#11 あ、インテリジェンス専門だから(鼻ほじ)
永禄十二年(1569)十月九日
東城二の丸、その一階部分の多目的に使用されるのだろう大広間にて三介との晩餐。……の、はずである。
だがどうだ。三介が開いた親睦会というの名の晩餐会はどこか戦場の顔色をしていた。
まず構成はともかくとして、三介が準備した食事は会席膳であった。三介自慢の料理人が腕によりをかけて拵えたというだけあって膳には色とりどりの食材が盛られていて食い道楽の天彦を大そう喜ばせた。
三介はぱっぱ信長にたびたび駆り出されていることもあって、諸外国の接待役の経験値が高い。中でも給仕役は賞賛の声が大きく、そんな関係性もあって彼の料理知識はかなりワールドワイドであった。とか。
そんな三介が振舞ってくれたのは魚介膳。中でも特に天彦を悦ばせたのは伊勢湾で採れる海の幸がふんだんに使用されたちらし寿司。の、その主役として伊勢海老が一匹丸丸のった超超豪華で目ばかりではなく確実に舌も悦ばせるだろう海の美味しいファミリー勢揃いのやつ。ぱく、むしゃしゃ、美味ぁ……あり得んって!
だがあり得た。天彦のバカ舌は伊勢エビの美味さと偉大さを理解できない仕様であった。いや違う。困惑の意味はそこではない。
目と心が喜んでいるのにお口がバカなあり得なさではなく、この催し自体のあり得なさが天彦をいたく困惑させるのだ。
しかもあり得ない状況は一つや二つではない。ビビるほどてんこ盛りあって、何ならそちらのあり得なさの方が天彦を気が気でなくさせていた。
その最上位存在。もはや困惑を遥かに置き去りにして苛々させる筆頭格が右側から、
「おいお前、本当に本物か。殿が一目置くほどの大人物にしてあらゆる書に精通する叡智の極みと聞いたぞ」
「……」
「おいチビ狐、なぜ答えん。恐ろしゅうて声も出んか。ほれ、どうじゃこれでもか、ほれ」
「ええい、つつくなっ!」
「なんじゃ声は出せるのか」
「出せるやろ」
天彦の右隣に陣取った見ず知らずの侍が指で頬を突いてきた。
これはさすがにあり得ない。
こちら側は菊亭陣営。それ以前にあんた誰さん? いやまぢで。
さすがにこの無茶苦茶加減なら三介の関係者には違いないと思うが無茶苦茶が過ぎた。
「ならばなんだ、箸の方がよかったのか」
「……」
「なぜ答えん。無礼であろう」
どっちが!?
あまりにアホすぎて久々に閉口させられていた。あの天彦に言葉を失わせる。控え目に言って逸材である。本当に久しぶり。極上の本物だった。
天彦の席次は陣営序列二位。本来は当然の一位だが敢えて雪之丞に最上位の席に就かせてある。
それでも二位。半家菊亭の殿上人であることは疑いようもなく絶対。その人物を相手にして直言はおろか肌に触れるなど控え目に言って狂っている。それもぶっちぎりにぶっ壊れたやつ。
だが天彦は天邪鬼。そんな人物こそ大好物。何しろそんな人物はおもしろいと相場で決まっているのだから。99.9DQNだが。しかも極めて純度の高い。
ならば猶更天彦としては弄りたいし構いたい。むちゃんこにおもろいに決まっているから。
しかしどうだ。今はどうしても構っていられない。天彦が居る場は大人同士が膝付き合う社交の場だから。泣く泣くそっと冷たく突き放す。
全部のフラグゆーたったからな。の心境で、
「ご自分で考えはったらよろしいさんや」
「む。……考えるのは得意ではない」
いや得意不得意のレベルちゃうし!
結論、逸材だった。猛然と叫びたい。こいつを即刻つまみ出せと。
声を大にして叫びたい。だがそんなことをすれば身バレする。せっかく“お料理美味しいさんねぇうまうま。身共なーんにも知りゃんせんよぉ”の擬態しているのに意味を失くしてしまうではないか。
無視。DQN無視、シカト一択。我慢、我慢、無心……。
天彦は最終的に行き着いた無心を念じつつ、自身に平静を言い聞かせて右隣の意味不明な存在をその存在ごと視界から掻き消した。上座に座る主催者三介がそうしているように。
そう。三介も天彦動揺ずっと憮然として不満を隠さず鎮座している。万座の視線を集めつつ左右の席に重鎮だろう家老連中を従えて。三介頑張ってるん。
だから天彦も倣ったのだ。堪えたのだ。盟友三介が踏ん張っているのに自身が卓袱台を引っ繰り返すわけにはいかないからと。何よりまだ、この会の全貌、即ち趣旨と思惑がつかめていないので。
だがそろそろわかってきたこともあって、つまりこの仕込みは三介お抱えの家老たち直々の仕込みと読み解けてきた。その解釈が自然であろう。あの三介のどうあっても晴れない苦渋、いや苦悶の表情から察するに。
あるいは上位存在の指示があるのかもしれないが表面上はきっとそう。
すると延いてはきっと三介も嵌められた口なのだろうとなる。とか。ならばシナリオとしてはどうだろう。
外国船が自国の港にやって来た。しかも何やら交易の品をたっぷりと積載しているらしいではないか。鉄砲も大砲も弾も満載しているらしい。通関税だけでは面白くない。どうする。簡単だ。主導権を握ればよい。
当地をどこと心得る。朝廷には三顧の礼で迎えられる将軍家さえ物言えぬ織田弾正忠家支配地なるぞ! ……的な。さしずめそんなところだろう。アホかといいたい。
身共のこと舐めすぎやろ。三介かわいちょ。
天彦は自分ではシビアに立てているはずの仮説が実は三介にかなり肯定的な論説傾向にあることにまだ自身では気づいていない。
それを気づくにはまず、己が好きになったらとことんまでという本質に気づかなければ届かない。
だがその方程式解読のハードルは相当に高く皮肉屋な気性が邪魔をして曲解あるいは捻くれた性格が災いして頓挫、つまり式は永遠に解けず回答には一生届かない。そういうこと。
閑話休題、
いずれにしてもそんな簡単な絵が描かれて三介の友に対する粋な計らいは無にされて、この無粋極まりない食事会に置換されたのである。
つまり今夜開かれる菊亭と織田との懇親会は急遽姿を変え、本格交渉を控えた前哨戦の前夜祭が予告なく開催されているのである。
それ以外の受け取り方は無理がある。何しろこの場にはコンセンサスが即本契約に繋がるだろうクラスのステークホルダー(利害関係者)が勢揃いなのだから。
菊亭が座る真正面にはイスパニア商船艦隊部隊の主要キャストが勢揃い。
アルバ家の渉外担当者(裁量権のあるらしい)はもちろんのこと、教会からは自称プロクラドール(財務担当責任者)であるミゲル・ヴァスをはじめとして数名が参加しており、やはり本丸と思しきルイス・デ・アルメイダ師もご参加である。
むろん海洋帝国からも高官を派遣している。さすがにカピタン・モール本人こそ参加なされないものの、周囲の配慮っぷりを鑑みるにそうとう地位ある人物に思える青年将校が参加していた。また通訳として領事館(商館)からも三名、バッヂもド派手で煌びやかな装いの幹部職員が参加しての晩餐会と相成っていた。
しかしいったいどこのどなたの策意なのか。天彦的には魔王様の御指示あるいは御内意だけはないようにと切に願いつつ、訊いてないという文句は一旦脇に置き……。
座は片仮名コの字に配置されていて席順は上座に織田家が鎮座し、主賓であるらしい商船艦隊勢が上座から見て左手側に列席していて、天彦率いる菊亭はその右手、最も格の低い席次、即ち下座に臨席させられていた。
格式を重んじる家でなくとも配置を目撃する也、取りも直さず憤慨する席次である。何しろ格式もへったくれもない異国人の風下に座らされているのだから。公家でなくともキレ散らかす。そんな席次となっていた。
だが菊亭からは一切の不満やクレームの声は聞かれない。今や菊亭、当主が応なら応なのである。
これも新体制の効果である。絶大な。あるいは鉄拳の。
というのも茶々丸政所体制に入ってからというもの菊亭は実に名門らしい規律を従えた外ヅラいい子ちゃん家風を備えつつあった。むろん内では別物。
だがどうだろう。あの家人大好きマンでお馴染みの天彦である。思い入れある我が家が軽んじられて面白いはずがあるのだろうか。ない。
それはそう。名を汚されるということは一族一門一党、菊亭に集うありとあらゆるすべてを虚仮にされるのと同義だから。だから名門貴家は貴種に限らず武家であってもその名に懸けて命を張る。
だがこの公家は普通の公家ではないのである。侮辱上等、名より実。威張るって何さん、それって美味しいのん? 鼻ほじすっ呆けの感情で笑い飛ばす。
劣等感w。そんな一流の概念に圧し潰されるほど高尚ではない。そもそやってない。
生まれ落ちた瞬間からお腹いっぱい味わってきた劣等感など今更味わったところでどうってことはないのである。
天彦がさあフラグ氏。そろそろええ加減に仕事せえよ。の感情で鬱々していると、
「おい子狐。口惜しさで震えておるではないか。まだまだじゃの」
「黙って。とっくに元服してるん」
「ははは、お稚児さんのような形をして何が元服か。しかし口答えも歯切れ悪いの。具合でも悪いのか」
「構わんといてんか。程度の低いのと同じ目線では合わせられんのん。身共はインテリジェンスを専門とする公家なんやから」
「阿呆の相手はやっておらぬか」
「そうゆうたん」
「しょーもない屁理屈をほざく。つまり図星か」
「オマエキライ」
「あははは、儂は好きじゃぞ。仲良うせえ」
右隣に座る謎の侍の言う通り。まだまだ修行が足りなかった。
だが収穫もあって誰が画策し誰がこの前哨戦に乗り気なのかはわかってきた。
そしてこの右隣に座るうっといDQN侍のことも薄っすらだが当たりが付き始めてきたのである。
ここ桑名は伊勢湾の要衝。つまり畿内海運の要衝である。この情報を叩き台に三介の態度とこのDQN侍の振舞いとを比較して考案すれば朧気に見えてくる。あるいは克明に見えてくる。
少しでも歴史に親しんでいれば簡単で、織田にはいたではないか。織田の姫を娶ったやんちゃな海賊が。姫を娶ったことをいいことに諱まで強請った欲しがり屋さんが。魔王に可愛がられ過ぎて長島真宗に目を付けられ僅か21という若さでこの世からバイバイするおバカなDQN海賊さんが。
そうこのDQN侍は魔王の右腕とまで言わしめた知多半島の大海賊。佐治信方に相違ないはず。
すると彼は一門格。何しろ魔王の実妹であらせられる犬姫様を正室に迎えているのだから。三介には叔母さんにあたる。……なるほど。それでこの振舞いか。
種が明かされるとしょーもない。天彦は一瞬で冷めていた。興味も関心も極端なほど失せさせて。
というのも天彦は身分や立場に衣着せて自分以上の自分に見せるヤツと自分を律せず自我のまま振舞って威張り散らすヤツどっちも全員氏ね派であった。
答え合わせはしていないがこの手の目測を誤ったことは一度もなく、今後も一生ないと自負しているのでそういうこと。
「……なんじゃ子狐。ずいぶん雰囲気がかわったな」
「だまっらっしゃい、お強請り八郎」
「え」
「身共が偽物であるのかやと。あいにくと本物さんにしか見抜けぬ業態でやらせてもろてますぅ。あまり聞き訳がないガキみたいな振る舞いをしていると犬さんに告げ口するん。おっかないらしいね、お犬さん」
「う。……ま、待て!」
「待つん」
五秒後、
「参った。お前、いや貴卿は確と御狐様である。儂がこの通り請け負った!」
「お前さんのお墨付きなど誰が欲しいと強請ったんや」
「あ、いや……、ご無礼仕った」
「貸やぞ。身共への借り。努々甘く見るでないさん」
「お、おう」
一丁上がり。
ワル狐は転んでもただでは起きないことを旨としている。ましてやどこのどなた様であろうとも、虚仮にされたら絶対に梃子の起点に利用すると決めていた。
よってこのキーマンにできた縁w、内心では何ならむしろ喜んでさえいるまである。このように。
「仲良うしよ、な?」
「お心遣い光栄至極。お近づきになりたいのは山々なれど、儂は向こうで酒を飲む。ええい引っ付くな、離せっ」
「氏郷」
「はっ」
「八郎殿、押さえつけておけ。身共はいたく気に入ったん」
「はっ。八郎殿とやら手荒い真似はしたくない。殿のお達しなれば是非もなし。この期に及んではじたばた召されるな。貴殿にできることは辞を低くして誠心誠意お応えいたすのみである」
睨み合うことほんの一瞬、
「……習いに、従う」
「うむ、それがよろしかろう」
「くっ」
年恰好や体格は似たり寄ったりの二人だが、氏郷と八郎(推定)では侍としての貫目が違った。それを証拠に八郎自身が即座に抵抗を諦めてしまっていた。
八郎(推定)も中々の侍っぷり。きっと傑物なのだろう。それはそう。知多半島のほとんどを支配する大海賊の統領であり、何よりあの魔王をして全幅の信頼を置く一門格なのだから。
だがそれでもやはり彼我の差は歴然。一枚も二枚も氏郷の方が上であった。
◇
菊亭からは当主とその家来たちキッズが勢揃い。護衛の武官も武装したまま背後に控える。但し参席者六名(天彦・雪之丞・佐吉・是知・且元・氏郷)の平均数え年齢11.5歳。
この時代、公式の場に出るには若すぎるというほどではない。にしても。さすがに場違い。
彼ら、いや一部だけかもしれないが特に菊亭一の家来を自称する例のお人さんは年齢以上にいつもふわふわしているから。まるで舞い上がる一片の粉雪のように。
だがそんな彼はムードメーカー。彼が浮くと面子は浮き、彼が沈むとメンツも沈む。しかも当主が最も影響を受けるとあってはもはや家風と言わざるを得ない。
しかしこのように上座を占めるワンツーがふわふわさんとちびっ子キッズでは締まらないのも尤もで、敢えて天彦が正装を着ていないこともあって多くの目には人数合わせにしか映っていないことだろう。なので菊亭御一行はどうにも場にそぐわず、けれど浮いているの真逆で馴染んでいた。ごまめのお飾りとして。
何しろ彼ら、誰も彼もがショタ好きの実に目に優しいかわい子ちゃん揃いだった。一部例外を除くと。
だから会食中の会話は専らイスパニア商船艦隊勢と織田家との対話に終始していたのである。
ほな好きにさせてもらお。
あいにく情報は筒抜けで、何せ通訳を介さず聞き取れる天彦のお耳は高性能。
高性能は盛った。だが書けないし喋れないが訊き取れるのだ。語彙にちょっと怪しいところはあるもののスペイン語とポルトガル語程度なら。古典ラテン語ともなると無理だけれど。
だからイスパニアンの内緒話という名の大声身内酔っぱらいおバカトークのほとんどすべてを細大漏らさず拾っていた。
天彦が何食わぬ顔で聞き耳を立てていると、左隣から手が伸びてきて天彦の膝をとんとん。
目線で小声でなと伝えるとこくり。わかってますやんと返ってきた。果たしてそうかなの感情で、
「どないしたん」
「なんや退けもんのゴマメみたいで面白うありませんね。それに若とのさんの上座に座るの、お芝居とわかっていてもなんや落ち着きませんわ」
「ああ。ええのよ気にせんで」
「でもぉ」
「まあまあ。気にせんと楽しんだらええ。身共はそうする。出番がきたら頼んだで」
「はい!」
「声」
「あ」
果たしてそうかな。であった。よって喜ばせてはいけない。怒らせても。悲しませても。ほんとややこいお人さん。
だが普段はまるで不甲斐ない凡骨家来も、こういうところは武士で侍で男の子だから紛れもなく頼り甲斐満点だった。……本当か。
さっそく、
「若とのさん、イカとちくわあるだけで膳の格式が高うなりますね!」
「声」
「あ」
お雪ちゃんさあ。まあええ。会話の内容的に実にキッズのそれっぽいから。
「格式? イカとちくわで。……何でやろ?」
「なんでってそのままですやん。ほら華やぎますやんイカさんとちくわさんがいると。……某の膳はすっかり寂れて寂しいですけど」
「寂れて寂しい! 急に詩人さんなってもて。でもそら食べてしもたら……、好きなん?」
「え。あ、いやべつに普通です」
「普通?」
「はい。普通です」
目が、目がぁああああああああああああああああ――!
雪之丞の目は口ほどに物を言った。ずっとくぎ付け。天彦の膳にまだ手付かずで残っているイカとちくわのてんぷらさんに。
「ぷぷぷ。可愛すぎやろお雪ちゃん」
「な、なんですのん!」
「あ。そんな口答えしてええのん」
「え」
「交換したろ思たのに」
「うぇ口答えしません! もう一生しませんから!」
「お前さんの一生、いくら何でもサイクル短すぎ問題はどないするん。昨日もゆうてたな。眠る前にはすぐ破ったけど」
「う」
「くく、まあええさん。ほな何と替えっこする?」
「えと、えと、これ差し上げます」
「いやレートへん!」
「へん? ……どこがですのん」
いや好きすぎ!
それはへん。変に決まっている。伊勢海老差し出したらアカンのよ。イカとちくわのトレード要員に。
そんなことしたらイカ選手とちくわ選手がプレッシャーに圧し潰されて思うパフォーマンスを発揮できなくなってしまうから。とか。
何だかんだ天彦にとっては重要なたんぱく源だがしゃーなしで。天彦はエビが食べられない仕様。だからトレード要員は無しでトレード。いやそれはアカン。ならば……これ。
なぞ根菜の煮物とトレードしてあげる天彦優しい。雪之丞の笑顔は一生プライスレスだから。
「うまー!」
「やっぱし好きやん」
「好き違います。普通です。普通に氏ぬほど美味しいだけです」
いや謎の意地!
わかるようでまだぜんぜんわからない雪之丞といちゃいちゃしていると、
「O que ele disse」
「Por favor, faça uma aposta」
「Este macaco é me disseram para perder」
天彦の耳には、
「やつはなんと言った」
「価格を負けてくださいと申しております」
「このサルども、言うに事欠いて値切れだと」
と、聴こえている。
一拍置いて領事館職員は頷きながら壮年将校に向けて言う。
「はい。どうやら値付けの仕組みに勘づいているようです」
「マカオの件をか。あり得ぬだろう」
「ですがその兆候が出ておりますれば看過もできません」
「ちっ、面倒な。ならば言ってやれ。ここでなくとも荷を降ろせる良港が他にもあるのだと」
「本当ですか」
「なぜ貴様を騙す必要がある」
「あ。ご無礼を申し上げました。それは重畳。ですが明かしてよいのですか」
「明かさねば圧にならんであろう」
「いずこに」
「浜田湊だ。知っているか」
「……はい。毛利家の版図の。ならば伏せていた方が得策かと」
「なぜだ」
「この国とは敵対しておりますから」
「八国を支配する国主であり将軍の臣と申しておったが」
「こちらはその将軍より格上のクラスです」
「キングか」
「いいえ。ジパングでは少々制度が込み入っておりまして」
「搔い摘め」
「軍事大国にございます」
「ふっ笑止。軍事大国とは片腹痛い。だがなるほどの。山猿の喧嘩大将か。それも含めて知らねばならんな。……で、あれらは連れ帰れるのか」
と、軍人と目が合った。
天彦はにやり。むろん“にこっにぱっ”の心算の渾身のニヤリである。
だがどうだろう。ショタを御所望だったはずのイスパニアン海軍が目を逸らしたではないか。……それはそれでちゃうぞ。しばく。
だがやはりほら見ろ。だった。
浜田港は出雲にある。出雲と言えば石見銀山のおひざ元。
こちらは想定の域を出ないがしかし意外であった。あの毛利が将軍家の裏をかくとは。ましてやこたびのお達しには近衛、即ち朝廷の意向も関わっているというのに。
天彦的には毛利はてっきり将軍家の忠実な僕だとばかり思いこんでいたから驚きも一入であった。
「ミスター、ヨロシイデスカ」
「む。何なりと申されよ」
「ハーイ、ジツハ―ー」
ややあって天彦の盗み聞きの通り通訳の領事館(商館)職員が三介の家老の一人と何らかの交渉を始めた。
ほんの僅かな会話で合意は形成されたのか。領事館(商館)職員から耳打ちされたイスパニア海軍将校はにちゃあと糸を引くような粘つく視線を菊亭陣営へと向けていた。
きっも。きっしょ。うっざ。だっる。
だが事はキモいでは済まされない。むろんダルいでも。織田が売ったのだ。
盟友であるはずの菊亭家のそれも重鎮家来のいずれか誰かを。あるいはすべてを。
ぱちん、ぱちん、ぱちん……
無意識の内になのだろう。天彦は愛用の扇子で調子を取っていた。
だがたったそれだけの単純な反復行為はけれど単純な反応を許さなかった。
自陣営どころか室内に居るすべての者を巻き込んで、空間丸ごとすべてを凍り付かせるかのような緊迫感を強いていた。
一番に変化に気づいたのはむろん菊亭家臣たち。彼らは秒で命を放る覚悟を決めた。あのふわふわさんまでもが凛々しい表情で身構え事に備える。
次に反応したのは織田陣営。ずっとこちらを伺っていた例の足利スパイ侍かと思いきや、意外性の三介であったのだ。
三介はさっきまでのつまらなそうな表情を一瞬で捨て去り、表情を晴れやかにこれでもかと瞳を輝かせて天彦を凝視した。
これ以上ないほどの喜色を浮かべる三介は居ても立ってもいられなかったのだろう。激しく貧乏ゆすりをすると次の瞬間には、ぱん! 自分の腿を強かに打ちつけ胡坐を崩すとすっと立ち上がった。そしてつかつかと一目散に天彦目掛けて歩み寄っていった。
それはそう。天彦にこっちおいでと手招きされているのだから。
「叔父御、のいてくれ」
「お、おう」
DQN海賊侍は珍しくまったくごねずに殊勝に席を譲った。伯父と甥の間柄だからか。違う。ならばそれほど三介の雰囲気が有無を言わせぬ迫力を備えていたからか。ではむろんなく。
天彦に扇子で脇腹をツンツン突かれて言外に退けと催促されたから。天彦とDQN海賊侍との大勢はすでに決していたのであった。
「儂参上! 儂を呼びつけたからにはただの面白いだけではゆるさんぞ」
「うん、請け負いさんや。お腹捩れるほど面白いん」
「え」
「だからご期待には必ず添いますと請け負ったん。なんで引くし」
「う」
三介は自分で強請っておきながらどん引きする。
おそらく天彦の表情が直視できないほど獰猛に見えたからだろう。
それを証拠についさっきまで一手に集めていた視線があっというまに雲散霧消してるではないか。怖いもの見たさの視線さえない。
菊亭の家人たちにしても、もうすでに完全なる臨戦態勢に入っているし。
「天彦、……お前、何をする気じゃ」
「何を、何をか。でも茶筅さん。その質問、根本が間違えておじゃりますん。だってするんは身共やないもん」
「ん? では誰じゃ」
「愚問やね茶筅さん。そんなことでは生き残り難しいんとちゃうやろうかぁ」
「おまっ」
「お耳を拝借」
ごにょごにょごにょ。
天彦は扇子で口元を遮断して三介に囁いた。
ややあって、「儂かい」だがその声に不満は一ミリも感じさせない。それどころかお目目爛爛と十八番の覇気を漲らせやる気と闘志に満ちていた。
天彦はやはりここでも確信する。織田三介具豊という人物、戦でこそ映える真の戦国乱世の英雄の一人であると。
そして取って置きの策をもう一つ。席を譲らせたDQN海賊侍をちょんちょん。扇子の先で呼び寄せる。
「なんじゃ」
「お耳を拝借」
ごにょごにょごにょ。
「……御狐殿は我ら佐治党に死ねと仰せか」
「死なば死ね。そんな玉なら逝ってヨシ」
「な……っ!」
「大げさな。それでも乱世の梟雄かいな」
「だれが梟雄じゃい!」
「あら違たん。ほなお一つ。このお願い聞き届けてくれた暁にはすべての無礼を許した上で、あんたさんのお命、決定的な窮地で一度、確実に絶対救って差し上げる助言をお一つ差し上げましょ。粗末にして要らんならこの話は無しさんで結構にあらしゃりますぅ」
DQN海賊侍がこの大言をどう受け止めたのかはわからない。
否とも応とも言葉を発さず、だからといってどういうことだと問い質すこともせずにただじっと、真っすぐに天彦の瞳をのぞき込むと神妙な顔つきのまま黙って部屋を辞すのだった。天彦に目配せされた是知を従えて。
「さあ茶筅さん。主役の出番におじゃります」
「主役。儂、主役か!?」
「茶筅さんが主役違たら誰が主役なん」
「……!」
発声の無い応! でも三介の叫ぶ渾身の応! が天彦の耳には聞こえていた。
それを合図に三介が掌を強かに叩いて自分に耳目を集めさせた。
むろん場のすべての視線をくぎ付けとしていた天彦から根こそぎ掻っ浚う意図を以って。
「本日は当家の催しへようお越し下さった。宴もたけなわではあるがこれにて晩餐をお開きといたす。者ども、礼儀も弁えぬ野蛮人どもには即刻お帰り願え。この晩餐からだけではなく我が桑名の土地のすべてから」
通訳が意訳をした段階で静まり返っていた場がにわかに騒然とし始める。
むろん熱気むんむんの怒気を交えた鬱陶しいくらいの騒然である。
招待客の多くは憮然としながらもわけがわからない流れに不穏を感じたのか立ち上がりそそくさと帰り支度を始めだす。
だがそんな中にも武人はいて、喧嘩上等の表情で何事かを喚き散らして獰猛な牙を剥いた。
要約すると、
「黄色いサルめが図に乗りおって。吠え面掻くなよ。この地の見渡す限り火の海に沈めてやる!」
交渉決裂。
さすがは弁えている大人の交渉、大人の社会。絵に描いたようにわかりやすい結末を迎える。真っ二つに交渉が決裂するや即刻戦争開始の法螺貝を鳴らすのだった。
イスパニア商船艦隊は売られた喧嘩を買った心算で。交渉を圧倒的有利に進める算段で。対する織田陣営はわけもわからず、また主君三介の疳の虫が出たかと呆れ果てて。
あるいは誰ひとりとして織田陣営官僚の伏された思惑も纏めてガラガラポンに混ぜ返された思惑に気づかずに、けれど誰ひとりとしてわかっていないという意味においてはまったく同じ土俵に上がっている。そんな不可思議な開戦の合図だった。
いずれにせよ桑名湊は港町ごとすべてひっくるめて戦火に巻き込まれようとしていた。たった一人の誰かさんのせいで。こん。
お読みいただきましてありがとうございます。いかがでしたか。
さあシリーズ勝手に副題の答え合わせコーナー! わーぱちぱちぱちぱふぱふ♪
あ、インテリジェンスを専門だから……、アホの相手はしてやれへんのん。でした。
はい。答えは文中にありましたね。ですが見逃された方が多いのでは。
そうです。佐治信方はインテリジェンスが何かを理解していたのです。つまり彼は異人と親しいかあるいは宣教師と通じていると読み解けます。
ですが作中の天彦は気づいていません。ときどきうっかり間抜けです。家来も同様。これはラウラがいれば秒で感づいていたシーンなのですが、つまりいないとこうなるの象徴的なレトリックとして挿し込みました。