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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
127/314

#14 大賢者の贈りものw

 



 永禄十二年(1569)九月三日






 京極家と足利将軍家の周到に手順を踏んだクレームなどオニ不条理一撃でぶっ飛ばしたったんの巻。


 ほんと厭だよね不条理、まぢダルいよね不条理、なんであんだろ不条理。


 ニタニタしながらしらばっくれる天彦だが、もちろん菊亭への不満が消滅したわけではない。むしろ増したはずである。

 だが対応に追われて当面それどころではないだろう。室町第は。


 だったらそれでいい派の天彦はしんどいことは明日明日。みんな自分の都合で生きてます。ということで揚々と二条城室町第を後にした。

 そして果たしていつぶりだろう護衛に囲まれない気ままな自由時間を満喫し、疾走する牛車カブリオレで風を感じる。……が、


「なんかちゃうん」


 さぞ爽快だろうと思っていたら、なんてことはない。すぐ飽きた。

 しかも飽きてから先はずっとただ不安なだけだった。あんなおバカなDQN侍たちでもいないと不安はもちろん、なぜだか寂しさまでもが募ってしまう不思議。意味がわからない。


 だがよくよく考えれば当り前である。護衛を他力に頼るなどあなたを100信頼していますよと言っているのも等しい愚行。公家のそれも天彦が死ねば滅亡する細い血筋の御家の当主が選択してよいテーマではなかった。たとえ夏休みの自由研究のテーマが自由と平和であっても。

 そもそも論、血筋の細い当主が選んでよいテーマではなかった。その現実に気づいたときは既に遅く、経頼はじゃんけんでわざと負けてくれて席を譲ってくれていた。


 つまりだからこそ経頼は常にも増してご機嫌なのである。こいつこの世の誰も信用しなさそうな神経質な不細工ヅラしといて、実は義理兄おにいちゃん麻呂を信頼しとる。

 といったところか。キラッキラの笑顔を三割増しで輝かせて訂正するのも気が引けるおもくそ上機嫌を振りまいているのであった。


 むろん100の思い過ごしによる120の誤解だが敢えて訂正することもあるまい。


「ええお風さん。なんや義理兄おにいちゃんは顔色悪そうやけど」

「お前がゆう! おえ゛ぇ」


 あまり弄らないでおこう。ゲロをまき散らされてもめんどいし席を代われと言われたら氏ぬ。


 さて、そんな不安感いっぱいの天彦を乗せた牛車カブリオレは洛中を出て一路東へ。

 およそ半刻でたどり着いたのは伏見とよばれているかつては一帯を伏見稲荷社が寺領としていた横大路地区だった。

 伏見はかつて西園寺も家領としていたこともある由緒があり未来では藤吉郎が立派な城を建築して周囲を普請し繁栄させる土地柄だが、現段階ではまだ寂れた印象の強い数ある洛外衛星都市の一つといった風情の宿場町であった。


 ほんの数年前まではかなり治安の悪さが目立った印象の強い地区。だが義昭が将軍となり惟任が治安担当となった今は街道もかなり整備され、洛中の飽和所帯に引っ張られ衛星都市として宿場町として栄え始めているようであった。

 また宿場町が栄え始めたことによって近隣の誰かの懐が潤っているのだろう。全体的な治安への危惧はもはやほとんどなくなっていた。


 そんな伏見地区でも一番発展しているだろう宿場町に牛車カブリオレは停車した。到着。



 おろろろろろ。



 背中をさすさす、経頼復活待ち時間を挟み、


「ここや」

「古物商?」

「まあ黙って付いてこい。絶対にあっと魂消させてやるから」


 入って一秒ですごっ。魂消た。


 ビックリもそこそこに天彦は視界上方60下方75、矯めつ眇めつ店内をぐるりと見渡す。やはり凄さはかわらない。

 買い取って頂きたいものがあります。店構えはついそんな言葉が出てしまいそうな古物商風の佇まいだが、入店すると景色は一変。

 目にもあざやかな色とりどりの舶来の品々がびっしりと、しかもセンス良く不規則に陳列された店内は、ともすると楽しいがすべて詰まっていそうな先駆けの村ビレバンを彷彿とさせるそんなおもしろ店内とわくわくラインアップだった。


 天彦は敢えて目につくように置かれたよくわからない外国の玩具をいじくる。

 むろん手に触れるのは木製品に限る。ガラス製品などおっかなくてとてもではないが触れない。おそらくベネチアングラスだろう。見るからに逸品だった。


 さてよくわからないとは言ったがそれは室町世界の住民の話。天彦にはこの木製の玩具が何らかの知育玩具であることはわかっている。さしずめ立体パズルであろうか。こねこねこねとこねくり回し、あっという間に完成形を降臨させた。


「義弟、お前……」

「はて、何やろかぁ」


 天彦は世界一ウザい何やろかを残し店内を巡っていく。


「どちらさんの趣味ですのん」

「上の兄御前や」

「へえ熙長侍従の」

「そや。だが義弟、いま思ったことは言葉にはすなよ」

「はて。身共は何も思ってませんけど」

「それでもや」

「ほなそれで」

「そうしい」


 経頼が神妙なので天彦も合わせた。神妙フリ彦が思ったことは二つあった。


 一つは仕入先のこと。舶来品だ。普通に考えれば第一感で伴天連が絡んでいると思うのが当然ではないだろうか。だが控えめに言って帝は切支丹をよく思われていない。一度は回避できたがおそらく最終的に切支丹宣教師の追放並びに禁教指定は避けられないと考えている。

 帝の臣がその伴天連と繋がっていてよいのだろうか。そんな率直な疑問がまず一つ。


 もう一つはもちろん長兄のこと。甘露寺熙長は史実でもWikiが立たないレベルの人物で、実際この世界線でもかなり出世レースからは出遅れている。三十路も目前に控え侍従であることからもお察しである。

 そしてきっと親から見限られているのだろう。長兄なのに中山家にとっての本流である羽林中山家の当主でないことが何よりの証。


 甘露寺は名家だが禄は僅か二百石扶ち。言ってしまえば捨扶持公卿。あるいは公卿にすら上り詰められないことが濃厚なずっと断絶していた家門。再興の意味は血筋の分散以外にほとんどない。中山氏にとって勧修寺の存続などきっとどうでもいいだろうから。


 要するに嫡男なのに次男の保険、あるいは逆ストックにされているのであろう人物である。まあいい人あるいは人がいいのいずれかなのは想像に難くない。知らんけど。そう読み解くのが自然な人事考課なので。


 だがそれはあくまでぱっぱの見立てだけのよう。どうやら下の弟たち二人からは違う風景が見えているようである。

 でなければわざわざこうして長兄の指定場所へは出向かないはず。貴族は階級社会に生きている。年配を敬うという儒教の教えとは別世界の住民である。兄だからといって下に置かないなんてことはけっしてない。

 それが天彦の戦国室町貴族評であり、経頼はどうか知らないが次兄の親綱はきっとそう。天彦と意見を同じくしてくれるはず。

 先ほどから天彦を見る目が観察を通り越してえげつない値踏みをしているから。


「あちらに御座すは中山侍従さんやあらしゃりませんか」

「ん? おお、そうや。よう参られた兄御前」


 兄弟は久方ぶりなのだろう再会を祝いあった。

 そして、


「健勝そうで何よりだ、経頼」

「はい兄上こそ。よくぞ参られました。そうだ。紹介いたします。こちらが市井を賑わす今や知らぬ者はおらぬであろう五山の御狐殿こと参議菊亭卿にあらせられます。義弟、こちらが我が兄御前、中山侍従親綱におじゃる」


 はじめましてどうも。天彦と親綱ちかつなは互いにとても丁寧にお辞儀をしあい故実で礼を尽くしあった。


 中山親綱。天彦の第一感は苦手なタイプ。つまり策士臭がぷんぷん匂う。

 きっと相手も同じだろう。だからこそ互いに卒なく礼を尽くしあった。言外に深く関わり合いになることはないという意思の表れとして。


 天彦としては皇統に関わる気など端からない。ましてや複雑奇異な政争など銭を積まれても御免だった。積まれるボリュームにもよるのだろうけど。

 いずれにしても一癖も二癖もありそうな両者の出会いは、当り障りのない挨拶を交わして第一接触ファーストコンタクトを無難に終える。

 それを画策して演出したくせに不安視していたのだろう経頼の予想を大きく裏切る結果で。もちろんいい意味の裏切りとして。

 二人の腹黒策士の出会いの場面は終始穏やかに運んでいくのであった。


 が、


「親綱兄上、兄御前はいずこに」

「茶室に御座す」

「では」

「よいのだな」

「はい」

「ならば参ろう」


 天彦は二人の会話にほんの僅かに感じた微妙な違和感を見逃さなかった。

 仕掛けはそこか。確信して二人の後に続き中庭にあるらしい茶室へと向かった。




 ◇




「ようこそ参られた。太政官参議に辺鄙な場所へ足をお運びいただき恐悦至極に存じ奉りまする。このおんぼろ店の店主を務めております甘露寺熙長におじゃりまする。――あ、え……、いやまさか」


 天彦はぽふん。返礼の言葉も返さず、熙長のふっくらお腹にいきなり顔面アタック。お顔を預け埋めてぎゅっとハグをした。

 困惑する熙長はおたおたとするだけで天彦を振り払うこともできず、その様を見せつけられた親綱と経頼はともにおっ魂消てしまい掛ける言葉を見失ってしまっていた。


 天彦は怒っていた。試されるのは我慢できると言ったがそれはあくまで二者択一の場合に限るしゃーなしであり、第三の案があるなら迷わずそちらに飛びつくに決まっていた。

 そもそも試されて嬉しい者はいないように天彦だって厭である。ましてや相手が病人ならば猶更に。

 そう。甘露寺熙長はらい病を患っていた。それも全身にかなり進行している感じの。正しくは肌の大部分を厚い布で覆い隠しているので全容は知れないが、皮膚が膿んだ激しい匂いから判断するとかなり進行していそう。


 ならばこの暮らしにも納得できる。隠棲ではなく隔離なのだろう。そして存在を知られていない理由にも気づけた。知られないほどの無能なのではなく単に伏せられた存在だっただけ。しょーもなかった。

 らい病すなわちハンセン病はこの時代、伝染病の認識を持たれたそうとう不治の病であった。但しこの戦国室町時代では。

 むろん未来の現代人に訊かせれば鼻で笑われるかキレられるかのいずれかである。らい菌など感冒にも劣る雑魚病原菌だから。


 そういう意味で天彦はとても不愉快な思いをしていた。この世界の民度の低さと医学術理の未熟さを責めても意味がないことは百も承知。なのに当たらずにはいられないほど憤りの中にあった。

 それとは別に二人の弟たちの心根の優しさにも触れた気がしてじわじわほっこり心が温かくなってくる感覚も感じていた。そして隠し通したいはずの兄をこうして紹介してくれた気持ちには高評価を与えたい。きっと高評価をくれているのだろうから。

 天邪鬼な天彦にしては珍しく素直に感謝を送っていた。だから、ほんまはせーへんけど大おまけさんやで。


 内心でわざわざ嘯いて、


「ぽっちゃりとデブはまったく別の生き物やしダイジョブ。強く生きてこ」

「……ゆーたはることはようわかりませんけど、なんや優しいお方さんやなぁ」

「身共が? ははは、ウケるぅ」

「可笑しいならお笑いなさればよろしいのに。小っこいし軟こいし、なんやええ匂いもしたはるのに勿体ない」

「笑てるけど」

「あ」

「あ」


 わけのわからない言葉で煙に巻きちょっとイラッとさせられつつ、挨拶の言葉と変えるのであった。


 お茶にしよ。すぐに点てるよって。

 熙長のぽっちゃり特有の円やかな声と柔和な雰囲気が茶室に広がるのだった。




 ◇




 ぐつぐつぐつ。湯釜が湯を沸かすまで会話はない。それが中山流か甘露寺流の茶室でのおもてなし作法なのだろう。知らんけど。


 その間天彦は提唱していた説に大幅な修正を加えることにした。というのも一つ大きな気づきがあったからである。

 中山ぱっぱ孝親が嫡男熙長を養子に出した理由の一端に、なんとなく気づけたような気がしたのである。これ相場師一流の大博打と違いますのんと。

 言い方を変えればおべっかとも取れなくもないが、いずれにしても甘露寺は勧修寺の本流である。だがそこに男子はいなかった。長く途絶していた家門に気づいて再興を図るべく進言したのではないだろうか。お近づきの印として。

 きっとそう。盲点だったが東宮の女房(実質的正妻であるが)阿茶局こと晴子は勧修寺晴右の娘であった。自分の門流が栄えて気をよくしない公家はいない。そういうこと。


 だが思い切ったものである。この人材が払底している戦国室町にあって嫡男をぽんとくれてやるその気風の良さ。ぱっぱ晴季と双璧などとたとえたがとんでもない。比べるレイヤーが段違いどころか階層ごと違っていた。


 中山ぱっぱ孝親は大物。その認識を強くした天彦は前提を変えて説を練り直した。やはりどう考えても結論は一つにたどり着く。

 中山ぱっぱ孝親は本気でこの大博打に全身全霊賭けているのだ。すると逆説的に半端な真似はできるはずもない。つまりこの大兄ちゃんは三兄弟で一番優秀な人材と読み解けたQED。


 推測を修正し仮説の正しさを一人こっそり確信していると、ぴー。湯釜が沸騰を知らせる笛を鳴らす。

 熙長が湯を注ぎ入れシャカシャカと茶筅でお抹茶を点ててくれる。――あ。


 あ。あ。あ。


 少し捲った腕の間を突いて爛れた皮膚からつぅー。一筋の液体がぽちゃんとお抹茶に落ちてしまった。

 熙長はさぞ恨めしそうに、親綱と経頼は悔しそうだが慣れた感じにお高そうな茶碗をじっと見つめていた。


 天彦はぼーっとして、今後を見据えて茶器集めもいいかも。などとアホ面を晒して考えていた。


「無様を晒してもうて。すぐに入れ替えますよって。お待ちを――あ」

「ごきゅんごきゅん、ぷはぁ。美味いん。身共はやっぱしお抹茶さんが大好きなん。……ん? ひょっとして無作法やったん」


 天彦は熙長の手から引っ手繰るようにして茶碗を奪い取り、いただきます。ごちそう様。

 するとどうだ。熙長はもちろん、左右に陣取る親綱も経頼も天彦のあまりにも突飛な行動に思わずなのだろう。お前正気かの目で天彦を凝視したまま固まってしまっていた。


 だが天彦は涼しい顔で受け流す。なにせ天彦、ここが勝負どこだと思ったら泥水でも啜れる系男子である。なんなら排泄物でも飲めるし食える。実際できるかはさて措いてもその覚悟はとっくの昔にできている系男子である。

 一口でいいだろうところ、ぐびぐびと飲み干したのはそういう意味での舐めるなの意味合いも大いにあった。


 戦国しょーもない。差別シバく。無知は悪やぞ今日にも滅びろ。


 天彦にそんなご大層な思想はない。ただ単にハンセン病の伝染力などミジンコ以下と知っているだけで。茶でへそを沸かすくらい余裕でしゃくしゃくなのである。

 文脈的にぜんぜん余裕ではなさそうだが、天彦の中では余裕だった。佐吉の主としてあるためには意地でも余裕でなければならなかった。


 が、不意に、


「ぐすん、すんすん。ぴえん」


 何かが胸に迫ってきた。この感情を表す言葉を天彦は知らない。だが感覚的に真正面から受け止めてよい性質の感情ではないことをわかっていた。

 だから涙で受け流した。けっして泣き虫で泣いているんとは違うからと嘯きながらさめざめと泣いていた。


 この場面のいったいどこに泣く要素があったのか。いったい何を泣くことがあるのか。

 エピソード自体佐吉のやった丸丸焼き直しだし、関心を買おうと思惑100の下心丸出しクソデカ感情で自分から進んで飲み干したくせに。


「佐吉ぃ……」


 理由はたった一つだった。伝染性の有無はもちろん病理など何一つとして知らない佐吉がこれをやったのだと思うと、感極まって涙が溢れてきてしまうのだ。

 要するに嬉し味に包まれて氏にそうなのだ。氏ぬは盛ったが嬉しすぎて感動が止まらないのである。

 親切ってハズいけど、普通に素敵なことやよな。そんな思いもちらほらと。

 うちの子、なんてええ子なんやろ。そんな誰目線かわからない心境で涙もろいお兄ちゃん主はさめざめと涙してしまっていたのである。


 だが周囲には違って映っていることだろう。どう映っているのかは敢えて言及はしないがお察しである。やはりいい人キャンペーンは意図しない時の方が覿面効果を高く発揮した。

 対象と目される熙長当人こそ涙しないが弟たち二人は感激のあまり男泣きに泣いていた。もはや感情など隠すこともなく。やがて狭い茶室は天彦、親綱、経頼の大号泣祭りになってしまう。


 ぐすん。佐吉、やっぱお前さんは立派なお人や。


 己もそんな佐吉に恥じない親友ずっトモでありたいものだ。天彦は対象となる数名の顔を脳裏に思い浮かべて切実に願った。どこの神様かはナイショにして。

 もはや佐吉が世に送り出すことはなかっただろう凄いい話を、形式と人物こそ変えてしまったが奇しくも世に出現させることが叶って天彦は謎の達成感と充足感に満たされる。

 そしてそれ切っ掛けでいち早く正気に戻ると、いや野郎の涙とか誰得やねん。

 自分が仕掛けたお涙頂戴祭りだったのに感動に泣き崩れる弟二人に覚めた冷ややかな視線を向けるのだった。


 むろんそれだけで終えるならただの厭なヤツである。


「キモ義理兄おにいちゃん、はいこれさん」

「キモ!? ……これはなんや義弟」

「処方箋を出す指示書や。この花押がないと絶対に出しよらへんから失くしたらあかんよ。しかもこの割印の入った専用の用紙やないとアカンのん」

「処方箋……?」

「ぼさっとしてへんで家に遣いを寄越さんかい」

「あ、ああ」


 処方箋という概念は漢方由来としてすでに存在する。だが菊亭ではいくつかにランク分けされていて処方箋だけでは絶対に出されない薬もあった。

 今回のこれがそうで、薬が処方されるには天彦の自筆花押が認められた割り印専用用紙を必要とした。

 天彦が預け渡したのは家内処方A指定のらい病の特効薬持ち出しの指示書であった。

 未来の現代ではハンセン病と呼ばれるらい病だが、菊亭はすでに有効とされている天然植物由来のステロイド、フラノステロイド類化合物の生合成にこぎ着けていた。

 むろんこんなイレギュラーを予期していたなんてことは絶対になく、つまり予め仕込んでいた策がまったく予期しない場面で偶然に功を奏したのであった。


「……これはもしや」

「うん。らい病の特効薬や。見た目の完治までは約束できひんけど後遺症は残らんはずや。公家に領分があるように医療にも領分はある。そこは許容してほしいん」

「おまっ!」

「お前なにさん? 身共、可愛いさんやろ」

「お、お、お、……



 天彦ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――!」



 お、おう。


 としか言えない今度は一転、大絶叫祭りが開催されてしまったのだった。

 が、余裕があったのもこのときまで。次の瞬間には「ぬおっ」経頼に続いて親綱までもが天彦の許ににじり寄りがばっときつく抱きしめ始めてしまってお仕舞いです。ぐぎぎぐるじい。

 氏ぬ苦しい。暑いねん。キモいから抱き着くなし。せめてFF外から失礼しますとお断りを入れんかい。


 悪し様に罵るも、だが不思議と厭な気分はしない。それがなぜかわからない天彦は自分でも気づけないほどスキンシップに飢えていた。

 だからと言っておっさん(数え26)に抱きしめられて喜ぶ感情は一ミリも持ち合わせていないので猛然と拒絶はするが。


「いつまでやっとんねん! もうええやろ。はーなーれーろー、ていっ」

「こ、これはご無礼を。麻呂ともあろうものが何たる不覚。しかしこのご厚情、感謝の念、いったい何とお返しすればよろしいやら」

「何も返さんでええさんやで」

「言葉だけで済まされることではおじゃりません。それでは羽林家中山の名が廃る。何より麻呂のこの溢れる気持ちが収まりませぬ」

「大層な。どうしてもと仰せなら、……そや。ほなら身共のお友達になってください。なんと身共、内裏には見渡すかぎりお敵さんばっかしなん。なんでやろこんな可愛いさんやのに」


 一瞬の静寂が茶室に降りた。だがそれの意味は問わないでおこう。天彦が可哀そうすぎるから。


「なんと控えめな。承りましておじゃります。この親綱、この御恩を確と胸に刻み参議さんのご友人として出仕の任に努めたくおじゃります」

「あ、うん。でもまあそうお気張りなさらず、付かず離れずほどほどさんに」

「付きますし離れませぬ。一所懸命に付き従いまする」

「付き従うは違うやろ」

「いいえ付き従いまする。菊亭さんのご友人として恥ずかしくないよう内裏では確と存分に立ち回る所存にて」

「あ、はい」


 好いてくれるのこんなんばっかし説を提唱しつつ、未来の帝の外戚げっと。


 いいのか悪いのか。まったく予測もしない大収穫に戸惑いつつ、まあ悪いようにはならんやろ程度の感情で天彦は特効薬とは別件の指示書を追加で認めた。

 宛先はもちろん菊亭が誇る医療班リーダー大膳大進・岡村勘八郎である。

 痛みはないが皮膚は爛れる。その爛れを抑えるこちらも自然植物由来ロイヤルゼリー成分が配合された乾燥用粉末薬である。膿んだ箇所にはよく効くと専らの評判の。


「これもどうぞ。用途用法は家の者から詳しく訊いて」

「義弟よ、重ね重ね恩に着る。たしかに頂戴いたしておじゃる」


 これもすべて佐吉作戦の副産物であった。すでに述べているが菊亭医療班は天然植物由来のステロイド。いわゆるフラノステロイド類化合物の生合成に成功していた。この日のために。

 この日は盛ったか。このような場面のために。もっと言うなら大好きな佐吉が辛く苦しく哀しい思いをせずに済むよう、大親友ずっトモ大谷吉継を治療できるよう天彦は周到に準備していたのである。


 まあ着地点以外はすべて射干ギーク班の大殊勲賞の賜物だが。


「お給料……より、新ネタの方が喜ぶか。あいつらアホやし」


 大天才の集まりやけどまさしくアホ。むろんバカとはけっして違って。

 阿保と馬鹿は似て非なるもの。とか。しらんけど。


 と、正面から視線を感じる。見ると熙長が遠い目をして天彦を見つめていた。


「どないしはったん、お爺ちゃんみたいな目ぇさんして」

「参議さん、気を遣わせてしもて。このとおりや。堪忍さんにさんにおじゃります」

「うん。でもギリギリあっに。それは違うん」

「ぎりぎりあっに……とな」

「そう。ギリギリあっに。こういうときはおおきにさんでええんやで」

「……ほな、おおきにさん。ほんまにほんまに、おおきにさん」

「うん」


 天彦は我が事のように得意満面、仕込んでいた策の成功を誇るのだった。














最後までお読みいただきましてありがとうございます。誤字報告、いつもありがとうございます。心から御礼申し上げます。


関東地方(地方?)は大雪のようですね。たいへんそうですが当該地域にお住いのフォロワー様におかれましてはお気を付けください。こんな日は外に出ずぬくぬく感想など書いて過ごされるのが良いかもしれませんよ。いい(悪い)顔でご提案して差し上げたところでプレミア公開していいレベルの出来栄えを自負した前話は0ポイント獏氏。お仕舞いですさようならごきげんよう。

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[気になる点] オコタでぬくぬくしながらの感想です。 佐吉こと三成さんは、らい病の真相知らなくとも、あれを飲んだと思うと矢張り凄いですね。 こちらの佐吉さんも負けないくらいにいいおとこですが(*´…
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