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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十章 雪魄氷姿の章
178/314

#10 過去に心を煩わせるとか

 



 永禄十二年(1569)十二月三日






 成功はアート、失敗はサイエンス。


 よく語られる再現性の困難さを象徴する言葉である。あるいは一本道に遠回りも近道もない。とか。

 そういう意味では天彦自慢の医療班は最高の芸術家集団であった。


 昨日、どこで聞きつけたのか羽林家中山氏の一子、撫子(夕星)の婚約者ファミリー熙長にーにの嬉しい極秘来訪があったのだ。


 さすがは菊亭が誇るチート医療班である。甘露寺熙長のライ病は順調に快方に向かっていた。菊亭印の聖薬(笑)は、病魔の進行を食い止めるどころか、すっかり快方に向かわせるまさに神の御業とのことらしい(棒)。

 思い出してもこっ恥ずかしい感謝の言葉の数々と勿体ない美辞麗句を浴びせかけられ、逆に恐縮してしまうという責め苦にあったその際、東宮からの御内示もあり東宮別当拝命も打診されていた。


 やはり朝家に措ける羽林家中山氏の信頼は絶大であると中山おじの凄味を再認識しつつ、内示というだけあってむろん非公式である。

 また当然だが一昨日の昨日である。官職を辞任したことはまだ他に漏れていないはずである。なので、東宮の純然たる配慮あるいは善意であることがうかがい知れた。ありがてー。


 尤もむろん純然とした配慮や善意が根底にあったとしても、東宮サイドとて思惑がまったくゼロなどということはあり得なく。

 今後三頭政治がつづけば確実に五摂家以下の公家の地位は上がっていく。特に織田家との交渉窓口の地位は爆上がりするだろうことは必至である。それは史実の事象を後追いする未来現象よりも確実に、鉄板で。


 その未来予測を踏まえられない東宮ではないはずで、彼のブレーンは極めて優秀である。何しろつい最近まで潜むことを選択していたのだから。

 素晴らしいとしかいいようがないではないか。ファインプレー中のファインプレー。この誰もが前に出たがる時代に潜むなど並大抵の知見ではない。よってこの打診の意味するところは即ち東宮の態度表明であろうと思われる。

 天彦の公の登用を介した織田家との共闘示唆、あるいは皇太子としての決意表明と受け取るのが自然である。

 相当に覚悟の必要な行動であったと思われる。何しろ足利将軍家はこのことによって一気に周回遅れを余儀なくされるから。


 普通に考えれば身辺が危うい。


 だが慎重な東宮のこと。あるいはブレーンか。文脈から即ち万全の態勢が確保されたことも同時に読み取れるのである。

 一方、実は天彦は先んじて知っていた。東宮が表舞台に立つことを。千里眼やチートなのではなく、信長公の親書にもその旨の匂わせがふんだんにされていたから。

 天彦自身も信長が見立てる京都その未来予測に同意できたので和睦案を受け入れた。という経緯があった。


「ふふふ、くふ。公家の価値爆上がりなん」

「おい菊亭、はしたないぞ」

「なんでやねん! 身共、笑うてつぶやいただけなん」

「儂がはしたないと申せばはしたないでええんや」

「いやアカンやろ」

「おう?」


 あ、はい。……じゃあそれで。


 与六が帰ってきて急に張り切りマンになった茶々丸なんか知らん知らんの感情で、鞍上の天彦は回想をつづける。


 要するにこれからの京都は政治的交渉が優先される文化都市となっていき、交渉力が物を言う行政都市となるのだろう。それもこれも偏に畿内経済圏という手放すには惜しいで済まない莫大な利を生み出す化け物経済圏の賜物である。お銭様の勝ち。結局はそういうこと。そして……、


「身共のお手柄。これ絶対なん」


 誰も褒めてくれないので自画自賛してさて。

 その際には武家ではなく公家やお喋りクソ坊主が重宝されることとなる。

 物事は何を言ったかではなく誰が言ったかで価値が上下する法則に則るとするのなら。まあ則るだろう。それが血筋や格式を重んじる戦国ミームだから。


 よって今後京都は公家や坊主が暗躍跋扈する魔都となる公算がかなり高くなる。

 むろん信長包囲網がどのように具体化するかによって大きく流れは変わっていくだろうが、確実に決まっていることは天彦の菊亭が大忙し必至の大繁忙期に突入するだろうことである。……今度という今度こそ儲けたるん!


 いずれにせよ天彦は東宮殿下が率直に衒いなくくださった善意に感謝申し上げ、ありがたく拝受する心算である。

 何しろ東宮の別当といえば次代の公家筆頭候補の一職。現状でも参議より格としては上であり、太政官職でないだけで公卿としての面目は十分以上に立つ貴種として申し分のない要職である。



 閑話休題、熙長にーに来訪の翌日、早朝。卯刻日出、明六つの鐘が鳴る頃。

 本日菊亭一行は三介にお強請りしたお城の建設候補地であるお目当ての土地の調査に出向いていた。


「与六」

「はっ、ここにござる」

「うん。佐吉」

「はっ、ここにおりまする」

「うんうん。是知」

「はっ。長野是知。常に殿のお傍に侍っております」

「……、且元」

「はっ。お呼びとあらば即座に馳せ参じまする」

「うん。氏郷」

「はっ、ここにございます」

「うん。高虎」

「応! ここにござるぞ。がははは」

「ルカ」

「……」

「ルカ!」

「はいはい」

「返事は一遍なん」

「は、だる」

「あ」

「だりん」

「ん」


 天彦は満足げに満面の笑みを浮かべて、何度も何度も頷くのである。

 雪之丞は万全を期すため当面は静養にあてさせる。だが淋しくなどない。会おうと思えばいつでも会えるから。

 この時代の距離感は未来の現代人が考える何倍もフィジカルに負荷を加えていた。必然的にメンタルに与える影響力も少なくなかった。


 そして、


「与六」

「はっ、ここにござる」


「もうやめいっ!」

「なんでよ」


 バカ殿はまさか同じくだりを延々と繰り返していた。まさにサル彦。

 嬉しいと楽しいが高い位置でミックスアップされて感情を制御できなくなってバグっていた。阿呆である。恥ずかしい。


「同じことを何べんする心算や、恥ずかしい。さっきから一向に進まんやないか」

「ちっ」

「おいコラ、やんのか」

「ヤダね。……あ! お茶々も身共に呼んで欲しかったんと――」

「ボコす」

「暴力反対」


 逃げろ。三介から借り受けた駿馬の腹を蹴って駆けだしていった。


「殿につづけ、はいやっ!」

「負けるか、いっけぇ!」

「はい!」

「どうどう、あっちに進め。あ、こ、これ。なぜ言うことを訊けぬ、わ、こらっ、わあああ」


 安定の逆進是知を置き去りにイツメンは天彦の後を追って疾駆する。


 そして、


「おいコラ、クソガキども」

「……」

「……」


「何だ桶屋の子倅と鍛冶屋の子倅はお師匠の問いかけに返事もようせんのか」

「で、できるわい!」

「できます」

「ほなせんか」


 ごん、ごん。ぐおぉぉぉぉ――。


 果たして本日何度目だろう高虎の鉄拳ロケット拳骨がキッズの頭蓋骨に炸裂した。


「し、死ぬじゃろ!」

「あかん市松、こいつ殺す気や」


「がははは、おもしろい。その程度で死ぬるなら早う死ね。手間が省ける」

「死ぬか、ぼけ!」

「くそっ、いつか覚えとれよ」


「まだ減らず口をほざけるか。鍛え甲斐がありそうじゃの。どれもう一発お見舞いしたろ」

「くっ、厭じゃ」

「ひぃ、それはやめとけ」



 ごん、ごん。ぬおぉおおおおおおおおおおおおお――!



 キッズたちは新たに付けられた指導教官に人生初の敗北を思い知らされ今に至る。

 市松と夜叉丸は鼻高だった天狗の鼻を高虎に圧し折られ、完膚なきまで叩きのめされ、ともするとらしくないホームシック(笑)に陥るほど徹底的にしごかれていた。


「く、首が取れたぞ! 儂の首を探してくれ夜叉丸」

「んがあぁあああああ、前が見えんから無理じゃ市松、こいつ狂っとんか!」

「ほら、ぼさっとしとらんと走らんかいっ。首などいらん。目などほかせ。足軽は足があれば事足りる。足で稼いでナンボじゃぞ。がはははは」


 おのれ、くそっ。正気か。狂っとる。


 反発しながらもだが猛然と駆けだしたキッズ二人。負けん気だけは天下一品。きっと前途は揚々であろう。知らんけど。


 このように久々のイツメン揃い踏み。天彦の感情にも感慨以上の熱いものが込み上げてくる。

 すべてを失ったとて所詮振り出しにもどるだけ。かつて堂々と嘯いていたそんな時期も天彦にはありました。だが強がったところで所詮は永遠の厨二男子、虚勢に決まっているのである。


 ましてや天彦は今や歴とした一家の家長である。それも一門総勢三千からに慕われる偉大な(笑)当主。いずれにせよ義理まっまの暴威に怯えていただけのかつての弱弱ショタ彦ではない。

 大切な物や人が抱えきれないほどできてしまった強強彦、は盛ったが、たまに強彦くらいにはメタモルフォーゼしているのだ。


 ひとたび大切な物を抱え込んでしまった者にとって失うことは何よりの恐怖である。

 一本道に遠回りも近道もないのと同じように、手放すや失うという選択肢はなくなる。強迫観念的に。あるいは悲観が勝ちすぎて選択欄から消滅するのだ。それが一般的な感情であり俗人の志向性である。


 俗人中のパンピー彦一行は、お目当ての土地に着いた。


「到着なん」

「ここが」

「……何ともはや」


 且元の言葉に与六がどこかあきれた風に同意の言葉をそっと被せた。

 それはそう。彼らの目の前には傷みに傷んだ村があったのだ。

 控えめに言って新たな門出を祝うには相応しいとは思えない、何んとも侘びしい光景が広がっていたのである。


 寒村ではない。廃れているとも違う。なのにそことなく寒々しく感じるのは何だろうか。そんな感じの村であった。


 だがイツメンたちは言い出しっぺに疑惑の目を向けない。天彦が思惑なくこの土地を欲するなど考えられないから。考えにくいのではない。考えられないのだ。

 その程度には信頼関係は構築されていて、実際に天彦の行動には必ず何か別の意図が紐つけられてきたのである。


 今回は。


「伏見横大路天王前村なん。あっちの村が天王後村や」


 天王前村に天王後村――!


 この言葉でイツメンのほとんどが事情を察した。そういうこと。

 ここは菊亭の主筋である西園寺家の旧家領。今や凶賊が巣食うだろうまでに落ちぶれているが歴とした清華家筆頭の御料地であったのだ。

 天彦のお城建設予定地に選んだのはこの天王後・天王前村を跨ぐ土地であった。


「故地同然の彼の地。廃れさせたままでは菊亭の名が廃るん」


 はっ――! 応――!


 そういうこと。


 そして誰ひとりして何故を問わない。そこには理想の主従関係の絵があった。

 しかし阿吽の関係は長らくつづく家系には相応しいコミュニケーションツールではない。少なくとも天彦の代でしか通用しない凡骨ツール。

 だが天彦も家来たちも今はそれ以上を望んでいない。求めてみない。若さとはそうした外連味のなさが絶対の魅力であった。


「ルカ」

「お殿様のお見立て通り、凶賊の根城になってるだりん。おそらくは破戒僧が徒党を組んでいると思われるだりん」

「破戒僧、破戒僧ね」

「あらその申されぶりでは精査が必要かしら」

「要らんやろ。精鋭射干を信じてるん」

「光栄だりん」


 とのことらしい。


「それで」

「お耳貸し」


 ごにょごにょごにょ。


 破戒僧のテイであると天彦は踏んでいる。と、ぼそっとルカに耳打ちして明かした。


 たしかに伏見横大路は絶好のロケーションである。誰の。むろん寄生する凶賊にとっての。破戒僧の徒党ごときが維持できるお宝の山ではない。

 一度や二度襲うことは可能でも、維持ともなると事情は別。きちんと形態たてられた組織が必ず必要となる。破戒僧ごときにそれが可能だと天彦は考えない。


 いずれにしても横大路は三十三の村々からなり、経済的には申し分なく潤っている。その一つに熙長の先駆け村ビレバンもある。強請る相手に事欠かないことは凶賊や豪族崩れ傭兵共の寄生条件の第一であろう。


 また一般的な領地としても優れていて、向ヒ・六反畑・一本気・柿ノ本・上ノ浜・北口・貴船・草津・畔ノ内・鍬ノ本・芝生・木ノ坪・菅本・朱雀・千両松・竜が池・中ノ庄・長畑・橋本・畑中・八反田・東裏・前川・松林・下鳥羽・下三栖・向島・鴨川・志水・古川・富森。

 そして天王前村に天王後村は、南部に流れる広大な宇治川に恩恵を授かり、肥沃な土地と交通の利便性の高さからどこも挙って栄えていた。


 この天王前村に天王後村だけを置き去りにして。


 それは西園寺家を主君と仰ぐ菊亭天彦にとっては由々しきこと。なぜならこれらすべては足利将軍家の策略だから。業腹なれど効き目はあった。

 なぜなら凶賊は将軍家のお墨付きを頂戴して好き放題荒らしている。それを証拠に治安を預かる水色桔梗紋軍が一向に出張ってこないではないか。

 あの几帳面で神経質な男が自分の庭を荒らされて黙って見過ごすはずがない。つまり裏を返せばそれは上位者の意向が効いていることの証である。


 結論、やはりよほど腹に据えかねているのか。将軍家は西園寺が目障りなようである。延いては天彦の菊亭も。とは天彦は認めない。認めるとこの惨状が自分のせいだと認めたも同然となり、死にた味に苛まれ震えることになってしまうから。自分は可愛い。


 さてこの策略だが。

 例えば凶賊を野放しにすることによって西園寺家や西園寺閥の不甲斐なさを誇張しているとも受け取れる。というよりそれ以外の解釈の余地はないだろう。

 実に陰険極まりない手口である。但しその分実効性は高いけれど。つまり効く。むちゃんこ効く。実際効いている。バチクソもろ効きである。西園寺の悪風を訊かない日がないほどに。

 何しろ室町は噂の時代。京雀の囁く噂がある種時代さえ形成しているといって過言ではない風土である。


 故にこうして西園寺の家領や故地を廃れさせて、悪風で以って家名と名誉を汚し貶め、徹底的に叩き潰そうとしていることは誰の目にも明らかであった。



 閑話休題、

 街道から天王後村・天王前村を望む菊亭総勢八十有余名は、先頭に立つ主君の下知をじっと黙して待ち望む。


 一陣の北風が舞い込んだ。


「実益の名を汚すなど言語に絶する。身共のこの膝はたとえ神にでもけして屈さず!」


 偵察に出向いた菊亭総勢八十有余名が静まり返る中、秒で翻る土下座フラグを打ち立てた一級フラグ建築士は愛用の扇を抜き放ち、


「敵は天王後村にあらしゃいますぅ。御家来さん方々、鬼畜にも劣る蛮族さんらに三つ紅葉の流儀、叩き込んでおやり遊ばせさん」



 応さ――!


 

 颯爽としたキメ顔で言い放った。実に決まらない間の抜けた公家口調で。

 天彦とてダサさは百も承知である。だが意思表示として絶対に間違えない工夫が必要であった。新顔も少なくないので。


 猛然と駆けていく軍勢の後姿を眺めながら、


「ヤバいん。カッコよすぎるん」


 誰とは言わない。だがどうしたって贔屓の武将を目が追ってしまうのだ。

 こればかりは役得のご愛敬と見逃してくれなくてはやってられない。そんな天彦は贔屓を堂々と臆面なく公言する系男子であり、コンプラBotは黙れ系男子でもある(すっ呆け)。


 そんな依怙贔屓彦は自身の知るかつての武威を数段上回る覇気を放って、矢のように突貫していく勇ましい軍勢をやや上気した顔で見送るのであった。

















最後までお読みくださいましてありがとうございます。


如何でしたか。思ったことをぶつけてくださってけっこうですよ? ね?

昨日の回答の的中率何%くらいやったんやろぉ。恥を忍んでツイッターの方にあげておりますので、ご興味ある方はどうぞ覗いていってくださいませ。それではまたねバイー(* > <)⁾⁾ペコリ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良かった!天彦さん身分という盾が無くなったら、あっという間にお家来さんごと食べられるのを逃げ切る様な、危険な日々を送る事になるのかと心配になりましたが、今代帝ではなく、次代様から助けの手が…
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