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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
134/314

#21 御託を並べ立てたところで原則エンジョイ勢なので

 



 永禄十二年(1569)九月四日






 天彦と若武者、双方が静かに見つめあうことしばらく。


 天彦の第一感は怖い。であった。何を隠そうずっと怖い。大勢の大人DQNに囲まれるのはもちろん、中でも特に殺す殺されるの覚悟を持った若い侍と一対一で対峙するのはほんとうに恐ろしかった。

 つまり天彦に死への覚悟が定まっていないからなのだが、これは当り前である。

 公家はそもそも文化の継承者。生きることに意味を見出す種族であり教育課程のすべてだってそちら側に全振りされている。死んでナンボの武士とは死生観が180度違っている。


 死んでこそ家の血肉となり土地の肥やしとなる武家とはやはり別種。そんな武士もののふの中でも特に際立って武張った武士らしい若武者を指名したことに実はあまり意味はなかった。

 ノリといってしまうと叱られそうなので無理にでも意味付けするなら直感、あるいは直観か。ネームバリューと言い換えることもできるこの勘は、かなりの確度で当たるはずという確信が天彦にはあった。

 何しろやはり伝え聞く為人を予め知っているという優位性に比べれば、どんな優位さんもたちまち尻尾を巻いて逃げ出すだろうから。そういうこと。


 天彦は目の前の若武者を知っていた。むろん面識という意味ではなく知識としての既知である。

 だが想定するより思いのほか若く少し不安を感じていた。それでも周囲からの異論が一切漏れ聞こえてこないことを見るに、つまりこの天彦から指名された若武者が代表者たる適格者であることの現れであろう。


 天彦はふっと小さく息を吐いて若武者から視線を外した。そしてあらゆる雑音がすべて消え去ったかのように不気味なほどに静まり返る周囲にそっと視線を一周させる。

 するとどうだ。視線を若武者に戻した頃には先ほどまで発していた痛いほどの悲壮感はすっかり鳴りを潜めていた。


 まんじ。


 名前すごっ、すご名前。


 天彦は状況を確認した上でもはや独り歩きしてしまって現実に影も踏ませない自身の異名の凄味に改めて戦慄を覚える。

 反面、あれほどやったのだからという自負と納得感も覚えるのだが、その裏ではやはり評価の根底にあるものは権威であると確信に至る。

 天彦は権威の裏付けこそ何にも勝る宝刀、すなわちこの戦国を生きてゆく上でのマストアイテムだと自信を持って確信した上で、改めて目の前の若武者と対峙する。


 ほーん。


 なるほど不思議。さっきより随分小さく見えている。年齢も若く幼く。あるいはそれが正しく適正な評価なのかもしれないが、天彦は改めて痛感した。自分はなんて小並感著しい小物小市民なのだろうと。

 片やこの何も持たないくせに凄まじい覚悟を持った若武者と、片や何も持たないくせに覚悟さえ持てない自分との対比が天彦に憐れなほどこの世の無情を浮き彫りとして突き付けてくるのであった。


 じんおわ感に苛まれるがだが今は後。自虐もそこそこに切り上げて死の恐怖に打ち勝った己へのご褒美として、僅かばかりの優越感を燃料に感情を奮い立たせ威を放つ。どや。扇子をピシっ――、大真面目に大風呂敷を広げるように。

 するとどうだ。場が飲まれているではないか。少なくとも天彦にはそう感じ取れた。

 ならば。その実際以上に見られているであろう自身の威風をテコに、少しのあるいは圧倒的な優位を実際のものとすべるべく満を持して言葉を発した。


「喜平次さん。初めましてやね」

「……なんと!」


 若武者は次の言葉を発するまでに呼吸を十度も重ねていた。そしてようやく、


「いやはや魂消申した。某をご存じとは。直言お許しいただけまするか」

「許そ」

「光栄至極に存じ上げる。ならば顕景とお呼びくだされ。殿が許される御方なれば某もそれに倣うは必定にて」

「そちらもご存じさんのようで。ほなら遠慮のうそうさせてもらいます。顕景あきかげさん」


 天彦は衒いなくドヤった。若武者は憚らず驚嘆した。


「やはり諱をご存じか。妹すら存じぬと言うに。ですがもはや驚きはいたしませぬぞ。むしろご無礼にあたりましょうからな。ご随意になされませ」

「ほな存分に。可愛いさんやろ実物の身共は」

「はは、これは武者震いにござろうか。正直申さば越後の田舎侍には、御前に面と向かうのもかなりきつくござる」

「風説の流布に夜ごと枕を濡らしておじゃりますぅ。しくしく」

「某、流言が実際を下回ることを生まれて初めて体感致した」


 ひどっ。


 思うが言わない。顔には出てしまっているだろうけど。


「何の因果か半家菊亭の当主を務めております太政官参議天彦と御申しさん。お目にかかれて光栄なん」

「こちらこそご尊顔を拝し恐悦至極。千里を見通すとはやはり真であったのでござろうか。いやもはや考えまい。それも含めこのような場と立場でなければお尋ねしたい話が山のようにござった。無念にござる」


 天彦は顕景の肯定的な言葉を耳にして、けれど逆にどこか悲しげな表情を浮かべた。だが次の瞬間には切り替わっていた。いつもの天彦の表情に。

 そして敢えてなのだろう。感情とは裏腹に口元を緩く、然して気にも留めていない風を装い首を左右に二度振ってから、これまた極々自然風にまるで用人に遣いを申し付けるかのような気楽さで、まったく何でもない風にそうやと前置きした上で、


「謀反は成功裏に収まりますやろ。多くの哀しみと絶望を引き換えに」

「……」


 予備動作もなくいきなり本題に切り込んだ。

 完全に不意を突かれた顕景は言葉なく身構えてしまう。それが認めたのも同然の愚行だと気づくその瞬間までずっと。


「そやけど愚策や。どうにもならんで」

「……さて、何のことにござろうか」


 さすがは史実に名を連ねる時代の俊英。顕景はたちまち持ち直すと至極冷静に応接した。

 天彦はその咄嗟の対応力に舌を巻き率直に感心した。これなら花丸をあげてもいい。


 だが周囲がいけない。てんでダメ。


「おのれ聞き捨てならんぞっ!」

「やはり対話など無用であった」

「なぜ感づける。いったいどこから漏れたのだ」

「まさか殿のお耳にも……」

「そんなはずがあるまい! ええい各々方、落ち着かれよ」


 ゼロ点である。


 すると顕景は史実では人前では生涯一度しか見せたことのないらしい笑みをたたえて天彦を見つめた。そのどこか観念を思わす表情は何ともいえない温かみを感じるものだった。

 しかも超下手。この下手くそさがどうにも天彦の心を惹きつけ感情を揺さぶった。

 そう。実に苦り切った笑顔だったのだ。だが、むしろだからこそ天彦にはそれが無性に愛くるしく感じられたのだろう。まるで鏡を見ているようで。


 気付けば天彦は笑っていた。お得意の何かをかみ殺したようなくつくつ笑いではなく、大口をあけて白い歯を見せて快活に笑っていた。

 すると笑いは伝播した。二人してあははは、わはははは。笑いに笑いこけるのだった。


「ふぅ、ようさん笑ったん」

「同じく某も」


 どこに可笑し味があったのか。だが時は戦国世は室町。適者生存の理は天彦の小さな背中に否が応でも容赦なく重く圧し掛かってくる。

 そして同時に天彦の脳裏には、いや両者の脳裏には示しわせたように同じ文言が浮かんでいることだろう。戦国流行語大賞ノミネートは確実な戦国きっての流行フレーズが。


「生とは常に死と隣り合わせなんやね」

「如何にも。世は無常なれば散華応報なり」


 雑魚は退け。敗者には死を。


 お互いの意見が一致を見て意識を共有したところで、


「策、なるとお思いさんか」

「なるならぬは時の運。だが一族の神輿である以上、某が黙って担がれてやらねば傷口は更に広がる」

「この策、漏れぬとお思いさんか」

「貴卿がご存じなのだ。戦神たる我が殿が知らぬ道理もあるまいよ」

「勝機のない戦もまた必定であると。愚かな真似と承知おきながら義に殉ずるとそうお申しさんか」

「然り。義とは人が人としてあることの美しさよ」


 天彦は呆れた。その上で感心もする。アホやんと。本もんのアホやんと。

 見た目十四、五歳か。あるいはもっと幼いはず。潔すぎる。どいつもこいつも侍という愚かな人種は。

 それは滅びるはずだと感じ入り、だがむろん潔さに対する憧れの感情など一ミリもない。は盛った。憧れはある。男子だから。だが生き方としては下策と断じる。それは本心。

 だから好きにすればいい。誰の生き方も否定はしない。……のはずなのに。


 与六の悲しげな顔がちらつくのはなぜ。なんでお前さんらお家来はいっつもいっつも身共の決定に命を吹き込もうとしてくるん。要らんし、感情……。


 天彦は大切なものが増えていくしんどさをつくづく痛切に感じながら、だがなぜも何もない。彼ら主従は天彦のいない世界線では史上最高にして鉄壁の関係だったのだから。ぐぬうう。なんか知らんむちゃんこ腹が立ってきた。


 その腹立たしさの感情の言葉を知らない天彦は、ちょっと冷めた熱量のだがかなりウェットな視線で顕景を見る。見る。見る。見る。

 あまりの熱のこもった直視に顕景がたまらずうっと呻いて仰け反ったタイミングで、ぼそっと。


「しゃーない。どうせ頑固もんに先などないけどこれも義理か。おまえさんらの好きなやつや。これでええんか与六に佐吉。実益さんにも胸張れるし。身共の大事な大事な家来の西軍に付いたお前さんを、ほんまのしゃーなしで一遍だけは助けたろさん」

「……?」


 本当に厭厭つぶやく。ならば言わなければいいのに。

 正しさが常に正解とも限らない世の中にあって、けれど絶対は存在する。言わなければいいのにバカ。これは絶対。

 言葉にしたばっかりに言葉に縛られる呪縛を背負う。何度繰り返せばわかるのか。あるいは一生わかりたくないまである天彦は。扇子をピシャリ。

 すると方針が定まったからなのか、どこかさっぱりすっきりとした表情で実に事務的な口調で告げた。


「あかんあかん。てんでなってあらしゃりません。ええか顕景さん。策とは覚られずなって下策、覚られた上でなって初めて上策やがさて問おう。お前さんらが為そうとする策、果たしていずれの策さんなり」

「さあ。某にはわかり申さん。ですが貴卿、なぜ某にその問いを」

「正直すぎるん。阿保なん呆けなんおたんこ茄子なん。なんで与六はこんなんがええのん。……まあええさん。ええか顕景さん、賢こでお利巧さんな身共の策は更にその上をゆくんやで」

「それは是非ともお聞きしたい。冥途の土産にご教授くだされ」


 おまっ――。


 もう完璧にこの対話がすんだら逝く腹決めてますみたいな目ぇで。……くそっ。


「特別やで。ええか策とは覚られ、事が為らずとも気付けば勝ちを捥ぎ取ってるものなんや。それが身共の取って置きの秘中の秘、名付けて秘奥義。さてその上で改めて問う。お前さんらが為そうとする策、果たしていずれの策さんなり」

「為らずとも勝つ。うむ、実に興味深い戦法なり。果たしていずこの武略に通じる策か。某には思いもつかぬ策にござるな」


 顕景の関心を引き寄せたところで、天彦は顕景の上田衆には絶望となろう飛び切り取って置きを炸裂させる。……はずだった。


 ん、ちゃう……?


 だが突如として微かな違和感がノイズを走らせ思考が止まる。

 それは物理や数値では計れない天彦の野生の勘。ゴミ箱に空き缶を放って放物線を描いた空ペットボトルが見事入るくらいの的中率だが、案外あながち馬鹿にもできないそんな予感をひしひしと感じた。


 なぜ顕景は死を覚悟しているのか。違和感はそこに尽きた。

 あの口ぶりでは謙信公への忠義が失われているわけではなさそうだ。やはり肝は反逆同盟か。

 だがなぜ対抗馬と手を組んだ。組むなら他にも手はあったはず。

 血統的にもまるで別の、あるいは受け入れられないはずの後北条の御曹司を担ぐ栖吉衆と。なぜ主君を裏切ってまで組んだのだ。……え。



 まぢ。



 天彦は数舜固まり、嗚呼なるほど。すべての間違い探しが解けたときの感情で気づいてしまう。

 その気づきと感情に名を付けるとしたら“彼が好きだったのではなくあの頃の彼が好きだったと気づいた件”となるのだろう。知らんけど。どうでもいい。


「おのれ……、やりおる」


 さようなら四郎勝頼。お前さんのことはきっと……、忘れる。氏ねコロス。

 今日という日を懐かしみ偲び思い出すことさえないだろう。意味付けさえせずに記憶の彼方に忘却してやる。絶対する。


 天彦は哀しみに襲われ心から血を流すほどの心痛を負っていても強がり嘯く。あるいはその状態にさえ気づかずに。

 そして闇落ち寸前の危うい感情でたった今かつてにまで格下げとなったかつての盟友を切って捨てた。


「やったったな四郎。そやけど教えといたろ。最善を追うは下策。最良を求めてこその策士なんやで。舐めるな身共を、そして惨たらしく死にさらせ。腐れ外道の裏切者が」


 それがたとえ戦国の王道であり流儀でも、天彦にはけっして許せない領分があった。


 じゃきん。ぎらん。


 気付けば天彦には怪しく光る無数の切っ先が向けられていた。

 だが殺意はあまり感じられない。どうやら向けられる刃はすべて天彦の邪気にあてられ本能的に抜き放たれたようであった。


「若とのさん」

「殿」


 天彦は二人の声に反応して渋々そして心底どうでもよさそうに推定脅威を一瞥する。するとどうだ。引け腰で立ち上がり切っ先を向けているくせに震えあがっている大の大人たちばかりではないか。


 呆れる。そして空しくなる。誰も彼もが保身に塗れ、高潔な揺るぎない信念の瞳がただの一つもないではないか。あくまで個人の感想として。


「顕景さん。あれらのために死んでやる道理があるとでも」

「耳は痛いが某にはござる」

「自らの命で一族と名誉と主家の存続を図るお心算さんなんやね」

「……どうしようもなく大切なものは誰にでもござろう。ならば丁度ここに使い勝手のよい命が転がっていただけにござる」

「頑固なお人さん。笑てまうわ。でも好きよ。阿呆なお人さんはむちゃんこに」

「光栄にござる。ですがご厚情、お返ししたく存ずる」

「さがせば案外あるもんやで。逃げ道なんてもんはいくらでも」

「この顕景、如何な苦難に立ち塞がられようともけっして逃げは致さぬ所存」

「なるほど。実にらしい口上やね。その上で身共がそっちに付いたろ。そうゆうたらどないさん」

「……」


 天彦は180度当初方針から転換させて、だが飛び切りの爆弾を投下した。


「一切の齟齬のないよう明言したろ。上田衆の神輿である顕景さんに付いたろ、ゆうてるんやで。身共が付いたら100勝てるよ。後北条武田同盟に。さてどないさん?」

「武田の策も見抜いたか。……さすがの慧眼、お見事にござる」

「そうでもないよ。こんな愚策」

「甲斐こそ貴殿が担いで持ち上げた真の神輿ではなかったのか。なればこそやつは増長し我らは影に怯えたのだ」

「へ」


 まん、ぢ……?


「どうなされた。巷では隆盛を誇る信濃を例えてその噂で持ち切りだが」

「噂なにさん、なにさん噂。身共ぜんぜん知らんのん」

「誠に……、ござろうな。何やら貴卿、演技は滅法苦手のようにて」

「そやよ。それに身共、お祭り行事が苦手なん。お神輿担ぐにもきっと背ぇが足らんと思うのん、どないさん?」

「お主、真の悪であったのだな。これでは四郎殿も浮かばれまい」

「そやで。そんなことも知らんかったん。四郎は一生沈んどけ。甲斐も越後もこれやから田舎もんは都会事情に疎うてかなわんわ」

「貴殿の世に蔓延る風説の数々。真実に触れてよいことがござろうか」

「あ。なかったん」

「ふはっ、あははははははは」


 顕景は笑った。それも声を出して大笑いした。


 彼は気付いたのだろう。特大の時限爆弾のスイッチが入れられたことを。

 比喩が不適当なら確実に効く猛毒が体内に、つまり上杉家中に流れ込んだことに気づいたのだ。

 そしてその猛毒には特効薬ワクチンがないことも承知している。

 だからこその笑い。笑うしかなかったのだ。自身が命を懸けてでも阻止しようと足掻いていた難題を、ともすると言葉一つで容易く引っ繰り返してしまいそうなほどの濃密な気配を感じ取って。

 そしてそんな得体のしれない気配をむんむん放つ目の前の童の思惑を知り、いやあるいは人の皮を被った何かを前にして敗北の文字を飲み下したのだろう。


 だから彼は首を垂れた。深々とそれこそ誰の目にも誤解なきよう完全無欠に屈服していると伝わる姿と様式を露わに。


「お救い下さるか。我ら一族一党を」

「誓うか」

「いずれを」

「二度とお命さんを粗末にせぬとや!」

「……はっ! 長尾喜平次顕景、ここにお誓い申し上げまする」

「ならばその願い聞き届けたろ。お安い御用、お任せさんや」

「ははっ、ありがたき幸せ」

「そやけどちゃんと機会を設けて与六は……、今回は保留。その代わり佐吉にはしこたまお礼をゆうんやで」

「……佐吉、どの?」


 未来の恩義の先付や。


 得意がって言う天彦は顕景の疑問を置き去りにことのほか勝ち誇った。

 さしずめ勝ちといっても薄皮一枚ギリギリの超絶辛勝もいいところなのが露見しないように。


 そして名付けて、世の中はずっと不公正からいなまま。けれどチョコは誰にも平等に甘いの巻。

 虎視眈々、そんな成ろうと成るまいと確実に効くだろう浸透性の極めて高い時限装置付き爆弾をまんまと上田長尾勢に仕込むのだった。


 顕景が観念したそのタイミングで天彦の予感は的中。


「あ」



 者ども掛かれい――っ!



 よく知る声が陣中に鳴り響き、同時に無数の侍が陣中に雪崩れ込んでくるのであった。

 戦神の武威は凄まじい。その声を訊き名を連想しただけで大方の侍の戦意はほとんど失せていた。

 さすがは戦巧者。天彦と顕景の構図から一瞬で状況を読み取り、


「上田衆は敵に非ず! 抵抗するものは斬り捨てい、掛かれっ!」


 的確な下知を飛ばした。


 勢いを駆った軍勢は瞬く間に包囲、抵抗するものをことごとく殲滅。抵抗を諦めた者をたちまち捕縛していく。

 粗方趨勢が喫すると天彦の前に軍扇を手にした軍神が颯爽と登場する。その背後に三名の軍師を引き連れて。


 軍神は天彦に対する前に顕景を一瞥する。顕景は無言で首を差し出すように深く首を垂れて応じる。善きに計らえ。

 軍神は言うや視線を天彦に戻し、坐する天彦に目線レベルを水平にあわせるべく膝を屈しぺこり。緩やかに一礼して実に穏やかな笑みを浮かべた。


「また借りを作ってしまったようだ。恩に着る」

「ほなお相子さんで。そんなことより謙信さん、光り物飛び交う戦場に参るのん胴丸着ぃひんと危ないですやん」

「ははは、心配してくれるか」

「それははい。むちゃんこ心配してますん」

「うむ。ならば下知に従うまで。今後は必ず着けるとしよう。久しいな天彦、こうして相見える今日という日が重畳なるぞ」

「おおきにさんにおじゃります。身共もこうしてお顔さん見れてむちゃんこ嬉しいん。謙信さんもお変わりない御様子であらしゃって――あ」


 言葉を遮るようにさくっと謙信に抱きかかえられると、すぽっと分厚い胸に抱え込まれるように収まった。むう。元服した成人やのに。


「軽い。食っておるのか。無理をしすぎではないのか。大そう心配いたしたぞ」

「謎のぱっぱムーブ! あ、はい。心配返しやね。でも身共、頑張ったん」

「そうか。うむ、であるな。見事あっ晴れな働きである」

「褒めてくれはる?」

「よいのか」

「それはもう。謙信公に褒められたらどんな公家でも嬉しいさんやで」

「上手を申す。だが悪い気はせぬの。ならば褒めて遣わす。天彦、誠に此度の知恵働き、大儀であったぞ」

「おおきにさん。欲を言えばもう少し御早くに」

「畏まった。此度の件に限らずとも天彦には訊ねたき儀、万とあるのでな。時はあろう。のう」

「あるん。三日ばかし」

「三日とな。三日……、北伊勢の魔王が駆けつけるのか」

「大当たり。さすがやわぁ。でも大軍勢は率いてこえへんからご心配なく」

「……示し合わせていたのか」

「信長さんと? はは、まさか」

「では何故なにゆえ、予見でき申すのか」

「魔王様はお利巧さんでお馬鹿さんやから、かな。知らんけど」


 さすがは軍神。天彦の言い回しを100の確度で読み解いてみせる。

 うむと頷くとしばし瞑目し目を見開いた次の瞬間には、単騎駆けか。言うや双眸をぎゅっと引き絞り少しだけ嬉しそうな顔をして、見事天彦の言わんとする意図を言い当ててみせていた。


「ふむ。当家との衝突を避ける意思があるならばよしとしておく。らしいと言えばらしくはあるが総大将としてはやや寒いがな」

「お好きなんですね、信長さんのこと」

「うむ。殺したいほど好いておるぞ。あれが生きておる限りこちらに御座す我が半身、多聞天の化身殿を独占できぬからな」

「ほえ」


 くっくっく。


 まさかの謙信による毘沙門天ジョークに、さすがの天彦も一杯食わされびっくり魂消る。

 ご存じ多聞天とは謙信公が公言している毘沙門天の別名。つまり血肉を分けた分身あるいは肉親も同然であると公然と言ったのだ。男子ならそれは魂消る。光栄すぎて。


「この程度朝飯前であるぞ。我とて織田殿のことそれなりに承知しておる故に。さて天彦。騒動の終息、如何なところに落着致そうぞ」

「それは身共の領分やないかな」

「寝言は寝て申すものであるぞ。乗りかかった船に……、そういえば危急を知らせる強行軍の費えが――」

「承ったん!」


 ふふ。


 久しぶりに負けた気がした勝ち誇られの鼻笑いに、天彦は謙信公も所詮は戦国の武人であったと再認識して臍を噛む。

 むろんお近づきになったことではなく手段を択ばず急かしたことへの後悔として。


 さすがは現場主義の理論派筆頭。勝ち方をよくご存じで。


 天彦は持てる嫌味を最大限にぶっこみつつ、いずれにしてもまんまとしてやられてしまったことだけは事実なので受け入れる。

 それが理想主義を掲げる実践派としてのせめてもの矜持だからだと嘯いて。


 だが暗に献策せよと強請られたことに関してだけは慎重姿勢を貫いた。

 勝頼の死に直接関わり合いになりたくないその逃げの感情の一心で。

 天彦にだって心はある。今は心穏やかにして血祭りと書いてパーティーと読む祭りへの参加は是非とも是知に任せたい。……お。


 だがガキならガキらしく一番ガキっぽい仕返しが思いついた。


「謙信さん」

「ん……?」


 僧衣の襟元にちっこい掌を潜り込ませ、謙信公の分厚い胸をぎゅっときつくつねるのだった。まったく痛痒にも感じていないだろことを承知しながらきつくきつくつねるのだった。


「どないさん」

「うむ、痛いぞ」


 らしい。


 謙信のリアクションに満足したのか。すると天彦は重要な案件を思い出す。というテイなのだろう。ポンっと手を打ち、そして雪之丞と是知を視界のど真ん中にどかっと据えて、


「な」


 渾身のトドメとしてのドヤ“な”を決めて〆るのであった。


「はいはい。すごいすごい」

「殿……おいたわしや」


 だが評判はお察しの通り。

 煽るな不憫がるな。どっちも一番アカンやつ。















お読み下さいましてありがとうございます。


いかがでしたか。これにて七章八面玲瓏の巻はお仕舞いです。

ランディングにはご納得いただけましたでしょうか。やはりいつも通りドタバタの収束劇でしたでしょうか。皆様のお声と評価軸での反応を心待ちにしておきますね。

またこうしてどうにか幕間にまでこぎ着けることができましたのも偏にフォロワーの皆様のご寛容とラブの賜物でございます。改めまして厚く熱く御礼申し上げます。

そんな読者様方におもしろき作品をお届けするべく。あるいは理想とする美しさを求めて精進して参りますので今後ともよろしくお願いいたします。


頑張るぞ、おー!


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― 新着の感想 ―
[一言] ピンチに輝く鋭い勘の働きは素敵、これが無ければ菊亭は終わっていたでしょう。 敵味方がフレキシブルに入れ替わる戦国時代、知識とか縁を生かして見事に泳ぎきれることをお祈りしときます。
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