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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
七章 八面玲瓏の章
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#07 やはり野におけ蓮華草

 



 永禄十二年(1569)八月十日






 お膳立てのすべてを台無しにした日の夕暮れ刻。そろそろ陽が陰ろうかという日入暮六つの鐘が鳴ってからしばらく。


 天彦は自室対面にある定宿の中庭を臨める雑魚寝部屋から階下を見下ろしていた。興味を惹かれずにはいられないたいへんおもしろい出し物が繰り広げられていたので。

 面白いは不謹慎か。だが男子たるもの無手で己の持てるすべてを繰り出し格闘するシンプルどつき合いにはどうしたって心躍ってしまうもの。

 ということで天彦は絶賛階下中庭で繰り広げられる血沸き肉躍るあちあちの熱戦を観戦しながら手に汗を握っていた。こっそりと推しの勝利を祈りつつ。


 そんな天彦の手元には一枚の紙きれが。

 この血判付きの何やら不穏な紙切れは、どうやら請願書らしかった。

 もちろんご丁寧に請願書とは書かれていないが内容としてはまさしくそう。菊亭にそんな家法はないのだが勝ち残った勝者にはここに書かれた権利が発生する仕様のようである。なにせ権利発生を認めよと認められているので。どこか威圧的な血の印まで押されて。


 天彦も戦国室町の住民である。べつに落款でええやんとは思わない。わざわざ痛みを伴う真似するんあふぉやんとも思わない。粋を生き様とする公家としても無粋だし侍の純情を貶すのは違うと思うから。いくらDQN侍であっても。いやDQN侍だからこそ自尊心は人百倍高いので触ると火傷で済まなそう。


「血とかきっしょ、殿様に何押し付けとんねん。花押と落款でええやん」


 言った。


 誰に求められているでもなく何ならむしろお叱りを受けることの方が多いのに、天彦は今日も今日とてよろしくお願いいたしますの精神で世界に向けて笑いとスベリをお届けしてさて。


 という性質の書面なので紛れもなく天彦へ向けた請願書に相違ない。

 つまり眼下で繰り広げられている決闘はこの請願書の行使権を賭けた死闘であるらしかった。おいて。訊いてへんねんけど!?


 最近わかってきたことだがDQN侍は己の行動の許可を取らない。決めるのも実行に移すのもすべて己の独断と偏見。すべて結果で示してくる。

 ダメなら腹を召せばいいじゃん。そんなノリでいともたやすく命を無駄使いして。

 天彦としては追認するしかなくなってしまう。ほんとうにこれで家来といえるのだろうか。思ったり思わなかったり。


 裏を返せば本来なら天彦に全フリされる責任を勝手に分担してくれているとも受け取れる。つまりそういうことなのだろう。今回の決闘騒ぎも……。


 何かぐちぐち零していても、どうせ面白そうだからという理由だけでほとんどの稟議に判を押すので天彦の感情は放置するとして。

 請願書行使権争奪戦へのエントリーシートに記載されている名は四名分。そこには高虎、氏郷、且元、与六の名が記載されていて、要するに勝者には菊亭家政機関の一部門である侍所の扶(次官)の地位を与えよとのことであった。


 これには天彦の落ち度もある。いや落ち度しかない。けれど当人の名誉のために付け加えると片手落ちを嫌った配慮の末の落ち度なので悪意はない。断じて。

 今回の家内新制度。天彦なりに配置にはかなり配慮していた。他はさして悩まず決められたが侍所だけは苦心したのだ。四名までは簡単に絞れる。誰もが認めるところだろうから。だがその四人の選別となると一気に難易度が跳ね上がってしまう。

 誰もが認めるということは即ち、四人のうち誰を選んでも武官青侍衆の誰からも文句はでないだろう逸材揃いという意味でもあるのだから。


 人格、人柄、器、実績、貢献度。どれをとっても比肩する。

 敢えて格差をつけるのなら、家格であろうか。且元はすでに万石取りの大名格扱いの侍である。

 しかし家柄や格で決めると禍根を残す。あるいはならば国を盗って参ります。しばしお暇を頂戴とか何とかまぢに出奔しかねない。それはとても困ってしまう。


 何より天彦自身がその査定での人事考課を嫌っていた。

 それは個人の能力値の正しい評価基準とは言い難く天彦的にも近視眼的な今の判断基準でしかないと感じてしまう。この四名はいずれも甲乙つけがたい傑物揃い。氏郷にいたっては百万石取りの大大名になる世界線だってあるくらいなのだから。


 ならば天彦個人の趣味で適否を決めるのか。それはできない。愚かすぎて。与六が反感を買ってしまい家内に暗雲を呼び込んでしまう。

 よって思考は堂々巡り。結果的に最善手が導き出せなかった天彦はずるいようだが当主の権利を放棄した。

 つまり候補手としては次善の次、三番手あるいは四番手くらいの手渡し策を採用し、四名で話し合って決めろといい置いたのだ。


 その結果、壮絶なシンプルどつき合いが採用された。天彦には結果を見届ける義務があった。楽しんではけっしてない。




 ◇




 壮絶な四つ巴の果し合いは彼是十分以上はつづけられている。体感でだが。

 だが四人でのデスマッチは決着がつかない。この四人形式がよかったのか悪かったのか、誰かが決定的な場面を作り上げるか陥ろうとすると別の誰かが割って入ってその局面をご破算にしてまた乱戦に拍車がかかった。むちゃんこおもろいん。


「あれ、死なへんよな」

「あの化物どもが? はは、そないなったら逆に魂消る」


 天彦の誰に向けるでもない切実なつぶやきにレスがあった。

 予想外の反応だったが天彦は声の主に視線を向けることなく階下に臨む体勢そのままで背中越しに言葉をかけた。


「お人は簡単に壊れるものやで」

「あれが人。ちゃんちゃら可笑しい」

「ほーん。つまり茶々丸はそれぞれと一あたりはしてるんやな」

「勝敗訊いたらしばくぞ」

「うん」


 本当にしばいてきそうな気配がひしひしと伝わってきたので訊くのはやめた。むちゃんこ弄り倒したいけれどぐっと堪えた。

 だが如何な野生のカリスマ細マッチョでも、暴力を生業とする本職のDQN侍には敵わなかったということか。少しではない嬉し味が込み上げてくる。

 江戸の仇を長崎で取る嬉し味である。そういえば長崎参らんと……。


 ぼんやりラウラを思う天彦は茶々丸の言ったも同然の返事に軽く苦笑いを浮かべるにとどめて、また意識を眼下に預け渡す。


「うわっ。えぐっ、茶々丸あれ反則と違うんか!」

「阿呆を言え決闘に反則なんぞあってたまるか」

「ぐぬぅぅぅ、高虎め」

「おい声を抑えろ」

「あ、うん」


 天彦が固唾を飲んで見守る先の熱戦は当初こそ互角の熱戦で移行していたのだが、次第に優劣が付き始めていた。

 戦局は高虎と推しの一対一の局面となっていた。且元と氏郷が場を譲った形である。与六のあまりにも凄まじい気迫に気圧されて。少なくとも天彦の目にはそう映っていた。


 だが推しの劣勢は誰の目にも明らかである。天彦の欲目でさえ曇らせることができないほどに。

 しかしそれはおそらく技量とは違うベクトルの優劣である。天彦は素人ながらもその思いを強くする。

 何しろ体格差がありすぎた、劣勢を余儀なくされている与六は五尺(151センチ)。あっても精々プラス一寸(154センチ)。対する優勢間違いない高虎は実に六尺三寸(191センチ)の恵まれた体格を誇っている。


 こんな勝負はノーカンや。天彦は声を大にして訴えたい衝動に圧し潰されそうになっていた。

 あまり目立ってはいないが氏郷と且元にしても五尺八寸(175センチ)である。欠食児童がデフォの戦国室町にあっては彼らでも十分に巨人勢であったのだ。


 よって誰と対戦しても推しの不利は明らかであった。だがこのスーパーヘヴィ級とミニマム級の圧倒的な体格差は将来に亘って立ちはだかる壁ではない。

 与六10才、他三名はいずれも第二次性徴真っ盛りの15才である。よってこの5才差は永遠ではない。いずれ必ず埋まる差である。だから負けても恥じることはない。


 与六。もうええんやで。


 ずた襤褸のめっためたになっても立ち上がり立ち向かっていく与六の姿に心打たれる天彦だが、現実問題として決闘は今行われている。お互いが成長を終えるまではずっとあり続けるハンデを克明にして不利側に重く圧し掛かって。


 官の側の天彦が判官贔屓をするのも可怪しなことなのだが、やはりどうしたって感情は不利を強いられても奮闘する同級生戦士に送りたくなるとしたもの。

 あるいは家臣に差はないとはいえ目線は正直さを隠せない。意識せずとも感情を映してしまい推し一人に向かってしまう。


「行け与六っ――!」


 もはや感情も隠せない。それほど与六の奮闘は胸を打つものがあった。


「おい菊亭、当主が依怙贔屓してええんか」

「知らん。でも政所のすけさんがゆうんや。あかんのやろな。ほなどんな場面でも茶々丸の応援はしたらあかんな。ぐすん身共哀しいん」

「おまっ。ばんばん依怙贔屓したらんかい。行かんか与六っ、当主の仰せや根性見せたれ!」


 どっとは湧かない。茶々丸がおっかなすぎるので。だが大部屋はじんわりとした温かみに包まれる。

 天彦の打診を受け入れ菊亭政所次官職を受け入れ、実質的な政務ナンバー1ポストに就任した茶々丸の姿勢方針のような秒速の翻意に、このやり取りをこっそり盗み聞いていた大部屋の家人たちは苦笑いを隠せないのであった。


「話しは違うが菊亭、またやらかしたらしいの」

「お雪ちゃん!」

「……儂、なんもゆうてへん」

「身共の情報が筒抜けたら、それはもうお雪ちゃんと相場で決まってるんや! くそお雪ちゃんめっ」

「朱雀あいつ。妙に食い下がるから黙っておく約束交わしてやったのに、ひとつも意味ないやんけ」


 あの口止めに何の意味があったんや。


 意味がないからこその雪之丞なのだが、まだ付き合いの浅い茶々丸には気付けない。

 ましてや基本ぼっちで人を寄せ付けなかった天彦ほどの用心深い腹黒策士が認め重用するほどの人材であり、東宮ほどの慎重を期される高貴なお方がお認めになられたというバイアスがかかり、プラスむしろ裏を読むことを習慣づけている茶々丸には一生気付けないかもしれないけれど、お雪ちゃんはただのポンコツ。


 天彦から言わせれば凡骨かわいい菊亭一の家来なのである。いずれにしたって言動に意味を求めてもしんどくなるだけ。

 しかも意図して嘘をつかないので信頼度が異様に高い。それは隠しごとの多い天彦にとってはかなりのマイナス材料だった。


「いやお雪ちゃんて!」

「菊亭、おまえ。どえらいもん重用しとるな」


 呆れを通り越しやや引いてしまっている茶々丸だが、これで彼も学んだだろう。雪之丞の天然培養凡骨っぷりには気付けなくとも、雪之丞の悪癖には気付いたはず。そういうこと。雪之丞はおしゃべりさんなのだった。

 善悪はこの際問題視しないとして雪之丞の口はドナルドヘリウムガスよりも軽いのであった。お仕舞いです。実際他所のお家では終わっているだろう。


 だがここは菊亭。雪之丞は終わらない。むしろいつまでも我が道を貫き驀進することが許されるのである。


 とはいうものの可愛いとしんどいは同居はできるが相部屋はできない。実は苦情もそうとう出ている。家内ばかりではなくお外からも。あるいは外からの苦情の方がおおいかもしれないが、多いのだ。雪之丞への苦情が。


 だが不問。一切不問で聞き流される。聞きはされるが流される。有罪無罰の法則はそれが適用される天彦以上に、本来代わって責任を負うはずの家来の雪之丞にこそ適用されるハウスルールが大手を振って闊歩していた。


 それもこれも天彦が雪之丞を大好きすぎて、すべての欠点も愛してしまっているからである。はい依怙贔屓。

 菊亭では美談として受け入れられ一切語られない主従の絆でも、部外者には依怙贔屓としか映らないはず。だから外からの苦情は尽きない。

 よってこれも小さな依怙贔屓の一環である。そうすると天彦はすでに偏った采配を揮っていることになるのだが。えと、拘りの意味は……。


「そんなあれこれ噴出してた不満も、永代別当就任と朱雀家名襲名の一撃でひっくり返してもうたもんな。お前のお気には」

「うん。意外性は知ってたけど、ちょっとビビる」

「お前が驚いててどないする」

「いや驚くて。ほな訊くけどお雪ちゃん以上の意外性あるお人さんおる?」

「まあそれに関して異論はないわな」


 そやけどアレはそうは行かんぞ。

 茶々丸が低いトーンで言い放った。まるで天彦を脅しつけるように。

 今や欠かせない一大勢力となった射干党。その郎党のほとんどすべてが蒲生の名を叫んでいた。神を一とする絆なのだろう。氏郷推しは明らかである。これで不当な決定でも下そうものなら天彦への忠誠はどうなることか。たとえ揺らがなかったとしても茶々丸からすれば無用な不安。理解した上でちゃんとせえとしか忠告できない。万が一天秤が悪い側に傾いたらお仕舞いなので。


「ちゃんとせえ。間違えたらめんどいぞ」

「うん。わかってるん」


 だが天彦の表情には一切の紛れがなかった。

 それは多くの者の目に、もうすでに何か一つの答えを決意している。そんな感情を髣髴とさせる表情に写っていることだろう。

 事実天彦は天彦にしては珍しい決然とした晴れの表情を浮かべていた。


「ほな参ろうか」


 天彦は茶々丸を階下に誘う。


 茶々丸は無言で応じる。二人は足並みを揃えて、四人が四人共に全治一カ月は下らないだろう激闘の末、クアドルプルノックアウトして完全に伸びてしまっている中庭に向かうのだった。















お読みいただきありがとうございました。

よろしければ引き続き後半部分もお楽しみください。

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