#16 野生の海賊姫と継ぎ板だらけのジャンク船
永禄十二年(1569)九月三日
天彦たちがあてもなく宿探しているとそれなりに声をかけられた。
そのほとんどが身を案じる言葉で子供三人連れはやはり目立つのだろう。武田様が縄張りを張っている音羽内は安全だが外に出てはいけないよと注意された。
つまり波乱に便乗する不埒な輩がいる。あとここは山科郷音羽村のようであった。
「これおいくら」
「あら可愛らしい僕ちゃん。一両ね」
「かわいさに免じる気ゼロ! 女さん、値がひとつも可愛くないんやけど」
「女さんて。おもしろいボンさんやわ。でもお生憎様、鼈甲製の逸品よ。それも有名な職人が仕立てた一品もの。鐚銭一文負けられないわ」
「鐚銭の流通はご法度さんやで」
「綾よ。わかる、言葉のあや」
「ほな綾さん。武田さんの陣地でお小遣いもうたんとちゃうのん。ようさんたんと」
「あら見てたの。……四千文に負けてあげる」
「一文も負かってへん。嘘つきは盗人の始まりやで。美人のお姉さん」
「脅すの」
「ご要望とあらばなんぼでも」
「ちっ達者なガキめ、持ってけ盗人!」
「毎度あり」
値切りに成功。成果は1,000文値引きと舌打ち一つ。上々の滑り出しであった。
支払いを吉田屋発行の商用信用手形で済ませ、意気揚々と戦利品を懐に仕舞い次の露店を覗いていく。
天彦は丁々発止値切りまくり庶民生活を堪能する。他にもたくさんの露店を覗き冷やかし情報を収集しつつ、けれど極力武田陣には近づかないよう彷徨い歩いていると露店の集まりが一旦途切れた。だが人並みは途切れない。
「こっちや! 身共のお鼻さんがそうゆうたはるん」
「もう好きにしてください。お腹減ったぁ」
「殿……」
天彦は気にせずそこを更に進んでいく。と、自然誘発的にできた戦地酒保座とはまた別の人だかりが賑わいを見せている集落に迷い込んだ。
だがこの世のすべてに興味しかない天彦は周囲の雰囲気にも気づかずあるいは気にせず、不用意にもその賑やかな中心へと足を差し向けてしまう。
「お前、どこのガキじゃん」
「要りません他をあたってんか」
「おい、おまっ――」
職質的な誰何もぜんぶ無視。ぶっちぎって人だかりの中心へとずかずか入り込んでいった。
むろん天彦には悪意などない。身分に笠を着て誰何を無視する傲慢さもない。ただ立てた予測や仮説を立証したい衝動に駆られ夢中になってしまっているだけで。
人だかりの先には河川が広がっていた。山科川だろう。知らんけど。と言語としては一目強そうだがその実ほとんど意味のない接続詞を脳内でつぶやき、そして淀川水系を脳内マップから引っ張り出しおよその座標を補完して一人納得していると、ほえ。
人だかりの先に無数の残骸が見えた。……船や。
船にはぜんぜん詳しくない天彦でも、あの残骸がこの世界標準の安宅船ではないことくらいはわかる。船倉に手漕ぎ用の窓穴が開いていないから。
ならば何だ。拙い記憶の深層を探る。あった。
継ぎ板だらけの船は小型ガレオン船、あるいはジャンク船なのだろう。帆を張れば三本マストサイズのそこそこ立派なやつ。
そんなのがあちこち無数に打ち上げられ転がっている。つまり甲越軍の進路は水運ということを意味していた。……ひえっ。
その仮説が脳裏に浮かびあがった瞬間から、天彦の冷や汗が止まらない。
確かにお手紙では強請った。なるはやでとは強請ったがここまで莫大な費用をかけて急行してくれるとは夢にも思わず。冷や汗が止まらない。
粋る心算は毛頭ない。かつてなら約束はしないが目下の天彦からは一番遠い感情である。実際に謙虚そうに見えるかどうかは別問題としても。
だが銭ももちろんだが改めて己の影響力の凄まじさを実感して身体に電流が走ったような衝撃を覚えてしまう。この感情を表す正しい語句はなんだろうか。天彦はその言葉を知らなかった。
落ち着け、落ち着くんや、すーはーすーはーはーぁ……
「おお、まい、がっしゅ」
言葉はわからずとも感性なら研ぎ澄まされている。やったった感も拭えない。
しかも偶発的とはいえ戦までさせてしまっている。元からただでは済まないがもっとガキの遣いでは済まなくなった現状に、いったい何を手土産に持たせればよいのやらと今から不安で仕方がない。
甲越同盟が寄進の多寡で対応ががらっと豹変するいんちき寺社と一緒でないことを切に願いながら天彦がうんうん唸って一人頭を抱えていると、雪之丞と是知が遠慮がちに寄ってきた。……ん? そこで初めて天彦は意識を外界の外に向けた。
「なんや。どないしたん深刻そうなお顔さんして」
「そっくりそのままお返しします。一つお聞きしますけど状況わかってはりますか」
「知らん」
「でしょうね」
得意がって即答する天彦だが、得意がれる場面ではけっしてない。状況がまったく見えていない天彦と、見えていても天彦に合わせて周囲の感情などまるで相手にもしない雪之丞の二人を除くと、彼らを取り巻く周囲はとんでもない雰囲気になっていた。むろん一番の被害者は単に権高いだけで常識人の是知だが。
因みに雪之丞はご存じの通りただの凡骨可愛いだけの家来。けっして肝が太いわけではない。ならばなぜ。それは単に天彦への信頼度が異様に高く根拠のない安全を勝手に確信してしまっているだけ。少なくともこの波乱を正しく読み取れてはいない。
控えめに言って感覚がバグっている。だって何度も痛い目にあっているのに。死にかけたことも一度や二度では利かないはず。だからこそ真面な是知の悲惨さが浮き彫りとなるのだけれど。
いずれにしても天彦たちは河原にいた正体不明の者たちにあっという間に取り囲まれ、完全に逃げ場を失っていたのである。
天彦たちを取り巻いているのはおそらく海賊。陸なので盗賊と言いたいところだが野盗は船の残骸などあさらない。漁ってもせいぜい遺体。スカベンジャーがいいところ。だが彼らは意図して船の残骸を拾い集めていた。
見つけた格好の漁場。そこにガキが三人紛れ込んできた。しかも誰何も無視してずけずけと土足で踏み荒らしてきた。彼らの流儀に照らさずとも一般的に考えてただで済むとは思えない。
だが海賊たちはすぐに排除行動には移らずに慎重を期していた。戦地であり武田の陣地にほど近い場所。慎重になる幾つかの可能性は考えられるものの、それでも海賊にしてはずいぶんとお利巧さんでかなり用心深い集団であることが見て取れた。
そんな見た目武骨でむさ苦しい男どもは作業の手を止め天彦たちの動向をじっと注視していた。
閑話休題、
一方、天彦はお構いなしに雪之丞に語り掛ける。但し相手は誰でもいい類の、ただ単に自分の考えを言語化したいだけの問いかけだった。
「やっぱしか」
「なにがですのん」
「お雪ちゃん、これジャンク船や」
「何船でもなんでもよろしいけど、えらい不穏な気配ですよ」
「何でもええことはないや、ろ。ほえ」
ひえええ、まんじ。
天彦は状況を理解するや、今日初めて生まれて世界と接触したバンビかベイブのようにぷるぷると震えて、
「もう、ゆうてよ!」
一の御家来さんに責任を擦り付けるのであった。氏ぬ。
◇
呆れ返って一周回ってアホ面を晒している雪之丞を左目正面に、そして衒いなく真っ直ぐにどん引いている是知を右横目に捉えて、すぐにはどうこうされないだろう気配を察した天彦はいくらか平静を取り戻していた。
「若とのさん。某痛いの厭なんですけど」
「奇遇やね。それは身共もやでぇ」
すると是知が温度感ゼロの口調で言う。
「殿のことは菊亭一の家来であるこの長野是知が命に代えてもお守り致します」
「せっかくのええ台詞さん、感情込めな台無しやで」
「くぅ」
「怖いのに無理せんでええ」
「ですが……」
「みんなさん誰にでも領分があるん。ここは身共に任せとき」
「はい!」
菊亭主従が場を弁えずイチャイチャしていると、するとややあって盗賊たち全体の気配が変わった。
たとえるなら完全に攻撃的だった武張った気配からどこか困惑交じりの消極的な守備的な雰囲気へと気配を変えたであろうか。いずれにしてもごろっと変容させていた。
あくまで天彦の感覚だが天彦にはそう感じた。するとそんな推定真面な職ではない集団の背後から一つの影が飛び出すように姿を見せた。
どうやらその影は集団を大いに動揺させた元ネタのようで、影はむくつけき男たちの制止も振り切り天彦たちの真ん前まで駆け寄ってきた。
「おいお前」
人物は女子だった。それもむちゃんこお転婆そうなレディであった。……たぶん。
天彦が自信なさげなのも尤もで、この際性別の正誤など問題ではない特殊な事情が天彦の身に顕在化していた。
なぜなら彼女は手に握った武骨な海賊刀を天彦の喉元に突き付けていたのである。それも応接にしくじると躊躇なくブッ刺すだろうキラッキラの瞳に不穏極まりない気配を浮かべて。
「なんでアタシのこと無視したじゃん」
「してへんよ。そう感じさせたんなら誤解さんや」
「だったら謝るじゃん」
「ギブ。参った!」
「ふーん」
詫びるかどうか。一瞬の躊躇が命取りになる。このお転婆さんは刺すことを本当に躊躇わない系女子だった。
それを証拠にあと数秒参ったが遅かったら、喉元に数ミリ食い込んでいる海賊刀が、天彦の脳天めがけて突き上げられていたことだろう。つまり彼女は出会ったらお仕舞い系女子でもあった。
「謝るじゃん」
「謝ったら、ほなこのカトラス下げてくれるん」
「かとらすってなにじゃん」
「この喉に刺さってる刀さんやごめりんこごめんなさい」
すっと海賊刀が下げられた。大至急消毒の文字が脳内を踊る。
だが今はここを凌がなければ。天彦は脳みそをフルスピードで回転させた。
はたと気づき懐に手を入れてもいいかと伺い了と返ってきたので懐をまさぐった。あったん。許せ葉室よ。
天彦は葉室の姫を想定したテイで購入した値切り簪をそっと差し出す。
「はい」
「なんじゃんこれ」
「簪や」
「簪。……それがなんじゃん」
「二両するで」
「ウソじゃん」
「いやホンマやん。武田に持ち込めば倍らしいから」
「ホントじゃん」
「そやしゆうてるやん」
「ウソじゃん」
「どないやねん」
「ホントじゃん」
「いや知らんがな」
「ウソじゃん」
「いやだから知らんがな」
彼女の“じゃん”が三河弁あるいは駿河弁であり、けして問いや肯定の意味の語尾ではないと天彦が気づくまでこの不毛な会話は延々ずっと続いた。阿保である。むろんどちらも。
「お前、バカだけどいいヤツじゃん」
「お前もな」
「お?」
「いや、ひょっとすると身共の勘違いかも」
「うん」
「だる」
「あ゛?」
「身共の国にはこういう言葉があるん。バレなければ大丈夫。ていう」
「すごっ、アタシんとこにもあるじゃん」
「仲良し?」
「かも」
この戦国あほあほ躊躇なく刺せる系女子が生粋のおバカでよかった助かった。
気合を入れて命乞いのために話し込む必要もなく、ただノリでふざけているだけでお転婆女子は和解して打ち解けてくれた。それどろころか、
「家くるじゃん」
「ええのん」
するとどういわけだか家にまで招かれていた。これは懐かれているまである。
「ええのんじゃん」
「あ。バカにした」
「したじゃん」
「してんのかいっ!」
「ふふ、あはは。やっぱお前おもろいじゃん。おもろいってわかる?」
「うんわかる。身共のいっちゃん好きなやつ」
「気に入った! うち来いじゃん」
「ちょ――」
え。えぇええええ。
腕を掴まれ一瞬で。引き摺られるようにがんがん引っ張られあっという間にお転婆女子の陣地へと招き入れられてしまう。ぐぬううう。
相手のビックリ仰天の膂力より己の非力が恨めしいお年頃だった。
◇
「どうしたお嬢」
「客じゃん」
「ん?」
手荒く招かれたのは集落の中でも一番立派な天幕だった。
やはり海賊なのだろう。マストで扱う革製品の扱いには非常に長けていて、天幕の意匠も見事なものだった。
怖さより興味が勝ってしまった時点で天彦の優勝。この世の新しいがぜんぶ関心の対象である天彦は、大の大人でも戦慄くだろう天幕の主に向かって、真っすぐな関心100の熱い眼差しを差し向けて面と向かった。
この表情のときの天彦の戦績17勝0敗。今のところ負けなしである。
というのもそこには捉え方によって刺し違えることも辞さない、あるいは下手な言い訳さえ許さない痛いほど切実な真剣さがあったのだ。とても子供がしてよい類の目ではないような。
「……お嬢、とんでもないモン拾ってきたな」
「アタシのじゃん。猪右衛門にはやらないよ」
「お嬢、それはどうなんだい」
「ホントじゃん。こいつが来るって言ったじゃん」
天幕の主は割と常識人だった。お転婆女子を優しく躾ながらも、天彦の許へと向かっていくと天彦の視線にあわせようとしたのだろう。膝を折って目線を合わせると自分なりの柔和な表情を差し向けた。それでも十分な迫力だが。
だが男は単に子供に対する気遣いばかりではないとハッキリと伝わる風に慇懃に首を垂れて見せたのだった。
天彦はあーあである。楽しかった時間もこれまでか。大して楽しくもなかったしと嘯いて観念して。そして天幕に凛とした自称美声を響かせる。
「大儀である。直言を許す故、何なりと申すがええさんや」
「……ほう。これは思ったよりも大物様にございましたか。ご存念しかと承りご寛恕ありがたく頂戴いたします」
「うん。で、お前さんはどこのどなたさんや」
「はっ。某はかつて師崎水軍を率いておりました千賀家に御仕え致す稲生猪右衛門重政にござる。そしてこちらに御座す姫は、今は亡き我が主君千賀与八郎重親の一つ種、年魚市様にござる」
いや姫と書いてむちゃくちゃお転婆なレディと読ませるのやめてもらっていいですかのやつ!
どこの姫にソードカトラス握らせとんねん。天彦が内心で今日一いいツッコミを入れたところで。
稲生猪右衛門重政は少し酒精が入っているのだろう。あるいはかなり。いずれにせよ身分を明かしたかったのは間違いなく、自分から進んでぺらぺらと実に気分よさそうに慇懃に身分を明かした。
ならば天彦も。とはならない。相手は気がいいとはいえ食い詰めている海賊である。身バレすればかなりの確率で誘拐される公算が高い。
「千賀、千賀……、佐治さんのとこの陣代さんやと記憶してるが」
「なんと! よくもご存じで。よもやこのような場所で当家をご存じのお方と出会えるとは。これも仏の思し召しか。然様、千賀家は栄えある――」
仏さまは思し召さへんと思うけど。
やはり酔っぱらっていたのだろう。あるいは滅びた己の主家を知っている者がいた嬉し味も手伝ったのだろうか。いずれにせよ稲生重政は呼び水を差すとチョロかった。
曰く千賀は元知多のやはり海賊衆だった。海賊とは称さないが水軍衆も海賊もこの時代では同義である。お転婆さんはその主筋の姫とのこと。
随分とお転婆な姫さまもいたものだが、天彦の記憶の通り千賀家は佐治家の陣代官だった。
この佐治家とは丹波佐治家である。そう。丹波と言えば現在はあの御方の領地である。この佐治家は一昨年惟任によって先祖代々の土地を奪われ根絶やしに滅ぼされていた。
「あそこで援軍が来ておれば、おのれ水野めっ! おのれ戸田めがっ!」
天彦は少なからず出会いに運命を感じつつ、酔っ払いの長い自分語りに根気よく付き合い耳を傾けた。
そして主家と同じく丹波を追われた千賀家は主家に従い分家の知多佐治家を頼って同じく移住したのだが、運悪くここでもまた戦に巻き込まれ後の結果はお察しである。今の根なし放浪暮らしに至る。ちーん。千賀、戦弱すぎん。
だが不運といった方が正しい評価であることは天彦も承知。
何しろ一戦目は戦巧者の惟任軍で、二戦目はあの御方、そう魔王様率いる魔王軍なのだから。
移住先の知多で彼らを蹴散らし追放したのは終りの始まりでお馴染みの尾張の魔王軍であったのだ。勝てるはずねー。よって総合的に天彦の感情はかなり同情寄りに片寄っていた。今や鉄砲隊を主力として編成する織田軍の強さはチート(ずる)である。
故に彼らは惟任に並々ならぬ仇があると予測でき、けれど一方では織田家にも含むところがあるだろうためやはり身バレは厳禁である。よって引きつづき慎重な応接が求められた。
「源五郎、且義ぃ。う゛ぅぅぅ、なぜ儂だけが生き残ったのじゃ。なぜ、なぜ」
あ、はい。
結論、酔っ払いウザい。
氏ねとまでは思わないが普通に滅んでは欲しかった。
だがそれでも天彦はこの出会いに可能性を感じていた。それも大いに。今後必ず船の操り手が必要になるシーンは訪れる。それは天彦の中の確信に近い絶対だった。ラウラを奪還し長崎を抑えれば確実に絶対。
だから戦に弱いことより運の悪さが気懸りだった。神仏は一ミリも頼らないが数学統計的な運不運の波は信用する天彦ならではの危惧であった。
「――無様を晒した許されよ。それで、其許はどなた様かの」
「商……」
「なに」
「故あって身元は明かせん。そやけど我らはやんごとなきお方にお仕えする身なれば、努々粗略に扱うことならず。まあ建前はそういうこっちゃ堪忍せえ」
稲生重政は天彦が商家の子倅などと言った瞬間、一刀の元斬り伏せそうな剣呑な気配を纏った。なので天彦は咄嗟に当初の方針を変更。オレむちゃんこ偉いんやでムーブ一辺倒で押し切ったったん。
我ながらのファインプレーを確信しつつも同時に背中に滴る冷たい汗も感じながら。
「ほう、やんごとなきお方へ仕えるのか。なるほどの。都ならばあり得るのか。ならば貴種殿、何とお呼びすればよろしいか」
「天彦や」
雪之丞、是知です。
各々が名乗り天幕に正式に招き入れられた。
だが天彦が自分の物になると思っていたのだろう年魚市は、どうやらそうはならなそうだということに勘づくと俄然態度を硬化させ豹変。
実に感情のあるがまま不機嫌を撒き散らす姫らしい姫の態度を振りまくのだった。
だが……、利かん気の姫の扱いには慣れたもの。天彦はダテに撫子という名の全銀河系一我がままな姫の相手をしてきていないのであった。
「年魚市怒ってんの」
「知らん」
「あはは、それって身共の真似やんね」
「わかった? そうじゃん」
「むちゃんこ似てたん」
「お前、アタイの物にならないじゃん。ウソつき」
「身共、銭がかかるけどええのん」
「それは厭じゃん」
「即答はやっ! まあそやろね。ほなら諦めさん」
「うん。お前みたいなもん家には来るな。家は貧乏じゃん」
ちょろ。ちょっと哀しいフラれ方だったが。
「年魚市はおいくつなん。あ、姫と呼んだ方がええさんかな」
「要らん。アタシは10つじゃん」
「10(とお)はつを引っ付けたら可怪しいよ」
「おかしくないじゃん」
「気色悪いからやめろ」
「おう?」
「ほなそれで。そっかぁ10つか。身共と同じさんや」
「ほんと!? お前も10つ?」
「うん、身共も10つさんやで」
「お前、なんでさん付けるじゃん」
「いやそれで押し切る気かい! 天彦じゃ」
「お前」
「天彦」
「お前」
「天彦」
「なんか寄越せ」
「ほなお前で」
「ちっ吝嗇んぼ。お前、なんでさん付けるじゃん」
「そうしいと教わったから」
「ふーん。やめとけじゃん。ダサいから」
「おいて!」
「あん?」
「う゛」
薄々勘づいていたことをよくも。お前こそやめとけ。じゃんはバカっぽいぞ。
しかしぐぬううう、おのれロリめ。絶対にはっ倒す。
天彦はメラメラメラと闘志を燃やし挑みかかった。もちろん菊亭の流儀に準拠して。
「そんなこと言われたら身共哀しいん。年魚市が好きやから簪あげたん」
「え」
「年魚市が好きなん」
「え」
ふっ勝ったったん。ロリなどチョロいな。人知れず勝ち誇っていると、
「……いや違うじゃん。あれはアタシの戦利品じゃん。お前、さては大嘘つきじゃん」
「あ。はい」
氏ぬ。
まったくぜんぜん一ミリもチョロくないのであった。
「そうだお前、お腹すいたじゃん」
「うん。むちゃんこ空いたん」
「食べる?」
「食べたいん」
「言ってくるじゃん」
「お願い。その前にお酒欲しいん」
「お前、酒飲むじゃん」
「いや消毒用。ほらここ」
「あ。……アタシ悪くないじゃん」
年魚市はバツが悪くなったのだろう。稲生重政に視線を向けた。だが既に彼は高いびき。
うんっと言って逃げ去るように天幕を後にした。
案外素直でいい子なんかな。天彦が少しだけ評価に修正を加えていると、是知が心苦しそうに謝意を示し合わせて問いを投げかけてきた。
「殿、もしやあれらをお使いのお心算でしょうか」
「さすがは菊亭一のお利巧さんや」
「光栄にございまする。ですがなるほど。ならば上策にございますな」
「そうかな。あんまし自信はなかったん」
「はっ。僭越なれど某はそのように思いまする」
「さよか。ほな大船に乗った心算で自信持っとこ海賊だけに」
「光栄至極」
ゼロ笑いとか完璧に滑ってるやん。だがそれでも天彦が気をよくしていると。裾をちょんちょん。
すると是知につづいて、それまで一向に参戦しようとしてこなかった一の家来が然も感心した風な顔で混ざってきた。
「若とのさん」
「その前にお雪ちゃん。なんでいっつも身共がピンチのとき目ぇ逸らすん」
「アホやな。若とのさんで解決できん窮地、某になにができますのん」
結論、確かに。
「家来とは!」
「アホやな。そんなもん家来に決まってますやろ」
結論、確かに。
「いやそうはならんやろ。まあええさん。で、なんや薄情お家来さん」
「はい。なんであれと同じ目線でちゃんと通じる会話できますのん。あれほとんど動物ですやん。きちゃないし臭いし狂暴やし。とんでもありませんよ」
「そんなん決まってるやん。身共のつぶらな瞳をのぞき込むんや。そこに答えが詰まってるん」
「若とのさんの目ぇですか……? なんも映ってませんけど」
「よう見てみい」
「あれ、なんや知らん某が写ってますやん」
「そう。そういうことや」
「どういうことですのん」
「お雪ちゃんとちゃーんと会話が成立するからやで」
雪之丞は疑問符を浮かべたまま二十数えるまで固まり、
「あ! ひどいっ」
雪之丞は発狂寸前で猛抗議、それを受けて天彦は大笑い。是知もこらえ切れず大笑い。
雪之丞の失敗と悪口で大いに笑えてしまう是知の粗い部分が出てしまっていたがお互い様。雪之丞も謎に是知に対してだけは強気を崩さず弄り倒すから。
「ごはん呼ばれよ」
「はい」
「はっ」
オチが付いたところで夜食に呼ばれるのであった。腹減ったん。
【文中補足】
1、一両=4,000文 で設定しております。
2、人物おいおい追加します。ごめんなさい。