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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
六章 天衣無縫の章
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#05 物見高く訳知り顔な印象としか

 



 永禄十二年(1569)七月十九日






 まだ祇園祭りの余韻色濃い洛外十九日の早朝。上御霊前通烏丸にひっそりと佇む寺院では多くの門弟に見送られる一人の小坊主の姿があった。

 小坊主は幼年と青年の丁度中間の年頃にあり、利発そうな双眸は清流のせせらぎのように澄んでいてけれどどこか熱を帯びない。言うなれば感情に乏しい顔をしていた。


 門弟たちはその表情に乏しい一番幼若い弟子を送り出すために手習いや持ち場をそっちのけで門前まで出向き、ひと目その姿を目に焼き付けようとその場に挙った。

 だが誰も彼もその顔に晴れやかさはない。門弟たちの多くが悲壮感さえ漂わせて幼若い弟弟子の門出を見送る。


「算砂、なんで行くんや。行かんでええやろ」

「そやそや。今からでも遅うない。考え直せ」

「俺らで新たな時代を築くんやなかったんか」

「この意地っ張りの見栄っ張りめ。お前など痛い目を見ればええんや」

「おい滅多なことを言うもんやない。もしそんな目に遭うたら痛いで済まへんのやぞ」


 門弟たちは口々に送る言葉を浴びせかける。だが誰ひとりとして肯定的な祝福の言葉を手向ける者はいなかった。


 一方、幼若き修行僧は兄弟子たちの手荒い別れの言葉にも厭な顔ひとつせず聞き届けると、ともすると無礼なほど慇懃に挨拶を済ませて師と向き合う。

 師とはむろんこの毘沙門堂門跡の門主である。五百を優に超える門弟を束ねる師は門跡寺院にあって赤い血のまま門主の地位に就いた若き俊英にして将来を嘱望される徳高き僧。即ち若き日の天海、後の中興の祖で名高い慈眼大師その人であった。


 天海は言う。


「算砂よ。ほんまに参るのやな」

「はい。師よ。聞き分けの無い弟子をお許しください」

「許すも許さんもない。だが算砂よ。お前は賢やと思うてた。拙僧の目もまだまだやな」

「師よ。ご期待に沿えず残念に思います。ですが私は一度たりとも己が愚かであるなどと思ったことはありません」

「そこは謙遜するもんやで。あと拙僧もお前が愚か者などと思うてはない」

「では何故に」

「自分で考え。その賢いお頭でじっくりと」

「む」

「こらこの場で考え込むんやない。ほんまに大丈夫なんか本気で心配なってきたで」

「師よ。物事は案外何とかなるものです。と、常々から親友ずっトモが申しておりました」

「なんや“ずっとも”とは。けったいな言葉やな」

「ずっと。即ち未来永劫の意味であり友とはそのまま朋友である。即ち永遠の友を指す造語にございます」

「ほう。なんやわからんけど仏教にも通じる言葉やな」

「はい。私も同様に思います。アレは阿呆で天才なのです」

「なんやにこにこと嬉し気にして。友はええが暇乞いならもっとしめやかにするもんやで」

親友ずっトモの間抜け面を思い起こすとつい。お許しあれ。師よ。それは侘び寂びのことでしょうか」

「違う。ただの感情の発露や。お別れが淋しい。すると人は自然と顔は哀し気になるもんなんや。見てみい兄弟子たちを……、見んでええ。あれは愚か者を虚仮にする目や。後でせいだい叱っとくから堪忍な」

「の、ようですね」

「まったく。お前もお前や。そのことも含めて算砂、お前にはまだまだ教え足らんかったようや。特に情緒はぜんぜんや。あかんあかんてんでなってへん。ええか世に出ると――」

「はい。暇乞いを頂戴いたしました以上ここへは二度と参りません覚悟です。では行って参ります。師もお達者で御過ごしください」


 あ、こら。待たんかいな――


 幼若き弟子算砂はまったくの不理解をその無表情フェイスにのっぺりと張り付け、果たしていったいどこで動くのだろう能面ヅラをようやく動かしたかと思うと不敬にも師の言葉を遮り境内を駆け下りていってしまう。


 天海始め大勢の門弟がその小さな背を苦笑混じりに唖然と見送る中、誰かがぽつり。


「天魔の召し上げなど従う道理がございましたのか」

「天魔など仏敵なり! 従う道理などございませぬぞ」

「そうだ、そうだ」


 気炎が上がりそうな気配が立ち込めたが、誰かの発言によって一転してしめやかな気配の帳が降りてしまう。


「算砂、あれはええボンさんやったんです。いつも誰にも平等やった」

「拙僧もずいぶんと助けてもろて。ほんまに頭が上がらんのです」

「あんな顔して冗句も言いよるんや。これっぽっちもおもんないけど」

「算砂……拙僧、淋しいやん」


 ぐすんぐすん。ひっくひっく。わーん。


 鼻水をすする音が呼び水となりやがて堪えきれない嗚咽となって境内に大号泣大会を開幕させる。

 算砂が口にした暇乞いとは覚悟の裏返し。二度と戻ってこれないことも承知しているという決死の覚悟の言葉である。そして門弟たちの嗚咽も同じく、それらの意図を酌みとっていた。


 即ち向かった当人も送り出した者も双方共に誰もが幼き弟弟子の門出に絶望の未来を予感していた。




 ◇




 ぱちん、ぱちん。


 無機質な、けれど妙に熱っぽい音だけが響き渡る妙覚寺本堂にて。

 時折り混ざる貝殻同士をすり合わせたような雑音以外はまったくの静寂が広がる中、だだっ広い本堂には豪華な衣装を羽織った侍と粗末な僧衣姿の小坊主の二人がじっと。規則的な碁盤の目を描いた如何にも使い込まれた襤褸っちい碁盤を挟んで差し向かいに碁を打っている。


 一方がところどころ欠けた白の貝殻の碁石をぱちん。するともう一方が黒の石をぱちんと返す。そんな応酬が彼是何時間も延々と繰り返されていた。

 むろん二人とは片や招集に応じた算砂であり片や二条衣棚の主、天下の大英雄にして時の覇王で名高い魔王信長である。


 本日キリのいい十連敗を喫した信長が言う。


「……貴様、手加減という言葉を知らぬのか。さすがに不愉快なるぞ」

「異なことを仰せになる。五目半も込みを差し上げているではありませんか」

「それで足らぬから申しておる。貴様は余が恐ろしくはないのか」

「恐ろしいですがそれが何か」

「なにを」

「その愛刀の錆になさいますか。すると私は一生涯貴方様に勝ったままとなりますな。なるほどそれも一興ですか」


 多くの目が注目する中誰もが緊迫の息を飲むそんな周囲の気配を感じつつ、魔王は緊迫の間合いを経て、


「くはっ、あははははは――で、あるか」


 白い歯を見せ肩を上下にゆするほど大笑いした。魔王が滅多と見せない歓喜の感情である。しかも大儀であった。褒美を遣わすの言質まで飛び出してしまっては誰であろうと言い逃れもできまい。ここに算砂は完全に魔王お気に入り認定されてしまった。


「望むままに与えて遣わす」

「忝く存じます。ではお一つ頂戴いたします」

「ほう。物怖じもせぬか。益々気に入った。申せ」

「奉公先に見合う家名と主君の名に恥じない位階を頂戴したく存じます」

「名と位とな。名はわかるが……、奉公先に恥じぬ位階とはどういうことだ。貴様は余が直々に直臣に召し上げると決まっておるぞ」


 多くが歓喜する光栄な申し出。だが算砂は首を左右に振った。当然だが空気が凍てつく。途轍もなく。

 魔王の小姓たちはうんざり顔で算砂を蔑み見やり、反面護衛の側近侍衆は佐々内蔵助成政を筆頭ににんまりと愉快さを隠せていない。まるでこれから始まるであろう高級な催し物でも観劇するかのような興味津々の面持ちで二人のやり取りに見入っていた。


 ややって魔王信長が口を開いた。


「余の下知に従えぬとそう申すのか」

「心苦しい限りですが、はい。その通りにございます」

「何故じゃ」

「すでに奉公先をこの心に定めておりますればもはや如何ともし難く」

「なるほどの。誰ぞ、余の宝を横から掻っ攫う不遜の輩は。余が直々に成敗してくれようぞ」

「横からではございませぬ。我が主とはずっと共に歩んで参りました」

「なに」

「三つの頃よりの友にございますれば」

「……ふん。で、あるか。何者ぞ、その幸運にして不幸なる者は」

「はい。その者は我が親友ずっトモにして稀代の傾奇者にして天下に悪名を恣に轟かせる従四位下――」

「待て」

「太政官参議」

「待てと申した」

「はい。待ちましょう」


 魔王はけして短くない間くわっと目を見張ったまま固まった。

 その胸中は計り知れない。だが感情なら察して余りあるものがある。この天才軍師となるだろうこと請け負いの逸材と、彼の叡智の権化を一緒に置いてよいものなのか。それだけは確実にそして懸命に吟味精査したことだろう。脳裏に浮かぶ混ぜるな危険の文言とともに。


「囲碁の神髄は布石と申したな」

「はい。申しました」

「地図を持て」

「はっ」


 すると魔王は何を思ったのか謎に軍議さながらの戦談義を展開させた。

 魔王は矢継ぎ早に条件を設定すると布石を放て、即ち侵攻シミュレーションを示せと言う。

 気づけば図面を覗き込む頭は十五を優に超えていた。まさしく先頃行われた北伊勢侵攻軍議の焼き直しの光景であった。


 素人のしかも部外者には意味不明にして珍紛漢紛の設問のはず。

 それでも算砂は問いかけもせず一切動じず、じっと静かに小考に沈む。程なくして、


「背後を分断。こことここを制圧せしめ、こことここに歩兵四個隊を配置。そして残す騎馬隊本体をここに展開いたせばこの要塞は詰みですね。鉄砲隊さえ無用に終わりましょう。ですがこの谷だけはいけませぬ。力任せの無理攻めは多くのお味方を失いましょう」


 お、おおぉ――。


 けっして小さくないどよめきが起こった。

 策自体が途轍もないことはもちろんだが、算砂の示した策は奇しくも昨日執り行われた軍議で三介の言葉を介して開示された最善策と同一であった。

 そしてその最善策を授けたものが叡智の権化五山の妖化け狐であることは多くの者がしるところ。むろんあくまで憶測の域は出ない。だが少なくともこの場に集う重臣たちはその事実を疑っていない。

 そんな中ほとんどまったく同一案といっていいレベルの妙案が別人の口から開示されたのだ。その驚愕たるや想像に難くない。


「なぜだ。なぜ北畠はそこに籠城すると読む」

「織田様が精強無比な織田様であるが故に」

「軍勢八万。ここしか持たぬか。小賢しい。だが実に理に適った仮説であった。如何であるか。余の問いは」

「あまりにも容易い設問ですね。これが如何なさったのです」

「貴様……、参ったのは」

「毘沙門堂にございます」


 毘沙門天は戦神。魔王は唸った。そして静かにキレていた。魔王も同じく算砂が示した策があろうことか天彦の示した策と概ね一致していたからである。

 しかも信長は他とは違う。推測レベルではなく知っている。愛息に策を授けるまさにその場面に立ち会っていたから。


 やはり混ぜると危険に過ぎるのか。魔王を筆頭に、いつの間にやらこの場に集まってきた者たちは正しく異常事態を嗅ぎつけていた。

 そしてその感情はもはや戦慄に近しいだろう。なにせこれらの者たちは少なくとも天彦の脅威度を正確に認識している者たちでもあったからだ。当然の帰結である。

 中でも特に末席にある木下藤吉郎などは歯が折れてしまうのではといった形相で歯を食いしばりながらけれど静かに、碁石の置かれた攻略図面を言葉なくじっと睨みつけていた。


 他も同様、あるいは藤吉郎ほどまではいかなくとも多くが算砂に天武の才を見たことだろう。

 すると絶対に外に逃してはならない。あるいは化け狐と組ませてはならない。そんな思いを強くしていることだろう。何かの切っ掛けひとつで算砂の首は胴体と泣き別れることとなるだろう。確実に。

 大袈裟ではなく事実として確実にそんな感情に支配された重苦しい空気が本堂に沈滞していく。


 とんとん、ばちん。


 ややあって決断の時を迎える。魔王が愛用の軍扇で床を強かに打ち付けたことを合図に。静かにけれど厳に告げられた言葉は深く重いため息とともに吐き出された。


「天彦は友か」

「はい。我が身より大事な無二の友にございます」

「……で、あるか」


 およそ魔王らしくない諦めの色がとても濃い、ともすると敗色の色さえ感じさせる言葉であった。

 だがそんな敗色ムードもそこまで。覇王は覇王の意気を放ち、貴様らなど気にもとめていないとばかり眼光鋭く算砂を睨みつけたちまち陰気な気配を払う。そしてその意気のまま傲岸不遜に言い放つ。


「算砂」

「はっ」

「望み通り本因坊の名を授ける。本因坊算砂、そちはまことの名人なり。気高き囲碁名人には相応しき地位こそ正道哉。朝廷に上奏いたすこと弾正忠信長が請け負い天下に記すもの哉。参上まことに大儀であった」

「はは。謹んで拝命致します」


 祐筆がそっと認めた。同時に周囲から感嘆とも悲鳴ともとれる唸り声が聞こえるのだった。




 ◇◆◇




 永禄十二年(1569)七月二十一日






 茶々丸が意気込み勇んで菊亭家内整備に取り組み始めて四日目の午後。

 今ではすっかり意気消沈。持ち味である行き過ぎた自惚れ感さえ失ってしまい嘘のようにどんよりと公家町を一人歩く。いったい何が彼らを頑なにさせたのかに思いを馳せながら。彼らとはむろんあの頑な以上に強固な頑固者集団の菊亭家人たちである。



 1、菊亭家内構成(序列順)

 >家令(近習旧家から選出)

 >評定衆(近習旧家から選出)

 >近習旧家(世襲制)

 >近習新家(世襲制)

 >諸太夫(文官)≒青侍衆(文官)一代限り

 >用人(一代限り)


 の、家内体制で運営し、すべての家人を直参とする。そしてその中に役職を配置する。


 2、家内構成・役職(順不同)

 外交方(外交・座の調整)

 目付方(全体の見張り役・自領久御山荘の管理)

 勘定方(予算管理)

 購買方(予算作成・勘定方の吟味)

 情報調査方(諜報)

 普請方(工事関係)

 文書祐筆方(文書関係)

 台所方(料理関係)

 医療方(医療・漢方)



 菊亭には序列こそが必要を信条に、練りに練った我ながら自画自賛の傑作である。三日三晩かけて作り込んだ菊亭家内序列はけれど誰からも支持されず遂に不評のまま不採用に終わった。むろん茶々丸のこと。決など採らないし激怒に激怒を重ねてキレ散らかした。

 鉄拳で制裁された者も一人や二人では利かないはずである。だが誰ひとりとして阿らない。靡かない。媚びない。屈さない。特に青侍衆の反発たるや。そのときはじめて茶々丸は菊亭の菊亭たるを思い知った。


 到着。


「御曹司、ようこそお越しくださいました」

「居てるか」

「はい。御在邸にあらせられます」

「ほな通るで」

「どうぞ」


 誰何などされない。茶々丸は屋敷の門衛に顔パスで案内され一直線にお目当ての人物の許へと向かう。


「おったんか亜将。参ったったぞ」

「まるで麿が参って欲しかったみたいに言うな」

「茶を進ぜよ」

「お前もたいがい訊かんやっちゃな。茶や」

「はっ」


 実益は口ではぶつくさ言いながらもどこか快く友の訪問を受け入れる。

 本来なら世間がざわつくほどの二大巨頭。カリスマ同士の邂逅である。だが当人らにはただの日常。

 茶が運ばれるより早くせっかちな茶々丸は何より早く本題に切り込んだ。


「見ろ」

「お前という男は」

「なんや見いひんのか」

「見る。見たるから寄越せ」


 実益は茶々丸の手から引っ手繰るように書付を奪い取って目を落とす。

 茶が運ばれ茶請けも出された。それなりに文面にじっくりと目を通した実益はややって視線を上げた。そして頷き書面を茶々丸に返した。


「どないや」

「意図はわかった。だが悪手や」

「なんでや。儂の狙いは菊亭の組織化や。配役は好きにしたらええんやぞ」

「それが悪手やと申した。お前も居ればわかるが菊亭は家のようで家やない。あれはもはや一種の様式。子龍を軸にして子龍だけで完結してしまう一個の形態様式なんや」

「やからこそやろっ! 今後確実に一門を率いるであろう大家門が一代限りであっていいはずがない。違うんか亜将。お前の家来やろが」


 茶々丸の強弁に実益は首を左右に小さく振る。

 この場合はどちらともとれる。だが実益は完全に諦めの心地でどこか遠い目をして言う。


「無理や。たしかに子龍は麿の家来や。そやけど菊亭一門は違う。あれらは子龍にしか仕えんやろ。そんな好きなこと以外にはてんで関心を示さん主君と、それこそを善しと付き従う狂人家来と。どっちもどっちの阿呆揃い。しかもあの家来ども誰ひとりとっても天下に名を馳せるであろう傑物揃いときては、下手に触らん方が安定する。……そやな土井」


 すると土井を始めとしてイツメンの二名も揃って――はっ! 深く激しい同意の応答を返すのであった。


「なんやそれ、まるで看板役者を抱える芝居一座やないか。菊亭は公家やないんかい」

「まあ呆れるわな。子龍は公家を絶対に譲らんからな。そやけどちゃう。あいつが公家をどう思とるかは知らんが絶対にちゃう。どこの世界に魔王と単独で事を構える公家がおんねん。むっかぁ、何や知らん腹立ってきたぞ」

「はは、混ぜてもらえんと拗ねとるやんけ」

「拗ねるかっ!」


 実益は完璧に拗ねていた。しかも勝ちよって。許さん。ぶつくさ文句がとまらない。

 確かに異常。だがそれはそれとして茶々丸は淡白に言う。


「ほならアカンか儂の策は」

「あかんな。お前にしては上出来やが」

「はっ偉そうに。そやけどこのままでは弱いぞ。確実に倒れるな」

「麿がそうはさせんが、たしかに古参の無さは人材の弱さに通じるわな。だが急ぐこともあるまい」

「おうそや。訊いてるかどうかは知らんがあのアホ、近々将軍家と揉めよるぞ。それでも悠長に構えてられるんかい」

「なに、を……」

「はっはっは、二枚目御曹司、この話は訊かんかったことにせえ」

「できるかっ! くそ、子龍め。今度という今度は絶対に許さん」


 が、会話を続けながらも二人の脳裏には奇しくも同じ人物の顔が浮かんでいたのだろう。ほとんど同時に“参らなしゃーない”と声を揃えてつぶやいていた。


「アレも難物や」

「アレこそ難物や」

「だが要る」

「絶対に要る」


 菊亭には今後欠かせぬピースであるの見解は両者の間で揺るぎなく一致する。


「よし亜将、そうと決まればほな参ろう」

「しゃーない。茶々丸がそこまで麿を頼るなら付いてったろ」

「誰がじゃい! そもそも論、菊亭は己の家来やろがいっ」

「抜かせ、お前の家の主君やろが」

「誰がやねん! 儂は真宗の茶々丸やぞ。木っ端公家の風下なんぞ立つかい」

「ほうそうか。なんやちゃうんか。子龍はむちゃんこ嬉しそうに自慢しとったけど。茶々丸がうちにきてくれたぁゆうてな」

「っ……、知るかボケなす」


 が、弱みを見せて勝ち切らない実益ではない。むろん立場が入れ替わっても現象としては同じことになっただろうけど。


「喜んどったなぁ子龍、ええ顔やった。その顔を曇らすんは忍びないがゆうことはゆうとかんとな」

「やめとけ」

「ゆうとこ」

「おいコラ」

「ゆうとこ」

「……」

「ゆうとこ」

「ごにょごにょ」

「あ?」

「すまん。堪忍や」

「貸しな」

「くっ、コロス」

「はいはい解散、殺せ殺せ」


 だっる。きっも。うっざ。


 知る限りの天彦語録を言いながら逃げるように先を急ぐ茶々丸の背中を、実益の生温かい視線が向けられるのだった。

 大前提、当たり前だがどっちもどっち。どっちも甲乙つけがたい天彦大好きマンなのである。











【文中補足・人物】

 1、人事考課・確定叙職・叙爵(主要人員オフィシャル分だけ上位から)

 >治部省 従五位上/雅楽少輔・植田雪之丞(唐名:大楽令史)

 >近衛府 従五位下/左近大夫将監・片岡助佐且元(唐名:親衛校尉)

 >右弁官局(宮内省) 従五位下/大膳亮・樋口与六(唐名:光禄侍郎)

 >式部省 正六位上/式部大丞・長野是知(唐名:李部少卿)

 >刑部省 正六位上/刑部大丞・本因坊算砂(一世名人)

 >近衛府 従六位上/左衛門大尉・蒲生忠三郎氏郷(唐名:威衛長史)

 >近衛府 従六位上/右衛門大尉・藤堂与吉高虎(唐名:鎮軍長史)

 >右弁官局(京職) 従七位上/東市佑・射干イルダ

 >右弁官局(京職) 従七位下/隼人佑・射干コンスエラ

 >民部省 従六位下/主計助・吉田孫次郎意庵(兄弟子吉田与七了以の弟・菊亭の財務担当兼会計士)

 >民部省 従六位下/大膳大進・岡村勘八郎(兄弟子吉田与七了以の従兄・薬師/菊亭医療班のリーダー)


 2、毘沙門堂門跡

 比叡山延暦寺の別院、中興の祖天海(慈眼大師)が門主を務める

 猶、門跡とは皇族や公家などが出家して寺主(門主)を務める寺院を指す


 3、天海(慈眼大師)

 後の徳川家康の政治ブレーン、算砂の師匠












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