#12 Cメロみたいな雰囲気醸してやってやんよ
永禄十二年(1569)十二月十日
師走に相応しく慌ただしい時の流れを感じながら。
天彦の菊亭は築城候補地である天王後村へのスムーズな入植を概ね済ませていた。
また規模感的にも西園寺一門の名誉のためにもどうしても欠かせなかった天王前村との交渉も案外スムーズに進んでいる。
そもそも安全保障を放棄されていた村である。意外性はない。仮に上位管理団体の支配下にあったとしても、いったいどの顔で。ほとんどの村民感情に照らすなら今更出張ってくることなど考えにくい。
なぜなら戦国室町の領民・村民は平時に飼いならされたポチではない。
いざとなれば女子供ですら手に武器を取って徹底抗戦もしくは武装蜂起する戦国室町戦闘民族の系譜の一端を担っている。
根絶やし覚悟でもない限り受け入れられることはないのである。それがご恩と奉公の大原則なのだから。
そういう意味合いでなら菊亭は想定する最低最悪だけは免れていた。
というのも西園寺家への村民感情は複雑であった。長らく良好な関係を結んでこられただけ余計に感情的な捻じれは複雑な拗れ一歩手前の感情にまで差し迫っていた。
それは天彦の菊亭にも向けられる感情であった。世間一般的に西園寺家と菊亭家を分けて考える者はそれほど多くなく、何ならイコールで結んだ分家くらいの感覚で認識されているとかいないとか。
生家今出川を差し置いて不思議な引力で結ばれた関係もあったものだが、天彦はこれまでその件に関して否定を一切してこなかった。それも認識を広めた要因であると認めた上で。
よって上位管理団体不在は菊亭にとって好都合だった。
関係再構築の機会をもらえるのと、村民の折り合いも付けやすいから。
いくら強がったところで村民はなにかしらの武装集団の庇護を受けなければ暮らしてはいけない。特に将軍家から見限られているこの土地では。
何せこの世はイレギュラーに溢れていて、極端な話、右を見て左を向いた瞬間には事態が切迫していたなどあり触れている。
故にイレギュラー対応できる上位管理団体との共存は村としてもマストであった。
故に村民からすれば頭痛以上に痛む病魔だった凶賊の掃討は当然として、この時代の支配者にしては非常に珍しい村民との対話を求める菊亭家の支配に否やはなかった。
よって目下菊亭支配は実に歓迎ムード一色のスムーズな接収作業に移行していた。
そんな友好ムードの天王後村の急造で拵えた執務室にて、天彦は今日も今日とて雑務に忙殺されていた。
だがブラック具合はかなり改善されていて、これでも半減しているのだ。というのもすべてのタスクをソロ処理せずに済んでいるから。
茶々丸の存在はメンタルケアの面ばかりでなく、実質的な業務面でも天彦の大きな頼りとなっていた。
机を並べる茶々丸と二人、熱心に業務をこなしていく天彦はともすると咳払いさえ憚られるような凛とした気配を演出していた。
集中力の高さと言ってしまえばそれまでだが、誰もそうとは受け取らない。
近寄りがたい気配はたしかにあるが天彦は原則、集中すればするほど無駄口が増えていく傾向が高い無駄口の権化彦である。その性質は多くの家人たちの知るところでもある。
故にこの気配は異例。
天彦とタスクを分担する片割れ。面談申し入れ案件対応に追われていた茶々丸は、一旦プライオリティ高い目の印が入った封書を手放し一息入れた。
「茶を」
「はい」
菊亭家への面談申し入れ要望は連日引きも切らない。謁見とせず面談あるいは会談としている時点でお察しだろうが、要望先は半家菊亭より上位存在である。
中でもやはり一番は洛中から随時送られてくる朝廷からの要望であり、何やら先方様、天彦の辞任を快く思っていないようであった。
力学の話は一旦脇に置き、ずずずと熱い茶で一息入れた茶々丸は、けれど彼らしくなく天彦に言葉を掛けるでもなくただじっと天彦の気が済むまで無言で静かに見守っていた。
この応接は実益にはけっしてできない。彼は生粋のお公家様でありお殿様だから。
茶々丸も本質的には殿様気質であり貴種としての似通った境遇で育成されてはきたが、二人は決定的に違っていた。何が。関心度が。
ずっと関心を向けていなくても血と歴史で繋がっている実益とは違い、茶々丸は常に天彦の動向を捉えていなければ繋がっていられない。
……と、少なくとも茶々丸は考えているようで、彼は誰よりも天彦を観察して研究していた。
例えばこの静謐が異常シグナルであると具に察知できるレベルで。
対する天彦も感情の機微には鈍感ではない。むしろ敏感だと自認している。
だから配慮されていることは承知していて、常ならそんな配慮さえさせないのだが。
あるいは自分が気遣われていることを承知すれば即座に減らず口で道化を演じ対応できるのだが、今だけはどうしてもその対応を怠らせる。
感情が乱れすぎていて。
天彦は長く重苦しい沈黙から浮上して、ようやく睨めっこしていた書面から目を離した。そして、
「お茶々」
「辛そうやの。儂でよければ話は訊いたろ」
「うん。これなん」
「どれ」
天彦は一通の書簡を預け渡した。
この一通の親書が届けられたのは今朝方早く。差出人は菊御料人。天彦の義理まっまである。
「年明け早々嫡男季持は従五位下侍従へ任官する。よって家督を返還されたし、か。……二歳児の任官に御大層なこっちゃな」
そういうこと。義理まっま息を吹き返すの巻であった。
茶々丸は相当端折ったが文脈の端々に武田菱をチラつかせていることは紛れもなく、さすがに撫子案件は懲りたのか直接弄ってはこないものの、かなり遠回しに行間には匂わせているので、かなり必死なことは伺えた。
目下今出川の家督相続権は天彦にある。突っぱねればそれでお仕舞い。
何しろ継承権とは連綿と紡がれてきた血筋と歴史の象徴であり、何よりそれを担保として権威付けを行ってきた貴種にとっての絶対の領域である。
余程のこと。例えば帝の勅でも出ない限り覆らない。その勅とて権威の崩壊に繋がるような無理筋のごり押しはしてこないしできっこない。
あるいは武家関白が武力に物を言わせて御政道を捻じ曲げるだとか。そういう超イレギュラーでも起こらない限り覆らないそういう仕様となっている。
それが継承権の本質である。
ところが天彦の義理まっま菊御料人はそれをやろうと正面切ってぶつかってきた。これは天彦の知る義理まっまのイメージとはかなりかけ離れていたのである。
つまりそれこそが文脈となっているのだ。
「甲斐、いや信濃が介入に本腰を入れてきたんやな」
「みたいやね」
「なんや他人事みたいに」
「……うん」
正直、天彦はうんざりしていた。真摯に言葉を尽くしてくれれば天彦から弟へ譲る世界線だって十分にあり得た。
天彦は信長のことを笑えないほど家族愛に飢えていて、ひょっとすると将来、にーに大好きなどと言ってくれるかも知れないと考えた瞬間、笑み崩れてしまう程度には弟のことが気懸りだった。だが……。
「武田はないぞ。いったいどれだけの血が流れたことか」
「承知なん」
「ならばよい。今日は仕舞おう」
「うん」
続々と露わになる真実の一つに、あの浅井・六角の襲撃を裏で糸を引いたのが武田坊主であるという情報がもたらされていた。
織田が誇る諜報部員のネタなのでかなり信憑性は高かった。少なくとも大幅な欠員を出し精度を欠くと自覚している射干党諜報部隊よりかは断然高いことだろう。
その織田が言うのだ。武田の策略であったと。
おそらくは内通。つまり浅井家現当主室、お市の方より齎された情報であろうと思われた。
疑う余地はないだろう。織田も浅井も。とくに浅井は身の潔白をたてることに必死のはずで、ここにきての偽計は致命傷を超えていて得が一ミリもないので。
何よりあれ以来弁明を一切してこない六角家の態度が雄弁に物語っているではないか。織田調べが事実であると。
今や吹けば飛ぶような六角が何の後ろ盾もなく菊亭、即ち織田に反旗を翻すなど土台不可能な話である。
信長は名門六角の顔、というより主家であり一門の頭領である足利将軍家の面目を立てて六角家御家存続の言質を与えているのだから。
それを反故にしてまで反旗を翻したのだ。相応に裏がないと逆に可怪しなことになる。
そして、
「金柑頭の介入やろ」
「ははは。ウケるぅ」
「笑える程度には持ち直したんやな。……それでええな」
「ええさんよ。おかげさんで吹っ切れたん」
「さよか。ほなやるんやな」
「うん」
よし――!
茶々丸が天彦の意向を受けて小さくガッツポーズを入れた。
祐筆を務めている佐吉は細い眼を更に眇めて感情を揺らし、是知は感極まって鼻を必死に啜っている。
すると部外者立ち入り禁止のはずの執務室の扉がごとりと大きな音を立てて崩れ倒れた。
「どわぁああああ」
青侍という名の阿保侍共が堰を切るように雪崩打って転げ入ってきたのである。
もはや菊亭では親の顔よりよく見る光景。菊亭名物青侍衆の嬉ギャン大騒動の巻である。
「関白・将軍家何するものぞ。相手にとって不足なし。この樋口兼続、殿の御前に立ち塞がる敵をすべて薙ぎ倒してご覧にいれる」
「殿! よくぞ御決心くださいました。片岡勢は総力を挙げてお支え致しまするぞ」
「よくぞご決断を。射干はむろん地の果てまで御奉公いたしまする」
「我ら蒲生党一同、煉獄の果てまでお供致しますぞ!」
「何の藤堂党も負けてはおらぬぞ! 行かんかガキども」
「な、何か凄そうじゃから儂もやる!」
「儂は厭じゃけどやると言わんとボコされるんでやるぞ!」
何か可怪しなのが二匹混ざっているようだが、きっとキノセイ。
少しは悪びれて欲しいものである。
天彦はしょっちゅうアホになる愛すべき青侍衆に飛び切りのジト目を向けしっしと言外に追い払う。むろん茶々丸も冷ややかな視線を浴びせて追い打ちをかける。
二人にはやるべきことが山積している。
「アホどもめ。菊亭、お前が緩いからやぞ」
「はは、やろうね」
「笑とる場合か。示しが……、まあええ」
「うん。御家来さんら、締めることろでは確実に締まってくれるん」
「癪に障るがその通りや」
茶々丸の納得を得られたところで、さて。
「手はあるんやな」
「愚問すぎて腹立つん」
「抜かせ」
「抜かしたん」
天彦の本調子復調を感じ取ったのか、茶々丸は心底から嬉しそうに小さく笑った。
都に根を張るということは今後、この手のねちっこい嫌がらせと対峙しあの手この手を繰り出してでも捌いていかなければならないことを意味していた。
覚悟はしていた心算でも実際に直面すると中々どうして効かされる。
しかも仕掛けてくるのは惟任ばかりではない。将軍家はもちろん近衛も近衛閥に組み込まれた九条たちも挙って菊亭に的を絞って仕掛けてくる。確実に、鉄板で。
経過と共に武家だって参戦してくることだろうし。
だからといって東宮は矢面には立ってくれない。局面によっては梯子さえ外される公算は決して低くないだろう。
それがこれまで潜んでいた東宮家の方針なのは明らかだから。しかも常勝でなければ完全に袖にされる未来も十分に考えられた。
そしてその勝利条件は菊亭が勝ち続けるだけでは担保されない。フラッグシップである織田家の常勝こそが絶対の条件であった。それは妖精王オベロン(東宮)や妖精女王ティターニア(阿茶局)の意思とは無関係に。あるいは極めて微弱にしか影響せず。
よって織田勢が京に拠点を置き、信長の打ち立てた巨頭政治を実現させたければ勝ち続けることこそに持続可能の道筋はあった。
こけれは危うい。危ういでは済まないだろう。天彦はそう感じている。
実際にそうなる公算はかなり高いはずである。
名門は名門であるほど慎重を期すからで、裏切りはむしろ推奨されるオペレーションの一つとさえ考えている節が窺えた。これぞまさしく存続以上に重要な大義を持たない家門の非情さでもあるのだろう。
天彦とてそんな非情な血族のど真ん中王道を行く公家である。
策略、謀略で後塵を拝したとあっては誰に顔向けができるだろう。できない。
家中にも他所様にも。天彦は頭脳戦で無敗だからこそアイデンティティを保ててこれた。武家以上に負けられない過酷な位置に立っていた。
家中はまだいい。優しいから。だが少なくとも最愛の妹(姉)夕星には合わせる顔はないはずで、合わせた途端、あるいは噂を聞きつければ先方自ら足を運んでいの一番に、「お前、無価値の更に下は何と申すか存じておじゃろうな」と、オニマウントを取ってくることは間違いない。
あれはあれで性格がねじ曲がった天彦大好きマンだから。
「佐吉」
「はっ、ここにおりまする」
「認めてくれるかぁ」
「むろん。いずれにお届けいたしましょう」
「決まってるん。惟任さんにおじゃりますぅ」
「は、……はっ! この石田に何なりとお申し付けくださいませ!」
仕掛ける。いや来た球を打ち返すのか。マンキンのフルスイングで。
カッコ構わず形振り構わずぶつかっていく気構えで。それがずっと遠慮して避けてきた他人の手柄の利用であろうとも。
生きるってきっとそういうことなん。勝つってきっとそういうことなん。
美学など、勝ってからいくらでも後付けできる虚飾である。
具体性は何一つとして浮かばない。
けれど、天彦の中で朧げながら進む道の輪郭が見えてきた瞬間であった。
「くふ、ふふ。うふふふふ。泣かしたるん、見とけよ惟任。くふ、くふふふふ」
「やめい! 気色の悪い」
「ひどっ」
「酷いかどうか、あいつら見てみい」
見た。
「……殿」
「と、殿」
是知はいいかな。問題は佐吉。己のすべてを愛し肯定してくれる佐吉に「違います」とぷるぷる震えるうるんだ瞳で訴えられてしまっては、それはもう仕方がない。
それはきっと違うのだろう。素直に率直に衒いなく、その通りだと受け入れられた。
「いやいや、なんでやねん」
天彦はなぞに凹まされて、喜びの発散の仕方まで考慮しなければならなくなる我が身の不遇を小さく呪った。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
Cメロって落ちさびのことですよね?
いまいちわかってないんで有識者いらっしゃいましたら訂正よろしくお願いします。
どんな技きめようか。雅楽伝奏~を書いていて一番の醍醐味なのですが、同時に一番のお悩みポイントでもあります( ;゜д゜)ゴクリ…
悩んで悩んで。で、最終的にどうぜ誰も期待してヘンし……。メンタル雑魚化して妥協の産物を送り出しているのですが。ですが! 今回はガンバリマス。なぜかと言うと時間がたっぷりあるからです(棒)
一日か二日。たっぷり考えてみようかなー。なんかお手頃な温泉宿もとれそうやしー。ウソです。
自宅に引きこもってぽちぽちやります。ゴールデンウイークなのに鬱っぽく引き籠っているぼっち同志諸君、よろしくお願いしてくれたまえ┌○ペコリ