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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
六章 天衣無縫の章
111/314

#14 牙を剥く本性、穢れなき獣性の

 



 永禄十二年(1569)七月二十四日






 与六が論語マスターに危うく調略されパリピ孔明になってしまうのを寸前で阻止した天彦が、いざこれから自称宿儺を料理しようと鼻息荒く腕まくりを、そんなとき、


「殿、陣屋の女将が参っております」

「通したり」

「はっ。――おい陣屋、殿の御前である。手短に、けして無礼なきように努々心致せよ」

「はい。おおきにさんどす」

「こら衣服を正さぬか」

「あらまあ、もうしわけありません」


 是知の実に是知らしい目下に対する尊大な言葉が漏れ聞こえてくるとややあって、見立てによってはまだ二十歳にも達していないだろう若女将が持ち前の溌剌颯爽とした姿を見せた。これで二児の母である。上の子はもう八つ(数え)。万一見た目年齢が実年齢とマッチしていたら。

 逆算すると恐ろしいがそんなこととは無関係に、居るだけで周囲をほっこりとさせる癒し系女将のサプライズ登場に天彦の眉間の皺もやんわりとほぐれる。


「お殿様、陣屋節子にございます」

「おお、よう参ったん節子。もっと寄り」

「ですが御取次さまが」

「かまへんのん。あれは放っとき。睨むんが趣味の暇人や」

「ほえ。そうどすか。ほなお言葉に甘えまして。お殿様、ご無沙汰の不義理をお許しください」

「不義理なことなどないさんや。遠慮せんとこっち参るん」


 もっと頻繁に顔を見せよとは言えない。天彦が言ったら最後それは命令となってしまい平民には負担なだけだと知っているから。生粋の貴種ならそれでも気にせず強請るのだろう。だが天彦は天彦なのでそれを口にはけしてしない。

 それが麿眉彦でも柴イヌ眉彦でもかわらない。天彦は自他ともに認める美意識高い系男子である。己がダサいと思うことはたとえ死んでもしないのである。美的感覚に優れているかどうかは大いに議論の分かれるところだとしても。

 いずれにせよだから善意は押し売ってくれないと天彦の許には届かない仕様となっていた。


「ほなこちらへお持ちいたします。改めましてお殿様、当館主人八兵衛に成り代わりまして御出世なされましたこと心よりお祝い申し上げます」

「うん。おおきにさん。何よりの祝賀である」

「お褒めに預かり光栄にございます。ほな支度にあがります後ほど」

「うん」


 嬉しいさんやわぁ。


 めでたい日だと聞きつけたのか宿の好意で膳が用意されていた。

 好意は無駄にできない。何しろ陣屋には借りがたんまり。破滅を覚悟させること二度、実害に至る損壊三度の大迷惑を被らせている。

 宿のすべてを借り上げているため営業妨害に至っていないだけで出禁相当の自覚は十分すぎるほど持っていて、陣屋の名を与えるほどの恩義を感じている。


 この時代、貴族や力ある武家が家名を変えることは容易かった。庭に咲き誇っていた菊から文字った天彦の菊亭がいい例で他にも無数。九条家を代表する名門貴族でさえ居を構えている屋敷の通りの名を冠しているくらいなので案外ラフな感覚で。


 だが一転、平民や庶人が家名を名乗ることにはかなり高いハードルが敷かれていた。この辺が権威の立ちはだかる壁なのだろう。実にしょーもない特権意識だが根はかなり深く食い込んでいる。

 そんな壁を作るのも取り払うのもすべて上位者つまり貴族である。但し勝手気ままではない。それなりに伝統と習慣に則り行われている。

 というテイには一旦目を伏せ現実は、貧乏貴族の切り札である。お金持ち商家の施しに支払える対価のないど貧乏貴族は家名の褒美を乱発した。当時移り住んできたばかりの貧乏菊亭もご多分に漏れずそういうことであるとかないとか。


「睨むのが趣味ではございません」

「知ってるで」

「む」

「三年や。三年して治らんかったら放り出すで」

「え」


 是知の顔から血の気が引いた。だが周囲はまるでお構いなし。

 天彦はもちろん、聞きつけた途端どこか浮つき始めた家人たちの表情や雰囲気が如実に喜ばしさを映し出していた。

 一家揃っての宴会は記憶にあるだけでかなり相当久しぶりなのである。室内はるんるんと聞こえてきそうなほどみるみる内に多幸感に満たされていった。




 ◇




 いい食事会だった。一膳仕様は近頃頻りに耳にする仕出し形式。それもそのスタイルを流行らせた御室屋おむろやの弁当御前であった。幕の内の走りだろう。

 この時代に名を広めている商店は業種形態にかかわらず後世にまで存続している可能性はそこそこ高い。和菓子屋や豆腐屋などでは広く知られているところだろうし布団屋さんでも存在する。この御室屋もその一つ。


 だがとても弁当とは思えないあったか即席感に天彦の当たる方の勘はわざわざの出張調理を予感する。足の速い夏場なれば猶のこと食材は吟味され請け負った御室屋にもかなりの負担を強いたはず。料理人が得意げに顔を出さないのもむしろ粋な計らいと好意的に受け取れた。


 ここでも気を遣わせたのか。かなりお高いはずである。天彦の感情は喜ぶが思考がどうしてもそれを後押ししてくれない。陣屋には借りっぱなしである。そもそも論、天彦の人生の軌跡すべてが借りっぱなしという事実には一旦蓋をするとして。

 もちろん相互関係だとは承知している。たとえ相手側の一方的な100の善意であってもそれは相互関係が成立していると天彦は知っているから。

 例えば世界には菊亭に施すことを趣味や生きがいとする人種が少なからずいることを天彦は実体験から知っていた。自分だってその人の応援となるなら無条件とまではいかないにしても惜しみなく銭を放れる推しの存在くらいはあったので。


 よって言ってしまえば陣屋は菊亭推しなのであろう。しかも趣味と実益を兼ね備えた優秀なフォロワーであった。

 天彦はこの宴会中に初めて訊いたのだが、陣屋はそうとう手広く展開していて洛外にすでに本店除く三店舗もの料理旅籠を構えるまでに繁盛しているらしいではないか。菊亭印の三つ紅葉紋を掲げる。

 三つ紅葉が繁盛の証になるかは疑わしいが魔除けや話のネタにはなるのだろう。多くの人がお化け屋敷にそそられるように。


 そんな天彦だが、たしかに安請け合いした記憶があった。宿賃を大幅に引き下げると交渉された記憶もあった。何しろ当時は銭がなさ過ぎたのである。そしてさすがは商売人である。転んでもただでは起きないとはまさしくそう。ならば素直に受け取ろう。この感謝の気持ちを。


 だが人のよさそうな主人と女将ではちょっと想像がつかない展開である。よってあの佐吉の下位互換的なス―パー事務員風容貌の番頭が有能なのだろう。

 マインドも佐吉を模していてくれていることを願いながら宴もたけなわ。そろそろお開きの時間が迫っていた。


「では一献どうぞ」

「要らん」


 渦中の人、自称宿禰が徳利をぶら下げやってきた。


「あら釣れない。御家来衆の皆さまはお喜びになられ進んでお猪口をお持ち下さるのに」

「みな優しいからな。傷んだ女性を気遣ってのこと。図に乗るな」

「……前職を揶揄なさっておいでで」

「受け取り方はお前さんの、好きにしたらええさんや」

「あら、案外手強いのね」

「当り前や身共を誰や思うてる。舐めるな堕ち公家風情が」


 だが天彦の啖呵は空を切った。


「ずっと訊ねようと思っていたの。お宅さん、どちら様」

「おい」

「おそらく貴種なのでしょう。だからその増上慢な態度にも目をつむって進ぜるわ」

「どっちがや。……待て。本気か」

「当り前じゃない」

「うそーん」

「ほら知られていて当然。僕ちゃんは偉いんだぞぉ。ってね」


 うは。


 普通にハズい。天彦は御猪口をそっと差し出した。

 普通ならあり得ない。だが菊亭ならむしろ普通にあり得る筋の展開だった。家中の誰も当家は云々と自慢語りをしないことを。

 そればかりか窮地だった者を救ったというマウントを取って偉そうぶったりもしない。天彦自慢の家来たちである。

 よって彼ら善きにつけ悪しきにつけ常に通常運転を心がける。薫陶の賜物と思いたいがそれはきっと違うだろう。生来持って生まれた気質。

 天彦の愛すべき家来たちはそんな傾向がとても強く、菊亭には(主に文官諸太夫にだが)往々にしてそんな気風の者が多く集っていた。但し青侍衆は少し毛色が違っている。


「舐めるだけや」

「ふふ、どうぞ」


 舐めもしないが口を付けたフリをして。


「因みに宿禰。当家がどこか想像はできるか」

「知らんよ。興味ないもの。でもそうね……、可愛らしいちんまいのが中をうろうろ忙しなく、やかましいごっついのが表をうろうろ暇そうに。ほんで当主はこれか。お子様のごっこ遊びに寛容な家風は存じ上げませんけれど、……まあ殿上家のそれもかなり裕福なお家やね」


 当たらずとも遠からず。天彦は宿禰の洞察力もそうだが言い回しや夜を儚む表情や仕草に興味を引かれてしまっていた。

 何より菊亭と明かしてもドン引きされないだろうと予感して、それが一番愉快だった。最近の天彦はちょっとではなくご機嫌斜め。控えめに言って拗ねていた。誰だって自分の名前を訊いて眉を顰めたりドン引きされたりするといい気はしないものである。


「菊亭や」

「……そ、そうなんだ」


 知っとるやんけ! さすがに名前くらいは知ってるか。

 天彦はだがそれでも嬉しさを隠せない。噂を知りながら家名に立ち向かってくれる気丈さや諸々感じる負けん気の強さはもちろんだが、実は秘された宿禰の優しさに惹かれていた。


 言葉は乱暴だがかなり気遣いのできる人だと見立てて言う。


「100誰も知らんは哀しいもんや。そやけど100誰もが知ってるはお寒いん。丁度ええバランスはそやな、30知ってる。そんなところか知らんけど。さて宿禰、お前さんはいずれさんにあらしゃるん」

「知ってるくせに。やっぱり噂通り人が悪いわね、こんこん」

「ふん。それがどないした30の野良猫さん。にゃん」


 すると宿禰は自分から仕掛けておいて笑いもせずそっと両膝を揃えて天彦に向き直ると居住まいを正して故実で礼を尽くしてみせた。


「菊亭様にこのお命差し出す所存。どうか何卒愚かな夜鷹を憐れとお思いなら願いを聞き届けてくださいませぬか」

「愚かでも憐れでもないのにそれは訊けない相談だね」


 天彦の言葉を遮ったのはくりくり坊主頭の人物。天彦の上位互換でお馴染みの親友と書いてけっして“ずっトモ”とは読まない数少ない貴重な存在、本因坊算砂であった。


「訊けんよ危険だけに。でしょ天彦」

「し、知ってたし。知ってたし! ……舐めるな身共を」

「あは。ウケる」

「おい。今のどこさんにウケる要素があったんや」

「聴衆に訊いてみる?」


 天彦は否定も肯定もせずただ無言で返答とした。シバく。


 天彦は算砂が苦手。それは善悪や適否やもっというなら相性でさえなく。

 言葉にするのは難しい。あるいはしたくないのかも。きっとその感情に核心が隠されているのだろう。算砂は天彦と対極にあるから。


 算砂は言ってしまえばモノローグの不要な人。つまりすべてが真実で出来ていて、眩いくらいに正道を歩む。正道が適切でないなら王道と言い換えてもよいだろう。いずれにせよこの戦乱渦巻く室町では正解の道を行く者である。

 その性質は天彦の真逆。天彦は正しさを選ばない。いいカッコをするなら優しい方を選ぶ傾向がとても強い。


 よってこの場合どちらが陰と陽なのかは明言を避けるとしても太陽は常に眩しいとしたものである。サングラスでもなければ直視もできない。そしてこの時代にそんな文明の利器は存在しない。そういうこと。


「宿禰。お前さんのことは身共が守る。たった今そう決めた」

「ああ、なんと慈悲深いお方。菊亭様……、ありがたき幸せにございます」


 アホな――っ。


 算砂の悲痛一歩手前のつぶやきが、彼の口からは訊きなれない京都弁で繰り出され静まり返っていた祝賀の席に小さく響いた。

 この場合どちらが正しいのかは個人の判断によるだろう。菊亭なので天彦支持が圧倒的優勢なのは否めないとして、だが少なくとも天彦は自分が正しいとはこれっぽっちも思っていない。決定には何のエビデンスも作用しておらずただ感情的に算砂の逆張りをしただけなのだから。あのデフォで装備されている物知り高が腹だたしくて。


 何しろ天彦。すでに近衛には条件付きで譲歩してもいいとさえ考えを切り替えている。この策がしくじると半ば認めてしまった感情で。史実でも近衛の血は皇統に通じさえしているのだしとか何とか嘯いて。

 菊亭の活動はACジャパンに支えられているから合法なん。堂々と嘘を吐くなと各方面から叱られそうだが理屈的にはそんな感じで舵を切った、


 天彦にだってある。野蛮とはまるで質の異なるおっかなさなら。

 これと決めたら簡単にあれほど惜しむ命を捨てれる、かなり狂った猟奇性なら売るほどある。

 それほどに反発していた。ただ負けたくない一心とは別の感情で。けれどたしかに己の正当性を懸けて挑んだ。


「算砂、お前だけには絶対に負けん」

「出会って以来ずっと勝ってるよね。嫌味だよ」

「黙れ。それはお前の勝手な認識や」

「その認識こそが世界を作り上げているんだけど、まあいいや。じゃあ話しかけないでくれるかな」

「権力をふるうん。即刻黙りこくっとれ」

「それ天彦が一番嫌うダサさだよね。いいんならいいんだけど」

「う。……腹立つから黙って」

「はは、わかったよ。天彦はずっと変わらず可愛いね」

「コロス」


 ガキか。ガキだった。それもとびきり特級の鬼クソガキの顔があった。




 ◇◆◇




 連日の夜更かしと感情が揺さぶられて疲れ果て不貞寝した主君を別室に、京間六畳の茶室っぽい一室では坊主頭会議が行われていた。

 むろん菊亭の坊主頭コンビと言えばカリスマ君と天才君のお二人である。

 会合をセッティングしこの場に呼びつけたのは茶々丸の方。算砂にはその地位も気持ちもない。


 そんな二人なので会話は自ずと弾まない。算砂は茶々丸を明確に嫌っている。寄せ付けない雰囲気を隠そうともしないのは算砂の持ち味なので見逃されているが他がこれを真似ると普通に死ぬ、デコった方の氏ぬではなく正しく死ぬ方の死ぬで死んでしまうのである。何しろ茶々丸は暴力のセンスが桁違いに並外れているのである。


 そんな算砂が茶々丸の呼びかけに応じた。つまり共闘の打診に応じるのと同義である。よって会話の言葉は少ない。

 茶々丸はその出生を基としたカリスマ性ばかりに目を向けられがちだが、茶々丸の物事の本質に対する理解度は深く高い。おまけに野生の勘も鋭い。つまり茶々丸も茶々丸で不世出の傑物の一人であった。


 ガラスの無い窓枠から差し込む月明かりを肴に、算砂は宴会の残り物である酒を手酌でやる。澄酒は大変貴重。価格の高低ではなく単純に希少性の問題で。

 酒精はそれほど高くない。そんな澄酒をちびりとけれど御猪口に注いだ分量分を一息に飲み干すと算砂から切り出した。

 面倒だが格下から切り出すのが室町格付け社会の流儀だから。算砂は自分から呼びつけておいてという感情を隠さずに素っ気なく切り出した。


「あとは誰だい」

「諸太夫では越後。青侍どもには話だけ通してある」

「いい線だね。で」

「その前に。お前の見解を訊かせんかい」

「宿禰の件だね」

「それ以外に何がある。お前もそのために一日中へばりついとったんやろ」


 算砂からすれば山積みにあるはずで、だが言葉にはせずにうんと頷き、


「結論、あれは毛利の間者さ。毛利が送り込んだのかそうでないのか、乱破になるのか素破なのかはまだわからないけれどね」

「どうでもええ。始末したい。手を貸せ」

「天彦、キレるよ」

「あんなもんキレさせとけ」

「あは、無茶を言う。愚かしさは相変わらずの顕在っぷりで何よりだね」

「何をっ」


 煽りは余計。だがこの点では一生折り合いがつかないだろう。それは両者ともに理解しているので大きな衝突にはつながらない。

 それでも煽りは余分。二度必要なほど大事なことである。茶々丸の拳が固く握られてしまう前に。


「ええわ。お前がせえ。それで勘弁したろ」

「私は天彦の傍を離れたくないんだ。せっかく掴んだ席なのにやだよ」

「お前」

「敵に回るなら覚悟を決めるけど」

「っ――」


 算砂のいつもの物知りへらへら顔が豹変すると、まさかあの茶々丸が気圧されていた。

 算砂の瞳に侮りや油断は一切なく相貌には確かな覚悟が見て取れた。どんな覚悟か。それは当人同士にしかわからないが傍目には少なくとも刺し違える覚悟くらいは感じ取れた。


 睨み合うことしばらく。折れたのはこれまたまさかの茶々丸だった。


「くそったれが、斬れる刀持っとるくせに。いっつも本気出しとかんかい!」

「声が大きい」

「ちっ」

「協力はする。御家の一大事だからね。でも共闘は遠慮しておくよ。殺しは流儀に反するから」

「はっ、どの口がほざいとる。勝つためには手段を選ばんど畜生が」

「この口だけど。可愛いだろ」

「おどれ」

「言っておくけど私の主義じゃないよ」

「ほな誰じゃい」

「主君の主義に決まってるじゃない。天彦を泣かせたら君でも泣かすよ」


 あれ、この感情って泣かせるで済むかな。


 白々しくも小首を傾げ然も今気づきましたと言わんばかりの小芝居を演じて抜け抜けとほざく算砂は言って満足したのかすっと立ち上がり、


「強硬策はおすすめしない。天彦キレて茶々丸追放に全財産を張ってもいいよ」

「……対案寄越せ」

「あれ素直」

「やかましい。儂もわかっとるわそんなことくらい」

「お利巧さんになったものだ。うーんそんなお茶茶くんにはご褒美を上げないとね」

「おのれ、覚えとれ」

「その点に関しては大丈夫けっして忘れないから。私は記憶力には自信があるんだ。天彦の次くらいには」

「能書きは要らん。早う寄越せ」

「そ。いいよ。御耳を拝借――」


 ごにょごにょごにょ。


 算砂は顔を寄せると声を潜めて策を奉じた。

 その表情は白銀の月灯りを背にしていたので判然とはせず、内容も聞き取れず杳として知れない。

 だが奉じられた策の凄まじさだけは容易に想像できてしまう。何しろ強請った本人が強請ったことを聞き届けた瞬間から後悔し始めたかのような表情を浮かべてしまっているから。猛烈に。

 いずれにしても茶々丸は献策があまりにもあんまりだったのだろう。言葉を失いしばらく呆然と返答できずに固まってしまっていた。


 そんなことが……。


 不穏なつぶやきを合図に茶々丸がようやく我に返ったときには算砂の姿はすでにこの茶室にはなく、


「算砂……、お前の方がエグいやんけ」


 茶々丸はぽつり。彼にしては珍しく皮肉でもあて付けでもちくちく言葉でもない率直な感情を吐露した正直な感情のままをつぶやいていた。

 なぜ天彦がああも慕う算砂を毛嫌いするのかをこのとき初めて痛感したかのような顔で。













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