#12 血を吐くような苦渋の合意
永禄十二年(1569)十月十日
子刻夜半、夜九つの鐘がなって半刻ほど、お子様はとっくにお眠の時間帯。
風は止み海は凪ぎ、まるで何かを予感させるようなやたらと静かな夜だった。
織田家主力を除く防戦勢の面々が港から船影を見つめる中、対する宣戦布告側イスパニア商船艦隊は主力のガレオン船を二隻、接岸可能限界いっぱいまで船体を寄せ付け、まるでどてっ腹に装備された各八門の砲をこれでもかと誇示するように向けて臨戦態勢のまま待機していた。
近代ならあり得ないが時は戦国室町である。まだ辛うじて戦にも流儀が残っていて、特に三介は戦の流儀にこだわる系男子であった。
意見は強硬。格下の挑戦を受ける立場の織田家として先手をイスパニア商船艦隊に譲るという何とも愚かな決断を下していた。
年の功か。連枝衆や家老たちの中には砲艦外交の恐ろしさを身を以って知ってる層もいるのだろう。あるいは艦船に装備された砲の威力を実感レベルで知っているかのいずれかは確実で、その強硬な反対姿勢から容易に想像できてしまう。
そんなこんな評定は紛糾し誰もが猛反対をする中での大将の決断を、あっさり崖から突き落とすかのようにぽんと背中を押したのは何を隠そう菊亭の幼き当主太政官参議その人であった。
「好きにやらせたったらええさんや。ここはいみじくも日ノ本。ありがたくも帝の御威光さんがきっと守ってくれはるやろ。正義は勝つ! 知らんけど」
正気か……このクソガキ。
その場のほとんどの意見をラフに集約するとこれ一択。
が、勝負あった。従四位下。その発言力は小さくない。地位がそのまま発言権の大きさに移行される制度設計である以上は。
こうして先手を譲った織田家だが、待てど暮らせど戦闘開始の合図がかからない。
誰もが胡乱に思いながら、けれど警戒心と緊張感を露わにしていると、
「やはりお前なのだな、天彦」
「はて何のことさんやろかぁ」
すっ呆ける。
だが菊亭が誇るギーク部隊はすでにニトロの製品化にこぎ着けていて、裏を返せば黒色火薬の性能など細部にわたるまで熟知している。それこそ少なくない犠牲者の数だけ成果を積み重ねてきたのである。故に中和あるいは無効化など赤子の手を捻るより容易いだろう。そういうこと。
「くくく、親父殿は申された。アレが扇を払うだけで決め手を欠く戦況は一瞬にして優勢が克明となり結果、見事勝利を引き寄せたと。訊けば気象学と申すそうじゃな。親父殿はこうも仰せであった。神仏の御業さえ学問に落とし込む狐とはつくづく不敬よなと」
魔王様なら実に言ってそうである。
何せ信長公、天彦と同質の夢見がちなリアリストなのだから。
よって誉め言葉として受けとめたいが、当時の感情はどうしても気になってしまうもの。うーん気になる。そや訊いたろ。
「どんなお顔さんをなさっていはったん?」
「天彦でも親父の動向は気になるか」
「それはなるん。むちゃんこに。あ、でも内緒なん。絶対に弄られるから」
「あははは、確かにな。ではそう致す。うむ、実によいお顔をなされていたぞ」
「おお! 嬉しい」
「で、あるか。家族だけの場であったが、大そうお喜びで儂の真の思いを汲めるのはアレだけであるとも仰せであった。その横で肩を震わせていた兄上との対比が鮮明でよく覚えておる」
「あ。……奇妙さん、どんなお顔なされていたんやろかぁ」
恐る恐る。ぜんぜん訊きたくはなかったが義務的に。
「どう思う」
「きっとお悦びかと」
「お前、ときどき本物の阿呆になるの」
「ひどっ!」
「酷いものか。怒りに震えておられたわ。兄上は親父殿の口から自分以外が褒められることを殊の外お嫌いであるからな。因みに儂も嫌いであるぞ」
いや織田家パパっ子! ……そんなん知らんし。いや知ってるし。
天彦はすべて承知の上で訊ねている。三介には希望的観測という言葉と現実逃避という言葉をダブルで送っておく。
だが益々警戒の度合いが高くなってしまう。信忠さん要注意メモメモと。
そんな愚にも付かない会話をして待ち惚けていたが一向に音沙汰なし。
ならば頃合い。義理は果たした。三介の顔もたっただろう。
「茶筅さん、ではそろそろ」
「うむ。だが指揮は天彦、お前がいたせ」
「むり。織田軍の総大将は茶筅さんなん」
「儂は他人のそれも友たる同輩の手柄を横取りするような下種ではないぞ」
「やって。身共は向いてないん」
「向き不向きで語るなど片腹痛い。何度も申させるな。よいか訊け、儂は人の成果を分捕ることなどけっしてせんぞ!」
「強情っ張り!」
「うむ、不思議とよく言われるな」
「はぁ」
不思議ではないけどね。あとロジックも可怪しいからね。向き不向きで検討することこそ思案ロジックの主流です。
だが、ならば是非もなし。お達しの通りとばかり天彦は虚空に向けて軍扇を薙ぎ払った。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア彦が命じる。やってしまうん」
が、秒で、
「こんなときだけは真面目にやってください!」
「真面目にせんかっ!」
左右から猛烈な叱責が飛んでくる。怒られすぎー、なのである。
ぬぐぅううう。
お雪ちゃんのくせに正論とか。三介のくせに真面目か!
だがぐうの音しか出ない正論と真面目の圧勝。なにをどう言い逃れしても覆らない。
それでも一応言い訳はする。男子たるもの仮に戦国転生したとして。果たしてこの名セリフをただの一度でも言いたい衝動に駆られないものだろうかと。絶対ある。ありすぎる。
即ちリアリティがあり過ぎると逆におふざけに見えてしまう好例を敢えて天彦は身を以って体現したのである。大真面目な顔で断言する。けっしてふざけてなどいないと。……とか。
そもそも論、人の成果を分捕ることなどできるかっ! といって指揮権を移譲してきたのは三介であり、天彦は再三忠告したのである。再三は盛ったが数度は留意を促した。向いていないと。
なのに……、これ。
「もう若とのさんは! 大勢の織田さんの前で恥を掻かさんといてくださいよ。是知からも何かゆーたってんか」
「あ、いや、某はとくには……」
「もうお前はくび。且元、氏郷も! 何かゆうたってんか!」
「……」
「……」
無言のレスが返ってくる。
雪之丞は更に憤慨の度合いを高めて天彦に突っかかった。
天彦は苦笑いしかできない。いったいどこに羞恥心のアンテナ立てとんねんの感情で。
が、そこまで言うなら面白い。その挑戦、受けて立ってやろうではないか。
天彦は心底つまらなそうに軍扇をぽい。雪之丞にバトンを預ける。
「そんなゆうんやったらお雪ちゃんやって」
「え!? ええんですか!」
「あ」
「ほな確と軍扇お預かりいたしましたん。よーし者ども、時は満ちたん、ここで働かねば男が廃るぞ、今や、放てっ!」
思いの外かっちょよかったが、あっさり。
普通は遠慮合戦するんと違うの。最低でも二往復ラリーくらいは。
天彦は改めて驚嘆する。そして同時に雪之丞には世間様の常識を学ばせなければと強く思うのであった。
が、そんなこと些事、今は後。
雪之丞の手にする扇が虚空に向かって放たれるとそれを合図に松明が大きく左右に振られた。松明を振っているのは佐吉である。お張り切ってる。ええお顔!
すると松明に呼応して海上から一斉に火矢が放物線を描き解き放たれた。
放たれた火矢はガレオン船に次々と突き刺さり瞬く間に巨大な船影の全貌を暗闇に浮かび上がらせた。
きゃあとかぎゃあとかうわあという悲鳴と共に、ついで枕としてどぼんどぼんと海中に何かが音を立てて沈んでいくサウンドとセットで。
おそらくきっとそんな感じなのだろう。天彦の位置からでは距離と波音とでほとんどまったくといっていいほど聴こえない。
も、戦況は刻一刻と進んでいき、十五分もしない内に一隻の巨大軍船は暗闇に浮かび上がる船影を克明に轟轟と音を立ててド派手に燃え盛った。自らの船体をこれ以上ないだろうほど豪華な薪燃料として照らし出して。
すると視界には無数の小早が出現した。あるいは小早よりもっとスケールダウンの小回りが利くやつ。
織田軍独自開発船か佐治水軍の取って置きだろうと推察されるそんな小型の速度重視型軍船がたちまちイスパニア商船に取りつくと、縄が放られたらお仕舞いです。
あっという間にうじゃうじゃと海賊どもが群がって見る見る内に向かって左側のガレオン船はジャックされていくのであった。……すごっ、えぐっ、やばっ。
本当に瞬く間。語彙が死滅するほどの圧巻を見せつけ、静観していた沖の他船体も同様に次々と成す術なく制圧されていったのである。
まんじ。さす魔王が誇る海賊団。やりおる。
天彦は率直に感心する。端から侮ってはいないので侮りがたしの感想こそないものの鎮圧の手慣れた感はまさに玄人のそれであった。
若とのさん、あれとの海戦はやめときましょね。天彦の左耳がそんなつぶやき声を拾うのだが、発言者ばかりでなくきっとこれぞこの光景を目にした菊亭青侍衆の感情の最大公約数であろう。佐治水軍、それほどに凄まじい戦働きだったのである。
ならば菊亭は。天彦は目を凝らす。オペラグラス早よっ!の感情で真剣に。
あの中に野生の海賊姫の徒党もいるはずなのだが見当たらない。強硬に自薦してまで参戦を猛烈に請うたくらいなので張り切っているはずなのだが……。
すると、
「なんじゃ。戦など厭厭と申しながらも前のめりではないか」
「違うん」
「ん? ……ああ、お前のとこの水軍か。あれはまだまだじゃな。練度も覚悟も足りておらん」
ぐぬうううう。またしても反論を封殺される尤もであった。
非常に残念だが千賀党、どうやら注目を浴びるほどの目立った働きは見せてはくれていないようである。残念至極。大事なことなので二回言った。
年魚市さあ。
が、総体的には御味方の大勝利。佐治党はエグかった。なので言った。もう一度。
「すごっやばっエグっ」
「何がエグいか。一番エゲツナイのは天彦、この状況を演出した貴様自身であろう」
「ひどい!」
「なぜ酷い。最上級に褒めたのだぞ」
「感覚独特っ」
「ふん、そっくりそのまま貴様に返すわ」
あ、はい。デスヨネー。
業腹だが異論はなかった。周囲の聞き耳を立てている者たちの謎の賛同も得ているようなので。激しい上下の頷き運動で。お顔は覚えたん。覚えとき。
が、おふざけもこれまで。
「……反攻か。さすがに楽には勝たせてくれんの」
「あ、うん」
大将の三介は露出した岩の上に片足をかけ、戦況を眺めつつぽつり言う。
それは勝利の難しさ、延いては命の重みを知っている者のトーンだった。少なくとも独善的には感じなかったし戦功に逸る感じもまったくしない。
やはり三介は一角の侍大将である。戦仕様の三介に中々の漢っぷりを見せつけられた天彦は、ぐぬううう身共かっていつかはきっと。そんなことを思ったり思わなかったり。
この天彦の願いはいずれ聞き届けられるのか。おそらくだがメンタル的にそれこそパラダイムシフトレベルの変化かあるいは天地でも引っ繰り返らないことにはきっと無理。だろうと思われる。なにしろ思っているフリをしているだけなのだから。
だから総括的に言う。
「茶筅さん、酷いん!」
「唐突にどうした」
「酷いものは酷いん!」
「ふん。で、あるか。だが何が酷いものか。叔父御が半泣きであったぞ。あの叔父御が。親父でもあそこまでは震え上がらせられんぞ。いったい何を申したのじゃ。訊かせてみよ」
「風評被害、やめてもらってええですか」
「何が風評被害か。呪いまで持ち出して脅したと訊いたぞ」
「知ってるし! ほんならなんで訊いたねん」
「直接確認をとったまでじゃ。お前が申したからの。噂と実際ほど違うものは他にないと」
あ。言ったかも。覚えてないけど。頬をぽりぽり。
「星読みです。そこはお間違えなきように」
「同じであろう。結果、死を操るのならば」
「まあ、……はい。操ってはないさんやけど、確かに予言はしております」
「ふん、だが天彦。あまり命を玩ぶものではないぞ」
「いやどの口で!」
「なに」
その顔せっこ!
やっぱ全部なし。武家とは相容れない。その思いを新たに強くしたところで、
「あ、心得ましたん。ですがお約束はお忘れなく」
「わかっておる。競取り関係者の助命であったな」
「おいこら! 無事の確保と財産の保全と申しましたん。茶筅さん、身共との約定。努々軽んじられることなきように御願い奉りにあらしゃりますぅ」
「……で、あるか」
「何があるんや。明言せえ」
「そう凄むな。当家にも色々ある」
「……」
「睨むな怖い。心の臓がきゅっとなったぞ!」
「……」
「待て。背を向けるな! ええい最後まで訊け。だがこの三介が確と調整して見せるのでとそう申すところであった。……のだ」
「ギリセーフなん」
「ぎりせふ? なんであるかそれは」
「ワンペナやゆうとんねん」
「益々以ってわからんぞ」
「あ?」
「待て、そうせっつくな。する。ちゃんとするから」
「ふん」
「くっ」
ならば信じる。天彦は小さく一度顎を引き、
「大将さん、そろそろ出番ですよ」
「で、あるか。……しかし戦とは斯くあるべきとつくづく実感した次第である」
同感です。天彦は秒で同意する。三介の言う“斯くあるべき”とは御味方の被害の少なさを指しているのだろうから。少なからず天彦の立てた作戦を褒めたおべっかも入ってはいるのだろうけど。
いずれにしても天彦、三介。二人の前にはイスパニア商船艦隊全船から掲げられる降伏の白旗が意気消沈として揺らめく光景が見えているのであった。
◇
イスパニア商船艦隊所属の兵隊たちが次々とお縄を掛けられ連行されていく光景をしり目に、
「若いうちは何でもトライさ。やれるものならやってみよ。アマヒコボーイ、キミの命は守ってあげるキリッ。やって。あははは、かっちょええさん」
「くっ」
開戦を告げ早期の退避を忠告してやったときのディエゴの発言がこれだった。
この場で煽る必要性は一ミリもないがムカついていたのでただの憂さ晴らし。
尤もディエゴでなくともあるいは織田の家老衆でさえ同様の反応だったので無理もないが。
だが結果は御覧の通りイスパニア商船艦隊の惨敗。惨憺たるもの。御自慢の大砲は火を噴かず、桑名の土地は火の海に沈むどころか平静その物。逆に自船艦隊が火の海に沈んでいた。恥ずかし。
天彦はけっして成果主義などではないが、この世がそれを求めるなら竿を指すほどの強硬な思想もない。
だが当然だが現象と結果と本質は別物であり、天彦がディエゴを好んでいるという感情もけっして消え失せたわけでもない。
つまりこれが最後通牒であった。
「ディエゴ。お前さんには選択肢がある。関係を清算して祖国に付くか。それとも身共の側に付くか。いずれかお一つ。友誼の好や、自由に選ばせたろさん」
「名誉か恥かの二択だね。酷だよアマヒコボーイ」
「それは違う。これはそんな生温い哲学問答やないさんや。至極原理的な恥辱に塗れても生きるか名誉に死ぬか。たったそれだけを問う二択の問いや」
「ああ、知ってるさ。……考えさせて、くれるかい」
「じっくり考え。背負っているものはけっして軽くないはずやから」
「っ――」
ディエゴは確信したことだろう。天彦がけっして甘い甘ちゃん彦ではないことを。シュガ彦でもけっしてない。
それはそう。天彦とて数千の一家を率いる統領であり数万の一門衆から頼りにされる中軸なのだから。
壮年将校は言った。女子供は頂いて行く。貴様らサルは皆殺しだと。
言った以上はされても当然。あるいは認識が甘くてそんなこと言ってませんけど。となったとて知らん。それが世界の摂理なのだから。
ましてや地位ある軍人さん。本心なら何をぶつけてもかまわないだろ。だって神様は言ったのだから。正直に生きなさいと。なんて寝言はほざかせない。
吐けばいい。ご自由にどうぞ。だが吐いた唾は飲ませないのが天彦の数少ない流儀である。流儀を定義づけした以上は何が何でも絶対に回収する。二度と愚かな真似ができないように。
ややあって、
「……アマヒコボーイ。私たちは降伏するよ」
「総意か」
「ああ。一族の総意さ」
「身共にすべてを委ねるんやな」
「うん。お願いするね。できるなら身内は猶予してやってほしい」
「よし! よう申したん」
さすがは勘だけを頼りに渡ってきた競取り子爵御曹司である。ディエゴは正解を導きだした。それを証拠に周囲からは盛大な拍手が巻き起こっていた。
多くが菊亭家人だが、中には変わり者もいて何を隠そう織田の総大将その人であった。
「遠からん者は音に聞け、近くは寄って目にも見よ。これにてイスパニア商船艦隊との和睦を宣言する! よって財産の保全を約束し捕虜も地位に準じた扱いを約束するもの也。者共もよいか、違反発覚すれば即刻その場でそっ首撥ねられると肝に銘じよ!」
お、おお――! お、おお……?
大歓声と疑問符という真逆の反応が声をなって発され港に響き渡る。
意見の趨勢はどうだろう。半分半分と言ったところか。
いずれにせよ財産の保全も宣言した三介の和睦案は受け入れられるはずである。多くの感謝と大いなる胡乱とをセットにして。
しかし相手がなんと思うかは非常に重要なので手は抜けない。イスパニア商船艦隊にはディエゴを介してじっくり丁寧に意図を説明していく予定だが、いずれにせよ天彦の狙い通り事が運べばこれでイスパニアとの直接航路が開かれることとなるだろう。
これは天彦の真なる狙い。これこそが本丸であった。九州を押さえた上で直接取引の窓口を織田一本にしてしまえば、奴隷トレードなどというクソだるい黒歴史も相当かなり減るはずだから。
善悪ではない。むろん適否でもない。ダルいのだ。キモいのだ。ダサいのだ。
天彦にとって人が人を消費して何らかの対価を得るという行為自体が、望む望まざるに関係なく、くそダルでくそキモでくそダサだった。それ以上でも以下でもない。そういうこと。
さて、となれば。
早急に毛利には釘を刺さなければならなそう。天彦は思案を巡らせる。
「茶筅さん。藤吉郎さん呼び寄せられますか」
「容易いがどうした。儂はあれが好きではないぞ」
「はは、わかります。ですがあまり声はお上げにならはらんように」
「む。なぜじゃ」
「うーん、強いてゆうなら執念深いお人さん、やから?」
「……なぜ首を傾げる。だが天彦が申すのか。ならば儂も肝に銘じよう」
「うん。それでどうさん」
三介は側近小姓に確認をとった。岐阜に詰めているからお役目がなければ三日で参ると。だが三介はやつのことじゃ。二日で参ろう。言い切った。
天彦も不思議と同感だった。そういうところの嗅覚は抜群で、何より信頼感は不思議と裏切らないように思えてならないから。
「しかし天彦。救ってやったはいいがこの者ども、本当に使えるのであろうな」
「そうあってくれないと困るん」
「おい。ずいぶん語気が緩まっておるぞ」
「茶筅さんが悪いん」
「何を」
「だって身共が必死にならな、茶筅さんが必死になってくれはらへんもん」
「……で、あるか」
「なってくれはらへんかったもん!」
「お。おう……次はちゃんとする。そう拗ねるな、な」
ふん。
おそらくそれは叶わない夢。それとはむろん奴隷売買阻止を指す。なにせ人の欲とは底も天井もないらしいので。
だが天彦はそれでもいいのだ。自分自身に納得感さえ得られれば。手を尽くし頭を捻って知恵を絞り尽くしたという事実さえあればそれで。聖人君子でもなければ使命感など更々持っていないのだし。
「アマヒコボーイ。いったいキミは何者だい」
「身共? かわいいさんやろ」
「ふふ。あはは。それだけは自信を持ってノーと言えるよ」
「ひどっ!」
いずれにせよ少なくともディエゴのアルバ家とイタリア大公国とは直接取引が適いそう。しかも不平等不均衡トレードではない真っ当な商取引のできる。
これだけ一つとってみても、万金にも値する大成果であった。
「あ」
天彦は唐突にぎくりとした。
「若とのさん!」
「……ナンノコトカナ」
「しらばっくれてもあきませんよ。某はちゃんと聞いてますんやから」
「ナ、ナニヲカナ」
「ディエゴの真似しても逃げ切れませんから」
「ぎく」
「某にあのお船、くださると仰せでしたんっ! 欲張りはアカンから某あの小さいお船を頂戴します」
嗚呼、じんおわ。
小さいの定義とは。そんなことよりなにより身共のアホ! なんでそんなことゆーうん。氏ね氏んだ。ああ、どないしよ。ぐるぐるぐる。
思考が脳裏を駆け巡る。妙案など思い浮かぶはずもなく。だが眠気はすっかり覚めていた。
そんな一刻前の自分を本気で絞殺したい天彦であった。