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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
135/314

#22 真実で美談をぶち壊さないくらいには大人

どうぞ

 



 永禄十二年(1569)九月五日






 おぼろなる月も ほのかに雲かすみ 晴れて行くへの 西の山の端



 天彦から事の顛末を訊かされた謙信の動きはまさに電光石火。

 即座の当日夜半、半里先に陣を構えていた武田の本陣を御大自ら精兵を率いてのまさかの急襲。

 襲撃から僅か半刻もかからず大将旗は引きずり降ろされ趨勢はここに決した。


 隙を突くはずがまさかの虚を突かれてしまった二万の武田軍はたちまち大混乱に陥ってしまい右往左往、見るも無残に瓦解し大惨敗を喫した。

 だが如何な精兵といえども名のある侍大将のほとんどすべてを失ってはどうにもならない。

 こればかりは不運の一言に尽きよう。運悪く襲撃と酒宴が重なったことが武田軍最大の悲劇。その場で名のある武将はことごとく討ち死にを果たし、以下の殲滅作戦は頭のないタコの手足を食い千切るが如き容易な掃討作戦、いやもはや作業であったとかなかったとか。


 武田菱の代名詞でもある勇猛果敢な尖兵と軍馬もこぞって消失とあってはもはやこれまで。


 諏訪神四郎勝頼、切腹。享年24歳。

 非道な裏切りを画策した下劣外道な策士にしては武士として立派な最期を遂げた、らしい。


 しかもさすがは戦神。謙信公の凄味はここからが本領だった。

 軍神は自らが二万の上洛軍を率いて侵攻を決行した。武田上洛軍を蹴散らしたその足で甲斐本国へと攻めかかるべく侵攻を開始したのだ。むろん本国越後との大挟撃作戦である。

 ほとんどの侍大将と主要な精兵を失った武田はしかも挟撃されるとあっては壊滅必至。

 故に天彦は確信している。永禄十二年(1569)九月五日という日が栄光の甲斐源氏武田家滅亡の日であると。


「誠にめでたい。参議様、祝着至極に存じ奉りまする」

「え、身共に。なんで……」

「あははは、この期に及んでご冗談まで冴えわたる。策をお授けになられたのです。この大勝利、菊亭様の論功一等は紛れもなく」

「あ、うん」


 天彦は興味なさげに空返事を返した。


 まだ戦勝の興奮冷めやらぬ明け方早く。朝霞のせいもあって視界十メートルを切っているだろう不明瞭の中。

 天彦は我が軍圧倒! 武田軍壊滅! 続々と舞い込む戦勝の報を受け、比喩ではなく物理的に地揺れを起こすレベルで大歓喜に絶叫する超絶狂喜乱舞の輪の中にあった。


 報せと同時に次々と運び込まれる、この実に趣味の悪い戦国の流儀に眉をしかめながらも、凄まじいまでの戦意高揚の渦中の更にど真ん中で。世話係を自発的に申し出てくれた直江景綱御大のせいで。違う。おかげさまで。


 常のスタイルとスタンスを保ち部外者ツラを決めこむ天彦は、いくつもの形容しがたい形相の首級が高らかに掲げ記される越後上杉本陣にあって、感情の持っていき方に苦慮していた。


 裏切り必死。それはいい。外道には死などいくらでもくれてやれ。むしろそうあってくれないと困るまである。ましてや人の死は悼むものであって喜ばしいものではないなどという眠たい感情など、一門を率いる覚悟と共にとうのとっくに失せている。なのに……。


「若とのさん、しんどいならお休みにならはった方が」

「おおきに。でも大丈夫やで」

「ひとつも大丈夫そうなお顔、なさっておりませんよ」

「うん。でも頑張る。これは身共の務めやから」

「はい。いつでも弱音吐いてください。某が代わりますよって」

「お雪ちゃん……、おおきにさん」

「なんですのん、今の間」

「あ、うん」


 口だけでも嬉しい。そういう間。


 なのにどうだこのざまは。雪之丞にまでまさかのゴマメ扱いされている体たらく。どう考えても喜びの感情とは真逆の鎮痛を纏ってしまっているではないか。

 裏切りに気づきあれほど激怒していたのに。あれほど呪詛を吐いていたのに。


 これで倫理に悖る非道な裏切者がまた一人退場してこの世からおさらばいなくなった。単純に純然と喜ぶべき安心材料である。それは頭でわかっている。

 だがそれと喜びの感情がどうしてもリンクできず、やはり痛感してしまう。自分はどこまで行っても部外者であり絶遠者なのだと。今やすっかり菊亭に対し100の帰属意識を覚えているはずなのに。はずなのに……、


「なんでやねん」


 ほんとうにどういうわけだか、どうしても受け入れられないのだ。一度は友と信じた者の裏切りと死が。受け入れてくれないココロさんが。


 天彦とて自分のような小物風情がこの大戦国時代の主役になれないことは承知している。だがせめて村人Aか公家1では参加したかったのだ。

 だが現実を突き付けられどうやらそれも叶わないようであると察して、そうとうかなり凹んでいた。

 感情は育むことで成長させるのではなく削るのだろうか。人には肯定的に期待してはいけないのだろうか。


 天彦はそんな答えのない自問自答を延々と繰り返すそんな後ろ向きな心境で鬱々としていると、気づけば知らず無意識に十字を切っていた。

 ろくすっぽ作法さえ知らないのに心の底から死を悼んでいた。この趣味の悪い戦国最大の流儀として掲げられる首級となり果ててしまった憐れな頭蓋に。

 そしてかつては友として呼び合った故人に対して深々と首を垂れて、心からの冥福を祈っていた。真面に祈りの聖句さえ知らないのに。


 つまり皮肉なのだろうか。だとすれば天彦こそがそうとうな悪趣味だが。


「四郎さん。身共は赦す。身共も許して……」


 その声、口調、表情、雰囲気のすべてがあまりにも切実すぎたのか。あるいはそれともあまりにも言動その他諸々が弱弱しすぎて見ていられなかったからなのか。

 接待役であり護衛役でもある直江景綱はすっと背を向け、見て見ぬふりをするファインプレーでこの場のすべてをなかったことにしてくれたのであった。


「神は罪を赦して下さる。互いに許しあいなさい。もう耳にタコですわ」

「某もにござる。毎朝訊かされれば然もありなん」


 菊亭の中庭から聞こえる二大風物詩の一つが朝の聖句の音読であった。

 天彦はきっとなんでもよかったのだろう。追悼できるのなら。

 毎日の刷り込み怖い。そんな教訓含みの場面を経て、いつまでもくさくさしてばかりもいられない。


「褒美。与兵衛尉よひょうえのじょうさん、身共にご褒美くれはるん」

「むろん。当家の論功行賞には武略と知略がござり知略は一番首より働き高き功とされてござる。よって菊亭様の論功一等は紛れもなく」

「ほなおくれ」

「殿のご帰還を待たずに某ではお答えしかねる」

「そんな御大層なもんは要らん。一つお願いを訊いてくれたらそれでええさん」

「願いとな」

「うん」


 まあお願いごとといえばアレ一つしかないだろう未来への投資一択である。

 すっかり気分を持ち直したワル彦は実にいい(悪い)顔で、景綱を手招き、耳を近づけてごにょごにょごにょ。悪巧みを吹き込むのだった。






 ◇◆◇






猪右衛門ししえもん、アタシ死んだじゃん」

「お嬢、ご心配なく。儂らもご一緒いたしますんで」

「あはは、だったら賑やかでいいじゃんねって猪右衛門のバカ! ぜんぜんまったく不安なままじゃん」

「がははは。そりゃ失礼しました」


 わはははは――。


 笑いとばせる場面など一ミリもない。千賀党の陣地は見渡す限り一切の往来が不可能なほどびっしりと越後兵に取り囲まれていた。


「あいつにもう一度逢いたかったじゃん」

「簪の君ですな」

「うん。あいつ、おもろかった。四両はウソだったけど」

「ははは、ですが二両五分にはなった」

「うん」

「お持ちなのですな」

「うん」

「滅多とお目にかかれないお嬢とは気が合いそうな貴種殿でしたが……、お嬢、お嬢だけでも」

「ふざけるなじゃん。アタシこれでも千賀の統領。舐めるならこの場でコロス」

「はぁ、このお転婆は誰の血を引いたのやら」

「アタシはアタシ。誰でもないじゃん」

「ですな。ならばご一緒に」

「うん。アタシそういうのが好きじゃん。逝くなら一緒がいい。獅子右衛門、このさい派手に逝こうじゃん、くふふ」


 年魚市あゆちは自慢の愛刀である海賊刀カトラスを器用に掌で玩ぶと、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。するともう彼女からは幼さなど欠片もない。彼女も生粋の武人であった。

 そして稲生猪右衛門も同様に。千賀家の主従は揃いも揃って死にたがり。実に軽い口調であっさり命を放って捨てた。


 何も悪いことをしていないのに攻めかかられる。あるいは取り締まられると判断するあたり根っからの海賊気質なのだろう。常に悪事に片足を突っ込んでいる的な思考回路の。実際両足ごと突っ込んでいそうだが。

 それでもこの主従、どこかまったく憎めないまるでこの秋の晴天を思わせる突き抜けた潔さがあった。実に天彦のお気に召しそうな。


「さあおいでなすったじゃん。者ども、派手に逝きなっ!」


 応――っ!


 三千と二百。平地の野戦では勝負にならない。ましてや越後上杉軍はその半数以上が物の見事な軍馬に跨る騎兵で構成されていた。

 彼我の差には誰の目にも圧倒という言葉では片付けられない厳然たる戦力差が見える化していた。






 ◇◆◇






「話が違うな」


 本陣を記す直江旗(紺白筋違旗幟)を掲げる精鋭五十騎ばかりが見守る中、妙に意気軒高な海賊どもの反応に対しその先頭で軍配を預かる直江景綱は鞍上で首を傾げた。


 両軍勢の距離六十間(110m)あまり。隔てるものは何もなく、彼らの背後には川があるだけ。常識的に考えれば川に逃げ込むと思うのだが。

 実際そう検討されてもいたしこの策の発案者である天彦も言っていた。だが想定は外れた。あろうことか彼らは一戦交える心算らしい。

 その戦意と士気の高さに景綱は目を瞠った。ほんとうに弱兵の運ナシ一家なのだろうかと。天彦の触れ込みでは当代きって運のない盗賊どもらしかったから。


 借りがあるから返しに行きたい。


 参議ほどの人物に貸をこさえる海賊か。それは一目見てみたいと景綱は一肌脱ぐと買って出たのだ。そんな恩賞などと吝嗇なことは言わずとも。

 だが天彦は頑なに言い張った。恩賞はこれでよいのだと。

 なんとも変わった褒美を強請るものであると面白半分乗ってやったが、これは胡乱。何やら裏がありそうだ。景綱は総大将として兜の緒を引き締める。


 噂話の広がり方は好悪の二種類ある。好意的な噂話は面白い方に脚色され、悪意ある噂話は悪い方ばかりが誇張されて広まっていく。そもそも捏造が多いのも悪い噂話の典型的な傾向である。

 だがいずれにしても噂話とは往々にして尾ひれがついて肥大化するとしたもので、噂の方が身代が小さいなどまったく以って訊いたこともないのである。


 参議菊亭天彦という童を目にするまでは。


「何が仏の化身か。何が化け狐か。あんなもの戦神以外の何者でもないではないか」


 でなければ戦国列強の筆頭格である甲斐武田家が一夜にして一網打尽になどなるはずもない。誰ができる。できるはずもないのである。

 それは戦神謙信公も寵愛するはずである。だが一方でこの上洛からすべてが策の範疇かと勘ぐってしまい首が寒くてかなわない。

 景綱はつくづく実感する。あの小さき化身殿が味方であってよかったと。裏切らずにおいてよかったと。

 越後が甲斐の立場になっていたことだって十分に考えられたのだ。戦国の流儀に従うのなら。


 甘い言葉を囁くのは悪魔だけなん。どなたさんも決して甘言に耳を傾けてはいけませんよの巻。


 景綱の脳裏には策を明かした際に天彦の口から出た、どこか悪戯っぽくはあったがそんな警句めいた言葉が浮かぶ。いや聞いてから先、ずっとこびりついて離れない。


「参議、出陣なさいました」

「おお、案外達者なものだな」

「然様にて。つくづく芸多き御仁にござるな」

「うむ。手の内すべて明かさせてみたいものだ」

「一度の人生で間に合いますかな」

「確かに。二度、いや五度ほどは要りそうじゃな」


 ふは、あははははは。


 本陣に快活な笑い声が響き渡った。


 そんな噂の得体のしれない自称お人さんはここが好機を見たのか、颯爽と駿馬を駆って睨み合う両陣営のど真ん中を闊歩して進んだ。家来の二人を従えて。


 両軍が見守るなか、


「あ、落ちた」

「家来殿が落ちたぞ! 救護班、急ぎ支度をいたせ」

「大丈夫なのか。頭から行ったが」

「待て。……起き上がった」

「笑っておるぞ」

「いやあれは怒っておる」

「あ、また落ちた」

「背にせり上がり今度は逆に落ちたぞ!」

「大丈夫なのか」

「敵軍から大笑いされているぞ。ええい矢を番えよ!」

「待て。指示あるまでは攻撃はならん」

「ぬぐうう」

「参議殿、大笑いなされておるな」

「心配させおる」

「主従揃って冷や冷やさせおって。救護班、もうよい」


 配下の会話が途切れたところで景綱は苦笑交じりにぽつり、


「参議曰く、命の価値は平等だと教わった。つまり等しく無価値である。との由。これの意味が分かる者はあるか」


 と配下に問うた。むろん景綱自身がわからないのだ。答えが返ってくるとは思っていないのだろう。越後上杉家で己より教養のある者はいないと自負している彼だけに。


 この策は学んでいた禅寺で教わったらしい死生観を基に組んだ策らしいのだが、景綱には何のことだがさっぱりだった。

 殿ならご理解なさるのか。きっとなされるのだろう。理解できない己はならば子供じみた、けれど壮大なお遊びに付き合ってやる程度の軽い気持ちで乗ってやったのだが、果たしてこれは……。


 景綱は注意深く天彦の行動を刮目するのであった。














お読みいただきましてありがとうございます。


お目汚しごめんなさい。七章終えたはずなのですが少しスッキリしなかったのでほんのちょっと書き足しを。脳内で補完できるレベルの付けたしなので読み飛ばしても……絶対いや! ちゃんと読んでくれないと拗ねる。ウソです。今後ともよろしくお願いいたします。


PS猶、本文の”借りを返す”は武士ならそう誤解するだろうというミスリードを誘った天彦のちょっとしたいたずら悪巧みです。念のため。




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