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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
八章 友愛神楽の章
136/314

#01 コラテラルダメージすぎるのだが

 



 永禄十二年(1569)九月六日






 越後上杉軍本陣では天彦を主客とした歓迎の宴が行われていた。


 参加者は主客菊亭三名と新たに越後上杉家郎党衆の仲間入りを果たした千賀党二百有余名の内の代表者七名。内二名は千賀の姫年魚市あゆちとその一の家来にして従者にして傳役である稲生猪右衛門いなお・ししえもんである。


「天彦、お前……、やっぱしウソつきじゃん」

「姫、場を弁え、今しばらく参議との会話は御控えください」

「む」


 この場は他家の陣地。天彦は帝の直臣。そして年魚市は陪臣の家来。猪右衛門にいたっては陪臣の家来のそのまた家来。格の違い身分差は明らかであり公の場での直言は許されない。天彦の感情とは無関係にそれが貴族を頂点とする権威主義社会の流儀だから。

 よってそもそも同じ場に居合わせることだけでも十分な誉である。直言などとてもとてもあり得ない。実はこう見えて天彦、むちゃんこ偉いさんなのだ。


 猪右衛門に言い含まれた年魚市は受け入れるも納得できない。お前はアタシの物なのに。そんな表情で唇を固く結んだ。結った髪に天彦から貰ったと公言する強奪の戦利品を挿して。


 猶、千賀党の上杉家に記される予定の軍役数は170。これは一門衆や直参郎党衆に次ぐ徴兵数であり信頼度の現れである。何しろ四天王の一角である直江景綱でさえ350人程度なのだから。そのことからも如何に千賀党への期待感が高いかを占う軍役数となっていた。

 但しこの数字を決めたのは直江御大なのでかなりアバウトな数値である感は否めない。付き合ってみてわかったが御大、物事へのアプローチの手段がかなり乱暴な人種だった。むしろこれぞ侍なのかもしれないけれど。


 むろん裏を返せば推薦人である天彦の信頼度の高さの証明に他ならないが、軍役170はさすがに酷い。如何と問われ応と答えれば成立してしまう契約社会において安請け合いは命取り。何しろこの170には雑兵は含まれていない。槍持ちや雑務足軽を含めれば実数は三倍以上の数を揃えて参戦しなければならなくなる。


 天彦は条件が厳しいから辞退せよと再三警告したが、好待遇の取り立てに舞い上がってテンパってしまった千賀家主従が応と請け負ってしまった以上、それは効力を発揮してしまっていた。天彦は引いた。果てしなくドン引いた。

 あるいはこの迂闊さこそが御家断絶の最有力事由ではないだろうか。薄っすらと予感して距離を置こうと警戒する程度には引いていた。


「千賀党を使って今度は何を御企みか。老い先短いこの与兵衛尉よひょうえのじょうに何卒明かしてくださりませぬか」

「あはは、千年は生きそうな血色してよくゆう」

「千年生き申すか」

「さすがに千年は厳しいしけど、長生きしはるよ。たとえばそやな……、傘寿を祝える程度さんには」

「……なんと! 某、齢八十を祝えまするか」

「うん。病にさえ気を付ければ寿命は十分持ちますやろ」

「忝く候。御金言、ありがたく頂戴いたしまする」

「え」


 景綱が口調も表情も酒宴のものとはあまりにも一線を画す慇懃さに変容させたので天彦が胡乱を覚えると、次の瞬間にはなぜだか周囲までもが静まり返っていた。


「若とのさんってやっぱし、ときどきほんまもんの阿呆にならはりますね」

「お雪ちゃん、その心は?」

「当り前ですやろ。このお人さんら若とのさんの冗談癖知りはらへんのに。いきなりキツい冗談放り込みはるから。この通り空気可怪しなってしもてますやん」

「え、そうなん」

「はい。それはもう絶対ですわ」

「でも冗談ちゃう場合はどないするん」

「寒いです」

「そっかぁ。ほな気ぃつけるな」

「そないしてください」

「うん」


 アホやろお前らどっちも。

 違う。絶対にそうじゃない。


 是知を筆頭に正しく状況が読み解ける最低限度の理解力と国語力のある人物は漏れなく全員、このすっとこどっこいポンコツ主従に力強くツッコミを入れるのであった。むろん心の。

 今や天彦の言葉は何げないものでも重く受け止められるようになっていた。とくに予言めいた言葉の信頼度たるや凄まじく誰もが聞き逃すまいと傾注するほどの注目度の高さである。


 なのにこのポンコツ主従ときたら。しかし誰も公には突っ込めない。何しろ天彦は太政官参議でありその家来はまさかの東宮の永代別当。……だったのだから。誰もが訊いて耳を疑った。事実と知った直江景綱は魂消たばかりか危うく腰を抜かしかけたほど。

 これで雪之丞の朱雀家は関東にもその名を轟かせることになるのだろう。何しろあの関わった立場によって神仏とも悪魔とも噂される菊亭の一の御家来なのだから。

 ましてや東宮の別当など順調に事が運べば次代の関白あるいは太政大臣候補筆頭ではないか。

 そうと知った越後上杉陣営では恐れ多すぎて天彦以上に雪之丞を直視できる者はいなくなっているほどだった。

 もちろん笑うところなので菊亭は大うけ。天彦は腹を抱えて大笑い。当人の雪之丞も訳もわからずけれど釣られて大笑い。むろん是知も右に倣う。

 但し奥歯が割れそうなほど歯を食いしばってヒクヒクというオノマトペが聞こえてきそうなほど必死な形相の引きつり笑顔になっていたけれど。


 宴もたけなわ。

 談笑の声や笑い声が絶えない越後上杉軍本陣に、すると馬が地面を蹴りつける激しい音が鳴り響いた。


「……ん?」

「若とのさん」

「お雪ちゃん見に参ろ。是知もおいで」

「はい!」

「はっ」


 誰もが警戒し表情険しく視線を音のする一方に向ける中、

 天彦は誰の登場かを直感的に予感すると家来を供として陣幕から飛び出し音のする方角に目を差し向けた。


「やっぱし」

「すごっ」

「……相変わらず呆れた壮観っぷりですね」


 まだかなり距離はあるが一目瞭然。やはり天彦の勘は当たっていた。最近よく当たる。裏を返せば不穏なのか。

 鬼神のごとく驀進する一騎の軍馬を先頭に、その背後には数十騎の母衣衆だろう騎馬軍団が懸命の追走を見せている。

 そして更に遅れること百間ほどか。永楽通宝が描かれた金色こんじきの馬印が数百も棚引き、是知の呆れた言葉を裏付けるように圧巻の様相を呈していた。


 槍衆、弓衆、鉄砲衆。いずれも信長の専属であり機動力が優先される母衣衆以外は誰もが自力移動を強いられたようで、凄まじかっただろう信長の強行軍にも食らいついてきたのだろう。登場するなり順々に、誰も彼もその場にぐったりとへたり込んでいった。


 猶、直属の親衛隊を表す言葉がまだ存在しない室町では側近小姓衆を黒母衣衆、赤母衣衆と呼んで一般兵と区別した。尤も区別する言葉が存在しなくて当然である。そもそもこの時代、専業的に従軍する制度そのものがなかったのである。

 この先鋭的かつ合理的観点一つとってしても信長の桁外れにセンスの良さが窺える。それを証拠にこの戦国室町で唯一、本当の意味での戦国大名即ち下克上を体現して行っているのは織田信長ただ一人、なのだから。


 他にはできない。あるいは可能性さえ考慮されていないのかも。それほどに朝廷の権威とそれに批准した室町幕府の不変性は絶対視されていた。ほとんど神格化といって差し支えないだろうくらいには棚に上げて大事に置かれていたのである。

 愚かしくも健気盲目な血統崇拝主義だが、この思想的不可侵の臨界点を突破したのは日ノ本広しと雖も織田弾正忠三郎信長を措いて他にはいない。

 何しろ前述したように他大名、武将は須らくすべて。将軍家をあるいは朝廷さえも自らの足元に平伏せてやろうなどという恐れ多い野望はたとえ可能だとしても抱かないのだから。


 天彦から言わせれば仏敵でなくても十分狂人、十分魔王。

 そしてまさに時代に愛された寵児であり、あるいは自ら引き寄せた風雲児であろうと断言できた。


 結論、やっぱし怖い。それもむちゃんこ。あわわ。絶対怒ったはるぅ。


「若とのさん、織田さんここに参って大丈夫なんですやろか」

「なあ。どないなんやろ」

「声、震えたはりますけど」

「震えるやろ、それは」

「あ。また叱られることしはったんや」

「また! またはアカン、またはちゃうやろ」

「またですやん。なんでしますのん。いっつも怒られることばっかし。巻き添え食う某らの身にもなってくださいよ」

「……あ、はい」


 ぐぬううう正論之丞め。お前のキリッ顔のどこに引きがあんねん! お雪ちゃんのくせに生意気や。お前の巻き添えどんだけ食ってきたと……。


 天彦は独断と偏見で雪之丞の正論を受け流し、それでも納得成分が不足だったのか腹いせに、「痛っなにしますのん!」わきばらにチョップ一発をお見舞いして話を戻す。

 そもそも雪之丞の指摘を受けずとも天彦の中に緊張感は高まっていたのである。だがどうやらそれは要らぬ危惧であったよう。


 ややあって魔王率いる織田の軍団はなんら躊躇うことなく、あるいは自軍の陣地に帰還したかのような涼しい顔で越後上杉軍の本陣に突貫してみせたのだった。

 そしてそれは上杉軍にも通じることで、彼らは指揮官直江景綱の指示がなくとも織田軍を易々と迎え入れてしまっていた。

 この結果の意味するところは普段からの薫陶の賜物。即ち越後上杉家にとって織田家は仮想敵ではない表れであった。

 信長の心尽くしの献上品が功を奏しているのか。はたまた別の理由があるのか。天彦には杳として知れないが言えること一つ。

 この敵味方がフレキシブルに入れ替わる戦国室町にあって、これはけっして当り前のことではなかった。ましてや直近数か月で両陣営はかなり大きな戦端を開いたばかりである。


 己惚れてはいない。この戦国己惚れてはいけない。己惚れた者から先に退場していく仕様だから。

 なのになぜこうも己が誇らしいのか。天彦は気づくと知らずテレテレしていた。


「なんですのん気色の悪い」

「おい待て。どこの世界に主君をキモい呼ばわりする家来がいてるん」

「ここにおりますやろ。アホやな」

「アホ!? いっちゃんゆうたらアカンやつ!」

「気ぃ済みましたか。しっかりしてくださいよ。なんや知らんキナ臭いですよ」

「うん」


 気は済んだ。だがやはり警戒するのは菊亭ばかりのようで。


「弾正忠殿をお迎えいたす。直ちに歓迎の場を整えいっ!」

「はっ」


 上洛軍居残り組の中で最も格の高い侍大将直江景綱は、当然の表情で即座に歓迎の号令を飛ばしていた。

 直江は天彦の許へと足を運ぶと、「よろしいな参議」追認を求めた。


「はい。お好きにどうぞ、なさってください」

「ならばお下知の通りに」


 確信する。越後上杉と織田との友好は双方にとっての常識のようであった。

 この敵味方が入り乱れる戦国室町では非常に珍しい光景である。

 そしてその友好関係に自身の菊亭も含まれていることに天彦は、得も言われぬ感無量感を噛みしめるのだった。感無量感ぷぷw


 さあお巫山戯もこれまで。自動的に他者に最上級の緊張を強いる魔王様の降臨である。誰も彼もが固唾を飲んでご来臨を待ち受けた。陣中一の上座を開けて最も低く首を垂れて。


 身共もしとこ。


 天彦も天彦用に開けられた上座を開けて公家故実の最敬礼で迎えるのであった。



 


 ◇




「おのれっ! 貴様らがっ、ぼさっと、しとるからだぎゃっ!」


 天彦は血の果てまで引いていた。おそらく直江も。いやこの場に坐するものすべて。

 内部の謀反から始まった一連の騒動を直江の口から聞き届けた魔王はそれでも十分不機嫌満開だったのだが、武田が滅んだと知った途端、くわっと目を大きく見開き固まった。

 そして顔面を蒼白から真っ赤に紅潮させると、わなわなと肩を震わせ立ち上がった。

 と、次の瞬間には近場に侍っていたイヌとサル即ち又左衛門と藤吉郎をボコボコのメタメタの半殺し血祭にしてしまっていた。←今ココ


 う゛うぅ、あ゛あぁ


 血塗れのもはや誰だか判然としないほど凹られた侍の呻き声が響く陣幕コワい説が立証されたところで、ギラン。

 ええーなんでー。どうやら満を持して天彦のターンが回ってきたようである。一生回ってこなくてもいいのに。


「なあ天彦ぉ怒っとるんきゃあ。儂もやりすぎたぁみゃあ。許してちょーよ、儂とおみゃあの仲だがや」

「信長さん。一旦落ち着こ? このお人さんらも心配やし。ね」

「おみゃあが申すなら吝かでもないでよぉ。おい、目障りじゃ、どこなて放って参れ」

「はっ」


 どうにか藤吉郎と又左衛門の安全は確保できたがまだ不安は尽きない。当座魔王の口調が改まるまでは要警戒。天彦はさながら水面を優雅に泳ぐ醜いアヒルの子のように涼しい顔でけれど内面では必死の形相で信長と相対した。


「茶を進ぜよ」

「身共が?」

「お前の点てた茶が飲みたい」

「ほな淹れましょ」


 陣中だ。さしたる作法も要るまいと天彦は上杉家が用意してくれたセットでさくさくと茶を点てていく。

 じょぼぼぼ、サクサク、シャカシャカシャカ。こんこん。

 まさに好きこそ物の上手なれ。天彦の所作は一つ一つが無駄を省いた機能的で洗練されて美しく、その場の誰もを惹きつけ魅了するレベルに達していた。


 思わず魔王でさえ唸るほどの技前を奇しくも御披露した天彦は、


「どうぞ」

「うむ」


 気前よく振る舞い差し出す。

 対する信長は天彦から差し出された天目茶碗を受け取ると一息に飲み干した。

 そして実にいい顔をして、


「許せ。この通りである」

「え」

「なんじゃ余の頭では不足と申すか。ならば何を所望する。首を千ほど並べろとでも申すのか」

「いや猟奇的!」


 天彦条件反射で声こそあげたが内心ぽかん。むろん周囲はその千倍、いや万倍はポカンである。

 あの天上天下唯我独尊を地でゆき、朝廷なにするものぞと打診あるたびに官位を要らぬと突っ返してきた魔王様が衒いなく迷いなく素直に頭を下げる、だと。

 信長に近しい者ほどその驚愕度は深いようで、座に広がった唖然契機の放心状態は遠巻きから回復していくという面白い現象が起こっていた。


 天彦もむろん驚愕している。だが天彦の驚愕だけは中身が違う。

 天彦は織田信長という人物の呆れ返るほど時代感にそぐわない独自の肌感とでもいうのだろうか。チートな理解力に驚愕していたのであった。


「越後さん。天下に一番近づかはったん」

「……そう仕向けたのは貴様であろう」

「だって信長さん、すぐキレはるし。おっかないん」

「くっ――、天下が個人の感情で切り取られてよいものかっ!」

「さあ。どないさんですやろ。疑似相関までは身共の関知する領分やあらしゃりません」

「ぬけぬけとほざく」


 天彦もその事実に気づいたのは冷静になれた今朝方やっと。

 

 越後上杉家が強くなりすぎたのだ。現状の越後領だけでも十分そのポテンシャルはあったというのに。何倍、いやなん十倍もの強大な国家となってしまった。

 関所から上がる関税だけで年間4万貫上がっていて、それに加えて柏崎と直江津という優良な港を二港も保有している。しかもこの港から上がる関税年間実に12万貫である。12万貫とは石高換算で100万石相当以上評価であると考えれば、それだけで凄まじい経済力であることが読み取れる。

 他にも特産品多数あり、何より越後には他にない圧倒的な優位があった。

 金である。目下越後から算出された全国流通している金貨はおよそ総量の三分の一にも達していて、越後が供給を止めてしまうと日ノ本全土の血流が止まってしまう事態に陥りかねない。いやはっきりと陥るだろう途轍もない影響力を保持しているのが越後の上杉家の本性だったのである。


 その怪物が信濃に新たな経済圏を確立しようとしている土地の覇者となる。

 経済力を背景に伸し上がってきた信長からすればその凄味は否でもわかる。故にお前、正気か。あるいは殺す気かと勘繰っても尤もであった。

 そのことに気づけたことが天彦は率直に凄いと感じたのだ。実際に凄いし。普通経済を起点に天下国家は考えない。何しろあらゆる概念のてっぺんに武が君臨する戦国乱世の世界だから。


 猶、これこそが武田家では絶対にありえない優位性であった。武田家は陸の孤島。本国に港を持たないという地政学的に天下は絶対に望めない。


 そして信長はそのことをすぐに理解し、あるいは肌で直感したからこそ天彦の恣意的介入を信じて疑っていなかったのである。

 何しろ天彦の経済政策の恩恵をこの世で最も受けている内の一人が彼、織田弾正忠三郎信長公なのだから。

 否が応でもその凄まじい恩恵の破壊力は身をもって知っている。

 何しろ天彦が発足した経済財政諮問会議による献策がズバビタに炸裂している目下、実に10,000%の経済成長率を記録しているのであった(猶史実では2,500%の経済成長率である。それでも十分脅威的だが)。


 それはビビる。ご機嫌を窺って不思議はない。介入を確信して当然である。

 そしてこのチビの考え一つで国がえげつない発展を遂げたり唐突に滅んだりすれば誰だって畏怖の感情を芽生えさせる。取り込むか殺すか。程度には深刻に受け止めるだろう。誰だって。

 魔王が理性的、いや合理的な人種で助かっていた。もしこれが直情型のビビりなら天彦はこうしている間にも弑されたに違いないから。


 だが天彦は本当に関与していない。信州経済圏も偶然の産物であり成果は兄弟子一人の物。今回の武田家の裏切りも天に誓って関与していないし画策など思いもしていない。20,000%冤罪である。

 だが状況は真っ黒だった。天彦を取り巻く状況証拠が100%以上のギルティ判決の評価を下していた。


 天彦の不遇は火を見るより明らかであった。大清華家の嫡男として生まれながら廃嫡されているのだから。実の母親さえ離縁放逐させられて。命だって狙われたのは一度や二度の話ではない。

 そしてそれらすべてを画策したのは武田家である。そちらも事実であろうとなかろうと噂を疑う者はいない。噂の性質上真実以上に尤もらしい逸話である以上は確実に。


 つまり誰の目にも武田の滅亡は天彦の仕掛けであり必然に映っていたのだ。ともすると謀反に走った四郎勝頼の心にも深く根差していたかもしれないほど。

 その事実は天彦と雪之丞を除くこの場の誰もが確信している共通の想像で十分証明に値する。

 一報を受け取った天彦の義理まっま菊御寮人が半狂乱で取り乱し、自身は出家し一粒種も共に出家させるから何卒命ばかりはお助けをと、天彦に本家今出川家督を譲る旨認めた命乞い状を送り付けてくるだろうことを。実ぱっぱ晴季と連名の。

 そしてその事実としての武田系今出川の惨状が白日の下に曝され、延いては天下を震え上がらせることだろうこともセットで確信しているのである。


 これぞまさしく疑似相関の図。相関関係と因果関係との尤もらしい混同の極みなのだが、もはや天彦にはどうすることもできない。

 否定すれば否定するほど虚実はグラディエーションを薄くするだけ。虚像は真実味を帯び、実像は蜃気楼を帯びてゆく。


「じんおわ」

「人生終わった。であったか。何を白々しい。武田を終わらせたのはその方の意思ではないか」

「誤解ですよ?」

「で、あるか。なればこそ今日ほど貴様を恐ろしいと感じたことはない」


 あ、はい。……デスヨネ。


 否定すれば否定するほど説が悲しくも立証されたところで。

 どさっ。その事実に気づいた天彦は落胆という字義が最も仕事をしているであろう状態をその場にどっと崩れ落ちた。


「若とのさん。なんや演技くさいですけど、一応念のため大丈夫ですか」

「およよ。家来にまで勘繰られて身共哀しいん。ぜんぜん大丈夫違うん。お雪ちゃん代わって」

「え。オニ厭ですけど」

「おいコラ。あの言葉はなんやってん。むちゃんこ喜んだんやぞ!」

「社交?」

「もっとおいコラ! 身共とお前さんは社交など無用の一心同体違うんか」

「違いますやろ、気色わるいやめてください」

「あ」

「あ」


 天彦はまだ自分は大丈夫。をアホの家来で確認して、さて。

 ちょっととんでもないことに気づいてしまう。うそ。ずっと頭の片隅では気づいていた。まんじヤバいと。

 現状こそまさに天彦にとって痛恨の大誤算であったことは紛れもなく、というのも今の今まで気に留めないように敢えて脳裏の隅に追いやっていた情報が、ここにきてにわかにクローズアップされてしまっていた。


「与六ぅ」


 愛する家来樋口与六くんがどこかの砦を分捕った。

 それはいい。彼のことだから誰に恥ずかしくない正々堂々とした胸を張れる理由がきっと絶対にあるのだろうから。茶々丸だって請け負ってくれていたし。


 なーん。


 茶々丸が大丈夫などと安請け合いしていたが、あんなもの気休め以上の意味などあるまい。何しろ無事と安全を請け負うには最も適さない波乱に満ちた代表格が彼なのだから。それを自分は……。

 ただ遊びたい一心で。ただ庶人生活に触れたかったばっかりに。すべてがこの大誤算を招く破目となってしまっているではないか。

 与六の正当性などこの際一ミリも意味はない。部分的あるいは断片的な事実を耳にする世間様にとっては。

 時系列を追えば織田の背後を上杉に突かせその流れで憎き武田を滅ぼして、菊亭は領地を分捕ったとなる。

 これで勢いを駆って越後の軍神さんが上洛戦でもおっぱじめようものなら天下は大乱。畿内はまたぞろ地獄の様相を呈し、天彦は一躍極悪非道のレッテルを今以上に張り付けられて氏ぬことは必至。……うそーん。


「いや、まぢで代わって?」

「まじでオニ厭ですけど」

「たまには身共を悦ばせろ」

「オニ厭です」

「ちっ、是知はどないさん。菊亭の当主をやってみる気ぃはないさんかぁ」

「殿……お労しや」


 あ、はい。


 ノリだから。真っすぐに見つめて労わるのはよせ。

 やはりノリが悪い己のせいか。それは当たり前。この状況で乗れたら異常。

 何しろこの世の誰よりも警戒させてはならない最重要人物の最大警戒まで生じさせてしまうという大失態付きで、絶賛追い詰められ中なのだから。


「天彦狐。余と膝を突き合わせて天下を語らい合おうではないか。如何」

「はは、あはは、はぁ……」

「如何か!」

「はい。お付き合いいたしますぅ」


 天下って美味しいんやろか。知らんけど。


「で、あるか。まだ日は高い。ならばじっくりと語らい合おうぞ」

「お手柔らかさんにぃ。あんじょうよろしくお頼みさんにあらしゃりますぅ」

「どの口がほざく。手厳しいのは貴様であろうが」

「あ、はい」

「陣を支度せい!」

「はっ、すでにご用意いたしております」

「で、あるか。参ろうぞ」

「うん」


 天彦は絶望の二文字を張り付けて魔王にドナドナ。手を引かれて個室に連れ去られるのであった。












お読み下さいましてありがとうございます。


さて八章。

友愛神楽と名付けました。ずっトモとずっといちゃいちゃしていたいだけの一心で。

そんなほっこりムフフな新編になればよいのですが。よろしければお付き合いください。よろしくお願いいたします。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 、、本当に友達になれると思った四郎さんの個人的な裏切りのせいで、天彦さんが世間様から誤解されてく、、そちらの方が私にとって四郎さん許せんになります、、 [一言] あ、でも天彦さん敵に回…
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