を回すようなもの。じわじわとゆっくり死んでいくだけである。
だからこそ松永弾正はこちら側に振り向かせなければならなかった。
天彦の知る松永弾正とは偏見や特権意識を覗かせつつ、けれど好奇心を隠せていない。そういう典型的な京都の侍武士だった。
信長と惹かれ合うのもきっとそういう性質があったからこそ。
天彦は腕の見せ所を自覚しつつ、けれど今はこれから行われる会談に意識を切り替え集中する。
今出川正三位大納言晴季。
ぱっぱ晴季は当たり前だがかなり手強い相手である。しかも相手は天彦の弱点の一つであるじっじ公彦を同席させると申し入れてきている。そこにはきっと義理まっまも同席していて、弟もいるのだろう。お初で緊張するー。
まあ普通に夕星もいて、結果家族の団欒と呼ばれる集まりになるのだろうと予測された。ぱっと見の外面では。
だが内面ではバチバチである。菊亭を内包する清華家今出川に家族の団欒という温かワードは存在しない。非常に哀しいことではあるが。
話す会話、会話の中身、それに連動する現実世界の挙動すべて。誰かの思惑が複雑に絡みついてくる超政治的案件揃いである。そして各々が何かの利益を代表してくるので滅多なことでは折れてくれない。それは天彦とて同様であり、菊亭の延いては織田の利益を確保するためには妥協は許されない立場であった。
だから、
「ぷぷぷ、若とのさんったら面白いお顔さんしはって」
「放っといてんか」
複雑怪奇な感情がもろに出たような表情になってしまう。
将軍家の利益確保の代弁者であるぱっぱには氏んでも会いたくない。武田の先鋒である義理まっまも同様に。最近では自家今出川可愛さに天彦と距離を置き始めたじっじも実はそれほどで。
けれど弟くんと撫子には逢いたい。一生会いたい。そんな感情が暴発して会いた味に溢れると胸の奥のほうにある柔らかい部分がきゅっとなるのだ。
その感情に付く言葉を知らないままに。あるいは不治の病魔かも。とか嘯きながら。
自分が何者かだなんて本当にわかってしまったら絶望が深まるだけでお仕舞いです。そんな界隈系男子である天彦は、それと同じ論法でこの感情の由来を深くは探らない。
ゾルディック家だってあれはあれで家族の一形態なんだし、こんな家族もあるだろうさと明後日の思いを胸に馳せて。
なのに、
「一端感情を整理してやね……」
思考を深めるための作業はそれなりに必要とした。
と、ルカが空気を読んだのか偶然か、柔和な笑みを浮かべて天彦の気分を少し和らげ、
「如何ですか」
「口調」
「お殿様って、ほんと様式に五月蠅いだりん」
「身共は様式・形式の体現者にして継承者なん」
「お公家様と仰せになりたいので?」
「それ以外に身共のアイデンティティがあるとでも」
「あいでん……、勉強不足で、失礼申し上げました」
「ひっ」
「何か」
「こ、言葉に呪詛を混ぜるん、怖いからやめてね?」
「よくお気づきで。では意地悪もおやめください。だりん」
「肝に銘じるん。ルカ、おおきにさん。……お、どないさん、佐吉」
逃げろ。逃げた。
ルカが射干党の実質トップだと知って、どこか一目置いてしまう。
何を着ようと何を身に付けようとルカはずっとルカなのに。不思議。
そしてそんな逃げ場所に指定された佐吉はまったく独自の路線を貫く。
今や家内でもすっかり浸透し始めた天彦信奉ガチのガチ勢として、天彦を彼なりに真っ直ぐにけれどけっして嘘なく寸評するのだった。目が曇っているとも言うが。
「殿は何を着られてもお似合いでございますが、此度は飛び切り。見惚れるほどの男っぷりにございます。ルカ殿、お見事にござる」
「そうか! おおきになん。ルカ」
「佐吉くん。キミは一度目の精密検査を受けた方がいいだりん。うちが申し入れてあげてもいいよ」
「おい」
「む」
果たしてどちらがどちらのリアクションなのか。いずれにしても、
「ほな参ろうさん」
「あ」
是知の訊いて欲しそうな顔があまりにも欲しそうすぎてついスルー。
彼の狙いすましたかのようなあざと美辞麗句は一周回ってちくちく言葉同然に刺さるので。
そんな是知の“あ”を左目端っこに捉えて天彦は、本番さながらに表情を引き締める。
「高虎、よろしゅうお頼みさんにおじゃりますぅ」
「はっ、者ども。心せよ! 扉を開けい、殿のご出立であらせられるぞ――!」
応!
本日の護衛当番なのだろう高虎のクソデカ声が、横大路城城下に確保されている借り暮らしの彦エッティ屋敷に響くと、それを合図にどんどんと陣太鼓が打ち鳴らされた。
するとこのまるで戦にでも向かう心構えを体現したかのような出立の儀式は、菊亭家人たちをより一層緊張の度合いを深めさせた。
「ご武運をお祈り申し上げます!」
「ご武運を!」
「ご武運を!」
実家に向かうだけなのだが。
太鼓を打ち鳴らされ挙句に武運まで祈られるこの不思議感覚に、けれど天彦は何一つふざけないちょけないじゃれないはしゃがない冷やかさない。
これはそういう筋の出立だから。
哀しいが天彦にとってのご実家とはもはやそういう存在になってしまっていたのである。
お布団温い。家が落ち着く。じっじ優しい。撫子に癒される。弟ちゃん会いたい。家人や用人といった代々仕えてくれる顔見知りに緊張がほぐれる。
そんな一般的に実家のくれる安心感は、天彦には一ミリもない。
正装もばっちり。だからこれはきっと武装である。
そしてこれならバチクソ塩対応がデフォの愛妹(姉)も、何か言葉を掛けねばならないだろうと自信を深めていざ鎌倉。
天彦とイツメン(雪之丞・佐吉・是知・ルカ)たち諸太夫文官組は公家町にある今出川殿へと向かうのであった。
◇
「若とのさん……」
「何やのんお雪ちゃん。身共以上に沈痛なお顔さんしはって」
「……御自分でお気づきになったはらへんだけですん」
……って、言う。
突いてはいけない図星を突くのも雪之丞の持ち味である。
「アカンやろ」
「ちょっと解れましたね」
「狙ってましたみたいにゆー!」
「へへ、ほとんど本調子ですね。これならお任せできそうです。大殿さんは手強いお方ですから」
「あ、……うん」
まぢのやつだった。
雪之丞もときどき本気出すとビビらされる系男子。天彦は改めて偉大さを再認識しつつ親友の存在の有難味に感謝して、手を合わせて拝んでみた。
「や、やめてください! 縁起の悪い」
「ふふ」
仕返し成功の巻。やはり調子は戻っていた。
「お雪ちゃん、おおきになん」
「どういたしまして。ほなお礼に柏餅ご馳走してください」
「柏の葉っぱが無理やん」
「ほな草餅で」
「結局おもち食うー」
あはは、うふふ。
二人は小さく笑い合う。が、雪之丞は大正解。
雪之丞に有りっ丈の気遣いを振舞われるほど今の天彦は凹んでいた。効いてもいるし食らってもいる。むろんブッ刺さっても。
家人に案内されて長い廊下を奥に進む。
手入れされた庭は侘び寂びのセンスがバグっている天彦をして、相当かなり感情を揺さぶられる造形だった。きっと思い出補正もあって。
そこはかつて天彦の住居だった離れがあった場所だから。
だがその思い出のつまった我が家はもうなかった。焼け落ちたのだから当然だが、跡形もなく解体され侘び寂びの利いた立派なお庭に姿を変えていた。
その離れのあった空間にはなぜか特別な感情を覚えてしまう。ただの空間なのに。
この胸に込み上げてくる感情を言語化するなら郷愁だろうか。もっと絞るなら寂寥感。が適切だろうか。
「こちらへ」
「おおきにさん」
招かれた部屋には今出川の主たるメンバーが揃い踏みであった。
上座にはぱっぱ晴季が。その左隣にじっじ公彦。そして右隣やや奥に控えるように義理まっま菊御料人が鎮座する。
そんな上座に対し哀愁空間をしり目に天彦は、公家らしいといえばそれまでだが、どこか空々しくけれど意図して仰々しく構えた。それを公家は揖と言う。
拝に次ぐ慇懃作法であり単なるお辞儀とは意味合いが違う。むろん家族に対しとる礼法ではけっしてない。
「大納言さんにあらしゃいましてはこうしてご尊顔を拝し奉り、祝着至極に存じますぅ」
「よう参らはった。別当さん、楽にしい」
そして最大限に辞を低く謝意を示し、ぱっぱの左右(じっじと義理まっま)には一切の漏れない有識故実に倣った揖で礼を尽くすことによって天彦は徹底された古典的な礼法を家族との再会の言葉としたのであった。
「……御立派にならはって。そやかてそれでは気ぃが休まらんやろ、まあ座り」
「おおきにさんにおじゃりますぅ」
お言葉に甘えて着座。それも正装時の座作法である楽座の態勢で。
これで十分天彦の姿勢方針は伝わっただろう。それを証拠にぱっぱ晴季の表情ががっちりVSモードに切り替わっていた。
なぜそんな言い換えるなら敵に塩を送るのか。理由はひとつ。
天彦は油断を突きたくはなかったのだ。今回ばかりは真正面から舌戦を仕掛けてその上で完膚なきまでの叩きのめし、もう二度と敵対したくないと思わせるトラウマを植え付ける覚悟で臨んでいた。
ほら家族といがみ合うって、不毛じゃん……?
思ったり思わなかったりしたとかしないとか。
と、そこに。
「天彦! 妾に挨拶もなしに殿の門をくぐるとは何事にありゃるか」
女神が降臨した。
は、さすがに盛った。いや盛ってさえない。俯瞰で見ればむしろ邪悪な何かである。天彦の邪悪な部分だけを凝縮して濃縮して濾したようなナニである。だが天彦の顔は笑み崩れてしまっていた。目を完全にハートマークにして。
そしてこのように緊迫の会談の場にもし撫子が臨席したらどうなるのか。こうなることは菊亭家人なら誰の目にも明らかで。
「天彦。妾のお願い、訊いてくりゃれ」
「妹ちゃん達てのお願いなん。お兄ちゃんさん、この命に代えても果たしてみせるん」
「お前、おいとぽいさんのとき妾が赤のおばんをあがらっしゃりましたんお忘れにならっしゃりますなぁ」
撫子は言外に姉であることを主張しつつ、天彦のキモさを詰っていた。
だがおいとぽいさんだったのは撫子の方であり、天彦にそんな時代はどれだけ遡行したところでありはしない。
そして数え五歳児(実質三歳半)の撫子姫はお姉さんぶって天彦の喉に赤飯をぐいぐい詰め込んで、天彦が危うく窒息死しそうになったのは記憶に新しいところ。
天彦でなければ20,000%死亡確定演出であった。それでも天彦は恨むどころかロリ夕星の心にトラウマを植え付けなくて済んでよかったとむしろ喜ぶ始末である。控えめに言って終わっていた。お仕舞いです。
なのに、だから、よって、故に、
「ほな、それで」
彼女の言葉を100肯定して受け入れていた。ずっラブですの間抜け顔を世界にさらして。
ちょろ。こいつ、まぢでポンコツに成り下がりやがった。
とは果たして誰の心の声だろうか。あるいはこの場に集うものの総意であろうか。
いずれにせよ天彦の聞きしに勝る応接の緩手を目の当たりにしたこの場の面々は、噂が噂通りであり、いやそれどころかどうやら噂以上であることを確実に確信したことだろう。
これほどわかりやすく誰の目にも明らかな以上、疑いの余地はない。
だがそれも仕方がなかった。何せ天彦、半身である夕星にすべてを差し出したいだけの人生であったのだから。
大前提、自分がカットインしなければ夕星はもっと幸福な人生を送れていたはず。波風の立たない。という思いが根底にあり。
そして付属として、藻掻き、足掻き、泣き喚き、叫ぶばかりの己の愚かしくも憐れな人生に差す唯一の光明として、夕星を可愛い物で埋め尽くして、ずっと一生笑顔を振りまいていて欲しいのだ。
それが自分がけっして叶わなかった、そしてこれからもけっして叶わないだろう天彦の想う幸せの最高級の形だから。
つまり自己満。そしてそれがこの三流道化師の唯一の偽らざる本心でもある。
そんな天彦の一番弱くて柔らかい場所をちくちくと弄られ、どうやら趨勢は決したようであった。とか。
が、そこに、
「ちょっと待ったぁ――ッ!」
凛とした制止の声が響き渡る。
「お前になんの権……、うえ、朱雀永代別当。なんぞ異論でもおじゃりますのか」
「有り寄りの有りですん!」
「ありよ……、なんやわからんけど、今は家族の集まり。叶うならお控え頂きたくおじゃりますが」
「某も家族です! ……若殿さんの家族をやらせてもろてますん」
「ちっ」
「あ」
「……失礼さんにおじゃりました。ほな訊くだけ訊かせてもらいましょ。おい茶や」
「はっ」
「あの、お餅も食べたいです」
「……出したり」
「はっ」
そこにお身内以外で唯一言葉を挟める格式を有した人物の物言いがブッ込まれて、場は振り出しに戻された。
「若とのさん。ちょっとカッコ悪かったですよ」
「ご、誤解なん」
「あ」
「う」
こうして天彦は自称菊亭一の御家来さんのファインプレーによって、自身に訪れた最大級の窮地を脱するのであった。
【文中補足】
1、おいとぽい
いとほい(可愛い)に公家の言い回しである“お”をつけて法則に従い半濁音となった宮中言葉。
なるべく軽い文章で痛いほどの愛を届けたい。
そんな誰かの訴えに感銘を受けてお届けしている当作品ですが、如何ですか。意図通りお届けできているでしょうか。不安になるので感想おくれ?
といういつもの字書きミームでした。てへぺろ。バイバイ、またねー!
追伸、130万文字近くたって初の妹ちゃんのご登場さんどす。いったいどんな反応あるんやろ。ないんやろかー。ハラハラドキドキしておりますデスどす。お願いしますー。