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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
八章 友愛神楽の章
149/314

#14 テイストとして、ずっラブです

 


 永禄十二年(1569)十月十日






 フェスタビタス・ナタリスが終わった黄昏刻、宵五つの鐘が鳴る頃。


 家来たちとはまたしてもお別れ。公務のお時間。太政官参議として魔王から正式に接待役の任務を依頼された天彦は正式にその依頼を受けて会談の場に向かっていた。

 余韻冷めやらぬ天彦は信長に導かれるまま稲葉山を登山している。むろん馬移動で。当然ではない信長のタンデムで。


 余韻。まさしく余韻である。フェスタビタス・ナタリスは祭典というよりかは聖典であった。宣教師を始めとした切支丹行列は目を慰撫する雅であり、聖歌隊の絶唱は耳を延いては心を浄化してくれるまさに究極の芸術であった。


 だからなのか。呆けた感情で思わずぽつりとつぶやいてしまう。


「金華山」


 ――と。


 こんな迂闊な発言を聞き逃す信長ではない。馬は急停止。すっと右手が上げられると行列もぴたりと即応、息遣いが聞こえるほど辺りはしんと静まり返った。


「天彦、何と申した」

「はて、なんや申しましたやろか」

「貴様、息を吐くように嘘を申すな。それとも余の耳が耄碌したとでも抜かすつもりか。観念いたせ」

「あ、はい。……金華山と申し上げましたん」

「この稲葉山がか」

「はい。岐阜城は御覧のとおり金箔に覆われ金ぴかで、途中におじゃりました迎賓館もみーんな金ぴか。まさに金箔華やかなるお山さん。金華山、におじゃりますなぁと思いましたん」

「――で、あるか」


 信長は言って数舜目をつむると、


「筆を持て」

「はっ」


 その場で小姓に墨を磨らせて鞍上のまま文字を記す。三文字、


「金華山」


 と。


 そして天彦にこれでよいかと背中で問う。

 天彦は首を120度反転させるくらい手間がんな。の感情でうん、それ。と素っ気なく返し、稲葉山城はこの瞬間金華山へと名を変えた。とか。


 明治以降この稲葉山はそう呼ばれる。だから変質や改ざんではない。確定している事実のちょっとした前借なだけで。故に天彦の罪悪感はほとんどない。あ、はい。


 ぱかぱかと呑気に登山していると、途中かなりの人とすれ違った。小さな行燈一つを足元の光源とする人たちと。

 それも武士階級ではなさそうな然りとて貴族ではけっしてあり得ず、つまりどう見ても城下住まいの領民らしき一般人と何度となく行き違ったのだ。

 判断材料は服装一点のみなのでここ岐阜城下の貴種のカジュアルスタイルのデフォルトが平民ルックというなら外れているが。


 まあ無いよね。ということで興味を惹かれる。

 仮説一、お城務めの奉公人。にしては数が多すぎるし信長公、安全保障上通い奉公を認めるようなお人ではない。よって却下。

 仮説二、何かの築造の人足。にしては身綺麗すぎるし女子供も多すぎる。よって却下。

 仮説三、裁判や訴えに参城している被告・原告。城下に代官所があった。城にわざわざ呼び寄せるだろうか。二と同じ理由で女子供が多すぎる。よって却下。

 仮説四、……ウソだろ。


「おっ母、オラ、初めて見ただ。すっごいねー」

「ほんに織田のお殿様には感謝しかないよ。お前も大きくなったら御恩をお返しするんだよ」

「うん お殿様すきー」


 どうやら仮説四の領民にお城を開放している。が正解のようである。

 ほえー、まぢ……? 背中をちょんちょん。


「拝観料はおいくらで」

「二文である。……儂が案内役を買って出るときだけは十文徴収しておるようじゃが、それでも安いらしく予約で常に満杯とのこと。吝嗇をつけられる前に予め申しておくが儂は額の多寡に関知しておらぬからな」


 もうスキです。ずっと好きです。合体して“ずっラブ”です。


「何を驚いておる。貴様が進言したのではないか」

「え」

「貴っ様ぁ」

「あ、……っ」


 震える信長に震える。え、コワすぎん、このお人さん。


「ほとほと呆れる。貴様は申した。耳を寄せて二流、威張って三流であると。ならば一流はと問うと、親しまれること。国主の第一条件とはそれに尽きるとそう申した。血筋でも出自でもないと確と明記されておった。ならばと儂なりに実践している段階なだけよ。よもや忘れたとは言わせぬぞ。それとも代筆させておるのか」


 忘れていた。言ったった、ん……? あ……! 


 だがすぐに思い出した。なので書いたったんが正しいのか。伝えたのは先々週のお手紙だった。先週届いているはずである。

 凄い。物凄い。たしかにえげつない。けれどいくら何でも即日実践すぎませんかね。信長さんてば。


 天彦は大真面目にオニ率直にオニ衒いなく、信長公の実践力と修正力と頭の柔らかさにど感心させられていた。

 そして同時になんて素直でお茶目でチャーミングなお人さんなのだろう。

 大事なことなので二度言う。ずっラブと。

 天彦はそれほど本気でハートを撃ち抜かれていた。遅れて後からポンコツ記憶が補完してくる。

 どうやら史実でも実際に行っていたそうである。仏教界には第六天の魔王とまで忌み嫌われたこの天下人さんは。


「ほな身共は倍の二十文支払うん」

「ははは、で、あるか。ならば今後は余の背に便乗する貴賓からは一貫文せしめるか」

「いや二十倍! 庶民規格やったら五百倍!」


 銭を撒くは貴種の義務であろう。申したのは貴様と記憶しておるが、よもや違うとは言わせぬぞ、わははははは。


 天彦の軽快なツッコミに信長公はエッヂの効いた当意即妙の説破で返し大笑いを響かせる。

 むろん天彦限定のリップサービス冗句であろう。信長の背に便乗する貴賓が早々いるとも思えないので。

 だがするとどうだ。その軽快な笑い声は周囲に侍る親衛隊たちの野太い大笑いを誘うのであった。


「ひどい!」


 がはははははは――!


 ならばと天彦も負けじと道化を演じてバカになり切った。これはとても自然な演技。何しろ素が道化キャラなので。

 荒々しい親衛隊の面々は天彦の反応を受けて大いに喜び大いに笑った。

 ガキのように単純な反応だが、彼らの志向性は極めて単純。この場合はおらが殿様が公家を言い負かすことが嬉しいのだろう。それも叡智の化身とまで噂される天彦相手となれば猶更に。


 天彦は一連の流れを終えると一仕事終えた充足感を覚えているのだろう。妙に満足げに小さく笑う。

 これも天彦のいい人キャンペーンの一環であった。織田家は理非を問わず岩盤支持層になっていただかなければならない最重要の御家なので。100損得勘定で。信長公に対するリスペクト100の感情で。惜しみなく持てる技すべてを繰り出して応接していた。

 尤も天彦にとって笑われることはそれほどの苦ではない。強がりではなく本心で。むろん嘲笑的に笑われることには耐えられないが、狙って笑われる分にはむしろ歓迎。その違いは割と大きい。


「ときに天彦。三介とは話はすんでおるのか」

「お話? はて何のことですやろ」

「収奪した船の荷の取り分であろう」

「ああ、それ」


 ガレオン船は一隻焼失していた。だが一隻は接収できている。てっきりその件に横やりを入れてきたものと警戒してすっ呆けていたのだが、どうやら違いそうであった。


「学問として捉えられはするが生ものとしては扱いに困るか。天彦も実に公家であったのじゃの。しかし天彦、生きていく以上避けては通れぬ道であるぞ」

「誤解です。身共はぜんぜん。ですが避けているのは茶筅さんなん」

「なに。その割に手掛けた事業、すべて放り出していると聞くが」


 外にはそう見えちゃうよね。死ぬほど真剣に取り組んでいても。


「それこそ三介さんがすべて身共に任せると丸投げなん」

「あのクソガキめ……、目録はあるのか」

「ありますん」

「寄越せ」

「はい。どう、あ」


 信長は引っ手繰るようにして引っ手繰ると、積荷目録にざっと目を通しただけで、「○○貫文であるな」ざっと目算で末端の総売り上げを予測してみせた。これはこれから定まる11月米市場相場も頭に入っていることを意味している。凄い。

 史実ではこの時代米は低廉で推移している。だがこの世界線ではそこそこの値を付けている(一石=1,800文/史実のおよそ三倍の価格)。

 インフレ・文化進捗速度、統治の安定、治安の向上等々、間接的要因はいろいろ考えられるがやはり一番の直接的原因は戦が減ったことによる死者数の減少である。それに尽きる。

 すると必然的に人口が増加している。どの都市も類を見ない程人口が増加傾向にあった。たった一つ、大がかりな戦がないだけでこれである。戦は絶対悪であるQED。

 猶、ルイス・デ・アルメイダと自称プロクラドール(財務担当責任者)ミゲル・ヴァスは個別にイエズス会京都支部に送り届けている。


 閑話休題、だが信長は船の収益分配には一切触れなかった。三介を信用しているというより放置して伸ばす教育方針なのだろう。どうやらケースバイケースが子育ての基本方針のようである。本当に子煩悩だと思う。名づけセンスはオニ終わっているけれど。


「やはり交易は利ザヤが大きいの」

「はい」

「貴様のことじゃ、すでに先は読んでおるのだろう。噛ませよ」

「……はぁい」

「なんじゃ」

「はい!」

「うむ。しかし裏を返せばあの三介がのう。そうか。信を置いたか。三介とは上手くやっておるようじゃの」

「嬉しいん?」

「なに」

「ひぃっ、嘘です。はいそれはもう。身共、茶筅さん大好きなん。きっと茶筅さんも身共が大好きやと思いますぅ」

「で、あるか」


 信長はすると照れ隠しの序でのように話題を変えた。


「吉田屋、あれは使えるな」

「あげませんよ、絶対の絶対に!」

「申しておらぬであろう」

「目が、目ぇさんが不穏を訴えたはります」

「ふん。……で、あるか。ならばどうじゃ、余に貸し与えよ」


 貸すくらいなら。兄弟子にもいい機会である。

 天彦は数舜で判断した。縁起は悪いが信長公がどうなろうとその道は後の天下人に繋がっていくだろうから、と。


「無茶使いはあきません。身共と兄弟子は一心同体。そのこと努々お忘れなきようよろしゅうお頼みさんにあらしゃりますぅ」

「ふん。堺湊を預ける。どうじゃ」


 すごっ。信用も信頼もしていないだろうから、単に能力を買われたのか。

 天彦は優秀な人材は出自や血筋など無関係にこうして買われ乞われ世に出ていく。そんな場面に出くわして改めて角倉了以のポテンシャルの高さに感心させられるのであった。


「あと八郎をあまり甚振いたぶってやってくれるな。あれで根は優しい男でな。犬の婿でもあるのじゃ」

「はい存じ上げておりますけど、佐治さん? 身共にそんな記憶一つもありませんのん」

「褒美を取らすから参れと申したが、来ぬと抜かしおったので問い詰めた。すると貴様が居る間は岐阜の敷居は跨がぬとそう申しおった。いったい何を言って脅し付けた」

「脅すなんて人聞きの悪い。身共はただ……」

「ただ、なんである」

「星を占っただけにおじゃりますぅ」

「で、あるか。やはりのう。ほどほどにな。お前の星読み、八郎ほどの武士もののふであっても震えあがるのも無理はないからの」

「あ、はい」


 チートではありません。あくまでライフハックです。

 さて場も言い訳も温まってきたことだし、


「で、どこに向かっているんです。お務めとは伺っておりますけど」

「まあ着いてのお楽しみじゃな」

「意地悪なん」

「意地悪なものか。貴様はもっと己の存在の恐ろしさに気づくべきであるな」

「恐ろしさ?」

「誰が貴様に面と向かって意地悪を致す。誰が貴様に恨みを買いたい。あの天下さえ望めたであろう甲斐の虎ですら気付けば涅槃に送られているというのに」

「ひどっ」


 わはははは。で、あるか。


 結局ネタは明かされず仕舞い。珍しく信長が意地悪だった。そもそもずっと意地悪なのかもしれないが、何やらトーンが違っていた。

 まるで悪戯っ子のような。あるいは自慢のお宝を披露するときの蒐集家コレクターのような。そんな一風変わったニュアンスに受け取れる焦らし口調の意地悪だった。


 着いた。


「どうじゃ」

「……すごい。


 

 すごおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――!」



 天彦は絶叫していた。その眼を瞠るばかりの景観に。

 ただただ素晴らしいばかりの絶景に。

 詫び寂びと風情と情緒と味わいと、心の柔らかい部分を優しく包んでくるものすべてがそこにはあった。なのにまったく五月蠅くない至上の景色が広がっていた。

 そう。目の前にはまさにこの世の粋を結集させただろう職人自慢の空中庭園が広がっていたのである。


「すごっ……」

「で、あろう。余の自慢の庭園である」


 言うだけあって土台の金華山は様々な趣向が凝らされていて、中でも特に空中庭園と天彦が思わず叫んでしまった中腹庭園は絶景の絶品であった。石組みの露天風呂まで設置されてあって、おそらくきっと温泉である。

 つまりこの庭園スペース全体が貴賓お出迎えのおもてなし空間だったのだ。発想のスケールがとんでもない。銭もとんでもなく掛かっていることだろう。


「こっちじゃ」

「もう歩くの早いです! ……なんですのん、そのお手手さん」

「抱っこを強請ったのではないのか」

「みんなんさんの前でハズいん。やめてんか」

「何を一丁前に。ほら」

「わっ」


 ぬぐうううう。しゃーない、させたろ。


 抱っこされて向かった先はその迎賓スペースにある藁ぶき木組みの質素な山小屋ロッジ山荘コテージでも小屋バンガローでもない丁度いい塩梅のまさしく山小屋ロッジであった。

 しかしそれこそが信長公が愛して已まない茶室であった。天彦はそこに招待されたのである。


 茶室には茶人はおらず、けれど先客はすでにいた。

 大中小の先客は二名が宣教師で一名は騎士だった。黒眼灰髪のがっちり系ローマン、ジョバンニ・ロルテス。そう、天彦指定の人物であった。


 魔王様が謎に天彦を上座へと追いやった。周囲の目線以上に追いやられた天彦が一番驚いている。

 何でなん。御託を申すな。黙って従え。あ、はい。


 目線でのラリー一往復。時間にして僅か二秒。えぇー、そんなきつく睨むことある。普通にむちゃんこ怖かったん。

 訳もわからず天彦は気圧されるまま持てなし側の正客上座におっちん。が、座ってすぐに理由に気づく。


 そや、信長さんがお茶点てはるからや、と。ややハズで正対する。


「オサキニ、オマチ、シテオリ、マスター」


 ぶはっ。それズルい!


 天彦は噴き出すほど笑ってしまう。マスターで落としにかかるとは。まさに油断の隙を突かれた。

 何しろ発言者のコスメ・デ・トーレス司教が天彦の目にはもはやジェダイの偉大なる指導者マスターヨーダにしか見えなくなってしまっていたから。


 というのも近くで見るとコスメ・デ・トーレス司教はよぼよぼのお爺ちゃんになっていた。……あ。

 天彦は気づいてしまう。笑いごとではないことを。彼は今からちょうど一年後の今日、他界してしまうのだと気づいてしまう。


 生涯を布教活動に捧げて祖国にも帰れず、ひっそりと天草で最後の時を迎えるのだ。彼らからすれば地の果てに等しいこんな蛮地で最後の時を迎えるのだ。そんな人生、自ら選んだとはいえ果たして本当に幸せなのか。

 そんなお節介も含めて天彦のときどき頼りになる記憶は補完したのである。


 しんみりしても仕方がない。人には天寿があるのだし。老師が自ら望んだのだし。

 あの感じではきっと人知では及ばない不治の病に罹患しているのだろうし。


 すると、若手の司祭が父をあるいは師を労わるようにコスメ・デ・トーレスの手を取ると発言の許可を取るのだった。魔王は黙って了と頷く。


「ハジメマシテ。オメモジカナイ、コウエイデス、ワタシハ、ガスパル・ヴィレラ、ト、モウシマス」


 コスメ・デ・トーレスの愛弟子ガスパル・ヴィレラ助祭が代表して答弁した。

 魔王の瞳が怪しく光る。むろん天彦の双眸にも鋭い何かが乱反射している。


 天彦はぽつり、御目もじねぇ。つぶやきを受けて魔王もぽろり、


「あやつ、話せるようじゃの」

「はい。身共も同感に思わっしゃりますぅ」



 それもネイティブスピーカーばりに。

 御目もじとは女性言葉。即ち天彦たちが使う宮廷女房言葉である。かなりの特殊性がある言語であり貴人にレクを受けない限りおよそ学べることのない言語。

 背後はいったい誰さんなん。どなたさんが糸、引いたはるんやろ。


 天彦は関心を、信長は燃えるような敵意を向けて場に臨んだ。

 どうやら戦いの火蓋が切って落とされたようである。




 ◇




「実に有意義なお話ができました」

「で、あるか」


 が、会談は終始穏やかに進んでいき、天彦の危惧した不穏な気配は影も見せなかったのである。

 むろん不穏自体がまやかしだったのではない。絶対に裏はある。どれだけ取り繕っても一皮剥けば大砲ぶっぱして脅すような真似を平気でする輩の集団なのだから。

 よって不穏そのものをまやかしにしてしまったのだ。この若き助祭の如才なさと巧みなトーク術が。助祭だけに。いや司祭だったか。あ、はい。


 天彦は長射程の読み合いなら負けない。思考の質、情報の量、解析の精度、いずれにも自負があるから。

 待ち構えて鼻息荒く利き腕をぶんぶん振り回していたのに出番なし。


 だが出番がなくて本当によかったと今では思っている。

 何しろ天彦という人物、テクニカルに攻められたら無性に強みを発揮するのに対し反面、けれど感情面だけは攻められるとどうにも脆い弱点を持っていて。

 老い先短い老師がお願いしますと頭を下げてきたらどうしていただろう。きっとほとんどのお強請りを訊いていたのではなかろうか。おそらくきっと。

 感情面がひどく脆い。それは致命傷になり得る欠点である。たとえ天彦にとって家人たちとの掛け替えない絆の懸け橋となった美点ともなっている強みだとしても。


 すると思考の不意を突かれてしまう。いつにも増して今夜の天彦は迂闊であった。


「Grão-Vizir tem sido um longo tempo desde tenho um convite para vós」

「O professor Tenho um convite para vós」


 求められるままラテン語で応じてしまい、場を凍り付かせてしまう。

 むろん凍らせたのは天彦ではなくお隣の魔王様だが。


「……狐、貴様はやはり胡乱よな。どうにか聞き取れると申したな。貴様のどうにかは今後信用せぬこととする」

「酷いです信長さん。たった外国語で挨拶交わせた程度で」

「ふん。たったのう。何と申した」

「普通にお久、お元気でしたんと申しただけです」

「で、あるか。どこで学べば話せるのだ。こやつら学ぼうとはするが一行に教えようとはせぬはずだが。まさか貴様……」


 まんじ。


 キリスト教浸透政策だった。むろん信者になればその限りではない。

 つまり信長は天彦の入信そのものを勘ぐったのだが。


「あり得んな。うむ、あり得ぬ」

「ひど!」


 秒で却下。笑いとばした。どんな認識!?

 一段落つくと、ヨーダ老師ではない老師から天彦に語り掛けがあった。

 むろんこの場には通訳を入れていない。天彦からそう申し入れ翻訳係を請け負ったからだ。


 天彦は眼で魔王に問うた。魔王はしぶしぶだがいいぞと頷く。なんやかや天彦には甘い魔王である。許可が下りたので私的な会話に入らせてもらう。


 以降はすべてラテン語での会話。


「大宰相閣下、礼の件ですが」

「無理をお頼み申しあげましたん。よう働いてくれて堪忍なん」

「なんのこれしき。大宰相閣下のご尽力を思えば何のことはございません」

「その節は無力で申し訳なくあらしゃります」

「ではやはり」

「年内にも排除勧告なされることでおじゃりましょうな」

「……無念です」

「同感におじゃりますぅ」


 気を取り直し、老師はラウラの話題を振ってきた。この場で私的なことを切り出しにくかったので天彦としても助かった。

 月に二通ほどイエズス会からの動向報告は受けて知ってはいたが、やはり自身で直接耳にするのとでは安心感が段ちである。

 曰くフェルナンド・メネゼス前提督の日本妻のような地位にあるとのこと。彼はカピタン・モール(海洋帝国在外総領事)を勇退し今はマカオにいるらしい。  

 あちこちに転居する悠々自適な外遊生活を満喫しているとのこと。むろん海洋帝国に万全の態勢で安全を担保されて。


「ラウラ」


 因みに妻はと問う。本国に一名と返ってくる。愛人はと問う。言いづらそうにラウラ女史お一人、と返ってきた。

 フェルナンド・メネゼスかなり真面な部類の軍人だった。何しろこちらの方が倫理観ぶっ壊れているので。だが言い訳ではないが倫理観ぶっ壊れは武家だけで何なら商人と。

 公家は意外にも一夫一婦が多いのだ。哀しいお報せだが物理的に厳しかった。貧乏で養えないから。あと正室のご実家もおっかないというのもある。ほとんどの場合、公家の妻も公家だった。


 いや、どうでももいい!


 だがマカオ。遠い。危ない。エッグタルト美味しい。向かったところでたどり着けるとも限らない。だが向かわなければどうにもならない。世の中はトレードオフ。やはり船が必要である。大砲買お。精密な羅針盤も。……とか。

 天彦の取っ散らかった思考はぐるぐると行ったり来たりの堂々巡りを繰り返し、最後にはお決まりの、フェルナンド・メネゼス氏ねコロス。で落ち着くのであった。


「纏まったのか」

「はい。お待たせいたしました」

「天彦、大丈夫なのか」

「はい。おそらくは」

「どれ」

「大丈夫なん」

「……なんじゃこれは。何が大丈夫なことがある。熱を出しているではないか! おい誰ぞある」


 はっ、ここに。


 勇んで飛び込んできたのは雪之丞の親友マブダチ、佐々家のごんたくれ大将成政くんであった。


「成政か。こいつを部屋に運んでやれ。くれぐれも丁重に」

「はっ。承ってござる。参議、お体御免っ」


 言って成政に軽々と抱え上げられ、天彦は茶室を後にするのであった。

 痛恨の寝不足による疲弊。連日の寝不足が祟っていたのか、天彦は抱き上げられた段階ですっかり意識を放っていた。どこか魘されるような顔つきで。


 静まり返った茶室では、


「無理をさせてしまったか。つい勘違いしがちだが、あれもまだ子供であった。こちらが気を付けてやらねばな。ではその方ら、もう辞してよいぞ。これにて仕舞いじゃ。城内でゆるりとするがよい。追って沙汰は申し付ける」

「……」

「……」

「……」


 早口で何を言われているのかわからない三人はポカン。

 信長もよほど気が急いていたのだろう。会話が通じないことさえすっかり失念してしまっている。


 伴天連たちには颯爽と出ていく信長の後姿を見送る意外に術はなかった。











【文中補足】

 1、カトリック(イエズス会)宣教師序列  助祭→司祭→司教










ちゃんとかまってくれるの、嬉しい! 


です。特に即応してくれて新たに高評価くださった6名のお優しい方と、すでに高評価くださっている395名の皆様には心からのありがとーを送ります。

元気出ました! なんやかやぽちぽちやって参りますのでご愛顧のほどよろしくお願いいたします。善き週末をお過ごしください、皆さまそれではごきげんよう。ばいばーい。


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― 新着の感想 ―
[良い点] あ〜、、、信長さんも三介さんも天光さんも尊み過ぎです!! なんですかこの読み手を優しい天国に連れてってくれる回は! ずっラブですよ本当に、、 糖度100%な回の中にもピリッとした山椒も…
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