#10 お喋り兎と嘘つき狐とピキラー坊主と五山の送り火
永禄十二年(1569)八月十六日
菊亭印の果実大福が爆裂的に売れまくっている京の都。
町は全体的にどこかひっそりとしていて、通りに出ている就学前や奉公前児童も心なしかおとなしいそんな送り火の当日午後、晡時刻夕七つの鐘がなるとき。
天彦は必要最低限の供だけ連れて法音寺のある北野白梅町に向かっていた。
法音寺は北小路野寺小路(未来の現代では西大路今出川)にある浄土宗の支院であり、かつては自力本願の教えを説く天台宗の寺院であった。
室町現在では左大文字の点火を行う際に読経を行うことでも知られている寺院である。
そう。本日八月十六日は送り火の日。京都では町を挙げて先祖の精霊を再び冥府に送り返す厳粛な日である。
そう。天彦は暇なのである。暇だからこそこうしてわざわざ雅をするため現地に足を運んでいる。
出仕停止はオフィシャルではない。だが帝の感情を思えば自発的に謹慎するのが得策であろう。家内の意見は一致している。だが然りとて京は離れられない。取り巻く状況があまりにも不穏だから。
ならば何をするのか。織田さんが帰ってくる予定もない。歴史的なイベントもない。あっても天彦の記憶にはない。新規事業は大福だけ。実益も無事到着の報せを寄越している。何よりであるが、よってうまうまではまったくないが束の間の平和ではあった。
閑話休題、
さて、一般的には五山送り火で知られている観光イベント感の強い祭典だが実際は歴とした宗教行事である。だがあくまで宗派の行事ごとである。
たとえば大文字(浄土院/浄土宗)・妙法(湧泉寺/日蓮宗)・舟形(西方寺/浄土宗)左大文字(法音寺/浄土宗)・鳥居形(化野念仏寺/浄土宗)であることからも、浄土真宗にはまったく無縁の行事であった。
浄土真宗にはお盆だからといって特別な飾りつけや催しがなく、よって迎え火も送り火も提灯もないのであった。
というのも真宗では死者の霊魂は常に傍にあるものだから。らしい。
なぜ真宗ばかりをフィーチャーしたかはお察しであろう。菊亭には大阪石山本願寺・真宗のプリンスこと野生の細マッチョカリスマ氏が御座すからである。
「しょーもない。どいつもこいつも尤もらしい顔しおって」
「まあまあそう言わんと」
「お前こそがその最たる元凶やからな菊亭」
「節操ないんは持ち味やから」
「開き直るな! その考えは芯も軸もない邪道の考えや。思い直さんかい」
「多様性って言葉があんねん」
「ない」
「じゃあそれで」
茶々丸は千歩譲って控えめに見積もっても不機嫌だった。
不愉快なら来なければいい。天彦を筆頭に同行者の全員が漏れなく思ったことだろう。そして漏れなく誰ひとりとして一言もその感情は言語化せず、ぐっとこらえた。
それどころかそんな素振りさえ見せないのも偏に学習能力の賜物である。普通に厭やん、どつかれんの。
他人の心を一つにすること。茶々丸の履歴書に書ける特技であった。
大々的焚火イベントは六カ所の山を使って行われる。必然ベスポジも六カ所あり、だが天彦たちは法音寺に向かっている。法音寺のポジショニングの噂は耳にしたことがないはずである。
左大文字を見るには位置条件的に左大文字山が北正面に見える金閣寺が絶景ビューポイントなのだが、諸般の事情が勘案されよくも悪くも普通ポイントである法音寺が選択された。
一つは菊亭の噂と印象の悪さの事情。今や菊亭と訊いて真面に門戸を開いてくれる寺社さんは少ない。
そして二つに茶々丸の問題。家とは無縁と言いながら、ゆうてプリンス。そこのところは五月蠅い……のかと思いきや、いいや違う。
茶々丸はあまり宗派の拘りはない。よってこの法音寺菊亭臨行は単に天彦が気を利かせただけであった。
法音寺が比較的足を運びやすいという事情もあった。というのも法音寺は天彦たちが学んでいた寺社、禅林寺派の寺院であったのだ。
「なんや菊亭、ニヤニヤして」
「懐いな思て」
「ああ、禅林寺か。……まあ懐いな。アホばっかしやってたけど」
「それは茶々丸だけな」
「抜かせ。お前と、……お前は酷かった」
「いや身共だけ! もっとおったやろ」
「亜将はお前に引っ張られてただけやし、吉田は顔で笑いながら心で泣いとったし、長岡は訳わかってへんかったし二個一の有吉はただ鈍くさかっただけやし、石田は小坊主の分際でちゃんと批判してたし、大谷は石田に付き合ってただけやし、算砂はずっとよされてへんかった。土御門はお前に対抗心燃やしてただけで何もしてへんしそう言えば広橋ゆうのもおったな。なんも覚えてへんしどうでもええな。ほら見ぃつまりお前や」
はいはい。お仕舞いだよこの菊亭。悪いことの発信はみーんな菊亭。ずっとだいたいそうだった。天彦としては否定ももちろん肯定もしない。正義は人の数だけあるらしいから。はいギルティ。
史実に名を馳せる偉人たちの幼生体時代に出会ってテンション爆上がりしすぎてハリキリマンになってしまっていた黒歴史には一旦蓋をして永久に封印するとして。
因みに長岡とは熊千代のことであり未来のあの細川忠興である。そして有吉とは万助のことであり未来の有吉立行である。何より、
「忘れとったん」
「何がや」
「桂松や」
「大谷がどないした」
「どないもせえへんけど、佐吉には必要かなって」
「なんでや」
「さあ」
「お前。儂、久々に震えたぞ」
「あ、はい」
だが嘘偽りない心境だった。なぜと問われてもさあ。である。
桂松は天彦の一つお兄ちゃんで茶々丸の一つ年下の禅林寺学園同級生。仲良しかと問われれば首を一回捻った後に首を縦に振り直すレベルの仲の良さ。
つまり知り合いなのだがこの桂松が後の大谷紀之介吉継である確証もなければ大谷紀之介吉継が佐吉の大親友になるとも限っていない。
だた心持ち清らかな大人物になる素養が極めて高い人材なだけ。……いや大谷やのうても普通に欲しい人材やん。
「桂松の居所知ってるん」
「さあな。そやけど近江国人の倅やろ。仕官の行く当てなど知れとるやろ」
「織田さんか」
「普通はな。でもあいつちょっと普通と違ごたけど」
天彦は茶々丸の誘導する視線に釣られて首を振る。そこにはどこかそわそわとする佐吉の姿があった。ひょっとして。
「佐吉、お前知ってるんか」
「はい。桂松殿のことでしたら、某は今でも文を交わしております」
「嬉しそうやなぁ。好きなんか」
「はい。大谷殿だけは某を武家下がりの落ちぶれ小坊主と揶揄しませんでしたので」
「それは違うで佐吉。身共もや。身共も絶対にそんなことゆうてへん。神さんに誓ってもええ。訊いてくれる神さん居るんか知らんけど」
「あ、いや、殿は、その……」
「特別?」
「そ、そうです! 殿は特別でした、ずっと」
「ずっと?」
「はい。ずっとです。ずっと輝いておられます」
「そこまでゆうてくれるんか。うんうん嬉しいさんやなぁ。でも待て可怪しい。身共は佐吉からお手紙なんかもろてへん。あれ、あれれ……」
「ひっ」
「ひょっとして佐吉、身共より桂松が好きなんか。身共はこんなにも想ってるのに。なんでや哀しい、およよよ」
「う゛」
あばばばばば、ぷしゅー。
佐吉は起動停止した。
天彦にはこの時期にはぴったりの冷たい矢のような視線が突き刺さる。
その中でも一番は至近で侍る茶々丸のものだが、それ以外にも多く。こう見えて天彦は中々の人誑しでもあった。
いずれにしても桂松はゲットできそう。あちらさんが余程嫌ってでもないかぎりは。到着。
一行はそうこうイチャイチャしていると目当ての法音寺にたどり着いた。
「ようこそお越し下さいました」
「御住職さん自ら出迎えとは恐悦至極におじゃりますぅ。また大勢で急に押しかけてのご迷惑、この場を借りてお詫びさんにあらしゃりますぅ」
「何のこれしきのこと。勿体ないお言葉を頂戴いたしまして恐縮頻りにございます。参議菊亭卿ご来臨とあれば当然の仕儀にて。立ち話もなんですのでどうぞお越しくださいませ」
「おおきにさん」
菊亭一行は天彦がここ最近感じたことのない、畏怖とも違うけれど恐怖ではけっしてなく、なのに下には置かない感情で丁寧に迎え入れられるのであった。
◇
「与六ですやろか」
「与六やろな」
「うん、与六や」
法音寺が気を利かせてくれただろう。主殿天守に三席だけ特別席を設けてくれた。菊亭はすでに序列が定まっている。天彦は悩まず上位から二名を指名してありがたく特別観覧席に招かれ、最上位である雪之丞と序列二位の茶々丸とで今や京の最先端料理である仕出し弁当を頬張りながら左大文字の点火を待った。
この好待遇。普通に考えればあり得ない。菊亭を嫌いこそすれ遇するなどどの寺社にも得などないので。すると可能性はただ一つ。袖の下の鼻薬、一択であった。
この三人が異論なく同意した人物こそがこの好待遇を差配した人物であると目されていて、住職に鼻薬を嗅がせた人物であり主君の面目を立てようと僅か二日前に決まった臨行にも万全を期した家来の中の家来であろう。答えが正しいかどうかなど天彦にはわからない。訊ねないし本人も申告などしないだろうから。
だが与六は事実としてここ最近精力的に活動していて、与六のステータスゲージが見えている天彦をして目を見張るものがあったのだ。
たとえば収入面に関しても積極的に意見している。家領の見回りも申し出ているし関所の設置も自前の資料を揃えて具申している。とにかくやる気に満ち満ちていて精力的なのである。まんじ嬉しいん。
「あれは武官志望やが儂の下にもらいたい」
「みんなさん欲しいん」
「あかんのか」
「ええさん」
「なんや珍しい。……さてはまた企んどるな」
「勘繰りすぎや。身共は与六の能力を知って、ちゃう買っているだけさんやで」
「そういうことにしといたろ。……はぁ!? おい待て朱雀、なんや今の」
「#%$&%$」
「ゆえてへんやんけ。おい儂のハモ盗ったやろ!」
「盗ってませにょ。もぐもぐ」
「おまっ……」
「ごくん。美味しかった。梅肉たれ好物ですねん」
そんなやつ居らんねん。
茶々丸は梅肉ソースを顎先に付けてお口をもぐもぐさせて否定しながらも好物とほざく雪之丞に向かってポツリ言う。キレ気味だが拳はふるわれなかった。
するとややあって、その茶々丸がどこか言いにくそうな雰囲気を纏う。長い付き合いの天彦はすぐにその異変に気づき呼び水を差してやることにした。
本当なら家来相手にはしない応接。だが依怙贔屓は天彦の十八番である。
「茶々丸。里帰りはどないやったん」
「お、おう……」
「身共は何でも受け入れるで。もう弱かったあの頃とは別人やと思うてくれてええのんやで」
「見栄を張るな見栄を。……でもまあ、あれや。すまん菊亭」
天彦はピンときた。茶々丸が自分に詫びることなどない。その逆は大いにあったとしても。仮にあるとすればそれはただ一つ。関係性を断ち切る覚悟を決めてまで決行した勾引かしのあの一件。あの一件に関する天彦の考え関連一択であろう。
なぜああも強硬だったのかの事情は一切明かしていない。だが聡い茶々丸なら感付いているだろう。
少なくとも薄々感付いているはずの茶々丸は、天彦が自分と実家との関係性をよくないものと考えていることは承知している。そして先の里帰り。茶々丸は石山本願寺に一時帰宅していた。盆とかそういうことではなく、単に話し合いの一環としてらしく。本当かどうかなど天彦にはわからない。どうでもいい。だがつまりそれ。天彦は先手を打った。
「家を継がへんと申し出て、交換条件出されたやろ」
「お前……」
「教如光寿」
「なっ」
図星を突いた。どころの予言ではないはずで。
ずばビタ過ぎてさすがの茶々丸でも言葉を失くして絶句のまま固まっていた。
天彦はくすくす笑う。その失笑で茶々丸も気分を持ち直し立ち直った。
「すごい?」
「えぐい。……相変わらずえげつない星読みや」
「うん。身共もそう思う。でも茶々丸、ええやん名前くらい。ええ名前やし、ただやゆうんやったら貰うとき教如光寿」
「……ええのんか」
「ええよ。茶々丸は茶々丸。それに茶々丸やのうなっても身共はもう間違えへんのん」
「嘘をつくな嘘を。お前みたいなもん一生間違うとるやんけ」
「うん。でも間違えへん。茶々丸」
「なんや」
「一緒に死んだる。身共の悪名はもうこれ以上ないほど轟いてるん」
「っ――、ほ、ほざいとけ」
菊亭のくせに、……生意気なんじゃ。
つぶやく茶々丸だが語尾に力はなく消えゆくような震え声だった。
これで終われば美しい。記憶として友情の一頁に刻まれたことだろう。けれどなのに、この場には様式美クラッシャーボム氏がいたのである。
「あ。若とのさん、それ実益さんにもゆーたはりましたね。某どっかで訊いたことあると思うてましてん。はーすっきり」
コロス。
氏ぬ?
茶々丸がゼロ距離で睨みを利かせ、天彦はお構いなしに雪之丞に呪詛の念を送り続けた。
「おいコラ菊亭、お前の命はなんぼあるんじゃい」
「五機です」
「あるかい! そもそも機ってなんや機って!」
「デスヨネ」
ゴン――ッ!
ぬおぉぉおおおおおおおおおおおお――。
天彦はまるで瓦割りのように頭をどつかれ秒で四機を消失。ラストの一機も頭を抱えてのたうち回ってコンティニューが有効になるまでには相当の時を必要としたとかしないとか。
「ぐすん。痛いん。お雪ちゃん、なんで言うん。信じられへんねんけど」
「信じられんのは儂や」
「あ、はい」
だが雪之丞はあっさりと返した。
「こうして三人でお舟形の送り火を見たなぁと思いだしましてん」
「……そういえばあったん。懐いさんやなぁ」
「そのとき若とのさんが実益さんにゆうたはりました。世界をまたにかける大商人になるから、そのお船に乗せたるとゆうて。実益さんをえらい喜ばしてはったん某よう覚えてますねん。あんなわくわくしたん後にも先にもあれっきりありませんわ」
あった。そんな時代も。でもあれ以外にもあったと思うで。わくわくは。
雪之丞の夢を壊すようで恐縮だが、あれは戦国公家大名になろうと力む実益の目を逸らすための方便。本気度は一ミリもなかった。今もない。90%くらいの確立で海に飲まれてお陀仏だから。
だが夢としては悪くない。壮大だしロマンがある。引きも強い。よって使わせてもらうことにした。たぶん使えるだろうから。特に魔王さんとの会話では。
天彦がそんなことをつらつらと考え込んでいると、
「ちゃんとゆうてくれた方がやりやすいから訊くぞ。菊亭、撫子の件は折れたんやな」
「うん。折れてはないけど受け入れはした。どうせ十年後やし今からじたばたしても気が長い話やし」
「そんなわけない」
「なにが」
「十年後のわけないやろ」
「あるやろ」
「お前、正気か」
「なにが。むちゃんこ正気の塊やん」
「どこがやねん。一個も受け入れてへんやんけ」
「ほなそれで」
「おい。それはあかんぞ」
政所扶になった途端、急に五月蠅いのは無視することにした。そのとき、
「お、火が灯った! 若とのさんほら」
「ほんまや付いたん。ほらほら茶々丸もカリカリしてんと見てみ。ごっつい大さんや」
「ふん。しょーもない」
「茶々丸、こんなときだけはピキらせんと、な?」
「誰がピキってるかい」
「お雪ちゃん、どう」
「むちゃんこピキってはりますやん」
「黙れ朱雀、シバくぞ」
「はい。黙ります。でも綺麗やわぁ」
「ほんま」
雪之丞の場の空気を全く読まない溌剌とした声にちょっとだけ救われる天彦であった。
頑張りや、実益。
放っておいてもガンバル、左大文字の延長線上彼方にあるだろう伊予の大親友を想いながら。
【文中補足・人物】
1、五山送り火
かつて室町では十カ所で行われていたらしい。だが調べるのが困難なのとめんどいのとで作品では便宜上六ケ所とした。ごめんね。整合性絶対気になるマンな方は各人でググってみて。
2、人物多数。
時間が許すかぎり埋めてユキマス。
最後までお読みいただきありがとうございます。誤字報告いつも大変感謝しております。心からありがとうございます。
さていかがでしたか。ほっこり回ですが伏線多数散りばめております。生意気にも。
いろいろ仰りたいことあると思いますので感想欄にて対戦お待ちしておりますぜひ。むちゃんこきゃわと思われた方は高評価の方何卒ぽちってやってくださいませ。ポンコツ雑魚なめくじはうっはうっは言いながら喜ぶと思いますので。それではまたごきげんよう。