#13 問題児扱いはやめてください、おまゆう
永禄十二年(1569)十二月十一日
惟任を通じて将軍義昭に正式な会談を申し入れた翌日。
天彦は横大路城に赴いていた。
お目当てはむろん横大路城城代にして京都デュアル所司代の将軍家側じゃない方、織田三介具豊である。
「待っておったぞ! 早う参れ」
「お待たせいたしまして申し訳ないさんにおじゃりますぅ」
「む。なんじゃ余所余所しい。……いや待て。何か妙に厭な胸騒ぎが」
「気のせいなん」
「で、あるか。まあよい。茶でも進ぜよう」
「うん。おおきにさん」
おっと危ない、三介さん逃げて!
あなたの予感は大当たりです。嘯く天彦は、けれど悪びれることもなく平然と茶を馳走になる。お前さんとは生涯に亘ってありとあらゆる局面で運命共同体なんやし細かいことはええやろの感情で。
この心境の変化は実は天彦の最上級の親友ムーブである。
例えばあるいは、キミからの好きが欲しい。から、キミからの好きは伝わっているよ。へと感情が変遷していくように。
あるいは取り繕うこともなく、ときに濁った感情のままで向き合えたり。
もっと言うなら優しくすると弱い感じが嫌いなのに、厳しく接するとみんな離れていくからつい優しく接してしまうけど、実は厳しく接するほど大事な人に近づくのに。というジレンマに苛まれずに済んでいる、とか。
つまり、
「ずずず、美味しいさんやわぁ」
「で、あろう。特別に仕入れさせたのじゃ」
「身共のために?」
「うむ。決まっておろう」
「半分嘘やね」
「半分も合っておれば、もはやそれは真実であろう。違うのか」
「勉強になりました」
「で、あるか」
そういうこと。
天彦も三介もメリット・デメリットを軸に生きていない。
むろん痛む。消耗もする。だが今少しだけ我慢して痛みを過去のものにする術に長けていた。
天彦はテクニカルに。三介はグーフィーに。互いの持ち味を最大限駆使して生き足掻いている。こう見えて二人とも、彼らなりのベクトルで一所懸命に生きている。
「貴様の要件の前に儂の要件を済ませておくぞ。依存ないな」
「はい」
「うむ。これに目を通せ」
一枚の覚書書を手渡される。光源院殿御代当参衆幷足軽以下衆覚、と書いてあった。おそらくは足利幕府の施政方針を示す覚書あるいは正式書面の雛形であると思われた。
なぜならそこには幕臣や奉公衆を幕府側近要人とし、それら以外の武家を役人(足軽)として、そして地方大名を外様衆と見做し形式書面化した表であったから。
これの意味するところは一つ。将軍義昭による天下布武。あるいは義昭の天下統一の意思表示。それしかない。
書面の端々に53と記された地方大名の地域権力としての支配力への寄生もしくは便乗を感じるし、全国政権として君臨する意思がむんむんに伝わってくる。
つまり権威を梃子に全国支配を目論んでいる。
そしてそれはかなり現実味を帯びている。なぜならこの時代、室町幕府の正当性はほとんどまったく失われていないから。
あるいは足利家を追い落としてでも自分が覇権を手に入れるという気概のある大名家はまったくないのである。それは史実でもこの世界線でも同様に。
むろん織田家を除けばだが。だから織田家は除かれているのだが。
そして面白い事実が判明する。その足利天下統一構想の中に、どこを探しても武田の武の字は見当たらなかった。
これの意味するところは果たして、いやつまり……、
「食い違いが生じてるん。……くふ」
敵の失敗は邪魔しない系男子である天彦に、盲点を晒してしまった。
武田菱を使ってかく乱している惟任と、武田を完全に見放し関東管領を称する守護大名としての上杉家を選んだ将軍義昭との僅かな認識の齟齬を。
これが誘いの隙ではなく事実なら素晴らしい発見である。事実なら。
ならば入手ルートが気になるところ。
「これはどなたさんから」
「幕臣、細川兵部大輔」
「……ひょっとして」
「うむ。親父の直参でもある」
「あぁ、なるほど」
ここにもいた。二重家来が。
この時代の生き残る術の代表的一つである。故に非難されることはない。
だが天彦の感覚には受け入れがたい裏切りだった。青いが……、青いな。
天彦は自分の青さと甘さを自覚しつつ、けれど飛び切り上等のお宝を手に入れた事実に気分をよくしてこの書面の意味するところの解を三介に解いてやるのだった。
「……将軍は阿呆なのか。親父を除外して何の統一がなるであろう」
「ははは、やっぱし茶筅さんのことが大好きなん」
「む。それは褒めておらぬであろう」
「褒めてるけど。でもほら、副将軍職のポストは空白なん」
「それこそ愚策。あの親父が将軍如きの風下に立つはずがあるまい。それならいっそ天下を二分した方が実効性は高いように思うがの」
……こいつ、ときどき片りん見せてきよる。
天彦は率直に感心した。知見ではなく紛うことなき野生の勘所に。
これならなるほど。織田一族郎党漏れなく秀吉に抹殺されていく中、長らく生き残っていけたのにも納得である。
「ならばこそ食い止めねばならぬのだな」
「逆なん」
「は?」
「だからこそのさばらせないとアカンのん」
「何故じゃ」
「では訊ねます。茶筅さんは京都所司代のお役目を大いに果たしたと大評判。京雀も重臣も爺もすべて花丸満点の評価なん」
「む。それは良いことじゃな。ふはははは、気分が上がってきたではないか。菊亭、貴様に褒美を取らす」
「待てドアホ!」
「ど、なんじゃと!?」
「待つん。ええさん、けれどぱっぱに叱られます。いいえ怒られます大雷がごろごろピカンです。どないさん?」
「ぬおぉおおおおおおおおお、最悪じゃ! それならいっそ心構えがあった方がいくらか……、待て。お前、まさか」
「そう。その悲惨な感情を将軍さんと惟任に味あわせてやろうかなって」
「鬼か。いいや悪魔じゃの。いずれにしても貴様のやり口は、ええ死に方をせんであろうの」
「大丈夫、身共は狐なん。それに茶筅さんが身共を守ってくれるん、信じてるから」
「お、おう」
頼られると弱い感をまんまと突かれた三介は、だが満更でもない風に頻りに大将風を吹かせるのであった。
「それで、これをぱっぱにお願いして欲しいん」
「親書か。中身は」
「お礼とか、ちょっとしたお願い事なん」
「願い事じゃと」
「ダイジョブ、ソンナイッパイネダッテナイ」
「そうか。ならばよかろう。この儂にすべて任せておけ。がはははは!」
「おお! 茶筅、カッコええさん」
「そうじゃろ、そうじゃろ。がははははは」
終始まんまと。
こう見えて溺愛されている三介は実に有能な避雷針であった。
◇◆◇
「ならぬ。けっしてなりませぬぞ! 大樹、この者の口車にお乗り遊ばせてはなりませぬっ」
惟任のおそらく初めて見せただろう切迫した声が謁見の間に響き渡る。
場所は二条城本丸。謁見の間。
将軍義昭に対するのは参議改め東宮別当菊亭天彦である。
「黙れ。余は今、この者と話しておる」
「大樹!」
「くどいっ」
「ですが大樹! この者は巧言を操る妖にございますぞ。耳をお貸しになられてはなりませぬ」
「余には其の方の讒言に聞こえるがの。雄弁は悪。申したのは其の方ではなかったか」
「な、な、……なんと申されるか!」
「ええい喧しい。誰ぞ、惟任を下がらせい。一旦下がって頭を冷やすがいい」
「はっ。惟任殿、お控え召されい」
「ええい、離せ下郎、大樹、大樹うううううううううう――!」
おのれ、おのれ菊亭。覚えておれぇええええええええ!
痛快!
もちろん忘れます。存在ごと秒で。
まさに痛快の一言に尽きる名場面であった。
メテオストライクには程遠い。だが政治力でのし上がった惟任には相当かなり刺さったはず。
天彦は留飲を10%ほど下げてほくそ笑み、浮かれ将軍と面と向き合う。
「よう参った」
「何のこれしき」
「早速本題であるが、余の存念、いったいどこで聞きつけた」
「公方さんのご要望、この菊亭、耳を澄ませば聞こえまする」
将軍義昭は満更でもない風に顎髭をさすって、
「しかし改元に慎重な帝が首を縦にお振りになろうか」
「正攻法では難しいさんにおじゃりましょうな」
「ならば腹案があるのじゃな。勿体ぶらず疾く申せ」
「では公方さん。身共が腹案を明かす利をお示しくださいますかぁ」
「うむ。……其の方と知恵比べをしても無駄骨であろうの。望みを申せ」
「ならば率直に。武田家討伐の勅を頂戴したく存じますぅ」
謁見の間に緊迫の帳が舞い降りた。
天彦は義昭から上奏させようとしていた。武田家を朝家の逆賊として討伐するための勅命の上奏を。
「……なるほどの。関東管領の意向であるか」
「御慧眼にあらしゃりますぅ」
「謙信坊主はなぜ儂を頼らぬ。まあよい。しかし、ふん小賢しい。どうせその様を装った実家との私怨の始末であろう」
「あ、いや。これは参ったさん。ますます感服するばかりにおじゃりますぅ」
「ほう。違ったか。……じゃが悪うない。うむ、善きに計らえ。但し其の方の腹案とやらが確実であると余が認めた場合であるぞ」
天彦は愛用の扇で口元を覆い隠し、かつてじーじが来客にやっていたように見様見真似で“おほほほほ”実に公家らしく演じてみせた。
「ご報告申し遅れました。この度、東宮の別当として栄に拝することとなった菊亭天彦におじゃりますぅ」
将軍義昭は思わず唸った。場にも唸り声が小さく響く。
それもそのはず。天彦は言外に自分なら東宮を介して改元案に難色を示す帝の首を縦に振らせることが可能だと請け負ったのだ。
それは決して容易なことではない。だが東宮の信厚い別当ともなれば、あるいは……。
将軍義昭の思惑と存念が天彦の視線と交錯した。
ややあって、
「確かか」
「はい」
「よし。談合はなった。別当菊亭、よしなにお頼み申し上げるぞ」
「こちらこそよろしゅうお頼みさんにあらしゃりますぅ」
将軍家と菊亭の利害が完全にマッチした瞬間であった。
これにてせっかく浮上した武田家は逆賊となり、義理まっまもお仕舞いです。
そして惟任はしばらく冷や飯を食わされるだろう。天彦が何が何でも絶対に鉄の意思で食わせるから。きっとそうなる。
問題は魔王様が割を食ってしまっている点。
だが帳尻は合わせる心算。きっと、おそらく、たぶん、めいびー。
「別当、余は後悔しておるぞ。其の方とのこれまでの確執を」
「惟任さんをお恨みいたしますぅ」
「あれはしばらく他所にやる。頼りにしておるぞ。おほほほほ」
「公方さん、それはこちらのお言葉さんにおじゃりますぅ、おほほほほほ」
「善きかな善きかな。別当菊亭、大儀であったぞ。おほほほほほ」
「おおきにさんにおじゃりますぅ。おほほほほほ」
互いに薄気味悪いほど褒め称し合い手を取りあったところで。
両者、満面の喜色の悪さを残して場をお開きとする。
そして、
「皆々様、一遍だけ。この通りよろしゅうお頼みさんにあらしゃりますぅ」
幕臣たちの胡乱と怪訝を身に纏い、天彦は抜け抜けと首を垂れて謝意を示した。そして殊勝な顔をして御前をお暇するのであった。
◇
さて今回の一件。天彦には何一つとしてリスクのない悪巧みであった。
なぜならどうせ信長は改元に拘るから。
つまりこの改元は持って数か月の寿命なのである。ちーん。
むろん朝廷は織田が上奏してきてもすぐには首を縦には振らない。何せ年に二度もの改元である。各方面の諸事情から難色を示すのが尤もである。
事例は過去に一度だけ。それを理由に突っぱねる。それが逆に信長の改元意欲に火を点ける結果となることも知らずに。
そんな伏線を踏まえたところで種明かし。
今回の改元策は確実に起こるだろう史実の前借りである。だから改変はしていないもーんハックだもーんの巻。というやや苦しい悪巧みである。同時に心苦しくもあって、その原因は他人の成果を横取りしたから。とか。
天彦にそんな殊勝な感情があればいいなー(棒)という希望論はさて措いて、けれど信長公にとってこの改元は何一つとして笑えない、歓迎できない非常に不吉なものとなる。
年が明ければ朝倉討伐の将軍大号令が下されるはずで、その際には浅井が裏切り信長は絶体絶命の窮地に陥る。自身人生最悪の体験をするのだ。
そしてその関連で姉川の戦い(浅井・朝倉軍VS織田・徳川連合軍)の一大決戦に突入し大勝利を挙げるものの、多くの家臣を失ってしまう。
そこから怒涛の展開に突入。大阪本願寺の蜂起、足利義昭と茶々丸ぱっぱと近衛前久共演による織田家包囲網が形成され、長島一向一揆や比叡山の焼き討ち、武田信玄の侵攻等と。
それらが一年経たずの間に一気に押し寄せてやってくる。地獄かな?
そして発生する巨大厄災イベントのすべてに奮闘奮戦しても、一向に好転しない自身の状況を踏まえ。
『あれ、余は神仏に嫌われているのであろうか』
という疑念を抱いても不思議ではない。
何しろ数え上げた一連の出来事は、もはや人知を超えた何かの意思を感じ取って不思議ではない不運の連続だから。
こうまで刺さって食らってしまうとさすがに効く。
超合理的かつ現実主義の信長をして、神仏の加護の存在を勘繰っても不思議はない。
そして魔王様にはたいへん残念なお報せだが、すべて発生させていただく。
その上で持ち前の強運を発揮していただき、どうにか乗り越えていただく方向で天彦の調整は入っていた。
その方向で、策は着々と練られていた。
『人の嫌がることを率先しておやりなさい』
今回の策のベースにある、この受け取りての捉え方によっては二通りの意味にも取れてちょっと面白い言葉である。
きっと母親が残したのだろう天彦の脳裏にずっとこびり付いている、けれど実際は果たして誰の言葉なのかまったく不明な言葉を実践したのである。
そういうこと。
天彦は天彦の解釈で言葉を捉えて実践した。
魔王の怒りの矛先をすべて将軍義昭に向けさせるために。
その余波を食らって惟任がバチクソ凹まされるように。
「ライフハック。せーの、なんためー!」
この世でこの天中殺同然の逆境にまったく喰らわないのは世界広しと雖も天彦を措いて他にはない。はずである。
天彦はるんるんの足取りで二条御所を後にして、
「若とのさん、もう遅いですやん。某、寒いです!」
「待った? 堪忍なん」
「お汁粉ご馳走してくれはるんですやろ。ほな許します」
「上から!」
あはははは、うふふふふ。
弾ける笑顔で出迎えてくれた自称菊亭一の御家来さんに、負けず劣らずの笑顔を振りまいて返すのであった。
【文中補足】
1、光源院殿御代当参衆幷足軽以下衆覚
に記載されている足軽とは騎乗しない文官幕臣という意味で、大名家の使う足軽兵とは意味合いが違う。
どうでしたか。頑張った心算なのですが。感想お待ちしております。
マイメンに一人ウォチパでもしとけと煽られているクソ雑魚からは以上です。
お読みくださいましてありがとうございました。