#08 他はアルティメットどうでもいいのん
永禄十二年(1569)十一月三十日
感情を抑制する力を理性とするなら、今の天彦に理性という名の装置はない。あったとしても完全に欠けている。
何しろ数万の軍勢で取り囲み自分を殺しに掛かっている相手の、本拠地に自ら赴こうとしたのだから。
そう判断されても文句は言えない。仮に文句を言ったなら、己惚れているか正気を失っているかのいずれかである。無視していい。
だから、
「ご自愛くだされ」
「身共は自分がむちゃんこ好きよ?」
「行かせませぬ」
「なんで!?」
「理由が必要でありましょうや」
「要るやろ。至極当たり前に」
「……お考えくださおませ。そのご利口なお頭で」
「それは悪口のときの口上やぞ!」
大将自ら敵地に乗り込んでの交渉など許可が降りるはずもなく。
まんまと取っ捕まり軟禁される始末に終わっているのだが……。
参る天彦と天彦の意に沿いたい諸太夫と、そして断固として参らせるわけにはいかない青侍衆の、この睨み合い小康状態は彼是一週間近く続いている。
なんと緊迫した睨み合いなのか(棒)。
ここは菊亭。天彦の城。その軟禁状態が他とは実に独特。らしいと言えばらしいのか。
例えばこの時代、下位者の反乱あるいは謀反、またはそれに類する上位への反逆行為は御所巻や強訴を筆頭に割とよく見られる光景である。
そして通常その手の行為には武力が伴い上位者はその武力に屈して受け入れざるを得ない状況に追い込まれるとしたものである。
ところが、
「我が身命を賭してお諫め致す所存」
「某も同じく!」
「同じく」
「何卒、聞き分けていただきたく!」
「頂きたく!」
二十数名の青侍衆が小刀を抜き放ち切っ先を突き付けているのは、まさかの自らの身体に向けて。個々人、必中で逝ける首筋やわき腹に自身の握る鈍く怪しい銀閃の切っ先を突き付け天彦に翻意を訴えていた。
が、ある意味における有効性は証明されたも同然で、実際に天彦は青侍衆の思惑通りにその場から動けずにいる。
「天守の間は冷えるなぁ。身共、温かい生姜湯が飲みたいん」
「はっ。即刻お持ちいたします。おい――」
実に居心地よさそうに。
と、そこに、
「……どういうこっちゃ。貴様ら、いったい何をしとるかわかっとるんか」
「茶々丸――っ! 助けてぇー」
天彦の用事を済ませたのだろう茶々丸の一週間ぶりの帰還に本丸天守の間が騒然とする。
茶々丸は当主と違って甘くない。むしろ辛い。
だからこそ事と次第によっては総切腹の申し付けまで考えられる局面に際し、青侍衆の覚悟の色が一段と色濃くなっていくのが手に取るように伝わった。
帰るなりこれ。
さすがの茶々丸も思わずクソデカため息を吐いてしまって尤もであった。
「はぁ、こら菊亭。当主たるもの甘ったれた声を出すな」
「でもぉ」
「でもやあるかい。お前がその調子やからこの盆暗どもがつけ上がるんやぞ」
「む」
「なんじゃい」
「身共は悪ないん」
「お前が悪いに決まっとる」
「なんでっ!?」
「何でやあるかい。貴種が三下下郎に足元見られて強請られて、どの筋から見立てても悪い以外に道理なんぞあるわけないやろ」
「えぇ」
「えぇやない」
「む」
「むでもない」
「……」
天彦は声には出さずけれど更に濃い“む”の顔で不快感を表明した。
見つめ合うこと十数秒、
「拗ねるな。ガキか」
「ガキじゃい!」
「居直るな。ガキか」
「ガキじゃい!」
「あかん。完全に凡骨化しとる」
「ポンコツじゃい!」
あちこちから失笑が漏れ聞こえる。
だが茶々丸のギロリで一瞬にして掻き消されて場に緊迫感と臨場感が戻ってくる。
「わかった。もうええ。何をしたかは知らんが、このど阿呆どもにとっては強訴に出ざるを得ん大事出来やったんやろう。そやな城代」
「はっ然り! 政所扶殿に申し上げる。此度の件、我が命に代えましても殿様には御留意いただきたく存じ奉りまするっ!」
と、まだ殿の傷が癒えていないのだろう氏郷が、腹に巻いた包帯から血を滲ませながら断固とした口調で訴える。
しかし氏郷は曲者。それは菊亭家中でも割と知られた人物像である。なので絶対視はされない、できない。だが、
「某も御城代に同意いたす。殿には是非とも御翻意願い奉り存じ上げ候。我ら一同の請願、万一叶わぬとあらばこの命、いつでも差し出す所存にござる」
「この阿呆の説得に、要るか、そんな大そうなもん」
「ならばお任せいたしてよろしいか」
「おう。頼まれといたろ」
「恩に着る」
且元の言葉にはさすがの茶々丸も一目置かざるを得なかった。
単純な為人の信頼度の高さと彼の影響力の高さとで、今この状況下における最重要VIP。けっして下には置けない人物である。
今、且元に死なれたら菊亭は終わる。この横大路城に馳せ参じた八割方の戦力は片岡助佐且元を慕ってやってきている兵である。
ましてや彼らは生粋の侍であり武士である。名誉と面目への配慮はマストであり、そんな彼らが命を賭してまで訴えたい感情はけっして疎かにできるものではなかった。
そんな人物を追い込むとはどういう了見なのか。
茶々丸はこめかみをピキらせつつも渋面をうかべて局面打開の策を練る。
「お帰りさん。どないやった」
「呑気か」
「身共に向いているならいざ知らず、刃はひとつもむけられてないし」
「こちらのことなんぞどうでもええ。外や外」
「ああ、……身共にどないもできひんこと、くよくよしたって仕方ないさん」
「ふん、それはそうやの」
惟任は何が何でもこの拠点を菊亭、延いては織田陣営に明け渡したくないようで、日に日に武威を高めていた。
実際にはすでに総勢五万は下らない大軍勢でこの横大路城を取り囲み、十八番である兵糧攻めの算段を取り付けているのである。
補給線こそが横大路城の最大のネックである。それさえクリアしてしまえば城自体はかなり堅固にできていて、一年でも二年でも楽に引き籠っていられそうではあった。
「で、こいつらの沙汰はどないするんじゃ。言うてこれは逆心ぞ」
「はは、大袈裟な。身内同士、ときには見解が相違することもあるやろ」
「あったらアカンのや。お前、どこまで本気でゆーとんねん」
「……」
100本気で言っていた。よって回答は保留する。も、秒でバレる。
「痛ぁ――っ、何すんのん!」
「もう一発食らいたいか」
「いやや。厭に決まってるん!」
「お前という男は。そもそも何をやった。何をしでかそうとしてこいつらの覚悟を促した」
「黙秘するん」
「待て。……さてはお前」
「ぎく」
しばく。
茶々丸のどすの利いた低い声が天主の間に響く。
それはそう。何しろ雲行きが俄然怪しくなってきたのだから。
天彦としては秒で逃げろっ。即刻退散したい気分だがそうもいかない。何せこの場をちょっとでも離れると確実に二名は腹を切りそうなので。……だっる。
そんな謀反ある!?
あるのだが。目の前に。訊いてくれないと切腹しますよお強請りの巻。
字面はおもしろいが実際に直面するとかなり引く。
大抵のことは織り込み済みの天彦とて、さすがにこの謀反は想定外であった。天彦の立てるどのシナリオ(悲観シナリオ・楽観シナリオ・現実シナリオ)にも無い展開だったので。
さすがのアドリブ彦も対応に手を焼かされ応接に苦慮して今に至る。
「で、お茶々。どないさん」
「通った」
「すごっ」
「あたぼーじゃ。儂を誰や思うとる」
「茶々丸、天才、素敵、大好きっ!」
「お、おう」
以心伝心なのだろう。天彦と茶々丸はまったく本質には触れず、まるで何事もなかったかのように振舞った。
光り物を仕舞えとも解散しろとの言葉さえなく一切不問にされた青侍衆の方が逆に面食らうほど、二人は次々と仕込んだ策を開示していく。
すると話題は皆の一番の関心事に話が向いた。
「なるほど宇治川なん」
「そや」
「さすがお茶々や!」
「お茶々やめい。……だがまあ凄いの、儂。かなり頑張ったからの」
「ふふ、おもろ。自分で褒めてる」
「しばく」
「ギブ」
秒で白旗を上げている割に天彦は笑み崩れている。その顔がたとえキモまんじであろうと感情としてはグッドであった。
「なんじゃ噛み応えのない。だが三倍やぞ。供給があるかぎり延々と」
「なってこったい」
「もう少し感情込めい」
「ヤダね」
「おい」
銭ならない。だから感情など込めようがない。自信を持って言い切れた。
数字は怖い。あたかも客観的事実かのように装って忍び寄ってくるから。
実際は野蛮極まりない毒牙を剥いて襲い掛かってくるくせに、まるで親切な隣人のフリをして懐に入ってくるのだ。知らんけど。
「何を震えとる」
「銭お化けが怖いん。追いかけても追いかけてもちゃりんちゃりんゆーて逃げていくん。あれかなコミュニケーションの種類が違うんかな」
「ちゃんとせえ」
「あ、はい」
だが茶々丸の柔和な声に代表されるように家内の雰囲気は一変していた。ともすると天彦のつぶやいた菊亭最大にして本質的大問題を覆い隠すように。
何しろ籠城戦最大のネックである補給線が確保されたのだから。他はどうでもいい感情にも一定の理解はできる。
いずれにせよ、この報告を喜ばない者は菊亭陣営には誰ひとりとしていないだろう。それほどの吉報であった。
「さすが政所扶殿、感服いたした」
「家令代理は物凄いお方じゃぞ」
「聞きしに勝る政治力じゃな」
「あの禿つるてん、やりおるぞ夜叉丸」
「おう市松。じゃが聞こえると拙いぞ」
「聞こえるものか。聞こえても儂の拳で返り討ちにしてくれる」
「二対一なら勝負になるか」
「なるの」
「よし、ならば共闘といこうではないか」
賞賛の声が鳴りやまない。中には武勇伝のネタにしようと目論む不埒なキッズもいるが、天彦と茶々丸は淡々と会話を進める。嘘である。淡々とは盛った。
「まあまあ茶々丸。子供の申すことなん」
「あんのくそガキども、コロス」
「コロスはあかんよ?」
「ほなどつき回す」
それにいったい何が違うのだろう。天彦は数舜頭を捻り、
「氏ぬ!」
「ほなどうせいちゅうねん。あのガキども評判悪いぞ」
「デコピン?」
「甘い」
「しっぺ」
「ボコる一択や」
「アカンよ」
教育指導の正解は諸説ある。だが少なくとも拳骨がいいなんて正解は耳にしたことがない天彦は断固として反対する。
「邪魔くさい」
「訊いて? どうしてもやったら家内式目に記載するん」
「……たかだかガキの指導、そこまでのことか」
「そこまでのことなん」
「ふん。好きにせえ」
「するん」
終始目を眇める茶々丸の説得に要したときは短くなかった。
あーしんど。
天彦が懸命に宥めすかし軌道修正、話題は本題である天彦のお強請り要件へと移っていく。
「なるほどの」
「どないさん」
「悪うはない。悪うはないが博打要素がちと勝つな」
「アカンかぁ」
気づけば急造評定衆として二人会議に参加して熱心に耳を傾けていた。
一件落着。
そもそも天彦が悪いので不問は当たり前だとして、けれど天彦が今後もこれを教訓にすることはないのだろう。「文学的だね」「文学? 敵だね」くらい捻くれた解釈をしてでも自我を押し通そうとする自己中彦では。
閑話休題、
天彦の茶々丸への用事とは近隣への工作である。茶々丸がわざわざ出張ったのだ。そんなもの領民扇動一択に決まっていた。
「吉祥院村千四百名、矢代村一千五百三十名、大外村七百六十名、深草村一千七百名、富森村一千五百名、横大路村二千五百三十名――」
天彦は地図を広げ、扇子で茶々丸が読み上げる工作済みの寺領を念頭に置いていく。
「一万五千。……真宗ヤバない? ここいら大谷派の本拠やろ」
「お前のせいやろ」
「あ、うん」
「萎むな。儂も望むところや」
「うん」
想定を大きく下回る動員数に思わず出た愚痴。あきらかに浄土真宗の勢いは衰えを感じさせた。だが茶々丸はどこか嬉しそうに微笑んでいる。
むろん天彦とて悪い顔をするはずもない。そのために心を鬼にして心で、いやリアルでオニ泣きしながら茶々丸を裏切ったのだから。
その茶々丸だが、どうやら真宗の拡大が必ずしも幸福に繋がるわけではないと勘づいているようであった。天彦が事情を明かしたわけではけっしてなく。
ならば茶々丸は持ち前の推理力と勘の良さを発揮して正解にたどり着いているのだろう。お見事という外なく、それでこそ稀代のカリスマ性に通じるのだろうと天彦は人知れず感心する。
「答え合わせはしてもらうぞ」
「いつかね」
「いつや」
「さあ」
「逃げるなよ」
「菊亭の当主たる身共が? ははは、おもろ」
「ちっ」
茶々丸は引いた。自ら立てた仮説にいずれ答え合わせがあると信じて。
「で、足らずはどこで補うんや」
「ルカ次第かな」
「射干の代理か」
「え」
「何や」
「米やで?」
「そやろ」
「え」
「は?」
天彦はルカこと米がそこまで偉い人物とは思いもよらなかったのである。
射干の当主代理はそうとう偉い。菊亭序列なら堂々の第三位に相当する。
が、普通に考えれば当然なのに。天彦は本気で驚いていた。
ちょっと頭を使えばわかること。いくら“だりん”バイアスがきついからといって間違えないはずである。
というのも直参の射干党と雖も、幹部でない者を菊亭の当主である天彦の傍に付ける筈もないのである。というよりそんなこと茶々丸が絶対に許さない。そういうこと。
茶々丸はこう見えて序列や仕様、あるいは公家としての家格を重んじる様式には滅法五月蠅いタイプの家令代理であった。
閑話休題、
「……!」
皆の視線が集まる中、天彦は一か所を愛用の扇子の先端で指示した。
「信貴山城!」
「松永弾正かっ」
「納得ではあるの」
「然り」
だがさほどの驚きの声は上がらない。
当然である。畿内、とくに京における足利将軍家の意向は絶大であり、その影響力も広く浸透して行き渡っていた。
いくら織田と昵懇である菊亭の要請とはいえおいそれとは賛同してくれなくて尤もであった。故に味方は限られている。
ましてや今回は将軍家に弓引くことになる公算が高い。態度を表明していない勢が二の足を踏んでも不思議はなかった。
そして松永弾正の応援取り付けは心強かった。領地持ち大名を糾弾するのは事実上の不可能である。それを可能とするのは武力を措いて他にはなく、仮に実行できても相応に痛む。今の幕府にそれができるとは考えにくい。
経済、即ち好景気は幕府重鎮たちを腑抜けにしていた。腑抜けがいいすぎならこの恩恵に授かった武闘派たちを諸共慎重派に変えていた。
即ち経済とは善きにつけ悪しきにつけ秩序と平和の平行線上にしか存在しえない概念である。とか。
一部その例外もあって。それ即ち死の商人、武器商である。
「申し上げます」
「ん」
「堺より納屋殿、参られたご様子にて」
「参ったん。招いたってんか」
「はっ」
納屋こと大蔵卿法印。即ち今井宗久が天彦の呼びかけに応じて参上した。
言わずと知れたこの時代における最大の武器商人である。そして織田家御用達でもある。
「銭は頼むん」
「お前というやつは」
天彦のつぶやきを拾ったのは茶々丸ただ一人。後は誰ひとりとして目さえ合わせようとはしなかった。とか。
すると、
「な、なんや、何があった!?」
「は!? 菊亭、ここは一旦階下へと下がれ」
「待って」
天守の間が激しく揺れた。続いて轟音が鳴り響き、その揺れが二度三度と続いていく。
すると城下の騒然とした声が天守にまで届いてくる。
大砲が炸裂した。それも凄まじい破壊力の最新型の。
都合十数発の炸裂音がようやく収まり、青侍たちに守られながら天彦は外の様子を伺いにいく。……と、
「嗚呼、織田木瓜。……三介さん、ようこそお越しやす」
辛うじて冗句が言えただけでも及第点ではないだろうか。天彦は感極まって大粒の塩水を零していた。ならばきっと……。
「お雪ちゃんも居てくれてる?」
そう想像しただけで無理。
天彦の視界の解像度はほとんど0.01ディオプターにまで落ち込んでいた。
口ではなんやかんやと強がってはいてもきっと食らっていたのだろう。
たしかに数万の大軍が自分一人の首だけを欲して悪意を剥き出しにしている状況など滅多と経験できるものではない。ちょっと想像するだけで中々に効くだろうことは容易に感じ取れてしまう。
しかもメンタル雑魚星人系男子の天彦である。
「う゛うぅぅ」
ひとたび緩めば早々すぐには帰ってこれない。
しかも吉報が一度では済まなかったとすればどうなるだろうか。
「申し上げます。西の方角より軍勢多数! 旗印は赤字に三ツ山、旗印は赤字に三ツ山! そして軍勢の先頭を進撃なされるのは……愛! 愛の兜の侍大将との由にございまする!」
ま……!!!
じんおわ。
嬉しすぎて一周回って逆に氏んだ。
こうなったらもうお仕舞い。
「おしっこ漏れたったん。うわーん、うえーん、ぴえーん」
天彦は人目を憚ることなく男泣きならぬショタ泣きに泣き崩れて、東西からの飛び切り取って置き頼もしい援軍の到来を心待ちに臨むのであった。
【文中補足】
1、御所巻
大名が室町幕府の御所を取り囲んで強権的に異議を申し立てること。
2、強訴
寺社の宗徒や神人が武器を取り朝廷や要路に対し要求を突き付け裁許を強要すること。