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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
133/314

#20 戦国乱世における誰もが知っておくべき暗黙の存在

 



 永禄十二年(1569)九月四日






 一堂に揃い踏んだメンツを見た天彦の第一感は需要と供給のバランスがあっていない、であった。つまり再販売価格維持制度である。

 価格カルテルと言えばおわかりいただけるだろうか。家格と価格を掛けてみたのだが。大真面目にキリッ。


 大前提、貴家に序列があるように、家格にも世にある製品と同じような価格弾力性の高低が存在するとして。


 この説はむろんだがまだ立証されてもいない天彦の説でさえない見解である。

 そして皇家を当然の別格とした家門あるいは個別の家名権威に対しての不可侵な存在とも言い換えることができる弾力性である。

 例えるなら足利将軍家などがその最たる好例ではないだろうか。もはや大将軍として誰も認識していないにもかかわらずその家名に付随する家というだけで存続を許されているといった風に、有名無実だが現在も猶滅ばずにしぶとく存続している状態のことを経済価格弾力性に準えて。


 天彦の菊亭家もその家名弾力性でいうなら相当に低い(猶、売れる数が価格に影響されない商品ほど価格弾力性が低いと表現する)であろう。

 何しろ菊亭、主家西園寺が追放刑に処されたにもかかわらず一切不問とされているように帝でさえ宥免せざるを得ないほど。

 むろん背後にある魔王城の存在が多大な影響を与えていて、判断を鈍らせるどころか評価機軸そのものを捻じ曲げてしまっているのだがそれも含めて天彦の戦略通りのしめしめうししである。


「どうした小童こわっぱ。涼しい顔が歪んでおるぞ。ふははは」

「倫理的にアカンやろ」

「強がりおって。名を明かし楽になれ」

「ずっと明かしてますやん」

「ええいしつこい! 小賢しい小童めがっ。もうよい、棒を持てい!」


 何が言いたいのかと言うと灼熱の棒はさすがにムリッポ。そういうこと。

 酔っぱらっているのかアホなのか、裁きを担当したクソ偉そうな権高アホ役人が無罪を主張する天彦に、ならば神仏に問え。ほざくや否や鉄棒を持て、下人に持ってこさせた鉄棒を火に焚べはじめたのである。無理。氏ぬ。


 それでも天彦には余裕があった。直観的にこれは脅しだと勘づいていたから。

 彼らもさすがに天彦たちが在野の商人の子倅とは思っていないようで、名を明かせと頻りに強請ってきたのである。

 だから天彦は「詮議を始めるにあたり罪人、名を名乗らねば罪が五割増すぞ。これは温情である。疾く答えい」

 の脅しにもひるまず薄ら笑いを浮かべた常態で余裕の応接ができていたのだが、まだ修行も経験値も足りない是知は焦りに焦ってしまって思わず、


「おのれ下郎っ! この御方をどなたと心得る。恐れ多くも畏くも朝廷太政官参議、大菊亭家初代ご当主、従四位菊亭天彦様なるぞ――っ!」


 大激怒の大見得を切ってしまう。あれほど内緒と口裏を合わせていたにもかかわらず。



 ええ……。



「是知、ゆうたらアカンてゆうたやん」

「あ」

「是知さあ」

「ぐう」


 ぐうちゃうねん。天彦は呆然である。是知はその倍は愕然としているが。


 尤もこれは天彦の己のミスもある。危ういと踏んでいた雪之丞ばかりをマークしていた天彦の見たての甘さ買い被り。まさかの雪之丞はちゃんと猫を被っていた。

 やはり意外性は意外なときにこそ効果が発揮されるのか。何にせよどちらもまだ経験の浅い子供なのだ。目を光らせておくべきだった。

 だが後悔は先に立たず裁きの場は絶対に聞き逃してはくれない。



 菊亭だと。参議と抜かしおった。なに!? まさか。よもや。


 

 場がにわかに騒然としはじめ騒然が伝播するよりも早く耳打ちリレー大会が開催された。するとややあって混乱が収まるよりも早く、ドカドカドカ。無数の足音が乱入してきた。

 するとたちどころに元々この場に集う誰よりも、見た目に格のお高そうな侍たちがぞろぞろとその場にやってきてしまった。


 雁首揃えて集った侍、実に四十有余名。しかもあろうことに集ったメンツは揃いも揃って天彦に対し100の敵意を潜めていた。←今ココ。


「是知、やったったな。若とのさんのあんな焦ったはるお顔、某は久々見たん」

「そんな、某はそんなつもりでは……」

「お互いここを凌げてもお家にお仕事あるやろかぁ。あったらええなぁ。暇何キライやし。なあ是知」

「くっ、この式部大丞長野是知、一生の不覚にござる」


 そこ黙ろうか。


「そこ、黙ろうか」


 天彦は思った言葉を思ったまま、一言で黙らせる意図のトーンでつぶやいた。

 すると実際に一瞬で意地悪ウサギも権高コダヌキもどちらも沈黙してくれたのでよし。

 天彦はすぐさま状況把握と対策を練るため記憶の淵に沈む……までもない。


 どうやらその必要もなさそうだと気付き思考を外界に照準する。

 何てことはない楽勝だった。記憶の底を攫う必要もなく天彦はすでに知っていた。既知としてではなく知識として。

 むろん誰ひとりとして面識はない。なのに越後上杉家の一門衆、それもかなり高い地位にある人物揃いだと確信できていた。要するに登場人物があまりにも有名どころ過ぎたのだ。

 駆けつけた侍たちは誰も彼もが越後上杉家を代表する金看板ばかりであった


 ネタはバラせばしょーもない。単純に如何にも高級そうな紋付の裃を着ているから。九曜巴紋は越後長尾家の超有名な家門である。

 長尾とは上杉家を乗っ取る前の謙信公の家名である。そういうこと。

 関東管領家は名門だが、上杉家とて裃を普段着とする家来はそう多くない。加えて有名家紋を持つ名門貴家ともなれば更に限られてくるだろう。

 なのにそれがここに相当数いる。つまり越後上杉家の一門衆が挙っていることを意味していた。


 そしてこのメンツの誰ひとりとして春日山城の天彦を歓迎する意味で開催された酒宴の場に彼らは招かれていなかった。敢えて自発的に拒否したのか不慮なのかは言及しないが、いずれにしても天彦の面識ある人物が一人もいない。

 言い換えるなら天彦の奇策によって翻弄され最前線で陣頭指揮にあたっていた人物とも言える。何が言いたいのかと言うと、恨みを買うには十分でありとあらゆる可能性が否定されず残ってしまった。そういうこと。



 閑話休題、

 天彦を熱心に観察する五十以上の瞳がギラギラと怪しく光る。


「如何か」

「……わからぬ。小童としか」

「たしかに随分と小さい」

「あり得るのか、このような座に」

「六道陰陽を操るらしいので如何とも」

「だとすればまさに神出鬼没」

「ならば已む無し」


 薄っすらと漏れ聞こえる不穏な言葉の数々に、天彦の背中はぞんぞんした。


「おお、かっちょええ」

武士もののふとは斯くありたきもの」


 なのにこの事態の急変に直面してもまだ猶も肯定的かつ楽観的に捉えているお間抜け家来ども二人のアホ面ときたら。ちょっと笑えた。

 そんなおバカな家来を率いるもっとおバカな主君といえば、人生で一二を争うくらい死を予感しているのだが。一周回っておもしろくならないほどに焦っていた。


「じんおわ」


 なぜ上杉家一門衆が揃い踏みだと天彦が死を予感するのか。結論。それは揃い踏みだから。


 これには越後上杉家のお家事情が複雑に絡んでくる。絡みの元をたどれば子を持たない謙信公の唯一の弱みにも繋がっていく上杉家家督相続の根幹問題があった。

 史実同様謙信公はいまだ跡継ぎを明言しておらず、すると継承権を持つ一門衆は当然のように激しい綱引きをしているはず。それこそ鎬を削るどころではない熾烈な主席争いの最中であるはずなのである。

 何しろ骨肉の争いとはそうしたものだから。この御家繁栄の絶対則である勝者総取りの理が発動する戦国室町であれば確実に。


 越後上杉家であれば上田長尾家と栖吉すよし長尾家であり、それぞれが一門衆筆頭としての家格も資格も有しているため争いは熾烈を極めているはずである。

 そしておそらく天彦の見立てでは、上田長尾家からは長尾政景御大が、栖吉すよし長尾家からは上杉景虎自らが、わざわざ天彦の人物鑑定をすべく裁きの場へと足を運んでいたのである。


 なのにそのお互いをお互いにオニ敵視しているはずの両家が一堂に介し談合している。

 これを共闘と言わず何という。両勢力は見たままに共通意識を持って、こうして膝を突き合わせて難事にあたろうとしていることは確実である。


 もはや事実は公然と見える化しているので、たとえ事実認定の一環として単に天彦の顔を確認しにきていると言われても無理。何しろ。

 ここはどこだ。船奉行所だ。その中でも横領の小役人が通通だろう村の名主の倅に代わって罪人を裁く場である。その場で起こっているあれやこれやを部外者などには報せぬはず。天彦なら報せない。どんな手段を使ってでも情報封鎖に全神経を傾ける。

 ところがどうだ。けっして立ち入らせはしないだろうそんな場に堂々と顔を出す一門衆の筆頭たち。これに密な関連性を感じ取れなければ戦国桃鉄はプレイしない方がいい。センス無さすぎて時間の無駄。

 そんな局面に際し天彦はどうあっても構ってくる世界に向けて嘯いて、けれどぜんぜん嬉し味のこれっぽっちも感じさせない口調と表情でぽつり。


「デスティニーちゃん、身共のこと好きすぎやろ」


 つまり謀反の匂いを嗅ぎ取ってしまっていたのであった。


 あるいはそれよりもずっと濃い別の何かも嗅ぎ取っているのかもしれないが、よって天彦は明確に冒頭の価格カルテルを引き合いに出し、上田衆と栖吉衆の共闘カルテルと断定し自身の死を予感したのである。

 首謀者にとっていっちゃん要らない存在が天彦だろうと考えられるから。

 しかも天彦は謙信公の大のオキニであり、上杉家家内では家内以外で最大の謙信公支持者と目されている人物である。排除しておくに越したことはない目の上のタンコブ。いや舌があたって地味に痛い場所にできた口内炎なのである。


 要らん。絶対いらん。そういうこと。


 しかも悪いことに栖吉衆が推す長尾景虎の背後には後北条の影もちらつく。

 あるいはチラ見せどころの騒ぎではなくモロに映り込んでしまっているまである。何しろ彼、栖吉衆が担ぐ神輿こと上杉景虎とは謙信公の養子であり実父は北条氏康(七男)なのだから。

 つまり若かりし頃の謙信公と同姓同名。そう。彼はこの戦国でも究極と言って過言ではない“じゃない方芸人”。違う。じゃない方侍。天彦がほんの少しだけ興味を惹かれても不思議ではない。むろんかなり同情的に。


 何しろ目下の後北条家は史実にない属国待遇であり、絶対に反旗を翻す機を窺っているはずだから。何しろ彼の大叔父は天意に達する武略達人さんであることだし。


「……じっじ」


 天彦はまだ幻庵が存命なのか記憶を探っていると、じっじがメル友やったんと思い出しぶるっと別の冷や汗を掻くのであった。

 何しろ祖父の孫自慢はどの世界線でも珍しいことではない。何より実際じっじ公彦の天彦自慢はエグかったのだ。それは天彦でなくとも寒いはず。照れる寒さと肝が冷える首筋の寒さ。二重の意味で寒かった。


「いずれにせよ、生かしてはおけぬな」

「然り。まだ幼き童にて心苦しくはあるものの」

「見た目に惑わされてはなりませぬぞ。この者、六道の妖術を操りまする」


 どうやらいよいよ本域で寒そうだが、さてどうする。

 だがこの問題、謙信公の家来可愛いすぐ許しちゃう優しい問題が根底にあるので何を対策したところでその場凌ぎ感が拭えずいま一つやる気が起きない。

 よって一方的に誰が悪いとは……、いや全部コイツら悪いやん。氏ね。裏切者ども。


 天彦は事情がどうあれ自分の行動を正当化して悪事を働く悪党がこの世の悪事でいっちゃん許せなかったのだ。その最たるが裏切りであり自分も含めてこの世の中で一番しょーもないと断じている。


 そんな天彦は怒りながらも憤って、けれどどこか頭だけは冴えているようで。呑気なお家来さんたちが縋るように向けてくる割とシリアスな視線にも柔和な表情で返すという柔軟な対応をして見せていた。

 裏を返せば冗談も言えないほど追い込まれているとも受け取れるが、それほどに天彦の集中力は凄まじかった。


 ややあってコテン。天彦は心底からわからないといった風に小首を傾げ、どこか厭厭をする駄々っ子のような仕草をしてたちまち周囲に混乱を招き入れた。

 だがそれも束の間、まるでこの世のすべてを小馬鹿にするような芝居か本心かも判然としない表情をうかべると、没収から逃れるため隠しておいた扇子を取り出しぴしゃりと向ける。


「……」


 いったい何が起こるのか。


 周囲がまるで子供一人に気圧されるかのように息を飲み天彦の一挙手一投足を見守ろうとする中、扇の先端を向けられた若き侍大将はその身に纏う九曜巴に恥じぬようにとの心がけからかあるいはただの性分か。寡黙そうな口元を更にぎゅうっときつく結び巌として身構える。

 そして絶対に気圧されてはならないという決然とした感情をその頑固そうな双眸に浮かべると、いよいよ覚悟が定まったのか。若武者は天彦の挑戦めいた行動を真正面から受けとめた。












【文中補足】再掲

 1、越後上杉家家督争いの二大勢力

 >上杉景虎を担ぐ栖吉長尾氏VS長尾政景率いる上田長尾氏の構図である。

 両氏族は共に上杉一門衆筆頭格であり史実では景勝擁する上田長尾氏が勝利を収めた。


 >上杉景虎(氏康七男)は戦国きってのじゃない方であり、出自の良さに比べた人生の憐れさには定評がある残念貴種侍の代表格。よってキャラ立ちはエグいはず。


 >上田長尾氏。当主政景の父、房長の叛服常なき遍歴に対する家中感情から上田衆の言葉自体に越後上杉家内では差別感情が強くあったとのこと。

 >長尾顕景 後の上杉景勝(1556年 数え14)













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