#02 能く効くお薬を出しておきますね
永禄十二年(1569)十月二十五日
睨み合うことしばらく。もはや問答は無用なのか。半兵衛の手が腰の獲物にそっと触れようとしたまさにその時、
「これまた珍妙な取り合わせにござるな」
地獄に仏の声がかかる。
天彦は人物を特定するとあからさまに窮地を脱した安堵の表情を浮かべ最上位の故実で謝意を示す。
対する半兵衛はこれ以上ないほど忌々しそうにしながらも、やはり侍ながらの礼儀作法で登場人物に慇懃な姿勢を示した。
「お邪魔であったかな」
「まさか。お会いしとうおじゃりました。ご無沙汰しておじゃります宮内卿法印さん」
「ほっほっほ、さすがは参議。お耳がお早い。しかしまだ正式な官途辞令は頂戴しておりませんのでな」
「ほな先取りで」
「はっはっは、参議の仰せとあらばそう致しますか」
とのことらしいが天彦にとっては命の恩人、即ち神なので官職などどうでもいい。
そして好々爺の出現によって場の空気は完全に引っ繰り返った。よもやご老人を巻き込んでまで刃傷沙汰に及ぶこともあるまい。
天彦は敵ながら100の信頼感情で半兵衛を見やり、うん。やはり窮地を脱したことを確信する。竹中半兵衛とはそういう人物と踏んでいる。即ち一つの綻びや失策程度ですべてを破綻させる侍ではない。天彦の読み勝ちであった。
「ほな半兵衛殿、よろしゅうお頼みさんにあらしゃりますぅ」
「……承ってござる」
天彦は事を荒立てずに半兵衛を解放した。むろんこの貸しはいずれ利子を付けて回収する。アイコンタクトであろうと成立した契約は契約であると嘯いて。
さて天彦は改めて命の恩人と向き合う。人物はご存じ織田経済財政諮問会議首座・松井友閑であった。
天彦はもう一度慇懃に故実で謝意を示してお先にどうぞと会話を譲る。
「これはご丁寧に痛み入ります。先ほどの、たしか木下の手下と記憶しておりますが、よろしかったのですかな」
「はい。用は済んでおじゃります」
「然様か。一つ釘を刺しておきましょうか」
「お構いなく。お気持ちだけで十分におじゃります」
「然様で。ならばそう致しましょう。しかし妙な場所でお会いいたしましたな。ここは用人の通用路にございますが」
「あちこち見て回るのが趣味なもので。そやけど宮内卿法印さんこそ何用でお越しです。偶然とも思えませんけど」
「ふっ、実を申しますと今度はこちらが乞う番でしてな。某、この度堺政所を仰せつかりましてございます」
「あ、あぁ。……おめでとうさんにおじゃります。で、よろしいさん」
「ふぉっふぉっふぉっ。参議の息が掛かっておらねば肩の荷は随分と軽かったのですがな。殿も厳しい試練をお与えくださる。あははは」
「ほんに。酷いお人さんにあらしゃります」
秒で理解。二人して笑う。むろんたっぷりと苦みの混じった渋い笑い合戦を。
友閑の配置はおそらくだが既定路線だったはず。すると兄弟子与七の堺湊代官配置はどうなのだろう。おそらくだがこちらも狙い通りなのだろう。天彦の助言込みで。
つまり、
京都奉行所が一時的に機能していないので遊ばせるのも勿体ないという信長のオニ処遇なのだろうと察する。
やはり織田はブラックである。それもグレードの高いプラチナブラックであると再認識する。
偶然の再会ではないのだろう。その後ろにはこれまたお馴染みの顔ぶれが後に続いているようなので。
「夕庵さん。……これは惟住越前さんも。奇遇なことにあらしゃりますぅ」
天彦はすっ呆けた。織田の頭脳が勢揃いしているのだ。
しかも向かう方向も同じとくれば用件も一緒に決まっていた。だからこそすっ呆けた。勝てる気がしないので。さすがにこの超重量級のラインナップ相手には。
顔馴染み松井夕庵に続いて続々と姿を見せたのは織田の頭脳たちであった。
惟住越前守(丹羽長秀・鬼五郎左)、別喜右近太夫(簗田広正)、原田備中守(塙直政)、そして最後に満を持して登場したのが村井民部少輔禎勝・京都所司代殿であった。
つまり織田の京都奉行所幹部メンバーであり、目下織田の職あぶれ共が勢揃いしていた。
「お久しゅうござる。お手柔らかにお頼み申し上げまするぞ」
「ご無沙汰しております。お元気そうでなによりにござる。本日はお手柔らかにお頼み申し上げますぞ」
代表して惟住越前守と村井民部少輔が天彦との関係性の近さを利用した牽制混じりの挨拶を交わした。
天彦も慇懃にお返しする。さっきまで感じていた瀬戸際感とはまた別種の、けれど虎口に追いやられたような得も言われぬ緊張感に見舞われながら。
化け物という異名の意味……!
天彦は世間の風聞に愚痴りまくる。化け物のハードルを下げるなと。本物の化け物を前にするとハズいやろと。
何しろこのメンツ、そちらの方がよほど化け物揃いである。どなたさんもその上、当り前のように侍であり、文だけではなく武も申し分なく備えている両道の御方ばかりだから。
天彦は大人プレッシャーに気圧されながら息を詰まらせ、これとやんの?
じんおわ一歩手前の感情で真顔になって不運を呪う。
「ほなお揃いで参ろうさん」
「そう致しましょう」
貫禄では必負、実績でも圧負、潜在的能力値にいたってはスカウターを使わずとも端からぼろ負け。
結論、勝ち筋がまるで見えない。天彦の忌憚のない第一感であった。
◇
納屋衆とは納屋業を生業としていた商人を指すのだが、堺ではそれが転じて会合衆(有力事業者)のことを指す。また堺商人のほとんどが政商であるため武家とは非常に近い。猶、納屋業とは未来の現代での貸倉庫業である。
その筆頭格が今井宗久。屋号を納屋といい信長の信が厚い人物で、目下織田と堺会合衆との間を取り持つ唯一の人物でもある。信長が堺会合衆に二万貫の矢銭を求めた時もこの納屋が上手く纏めたとされている。
その働きが高く評価され堺の一部代官権(塩に関する特権)と織田家御用商人の地位を得る。その恩典がどれほどの富を生み出すのか。一年務めれば末代までの銭に困らないとまで噂されているレベルなのでどれほどなのかは想像に難くない。
あるいは途轍もなさすぎて逆に想像できにくいのかもしれないが、いずれにしてもその安泰だったはずの地位を脅かす存在が出現したのだ。内心はきっと穏やかではないだろう。少なくとも目はつり上がっているはずである。
脳内で面会者の情報を整理補完しながら会談場であるこれまた禅寺に辿り着くと。
どん。どん、どん、どん。
「太政官参議菊亭天彦様のおなーりー」
呼び込みを報せる陣太鼓が派手に打ち鳴らされ、織田の事務方侍(文官官僚)が天彦たちの登場を告知して面を下げることを強要した。もちろん天彦が強要したわけでない。するはずもない。
悪い顔の大人たちを見やる。全員がしてやったりの顔をしていた。
席次は完ぺきに整えられていて、おそらくだが上座で首座を天彦に務めさせる気なのだろうことがありありと伝わる配席だった。
序列で言うなら宮内卿法印である松井友閑が最上位である。官位(官職・位階)には相当という制度があり官職と位階は原則相関関係にある。友閑の拝命している宮内卿法印は正四位相当。よって天彦より格上である。
だがその友閑自身が仕掛けている側なのでそういうこと。
「ささ、格式に則って大上段にお座り遊ばせよ」
「言葉と態と指示の間尺が合うてへんのん」
「はて。そのような間尺、整える御方であったかな。ふふふ」
ふふふ、ちゃうねん。
案外整える御方なんよ身共は。天彦は愚痴りながらも観念して上座に着いた。
禅堂にはえげつない数の商人たちが呼び込みに辞を低くして待ち受けていた。
その面前に坐すメンツの頭頂部をざっと見渡す。まず以ってその数の多さに圧倒される。次に服装の華美さに圧倒され、最後にはそこはかとなく漂う歴戦の風格に圧倒されて仕舞いには酔いそうになる。げろまんじ。
即ちどれ一つとってもただ者はいなかった。
完全に嵌められた。直観は確信に変わる。どこで怒らせた。ほんの数舜イメージするが思い当たる節はありすぎてどれか一つには絞り切れない。ならば今は後である。
息を飲み何度だってクソデカため息を零したい天彦だが求められてる役割くらいは承知している。
天彦は意を決し万座に求められるまま、
「面をお上げさん」
儀礼的に直視の聴しを与えるのだった。
ざざざ――。
満を持して一斉に上がった顔ぶれを見渡す。
今井宗久、紅屋宗陽、塩屋宗悦、茜屋宗左、山上宗二、松江隆仙、高三隆世、千宗易(利休)、油屋常琢、津田宗及、湯川宣阿、同新兵衛、小島三郎左衛門、池永新兵衛、日向屋修理、尾和宗臨etc
他にも多数。天彦の目の前には近隣どころか日ノ本中にその名を轟かせている豪商が列座していた。
中には鉄砲製造販売の先駆者であり天彦曰く死の武器商人、鉄砲カスでお馴染みの橘屋又三郎の顔もあるではないか。宗久さんお越しやすとは……。
本気やん。
「本気やん」
大事なことなので言葉にも出して二度つぶやいた。
利権こっわ。こっわ利権。
目がまぢパない。天彦は直観した。どうやら吉田屋を捩じ込んだのが己の仕業であると勘繰られているようであると。
そしてそう仕向けているのが後ろと左右で見世物として大そう面白がっている風にワクテカなさっている織田有識者会議の面々であると。
が、次の瞬間、天彦の目がすんっとなる。数秒前まで赤味が差していた頬もまるでその面影を見せず、一転してどこか暗い影を落としている。
ふーん。あ、そう。目が語る言葉はこんな感じ。まさしく天彦の中のワル狐スイッチが入った瞬間であった。
一瞬にして変わった天彦の気配に対し、天彦の左右と背後の臨席者たちの多くは動じずに見事機敏に応接して見せる。
慣れたものだったのだろう。ほとんどが経済財政諮問会議の面々だから。
だが中には天彦の取り扱いに不慣れな豪の者もいて、己の存在感のアピールの場とでも思っているのだろう。これでもかとアピって煽ってくる。
「お。これが噂の菊亭睨みか。どれどれ御手前拝見させて頂きますかな」
天彦は声の方をぎろり、
「煽りカスは黙って欲しい。Botはもっと黙ってるん。おのれら経済カスは黙って身共の叡智に感心してただ実行するだけマンになってたらええさんや。それともあんたさん……」
「長谷川刑部源三郎宗仁にございまする」
「ほな刑部さんとやら。あんたさんはこのお人さんらがお困りで持ち込んできた原材料や資源価格高騰による通貨膨張(コストプッシュ型インフレ)に対して、身共よりええ対策お持ちなんやろかぁ。どないさん」
長谷川刑部は半信半疑、面白がって納屋衆の顔を見渡した。
だがその余裕の表情も刻一刻と色あせていく。
次第に焦りが驚愕に変わっていき遂には恐怖へと顔を引きつらせてしまっていた。
そう。天彦の予言めいた言葉を耳にした納屋衆の顔とまるで同じく。
くっ――。
そして長谷川刑部は大きな体をこれでもかと縮めて小さく震える。
天彦に噛みついた誰もの行く末と同じように。つまり噛みついたつもりが気づけば決まってきつく噛みつかれ“きゃいん”格の違いを学習させられてしまうのであった。
天彦はその無様を見て、
「ほな黙ってい」
「……ご無礼、仕りましてございまする」
煽りカス氏ねの感情で切って捨てるのである。
ならば天彦にそのコストプッシュ型インフレの対策とやらがあるのかというとかなり微妙。
理論上多少なりとも覚えはある。だがそれを実践するには現在の構造にメスを入れなければならず、朝廷とも将軍家とも疎遠の天彦には机上の空論。絵に描いた餅である。なにせこれは織田家と将軍家(朝廷)との熾烈な綱引きと二重構造とが絡み合い生み出されたインフレーションだから。
言い換えるならリベラル(理想主義)と保守(現実主義)とのせめぎ合いによって生み出されたインフレ。それも飛び切りハイパーなやつ。
このリベラル(理想主義)と保守(現実主義)の熾烈な覇権争いは愉快な矛盾をはらんでいて非常に面白いのだが泣く泣く割愛する。
これら矛盾に気づけないでいることも含めて、天彦の他に仲介可能な人材がいればその限りではないのだが、天彦の知る限り己以上に公武の懸け橋になれる公家を知らなかった。
これは公家でなければ果たせない策である。織田家と将軍家のパワーバランスの釣り合いが取れている世界線において、能く効くお薬を出しておきますね的な薬師の魔法の言葉と同じく。
天彦の仮説が正しいと仮定して、加えてそこに吉田屋という綺羅星がぶち込まれる。
それは黙っていられないはず。さらなるインフレに拍車をかけるから。
それの説明に少々お付き合いいただきたい。
時代性を問わず転売は商売の基本である。その業態を問屋と呼ぶ限りは。
室町では運送業、倉庫業、委託販売業を主たる業務形態とする事業者を問屋と呼び、原則地域の大問屋の商圏傘下に収まり小ぢんまりと商売をしている。
因みに米問屋から転じた証券会社なども問屋業であり、売買の仲介業者のほとんどすべては問屋事業者となるのである。
閑話休題、
そのおらが商圏ボスである大問屋に首根っこを掴れるときゅうと鳴くしかなく、構造的には未来の現代もほとんど同じ。
そして堺という巨大商圏にあらたなボスが加わるという。それも悪名高き五山の狐の紐付き大問屋が。
彼らにとって菊亭は天敵に等しくどれだけ低く見積もっても菊亭贔屓の商人はいない。なにしろこの時代の商売とは強く寺社と結び付いているのだから。
それは忌み嫌って正しいだろう。正解です。みんな逃げてー。
この人は制度の破壊者でありご都合主義のロマンチスト。しかも既得権益者との相性は最も悪いと言い切ってよい代表格。それが天彦という人物である。
よってこの180度近くから広角に向けられる殺意はある意味で正当性しかないのであった。……とか。
天彦は立ち上がり、扇子をピシャリ。
「泣き言申す暇あったらイノベーションに銭突っ込め! お前さんらそれでも経済カスのはしくれか。身共の愛する技術ヲタ(ギーク)どもは日々、新たな技術を求めて研鑽を積んでいるん! 経済カスのふりした守銭奴はこの場から疾く往ぬがよろしいさんにおじゃりますぅ」
自信満々にけれど何故だかキレ気味に告げられた天彦の熱弁ちっくな言葉は、広い禅堂の端から端まで響き渡った。
そしてその意味を理解した者はもちろん理解できない者まで含めて圧倒して飲み込む熱量を伝播させていく。
名付けて、
何でもお人さんを動かすのは理屈やない。熱意なんの巻。
天彦はその反応に確かな手応えを感じ取るのであった。
◇◆◇
境内の片隅に禅堂を窺がう集団があった。
彼らは城下に住まう住民の子息あるいは巣食うストリートキッズであり、今回禅堂に集まった名うての商人たちが評判を買うためかあるいは本当の善意からか、盛大に切り餅をばら撒きつつの行進に釣られて引き寄せられた腹減りキッドたちである。
彼らキッズはまだお零れに預かれるのではないか。ひょっとすると眼鏡にかなって職に就けるのではないか。そんな野心を隠さず禅堂にまで忍び込み、目の前で繰り広げられる熱い舌戦を訳もわからず夢中になって傾注していた。
問答が一区切りつき、どうやら上座のこんまいのが勝ったようだ。
彼らキッズの目にも趨勢は明らかで、大勢の大人たち、それも身分あるだろう豪商たちがあからさまに萎れている。
こんまいのが纏めて圧倒してみせ一太刀の下に薙ぎ倒す姿は彼らの目に果たしてどう映っているのか。
言葉はない。誰もが息を飲んで固まってしまっていては判断もつかない。
だが答えはその可能性を無限に秘めた双眸の中にあった。爛々と輝かせる意思の中にあったのだ。
そんな中でもひと際異彩を放つキッズが二人。彼らはそれぞれ、耳ばかりではなく目も凝らして禅堂で繰り広げられる問答に傾注していた。
誰もが言葉を失う中、一人が一人の袖を引っ張る。目を禅堂に釘付けにされたまま。
「夜叉丸、あいつ凄いの」
「ああ市松、話に聞く何倍も物凄いの」
「噂……、なんじゃ噂」
「また後で聞かせたる」
「おう絶対じゃぞ」
二人はちび貴族の勝利にいたく感心していた。むろん貴族が貴族であることなど露とも知らずに。
二人は桶屋の倅と鍛冶屋の倅であった。桶屋の倅を市松といい、鍛冶屋の倅を夜叉丸といった。
二人は大そう興奮していた。だがどちらかと言うと桶屋の倅、市松の方が熱量は高かった。だからといって鍛冶屋の倅、夜叉丸が冷めているわけではない。
夜叉丸はきっと感情を制御できるタイプなのだろう。あるいは意図的に内に秘めるタイプなのかも。それを証拠にいずれ劣らぬ熱い視線を禅堂に預けっ放しにしている。
すると桶屋の倅市松はやがて居ても立ってもいられなくなったのか。頻りにそわそわし始めて遂に、
「夜叉丸、あいつ偉いんか」
「まあ、偉いな」
「お武家か」
「偉いんじゃからお武家じゃろ。知らん」
「そうか。わしあそこに入れてもらうぞ」
「市松、お前は少し考えてから物ゆーた方がええ」
「なにを」
「なんじゃコラ」
「……そう凄むな。なんで?」
「あのな市松、わしら見てみ」
市松少年は見る。じっと。たっぷり十は数えられるくらい凝視して、
「うん、見たぞ。蚤が跳ねとった。きっと野良と戯れたせいじゃの」
「それが答えじゃ」
「ふーん。わからん。あ、腹が鳴った」
「市松、そういうことじゃ」
「ますますわからん」
「アホじゃの」
「しばくぞ。アホ言う方がアホなんじゃ」
「その理屈、破綻してるぞ」
「りくつ? はたん!?」
市松は一つ弟の夜叉丸に心底からビックリした顔を向ける。
対する一つ下だが体格でも知性でも引けをとっていない。それどころか常に二万歩ほど先んじている夜叉丸はこちらも心底からの表情を返す。但しこちらはほとほと呆れた感情の顔を。そして、
「ふっ、アホめ」
悪し様に吐き捨てファイトのゴングが鳴らされた。
考えるより手が先に出る市松はとにかく喧嘩っ早かった。夜叉丸に対してはそれでもセーブできるのだが、こうなっては意味はない。さっきまで見せていたお兄ちゃんの貫禄はどこへやら目を垂直に釣り上げて拳を握ると言葉より何よりも早く右の拳を突き出していた。
夜叉丸の頭上に強烈な拳骨メテオが突き刺さる。
「やっぱしばく」
「痛いな、どついてからゆーな! っていうかどつくな!」
「どついてない。しばいたんじゃ。あっはっは、アホはお前じゃ夜叉丸」
「……やっぱし阿呆じゃの」
「なんややらんのか」
「阿呆とはやらん」
「そうか。負ける勝負をせんとはお利巧じゃの」
「ゆーとれ」
桶屋の倅と鍛冶屋の倅は、互いに貶し合いながらも目線だけは一か所に釘付けで。
どうやら禅堂の舌戦にも決着がついた模様。
二人に限らずやんちゃキッズたちのその視線の先には、如何にも高級そうなオートクチュール仕立ての目にもあざやかな緋色の位袍を着飾ったキラキラとして輝いて見えるちびっ子公家様の、これでもかと勝ち誇る何とも言えない顔があった。
「のう夜叉丸、あのちびオニかっこええな」
「おう市松。ちびのくせにオニカッコいいわ。あれは物凄い大物になるに違いないぞ」
「誰じゃ」
「知らん」
「知らんのか。噂を聞いたと言うはなんじゃ」
「鬼子と呼ばれているらしい。あるいは五山の御狐とも。織田の殿様とも喧嘩したことがあるらしいぞ。まあ喧嘩屋じゃの」
喧嘩屋、すごっ――!
市松は聞いて魂消て、夜叉丸は言って自分で魂消てしまう。
ややあって、
「じゃが、わしらと同じ年頃じゃな」
「じゃな」
「腹いっぱい飯食えると思うか」
「思うな。何をゆーとるかはさっぱりじゃが賢じゃしの」
「なるほどの。賢か」
二人の何気ない会話が、この場にいるキッズたちには刺さったのだろう。
まるで天から降り注がれた表象的な会話として受け止めたかのように天啓を授かったかのような表情で多くが真剣な眼差しを向け始めた。
つまりおバカな会話が多くのキッズの心を打った。
「わし、行ってくる」
「わしも」
「わしもじゃ」
「あ。先いかれた!」
「待って!」
二の足を踏んでいたやんちゃキッズの背中をこれでもかと強かにおもくそ押すのであった。押すな押すな。
「あ」
「あ」
キッズの燻っていた感情に炎を滾らせる切っ掛けを作ったくせに先を越されてしまった鈍くさ桶屋の倅と鍛冶屋の倅を置き去りにしてw。
【文中補足・人物】
1、今回に限って人物紹介は無い方が楽しめると思って敢えてネタバレはしません。敢えてね(すっ呆け)猶、時間の許す限り追々補完はしていきます。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。