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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
124/314

#11 よくわかんない反骨心がわいちゃうやつ

 



 永禄十二年(1569)九月朔日






 希望なんてものは現実になくたっていい。そこに微かにでも光さえともしてくれていれば。それだけで勇気さんは勝手に湧いてくれるから。


 それが天彦の持論である。本心かどうかはわからないけれど。

 何しろ彼は類を見ない、あるいはどこにでもいる生粋の天邪鬼なので。

 何しろ彼は実際の希望を見せて貰っている上で言っているので。つまり嘘つき、そういうこと。


「実益。そうか。頑張ってるん」


 天彦は書状を胸に抱き込むようにして切実につぶやくと、西日の差し込む窓枠からあくまで感覚的に伊予があるだろう方角をじっと見つめて感慨に耽る。


 西園寺の俊英は移動期間も含めれば僅かひと月足らずで分家を掌握。実益は見事お客さんの立場から伊予西園寺当主の立場へとクラスチェンジを果たし、洋々と親書を認め今後の展望を熱く語ってみせていた。嬉しい。


 感情は隠せない。だが天彦は四国情勢にそれほど明るくない。知らないことは不安を煽る。

 天彦がどのくらい四国事情に通じていないかと言えば、誰もが知るレベルで群雄が割拠し三好家を筆頭に一条家、河野家、長曾我部家や西園寺家ももちろん、その他それら大小の勢力が互いにしのぎを削り生き残りを懸けて熾烈な陣取り合戦を繰り広げている野蛮な土地、としか知らなかった。

 あるいは必ず毛利家が絡んでくるとか下剋上の宇喜多家が引っ掻き回すとか伊予は位置的には未来の現代なら愛媛と呼ばれる位置にあり、それよりそうとう面積的にデカいとか本州へのルートがかなり開いていて気候も温暖であるとかないとか、その程度の知識しかない。


 ただいま大急ぎで情報を集めて知識を補完している最中だが。

 そんな中でも西園寺の伊予のことは最も一番知らなかった。だから実益が寄越す手紙の中身にピンとこず、どこどこ砦を計略で落としたった褒めろと言われても自ずと熱量も実益の筆圧と同等量は燃やせない。


「若とのさん、嬉しそうですね」

「そうやろか」

「はいそれはもう。最近見たことないむちゃんこ嬉しそうなお顔さんしたはりますよ。実益さんなんと申されてはりますのん」

「砦を分捕ったんやて」

「すごっ! それはお祝いやないですか」

「それは、うん。まあ待ち」

「なんやわかりませんけど、はい! でも絶対にしましょうね、お祝い」


 自分も雪之丞のように屈託なく無邪気に喜べたらいいのに。


 嘯く天彦だってニマニマが隠せていないがそれはさて措き、素人にできることはない。実益には合戦のプロが付いている。

 だからと言って何もしないわけでは絶対にないが、天彦は自分にそう言い聞かせて逸る感情をどうどうとお馬さんを宥めるように落ち着かせる。


「あかん。イルダっ、イルダはいずこや。イルダっ」


 ウソ。ムリ。ぜんぜん宥め切れていない。


「どうどう、そない大声出さんと落ち着いて」

「なんでやお雪ちゃん。身共は落ち着いているから呼びよせているんやで。おい射干は何をしとるんや!」

「ぜんぜん落ち着けていませんやん」

「何が」

「イルダはおりません」

「なんで」

「それは某が訊きたいくらいですけど、さいぜん用事託たはったからと違いますやろか。序に言うとコンスエラにもなんぞ申し付けてはりましたよ」

「あ。そうやったん」

「もう若とのさん。浮き足立ってどないしますの」

「あ、うん。……そやな」


 射干党には伊予に向かわせる指示を出したばかりだった。その支度でにんにんござるレンジャーたちは定宿陣屋を離れている。


 因みにイツメンのほとんども本拠を離れている。与六は京を追放処分となった伊勢家の御曹司を安全な場所へと送り届けるためにおらず、なぜか最近二個一化している高虎も同行していて不在。且元は片岡家のターンで不在。最近はあちらが忙しいのかずっと顔を見れていない。氏郷は射干と何事かを企み中でいない。最近やたらと不穏である。

 佐吉も算砂の補佐として与三郎に同行し天満屋へと商談に向かっていて不在。

 茶々丸は勝手一人遊撃隊なのでいつもいたりいなかったり。今日は今朝から見ていない。茶々丸の行動を束縛するなんて大それたこと天彦にはできっこないので茶々丸が改心するか飽きるまで一生このスタンスで行くのだろう。ぐぬううう。


 と言った風にこのイツメンのほとんどが出払っているという異常事態に、家内を見渡してもなんだか天彦の知らない菊亭みたいだった。


 むろん戦国である。誰も彼もが心を一つにお手手繋いで仲良くるん。とはけっしていかないことなど百も承知。

 ましてや天彦の家来は史実に名を刻む英傑の中の英傑である。それぞれに思惑を以って動いて然るべき。……なのだが、淋しさは隠せない。

 よって護衛は顔見知り程度の青侍たちばかりであり、そんな意図はないだろうけど、もしこれが彼らの価値を思い知らすための策なら十分すぎるほど効いている。つらたん。



 閑話休題、

 だからではないと思いたいが、天彦は自分でも信じられないくらい気が焦っていた。動転していると言い換えてもいい。いやはっきりと動転していた。

 実益がどうあれ合戦を仕掛けて砦を分捕った。それは喜ぶべきことである。善悪適否など度外視してこの時代の流儀に倣えば正しいこと。

 だが、分捕れるならその逆もある。この世は常に表裏一体としたものだから。

 天彦の恣意的感情が勝ったいつもの特殊理論ではなく、この世の黎明期から連綿と続く心理の一環として、逆も必ず存在する。


 心配でならないのだ。自分以上に迂闊だから。世間知らずの御曹司ボンボンやし。


「なあお雪ちゃん。鉄砲1,000挺とバルカンくん3挺で足りるやろか。身共は不安なってきてん。どのくらい追加したら安心さん買えるやろか。なあ一緒に考えてくれへん」

「……」


 雪之丞からのレスはなかった。おもくそ重たい沈黙だけ。だが正直な澄んだ瞳は雄弁に語る。お前アホやろと。

 何しろ鉄砲隊もバルカンくんも指揮したことがあるのは菊亭でも雪之丞ただ一人だけである。言い換えるなら雪之丞は当然どちらの性能も知っていて、特にバルカンくんのえげつな怖ろしい破壊力を間近で体感して知っているので迂闊なことは言えなかった。あれは世界を滅ぼす呪いだとさえ感じているから。


 それが三丁も。絶対に滅ぼさはるつもりや。さすがの雪之丞も青くなる。

 むろんその感情の根底には、いくらなんでもアホすぎるやろの思いがきっと強くあるのだろうけど。


 そんな感情と目で弟主君を見つめると、


「ぐぬぬ、家のギークどもは何をもたもたやっとるんや。ちゃっちゃとニトロ定着させて衛星でもなんでもバンバン飛ばしたらんかいっ」


 頭が悪いは治らない。そういうこと。


「なに」

「なにも」

「なによ、気色悪いやん」

「なにもありませんて。気にせんといてください」

「アカン気にする。だって嘘のときの顔さんやもん」

「ほなそれで」

「おい」

「そんなことより若とのさん、えいせいってなんですのん」

「飛ぶもんや」

「それを訊いてるんですけど」

「まあ待ち」

「なんぼほど待ちますん」

「そやな、五百年ほど早いかな」

「あ。せこっ! 言いたないときの常套句使たはる」


 盛ったが事実、だとしても。そう受け取られて尤もであった。


 果実大福が売れすぎて困る。にまにま嬉し味が隠せず自慢げに言っていた同じ口で衛星飛ばせと唾を飛ばしながらほざく阿呆は一旦脇に置くとして。

 実益の台頭は元の分家当主からすればたまったものではないだろう。

 だが天彦からすれば知ったことではないのである。顔も名前も知らない為人もわからない人物と大親友ずっトモを天秤になど掛けられるはずもない。

 勝手な言い分かもしれないが家来からしても滅亡確定の当主よりまだ可能性の芽がある実益の方がいいはずだし。勝手やな。でもでも……。


 天彦は心底良かれと考えそう思っている。見知らぬ分家だが本家の分家。天彦とは薄く血が通う同門である。できることならよく収まってもらいたいと考えるのが人情というもの。知らんけど。実際知らんし。知るかぼけ。


 愚人が過去を狂人が未来を語るなら、凡人である己は目先の今を語るのみ。

 賢人さんやったら嬉しいけど、何にしたって己には今を語る言葉しか持ち得ないんと嘯く嘘つき狐は、今日も今日とて100の言い訳を連ねながら100の欲目を十段積み重ね都合1,000のそこはかとない願望込みで万の勝手なことをほざきまくるのである。


 要するに、

 地球が何週回ろうとも結局のところは実益の成功だけを願っているのである。


 と、そこに、


「殿、宰相お越しにございます」

「うん。通したって」

「はっ、ご案内いたしまする。御前失礼いたしまする」

「是知」

「はっ、ここにございます。如何なさいましたか」

「……いや、何もなかったん」

「では失礼いたします。お待ちくださいませ」


 取次役の是知が参り、颯爽と私室兼応接室を後にする。


 天彦はその背中を見て嬉しくあり残念でもあり。一度ではなく打診しているのだが是知は頑として取次役を譲ろうとはしない。困ったものであったのだ。

 何より是知は菊亭政所三等官(小役)を取りまとめる序列三席の大従である。取次役などという端役を務めていてはいけない格。

 策略大好きマンの是知に限って天彦が好きすぎるから。などという理由ではないはずである。おそらくきっと。

 齢十一にしてもうすでに老害でもあるまいに。いずれにせよ天彦は内心では何とかして退かせられないものかと人知れず苦慮していた。


 ありがたいことに菊亭も家人が増えてきた。上がいつまでも小役を務めていると下に役目が回らない。どこにでもある組織の新陳代謝である。

 そもそも公家の家など日々熟さなければならない業務など高がしれていて、こんな大所帯(常駐家人三百有余名)を捌けるお役目を抱えていない。

 よって今の菊亭は明らかなオーバークルーだが菊亭がリクルーティングしているわけではないのでこればかりは天彦にもどうにもならない。来る者を拒まず受け入れてきた弊害が出ているだけで。



「遅参許せよ、義弟」

「ようこそお越しくださいました。さあお座りになってください。さあ。……ん?なんぞございましたやろか」

「妙に態度が余所余所しいな。なんぞあるのではと警戒しとるんや」

「身共は哀しいん。およよよ」

「ま、待て。そんなつもりはまったくなかった。許せよ義弟」


 参ったのは大炊御門経頼おおいのみかど・つねよりであった。


 鷹司家を本家とする家柄なため原則近衛の門閥であるはずなのに、どういうわけか菊亭と縁を結ぼうと決意した変わり種。その真意は測れないが案外為人はわるくなかった。というより公卿でも今となっては滅多と見ないタイプの希少種である。何しろこの貴種、この世知辛い戦国室町の世にあって世間にほとんど毒されていない純粋培養の雅を極めつけた御曹司プリンスであったのだ。するとつまり……、


 カッコ良さが異常。普通にコロシタクなる。


 陽キャのイツメンたちや親友ずっトモでキラキラ成分にも少しは馴れた天彦を以ってしても、だがこれは明らかなキラキラハラスメントであった。

 人など所詮は17の成分でできている分子の結合体に過ぎず容姿など単に時代の感性や単に流行を映し出す鏡、鏡、鏡……。

 いくらサブカル男子特有の早口でまくし立ててみたところで勝負する土俵が違ったら意味はない。撫子のこととは無関係にこんな害悪、世に存在させてもよいのだろうか。ダメ。誰が“但しイケメンはいついかなるときも永久不変の法則が適用されるものとする”や、コロス。


「コロス」

「おい待て義弟、話せばわかる」


 わかるかいっ!


 可愛さなど一ミリもないので憎さ倍増。天彦は撫子の恨みとばかり経頼を扇子でぺしぺしシバキまわす。


「お、ちょ、な、まて、痛い、痛いではないか、あ、やめ――」


 卒なく抜け目なく憎めないを人生の標語としている天彦にしては珍しく、感情が先に立ってしまって下手を打った。扇子も打った。もっと言うなら扇子と弁舌の手元が狂った。ぺしっ。会心の一撃が炸裂した。――ぬおぉぉぉ。


 悶絶する清華家筆頭の御曹司の絵面。これでいいのか室町公家。

 だがいいのだろう。する方はさて措き、される側は確実にむしろ楽しんでいる節さえ窺わせているのだから。

 している側は悪意100のいつもの表情。これもイケメンに対する引け目のせいなのだろうか。きっとそう。そういうことで押し切ることに決めた。どうせキライやし。


 とか何とか嘯きながら、愛用の扇子を懐に仕舞う。


「何たる、あいたた。痛い」

「ふーふーしたろか」

「要らぬっ! まったく、たかだか遅参くらいで殺されていてはおちおち町にもでられへんやないか」

「扇子でシバかれたくらいで氏ぬとかwww」

「そこはかとない愚弄に思えるが」

「あ、うん。間違えたん」

「……義弟は間違いで弑するんか。麻呂は清華家筆頭大炊御門家当主、太政官参議経頼なるぞ」

「まあ、ごく稀さんに」

「嘘をつけ嘘を」

「あとカッコ悪いから一々名と身分を明かす見栄を切らん方がええん」

「なぜ格好悪い。麻呂は清華家筆頭大炊御門家当主、太政官参議経頼なるぞ」

「お雪ちゃん、どう思う」

「はい。むちゃんこダサいです。実益さんはここ一番でしか名乗られませんでした」

「ぐはっ」


 経頼には一番効くやつ。お雪ちゃんわかってるぅ。


 心のハイタッチを頭上で交わしてさて、いくらか気分も優れたので鬱な本題に切り込むことにした。居住まいを正し上座を開けてお得意のいい(悪い)顔をして。


「麻呂の厭な予感は……」

「おめでとうさん。ビンゴです」

「びんごとは」

「大当たりぃー」

「ひっ」


 小さくない悲鳴が響くのだった。




 ◇





「……さよか。話の筋としては理解した。だが義弟よ。麻呂は詫び方を知らん。この一件は義弟に預ける、善きに計らえ」

「氏ぬ?」

「こ、殺すでない!」


 天彦は表情を完全に無に消し去り極めて冷めた口調で言う。

 常でもおっかないのだが今日はひと際冴えていた。常にも増して凄味と怖味が違った。

 大炊御門家の御曹司プリンスでなくともおっかないのは周囲に侍る家人たちの“お願いやからこっち見んな”の気配からもお察しである。


 天彦がこうなのもクレームが舞い込んだから。それも超が付く特大のやつが。

 厳密には天彦の許にではなく親許に。今出川家に特大の、それも正当性しかない注文がついたのだ。その処理を当事者かつ元凶である経頼にせよと天彦は告げたのだった。自分の悪事と立場は棚に上げて。


「なぜ麻呂が下等な地下人に詫びねばならぬ。武家であろうと所詮は下等なゴミカスであろう。勝手にほざかせておけばええさんやないんか」

「あほ! お前はほんまもんかっ」

「なっ、無礼であろう」

「やかましいわ。婚約者がいる女子を見初めて横槍入れたんはどこのどいつさんなんや」

「見初めてはおらん。何しろまだひと目たりともかんばせは拝めていないんやからな。そのときが楽しみであるぞ」

「おいコラ」

「なんだ」

「……話あお」

「何を今更。麻呂はずっとそう申しておるではないか」


 ぐぬぬぬ。氏ぬぅ。


 とはいっても天彦も声までは荒げない。結婚して初めて顔合わせする。この世界では至極当たり前の手順だから。惚れた腫れたラブちゅきちゅきなどは正室とするものではけっしてない。事後は知らん勝手にせえ。

 つまり撫子姫と婚約状態にあった京極家からのまぢギレ鬼クレームが入っていたのだ。それも室町幕府奉公衆の連名で。


 立場をかえれば至極当然のクレームだと思える。だが時は戦国室町時代。相手の立場に立ってみて立ち止ってみてなどと眠たいことは言ってられない。のが実際ではないだろうか。少なくとも天彦はそう考える。理解はするが感化はされない方針を取って。


 さて問題の京極家だが、案外厄介な家だった。というのも小法師の父親京極長門守高吉は奉公衆にこそ取り立てられていないものの歴とした足利将軍家の重臣であり、室町幕府再興の立役者でもあったのだ。

 よってクレームも室町幕府ではなく足利将軍家から出されたものだがそれはさて措き、長門守高吉は義昭擁立に尽力し織田との交渉には度々足を運んだ功績者であった。


 その大事な家来が虚仮にされた。延いては己も。惟任の思惑はいざ知らず将軍義昭がそう紐づけて激オコなのは想像に難くない。この時代はそういう関連付けで物事は判断されているから。

 あるいは未来の現代も大して変わらないのかもしれないが、いずれにしても舐めるなクソガキ。そういうこと。

 大方ぱっぱ晴季があることないことを吹聴して天彦にすべての責任を押し付けて退散、今ものうのうとその場限りの大ウソで凌いだつもりでいるのだろう。ぜんぜんまったく凌げていないが。

 尤も当時のぱっぱの方針なら京極家との縁結びはあながち間違った選択でもない。だからといって何ら肯定されるものではないとしても筋としては中々どうしてやりおるの部類であろう。後始末さえちゃんとしていれば。


 むろん天彦は一ミリだって悪くない。将軍家と懇ろになろうと画策したのも実際に段取りしたのも全部ぱっぱ。天彦はすべて事後承諾。どころかその承諾さえしていない。どこに罪があるというのか。だがあった。


 将軍家からの御達しは今出川家に届けられたが名指しされているのは菊亭だったからである。当主はだーれだ。あ、見っかっちゃった。なんでー!?

 白々しいことに時間は割けない。何でも何もないのである。単に目の敵にされているからに他ならないから。

 大元のなぜ目の敵にされているのかは依然として判然とはしないのだが、兎にも角にも反感を買ってしまっている事実だけがそこにあれば対策は打てる。


 謝ろ。これに尽きた。


 今の将軍家に刃向かうとか正気を疑うレベルである。何にでも時と場合があるのである。ここは忍の一字をぐっと飲み込み、


「召喚日は明後日や。一緒に参るで義理兄おにいちゃん」

「兄と呼ばれたことは喜ばしいが、無理や。さいぜん申した通り、麻呂は詫び方を一つも知らん。何しろ生まれてこの方、詫びたことがないのでな」


 はぁシバキたい。


 天彦はふるえながらじっと堪えた。すべては愛する人のため。

 あと無関係と言い逃れなかったこともちょっとだけ評価できたから。


「教えたろ」

「要らん」

「おいって!」

「大きな声を出すでない。その品のなさこそが世間に隙をみせる一因や」

「なんで説教!?」

「そもそも義弟は品格が足らん。教えたろ」

「え。なんで逆さん、逆さんなんで!?」


 じんおわ。


 逆説教を食らう羽目になってしまった天彦は、はぁやれやれ。これだから御曹司プリンスは。それでも根気よく阿呆な会話に付き合ってやる。

 実益にも茶々丸にも、もっと言うならあの雪之丞にすら感じたことのない徒労感を覚えながらも実に根気よく。


「ほなやってみい」

「……まずは膝を折って指をこのように前で揃えて辞を低く、申し訳おじゃりませんでしたぁ、この通りにあらしゃりますぅ。……やれよ」

「厭やろ。そんな無様なん」

「おま」


 コロス?


 だが殺さない。感情的にはブッコロしたいが天彦は堪えた。

 大清華家の目下筆頭格である大炊御門家の御曹司プリンスの翻意を促すべくに腐心し、天彦にしては非常に珍しく必死に粘って説得を試みるのであった。


 というのもここ数日顕在化し始めた事実だが、どうやら世間の菊亭に対する風当たりがむちゃんこ強く冷たいのである。

 織田包囲網という名のヘイトイベント発生よりも菊亭ディスの方が早かった。むろん“まさか”ではけっしてなく。文脈の意味は関係者ならわかっている。

 特に織田側の首脳陣ならお見通し。これは菊亭ディスの皮を被った織田の梯子外しの序章であると。


 いずれにしてもとくに率先して悪風をばらまき嫌がらせを扇動しているのは謎の人物Sである。なにやらこのSなる人物、将軍家の御伽衆に取り立てられたとかそんな噂で持ちきりである。薄っっっすい貴種の血を頼りに(草)。

 天彦からすれば謎でも何でもないただの還俗したクソ尊意だが。この二寧坂家のボケナス元坊主の嫌がらせがエグいのである。

 天彦をしてゲロ吐くほどに陰湿で執拗で周到なのだ。私怨100だからこその念の入れようが半端なくグロい感じの。むろん裏で糸を引くのはご存じみんな大好き……、


「ぐぬううう惟任めぇ。今度という今度こそ絶対にゆるさん」

「なんや義弟、惟任さんがどないした」

「あんなクソ侍にさんなんて付けんといてんかっ」

「なんでや。盆暮れには大そう世話になっている。敬称を付けねば義理が立たんやないか」

「あ、そういう……」


 大炊御門に限らず貧乏公家の多くには息が掛かっていて実際の手も入っているのだろう。雅だ風流だなどと粋り散らかしているくせに。

 この際だ。じっくりと自尊心や自負心の定義を語り合いたい気分だが、話したところで……。


 くっ……、めげへん。身共頑張るん。


 それでも天彦はけっして投げない。偏にすべては愛する妹(この時代の概念では姉)御前を想うただその一心で。
















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