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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
八章 友愛神楽の章
142/314

#07 プリミティブな実在性

 



 永禄十二年(1569)九月二十五日






 天彦は急ぎ中庭に向かった。


 そこにはたしかに且元とその一党、そして競取りのディエゴが一人向き合う六対一の構図があった。だが報告を受け危惧した想定とは違う。まるで。

 且元がああも怒りを露わにしているのだ。天彦の知るディエゴの為人と合わせても何があり行われたのか容易に想像ができてしまう。……のだが。


「是知。どういうことや」

「っ――」


 これ以上を問い質してもせんないこと。事実は目前にある一つなのだから。

 菊亭が誇る武闘派がたった一人の貿易商擬きに遊ばれる、だと。

 天彦は込み上げてくる苦みが何由来なのか、敢えて答えを出さずに思考を一旦切り上げる。且元さあ……。

 ディエゴ云々より且元はまず彼自身の煽り耐性をどうにかしなければどこかで取り返しのつかない手痛い目にあうのでは。そんなことを思ったり思わなかったり。あれで彼はすでに大名格なのだから。


「なぜ控えんのかっ! 殿の御成りであるぞ」


 天彦のそんな心境を知ってか知らずか、是知のここぞとばかり威張り散らした権高い声が鳴り響く。あるいは失態を有耶無耶にしようという思惑もちら見えするそんな威圧的な言葉だが、……まあ知ってるよね。

 そういう意味では天彦の知る中では一・二を争う状況と心の機微を読める人物だから。是知くんは。

 そして知った上で主君の感情を逆撫でするのだから大物である。


 是知は言外に訴えているのだ。お前、この状況で不埒者を無事で返すような愚はおかさんやろうなと。

 天彦は地味に痛む眉間あたりを揉みこみながら七名の前に立った。


 天彦の登場に中庭に飛び交っていた罵声や怒号が不意に静まる。騒音の元凶たちが揃ってざざざ、一斉に辞を低く主君を出迎えたからだ。

 どうやら茶々丸の薫陶は青侍衆にも浸透しているようだった。普段は無用な作法でもこういった場面では重宝した。天彦は且元を一瞥したのち、大男に視線を向ける。


 赤い巨人は不意な攻めの緩みにすとんとお尻を地面につけて人心地。

 だが天彦と目があった次の瞬間にはこの不意の変化の理由に思い至ったのだろう。どこか恨めしそうに目を細めて有りっ丈の不満を表明していた。


 いや、知らんし。


 視線で咎められたので天彦も目で不満を訴え返した。


「いや、知らんし」

「アマヒコボーイはたいてい何でも知ってるよね」


 だがそれではまるで折り合えそうにもなかったので言葉にもした。結果は御覧の通り。ディエゴ、彼は絶対に口が災いして逝くタイプである。


 そもそも無実。仮に瑕疵があったとして微々たるもの。そんな微罪で一々責任を問われていたら商売は上がったりなのである。なにせ菊亭、控えめに言ってプラチナブラック企業なので。

 毎日訴状、毎日裁判、毎日有罪。例え有罪無罰が大原則であったとしても、そんな毎日厭すぎる。


 そもそも論、菊亭には戦国室町~安土桃山史に名立たる英傑英雄が挙って家来に名を連ねる。例えば気づけば勝手に城を分捕ってくるような。例えば自らの手で幸運を手繰り寄せ大名にまで伸し上がってしまうような。そんな化け物めいたのがゴロゴロと。

 パンピー(おまえら)の代表みたいな超小物の天彦に何をどうしろと。あるいはどう管理したところでという話である。


 そんな英傑英雄と互角にタメを張るお前さんはいったい何者さんなん?


 やはり一周回って興味はそこに尽きてしまう。

 思考を仕舞う。そしてもう興味しかない感情を乗せた視線をぶつける。


「手荒い歓迎してしもうたようで。この通り堪忍さんなん」

「アマヒコボーイの謝罪は要らないよ。必要なら彼らから直接取り立てるから」


 おお、煽りおる。


 天彦が右目を眇めるのと同時に、周囲から、――オノレ! コロス! 生きては帰さん! 中庭を劈くような怒号が飛び交った。


 中庭にはすでに五十は下らない武官が詰めかけていて、自慢だが誰ひとりとってもギニュー特戦隊に選抜されるレベルの猛者揃い。控えめに言ってこれ以上は命の保証ができないのだが。

 いずれにせよここで丸く収まらなければお仕舞いだ。たとえこの場は収まってもディエゴが京にいる限り菊亭青侍衆は彼の命を狙いつづけるだろうから。おそらくきっと。

 且元の表情や気配から察するにかなり煽られただろう跡が克明に刻まれているから。


 これでバイバイお別れは寂しいのん。

 天彦はそんな思いが伝わればええなぁの軽い気持ちで会話を投げた。


「ディエゴには郷に入っては郷に従え。この言葉を送りたいん」

「知ってるさアマヒコボーイ。私はこれでも読書家でね」

「お利巧さんなことで結構なん。ほならもう一歩踏み込んで、有罪無罰の大原則を学んでもらいたいおところさんや」

「アマヒコボーイ。てっきりここの宿泊客だとばかり思っていたよ」


 ほっ。


 天彦は心底胸を撫でおろした。ディエゴが言葉を発すると同時に故実の礼をとったからだ。あるいは故実とは違うのかも知れないが実に洗練された所作で謝意を示した。

 天彦は感心する。だが同時に呆れ果てもする。ディエゴの謝意を示すその所作が実に様になっていたから。様になりすぎている。これは付け焼刃や見様見真似でできる所作ではけっしてない。


「身共はたしかに宿泊客や。でも一つだけ。一言も己が貴種でないと申したことはないさんやで」

「ずるいよアマヒコボーイ」

「誉め言葉と受け取っておこ」

「どういたしまして。ひょっとするとだけど、この軽口も君たちの言う無礼なのかな」

「いいや。正しくはこうして会話を交わすこと自体が無礼である」

「あ……っ」


 ディエゴは目を瞠って驚いた。半分冗句の心算の煽り文句だっただろうから。

 そして同時にそれとは違うどこか喜びの気配もあって何ともちぐはぐな反応を見せる。

 こうなっては果たしてどちらが困惑しているのかわかったものではない。

 天彦は潮時やな。急ぎ場を畳む方向に舵を切った。不確定要素が多すぎてちょっと手に余ったのだ。が……、


「アマヒコボーイ。君はNoblezaだったんだね」

「ディエゴの申すノブレッサとやらが貴種という意味なら正しくそうや」

「サムライソルジャーではなく、ノブレッサなんだね」

「侍は兵士でも戦士ではないがそうや。身共は生粋の貴種や。あかんか。普段から冗談ばかり口にする掴みどころのないキッズの血統がええさんやったら」

「まさか。それどころか。――おお主よ!」



 え。



 ディエゴは何をとち狂ったのか両膝を着いて天を仰いだ。そして十字を切って下げているクロスを手に取りキスを捧げる。


 たっぷりと一人で主役の座を演じ切ると、今度は一転ディエゴの目は周囲をぐるりと見渡し訴える。どれだけ名門の貴種であろうともキッズはキッズ。これほどの大人たちを統制するなど不可能であると。

 ところがどうだ。彼ら戦士ソルジャーにはまったく微塵もその反発の気配が感じられない。感じられるどころか100あるいはそれ以上の忠誠だけを体現させて凛としてそこにいるではないか。


 アマヒコボーイ。お前はいったい何者なのだ。


 彼の赤味がかった虹彩はお得意の口数以上に雄弁だった。


「おお主よ……!」


 このひと角であろう戦士を完璧に統率しているという事実と、そして改めて目の前のキッズが相当な貴種であることを確信できた事実とが、ディエゴにとって好材料となったのだろう。ディエゴは改めて十字を切ってクロスにキスを捧げていた。




 ◇




 とか。



 知らん知らん。絶対にめんどいやろそんなん。

 叶うなら訊きたくない。だが場の空気感的にそれもきっと無理なのだろう。

 空気を読める系男子である天彦には訊かずに終えるという選択肢はなかった。あってもない。そういうこと。


 だがそれはそれとして。お前さんいったい何者なん問題は依然として残っているまま。

 何しろあの且元と郎党の厳しい詮議という名の可愛がりをけろっと涼しい顔で受け流し、受け流すどころか押し込んで返しているのだ。低く見積もってもただ者ではない。


 ならば男子の取る手段はたった一つ。冴えているかどうかはこの際知らん。どうでもいい。


「ええわ負けや、訊いたろ」

「さすがはアマヒコボーイ。話がわかるね」

「簡潔にやで」

「あはは、ガンバルよ。でも損はさせない」

「まあ詐欺師の常套句やが、お前さんに限っては期待したろ」

「あはは、サンキュ、アマヒコボーイ。実はね―ー」


 損はさせないと豪語するだけあってディエゴの話は訊き応えがあった。

 気づけば誰も夢中だった。是知を筆頭とした諸太夫ばかりではなく青侍衆たちまでもが熱心に耳を傾けていたのである。


 曰く、とある大名との交易が頓挫した。とあるは明かせないらしい。おそらくだがディエゴも掴んでいないのだろう。いずれにせよ、だが本国から荷を積んだ船はすでに澳門マカオにいて今日明日にも出港する。二十日から三十日後には到着してしまう。何とかしたい。

 猶ディエゴの本国とはスペインらしく、ポルトガル併合後の巨大スペイン帝国が彼の祖国らしかった。


 だが寄港できる港がないらしく、すでに山川、口之津、長崎、堺、舞鶴のそれぞれ湊には打診していて否の回答済みらしい。……何をした? あるいは何があった。

 素朴な疑問は今は後。といった経緯があって苦慮したスペイン領事館から回りまわってディエゴの下にたどり着いた案件であり、ディエゴ個人も訳あって成功させたいトレードらしい。その“どうしても”の核心部分は伏せられたまま状況説明だけが進んでいった。


「船は千石船級スペインガレオン。積み荷は生糸・絹織物・ガラス・鉄砲・大砲・眼鏡・陶磁器等々、それが山盛り三隻分。請ければ500万石クラスの利は約束できるビッグトレードさ」


 ディエゴは豪語した。菊亭家来衆は息をのんだ。そのあまりの巨額さに。

 だが天彦は薄く笑う。話の真偽に吝嗇をつけたのではなく、単純にディエゴが大風呂敷を広げすぎたからである。

 ぼったくりの真逆。これではいくら何でも盛りすぎの大風呂敷広げすぎ。あるいは真実なら利益を提供しすぎである。

 何しろディエゴは単なる競取り。仲介者が提供するにはあまりにも金額が莫大すぎた。それこそ彼の利益が持ち出しも考えられるほどに。


 というのも確かに南蛮貿易は儲かった。それもハチャメチャに。だが話が事実だとしても1,000トンクラスの船が三隻。つまり3,000トンの積み荷のトレードである。どれだけ多く見積もってもあちらの生み出す利益は単純に540万石~600万石相当程度であると仮定される。というのもこの当時、千石船(150トン級)一隻が生み出す利益は30万石相当とされていたから。


 むろんたった一度の往復だけでの利益なので大きいことには違いない。だが、さきほども述べた通りディエゴは競取り。仲介者がせしめることのできる手数料など高が知れていて精々これの数%が上限だろう。500万石の利確には到底及ばないはず。

 だからこそストーリーの真実味と持ち掛けられた取引内容の信憑性との乖離幅があまりにかけ離れすぎていて、違和感が拭えないのである。


 だからと言ってディエゴが詐欺師かと問われれば天彦は秒で否と答えるだろう。信用とも信頼とも違う感情で、つまり彼を好いていた。

 彼は陽気なジョークニストだがけっして嘘つきの詐欺師ではない。むしろ余程天彦の方が嘘つきの詐欺師であろうほどにディエゴの仕事との向き合い方は清廉潔白であったのだ。

 だがやはり可怪しいものは可怪しくて、あまりにスケール感がバグっていて可怪しく感じるし、実際そうとう胡乱である。可怪しい。


 その上で天彦は総合的にそんなことを一つも問題視してはいなかった。

 ほんならなんでゆうとんねん。という阿保らしさは棚に上げて、


「ディエゴ。お前さんが理が非でもこのトレードを成功させたい真の理由はどこにある。それを明かさんことには乗れる相談にも乗れんというものやで」

「……アマヒコボーイ。まるでそれさえ明かせば容易いといわんばかりの言葉だね」

「何をしょーもない。容易いやろ。こんなもん」


 ディエゴは思わず息をのんだ。天彦の自信に満ちた発言もそうだが、周囲の家来たちが誰ひとりとしてキッズの大言に疑義を覚えていないからだ。

 これはディエゴでなくとも驚く場面である。だが菊亭では当たり前のこと。

 主君が応と言えば応となり可と言えば可なのだ。たとえそれがどれだけ異常でも。そうやって菊亭は家を栄えさせてきたから。すべては実績の積み重ね。


 ディエゴも感じ取ったのだろう。この感覚がこれはきっと統制とは違うということを。もっと高い次元の信頼の証であることを。ディエゴはたしかにそう感じ取ったのだろう。どこか呆れにも似た表情を浮かべているから。


 天彦は海上封鎖の事情はさて措き解決策には心あたりを持っていた。

 本当に丁度偶然たまたま謙信公からいい取引先はないかと打診されていたところだった。直江津なら打って付け。信濃も近いし売り物に困らない。


 さて海上封鎖。

 まったく知らなかったがおそらく自分絡みだろうとは思っている。越後の突然の上洛に端を発しているのだろうと。甲斐の突然の滅亡に過剰に反応しているのだろうと。どちらもそれほどの衝撃を畿内の内外に走らせていたから。

 いずれにしても激しく動揺した室町幕府と、あるいは同等かそれ以上に動揺しただろう朝廷との一時的な非常措置だと予想できた。

 おそらくだが将軍家と帝の連名による何らかの下達が通告されているはず。この下達に否を突き付けられる大名は依然としてそう多くはないのである。調べればすぐに答えは出る。


 九州地方までもが朝廷と将軍家の威信に従うとはちょっと、いやかなり驚きではあるのだが。


 天彦は右脳で先行きを練りつつじっとディエゴの回答を待っていると、


「私にも話せない秘密くらいあるのさ」

「お前、空気読めし」

「空気? ワイ? そっちこそ人様の触れてほしくない領域に土足で踏み込んでこないでよ」

「土足文化はお前さんらの十八番やろ」

「カルチャーの話はしてないね」

「ほななんやナラティブな観念性の話か」

「アマヒコボーイ。キミという人はずっと屁理屈をこねているよね。こねていないと死んじゃうのかい」


 黙れスペインギャグ。すべってんぞダルい。


 の感情で天彦が睨んでもディエゴは引く気配を見せず、それどころか謎の強がりを見せた。なにやら琴線にふれたよう。

 ならば落としどころもここにある。当たりをつけた天彦は一気に押し込み追い込むことにした。


「問答は無用。何せ身共は太政官参議。検事で判事で裁判官なんやから」

「ジーザス。この話はなかったことに」

「まあ待て。とはいえ腹が減っては戦もでけへん。どないさん、お腹の減り具合は」

「とても減ったよ。ずっと拘束されていたし、なぜだかあちこち痛むしさ」

「それは知らん。お互い様や」

「ノー。お互い様は絶対にノー」


 正論では負ける。だがところは京都、時は戦国室町。空腹を満たせば大抵の揉め事は解決するとしたものである。


「飯に参ろ。今からやとどこがええやろか」


 天彦が茜がかった空を見上げてぽつりつぶやく。と、


「さすがは若とのさん。和解もできて親しくもなれる。まさに一束……十ニ文ですねっ!」

「おお、最後まで言い切れたん。ぱちぱちぱち」


 天彦の先導で中庭にけっして小さくない拍手の音が鳴り響く。とくに是知の拍手は実にあざとく渾身だった。悪いヤツめ。


「おお、合うてました? ちょっと自信なかったんですけど、某、思い切ってみたんです」

「合ってるか違うとか、お雪ちゃんはそんな次元の話ちゃうのん」

「はい! ……次元ってなんでしたっけ」

「かっちょええやつ」

「おお。……おぉ?」


 正直言えば定価はジワる。ジワるどころかお腹を抱えて笑いたい。

 引用も違ければ虫食いを埋める数値も違っているこの可笑し味たるや……、氏ぬ。悶え氏ぬ。

 だが天彦にとってこのポンコツさ加減が無性に愛おしいので了である。誰がなんと言おうが了である。断固として了。


「ほなどこに参ろう」

「はい! 某、卓が回る食堂に参ってみたいです」

「卓が回る? なんやそれ」


 すると是知が大陸明の郷土料理です。美味しいですと注釈を入れる。

 中華料理か。納得した天彦は、ディエゴに視線で同意を求める。

 ディエゴは即座に同意のうん。ディエゴお兄ちゃんは空気が読める切支丹だった。


「ほなそこに参ろうさん」

「迎賓いたすよう店に先触れをいたします」

「ほなお願い」

「はっ!」


 天彦は是知に笑顔を向けて雪之丞のリクに答え、今流行りのテーブルが回る未来の現代ならきっと国民食となっているだろう料理の先駆け食堂とやらに向かうのだった。




 ◇




 いただきます。ご馳走さま。うん知ってたん。美味しくないことを。

 美味しくないが失礼なら原始や元始はこんなもの。

 そして何より敢えて生意気を言わせてもらえば天彦の介入しない御新規さんなど食品であれ製品であれ所詮高が知れていた。とか。


「若とのさん、それいりますか」

「お雪ちゃん。その訊き方はずるいんと違うか」

「なんでですのん」

「だって要らんかっても、そう訊かれたら名残惜しい。あれ、ひょっとしたら要るかもって思ってしまうやん」

「それはただの欲張りですやん。なんで某のズルになりますのん」

「あのな、お人はみーんな欲張りなん。だから正直に下さいと言いなさい。子供なんやから小手先利かすもんやない」

「……」


 小手先しか利かさない人が抜け抜けとほざく。


 これは笑う場面なのだろうか。それともツッコミ待ちなのか。ディエゴを含めて同卓者は全員、真面目に真剣に検討する。そんな顔を浮かべているからきっとそう。

 だが誰もが言葉を飲み込んだ。天彦の理不尽さを知っているから。特にディエゴは身につまされるほど知っていた。迂闊な言葉が切っ掛けでエゲツナイほど値切られてきたから。その理不尽さたるや凄まじく説得力には舌を巻く。


「なんやのん、そのお顔さんは」

「決まってますやん。某の方が一つお兄ちゃんですけどのお顔さんです」

「あのなお雪ちゃんええか。年齢なんてこの世に数多ある概念の一つなの。しょーもない括りに縛られてるんやないの。そんなことでは目指す立派なお侍になれへんよ」

「は……? 何を仰せかまったくわかりませんけど」

「わからんでええから頂戴さんと真っすぐに言いなさい」

「やっぱしなんぼ考えてみても、それの方がよっぽど欲張りですやん」

「お雪ちゃんは心配せんでも欲張りさんです。はい、あーん」

「あーん」


 取り皿に残った遠慮の塊を雪之丞のわんぱくな口に放り込んでやる。

 残ったのはちょっと高価な食事処の看板料理、甘味の胡麻団子くんであった。ディエゴの欲張りオーダーである。お一つ三十文もする。

 よってディエゴは権利は自分にあるのでは。の物欲しそうな顔をして主従のほのぼのやり取りを見ていたが、けれど次の瞬間には背筋をぴんと張りこれ以上ないほどしゃんとしていた。


「さあ腹は満たした。疾く申せ」

「アマヒコボーイ。急すぎるよ」

「頃合いがあるなら心構をしておかなんだお前さんの咎であるぞ」

「話すさ、話すよ……」


 ディエゴは観念したように肩を落とした。そして訥々と語り始める。ディエゴの自分語りは思いの外引きがあった。ぐぬぬぬディエゴの分際で。

 気づけば店を占拠していた家来衆たちが、ディエゴを囲むようにして彼の話に夢中になって聞き入ってしまっているではないか。


 話はこうだ。曰く、大陸遥か彼方の欧州ではフィレンツェ公国をトスカーナ大公国が再編。メディチ家のコモジ一世が大公に就任した。これを機会に離縁していた元妻との再婚話が持ち上がり実際に再婚に至る。

 このコモジ一世の妻がエレオノーラ・ディ・トレドであり彼女はナポリ副王の長女として生まれた貴種なのだが、その彼女こそディエゴの何としてもトレードを成功裏に納めたい事情の人なのだった。

 このエレオノーラはディエゴの父方の親戚であった。つまり叔母さん。

 そしてディエゴとエレオノーラは共にアルバ・デ・トルメス出身であり、これは天彦をいたく動揺させた。というのもその地名には聞き覚えがあったのだ。ラウラの故郷としての。天彦の記憶が定かならば。


 だとするなら必然的に訊く態度にも真剣味が違ってくる。

 天彦は周囲が気圧され怯むほどの気配を纏ってディエゴの話に傾注した。


「焦らすな。早う先を話さんかい」

「お、おう」


 ディエゴの実家はスペインのアルバ・デ・トルメス地方に根を張る大家貴族家らしく、父親のアルバ公が亡くなってしまい後を継いだ長兄のフェルナンド公も不慮の死を遂げてしまった。

 次男ガルシア、三男ファドリケ共にちょっと何を言っているかわかりません系男子だったので一族の長老たちは家督相続の矛先を四男のディエゴへと向けてしまった。


 通常なら誇らしいこと。だがこれはディエゴにとって災難以外の何物でもなかった。アルバ家にとって家督相続=カラトラバ戦闘騎士団司令官への配属が紐つけられていたからである。

 彼も一応は頑張った。親族の期待に応えるべく、また背を押してくれた二人の兄のためにもと。むろんノブレスオブリージュを全うすべく粉骨砕身できる限りの努力を尽くして職務を遂行もした。だが無理だった。メンタルが持たなかったのだ。

 宗派が違うというだけで同じキリスト教(プロテスタント)を排斥するなど彼の良心が許さなかった。ムリムリ亡命! 気づいた時にはすべてを放っぱらかして交易船に乗り込んでいた。奴隷堕ちなど紆余曲折を経て今に至る。


 結論として、三隻のガレオン船は叔母エレオノーラの再婚祝いを贈るために彼の実家が差し向けた貿易船であったのだ。

 それを聞きつけ知ったディエゴは純粋に叔母エレオノーラの再婚を祝いたい感情と、そしてこれを機に長らく音信不通であった愛する最愛の妹ベアトリスに向けて、彼女も敬愛するだろう兄が健在であることを、この交易を成功裏に取りまとめて伝えたい。その思いから懸命に仲介役として駆けずり回っていたのであった。


「ワタシのナマエハ、ディエゴ・アルバレス・デ・トレド・ビスコンティとイイマ~ス」

「いや突然の片言っ!」


 ジワる。


 骨髄反射でボケにツッコミは入れておきます派の天彦の小気味いいはずのツッコミは、けれど空しく虚空に空回った。というのも話を訊く前と後とでは菊亭家来衆のディエゴを見る目が少し、いやかなり違っていたからである。

 ディエゴもなるほど貴種であった。それも世界を股に掛ける巨大帝国の王族に通じる貴種である。言い換えるなら天彦と同等かそれ以上の血筋であった。

 他国とはいえ王族となれば権威の象徴。権威には従うものと躾けられている公家諸太夫の反応は推して知るべし。


 その感情は天彦も同様で、だが彼だけは熱量が違った。


「ディエゴ。お前さんの気持ちは痛いほどわかる。これ以上ないほどお前さんの切実なる想いは伝わったん。もし身共がディエゴならとっくの昔にバルカンくん担いで内裏に突撃してると思う。力になろうディアフレンド」

「それはやめてくださいね」


 天彦の想いの詰まった詰まりすぎた熱い言葉は、まさかのディエゴさえ引かせてしまい誰からも賛同を得ず。そればかりか一の御家来さんにかぶせ気味に否定される始末であった。おもくそ。


「ねなんでなんお雪ちゃん。入港を差し止めているのは将軍家と内裏のクソボケどもに決まってるやないか。大至急やっつけとかないつやっつけるんや」

「それはそうやとしても。他国の王族の前では恥ずかしいから何でなどと阿保は訊かんといてくださいね」

「なんでなん」

「あ」

「あ」


 真面モードのお兄ちゃんお雪ちゃんに逆らった。

 天彦ははっとして目を配る。おお……。

 周囲360度。物凄い圧を放つ家来たちの温度感で、否応なく“あ、うん”と言わされるのであった。ぐぬううう、お雪ちゃんの内弁慶さんめぇ。

 むろん可怪しいのは天彦だけ。雪之丞でなくとも普通の感性なら異人に対して見栄は張る。絶対に。でなければ張る場面がないとさえ言える見栄の出番なのだから。


 だがそれはそれとしてこの場の誰もが知っている。

 我が殿さまは妹御前(姉御前)のこととなると人が豹変し、ともすると国さえ滅ぼしかねないことを。だからこそこの問題は慎重に取り扱わなければならないと誰もが共通に認識していた。


「殿、ここは一旦持ち帰りましょう」

「茶々丸政所にご相談さしあげるべきです」

「満腹は人を惑わせるとも聞きましてござる」

「それがええ。ええ案や。寝て起きてから考え直そ」

「この案件、評定衆にも詮議させねば」

「殿が暴走したらこの面子ではちと弱いしな」

「せめて佐吉は欲しかった」


 諸太夫が畳みかけて進言する。意見はいろいろ。だが決まって皆持ち帰れと言う。ならば已む無し。


「ディエゴ。それでええさんか」

「十分すぎます。アマヒコボーイ、感謝するよ」

「それは成功までとっとき」

「ヒュー」


 どうやらディエゴの唇は湿っていたようである。軽快な口笛が木霊した。


 こうして妹つながりで意気投合した天彦とディエゴはがっちりと握手を交わして明日以降の再会を約束する。名残惜しいがその場を後にするのであった。


 道すがら、


「この一件、あんじょう纏めたら500万石儲かるらしいで」

「はい! 某、絶対に儲からへん方に今月のお小遣いみーんな賭けます」

「奇遇やなお雪ちゃん、身共もや」

「えー、逆に張ってくださいよ」

「あははは、いや」

「えー」


 このくらいの気構えで。







































お読みいただきましてありがとうございます。


お待たせいたしましたごめんなさい。一生転生しようかなとも思ったのですが、せっかく考えた設定なのでこの南蛮貿易編はこのまま続行しようと思いましたまる。この時代総人口の3~4%もいらっしゃったらしいので切支丹さん。ということで引き続きよろしくお願いいたします。あ、感想ランでの対戦は引き続きお待ちしておりまーす。┌○ペコリ

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