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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
131/314

#18 奇妙な言動と鼻もちならない猪口才さが持ち味です

 



 永禄十二年(1569)九月四日






「用人さん、この美しいことだけに存在意義を全振りした用途の一切わからない瑠璃色ラピズラリのきらきらをあげるん。こっから出してん」

「お子さんが悪いことをしたら叱られるもんや。じっと反省していなさい」

「四両もするのに? 武田に持っていったら八両になるのに?」

「見せてみ。……なんと七宝の文鎮や。これはええもんや。どこで盗った。没収や」


 盗った? 没収!? おいて!


 買収策撃沈。いや轟沈か。庄屋(名主)の家の用人はるんるんと持ち場を後にした。


「まあ読み通りなわけやが」

「またウソつく! 若とのさんウソばっかしや」

「こら。身共のどこに、ぐすん」

「だって思い切り泣いてはりますやん」

「殿……」


 四両って16,000文やぞ。気軽に没収できる額とちゃうねんぞ。

 奇麗に磨き上げられた石ころが七宝という仏教的価値のある石ころでしかも文鎮だったことが知れたことを収穫として……、むり。


 天彦が肩を上下に揺すって震えながら鼻をすすり家来二人によしよしされていると、是知の気配が変わった。

 天彦もすぐに察知。同調してシリアスムーブに切り替える。


「殿」

「ん……?」


 是知の指先は数名の二本差しが本邸に入っていく瞬間を捉えていた。どう見ても人目を忍んで。

 天彦はにやり。むろんニヤリするだけで唇が氏ぬほど痛いので実際にはニヤくらいだが、できる最大限はドヤっていただろういい(悪い)顔で嗤うのだった。


「まあ読み通りなわけやけど」

「またウソゆう!」

「殿……」


「いや今回はまぢやで」

「もうよろしいわ。流れが痛い目みる感じのやつですやん」

「殿……」


 ぐぬぅううう、お前ら……。


 信頼が脆かった。


 だが天彦の言葉の半分は真実である。むろん残り半分はお巫山戯だが。

 庶人彦ならどこまでやれるのか。そんな意味のなさそうでありそうでやはりない社会実験という名の縛りプレイをやっていた。家来に120迷惑なだけの。


 やはりショタはどうしてもじっちゃんの名に懸けたいのである。

 そこにお誂え向きの案件が転がっていた。いつやるの。今でしょ。


 千賀党にしたらたまったものではない。天彦が立場を利用しほんの少し手心を加えるだけで解決する案件なのだから。

 だが天彦からすれば千賀党など使えるか使えないかの二択に過ぎない存在で、そもそも論、危機管理のなっていない郎党を救う意味があるのかとさえ考えている。


 不運。優しく慰めればこの言葉で片付けられる。だが果たしてそうかな。

 天彦は不運など突き詰めれば所詮はすべて自己責任の範疇に収まると考えるシビア派であり、あらゆる思考による試行、あらゆる仮説による検証を怠ったものの温い言い訳に過ぎないと断じていた。


 腕っぷしの強さ一つで伸し上がれる。弓の上手い下手一つでも。槍捌きも然り。乗馬技術とか。数え上げればキリがないほど。この戦国の時代は可能性に満ちていた。いつでも誰にでも伸し上がる可能性は無限にあった。

 けれど逆に同じだけ理不尽は転がっていて、腕っぷし一つで滅ぼされてしまう戦国室町世界で一族一党一門を率いるとはそういうことである。


 天彦だってただふざけているように見えて実際は、必死になって命を懸けて巫山戯ているのだ。


「じっじの名に懸けて――!」

大殿様おおごっさん!?」

「はっ」


 あ、はい。


 急に畏まって居住まいを正して故実で礼をとるのやめてもらっていいですか。

 そんな天彦の心の声が聞こえてきそうなほど、大御所左丞相の顔を想像した途端雪之丞と是知の態度は折り目正しく断固としていた。つまり彼らは生粋の今出川(本家)っ子だった。




 ◇





 難解なパズルを解くはずがただの運ゲー挑戦みたいになってしまったが現実問題、幸運は舞い込んだ。あれは完全に怪しいやつ。

 陣を張る地域の名主の家に身分のありそうな二本差しの侍が人目を忍んで密会など、怪しくなければこの世に胡乱は存在しない。


 だが拘束され中。何としてもここから脱出しなければならない。


「ふふふ」


 何も天彦は懲罰房でとつぜん忍び笑いを零す庶人に扮装した公家児童の絵面怖い説を検証しているわけではない。


「こっわ。若とのさんこっわ」

「ひっ」

「そやろそやろ。我ながら怖いくらいの才能に戦慄いてしまうわ」


 ではなかったが、アホだった。


 天彦の閃きは単純明快。外れる隠し板が必ずあると踏んだのだ。

 ダテにワルの巣窟で名高い禅林寺小に通ってはいなかった。それも途中退学させられて。悪中の悪知恵彦なのである。

 禅林寺は優秀だった。その倍ほど悪かったけれど。それこそ関ヶ原の合戦で戦功を挙げた卒業生を多く輩出したとされる足利お坊ちゃん学校など目ではないくらいに超優秀な生徒が多かったのだ。

 そんな悪知恵の働く悪ガキ庶人が多く通っていた禅林寺で、しかも天彦は反省独居房押し込められランキングは常にトップクラスの常連だった。つまり悪ガキどもからも一目置かれる悪中の悪知恵彦なのである。よゆー。


 しかもこの空間はかなり死角が多くあり、つまりそういう設計である。

 たとえ違ってもおそらくだがここの村人がある目的に使うには格好の場所と踏んでいることは間違いないはず。生き馬の目を抜く戦国の庶民舐めんなっ。ボクナンノコトダカワカラナイヨ。


 悪い(悪い)ショタ顔ですっ呆ける天彦は、お雪ちゃんはそっち面、是知はあっち面や。ほら掛かれ! と指示を出し自分は勘所を頼りにここぞと思ったここ面の捜索に乗り出した。


 ややあって、


「ほえ、あったん」

「なんでご自分がいっちゃん驚いたはりますのん。ほんまけったいなお人さんやわ」

「殿……」


 うるさい、あった。


「参るぞ」

「はい」

「はっ」


 嵌め板を外しまんまと脱出に成功した。




















 ……はずだった。



「もたもたしてんと早うし」

「殿のお足を引っ張るとは。足手まといは置いてゆくぞ」

「うんしょ、うんしょ。そんなことゆうても。着物汚れましたや、ん……え」



 ひぃ、あ、うそーん。



 雪之丞、是知、天彦は事態の異変に気付いた順に心の声をつぶやいた。


「ほう。こんなところに攫い甲斐のありそうな小僧どもが降ってくるとは。これは拙者の風向きもいよいよ変わってきたな。思わぬ拾い物をしたようだ」

「たっしょんすな!」

「痛いの厭やゆうたのに」

「おのれ! 離せっ」


 天彦まぢレス。雪之丞もまぢレス。是知まぢギレ。

 やはり何時如何なるときも真面なのは是知ただ一人であった。


「活きがいいの。だが汚いな。ははーん。貴様らじゃな名主の倅に刃を向けた悪たれボウズどもとは」

「誰がじゃいっ!」

「磨けば奇麗よ?」

「おのれっ」


「ほう磨けば奇麗なのか。それは猶更攫い手がありそうじゃな。どれ」

「おいて」

「たんま! ウソです。今のナシ」

「朱雀……」


 惜しくも三人の感情は悪党には響かず、脱出即、秒で捕獲されるのであった。


 手、手くらい洗お?


 無駄に抵抗する家来をしり目に今更の衛生面に苦言を呈する天彦だが、意外にも表情には余裕が感じられ。

 そうと知らない勾引かし犯の侍は収穫にご満悦の表情を浮かべ揚々と、天彦たち三人を楽々と担いでドナドナ連行するのであった。おそらく自分たちのアジトに向かって。




 ◇




「な」

「……」

「……」


「な?」

「……」

「……」


「なって!」

「……」

「……」


「む。……まあええさん。ええかお前さんら、これは身共が身を挺して教えてやっている、“誰さんでも手放しに信用したらアカンねんでの教訓の巻!” さんなわけなわけ、なんやが。な――!」

「ひどい」

「殿」


 あ、はい。


 我ながらウソが酷い。いやいっそ醜かった。天彦は身悶えた。二人の発したつぶやきの言葉の先につづくだろう余韻の感情を察知して。

 そんな天彦たちが連れてこられた場所はこれまた座敷牢である。

 今度は大部屋。個室からのランクダウンではあるが、そしてもはや是知にさえ響かない天彦の滑り散らかした“な”だけが響く室内は、音羽村内に急造された越後上杉軍の船奉行宿舎であった。今のところ相部屋同僚は隅っこでくさくさしているお一人さんだけのよう。


 天彦を弁護するわけではないがこれはただの偶然そして強運だけではない。念のために。

 天彦が運不運など絶対に数学的に術理分析できると確信していることとは別に、こうなる公算はかなり高かったはずである。何しろ誘拐は大名でさえする歴としたシノギなのだから。べつに戦国室町でなくとも民度が終わっている世界線では普通に起こるごくあり触れた商売の一種である。

 そこからの逆算なので侍から読み取れる情報をすべて正しく読み解き分析すれば天彦でなくともドヤ“な”は使えたはずだった。あんなに得意がる必要はないとしても。


 天彦の仮説を裏付けるように勾引かし侍は意外にもちゃんとしていて、天彦たちの経緯を名主側から聞き取り、音羽家嫡男に歯向かったのではなく文字通り刃を向けて刃向かった商人の倅という裏取りもして、たとえデキレだとしてもちゃん手順を踏んで行い、ならば正式に罰を与えた上で罰金をせしめようと企んで裁きの場所へと引き立てる算段を取り付け今に至る。


 話はかなり盛られた地元名士優位の酷い作文だが、名主曰く証人多数らしいのでオフィシャル見解としてはそうなる。ならざるを得ない。事実は捏造され真実に塗り替えられる。それは戦国でなくともどこにでもよくある光景。よって裁きなどただの儀式に過ぎないのである。


 まあ無理もない。地元名士のそれも名主に歯向かう村人などどの世界線を探しても滅多にいないだろうから。いや滅多にもいない。村社会とはそうして生き永らえてきたのだから。善悪など問うのが無粋。だから天彦は怒りも恨みもしていない。ただ単に……、


 お命さん、助かったね。むろんどっちさんも。


 その心境だけであった。


 天彦が公の場で切り殺されでもしたら、控えめに見積もってもこの陣地は消し飛ぶだろう。バルカン砲の餌食となって粉微塵に。連動して甲越同盟も滅びる。

 なんだかわからないのだが天彦には射干党なら、あるいは信長ならそうしてくれる。きっと我を忘れるほど死を悼んでくれるそんな確信があったのだ。そうして欲しいという感情とは別物の確信があった。

 更に欲目で見積もれば謙信公くらいは責任を感じてメイドの土産に腹を掻っ捌いてくれるのではないだろうか。そんな淡い感情があったりなかったり。


 とか。此方が絶対にしないのに彼方だけに期待するのは筋が違うか。

 天彦は家来の嘆息交じりの猛烈ながっかり目線を横目に感じ、どうやって落ちをつけようかと必死になって悪知恵を振り絞って逃げ道を探った。


 むろんトレードオフなら意味はない。そんな策はミジンコの手漕ぎボート級だ。無傷で相手からすべて捥ぎ取った上で圧倒的に勝つズムウォルト級でなければ。

 レールガン搭載とかかっちょええさんやなぁとか。そのくらいのインパクトを与えなければ失った家来の信頼は取り戻せないとちょっと焦っていた。


 だが現実はどうだ。おそらく裁きの場はイベント会場となるだろう。この余興の少ない室町では首チョンパでさえ一大お祭りショーとなるのだから。

 つまりオニアウェー。余裕ぶって油断をかましていたらたとえ苦し紛れに名と身分を明かしてロープに逃げても有利には運ばず、最悪は証拠隠滅を図られ即断首なんて可能性も十分に考えられるそんなシチュエーションだったのである。


 シチュエーションが欲しいのはコメディのときだけ派の天彦はぶるっと身震いして、ちらっと横目で同僚を捉えた。


 薄汚い恰好はしているがその女さんはどうやら牢の常連さんのようで、ちょっと目を背けたくなるほど全身から愛がキライと切実に叫び、でも愛を下さいと強く訴えていた。違う。肌が露出している目に見える箇所のほとんどにびっしりと彫り物が彫られてあったのだ。おそらく着物の隠れている部分にもアートはデザインされているのだろう。知らんけど。


 罪人の多くがそうされるという話は訊いて知っていた天彦だが、どうやら彼女の場合は事情が少し違うよう。何しろレベチだから。

 言うなればデザインされたお洒落タトゥ。むろん可愛げなど一ミクロンもないただただ目を圧倒する厳ついだけの模様だが。


「ちょっとええか」

「なんや。一緒に助けてくれるんか、ええとこのボン」

「そうや。とゆうたらどないや。乗るか」


 女は少し考える素振りを見せて、


「事と次第にもよるな、貴種さん」


 と、天彦の身分を言い当てるや、推測がけして当てずっぽうではないと確信する目と表情で如何にも挑発的にニヤリと口角を上げるのだった。

 是知が本能的に天彦をかばう姿勢をとった。それがまんまと誘導された追認行動だとも気付かずに。


「かは、ははは、アハハハハハハ――傑作や」


 女が声をあげて笑う。実に愉快そうに。

 普通ならこれで一線を引き撤退するところ、だが天彦が普通なはずもなく。

 事情が呑み込めた是知を手と目で慰め女と向き合う。


「はは、おもろ」

「……なんや御曹司。ワシに喧嘩売るんか。ハッタリは効かんで」

「そう武張るな。身共は本気で笑うたんや」

「ほう。肝は据わってそうやな。よし訊いたろ」

「うん。身共は笑いが好きや。それは笑うべきとき笑う笑いやない。笑いたいときに笑う。そんな自由闊達なお笑いさんが好きなんや」

「本気なら感心はするが、言うんはタダやな」

「お前如きになぜ身共の本心を明かさねばならぬ。控えおろう」

「くっ」


 これが貴種の威光。まさにそんな覇気が天彦の言葉に降臨していた。

 女は完全に気圧されてしまい、どこか不貞腐れた風に目を逸らした。

 おお。おお。家来たちの感嘆の言葉が面映ゆい。だが必死になればできる子なのだ天彦も。ただ必死という言葉とニュアンスが死ぬほど嫌いなだけで。きっといい思い出がないのだろう。必死さんには。


「ふん。貴種の分際でわかってるやないか。……言え。訊いたろ」

「おおきに」


 天彦は着物に縫い付けられた隠し布を剥ぎ取ると実に厭そうな顔をして、中指の腹をきつく思い切り噛みちぎった。

 そしてばい菌入って今晩腫れんといてなぁと呪文を思いながら口に入った血をぺっと吐き出し、乾く前に急ぎ慣れた手つきで文字を一字認めた。そして、はい。女に布を預け渡す。


「……花押か。さすがは貴種、粋やな」

「身共が誰さんかわかるか」

「さすがにそこまでの教養はない」

「嘘や。お前さんの目ぇには知性の焔が宿ってるん。身共を騙すと末代まで狐火に祟られる、らしいで」

「……そんな、嘘や」

「ほんまやで。こんな狭っ苦しい牢屋で去勢張ってどないするん」

「はぁ……、なんて世や。大清華家に連なる高貴なる血筋のお方が、まさか片田舎の庄村の座敷牢に閉じ込められるだなんて」


 女は本心から世を儚んだ。むろんそれが天彦には一番効いたのだが。

 ぬぐううう。人知れず悶絶しながらも傷口が広がる前にそっと懇願する。そして同時に思う。なぜいつも一つ強請ると以降お願い事が芋づる式的に増えていくのだろうかと。


 このお強請り体質めっ、白々しく空々しく抜け抜けとすっ惚けながらぺこり。


「内緒さんで」

「呆れたお人や」

「それでどないや」

「似た花押なら目にしたことがある。……西園寺や。これでええか五山の御狐菊亭さま」

「うん。ええさんや。庶人、直言の栄を遣わす。名乗りおれ」


 女は否定せえへんのやねとつぶやくと観念したように居住まいを正した。そしてけれどどこか清々しい表情で頭を一つぺこりと下げて、


「かつて父親が西園寺家のとある知行地の名主をしておりました関係でご一門様の多大なご厚情に触れておりました者です。今はこのように破落戸の如何様博打師に落ちぶれておりますが、蘭と申します。ご一門の御曹司様」

「おお、イカサマ博打師お蘭とか。むちゃんこかっちょええさんやん」

「かっちょええ」

「うむ。誇れはしないが恰好はよいな」


 ちびっ子男子たちが聞きなれない素敵フレーズに痺れる様は、お蘭の想像とは違ったのだろう。一瞬呆れたあと、お蘭の目は柔和に窄められるのだった。

 むろんこれが戦国室町のデフォではない。単に主君がアホなだけで。またそのアホを頂く家来の感性も……、お察しである。


「でもお蘭、イカサマやったらうちの若とのさんも負けてへんで」

「ちょい待てぇい!」

「大きい声出さんといてくださいよ。この距離やのに」

「常識人ぶる! ウソやろ」

「ほんまですやん。ほんまいっつも失礼なお人やでホンマ」

「出た二遍ゆう! なんで二遍ゆうのん」

「そら大事なことですやん」

「大事なことはわかるんや」

「あ。いま完全に馬鹿にしはった」

「したよ」

「ひどっ」

「酷ない。なあお雪ちゃん、今なんでそんなことゆうん。どう考えても大事なとこやよね」

「大事なことやからゆうとこ思いましてん。あきません?」

「うん、アカンから叱ってるよね」

「え。某叱られてますのん!?」

「そこ!?」


 雪之丞と綿密な打ち合わせを交わしてから仕切り直して、


「よしお蘭。何とかしてここから脱し、その端切れを甲越軍の本陣に届けよ」

「無茶なお人や。ご自分がどんな無茶を仰せか、ご存じないはずもございませんでしょうに」

「うん知ってるん。でもお蘭。お前ならやるやろ。身共の信頼を勝ちとりたいはずやから」

「報酬をくださると」

「やろう。欲しいものを欲しいだけ。三つ紅葉の名に懸けて。父御前、押領したんやろ」

「してないわっ! 濡れ衣着せられたんやっ」

「ほな猶更、身共の力が必要やな」

「おっ父の名誉を挽回してくれはるんですか」

「したろ」


 お蘭ははっと息をのんだ。それは天彦の目が真実を告げていることに気付いたからだろう。

 つまり押領が事実であろうとなかろうとどうでもよく、天彦は成功報酬としてお蘭の家名を西園寺郎党集の末席に加えてやると申し出ているのだと確信したのだ。

 それはお蘭にとってどんな奇麗ごとの代案よりも信用に値する代償だったのだろう。決然と双眸に小さな灯を宿して、


「……行ってまいります。ですがお一つ」

「申せ」

「妹がおります。万一の場合はいくらか香典を包んでやっていただきたく」

「香典か。あいにく神仏とは相性が悪うてなぁ。受け取ってくれはるやろか」

「ふふ、金品頂ければ上等です」

「ならば容易い。相分かった。思い残すことなく死んで参れ」

「おおきに。ほなお姉さん行ってきます。僕ちゃんたちはじっとお利巧さんにしてるんよ」


 天彦は小さく笑いやんちゃなお姉ちゃんのお手並みを拝見する。

 お蘭は涼しい顔で懐から何かを取り出すと、今度は長い髪に右手をそっと添えるように触れてこれまた何かを取り出した。そして左手の何かを土台に右手の何かをカチンと打ち合わせて見事に火花を飛ばしてみせた。

 それを何度か。すると火花はいったいどこから集めたのか足元の藁に落ちてたちまち煙を燻らせた。ふーふー、ぼうっと炎が立ち上がる。


 しばらく待って少々の水や茣蓙では消せない勢いになったことを確信して、


「きゃ、火や、お役人さん、お役人さん、火や――っ!」


 阿保みたいな三文芝居を始めるのだった。

 ややあって、


「なに。おい火の手だ、水を持て」

「きゃあ、焼け死ぬのだけは御免やぁ」

「今出してやろ。おいガキどももぼさっとしていないで――」


 すごっ。えぐっ。やりおる。


 天彦たちの大いなる感心をしり目に、お蘭はまんまと座敷牢からの脱出に成功するのだった。


「若とのさん、あいつ最初からあの心算しとりましたよ」

「やな。まんまとや」

「然り」


 げに強かなるは庶人なり。

 是知の経験則にまた新たな頁が追加されるのであった。

















圧倒的感謝!!….°(´σ⌓•。)°.グスン

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