表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
八章 友愛神楽の章
150/314

#15 え、地雷なのですが。やめて?

 



 永禄十二年(1569)十月十二日

 





 ごつん、がちん、ばんっ、どんっ、どかん。



 そんな何かが激しく衝突、あるいは激突する音で目が覚めた天彦は、一瞬事態がつかめなかった。


 お堂……? 禅堂か。禅寺……? なんで!?


「殿、お目覚めですか」

「殿……!」


 程なくして記憶の整合性が図れやっと置かれた状況に気が回る。


「おお佐吉に是知。ひょっとすると心配かけたんか」

「いいえ信じておりましたので何のことはございません」

「某の方が信じておりました! もっとなんともありません」


 それでも佐吉と是知の顔と、室内(お堂)から表を覗いている雪之丞の後姿がなければもっと動揺していたことだろう。

 それほどに見知らぬ天井というのは心臓に悪かった。何しろ誘拐が歴とした正業としてビジネス化されている修羅の世界線なので。


「さよか。お早うさん。今日はいつや」

「十二日の辰刻(御前八時)にございます」

「朝五つ、……さよか。佐吉、お白湯おくれ」

「はっ、ただいま」


 腰を起こして行儀は悪いが布団の上で白湯を頂く。ごくんごくん、ごきゅん、ぷはぁ。人心地つくと改めて、……まんじ。

 単純計算すると、ざっと40時間くらいはぶっ通しで眠っていたようであった。


 天彦は佐吉に湯飲みを預け渡す。すると是知が、


「殿、お食事は如何なさいまするか」

「お前さんらは」

「各々勝手に呼ばれております」

「是知は」

「まだにございます」

「ほな一緒に呼ばれようか」

「はっ。ではお持ちいたします」

「そうしたって。おおきにさん」

「いえ滅相もなく。はっ、ただちに」


 是知が支度の指示をしに部屋(お堂)を出る。

 改めて天彦は一のお家来さんに目を向ける。すると一のお家来さんは振り向いて気だるそうな目を向けた。


「お早うございます。ようそんな眠れますね」

「心配して!」

「してますやん。昨夜の寝ず番、誰が買って出たと思てますのん」

「え。お雪ちゃんが? それはおおきにさん。無礼を申したん、堪忍な」

「ほんまですわ」


 いや待て。果たしてそうかな。佐吉に視線で問う。案の定、秒で否と返ってきた。なんで吐くん。一秒でバレる嘘を。本当に不思議な子だった。


 天彦がそんな感情で雪之丞にジト目を向けると、


「あ。違います、気持ちはあったんです! それが伝えたかっただけです。嘘やありません」

「ほーん」


 再度佐吉に問うた。だが今度はどうやら真実のよう。

 すぐにピンときた。天彦と同衾が許される人物は菊亭に多くの家来がいるとはいえ後にも先にも雪之丞を置いて他にはない。そういうこと、なのだろう。


「見張ってたら、一緒に眠ってしもたんやな」

「もう! すぐ気づかはる」

「逆ギレ! さすがにそれはないさんやろ」

「だってぇ。若とのさんのお隣、某なんぼ頑張ってもすぐ眠たなってしまいますん」

「頑張るとは」

「なんですか。頑張るは頑張るですけど。またいちゃもんですか」

「いちゃもん! ちゃうよ。さぞ頑張ったやろうなぁと思ってな」

「はい。某頑張りましたん!」


 だから悪くないでしょう?


 まるで天彦が戦犯のような口ぶりだが、まあよかろう。ほんのちょっと同意もできるし。立場が逆なら天彦もきっと心地いい心臓と呼吸のリズムに落ちていたことだろうから。


「ところでお雪ちゃん、さいぜんから何を見てるん」

「あれです。こちらへどうぞ」


 そちらへ行く。


「うわっ、ほえ、やばっ! ……エグいな」

「えげつないでしょ。あいつら絶対アホですわ」

「お、且元や。いけっ! そこや、押せ――、はぁしんど」

「肩で息したはりますやん。まだ無理せんといてくださいね」

「あ、うん」


 境内では凄まじいぶつかり稽古が行われていた。誰もが上半身を裸に剥いてのおけいこと言えばお相撲である。だがただの相撲ではない。これぞ織田家名物決死のぶつかり稽古であった。時に死者も出すほど激しい乱取りが有名で、信長自身大そう好んで観戦したし自身も参加したそうである。

 記録によると安土桃山に入ると最低でも月一では相撲大会を開催するほどのお相撲フリークであったとかなかったとか。大きい大会では1,500人もの猛者が集結したとか。集めすぎー。

 主な会場は寺社であり、お寺さんや社さんからすればウハウハである。境内を貸すだけでエグい寄付が集まっただろうから。何度あっても困らないさぞやよい催しだったことだろう。


 その境内には織田親衛隊である黒母衣衆と赤母衣衆が各々十名ずつ結集し、対戦形式でぶつかり稽古を行っていた。

 そこに混じる菊亭イツメン衆の且元と氏郷は、だがまったく貫禄負けしていない。むろん体力でも気迫でも。それどころか他と互角かもしくは圧倒し、織田の武闘派家来たちをばったばったと薙ぎ倒していた。


 天彦がしばらく眺めていると、


「今日は春のような天気です。若とのさん、縁側でお相撲見ながら朝ごはん呼ばれませんか」

「ええね。そないしよ」


 雪之丞にしては風流な提案を即採用。大急ぎで身支度を整えて縁側に陣取りおっちんするのだった。

 久々のイツメン御家来さんたちに囲まれて一生いちゃいちゃしていたい感情で。




 ◇




「ご馳走様でした」


 皆で合掌する。奇異な目で見られながら。……見られながら?


「鬱陶しいですね」

「じろじろと不躾であろう」

「殿に関心がおありなのでしょう。気持ちはわかり申す」


 佐吉の言葉に是知が激しく同意の意を示す。が、雪之丞は小首を傾げる。

 稽古を観戦しながら縁側で朝食を取っていた天彦たちは稽古が終わると今度は一転して動物園側の動物になり替わっていた。

 天彦としてはいずれも希少種なので気持ちはわかる。だがこうも配慮に欠けた見られ方をされるとさすがにいい気分はしない。なので言葉の一つも掛けてやろうかと思っていた考えを改めガン無視を徹底していた。


 それは建前で事実はちょっとビビっていた。普通に途轍も怖いのだ。織田の親衛隊侍たちは。

 赤・黒の母衣衆は誰も彼もがコワモテDQNで内蔵助(佐々成政)には一昨日のお礼を伝えたかったが、これを機に会話の切っ掛けになると思うとその些細な機会さえ与えるのが厭になるくらい怖かった。……いやまぢビビるん。


 これが殺しを生業としている侍の真の姿かと痛感させられ、ちょっと食傷気味だった。そんなところに。

 更に濃い味っぽい衣装の外国騎士が姿を見せた。黒眼灰髪のがっちり系ローマンだった。そう天彦御所望のジョバンニ・ロルテスが姿を見せたのだ。

 佐吉がぽつり、昨日も朝夕の二度、参っておりました。と卒なく欲しい情報をくれる。おおきに。


 天彦は遠慮なく査定する。

 身長はどうだろう。六尺(180センチ)くらいか。かなり大きい方だが巨人と戦慄くほどではない。何しろ菊亭には戦国一.二を争う巨人族がいるから。猶菊亭が誇る巨人族は実に六尺三寸(190センチ)以上ある。

 だが動きはなるほど俊敏そうだ。古のスパルタ戦士のような武威を纏っているではないか。これは期待以上か。


 天彦の期待を他所に、ローマ人の彼は境内に上がってくると周囲を見渡す。

 するとすぐに天彦の姿を発見しその場でたちまち片膝を折り地につけた。そして腰の剣を鞘ごと抜いて敵意の有無を自ら進んで証明した。


「ほう」

「ほう」

「ほー」


 所作的には敬意が込められていることは一目瞭然であり、その態度には織田家中の者たちも素直な感心を寄せていた。

 ローマ人は片膝を着いた美しい所作のまま辞を低くして何かを待った。

 まるで誰かの許しを乞うようにじっとしたまま。


 天彦は是知に呼び寄せよと指示を出す。

 すぐに是知は下知に従いローマ人を天彦の御前に引き立てた。縁側の段差が丁度いい塩梅である。


 天彦は然も尊大に振舞った。それこそが求められている貴種像だと知っているから。そして言う。


「Giovanni Lortes, isso mesmo」

「Sim, é. Sr. Primeiro-Ministro」

「Eu sei por que fui chamado?」

「Não. Não há passagem para pensar」

「se considerar directos Eu quero você Por favor, venha para nossa casa」

「É uma honra Até quando eu deveria responder」

「Por favor, faça-o sempre que eu estou lá」

「Então, vamos fazer isso」

「É um 大儀 A cor está esperando por uma boa resposta」

「Eu vou me arrepender antes」


 意訳


「ジョバンニ・ロルテスやな」

「はい。その通りにございます」

「なぜ呼び出されたかわかるか」

「いいえ。考えたのですが思い当たる節がございません」

「うむ。単刀直入に申すん。お前さんが欲しい。当家に参ってくれへんか」

「……なんと。それは予想外ですが嬉しいお誘いです。お返事はいつまでに差し上げればよろしいでしょう」

「身共がいてる間ならいつでも」

「ではそのようにいたします」

「大儀であったん。色よいお返事待ってるん」

「それでは御前失礼いたします」


 会話を終え天彦の前を辞そうとジョバンニ・ロルテスが立ち上がったところで天彦は虚を突くように問いかけた。


「待ち」

「はい。如何なされましたか」

「お前さん、フィレンツェは存じてるな」

「……それはむろん」

「ほならこれはどうさんや」


 文化解禁なら天彦は自重しない。天彦は彼が持っていた盾と馬飾りの装飾に使っていた硝酸銀溶液を用いてガラス面に定着させるガラス鏡製作手法の知識を披露して圧倒してみせたのである。都市ベネチアの豆知識も織り交ぜて。

 ローマ人だとてさぞや驚いたことだろう。事実ジョバンニ・ロルテスは次の言葉が繋げられないほどおっ魂消て放心していた。


「オーマイガッ――」


 ようやく長い放心状態から解けたジョバンニ・ロルテスは慣用句をつぶやき境内を後にするのであった。

 何度も何度も十字をきって。


「また意地悪しはったんですやろ」

「してへんよ」

「嘘ですね。あの伴天連さん、腰抜かす寸前のお顔したはりましたもん」

「気のせいや」

「雑に仕舞って逃げ切りたいのバレバレですから」

「あ、うん」


 やりおる。


 だが天彦にも先制パンチを食らわせたい意図は確かにあったのだ。

 というのもジョバンニ・ロルテスには教会とは少し距離を置いた上で天彦の手足となってもらいたいのだ。ちょっと要求高めだが彼ならできると踏んでいる。

 そのためには射干党にも(氏郷は勝手に)使った手法だが自身を少しぼやけさせ神格化して見せなければならなかった。


 これには明確な理由というのか意図があって、その説明を少し。


 イエズス会は現地の東方系キリスト教信者を含めた地元民の多くの命を奪っていた。その数には敢えて言及しないが凄まじい数に上る。それこそ地上に数多ある虐殺行為が生温く思えるほど。また同時に彼らは信者に引き入れた大名には異教を弾圧させ信者の拠り所である寺や社を破却させていった。

 このように当時のキリスト教は我々が考える何百倍も原理的で強権的で徹底的なのである。


 これらはすべて異端審問という名の許に執り行われていて、このクソキモい謎儀式を終わらせることこそ教会に接触した天彦の真の目的であり、自身の存在意義とさえ考えているのであった。

 茶々丸の実家(真宗)といいイエズス会といい宗教組織はとかく命を粗末にしすぎた。宗教が、ではない。宗教の教義自体はだいたいどこも素晴らしいとしたもの。よって人が運営する組織その物が多くを殺し過ぎたのだ。


 それは武家も同じである。侍の一人一人は個別にいい人が多いのに集団となると途端に狂う。

 あれですか。武家とはアホアホ製造装置ですか。阿保ですか。阿保なのですねといいたくなるが、言いたくなるので言うのである。いっつも思っているし。


 いずれにしても天彦から言わせれば命を粗末にするありとあらゆる存在が敵性であり、どんな詭弁を弄されようともあるいはどんな美辞麗句で飾り立てられようとも、果たしてどんな美談に挿げ替えられようともそれらは悪。一切合切すべて考慮に値しない。

 ただただ「え、地雷なのですが。やめて?」なのである。そういうこと。


 つまり天彦は異端審問をやめさせるその懸け橋としてジョバンニ・ロルテスに担ってもらおうと考えているのである。

 果たして上手くいくのかは今後の展開を乞うご期待だが勝算はない。何しろほとんど他力なので限りなくゼロに近しい試みである。だが例によって知ってやらずには自分が気色悪いのでやるのだ。難儀な性質のお人であった。


 と、


「う」


 気づけば座っている目の前に四十つの瞳が迫る勢いで注視していた。

 黒組は佐々内蔵助成政を筆頭に十名の熟練馬廻り衆が。そして紅組は特に中心人物を置かずにヤング侍十名が天彦を注視していた。

 黒組・紅組いずれも劣らぬメンツであり、森で出会えばクマさんも裸足で逃げ出すだろう錚々たる顔ぶれであった。えぐい。


 すると中の一人、まだ辛うじて会話が成立しそうな人物、おそらく川尻与兵衛秀隆であろう黒組副将格っぽい人物が、天彦に辞を低くして近づいてきた。真正面に陣取ると一礼、そっと懐から文を取り出し両手で仰ぐようにそれを差し出す。受け取る。


「殿よりお預かりいたしており申した。どうぞお受け取りくだされ」

「おおきにさん。どれどれ」


 差出人はたしかに魔王様だった。知ってた。見た目に天下布武印は派手だから。

 念のため最終頁も確認しておく。花押も信長、間違いない。

 中身はこう。

 信長が楽市楽座を認める代わりに一つの提案をしてきた。それは菊亭に対する保護名目の例えるならいわゆる一つの外形標準課税であった。天彦は秒で飛びつく。むろん脳内で。


 要するに企業(商店)に付与する福祉事業税である。京の楽市楽座政策を取り纏めるのならという条件つきだが天彦にとってはむちゃんこ嬉しい提案だった。

 それも天彦の菊亭だけではなく公家全体の基金として徴収してくれる考えがあるそう。普通に嬉しい! 目も付けられないしサイコー。

 ベクトルとしてではなく絶対値として社会的に守られるのが夢系男子でもある天彦は普通に猛烈に感動する。

 信長発信でなければ絶対に俎上に上がることのなかった議案であり、仮にあがったとて。という筋の稟議であった。だが信長公が請け負ってくれるのなら話は180度違ってくる。


 ずっとお金ない系男子だった天彦にとって喉から手。お金のためだったら眉も剃る。不評だった眉麻呂彦に戻ったっていい覚悟である。

 知的財産権も特許もへったくれもない時代におけるスキーム(枠組み)としての継続収入はあるに越したことはないのである。何より心が痛まない。

 何しろ天彦、お金稼ぎが得意な人は全員悪党という謎の哲学を持っているのだ。メソッド(方法論)はない。むろんエビデンス(裏付け)でもなく。あくまで感覚的な……、あ、はい。ただの嫉妬だった。


 身共のお金儲け下手くそっ!


 事業主としていっちゃんアカンやつ。だが気にしない。心の観測を制御できないくらいなんだ。どうせこの世は誰かの物語で引っ張られている。誰も不幸にならない悪は悪なのか。違う。そういうこと。


「お雪ちゃん、お給金あげられそうやで」

「……」

「なに、そのお目目さん。さすがに無礼と違うのんか」

「若とのさんの大ウソつき。の目ぇですわ。そんなんばっかしゆうて全部すかされている者の身にもなってくださいよ」

「おい待て。全部は言い過ぎやろ」

「待ちますけど。何なら一生。あと言い過ぎではないですから。敢えてこいつら意気地なしどもには同意を求めませんけど」


 こいつらさん(且元・氏郷・佐吉・是知)はさっと視線を外に逸らした。

 なるほど意気地はなさそうである。但しこと天彦に対して限定だが。


 雪之丞の指摘と口答えはある意味で正しい。

 菊亭には相当賃金の未払い及び遅滞があり、一般企業ならとっくに破綻していて可怪しくないレベルの財政状況であった(吉田孫次郎主計助意庵・菊亭の財務担当兼会計士調べ)。

 だが減るどころか日々増えていく一方の家人(社員)たちに、天彦(社長)の方がむしろ首を傾げるという可怪しな現象が起こっていた。

 つまり言い換えるならすべてではないが結果よりプロセスと将来への展望が大事な好例ではないだろうか。あと雇用主(殿様)の個々に寄り添える為人と人望も少し。



 閑話休題、

 まあ半笑い半分で。これ以上は本人が悶絶するので。


「一生は、待たんでもええさんかな」

「待ちますけど」

「あ、うん。ほなそれで」

「はい、待ちます」


 雪之丞のオニ催促から逃げきって一息いれると、今度は黒組に入れ替わっては紅組の若侍がにじり寄ってきた。……こっわ。

 顔面左目下部分におもくそ矢傷の入ったそれ以外にも勲章っぽい傷無数の表情も目性も気配も丸っとDQNな二十歳前後の若武者であった。

 天彦はつい“身共なーんもしてませんけど。銭も持ってませんのん”と言いかけた。だが寸前のところでぐっと踏みとどまり「直言を許す」と気合の応接でその場を凌いだ。せーふ。


「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまするっ! お初にお目に入れます。某赤母衣衆筆頭、前田家当主、又左衛門利家と申しまする。お見知り……、おき下されておるようですので。更なるご厚情を賜りますよう伏して言上仕りまする!」


 あ、はい。声でかっ。耳いたっ。


 ご存じ加賀百万石のお人さんであった。利家は天彦が見た中で群を抜いてぶっちぎりにとんでもないチンピラDQN侍だった。外見を含めるすべての要素がトップクラス。

 だが解せない。利家の様子がへんだ。口上もだいぶ変だったが。そちらは気にしないとしても態度があからさまに可怪しいのである。

 というのも利家。まるで大型の狩猟犬が懐いている飼い主に遊んでほしいときの素振りを連想させる。……なんで。


 一ミリも思い当たる節のない天彦は、内心の怪訝を隠さず応接する。


「参議、某からお一つ伺ってもよろしいかっ」

「声のボリューム抑えてんか。耳キーンなるん」

「ぼりゅむ……?」

「声量におじゃりますぅ」

「ああ、畏まってござる!」

「それのどこさんが」

「ではこれで如何か」

「ギリやけどそれでええさん。で、アカンと申したらお黙りさんにあらしゃりますのか」

「黙りませぬ」


 これは非常によろしくない。まさかの応接ではあったが天彦の問い方も拙かった。

 やはり。且元と氏郷がすかさず反応する。さっと立ち上がり天彦をかばうように背を向け利家の前に敢然と立ち塞がった。むろん侍のお命さんである銀閃眩しい切っ先を突き付けて。

 もはや笑いごとでは済まされない。抜くとは即ちそういうことだから。

 だが且元と氏郷はいたって真面目。微塵の曇りなく務めを果たしているだけで事実彼らには寸分の咎もない。

 二人は言葉なく利家を真っ直ぐに睨みつけ、むろん利家も真っ向から睨み返して一つの気配が出来上がった。凄まじく濃度の濃い極めて不穏に満ち満ちた不穏の気配が。


「お待ちあれ」

「待たれい」

「待たれよ」

「あいや暫く!」


 だが周囲の侍たちが二人をとどめた。取りようによっては身贔屓である。

 しかしこのやり取り。明らかに礼に失しているのは利家の方。理屈が通らぬと天彦が非難の声を上げようとしたそのとき、意味がようやく理解できた。

 二人を制止した者たちが利家を庇うように、利家に代わって境内の地面に額をこすり付けていた。紅組チーム(赤母衣衆)九名全員であった。


 つまり利家は何かを訴えたいのであって口答えしたわけでないのだろう。

 天彦は苦笑いもでないほど呆れ返る。間違えたら死人が出ていた。

 だがこれぞ真のDQNか。戦国DQN侍情報をアップデートして且元と氏郷の背に下がるよう声をかけた。労いの言葉と共に。


「はっ」

「はっ」


 二人が引くと空気がかなり和らいだ。どうやら利家は言葉でしくじる典型的な侍のようである。


「申したいことがあるんやな。ほな訊いたろ」

「忝い! お陰様を持ちまして某、昨月荒子に入り前田家家督を継いでござる。御礼申し上げまする」

「おめでとうさん」


 むろん天彦の脳裏には……である。御礼の意味が一ミリもわからない。

 だが今は後。話を訊き進める。


「勿体ないお言葉、誠に忝くござる。さて某、その際殿から直に伺い申した。参議が某を強くご推挙くださったとか。ご無礼ながら何故某をご推挙くだされたのか。またその御恩に報いるには某は何をどう働けばよろしいのか。あいにく猪侍故皆目見当も付きませぬ。故にご無礼を承知でこうして直にお尋ね申し上げている次第にてござる」


 ……知らん。言った覚えがない。一つも。


 あるいは信長との会話の中で何の気なしに言ったかもしれないが、意図しては言っていない。これは確実に。なぜならこうして明かされて猶、ピンと来ていないのだから。


 だがまあ考えようによっては抑えになるのかも。なにせ彼は藤吉郎の親友マブダチだから。親友ずっトモではけっしてない方の。

 それでもないよりかはマシ。あれはアカン。あれが天下を取ったら天彦は詰む自信があった。悪い方の予感なので精度はかなり100に近しい。

 ならば保険は必要か。程度に捉えてたった今この場で方針を捏造する。


 前田、前田、前田……。


 前田又左衛門利家の経歴を脳裏にある長期記憶の棚から引っ張り出して。


「意図したわけではあらしゃりませんが、又左衛門さんがそのように申すのならいずれ縁も結ばれましょう。その時にでもお互い無事で語らい合えれば重畳かと身共はお思いさんにおじゃりますぅ」

「利家とお呼びくだされ、何卒っ!」

「声が……、もうええわ。ほな利家さん」

「はっ、ここにおります!」


 み、耳がぁあああああああ。


 藤吉郎の壁にはなれないが盾くらいにはなってくれそうなお人さんゲット。

 天彦はそんな気軽な気持ちでいたのだが、果たして思惑通りに進むのか。大抵そうはならないが。

 自分自身そんなどこか厭な予感を沸々と感じているところに、しゅたっ。


「お殿様、急報だりん」

「どないした」

「お読みください、どうぞだりん」

「うん。おおきに。どれ……」


 ルカに速達を手渡され解く。


「いやいや、それはさすがにアカンやろ」


 

 はァ……? 二度見してもう一度……はァ? ルカを見てからもう一度。……おいて!


 

 いやいやいや、あり得んて。あり得るのだが、そこにはあろうことか烏丸光宣の婚姻式の日時が記されてあった。

 お手紙はまんま招待状であったのだ。むろん婚姻その物がアカンのではなくお相手がアカンかった。非常にまずい。


「おのれ九条」


 この場合の呪詛は二条兼孝でも可。何なら将軍義昭でも細川藤孝でもむろん惟任光秀でも可。なにせお相手の名が将軍義昭の妹御前、九条の方と記されてあるからだ。

 つまりこれは九条植通と二条兼孝の親子コラボ策であろう。再起を図る渾身の一手の心算か死ねコロス。

 いずれにせよこの程度の悪いシナリオは絶対にそう。薄気味悪くも気色の悪い九条流独特の底意地の悪さしか感じないから。

 そこに将軍義昭と出た惟任! の惟任が絡んで出来上がった極悪シナリオだと天彦は推測していた。そして細川も噛んでいる。与六に任せた伊勢家の一件では渡せ渡さぬ問答でけっこうばちばりやり合ったから。可能性としてはかなりお高い。半ば確信的に。僅か一秒で。あるいは一秒もかからずに。


 つまるところ菊亭降ろしが本格化した。“だけ”とはさすがに強がりでも言えない。それほど敵は強大で今にも天彦はちびりそう。

 天彦は嘯くこともせず素直に脅威を認めて正しく敵を評価する。



 なるほど。なーるほど。ふむふむ、……あ、そう。



 だがどうだ。策意を読み解けばなんてことはないのである。

 何てことあるのはむしろ天彦の無意識にまき散らす害意にあてられ見る見る内に顔色を失くすか悪くしていくむくつけきDQN侍たちの方であろう。


「くっ」

「なん、たる」

「っ――」

「ぐぎぎ」


 どこか得意そうな顔をしている菊亭家人とは対照的に、まるで武辺をどこかへ置き忘れてきたかのようにしおらしく、熟練の黒組も血気盛んな紅組も漏れなく皆、顔を強張らせてじっと息を呑んでいた。


「しかしお人さんどうし、こうも分かり合えんもんなんか」


 天彦の心中からのつぶやきの言葉にけっして小さくない悲鳴が上がる。

 天彦は普通につぶやいただけなのに。凄むでも怒るでも武張るでもなく。



 ぱちん、ぱちん、ぱちん。



 だがこうなった天彦に声を掛けられる者などいるはずもなく。

 軽快なリズムを刻む扇子の音だけが禅寺の境内に鳴り響くのであった。

 まるで何かでじわじわと首を絞めつけられるかのような形相で、口をぱくぱくと苦悶の色を深めていく織田のお家来さんたちの呻き声を伴奏として。




















お読みくださましてありがとうございます。誤字報告並びに高評価、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。


いっぱいちやほやしてもらったのでお返しにお届けしました。

単純なヤツぷぷぷ。そんな半笑いでお読みいただければ上等の気分です(⑅˃◡˂⑅)エヘッ

皆さまのご厚意とラブに支えられて初めて完成する作品です。引き続きよろしくお願いいたします。ありがとうございました┌○ペコリ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ