#03 お昼を呼ばれただけで不謹慎極まりないと叱られます
永禄十二年(1569)十一月十一日
山科関村への本格逗留を決定した天彦は手頃な民家を借り上げた。
その間の傍付き御用係はルカ、磯良、そして謎に小春の三名である。そこに張り付き護衛の青侍衆が常駐で二名と祐筆の佐吉、そしてお取次役の是知が侍る布陣で乗り切ることが確定した。むろんすべて自薦ばかり。
猶、未来の大将候補生であるキッズ二人もなんやかんやと傍をうろついているが、役に立つのか現状では不明なので用人の手元をさせて様子見している。
佐吉が神妙な面持ちで脇に控え、一言一句聞き漏らすまいと目を鷹のように凝らし集中する中。
天彦は悪風対策を練りつつ茶々丸と算砂が書き上げた報告書に目を通し、続々と送り届けられる書簡に目を通している。
「お兄様、お食事をお持ちいたしましてございます」
「ん」
「あの、お兄様でよろしいので」
「ん」
「ではそのように。で、本当にこちらをお召し上がりになられますので」
「ん」
天彦は目下完璧なマルチタスク中である。意識が分散されていて、膳を運んできた人物にさえ気づいていない。膳に乗せられた質素な食事、必殺TKGをやっつけで掻き込んで続々と舞い込んでくる射干様式のDMにも目を通していく。
射干の秘密文書には独自の符丁で認められている。だが天彦には知らない符丁なので送り主がわからない。それに少しの淋しさを感じる程度には余力はあるがそれも数秒のこと。別の意味で眉を顰め、
「米、この者はどんなん?」
「ルカだりん」
「ん」
まったく、いっつもこれ。ルカは小さく愚痴をこぼす。
いっつもとは文字通りいっつもであり、これとは天彦の心ここにあらずの状態を指す。そしてまったくという枕詞の下の句には“無防備なんだから”が付くと思われる。それほどに今の天彦は油断も隙もありまくりだから。
しかし今や慣れっことなったルカはどれ、と即座に応接。天彦から差し出された書簡に目を通す。むろん意図を察して書かれている様式を解読する目的で。
射干の書簡には郎党個別に何らかの符丁的記号が割り振られているため差し出し人の氏名が記載されていない。今回の場合は、
「どれ、……天音か。うん、常は事務方郎党で、人手不足の割を食って現場に駆り出されたツキのない組、なのでしょうね。知らんけど。美人さんでしょっちゅう本家の青侍衆からちょっかいを掛けられているだりん。何事も卒なくこなす器用な人かな」
「もっと」
「えー、仕返しが陰湿?」
「もちょっと」
「出世欲えぐい? うちのこと嫌ってる? うちも嫌い? でも有能で、家内では残留現場組筆頭のウチと双璧って言われているみたいだりん。ま、圧勝ですけど」
「ん。なるほど。米、お代わりおくれ」
「はい。もう、お殿様ったら。どうやったらこんなとこにご飯粒引っ付けるの。よく噛むだりんよ。ぱく」
「ん」
性格を訊いたところで人物の特定など出来っこなく、結局送り主の素性など想像の範疇を超えない。だがそれでも必要だと感じた。
天彦は報告書を書き手の顔を思い浮かべて読み解く(人物の為人や性格を参照して)タイプである。
それに意味があるのかないのかはわからない。だが不思議と行間がイメージできて理解度が深くなるのと、人は多かれ少なかれ微妙な嘘をつくから。
嘘といってしまうとアレだが、天彦は人というものは事実の捉え方に癖という名の性格が出てしまうと考える派であった。
「あれ、本当に食べちゃうんだ」
「だりん」
「呪われずとも罰があたったりしないんだ」
「しないだりん。うちのお殿様見たら罰の方が裸足で逃げ出すだりん」
「ほえー、噂を超えてくるってあるんだ」
「ねー」
期間限定ながらもここ山科関に腰を降ろすことを決めた菊亭一行の世話係を申し出た小春が、お代わりを所望しTKGを掻き込んだ天彦を見て心底呆れた風につぶやく。
猶、時代背景的に原則鶏卵は禁忌とされている。むろんその禁忌を持ち込んだ仏教に真正面から背を向けている天彦だからこそ可能な技である。
更に追記するなら生食は安全面でもそうとうかなり危ういので、お勧めは相当できないことはお察しである。
閑話休題、
小春は気が合ったらしいルカこと米に引き込まれてここにいる。つまりもう捕まったも同然である。そしてお仕舞いです。何しろ射干党、欠員が出過ぎて人員補填を当面の最大課題としているので。絶対に逃げられません。そういうこと。
何しろルカはあのイルダの一番弟子。あるいはリクルートのためなら気が合うフリくらいは平気でしそう。いや確実にするだろう。射干の利益追求のために。
さてすると呆れられた天彦だが。
むろんそれに対するリアクションはゼロ。ゼロなのだが、ところが……、
「くふ、くふふふ、ひゃっはっはっは、身共、やったったん。やったったん!」
「ひっ」
「小春、こんなのに引いてちゃ御傍付きなんてムリだりん」
「え、これ以上があるの」
「あるけど、普通に」
「そ、そうなんだ」
よほどの吉報がその熟読している書簡には記載されていたのだろう。
おいそこ、聞こえてんゾ――!
の、感情のはずの天彦なのに、一切そちらに気を逸らさずに黙々と書簡に目を通す。
その姿はたしかにちょっとできる風で、一見すると構いたくもなるのかも。
ならばやたらと熱心に構いたがる女性陣のきゅんポイントも……、やはりちょっとよくわからないです。あ、はい。
すると、目新しさもあって天彦を構いたいマンの筆頭選手に躍り出た新顔が天彦にダル絡みを始めてしまう。
「なにさん」
「あ、つい……」
「ついで大恩人である身共の頬をつつくんか」
「あ、みたいですね。こらこのお指! てへ、この通り叱っておきました」
「ほならなんでつついとんねん」
「はて、なんででしょ。ぷにゅぷにゅ」
「身共、太政官参議なんやが」
「だって」
「だって何や」
「だってぷにぷにが」
「ほう」
天彦は実力行使に打って出た。扇子を取り出しまるでへばりついた蛾でも振り払うように小春の人差し指を――テイっ。
「痛っ、酷いです!」
「大事なことやから二遍ゆう。身共は太政官参議。遡ればどこかの段階で皇家に通じる尊い尊いお血筋さんにあらしゃりますしぃ。庶人風情が気安く触れてええ存在とお違いさんにおじゃりますんやでぇー」
「それはまだ信じてないかも」
「おい」
「我が目で推し量れと仰せでした」
「む。……確かにゆーったったん」
「やた。癒し成分入りました! これでお仕事頑張れまっす」
「……お前さん、実は射干やろ」
「いいえ。まったくの初見ですわ」
小春氏は別ベクトルで菊亭一門衆に馴染みそうな人材ではあった。とか。
「あの、佐吉?」
「確と書き留めてございます」
あ、うん。
◇◆◇
永禄十二年(1569)十一月十二日
「知ってたけど。知ってたけども!」
明けて翌日の正午過ぎ、天彦の大声が借り受けた家屋に鳴り響く。
ナンボなんでもネガ、キャン……、エグない?
そこまで敵視する必要あるん。
だがどうやらあるようだ。さすがは生粋のナチュラルボーン嫌われ者。ちょっとガソリンを撒かれただけでまあ燃えること燃えること。
噂を収集させてみるとビックリ仰天。関を設置しての集金目的は猟官活動費らしいのだ。
責任が発生するから要らんとあれほど固辞したのに、持っていて邪魔になるもんと違うから貰うときと言って無理くり押し付けられた官職の。
「ふふ……アホやろ。わかりました若殿さん、これはもうアホですわ!」
あまりにも業腹だったからか、天彦は謎に雪之丞口調で噂の元締めを悪し様に揶揄った。纏め上げた報告書を持ってきた茶々丸の目の前で。
だが天彦の奇行や妄言にはかなりの耐性がついている茶々丸なら、この程度ではツッコミすら入れてはくれない。無視。ガン無視である。
そんなお雪ちゃん恋しい彦は、非常に馬鹿馬鹿しいのだが雪之丞に扮するとすべてがどうでもよく思えてくるから不思議である。
「気ぃ済んだんか」
「はは、まさか」
「さよか」
そんな一旦冷静さを取り戻したテイの天彦は、けれどこんな噂話、いったい誰が信じんねん。そこにどうしても引っ掛かりを覚えてしまうのだ。
だが、だって、はい。訊けばこの関を通行して通行料を支払ったみーんなさん信じておられます。とのことなのだから。控えめに言ってじんおわである。
こうして突き付けられた事実を前に天彦はガックシ肩を落とす。しかも噂にはご丁寧にもきちんとしたストーリーが仕立てられ、ふんだんに嫌がらせが盛り込まれてあった。地味にちくちくと効くやつが。
「ええセンスしとるん。これを練ったお人さんとは、ええ悪巧みの絵が描けそうなん」
「こら、感心しとる場合か。これは相当手強いぞ」
「知ってるし」
「ほなこれも知っとけ。ゆうておくが敗北は許さんからな。逝った仲間に申し訳がたつ勝利しか儂は絶対に許さんぞ」
「あ、うん」
茶々丸がちょっと、いやかなりピキっていた。
だが茶々丸の主張も尤もである。天彦だってベクトルは同じ。天彦は死者に理由付けする生が嫌いなだけで温度差にだって差は然程ないと思っている。
だが他方では敵もさすが。何なら身内に欲しいくらいの秀逸なセンスを感じる技前で、敵ながら思わず唸って感心されるほど流言の計は絶品だった。
が、それと不問は別物で。むしろ褒美はやっても絶対コロスマン彦のオコ指数はボルテージマックスを余裕で突き抜けているのである。
ほらね。アプローチやルートの違いだけで結果、必勝がマストなことは同質である。
というのも何やら件のワル彦くん、実家の家格を超えるのが宿願らしい。憎き義理まっまを懲らしめるんやと。そして腹違いの弟から本家今出川を取り戻すそうな。武田の血が濃い弟君をかつて盟友だった勝頼と同じく血祭にあげた上で。
ふーん、癒えたばかりの傷口、抉ってくるやん。
「一応、そこには配慮して緩やかに報告させてある。書き手に気を悪くするなよ菊亭」
「ぜんぜんダイジョブ」
「ほんまか」
「ほんま」
だいじょばないが。男の子なのでそこは踏ん張る。
だがこの瞬間、天彦の中の甘彦は確実に氏んでいった。音を立てずに密かにひっそり。
「まあ大丈夫そうやな。ほな儂はもう一周足で稼いでくる。算砂置いといたろ」
「要らんけど」
「使うたれ」
「……ひょっとして」
「撤退戦では頑張りよった」
「そ。ほな様子見で。おおきにさん、気を付けて」
「おう。お前も無理すなよ」
「うん」
頼もしい背中をそっと見送り視線をキリっと。
こっそりと背後から茶々丸の上げてくれた報告書を盗み見ている人物に語り掛ける。
「なあルカ。身共、それら噂の元ネタ全部要らんのん」
「不思議なことにそれが真実だから驚きだりん」
「不思議? なに不思議さん」
「お殿様、普通は地位も名誉も名声も銭もいるだりん。ましてやお殿様はお公家様。他所のお公家様はどなた様も家格を上げようと躍起だりん」
「まあ一般論ではそうなるか。そやけどほな訊くがあの実家に何があるん。主家は追放されて派閥は壊滅状態で、おっとろしいイジワルまっまと陰湿陰険な策士ぱっぱと、返す当てのない借用書の山があるだけのオンボロあばら家やぞ」
「土地は」
「はは、そんなもん百年前から実益名義や」
「……では、有為の人材が」
「そこはまあ否定はせん。かわいいやろう弟くんと自分と同等に大事な夕星が居てるからな。代々からの付き合いのある是知のような御家来衆も居てはるし。でもお人さんなら今日にでも引き取れる」
「はい。承知しております」
ルカは何も異を唱えているわけではない。ただ怒れる恐暴狐のご機嫌を取って伺って無為な会話に付き合っているだけで。そんなもの側近なら誰だって噂が虚偽100だと知っている。そして噂の出所も。
そう。調べたところ火元はどうやら大神藤林家の家人であるようであった。
つまり延いては当主右衛門尉綱元の意向となる。更に紐解けば大本にもたどり着けるやも。今は面倒なのでそれは自重するが噂の流れはそんな感じ。
要するに意図まではわからないが大神藤林家は何らかの理由で天彦を下げる目的があることは明確であった。
天彦は小考する。自分に落ち度はなかったかと。
むろん小考だけに結論は早い。その間、コンマゼロゼロ5秒。
「ないん」
そして自らが出した自分軸の結論にはまるで興味を示さず、視点の定まらないどこか座ってしまっている黒の双眸を虚空に向けて小さくつぶやく。
近衛さん。あ、そう。――と。
それは何の変哲もない天彦が比較的よく使う口癖である。主に強がりと負け惜しみがミックスアップされた。当人曰く実に汎用性の高いワードであるとかないとかの。つまり心を落ち着かせる慈愛の言葉。あるいは単なる軽口である。
だが今回ばかりは趣が違った。天彦の汎用性の高いはずのつぶやきはとびきり特定の専門性を以って発信され、周囲を凍り付かせるには十分な悪意となって拡散された。
その効果は覿面であり、目下、天彦の傍に侍っている女性陣(ルカ・磯良・小春)は完全に絶句して顔色ごと言葉を失い、胡乱な視線に代表される天彦に向けられている雑踏のありとあらゆる悪意から身を挺して壁となってくれている青侍たちでさえ“うっ”と小さく呻いてしまうほどの激しい感情の吐露であった。
むろんただの悪口やネガキャンくらいで天彦はピキらないオラつきもしない。そんな炎上は慣れっこだ。ならばなぜ。
天彦は直感して直観してしまったのだ。つまり本能が怪しさを感じ取った瞬間に理性が本質を見抜いてしまっていたのである。
あの憎き襲撃が近衛の描いた絵図であると。
浅井と六角の繋がりにはまだ不自然さは隠されていた。だが信玄公の唐突な復活劇には違和感しか覚えなかった。
おそらくフッ軽関白と筆まめ将軍のコラボ謀計なのだろう。そう仮定するとだいたいの辻褄が合うから不思議である。面白過ぎて一周回って口の中に血の味がするほどに笑える。
むろんすべては仮説にすぎない天彦の単なる憶測。だが当たって欲しくない方の予感が的中するこれまでの経験則や、状況証拠を無理なく自然に積み上げていくと確度が極めて高い数値を弾き出す。どのくらいか。
「覚えとれ近衛、絶対にコロス」
このくらいには精度は高いと天彦は確信していた。誰に何と言われようとも。
だが天彦にとって悪くはないのが率直な感想だった。何しろ六角家や浅井家といった武を生業とするDQN勢に掣肘を加えることは困難を極める。ましてや田舎侍ともなれば相当越えなければならないハードルは高い。それよりかは公家のそれも京を本拠とする同輩なれば、千倍、いや万倍現実的な相手であった。
閑話休題、
さて、むろん天彦なので敵に与える死は社会的抹殺一択である。あるのだが。
果たしてこの時代の特に奇麗事の上澄みを掬って生きているお公家様が社会的ダメージを食らって一時撤退で済むかどうかはかなり怪しい。
ともするとフィジカル的(物質的)な痛みと同等のダメージを食らっても不思議はないと思われる。
むろんそれは天彦も承知の上。つまりそれはこれまでの茫洋とした努力目標が明確な意図を持った達成目標に変換された瞬間であったのだ。
「ルカ」
「……」
「ルカ、どないした」
「……お殿様、ウチはお姉さま方じゃないだりん」
「なんや、何が申したい」
「怖いのはムリだよぉ」
「ちょ、おま、身共をなんやと思うてるん」
「お殿様はお殿様だりん」
「おいて! ちゃんと言い訳するより効かせるのやめろし」
「だって目が怖いもん」
この件に関して今の今、この場で議論をする気のない天彦は暴言を不問とした上で聞き流す。
小さく肩を震わせつつ内心で百回くらい唾棄しながら、
「身共の開発特戦隊を呼び寄せて欲しいん」
「射干の」
「身共の」
「いいけど、……この世から山科郷が消滅しちゃうね。なんだか憐れだりん」
「おい待て、お前さんとはいっぺんじっくり話し合いが必要そうやな」
「やだね! 行こ、小春」
「え、え、えぇー」
あ。
ルカは逃げた。訳もわからず狼狽えている小春を引き摺って。
だがルカこと米の意見に異を唱える声はなく、何なら気配さえ感じられない。するとつまり認識の乖離は誰かさんの中にだけありそうであった。
さて、ならば。
天彦は周囲をぐるり見渡す。このモードの天彦を直視できる人物はかなり限られている。その内の一人とばっちりくっきり目が合った。遭ってしまった。
「しゃーない。用事や、あんじょう働き」
「やっとお呼びがかかったよ。さすがの僕も拗ねちゃうよ、天彦」
「好きせえ」
「いいの」
「待った! 今のなし! ノーカンで」
「ちぇ、なーんだ」
好きにさせてたまるものか。こんなアタオカ放置でロールプレイさせて転がしたら、何かがきっと破滅に向かう。控えめに言ってお仕舞いです。
よってほんとうに已む無くしゃーなしに。むろんルカにも申し付けるが別件で、今回の策、やはりこの人物を置いて他にはいない。
何しろ陰険さにかけては右に出る者がいないでお馴染みの彼であればこその上策を練り上げたのだから。
だが一方で本因坊算砂の登場によって、だいたいコミカル路線に収束してくれる天彦のバフが効力を失い、策意に俄然猟奇性が香ってしまうのもどうやら気のせいではなさそうで。
「ええか算砂、身共の策を絶対に変質させるな。指示はそれだけなん」
「信用ないね。僕、哀しいよ」
「はは、おもろ。逆に訊くがお前さんのどこに信用があるのん」
「信頼を得るためにすべてを天彦に捧げているんだ。あとはすべてキミ次第かな」
「どの口でゆー」
「ふふ、久しぶりの出番だ。腕が鳴るよ。手始めになるたけたくさんに死んでもらおうかな。るん」
…………。
そんな作戦は作戦所のどこにも一ミリもありません!
あの天彦をしてツッコミさえ封印させ一秒で後悔させる男。これぞ本因坊算砂の算砂たる所以、本領発揮の瞬間であった。