#18 にゃははは、どんまい。……にゃろめ
永禄十二年(1569)十月十二日
天彦は言外に裏切りを誘った。
個人(磯良)を名指しで挙げた上に対価の具体性まで備わっているのだ。これ以上のリクルートはない。
当然秒で感づかれる。僧形コーデの男たちは色めき立ち、場は一瞬にして修羅場の様相を呈し始める。
だがそれでは遅かったのだ。あるいは覚悟の差なのかも。
僧形コーデの男たちが怒りの形相で腰を浮かせた次の瞬間、四人が四人ともに掌で顔面を押さえ床を転げ回っていた。凄まじい呻き声を発しながら。
磯良は天彦から持ち掛けられた時点でとっくに覚悟していたのだ。裏切りを。
あるいは自分から持ち掛けようとしていたのかもしれない。それほどの行き腰のよさであった。そこに躊躇いの文字は一文字もなく、あるのはただ生死を別つ境界線だけ。
いったいどういう仕組みなのか。天彦の目にはただ状況としてどうやら目を潰されたらしいという事実が認定できるだけで、仕組みがまるで読み解けない。
が、次の瞬間にははっきりとわかった。磯良の用人が口から何かを吐き出したのだ。おそらくは針。仕込み針を吐いて目潰しをしたようである。
僧形コーデの男の一人は更に大きな悲鳴を上げて激しく床を転げ回った。……神経毒とか。えっぐ。
天彦は男の反応から想像した仮説にただただまんじ状態である。家来たちも似たようなもの。口をあんぐりと開け、ただ圧倒されて言葉を失っていた。
そしてどうやら磯良は天彦の見込み以上の忍びであったよう。少なくともただの中忍などではない。そして磯良の用人さんも。えげつない。
天彦はその感情で磯良を見上げた。……が、
あ。
その瞳が天彦を凝視する。見つめ合った瞬間、天彦は察した。
さあワシの仕事は果たした。覚悟も示した。今度はお前の番だ。チビスケどうする。と。
まるで。いやまるでではない。まったくその通りのことを目で訴えているのだと察してしまう。
事実として磯良は一族を裏切った。親はもちろん藤林一族に対して申し開きの余地はない。
たとえ一時的だとしてもこの時代、その覚悟は相当である。天彦にはとてもできない覚悟であった。だが……。
天彦に魂胆なんてあってない。いつだって思いつくまま気の向くまま、その場の最善解を捻り出し場当たり的に対処しているだけで。とか。
外に向けてならいくらでも嘘をつけるし嘯ける。けれどその感情も自分に向けてはできなかった。
たしかに急場凌ぎの対策かもしれないが、大原則として掲げている大題目あるいは大方針に従ってロールプレイしていることは紛れもなく。
その軸がぶれてしまうとお仕舞いである。その瞬間、すべての言葉が嘘に成り下がり、言葉を通じて実行してきたすべての行動が虚構に成り果ててしまうだろう。
つまり天彦自身が心の底から軽蔑してきたお人さんへとなってしまうのだ。
天彦にはそれが無性に怖かった。
事故ってんゾ。
ぽつりつぶやく。そしてバカ泣いた。自分の愚かしさにバカ泣いていた。
現象として水分は出現していないが、心は哀しみ色一色に染められていた。
罪を己で背負うために。自分自身を軽蔑しないためにも。天彦は歯を食いしばってバカ泣いた。
そして、
「成敗」
「よくぞ申した」
咽び泣いて絞り出した言葉に、磯良は即応。用人と二人して次々と僧形コーデの男たちを血祭にあげていった。まるで地上に降り立った般若のように。
◇
「くそ、くそ、くそ、くそ――!」
天彦は半ば発狂しながら大穴を掘っていた。成人男性がすっぽりと収まるサイズでかつ野犬やオオカミやヤマネコが掘り返せない深さまで。
目安は天彦の身長である。しかも鉄製のスコップもシャベルもない超超原始的な道具を手に。それは途轍もない重労働であった。
つまり死体を皆で片付けていた。ええやろ。後で美味しく頂きましたで。黒のスカベンジャーさんたちが。
だが現実はそうもいかない。発見は遅ければ遅いほどいい。こんなんいくらあっても困らないお風呂の栓と同じように。
掘り終わった頃にはすっかり空が白み始め、天彦はもちろんだが家人たちもへとへと。だが同じではない。家人たちと天彦との違いは泣き言一つ零さないところにある。
彼らイツメンは何なら天彦の何倍も働いて愚痴一つ零さずに、むしろ天彦の身体を労う優しさを見せていた。むろん自称菊亭一のお家来さんを除いて。
「みんなしんどいのに何で若とのさんは愚痴ばっかし零さはるん。カッコ悪いからやめてんか」
「なんやっ」
「なんやとはなんですのん」
「なんやとは何やや!」
訳がわからないことに言い合いをしていると力が出た。厭なことも忘れられたし。お雪ちゃん、ひょっとして天才……?
いやいやいや、ないないない。天彦は脳裏を過った可能性をコンマゼロ一秒で打ち消して、またぞろ根っこの生えた忌々しい地面と格闘した。
ややあって、
「できた。……できたんっ!」
天彦は地面に背を預け大の字となった。朝焼けの茜空が妙にリアルに映っている。
おそらく天彦がした最もきつい労働だった。と、
「お疲れ様でございました。殿、やり遂げられましたね」
「おおきに佐吉。お前さんの協力のおかげや」
「何の、……はっ。ありがたく頂戴いたしまする。どうぞ」
「え」
いいのん。頂きます。喉から出かけた言葉を寸前で咄嗟に飲み込んだ自分を褒めてあげたい。それほどのファインプレーであった。むろん天彦的に。
なぜなら水は沢まで汲みに行くのも重労働。竹筒は常備用の物が一人一本しかなく、すると等しく同量だった。
それを差し出してくれた佐吉。きっと喉は天彦以上にからからのはず。
嬉し味に胸がじんわりと熱くなる。天彦にはこの感情だけでご飯三杯はいける確信があった。現実は喉が渇きすぎて咀嚼もままならないだろうけど。
「佐吉の分や。気持ちだけもうとこ」
「いいえ。某はあまり水を欲さない体質にて。お構いなさらず結構にございまする。ささ、どうぞ。ぐいっと」
そんな体質は厭だ。というより人体の構造上あり得ない。
心頭滅却すれば火もまた涼し的なやつだろうか。侍だけに。
天彦は眼で佐吉の感情を探るがキラキラしていること以外は何も情報は得られなかった。
「ほな某頂戴します。ごきゅんごきゅん、ぷはぁー。……美味い!」
氏ねコロス。
天彦と佐吉の峻烈な視線が雪之丞を捉えて離さない。
「あ。……えと、某、なんか間違えたみたいですね。ではこれにて」
「待て」
「お待ちくだされ」
ひいっ――。
雪之丞が責め立てられ恐れ戦慄いている間にも、是知はこっそりと竹筒を逆さに向けて最後の一滴を啜り尽くしているのであった。
余計に疲れた天彦は一週回って徹夜のテンションが面白くなったのか。
地面におっちん腰を下ろしてけたけたと佐吉と二人して笑い合っていた。
と、そこに。あーんと聞こえたので反射的に口をあけると、
「んがっ……、はひほへ」
磯良が隣に腰を下ろすや否や天彦の開いた口に何かの塊を放りこんだ。
口にブロック状の物体が入った状態で天彦は天彦的にナニコレと問い質した。
「粔籹じゃ」
「なんでやねんっ! 今いっちゃん要らんヤツやろ」
思わずツッコミを入れてしまう。大阪名物だけに大阪っぽく軽快に。
だがそれがお気に召したのか。磯良は一瞬ぽかんとしたがすぐにけたけたと白い歯を見せて大笑いしていた。
むろん天彦の“なんでやねん”はこの水分のないときになんでやねんである。けして時代的に粔籹が何で存在しとんねんのツッコミではない。粔籹は平安時代にはすでに遣唐使によって持ち込まれている。但し材料が高価なため庶民の口には届いていないが。
閑話休題、
磯良は大真面目な顔をして天彦の汗と泥まみれの顔を、癖なのだろう独特の下目使いにじっと見つめた。そして、
「親も一族も裏切ったワシにはもう、この目の前の髭も生え揃っていない小童だけが頼りじゃ。努々期待を裏切ってくれるなよ」
「生えてるわ! 胸毛なんかぼーぼーやっちゅうねん」
天彦を煽る。
だがまんまと。見栄彦はありもしない胸毛をあると言い張って謎の意地を張って返した。きっとそんなテンションだったのだろう。徹夜明けの。そこに意味は特にない。
「ふは、はは、あははは。見せてみよ」
「嫌やろ。お前さんの倫理観はどないなってるんや。親の顔が見たいわ」
「見せてやる。首級でいずれな」
「あ、はい」
天彦の徹夜のテンションは一秒で萎んで萎えた。
だからという訳でもないのだろうが、天彦は磯良の頭をぽんぽんと撫でるように軽く叩いて、すっと立ち上がり下目使いに磯良を見下ろす。
「磯良」
「なんじゃ」
「磯良」
「……はい。ここにございます」
「うむ。身共は受けた恩はけっして忘れん。それは何があろうとも絶対にや」
「……」
そして怨も同様に。
天彦の小さく付け足すようにつぶやかれた言葉に。あるいは鬼気迫る天彦の感情の発露に対して、磯良は返事さえできないほど言葉を失ってしまっていた。
「よし参ろうか」
「いずこへ」
「決まってるん。ここは岐阜」
「あ、え、それは……」
「仇敵ごとき恐るるに足らず。身共は同居しておったぞ」
「なんと」
イツメンたちが激しい同意の意を表明する。狙っていなかっただけに合いの手としての効果は覿面。奇しくも磯良を天彦ワールドに引き込む最上のアシストプレイとなっていた。
「そして復讐は果たされた。……と、世間では成っていると聞いているが違うのか」
「いいえ。違いませぬ。感服仕りました。如何様にもお振り回しくださいませ」
「うむ。それでええさん」
参るぞ岐阜城へ。
天彦は宣言してその足で意識を手放すのだった。ぐーすーぴーと。
◇◆◇
永禄十二年(1569)十月十三日
明けて十三日。申刻晡時、夕七つの鐘が鳴る頃。
天彦たちは岐阜城二の丸にある信長の執務室に通されていた。
信長への面会申請はすぐに通った。このタイムラグは単に天彦の体調に配慮したもので、むしろ信長は待っていた側。
脇にはイヌとサルとキジはいないがその他大勢の侍を襤褸雑巾のように打ちのめし床に転がして待っていたのだ。天彦が目覚めるのを。まだかまだかと。
「お待たせしました」
「待ったぞ狐、無事であったか!」
お、おお。引く。
天彦が引くほど信長の勢いは凄まじく、がっと両脇に手を差し込まれて抱え上げられるや体中を触診されてしまっていた。いや医学知識!
思うが声には出さずに置いた。身の危険を感じたのと、そして単純に嬉しかったから。こんなにも身を案じてくれる大人が果たしてこれまでいただろうか。いない。
最も真面っぽいじっじは案外クレバーで、いざとなれば斬り捨てるくらいは平気にやるメンタルのお人。ぱっぱは論外。まっまもいないので知らない。親戚の大人はみーんな敵性。だからいないと断言できた。
「降ろしてんか」
「お。そうか。ここにおればよいではないか」
「……同じ方向を向いて膝に抱っこされた格好で際疾い交渉するとかシュールすぎるん」
「同じ方向は向いておろう」
「まあしたいんならお好きにどうぞ、なさってください」
「で、あるか」
結果、膝の上に抱えられハードな交渉をすることになった。
天彦より周囲の直参家臣がびっくり仰天。もちろんそんな中でも一番驚きの感情を露わにしているのは藤林磯良であったのだが。
彼女はまだ完全に信用できないということで信長からは遠ざけられた最も離れた最後列に陳列させられている。
尤もそれでさえ奇跡に近い温情であるらしかった。天彦はそれほど意識していなかったことだが藤林家とはそれほどに親六角勢であり裏を返せば反織田勢力だったのである。何なら筆頭。だからこそ切り崩しには有力であり、信長の天彦でかしたの感情にも理解が及ぶのである。
伊賀攻略にはそれこそ出口の見えない迷宮に迷い込んだかのような錯覚に見舞われるほど散々な目に遭わされていた織田であればこそ、その有難味は一入であったことだろう。
信長は別格としても、情勢をよく知る重鎮ほど天彦に対し辞を低く接していることからも明らかである。
「それで天彦、いかなる仕儀である」
「仕儀とは無礼なん」
「ほう。ならば善き話であろうな」
「あたぼー」
「ほう。それは楽しみじゃ。焦らさず疾く申せ」
天彦は視線を半周。それを列ごとに順々と繰り返し、……居た。
顔面を倍ほどに腫らして末席に列席する又左衛門を視認しながら、
「和睦のち一年。謙信公は不戦の約定を申し入れてきますやろ」
「ほう。それは確かなのじゃな」
「身共がゆうた」
「で、あるか。ならばそれは了といたそう。でかした天彦。それで」
「伊賀をすべて切り取るん。残りの南伊勢と併せてがっつり」
「……で、あるか」
信長は最後尾の磯良を鋭く睨みつけ言う。
「だが守護仁木と北畠に手を付ければ手紙公方が邪魔立てするぞ。さすがに朝廷も黙ってはおるまい」
「うん。そやからあそこに居る藤林の娘を使いますのん」
「なるほど。わからん」
「そこなる藤林の娘は近衛に御座す諸太夫大神藤林氏の庶流におじゃります。家内序列は筆頭格、お血筋はむろん本物にて。二代前には近衛家家令も務めていはったお家さんにあらしゃりますぅ」
勘所のいい信長ならこれで十分。
信長の高鳴る鼓動が天彦の背を叩くほど手に取るように感じ取れた。
「家領があるのじゃな。天彦、貴様と言うやつは」
「かわいいさん?」
「ふは! で、あるか。して拠点はどこじゃ」
「山城横大路」
「……なに。これ以上ない絶好の位置ではないか」
「はい。身共もそう思うん」
信長は秒で京の市街図を広げて軍扇で横大路城を指して叩く。
怖いを通り越してちょっとキモい愉悦交じりの表情を浮かべて。
信長公の脳裏には果たしてどんな絵が描かれているのか。天彦にはおよその検討はついている。
というのも目下、織田の軍勢は何人たりとも都の土を踏めていない。
すべては将軍義昭と軍事を預かる惟任の方針によって。
言外のけれどあからさまな織田外しの憂き目に遭っていたのだ。史実より若干早まった。
これに茶々丸ぱっぱの真宗が絡み織田包囲網が形成されるのだが、天彦はその両翼両輪である武田と本願寺を押さえている。辛うじてだが、これでもかなり頑張った。加えて伊賀も抑えれば安心材料はかなり増える。
いずれにせよ今現在はそういう状況下にあった。
だが洛中に目と鼻の先である五千石の横大路城に拠点があればどうだろう。自国の城に兵を送り込むことに誰が文句を言えるのか。そういうこと。
これは策がなれば凄まじい牽制になることは請け負いであり、天彦にとっても近衛の延いては裏で手を結んだのであろう九条の鼻先を叩ける実に好都合な展開でもあった。
「じゃが本丸が問題であろう」
「本丸?」
「お前にしては勘が鈍いの。近衛が首を縦に振らずばこの策はならぬと申しておる」
「ああ。そんなこと」
天彦は薄く笑って、また最後尾に鎮座する又左衛門にそっと視線を送る。
実はそのたびに又左は半泣きの目で勘弁してくれと訴えているのだが、そのたび天彦は“はてなんのことさんやろぉ”の目で押し返していた。
天彦は散々又左で遊んでじっくりためて、
「策はなる。身共がゆうたん」
「で、あるか」
実はこの応接、ちょっと嬉しい。
はぁ?それが。と聞き直されたらさすがにハズいでは済まされないから。
だが現実として天彦にはかなりの確度で自信があった。
貴種は、貴種であるほど血統による土地支配を否定することはできない。
それこそが自らの存在意義と延いては土地支配の正当性を否定する最も愚かな行為だから。
ならばどうする。理屈は至って簡単である。大神藤林のどなたさんかにご退場頂くしかない。そういうこと。
天彦は心の底から軽蔑する利得のためだけに他人を陥れるマンに成り下がるのだ。
そして感情的にかっとなって言いかけた言葉と、それ絶対言ったらアカンやつの感情とがせめぎって魔合体させた言葉である、身共の心は形状記憶合金製と嘯いて。
本日二度目、人生五度目のバカ泣きだった。自分の愚かしさにバカ泣いた。時代の愚かしさにもバカ泣いた。
「桑名、参りたいん」
「ん、どうした」
「ガレオン船、差し上げますん」
「なに、を」
「要らんのん?」
「……喉から手が出るほどである」
「うん。存じてます。そやからこそ身共の気が変わる前にうんとゆうて欲しいんです」
「で、あるか」
信長は立ち上がり、桑名へと参る。
家来に向かって宣言して天彦の要求に応えるのだった。
なぜ天彦が唐突にこんなことを言い出したのかを薄々ながらも勘づいて。
◇◆◇
翌日、明けて十月十四日。素晴らしい秋晴れの天候の中、天彦たちは海上の人となっていた。
イスパニア商船艦隊から接収したガレオン船を操舵するのは元の奴隷乗組員に指導されている最中の伊勢の海賊たちである。
だが艦はまるで葬儀の静けさである。そして一行の乗艦をクルーの誰ひとりとして歓迎してる風ではなかった。
一行というよりかは誰か特定の人物に特化している忌避感だが、
「Estne ut foxfire usor……」 (あれが狐火使い……)
誰かのつぶやきを天彦の可愛い耳は拾っている。大人なので聞こえてんゾとは吠えないだけで、ちゃんと腹は立てている。だが同時に彼らクルーの感情にも一縷の正当性を感じていた。
何しろ荒波に揉まれ三つの海を渡る大航海にもびくともしなかった自慢の戦艦が訳もわからず撃沈させられたのだ。ましてや主砲の火力を潰されて成す術もなく海の藻屑と沈んだのだから。それは誰だって気味悪がる。さぞ不気味だったことだろう。
だが仕掛けてきたのはそっちなん。天彦はその一点突破で自身の正当性を担保した。
そんな天彦は海上にあって、雪之丞、佐吉、是知を順に流し見て、このまま逃げだしこのメンツを連れて七つの海を股にかける貿易船の船長になる妄想に耽っていた。
つまり現実逃避である。ちょっと連続して辛い決断を迫られることがありすぎてメンタルがかなり参っていた。いやちょっとではない。控えめに言ってかなりである。
いつの時代にも結局二極化していく世界とは。
そしてやはり人は争い血は絶えず流れ、しかもおまけに大前提、生きることになどほとんど意味はないときている。
はぁ終わってんな……。
船体先頭から天彦は、沿岸につづく澪標を望洋と眺めながら考えたところで果てしなく答えの見えない自問自答の処理に亡羊として途方に暮れていると、
「離せ佐吉! 若とのさんを元気づけなアカンやろ」
「それはそうなのだが」
「騙されるな石田。朱雀殿はただ己がしたい風に振舞っておるだけだ」
「是知はアウト三つ! 某権限でもう首や」
「なっ……! いや騙されぬぞ。朱雀殿にそんな権限あるはずがない。おい何をしている石田! なぜ朱雀の阿呆を行かせるのだ」
「なんとなく。某、それが正しいような気がしてござる」
「くっ」
雪之丞が包囲網を突破して天彦の傍にやって来た。
だが何か言葉を掛けるでもなくふらふらとして予備のため置いてある大砲をすりすり触っては何かをつぶやいている。だがやはり終始落ち着きなくそわそわしている。
天彦の目にやっと落ち着いたと思ったときは、「あ――!」
もう既に遅かった。色んなことがいろいろと。
「撃てぇ――!」
雪之丞の合図の声は不思議とよく通った。すると砲を預かる旗手が何を思ったのか両手に持った旗を左右にクロスさせた。
するとどうだ。次の瞬間には船体が激しく揺さぶられ、六門の砲が沖に向かって一斉に火を噴いていた。
どん、どん、どん、どん――
遅れて轟く凄まじいまでの炸裂音。唖然とする乗艦していた織田の侍たち。むろん魔王様も突然のことに目を白黒驚いている。
だが砲撃はそんな彼らのビックリを置き去りにしてまるで鬱憤を晴らすかのように、それとも鳴りやむことを忘れたかのように延々と撃ち続けられた。
…………。
全員の唖然と愕然を道連れにやがて砲撃は鳴りやんだ。
するとどうだ。皆の視線を一手に集める先には、こんもりと盛り上がっていたはずの無人島の半分が跡形もなく消し飛んでいるではないか。
「あはは、おもろ」
「ね?」
「何がねっやねん。お雪ちゃん、さすがに笑えん過ぎて笑けたんやで」
「ねですやん。ええですか、若とのさんは沈んでたらあきませんのん。これから多くのお人さんを助けてあげはるんですやろ。なんですのんちょっとのことくらいで。みーんな敵でも某だけはお味方です! はいどうぞ」
「……なにが」
「はいどうぞ!」
「なにを」
「はい、どーぞっ! ゆうてますやろ」
「……みーんな敵でもお雪ちゃんだけはお味方です」
「心を込めてもう一遍。はいどうぞ」
「みーんな敵でもお雪ちゃんだけはお味方です!」
「はい、そうです。呼びましたか。某こそが絶対味方の雪之丞です」
「呼び、ました」
「あはは、それ忘れんとってくださいね」
「あ、うん」
「にゃははは、まんどい? あれ、まいどん? あれれ? なんか違うん」
にゃろめ。せめてドンマイくらいちゃんと言え。
天彦は背を向けて悪し様に吐き捨てる。お礼は言わない。言えないのだ。
なにせ天彦、雪之丞の顔を真っすぐ顔を見れないほどバカ泣きしているから。
自分の愚かしさが薄れるほど嬉し味に包まれてギャン泣きしてしまっているから。
舐めていた。この雪はそんじょそこらの雪ではなかった。触れば火傷してしまいそうなほど時には熱くてとても厳しい雪なのだった。
「ふん。野生の善人との会話は肩が凝るん」
「あ! またそうやって強がる」
「なに」
「ハンカチ貸しましょか」
「要らんし。そんなきちゃないの」
「あ」
「あ」
二人はずっと仲良しだった。
その汚いハンカチが要らないだけはまぢなのも含めてずっと。
お読みくださいましてありがとうございます。
ね。かわいいでしょ。違うとは言わせません。感想ランにて対戦お待ちしております。
これにて八章は締めようかなと思います。特に意味なく何となくですけれど。
次はどうしましょうか。何かご意見ご要望などございます? あれば是非。
それではまたお会いできるその日までご機嫌よう。さようなら。