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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
六章 天衣無縫の章
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#07 時代に愛されなくたって

 



 永禄十二年(1569)七月二十三日






 何のために生きるのか答えなどなくていい。たしかに一家言あるフレーズである。とても優しくもあるし。だがトピックスはいる。絶対。

 このトピックスというワードに敢えてルビを振るとするなら話題や出来事となるのだろうか。その話題を探しに、あるいはそのトピックスを攻略しに天彦は丹波の山奥くんだりまで出向いていた。

 お目当ての人物がこの地に居るとふんだからで、むろん確証は一ミリもない。

 だが天彦は確証も確信もないけれど謎に自信だけはある勘だけを根拠に、わざわざこんな霧が濃い谷間の寒村まで自ら足を運んでいるのであった。


 丹波国。現在から遡る室町全般を細川京兆家の領国として守護代内藤氏の治世で栄え、現在を起点にした未来では惟任日向守の領地として歴史の表舞台で脚光を浴びるお国柄の土地である。また荘園が多く存在し天領(天皇家の御領地)も少なくない土地柄である。


 その一行政区画である綾部郡のこんな霧が濃い谷間の寒村まで、思い立ったが吉日は盛ったが将軍家に会談の打診を即日即刻拒否られた一報を聞き届けた翌日の朝には陣屋を発っていた。

 色々と台無しである。特にウザ顔で得意がっている算砂にずっとあの調子で勝ち誇らせることだけは耐え難い。天彦は柄にもなく本気を出した。

 役立たずの実益に怨嗟含みの雑言を吐きながら、総勢六十名ほどの菊亭一行を従え自ら足を運んでいるのであった。意味はきっとあるのだろう。この期に及んでは無いと困る。


 ぱかぱかぱか。


 土地勘のあるらしい射干党郎党の先導に従い菊亭一行は目的地を目指す。

 その先頭から離れること少しの位置に天彦はいた。いまだソロ騎乗できないタンデムの人を乗っけて東西南北を完璧に守られた布陣で鞍上にあった。

 その後ろからちょんちょんと合図振動が送られてきた。天彦は一瞬かなり眉をしかめてなんやと応じる。


「若とのさん。喉が枯れました」

「お雪ちゃんこれでもう何度目や。水分補給休憩を強請るのん。当たり前やけど休憩するたんびに進行は遅れるんやで」

「まだ八度目ですけど」

「まだの用法が可怪しいねんっ! ほんでゆうたよね。身共は口を酸っぱくして夏の移動は絶対にしんどいからやめときって」

「む。馬鹿にせんといてください。某かってちゃんと聞いてたらちゃんと考えますんやで」

「いや、むちゃんこ忠告したやん」

「いいえちゃいます! 若とのさんはやんわりしんどいとしか仰せではありませんでしたっ。なんでそんなウソを申されるんですか」

「おまっそれは……、はぁ、もうええわ。佐吉、どっかええとこで止めたって」

「はっ」


 佐吉の冷たい目もなんのその。雪之丞は今日も今日とて彼だった。

 むろん天彦は、ぐぬぅぅぅお雪ちゃんめ。

 身共が恥をかかんようプライドを守ってやったのに。気遣いを仇で。


「なんですのん、そのお顔さんは」

「ほう。この顔には百は下らん意味があるが訊きたいか」

「あ。遠慮しておきます」

「メンタル強すぎ、落ち着きすぎ、考えなさすぎ、行動的すぎ、楽観的すぎ、飽きっぽすぎ、意志強すぎ、諦め良すぎ、時間にルーズすぎ、可愛すぎ、身共のこと好きすぎ、あほ、ぼけ、かす、まぬけ――」

「き、聞かへんと言いましたやろっ! 貶されてるんかも微妙やし、なんや最後の方はただの悪口やし」

「ええい、身共の想いを訊くがええさんやっ!」

「わーわーわー知りません聞いてません」


 といったいつもの珍道中だが、天彦は案外まぢである。というのもお目当ての人物を調略するためわざわざこんな霧が濃い谷間の寒村まで自ら足を運んでいるのだから真剣味もいっそう濃くなって然るべきである。


 室町末期戦国における雪之丞が大概なら天彦も大概ひどい。その大概な天彦の行動に理由を付けるとするなら自ら立てたトピックスの攻略であろうか。

 そしてトピックスのキーワードは“対”。言い換えるなら対義である。たとえば上杉謙信公の対義語が武田信玄公であるように、あるいは織田信長公の対義語が明智光秀公であるように。


 天彦は基本的に物事には対の存在があるものだと仮定して推論を構築している。

 これは志向性のパターン化と言って過言ではなく、光と影に代表される対照的な存在を常に念頭に置いている。あるいは置いてしまうのか。男女しかり神と悪魔もしかり。常に対象を置いて比較してしまうのだ。

 もっというなら日常的には往復路を始め東西の方角や左右の手などもこの志向性に含まれる。広義には洋の東西も含まれるしこの比較対象はかなり広範広義に亘る。


 この志向性の理由は当人にもわかっていない。双子であることが起因しているなどというショボい理由でないことだけを願いながらも特にこれといって気にもしていないのだが、いずれにしても基本思考に準拠して今回も自ら立てたトピックスを攻略している。


 そう。攻略対象は目下伊勢守でない伊勢家嫡男貞興である。

 彼は絶賛じゃない方。室町幕府政所執事じゃない方の貞興くんなのである。

 じゃない方の天彦にとってこのフレーズだけで十分食指が動くのだが、しかも伊勢貞興は対でもあった。むろん対象は摂津中務大輔晴門。今回のロイヤルオーダーの中心人物その人である。

 だが問題はいくつかある。第一に貞興は史実では惟任派。しかもかなりのシンパである。もはや史実に準拠する意味があるのかどうかさえ怪しい世界線に突入している現在だが、どうしたって思考のほとんどは引っ張られる。そんな不安に駆られながら天彦は史実と射干党の諜報力を頼りに、将軍義昭に追放された伊勢家が隠れ潜む隠れ里を探していた。


「申し上げます。一里先に村がございますとのこと。如何なさいますか」

「そこにしよか」

「はっ」


 佐吉が馬を駆って走り去る。初めての馬移動らしいが中々どうして様になっているではないか。天彦はにんまりとその雄姿を見送った。


「ええかお雪ちゃん、我がままばっかしゆうてたらいつかみーんな見放すで」

「そのみーんなに若とのさんも入らはるんですか」

「まさか」

「ほなぜんぜんよろしいやん」

「あ、うん」


 まさかの真理を突き付けられ秒で納得させられるのであった。やりおる。


 天彦の感心が冷めやらぬ内にほどなく到着。が、世話になる予定の村は違和感の塊のような村だった。

 何と表現はできないが天彦には引っかかる点ばかりが目に付くそんな村。

 庄屋(名主)はあからさまに元か現役の侍だし、村人の多くも武に通じる武辺者であることが隠しきれていなかった。


 天彦はこの感覚が自分だけの違和感かどうか念のため視線で確認すると、


「怪しいね。ぷんぷんだよ。天ちゃん、くれぐれも注意よろ」


 コンスエラ曰くとのこと。いまのところ予感は正しいそうである。

 この頃の綾部郡は国人群雄割拠の時代。あの惟任でさえ統治に丸五年以上を費やしている難しい土地柄。普通に考えれば国人の領地であり次点で忍びの里か。

 天彦は想定を念頭に置いて今回の遠征班隊長の且元にその旨指示。警戒しつつろこつに怪しい庄屋の招きに応じ屋敷に入った。




 ◇




「ようこそお越しくださいました。斯様な高貴なお方をお招き出来て末代までの栄誉にございます。何も持て成せないしなびた村ですがご都合の許す限りごゆるりとなさってください」

「さよか。無理を申すが世話になるでおじゃる」

「はい。誠心誠意お仕えいたします。酒がよろしいでしょうか」

「ならば茶をご所望さんや」

「ではそのように。おい茶を持て」

「はっ」


 天彦は確信した。庄屋は武家であると。そして下男役の男も侍であると。

 こちらも確証はない。だが武家の主従であると直感的に確信していた。


「さて佐吉」

「はっ」

「宿題は解けたか」

「申し訳ござりません。某には皆目見当もつきませんでした」

「はは、さよか。そんな凹むことあらへんのん。見てみ」

「はい」


 天彦が指さし佐吉の視線の先にある直参イツメン連中は与六を始めとして漏れなく全員がさっと顔を背けていた。つまり解けずの現れである。


「ええか佐吉」

「はっ」


 天彦は今回の遠征に際し佐吉育成計画を練っていた。佐吉を育てて算砂にぶつける。それが狙いだが本命はただただ佐吉が可愛いから。もしくは依怙贔屓ともいう。あるいは依怙贔屓としか言わない。そういうこと。


 さて今回のロイヤルオーダー。相当に難物であった。それはそうだ。あの天下を手中に収めつつある魔王が半ば以上泣きを入れて頼み込んできた案件なのだ。タフな交渉に決まっている。しかもほぼ勝ち目のない。

 まず大本の会談自体即刻拒否られて出端を挫かれていることからも容易ではないことが想像できてしまうが、そもそも論たとえ会談が叶ったとしても端から勝ち筋がないまである難解なミッションであった。


 何故かを少し紐解いてみる。

 諸々様々な要素が複雑に絡んでいるのはもちろんだが根本は一言、惟任日向守光秀に尽きた。惟任の存在が巨大すぎるのだ。この世界では。

 惟任日向守は言葉ひとつで紛争地の情勢を引っ繰り返せるほどの大物となっていた。影響力に不可欠な名実(人気実力)を兼ね備えて。まさかのまんじなのである。


 それにはもちろんだが幾つかの理由がある。

 一つに経済力が挙げられる。あるいは結論めいてしまうかもしれないが、五畿内+スリーの巨大経済圏を基盤とした経済力が惟任の実力を如何なく発揮させていた。

 これは二つ目の理由にも通じるのだが史実ではなかった京都の統治制度も関係している。史実では京の国政は織田家だけに委ねられていた。京都所司代という機関によって。

 ところがこの室町では京都守護職が存在した。これは六波羅探題に代わる統治機構である。だが六波羅は鎌倉幕府北条家の制度である。こうして現在の京都は織田の京都所司代と足利将軍家の京都守護の二重行政で運営される歪な状況となっていた。

 しかも民のほとんどが足利将軍家の守護行政を支持しているため、明らかな惟任日向守優位で京都都政は推移しているのである。実効支配と言い換えても違和感はないほど水色桔梗紋は幅を利かせて跋扈している。


 そうなった背景として織田経済圏がもたらす安定と繁栄が大きく影響を与えていることは確実である。経済圏が生み出す利益のほとんどに足利将軍家が絡んでいる以上否定はできない。

 何しろこの巨大経済圏が生み出す巨額利権は堺の年度歳入のおよそ十倍。日ノ本を統一した江戸幕府の比ではないのである。


 それは明らかな魔王信長公の落ち度である。むろん天彦の関知しないところではあるのだが、いずれにしてもそれが現状を正しく評価したすべてである。

 よって足利将軍家が天下一の富豪であることは紛れもなく、その一の家来として重用されている惟任日向守も必然的に連動しているはずである。

 あくまで想定だが余りあるお零れに預かっているに相違なく、事実として動かせる兵力に史実とは極端な違いが生じているので仮説はほぼ実証に近いはず。


「ならば攻め滅ぼしては如何でしょうか」

「はは、高虎。お前さんらしいがそれは悪手や」

「ぐぬぅぅぅ」

「高虎は悔しがる顔が似合うさんやなぁ、なあ佐吉」

「はっ。ですが藤堂殿は槍働きでこそ能力を発揮なさる御仁にて」

「石田殿、忝くござる」

「何のこれしきのこと。ですが殿の御指摘のとおり、この情勢下で力押しなどしようものなら我ら菊亭陣営はたちどころに天下の逆賊となりましょう」


 な……!


 佐吉の指摘はイツメンたちに思いもよらない驚愕を生んでいた。

 天彦もびっくりである。何を驚いたかと言うと他者を慮れる佐吉の成長度合いにまず驚き、そして皆の認識の低さと甘さにびっくりである。

 だがこれは盲点。この誤解は誤解の許を辿れば簡単な解に導かれる。


「佐吉ならどうする」

「はっ。かえかけまする。相手が動くまであの手この手と執拗に」

「ええ策や。身共は向きやで。そやけど問題は金持ちが喧嘩するか否かや」

「あ」


 佐吉は正しく察したようであった。


 そして何が難解かというと金持ちが喧嘩をしないという当然なのだが当然故の馬鹿らしさにあった。魔王信長の苦慮もここにある。

 それが惟任を始めとした足利将軍家の攻略難易度を劇的に跳ね上げる要因となっていたのだ。笑ってしまうほど馬鹿らしく。けれど相当の難門として天彦の前に立ちはだかる。


 経済活動の何たるかは理解せずとも肌で感じれば少々利に聡い者なら必ずたどり着ける解である。戦など遠ざかって尤もであり民など慰撫し施して然るべき存在なのである。合理性を突き詰めれば突き詰めるほど。

 するとどうなる。太平の世になる。それを証拠に畿内ではここ近年戦らしい戦は勃発していない。魔王が絡む何某以外は。

 即ち目下の惟任日向守は京都の民ばかりではなく天下の民に愛される最高の官僚侍大将なのである。


 そして最悪なのがその惟任日向守を敵視しているとされる魔王率いる織田家と参議菊亭家連合は巨悪の認識で統一されつつあったのだ。むろんプロパガンダ込みで。

 しかしその悪意に満ちた風聞は半分の真実に隠されているため完全に否定もできない。何せ究極的には天彦も信長も朝廷に心酔していないのだから。

 しかも実際的に菊亭も織田家も一度は朝廷に反旗を翻してしまっている。たとえパフォーマンスだとしてもこれは非常に不味い実績であった。


 悪いことはまだまだ続く。尚且つ織田家の掲げる天下布武は日ノ本の統一を意味する。このことは東西遍く広く知られるところであり、延いては戦乱を想起させる不吉な言葉として浸透している側面もあった。仕方がないことだがこれも惟任日向守の秀逸なところである。彼は情報戦を専ら大の得意フィールドとする頭脳戦上等の官僚侍だったのだ。


 そしてこの魔王と対と認識されている菊亭はもっと酷い。寺社の破却に始まり実の父親さえ将軍家から引き離す大の将軍アンチとされていて、世間的には実の姉の婚姻さえも気に入らないという理由だけで強引に潰すような悪童である。

 世間は家族愛に乏しい者には冷たい目を向けるとしたもの。それと同じくらい平和の象徴である将軍家に弓引く者にもいい感情は芽生えさせない。

 よって神算鬼謀のお狐様は拗らせメンヘラのレッテルを張られ、実情がどうあれ天彦に有利な点など今やこの世のどこにもないのである。織田連合軍の詰みが証明されるQED。


 つまりいろいろな要素が総合的に織田勢の不利、延いては天彦の最低最悪を指標していた。


「まんじ」


 ずずず。


 淹れてもらった茶を啜ってからつぶやく言葉としては最低級なバッドワードをチョイスした天彦だったが、だから何なん。の精神は終始一貫している。

 むろんこの境地は散々っぱら足掻いた後に生じる感情の発露なのだが、そもそも不利など承知の介。

 天彦はずっとそんなインチキ酷い境遇に抗ってきた自負がある。今更始まったような多少の不利など力技で捻じ伏せてやると嘯いて、これまた胡散臭い庄屋を険しい双眸で睨みつける。


「さてお前さん」

「……はい、如何なさいましたか。お公家様」

「出し」

「お望みとあらば如何様でも。何をお望みなのでしょう」

「伊勢の御曹司さんや。元服を済ませてたら貞興さんと名乗っているんとちゃうやろか。江田兵庫頭の縁者さん」


 庄屋は無言のまま俯き加減で固まった。

 代わってリアクションをしたのは庄屋の従者である小物であった。懐刀を手に天彦目掛けて突っかかった。


「死ね――!」

「叫んで攻めかかるとか舐めすぎや。この程度で死ねたら身共も往生せんねん」

「なっ」


 小物も中々の使い手であった。だが頭上から人が降ってくることまでは想定外だったのだろう。突如降って湧いた異形の武者にあっというまに制圧され秒で床に転がされてしまう。お見事。


「――で」

「殺せ」

「死に急ぐこともあらへんさん。どうせ誰もがいつかは逝く」

「何をお望みか」

「申したん」

「……なるほど。真実にございましたか。ならばこの通り、配下の不手際をお詫びいたす。詫びの証として主君、江田兵庫頭様の許へお連れいたす。如何なりや」

「参ろうさん」


 天彦は躊躇うことなく誘いにのった。













【文中補足】

 1、綾部郡

 江戸まで漢部と記されていた。朝鮮半島から渡来した漢氏が支配した部であったため。


 2、江田兵庫頭行範

 江田氏は新田氏の一族であり、当主行範は波多野七頭の一人に数えられた綾部城を拠点とする丹波国綾部郡の国人領主。











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