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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
128/314

#15 そこは人間臭いで片付けてほしい、かな

どうぞ

 



 永禄十二年(1569)九月三日






 天彦たち四人が長らく茶室で談笑していると、失礼いたします。親綱ちかつなの従者が静かに入ってきて耳打ち。またそっと去っていった。


「無粋な要件が入ってしまいした。本日はこれにて。改めまして、大そうなご温情を賜りまして心からの御礼言上仕りまする」

「おおきにさんにおじゃりますぅ」


 天彦は親綱のあまりにも慇懃な態度と文言に吃驚しながらも返礼、彼の退室を見送った。


「ほなお開きにいたしましょ」

「はい」


 熙長ひろながの宣言で座はお開きとなった。

 茶室を出て熙長の案内で少しだけ先駆け村ビレバンを見させてもらっていると、経頼が表の気配に気づいて天彦に何事かを促してきた。視線を向けると見知った顔が通りであっちきょろきょろこっちきょろと誰かさんの姿を探しているではないか。


「ご家来衆かぁ」

「はい。なんや迎えが参ったようで。忙しなかったけどおおきにさん。これにて失礼させてもらいます。むちゃんこ楽しかったん。ぎりぎりあっにまた遊んでな」

「うんうん。麻呂も楽しかった。名残惜しいけど参議さん、ほなまたさいなら」

「義弟、お薬取りにきてんか」

「承知した。兄御前、お待ちください」

「くれぐれもご家中さんにご無礼のないようにな。お前は昔からちょっと乱暴なところあるから」

「兄様、それをこの場では……」


 天彦はますますギリギリあっにと仲良くしようと思うのだった。


 店を出て手招き、



「若とのさん!」

「お雪ちゃん。それに是知も」


 イツメンのお出迎えに天彦の相好がいっぺんに崩れた。


 花が咲いているかは微妙だがけっして枯れてはいないだろう笑顔を差し向けイツメン家来を出迎えた。感激も一入、だが冷静になった途端“いや家でもいっちゃん要らんメンツ来てしもてるやん”と気づいてしまう。

 正しくはいっちゃん嬉しいけどいっちゃん要らん。けして言葉には出さないけれどこの場合の事実であった。

 なぜなら天彦はこのまま山科郷へと向かう心算をしていたから。戦闘力天彦とどっこいどっこいゴミカスの雪之丞と是知では何の足しにもならずむしろ逆に足手まとい。

 せめて知らない者でも青侍の誰かがよかった。切実に。何しろ目下の山科はオニ不穏だろうから。


 だが来てしまったものは仕方がない。嬉し味を隠しつつちょっとお兄ちゃんヅラで対面する。


「どないしたん」

「大変なんです!」

「まあ落ち着き。そやしどないしたんや」

「もうっ呑気なことを。家は大騒動やし都には大軍団が攻め寄せているしでこの大変なときに。まったく馬鹿とのさんときたら」

「おいコラ誰がじゃい」


 天彦は言いながらも雪之丞にピタッと引っ付く。抱きしめるの表現が最適になるにはちょっとリーチが心もとない感じの引っ付き虫で、不安だった感情を雪之丞成分で補填するのであった。


「寂しかったんですやろ。よしよし」

「よしよしすなっ」

「ほなやめます」

「よしよしせえっ」

「ほなします。よっぽど寂しかったんですね。おい是知。お前もこっちきて混ざれ」

「え」

「ほら、もさっとしてんと」

「おいで是知。むぎゅう」

「あう」


 雪之丞にしては珍しく気が利いた。天彦もそないし。

 是知も巻き込んで三人でむぎゅむぎゅと引っ付いた。控えめにいってオニ癒された。世間は辛いが身内は甘い。これでバランス取れているのかなべて世はこともなし。すーはーと雪之丞からするお日様の匂いを嗅いで落ち着く。


 一生イチャイチャしていたいがそうもいかない。視線が痛い。いや生暖かいのか。天彦はあからさまに温い視線を向けてくる経頼をきつく睨んで、


「なんでっか」


 大阪商人の魂で不愉快を表明した。


「あははは、そう拗ねんと。やること為すこと破天荒なお人さんやから忘れがちやけど、義弟はまだお子さんやったなぁと再認識しただけや」

「見た目に騙されると足元掬われますんやで。そうやって表層だけを捉えていてはこの戦国の世、長生きでけんと予言しときましょ」

「肝に銘じる」


 経頼はごくりと固唾を飲みこむと、一瞬で真面目な顔を作って応じた。


「そや是知。持ってきてくれたんか」

「はい。こちらに」


 その割に医療班の姿も勘八郎の姿も見当たらない。胡乱に思い問い質そうとするが、どちらが適任か。天彦は二人を交互に見比べて秒で比べるまでもなかったかと苦笑いを浮かべる。

 むろん是知だって答える。むしろ自発的に語りたいタイプである。

 だが是知は往々にして主観を交えて脚色する。その主観が欲しい場面もけっして少なくないのだが今は違った。


 是知には幾つか目立つ粗がある。良い悪いではなく粗である。いずれ外連をかければよい。

 そんな中でも特に是知の目立つ粗は、自分に都合の悪い話を180度変容させることも厭わないお利巧さんなところ。天彦自身も恣意的に脚色するタイプの語り手なのであながち悪いとも感じていないが、実害が出ている部分にはかんしては要改善を迫られていた。

 というのも天彦と是知の二人でストーリーを完結してしまうと話がモリモリの盛り盛りになってしまって原型をとどめていないことがままあった。

 これまでの小さい菊亭のときならそれでも笑っておもろいなぁで済んだのだが茶々丸は五月蠅い。五月蠅い上にオニ細かいのだ。だから改善に迫られていた。


 今は後。しかしその点雪之丞は……、


「これはナイショですよ」

「誰さんにや」

「あ」

「お雪ちゃんさあ」


 雪之丞は一生雪之丞だった。


 だが深刻ぶった軽い口調で明かされた事実はとんでもなかった。

 天彦の眉間が今日一深く険しい皺を作った。眇められた左目も一向に元へと戻らない。


「どういうこと!?」

「そやしゆうてますやろ。与六が戦おっぱじめよったんですわ」

「それは訊いたしわかってる。そういう意味やないんやけど」


 与六ぅ。


 ええけど。いやあかんけど。今だけはやめてほしかったん。


 天彦は怒るでも哀しむでもなくキレるはもっと違う。単純に疲労困憊の表情で切実に弱り果てていた。

 幕府から追放処分並びに捕縛令を出されてしまった伊勢の御曹司を匿うために隠しに行ったら戦をおっぱじめている。意味がまったくわからない。

 いずれにしてもだから人がいなかった。主だったところはほとんどすべて戦力として与六の合力に駆り出されているとのこと。そこには医療班も。


 そうなると事あるごとに与六に謎の対抗心を燃やしている氏郷の動向がやけに気になって仕方がない。なんやこの突然の大騒動は。

 バレンタインと誕生日とハロウィンとクリスマスがいっぺんに来たようなお祭り……、思い返すまでもなく天彦の記憶の一頁はどの頁をめくってもずっと平穏無事だった。ぺっ滅びろイベント日っ!


「与六のことや。可怪しな理由ではあらへんのやろうけど」

「茶々丸殿も心配はないとゆうたはります」

「ほな大丈夫さんなんやな」


 茶々丸への信頼度は☆五つ。当然マックスの鉄板で信頼している。

 天彦がほっと胸を撫でおろしていると、


「樋口などあんなもの、某はずっと胡乱に思うておりました」

「え」


 唐突に是知がキレた。天彦はビックリして雪之丞に目で問う。

 雪之丞は心底厭そうな顔をしてふるふると首を左右に振った。知っているがこの場では言葉にしたくないの合図である。

 天彦としては言葉を介さずとも意図が読めたのは嬉しかったが状況はまったく嬉しくなかった。

 あのお喋りさんが言いたくないなんて、そんなもの家族事案に決まっているではないか。肉親絡みのあれこれは天彦とて不用意には触れられないし触れたくもなかった。


 出したいクソデカため息をかみ殺して、


「なんや是知、えらい鼻息荒いさんやな」

「殿。某はもっとお家の血筋を重宝するべきだと御忠言申し上げます」

「忠言さんなぁ。まあええわ、是知の申すお家とはなんや」

「お家とはむろん本家にてございまする」

「今出川のことか」

「今出川以外に本家がおありなのでしょうか。如何」

「あ、うん」


 むっちゃオコやん。なんで!?


 今出川から来ている諸太夫を代表しての弁ならいい。むしろお兄ちゃん頑張れと背中を押してやるまである。だが与六への対抗心だけで訴えているなら話は変わる。

 訊くのが怖い。天彦は躊躇した。是知の場合、どちらも同じくらいの可能性があった。


 すると、


「若とのさん、こいつ与六とは大の仲良しですよ。暇見ては二人で雅楽の伝奏してますもん」

「お雪ちゃん大好き」


 訊きもしないのにお喋りさんがぺらぺらといつものように喋っていた。だが今日のお喋りさんはいいお喋りさんだった。天彦は目をキラキラ、もっと頂戴と目線で頂戴おくれを強請った。


「ナイショですよ。でも本家の阿呆どもからせっつかれて無理してますねん。長野家のご実家経由で。ほら本家の諸太夫、越後の件があってから肩身狭い思いしてますやろ。そんなんぜーんぶこいつのとこに来てますねん。アホやわぁ某みたいに実家なんか放っておいたらええのに」


 本心でぼやく雪之丞。いったいどこに向けてのナイショなのかはさて措き、むろん天彦は建前上、お雪ちゃんさあ。なんでしゃべるん。なのだが。

 けれどこの時が止まったかのような空白の間は案外悪い気はしなかった。むしろ心地よいまであるなんだかほっこり温かい時間だった。おおきに。ほんまはアカンねんで。


 是知は果たして誰もしたがらない中間管理職役をちゃんと請け負ってくれていた。嬉しい。


「是知」

「……はい。ここにおります」

「お互い実家には泣かされるなぁ」

「くっ、面目次第もございませぬ」

「面目なんかいつでも立てたる。お前の顔は身共の顔も同然や」

「殿っ……!」

「よし決めた! 今この時を以って長野是知を身共のいっちゃん気になるお家来さん処のすけさんに任命するん」


 どやあ。


 天彦はいいことをした心算でドヤッた。なのにレスは期待以下。いや果たして期待以下どころか更に抉るように下回っているではないか。

 まるで都会の公園で見かける過負荷が掛かってオーバーヒート寸前のブラック企業の外回り営業マンみたく酷い表情をしていた。二人とも謎に。おいて。


 すると雪之丞が萎れる是知の肩をぽんぽん、


「是知、あれで若とのさんはふざけてないから許してほしい」

「まさか」

「ほんまなん。酷いやろ堪忍な」

「某はてっきり殿お得意のお巫山戯かと……、ですがわかり申した。朱雀殿に詫びられる筋合いはござらぬが、誠なら某には到底理解できませぬので考えることはやめにいたす」

「ほんまやで、そうしい。家来のことなんや思うてはるんやろ。そや実益さんにお手紙書いとこ。きっとちゃんと叱りつけてくれはるやろし。うんそないしよ」


 ぐぬううう。……でもそれだけはやめてね。


 藤吉郎なら演出として飛び上がって喜ぶだろうし、蘭丸ならその部署を演出以上に仕立て上げ一番格の高い部署へと引き上げたことだろう。佐吉は、佐吉なら……、ちっポンコツ家来どもめ。


 天彦は佐吉の顔を思い浮かべてしょんぼり。想像上の佐吉にいったい何と言って叱られたのかはわからないが、奇しくもその主人格が一番ポンコツである証明をしたところで、だが何を言っても無意味だろう。

 何をどれだけ理論武装したところで天彦が憤慨する以外に抵抗の術を持たなかった時点で、どちらに正当性があるかは明らかだった。


 と、


「アホなことゆうてんと、はい。お持ちしましたよ」

「さす雪、助かるぅ」

「なんですのんそれ。早う着替えて参りましょ」


 位袍はあまりにも目立ちすぎるので普段着の狩衣に着替える。

 雪之丞は侍の血が騒ぐのか、一刻も早く謙信公並びに四郎勝頼が待つ山科郷に行きたいようで矢のように天彦を急き立てた。侍の血とか……、ぷぷぷ。


 お召替え完了。


「あれ、……なんやもっさりして、庶人みたいやな」

「商家のええとこの御曹司扮装ですわ。それがええらしいですよ。戦場では」

「なるほど。どっちの側にも立たんしな。よう考えたはるわ。誰さんの意見や」

「イルダの従者です。お名前なんやったかな」

「米か」

「そう、よねです! ……え。あれ、あれれ。ん? なんやそんなんと違た気がして……」


 まあルカなのだが。


「ほなお雪ちゃんも大小は差したらあかんよ」

「なんでですのん」

「危ないやん」

「しょーもない理由で。侍の命をいったいなんや思てますのん。無礼な人やわほんま嫌い」


 ぷんぷんオコな雪之丞だが、あんたその侍のお命さん、まだ使い慣れてなくて危ないからゆうて竹光に入れ替えてもろうてますやん。とは思う。むろん口にはしないけれど。やり取りがオニ長くなるから。


「是知は」

「某は時と場面に合わせまする」

「さすが長野家の切り札、明日の菊亭一のお家来さん。お利巧さんやなぁ」

「あ。……はっ、益々精進致しまする」


 テレテレする是知をこれでもかと誉めそやすと、


「そ、それは某が今から言おうと思うてたん、取らんといてんかっ! こんなんていっ、要りませんわ」


 意地悪狐はニヤリと笑い山科郷に向かうのだった。




 ◇




 六条から渋谷越でないルートでの山科入りは正解だった。

 機を見れば敏。噂を聞きつけたのだろう。途中多くの行商人と出くわし便乗することができたから。似たような年恰好の丁稚も多くいて紛れられる。


 そんな中でも摂津から京へとやって来ていた行商人親子の荷台に便乗させてもらえたのは幸運だった。天彦が歩き始めて早々に、お足痛いん。およよだったので。

 何やら噂では甲越同盟の軍勢は食料を中心に日用品などを相場の二倍で買い取ってくれるとのこと。それが本当なら喜ばしい。ただでさえ物価高な昨今、その二倍ともなればウハウハである。天彦は謎のハイテンションで腕捲りをして肩を回した。


「まさかほんまに売り子する心算と違いますやろな」

「え、なんで。するやろ」

「アホやろ」

「おい」


 いつもの阿保阿保漫才をやっていると、「お前、どこで商売やっとったんや」

 行商夫婦の二人いる兄弟の下の息子が言葉をかけてきた。名は辰男、おそらく天彦たちが同年代だと思って気安さを感じてのことだろう。

 天彦も気さくに応じる。「伏見や」近場で拾ってもらったので一番尤もらしかったし、何しろ扮装の初期設定がそこそこ裕福な商売人の御曹司だったから。


 因みに兄は寅夫という。為人はわからない。けれど二人とも確実に名前負けしている。天彦の庶人データは数多くないが不思議とそんな予感がした。そんな感じの兄弟だった。

 つまりちびDQN、なのだろう。天彦の表情は案外読み解きやすいので。


「伏見か。しょぼい宿場やな」

「しょぼい……! なんでか知らん腹立った」

「知らんのに腹立つんか。変わってんな」

「かもやけど。摂津よりマシやろ」

「お前摂津知ってんのか」

「天彦や」

「へえ名前まで気取ってるな。天彦、知ってんのか摂津」

「知らんけど」

「はぁ? ほななんでマシやゆうてん」

「雰囲気」

「うわこいつアホや。でも他ではやめとけ。バカにされるかシバかれんぞ」

「あ、うん」


 このように行商人との会話担当は天彦一択。雪之丞ではそもそも芝居ができず是知ではあまりにも権高すぎてもろバレである。ということで消去法の一択である。


 後付けだがこの設定は実に使い勝手がよかった。あるいは米もこの調査結果からお勧めしてきたのかもしれないが、行商夫婦に設定上の身分を言ったとき、ああお前らも。みたいな顔をされただけで特に詮索もされなかったように、目下の京の都には掃いて捨てるほど溢れかえっているようだった。商売で当てた中産階級の安物御曹司が。


「なあ天彦。お前、吉田屋さんのとこの店子のボンボンなんやてな」

「らしいで」

「らしい!? 家のこともわからんの? 大丈夫か」

「うん。たぶん」


 すると弟の会話に兄の寅夫がカットインしてきた。年の頃は菊亭の主力青侍衆くらいだろうか。体格はまるで段違いだが外見情報はそんな感じの少年と青年の間くらいを訴えている。


「らしいって何やねん。ほんまか。その割に生っ白いし手も奇麗やな」

「京風や」

「ほーん。京風か。儂は好かんねん京風」

「なんで」

「なんや気取ってるやろ。やたらと物も高いし。知ってるか、団子一串三文もするんやぞ。アホやろ」

「阿保かどうかは知らんけど、町は安全やん」

「それはまあ、そうなんやけど」

「全部は手に入らへんで。それは欲張りさんとゆうんやで」

「欲張りさん? お前、偉そうで京みたいやから好かん」

「え゛」


 友達になろうと会話を置きに行ったらフラれたの図。天彦はまぢに凹んでしまう。


「寅夫、ちび相手に剥きになってそないゆうたんな。がっくし凹まって落ちこんどるやないか。京もんは世間知らずが多いんや。きっと悪気はないんやろ」

「そやかてオトン。こいつなんか腹立つもん」


 なんか腹立つはいっちゃんゆうたらアカンやつぅ。


 生理的にキライは改善の余地がないから言葉にしないのが全世界共通の優しいお約束と違いますのん。じんおわ。

 更にダメを押されガチ凹みする天彦であった。あ、そこ笑てたな。後で話あるから多目的スペース来て。の冷ややかな目は忘れず向けるけれど。


 天彦たち三人は荷車荷台の後部空きスペースで足を放り出してぷらぷら、出荷される馬車に積まれて運ばれるブタさんの心境でドナドナしていると、


「お前さんら降りや。着いたで山科に」

「おおやっと。おおきにさん」

「やっとか。のろい台車やわ」

「忝い」


「……ボンさんら、文句ゆう暇あったら荷物降ろすん手伝ったってんか」

「うん」

「えー厭やけど。手、むちゃんこ汚れますやん」

「おのれ、庶人の分際で」


 いや人選ミス……!


 そもそも選べる余地などなかったので諦めて、設定を忘れてか覚えていて猶我を貫くアホ二人は放置するとして。

 伏見を出ておよそ一刻、山科郷に到着した。まだ日が長いとはいえもう酉刻。そろそろかと思っているとゴーンゴーンとどこからともなく暮六つの鐘の音が聞こえてきた。


 だが本当にここなのだろうか。つい疑ってしまいたくなるほど気の抜けた空気感が宿場町全体を覆っていた。

 気が抜けたというより静かなお祭りムード、だろうか。内に秘めた何かが燻っているとでも形容すればよいのか。境内の夜店。そんな感じの雰囲気が宿場町には流れていた。

 どうやら甲越軍は少なくとも山科郷の住民と、それを目当てとしてやってきている商人たちからは歓迎されているようである。それも熱烈に。


「酒や酒、酒ないか」

「どないしたん」

「武田のお殿様、市場の十倍で買うてくれはるらしいんや」

「どうせ銘柄に五月蠅いんやろ」

「それが何でもええらしいぞ」

「なんやて!」


 えらいこっちゃ。


 小商いの行商人らが右往左往、いい笑顔で過ぎ去っていく。


「ねえお姉さん聞いた?」

「なによお花、勿体ぶって」

「武田様の陣に行ってお侍に酌をするだけで金子を頂戴できるらしいの」

「またあんたはそんな夢みたいなこと」

「ほんとなんだってば、幸も留も頂いてきたんだから」

「うそ」

「ほんと」

「……覗くだけよ?」

「やった。行きましょ」


 というように、行き交うひとの表情がやけに明るいのだ。これを否定的に捉えるものはそうとう捻くれていると言わざるを得ない。住民なのか余所者なのかは区別がつかないが行き交う人のほとんどがそんな表情をしていたのである。


 天彦は思う。おそらく民衆感情などこんなもので、市民は思う以上に戦に慣れっこなのだろうと。あるいは神経を尖らせているのは管理者ばかりなんていう話はきっとこの戦国にはどこにでもあり触れているのだろうと。


 きっとそう。

 天彦は仮説に独自の結論をみると、いったい誰がこの小癪な戦略を組み立てたのかピンときたので思わず、


「四郎やるやん人気やん」

「四郎って誰や」


 天彦の何の気なしのつぶやきが拾われ、悪意を感じる語気で返ってきたので振り返る。すると上のガキがいた。寅夫めんどい。めんどい寅夫。そこはかとなくめんどいのだ寅夫は。

 だが対応しないといけないのだろう。そんな雰囲気をひしひしと感じたのですっ呆けて、


「なにが」

「何がって四郎は誰やと聞いたんや」

「四郎は四郎やろ」

「四郎は武田の統領やろ」

「いや知ってるし! 性格悪ない?」

「やかましい。お前、今さんざん武田の悪口ゆうとったやんけ」

「悪口はゆうてない。そう聞こえたとしても散々はない散々は違うやろ」

「あ、嘘までついた。お前、どついたろか」

「やめとけ。悪いことは言わんから。お前が危ないさんなんやで」


 そんなことをしたらお仕舞いです。物理的にも社会的にはもっと。

 確証はない。だが天彦の脳裏にはそんな予感がひしひしとしていた。

 尤も天彦の勘はまるであてにならないので、実際にどうなるかはこうしている今も横目でちらちら様子を伺っている二人の御家来さんの胸先三寸に掛かっているのだろう、とか。


 思ったり思わなかったりしていると、


「なに抜かしとんねん。お前、いまなんで危ないに“さん”なんか付けた。さては……、オトンこいつ摂津の商人小馬鹿にしとるで――」


 あ。


 キミとは一生折り合えない。一生会うことはないだろうさようなら。

 天彦はそんな感情でぱっぱにチクりに行った上の兄貴の背を見送った。氏ね。


「ほなお世話さん」

「おおきに。商売繁盛を祈ってるん」

「ははは、そちらこそ。気ぃつけや」

「うん。ほな」


 荷物を降ろし終え店出しの準備は万端。周囲はすっかり陽も陰りあちこちから焚火の炎が目立つようになってきた。行商一家は品の見張りもかねて今夜はここで野宿するらしい。

 天彦たちはしない。野宿には憧れもいい思い出も何一つとしてないので、ここでお別れして、普通に宿を探しに町の中心部へと向かうことにした。


「殿、一つよろしいでしょか」

「ええさんやで是知」

「はっ、なぜ陣に参りませんのでしょう」

「風流やん」

「風流、ですか」

「あ、また真面に取りおうてる。是知も懲りんやっちゃな。若とのさんなんか、どうせまたけったいなこと考えたはるんや、放っとき」


 当たりです。むちゃんこご無礼さんやけど。オニ腹立つけど。


 むろん天彦が陣中見舞いに顔を出せば一発で好待遇は約束されている。だがそれでは味消し面白くない。そういうこと。

 天彦は今後自分では絶対に体感できないだろう庶民としての文化風俗を、全身で体感する気満々マンなのであった。


 もちろん、

 周囲に多大途轍もない大迷惑を被らせると知ってか知ってかw。特売日の卵を買う主婦の気分で感情を昂らせるのだった。













お読みいただきましてありがとうございます。


少し蛇足に過ぎましたが書いていて楽しかったのでつい。たまには転調した雰囲気もお楽しみいただけましたら幸いデス。という言い訳をして。

さて、いいねポイントが遂に3,000を突破致しました。凄くないですか!? 皆様からの贈り物なので凄いに決まってはいるのですけれどすごっ。3,000やばっ。えぐっ。そんなちょっと売れっ子の感情でカウントアップされた数字を眺めていました。ていう。自慢です。ぐぬうううなフォロワー様がおられましたら完走ランにて対戦お待ちしております。それではまた。

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