#16 変調は覚られたらお仕舞いです
永禄十二年(1569)七月二十五日
大前提、人は一生わかり合えない。
これは極論かもしれないが天彦の経験則である。あるいはケーススタディによって導き出された天彦視点の結論なので異論は訴えてもいいがあまり意味がないと思われる。とか。
よって何が言いたいのかと言うと旗幟を鮮明にすることは得策ではないと言いたいのである。
この主張、生き方のカッコ良さとはぜんぜんまったく比例しない。だが争点を作るとすぐピキるやつのなんと多いこと。そのドマイナスを考えると態度の表明はたしかに下策であろうと思われる。
思い込みの激しすぎるDQN侍が跋扈し自分たちの利得しか考えていない寝業師貴族が蠢くこのイカレタ戦乱の世の中では特に。
どんな意見も所詮はポジショントークに過ぎず、単に複数ある真実の一つに過ぎないのに。
ねえみんなさん必至すぎん……?
と、小首を傾げて上目遣いで煽りがちに。身体ごと意見を斜に構えて傍観者を気取る柴イヌ眉こそ一番の寝業師であり一番の悪党なのだが。悪党はさすがに悪意があってしまうか。
ならば同情的に格下げし小悪党として。いずれにせよ描き眉の出来栄えで一喜一憂する小物兼小悪党はしかも戦国で一・二を争うDQN中のDQNを多く抱えていて野心だって見方を変えれば贅沢極まりなく人一倍持っている上に、熱々の戦乱風呂にどっぷり肩までどころか口元まで浸かっている、くせに。
自分から浸かりに行ってるんとちゃうもん。身共は無難に生きたいもんと常に他責思考で予防線を張りつつお得意の逃げ腰スタイルで臆面なく、方々への義理事ご挨拶回りという名のご機嫌ポイント稼ぎ伺いに忙しなく汗を掻いていて午前中早くからずっと不在である。
天彦から言わせれば主義である格調高き悪巧みにはそれなりに手間も暇も銭もかかるということなのだろうけど、残された家人用人はたまらない。震えるほど不安だしどうすればよいのかさえ訊かされていないのだ。その感情も尤もであろう。勝手な真似もできないし。
いずれにせよ天彦はホームを離れて事実を探しに旅に出た。
事実として実際に「身共は事実を探しに旅に参るん。後は任せたでお雪ちゃん大楽さん」と言い残していつものように言葉足らずでとっとと本拠を後にして外回りに出てしまっている。
菊亭家中の動揺は著しいが天彦的には今後も長く親方実益不在の京で暮らさなければならないのである。必要な経費で不可避の通過儀礼という程度のことなのでとくに指示は出さずに出た。この温度差こそがあるいは菊亭の弱点になるのかもしれないが今は後。簡単に言うならギルド発注のランクアップクエストである。天彦とて心にそれほどのゆとりはない。余裕ぶりはするがまあまあ必至のガチョウなのである。水面下で足掻く。
そしてこの行動に名を付けるなら“お金持ちと権力者と後世に名を遺す傑物にはいい顔しないとねドンマイの巻”。
よって天彦不在の菊亭ホームは本日、途轍も凄まじく大盛況。それはそう。
朝廷を二分していた巨大派閥の領袖が帝の勅勘を食らって追放刑に処されたのだ。大騒動でない方がどうかしている。
ということで引きも切らずにやってくる訪問客の応接で、てんやわんやの菊亭家人たちは上に下にと目をぐるぐる回して駆けずり回っているのであった。
◇
権威とは風習であり因習である。延いてはノスタルジアなのだろう。この仮説に関しては何の論拠もない。だが権威の失墜またはその制度の崩壊はたとえ部分的であってもそれにぶら下がっている者にとって運命を左右するほどの一大事なのである。知らんけど。
何であろうとノスタルジアに囚われた人たちの何と狭量なことか。
亜将実益凋落の一報を受け、今朝方から菊亭仮宿陣屋には引きも切らず訪れる様々な筋からのご機嫌伺い的な来訪客で満員御礼。
それら客のほとんどが筋悪の客だった。たとえば貸し剥がしの銭貸し土倉だとか、同じ西園寺閥の同門だが顔と名前も判然としない小物の無心だとか。
あるいは普段菊亭に押し込まれているやっつけられ寺社勢や座勢の、怨敵弱っている今ここぞとばかりの反攻だとか。
いずれにしても善い筋の客はゼロ。たまらなくダルかった。そんなのばかりでうんざりとほほなのである。
「その件に関しては某では決断できぬと申しておる」
「何遍も申しますけど、ほな決断できるお方を出してもらいまひょか」
「まひょえぬ」
「……長野様。わてら大阪商人舐めて貰うたら困りまんなぁ」
「けして舐めてはござりまひょん」
「そ、それが虚仮にしてへんかったら何が虚仮にしてまんねんっ!」
舐めていた。そして、
「知らん。己で考え。おい警備隊この阿呆は声を張った。応接はこれまで退場させよ」
「はっ。――おい貴様、式部大丞様に無礼であろう。話は我ら青侍警備隊が訊く。ついて参れ」
「な、そんな、……長野様、友と仰って下さったではございませんか」
「知らん。引っ立てい。この無礼者をいつもより余計に可愛がってやれ」
「はっ仰せの通りに」
「そんなああああああ――」
術中だった。
だが是知の対応はマニュアル通り。マニュアルを策定した人物の性格の悪さが浮き彫りとはなっているものの、この流れはある程度想定されたのでこの手の貸し剥がしはすべて徳蔵屋を通す算段となっていた。むろん応接は間違っているけれど。
是知は単にムカつくので虚仮にして帰しているのだろう。場を仕切る本因坊氏も個別対応を勧めていたし。とか何とか嘯きながら実に是知らしい是知の考えそうな小気味良くもなく小癪でさえない、けれど確実に地味に効く仕返しを連発する。
あるいは一方場面変わって、正義感検定一級のお人はといえば、
「拙者は遅滞なく返却するのが筋だと申す、其方の考えに賛同致す」
「でしょう。さすがは参議菊亭家家中一の良心様。よくぞおわかりで。でしたらお返しくださいませ」
「良心などと面はゆい。撤回願えぬか」
「え」
「撤回していただきたく」
「……撤回いたします」
「うむ忝い。返したいのはやまやまである。だが当家の蔵には銭がない。と聞いておる。某もそう考える。当家の財務は笊故な。だが今から財務改善するもその方の申し出には間に合わぬであろう。ならばどう致すのか。共に考えようではござらぬか」
「あ、……そういう」
「そういうとはどういうでござろう。さあ土倉、いざ尋常に参らん」
「あ、はは、あはは」
「何が可笑しい。妙案でも浮かばれたか」
「嗚呼、仏様! あのね石田様、こっちだって可笑しいことなんかぜんぜんありませんよ」
「ならばなぜ笑うのか。如何」
「泣きたいです」
「なぜ泣きたい。如何」
「ぐすんぴえん」
「む。これ心証が悪いではないか。即刻泣き止まれよ。如何」
無垢なる目で真っすぐに詰めてくる佐吉まじコワい。常にガチ勢まじウザい。
泣かされる女銭貸しのそんなボヤキが聞こえてきそうだが、そんな女土倉の姿に順番待ちで背後にできていた列がさっと霧散した。
このように嬉しくない客対応に追われる菊亭家人一同はうんざりげんなりしながらも、兎にも角にも意味がわからないなりに家人総がかりで当主不在の任にあたる。貸し剥がしに来た土倉にとっていずれが担当であれば幸運なのかはわからないが。
一方、そんな中にはむろん菊亭一の御家来をオフィシャルで自称するお方の姿も見受けられる。
「大楽様。あの場面での大欠伸はさすがにさすがですぞ!」
「ほな欠伸さんにゆうたってんか」
「なっ」
無敵の大楽にして菊亭一の御家来さんでお馴染みの我らが植田雪之丞であった。
誰もがよせと引き止める中、うるさい某は大楽やぞ。と家中一高い地位と重い信頼を前面に押し出して強行して窓口担当役に就いていたのだが。
それこそ無い漢気を張ってでもやり遂げなければと出端こそ意気込んでいたものの、数度の応接で現実と直面しすっかりやる気の失せた顔を隠すことすらしなくなって久しい状態に陥っていた。
他が五件捌く間に一件のペースで捌くのがやっと。案外性格は几帳面だから。
嘘をつけ嘘を。そんなツッコミの大合唱を伴奏に、しかも余計な人員も割かせてという無茶苦茶迷惑を炸裂させつつ、ようやく一段落付けて小休止。
終えて対応の反省会が始まるまでがこの菊亭一の御家来さんチームのルーティンとなっていた。
「如何な殿の御寵愛著しい大楽様とは申せ、聞き捨てなりませぬぞ」
「ほな捨てんかったらよろしいやん。あと寵愛って気色悪いからやめてな。若とのさんもようゆうたはるし」
「なっ――、何ですとぉ! 何かにつけて大上段に、と、殿の、殿のご、御寵愛を、いったい何と心得るのかっ」
「大きい声を出さんといてんか。ご近所さんに迷惑やろ」
「あなた様は、あなた様が……」
「なんやその言い草は。まるで某が大声出させているみたいやないの」
「みたい!」
と、ふぁーあぁあ。
またぞろ雪之丞は大欠伸を繰り出した。
「ぐぬぅぅぅ許すまじ」
「まあまあ兄上、少し落ち着かれませ」
「これが落ち着いてなどおれるかっ!」
その大欠伸の雪之丞を口から泡を飛ばして必死に非難しているのは主計介吉田孫次郎意庵である。むろん意庵はその脇に従弟である大膳大進岡村勘八郎を従えて。
幸か不幸か不幸か大殺界か。お役を任じられれば熱心以上に取り組まざるを得ない性質が災いして雪之丞の補佐役に任命された意庵は、菊亭家内ではすっかりお馴染みの吉田家ツーマンセルでこのどうしようもない城代を補佐しているのである。
雪之丞、意庵、勘八郎の三個一はここ最近菊亭家内ではよく目にするトリオであった。
これが城代とか(笑)
聖夜の出来事を知らぬ外様の算砂からすれば噴飯もの。実際に内心の侮蔑を隠さず露骨に皮肉を込めて冷笑するが、あの一件を知っている多くの家人たちからすれば至極妥当な適材適所の配役であった。誰ひとりとして雪之丞を笑ったりはしないのである。
「ずずず、なんや屑茶葉やないか。なあ用人さん、もっとええのんないのんか」
「ございますがございません」
「頓智? 面白そうやなよし解いたろ。あるのにない……うーん。参った」
「でしょうね。ただの嫌味ですので」
「ひどっ」
イジリはするが。それも貴族でさえない家内でも序列の低い最下級の用人さんが。
「ちょうどええさん。与六ええとこに参った!」
「参ってはござらぬが、どうなされた大楽殿」
「うん、あいつクビにしてんか」
「それは穏やかならぬ言。現状可燃性の高い言動は控えられよと御諫めせねばならぬところだが、いったい如何なされた」
「某にはいい茶葉を出さんと申しおった。それも嫌味やと申しおったんや」
「なにを。それは捨ておけぬ、おい用人、この言は誠か」
「はい。確かにございます」
「む。何故じゃ」
「働かざる者食うべからず。お殿様が常からそう仰せだからにございます」
「貴様は言に従ったと。ならば正しい。……大楽殿、なぜ目を逸らされる」
「あ、うん。もうええわ」
「ほう。この大膳亮樋口与六兼続をわざわざ呼び止め手を止めさせておいて、小僧の遣い扱いを致すと。貴殿はそう申すのだな」
「う」
くすくすくす。
「あ。与六の意地悪や。意地悪やっ!」
「二度も申すな、人聞きの悪い」
「ほな何よ」
「何でもよろしい。大楽殿は大楽殿の流儀でお気張りなされよ。それでよい」
「うん。そないするん」
「おい用人、高級茶葉をお出しいたせ」
「はいすぐにお持ち致します」
「ちょい!」
身分の高い家人も同様に。笑いはしないがイジリ倒した。平和かな。
いやたしかに御家の一大事は不穏である。だが雪之丞の周囲だけはいついかなる時も愉快に寄っているのであった。
「ずずず。美味しい。お茶とはこれや」
「手を抜かれていいのですか。あらほんと、美味しいわね」
「ええやろ。茶菓子も呼ばれ……って、もう食うとる。あははおもろ」
「ぱく。……おいひいです。むしゃむしゃごきゅんご馳走様でした。そんな覇気のないことでどないするんですか大楽さん」
「そこ付いてるで。うん取れた。どうせ某など物の数には含まれてないし」
「そんな諦め口調、大楽さんには似合いません。お気張りやす」
「そっか。というよりお前だれ、誰さんおまえ」
用人はうふふと笑ってお盆を取り上げ言葉なく去っていった。
雪之丞が気合の乗らない理由もわかる。なにせ訪れる者の多くが拒めないだけで招きたくない客筋ばかりなのだから。
早ければ早く来る客ほど顕著に見たくない顔ぶれだった。時勢に機敏な者ほど性格がアレとしたものだから。
尤もそれでもまがりなりにも菊亭は殿上家で公卿。誰も彼も表面上の無礼は控える。だからこそ雪之丞には難解だった。もっとストレートに来てくれたら彼にだって対応はできた。グーとかパーとかチョキとかいろいろ。
そんな愚かしくも和やかな場面を目にしていた坊主頭コンビの片一方の陰険策士は、怜悧すぎる相貌の象徴的な目を眇めて小さくつぶやく。
「あなたほどの人が。……天彦、なぜアレが城代なんだい」
「菊亭の考えなぞ誰にもわかるかい」
っ――。
すると背後から思わぬレスがあり一瞬ぎょっとして振り返る。
朝方から姿をみせなかった悪坊主頭コンビ片割れのカリスマバイオレンス氏の不意の帰参合流である。
因みに茶々丸は家来ではない。あくまで客。中華風にいうなら食客である。そういうテイ。単に茶々丸の心の整理の問題で実質は家臣である。
二人は並んでわちゃわちゃと騒々しい応接室の応接風景を眺めながら近況を報告しあった。
概ね情報交換を終えて会話もお仕舞いかと思われたところで、算砂はかなり深刻な表情で冒頭のつぶやきを補完するような話題を持ち出し茶々丸に問いかける。
「でもアレは掛け値なしの阿呆だろう」
「まあな、そやけど阿呆にも種類があるんと違うか。儂はちょっと曰くがあって根性を知っている分ただの阿呆とは思わんがまあたしかに。こういったお役目には合わん男ではあるな」
茶々丸は何があったのかは伏せて雪之丞を擁護した。茶々丸も阿呆は嫌いだ。むしろ積極的に排除するタイプである。だが逃げず立ち向かう男はたとえ弱くとも嫌いではなかった。
「ふぅん。買っているんだね。意外かも」
「そんな腹黒策士は人さんのアレコレ詮索して何をしとるんや。なんやお前だけ暇そうやの」
「私が暇? はは、まさか。これも立派なお務めさ」
「将来の不安の芽を勝手に査定して勝手に刈り取るのんが立派な務めか、ご苦労さんなこっちゃで」
「ほう近衛家の猶子殿は言うことも違うね。はは、さすがだ」
「なんやと」
「なにかな」
峻烈な視線が交錯した。
「親友の友やから黙っとんねん、おいコラ逆上せ上るなよ」
「友と書いてトモと読むかは人による、かな」
「おどれやんのかい」
「おお、おっかない」
だが算砂はほんの一瞬だけで撤退して茶々丸から身体ごと視線を背ける。
そしてすぐに視線を応接室に戻すと、背中越しに「まぁ、いずれね」とだけつぶやくのだった。極めて不穏に。
すると階下が騒がしくなった。
耳を澄まさずとも聞こえてくる階下の騒々しさに多くの家人の顔がほころぶ。
「なんやなんや菊亭さんとあろうお家がしみったれて。ほらどなた様も声出して胸張って。変調は敵に覚られたらお仕舞いやで。ほら意地でも笑てんかい!」
雪之丞が窓枠から身を乗り出し有りっ丈の声を張って手を大きく振った。
野蘭――っ!
「おっ、その声はさすがの元気印殿。お久しぶりお雪殿、相変わらず元気そうやん」
「当り前やん。早う上がり」
「ほなお邪魔さん」
ムード作りにはこれ以上ない人材。枚方城女城主、片岡野蘭の登場であった。
お読みいただきありがとうございます。
読者様ノリがいいのでほんとうに大好きです。たくさんの”いいね”推しありがとうございました。ちょっとわらけたん。自分で強請っといておまっ、の方は乾燥欄にて対戦お待ち申し上げております。
さてこれにて六章お仕舞いです。新章どないしよ。リクエストとかありますか。ぜんぜん注文訊かせてもらいますけど。なかったら寒い部屋で凍えながら考えます。作品フォロワーの皆様におかれましては今後ともよろしくお願いいたします。ばいばいきん。