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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
六章 天衣無縫の章
101/314

#04 理が非でも際疾く切り込むが信条にて

 



 永禄十二年(1569)七月十七日






「畿内の京の都の二条衣棚の妙覚寺の砂利キック我泣きぬれてお雪ちゃんと戯る。おもくそインスパイヤされた上にどん滑ってるし字余り氏ぬ」

「なんですのんその面白ない戯れ。あと境内の砂利は蹴らんといてくださいね。後片付けする小坊主さんが大変ですから。ほんで当然ですけど某は一緒するん厭ですから」

「身共も厭やわ、さすがに」

「ほななんで言いましたん」

「なんでやろ。……はて」


 二条衣棚妙覚寺を出てすぐ。天彦はカニの代用に仕立てた雪之丞にはこれっぽっちも悪びれずに、けれど神妙に回想しながらの帰途にある。


『将軍回りの動きが不穏。手の者に何か掴ませておるか狐』

『薄々やったら訊いておらしゃります』

『申してみよ』

『伊勢伊勢守を政所執事から追いやって後釜に就いた摂津中務大輔晴門を中心として評定衆が纏まりを見せたはりますん。裏にはもちろん水色桔梗紋さんがいたはりますんやろ。というのは身共の私見におじゃりますけど』

『うむ。余の見立てとも相違ない。さすがじゃの。射干党と申したか。くれ』

『あげませんけど、いつまで放置するお心算さんにあらしゃいますのん』

『何をであるか』

『知らこいお人さんは嫌われますん』

『誰にじゃ』

『かわいいかわいい身共さんに』

『ふん抜かせ。だが少なくとも畿内を完全に掌握し中国四国くらいは屈服させてからでないと危ういの』

『そんな……』

『そんなとはどんなじゃ。癪だが今や信認は絶大。何より惟任の始末、出来るものならとっくに貴様が自ら進んでやっておろう』

『あ、はい』

『ふん。それを踏まえた上で足利家評定衆に楔を打ち込みたい。越後の思惑さえ見抜き見事手当てして見せた貴様の手腕ならば余の意図、これで十分察せよう。善きに計らえ。頼んだぞ、狐』


 嗚呼……そんな。


 ロイヤルオーダーに匹敵する魔王オーダーがこれである。当たり前だが無茶がすぎた。と同時に魔王様のお言葉には複数の意図が含まれていた。

 むろん狙いのすべてをフォローしてやる義理はない。だが最低でも三つ。これだけは熟しておかないと後が面倒、というのはある。とくに油座で揉める件と地方経済圏に関してはかなり不味いことになる。よって解決という形で媚びを売ることは確定しているのだが、相手先が面倒極まりない相手。何せ天彦、足利将軍家にはオニ敵視されている。


 そしてそれは魔王も先刻承知。知っていながら押し付けてきた。その心は。

 あの魔王のこと。あるいは共倒れを狙われている線まで含みおいて、じっくりと対策を練っていくしかないのだが……、うん。

 やはりどう考えても魔王様。惟任の婚姻、つまり恋千代の存在と細川京兆家の動きに感付いているという結論にたどり着いてしまうのだ。天彦はぶるるっと身震いする。

 つまり実益が匿っていることも知られていると勘繰るのが自然。危険の及ぶ範囲が広がり危険度が一気に跳ね上がった瞬間だった。魔王はやる。邪魔だと思えば躊躇なく。


 だからこそ天彦は本腰を据えて事に当たることを覚悟している。

 脳裏の記憶を貪るように漁り尽くして策を練る。足利評定衆は惟任日向守、細川藤孝、三淵藤栄、一色藤長、曽我乗助、真木島昭光、松井康之、柳沢元政、和田惟正。

 それ以外の家臣で奉公衆といえば、京極高吉、池田勝正、伊丹親興、山岡景隆、真下元種、御牧影重、蜷川親長……。

 時代考証もなにもなく、ただ思いつくだけ思いうかべてみる。そこから精査して篩にかけ将軍側近衆である評定衆と主要人物だけに絞って顔と名を知っている拙い情報に紐付けて少しずつ整理していく。そして誰のどこにウィークポイントがあるのかを探っていく。


 肝はやはり摂津さんか。将軍家の兵力は最大でも一万五千程度。よって動員兵力など問題ではない。問題なのは名と血筋。将軍の呼びかけに応じ連動する敵性勢力こそに最大の有事が潜んでいた。


 仏閣、朝倉、浅井、三好、惟任……。


 これに甲斐武田、越後上杉が加わると詰んでいた。流れ的に毛利が絡んできても驚かない。天彦は我ながらつくづくファインプレーであると自画自賛を挟んでも表情は然程明るさを取り戻さない。

 取り留めない思考がぐるぐる回る。そうでなくとも悪巧みなど実に地味な脳内作業。知らず表情も曇りがちとしたものである。なので糖分摂取がマストであった。


「お雪ちゃんさん」

「絶対の絶対に厭です。何も聞きませんよって何をお喋りにならはっても無駄ですから」

「口調も表情も態度も言葉もぜんぶ、強硬やね。因みにまだ何もゆうてへんのに何で頼み事限定なん」

「当り前ですやん、不吉すぎるんです。若とのさんが某にさん付けなんて」

「おお、なるほど」

「へ……!?」


 それもそうか。天彦は小さくつぶやき即座に撤退。その淡白な応接だけでもかなり相当胡乱なのに、加えて雪之丞の言葉に正論を見たと言わんばかりの殊勝な態度でそれ以上の展開を望まなかった。

 そうなるともはや怪しさは通り越している。雪之丞は距離を置こうとした一歩を踏み出せずにとどまり本格的に天彦の体調を心配してしまっていた。


「若とのさん?」

「ん、どないした」

「なんや具合悪いんですか」

「そんなことあらへんけど。なんで」

「なんでって……」


 雪之丞は言葉を詰まらせる。天彦は普段から可怪しい。だが今はとびきり。一見すると自然に見えるが明らかな異変の兆候が見え隠れしていた。あるいは雪之丞でしか気付けない差異かもしれないが雪之丞にとっては同じこと。明らかな異変に違いない。


 雪之丞はそれを知っている。この表情や気配には見覚えがあった。

 それは父に申し付けられ初めて天彦に従事した日まで遡る。顔を合わせるなり天彦は言った。


『お前さんが植田家の三男坊か。しっかり励み。縁あった以上身共が最後まで守ったるん』


 天彦は言った。まるで準備していた台詞を読み上げるかのように下手クソが過ぎる棒読み口調で。ただ怯えている子供の顔を隠しているつもりのぜんぜん隠せていない怯えきった顔をして。ああ、そんな感じ。


 気付けば雪之丞は大笑いしてしまっていた。恐ろしいと訊かされていた奉公先の主人のあまりの弱弱しさが可笑しくて。

 そう。今の天彦はあの日と同じ。自分と同じ天彦も怖がっているのだと思うと緊張が解れ、逆にお兄ちゃんである自分が守ってやらなければならないと強く感じたあの日と同じ表情をしていた。


 雪之丞はアホだがバカではない。だから肝心な時必ず大ハズシをすることを知っている。だから最近は正しさを真似ることにしている。正しさとは主人であり主君であり弟である天彦を指した。適否や正誤ではない。これは思い込みの勝利である。

 雪之丞はこういうとき天彦はどうするのかを考えこんで答えを導きだす。

 答えが出れば行動まではあっという間。雪之丞の凄いところは思い立ってから行動までにラグがないこと。まぢでない。しようかな、しよ。この間に通常人が持ち込む不安とか迷いなどという感情や概念はどこかに置いてきたかのように思い切りよくやり遂げる。


「……あ、いや。ほんで、これ。どないしたんお雪ちゃん」

「それは某の台詞です。厭なんですか」

「まあ、厭ではないよ。欲しかった糖分もおもクソ摂取できそうやし。でもおもくそハズいけど」

「外野は放っとき。若とのさんは黙っとき」

「あ、はい」


 それはそのままお雪ちゃんに申した身共の台詞やん。天彦は言おうとしてやめた。むぎゅうの心地があまりに良すぎて。

 むぎゅう。天彦は訳もわからず抱きしめられていた。ハズい。むちゃんこ。

 だがその気恥ずかしさがどうでもいいほど心地よかった。それを証拠に不安と迷いでぎゅうぎゅうに締め付けられて苦しかった心が解放され、冴えなかった思考まで靄が晴れた気分になっていた。


 欲しかったのはこの甘味。あるいはそれ以上のご褒美である。満足、満足。……とはならんやろ。なんこれ。


「でもまあええさんや。おおおきにさん。さすがはお兄ちゃんやね」

「当り前ですやん。しんどいときはいつでも某にお申し付けください」

「ええのん。ほな――」

「厭ですけど」

「おい」


 一応形式上突っ込みながらも内心ではデスヨネ。いずれにしても面白かったのでオールOK。

 天彦は数分前までのどんよりした空気感を完全に払しょくした冴えた顔で視線を一か所に見定めた。その視線の先には袈裟を被った従士の姿があった。


 あ、これ絶対に何かある前触れ。


 天彦は不穏を予感したくせにどこかワクテカ可笑し味に身を委ねるような真似をして待った。




 ◇




 従士が列を離れて近寄ってくる。主君の居る中心に向かって。


 普通なら列を離れた時点で所属の十人隊足軽頭にどつき回されるか、悪くとも天彦の護衛に追い払われてお仕舞いである。

 ところが十人隊足軽頭はもとより側近の護衛たちでさえどこか扱いに困るような表情で誰もが対処の先を譲り合った。すると制止の声がかけられないまま従士は天彦の至近にまで辿りついてしまう。


「己ら邪魔や、疾く退け」


 襤褸とまでは言わないがけっして身綺麗とは言い難い格好の従士が低い声で告げると、菊亭屈指の護衛隊が瞬間的に恐れをなした。具体的には我が身を盾として壁を作っていた鉄壁の布陣に隙を作って言葉に従ってしまっていた。


 この応接、天彦護衛班にとってはあり得ないことであった。中でも特に天彦を我らが主と定めて命どころか魂さえ捧げている氏郷隊に限っては絶対にあり得ない光景である。

 だがあり得た。護衛たちは誰もが俯き加減に意気消沈し従士の言動を迎え入れる。あるいは身体ごと。


 一方その従士はどこか鼻につく不遜な態度で実際に不甲斐ないといわんばかりに鼻を鳴らして護衛の応接を嘲笑うと、被っていた袈裟を脱ぎ放った。

 するとそこには凛々しくも険しい双眸を尖らせる摂関家近衛の猶子、茶々丸の顔があった。

 茶々丸の菊亭家における扱いや家人たちの感情はだいたいおわかり頂けたかと思う。ハッキリ言って不人気である。

 その茶々丸は周囲の不快感などまるでお構いなし。天彦の至近にまで身を寄せて然も己が上位者であるといわんばかりに下目遣いに天彦をみやり、顎をしゃくって“だろ”的な謎の同意を求めていた。


 天彦は小さく苦笑。ややあって護衛たちを手で追い払う仕草をした。


「なっ――」


 思いもしなかったのか。護衛たちは驚愕と不満の声を上げる。

 だが束の間、一瞬で静寂に包まれる。それもとびきり不穏な静寂に。

 護衛たちは茶々丸の言葉に耳を傾ける姿勢をとった。主に氏郷率いる蒲生党の面々は半ばいきり立って茶々丸と相対した。


「主君の言に従えん家来は要らんぞ。特に貴様」

「某が何か」

「蒲生とか申したか。貴様、もう往ね」

「なぜ寺の子倅ごときに某の進退に言及されなければならぬのかっ!」

「それがもう間違いなんや。儂を一介の雑魚に扱うその思考が落第や。菊亭の傍には置けんと言うことや」

「……生家も継げぬ生臭坊主がよくもほざく」

「負け惜しみがダサい。儂は何らかの力が作用して継げへんのではなく己の意思で継がへんのやが、まあ序や。ほなもっと言うたろ。一家の主が命を張って守ろうとしている物がこの程度やとさすがに憐れで同情してまう。主の思いや諸々そんなことも区別がつかんのが家来のほとんどやとはいよいよ菊亭も寒いんと違うか」

「なに、を。……無礼が過ぎる。撤回して頂きたい」

「アホが。疾く往ね」


 ぐぬぅぅぅぅ。


 氏郷が憤怒の表情で怒気を放つとまさに一触即発。氏郷隊のほとんどが半身に身構えてしまっている。

 だが茶々丸はまるで物ともせず涼しい顔で受け流す。一方考えるまでもなく茶々丸の発言のほとんどが自分に向けられた叱責、もしくは激励であると気づいている天彦がこの場で一番苦い顔をしていた。


 天彦は自分に向けられた言葉を真摯に受け止めつつも反面お前もゆうほどかしこちゃうけどなと茶々丸を脳裏で詰って、最終的にはかなり自嘲が混じっている苦い笑顔を浮かべながら、


「氏郷」

「はっ」

「いつもおおきにさん。頼りにしてるで」

「あ、いえ、ですが」

「おおきにさん」

「は、ははっ!」


 労いの言葉だけで場を治めてみせるのだった。ちょっとだけ得意がって。

 さすがの茶々丸もこれには苦笑いを浮かべるしかない。かなり殺伐としていた場の空気は次第に緩和されていた。


「茶々丸。ちょっと歩こうか」

「甘えごと訊いたろ」

「自分だって話したいくせによくいう」

「ふん」


 二人は肩を並べて歩き始めた。指示があったわけではない。だが護衛たちは自然と二人から距離をとっていた。




 ◇




「あれが天魔か。……さすがにごっついの」

「びびるやろ」

「まあな」

「へー。茶々丸が素直とかその方がビビるんやけど」

「アホか。儂はアレと対等に渡り合うお前の器量にびびっとるんじゃ。勘違いすな」

「一緒やん」

「ちゃう」


 ほなそういうことで。天彦はすぐに譲った。

 茶々丸は今回が初接見だったのだ。その感情たるやよくわかる。アレと出逢った日は天彦も興奮のあまりよく寝付けなかったことを鮮明に記憶している。


「天魔、儂の存在に気づいとったぞ」

「まぢ」

「ほんまや。何度も目が合うた」

「やば」


 さすがの茶々丸も少し、いやかなり寒い感情を押し出している。

 謁見中ずっといつでも茶々丸を思う存分処理できたまさに掌の上という状態だったのだ。その感情も理解できた。


「そやからこそびびっとるんや」

「ん」

「天魔はお前をアホほど信頼しとる。そやから儂を泳がせた。その信頼を勝ち取った菊亭、お前がえげつないんや。敵方の儂からすればえげつない。アレは天下を乱す大魔王やぞ。なんでアレと手が組めるんや」

「はは大魔王。たしかに。手は組めるよ。悪魔とも神仏であろうとも」

「……さすがにごっついの。お前と言う男は」

「そうかな。でもまあ頑張ったん」

「そやろな。ほどほどにせえよ」

「身共が好きすぎて心配なんや。まあわかるけど。にしし」

「おい菊亭、どつき回されるか撤回するかの二択や。5、4、3――」

「撤回!」


 秒で撤回してさて。

 魔王さんは去り際、関東管領とはずいぶんと懇ろの間柄になったそうじゃのと言い置いて去っていった。背中越しなので天彦に表情はわからない。だが想像は容易についた。


「激オコっとるやんけ。いや違う。あれは勘繰っているんか。いずれにしても菊亭、あれはヤバいんと違うか」


 天彦は茶々丸の指摘にうんと頷く。

 可能性の第三候補としては僅かに拗ねているまであるが、そんな訳はないだろうし……。と一旦思考を仕舞った途端、思いもかけない角度から予感めいた閃きが舞い降りてきた。ぞぞぞ。

 魔王が打ってくるだろう次の一手の答えを予感した途端、天彦の肝は凄まじく凍えた。この予感が正しいのならば織田家からは撤収の一手である。

 ヒント頂戴の言葉を飲み込み粘ることを一切諦め早々に座を辞退して大正解。もし万が一あの場で回答を寄越されていたらかわせたかどうかはかなり怪しい。

 すると設問だけが残され詰んでいた。しかもこの設問、受けようが受けまいが難易度は雲を掴むような難解S級ときている。それはため息も深くなる。


「やはり正史通りご退場願うのが吉さんなんやろか」

「……!?」

「くふっ。身共を縛り付けようとした上に脅すとかアホなんやろか。阿保なんやな、ほな要らんか。魔王なんか居らんでも世界はちゃんと回ってくれるし」

「お、おい。菊……てい」


 男子たるもの多少の凄味は纏うべき。だとしても違う。ゾーンに入ってしまっている天彦は完全に不気味な人になっていた。

 それこそ自他ともに認める親友ずっトモ茶々丸がドン引きしてしまうくらいにはキモい顔でぶつぶつと、誰かの耳に入ったら不味いでは済まないむちゃんこ不穏な言葉を添えて。


 だがこれぞまさしく因果応報の極致ではないか。何かに関わるということは何かも関わってくるということを指す。ましてや史実に介入しようなどと大それたことを仕出かしたのだ。相応の罰は受けて然るべき。曖昧模糊な確率論でさえ歪を嫌って収束に向かうのだ。事実や史実が歪を嫌わないはずがない。


 という理論的な沼に嵌って天彦が人知れず後悔に暮れていると、


「菊亭。今回の件、受けるんやな」

「請けるも何も強制発動やん」

「よしわかった。菊亭、何を置いても土台が肝要。まず家を何とかせえ」

「家?」

「そや。お前とこはアカン。てんでなってへん」

「まあ寄り合い所帯やから」

「ちゃう。格に見合ってへんのや。お前は何様や」

「何様って、従四位下参議やけど」

「そや。ほとんどが平伏す大宰相や。これではアカン。一歩譲ってお前はようても主上への侮辱や。それはアカン。今後は朝廷とも上手いことせなアカン。どない転んでも魔王と密に絡んでいく行く以上これは絶対の条件や」

「あ……、うん。どないしたん突然発火して」

「茶化すな」

「う。はい」

「おう。もう一個、あの様子では将軍家とも構えるんやろ」

「構えるというのは敵対するという意味なん」

「そや」

「ほなら、うん。かもしれへん」

「どっちやねん!」

「ひぃ。そんな大きい声出さんでも」

「おいコラ。逃がさんぞ」

「はい敵対します! てかもうしてるん。ぐーは仕舞っか、な」

「ふんさよか。よし一個ゆうたるわ」

「要らんし」

「もう織田に取り込まれとるやんけ」

「要らんてゆうたやん。どうせ耳に痛いに決まってるん。でもそれはちゃうよ。取り込まれてはないさんや」

「どう違う。好きに顎で使われてほいほい越後くんだりまで遣わされて」

「ちゃうもん。お小遣いもらってるし」

「拗ねるなガキかっ! まあええわ、儂に任せ。儂がしたる」

「へ」

「四の五の申すな。儂に任せ。菊亭の政は儂が仕切ったるゆうとんねん」

「え」

「おう。燃えてきたで」


 はい……? 


 何も頼んでいないし了承もしていない。だが。

 腕がなるとかなんとか言って実際にご自慢の剛腕をぶんぶんとぶん回し始めているこのモードに入った茶々丸に否応など通じるはずもなかったのだった。


 と、そこに。


「善きご学友にございますな」

「茶々丸なぁ。でもむちゃんこ浮いてるやん」


 従五位下/大膳亮を拝命した樋口与六が身を寄せてきた。

 天彦はこっちおいでと手招きして目下雪之丞以外では出されることのない超至近に侍る許可を出し好待遇で迎え入れる。


「個性とは際立つとああなるとしたものでは。某は嫌いではござりませぬが」

「……まあ、そうやな。おおきにさん。与六の言う通り人柄はけっして悪くはないさんや」

「殿にお仕え致す身として、某も斯くありたく思いまする。菊亭はほとほとお手本が多くにござる」

「え。どこに」

「そこらかしこに」

「どこ」

「ははは、よくご承知のくせに。お人が悪い。いやよろしいのか」


 天彦は本気で言っていた。言っていたからこそ与六の視線を追ってたどり着いた先に気づいてドン引いた。与六、正気か。

 そして本気の本心から絞り出すように言葉を吐いた。与六の教材さんを視線で捉え、


「あかんあかん。与六のためや。アレだけは絶対にお手本にしんとき」

「家来の鏡に思いまするが」

「ない。絶対にあらへん。アレはただ己の感情に素直に好き勝手に振舞っているだけさんや」

「ふむ。そうは思いませぬが、だとするとずいぶんと辛い評価にございまするな。今後の参考に致しより一層励むといたしまする」

「あはは、そない気張らんでも十分凄いんやからほどほどさんでかまへんよ」


 果たして誰を指さしたのか。けれど周囲でこっそり聞き耳を立てていた護衛たちからは圧倒的に激しい賛同の意を得ていたことだけは確かであった。


 が、おちゃらけもそこまで。与六が表情を引き締めたので天彦も倣う。


「将軍家と構えるのですな」

「流れでな」

「なんと豪気な。ならば某の命、遠慮は御無用にて。何なりとお好きにお使いなさいませ。よろしいか殿、情けも過ぎれば仇となり申しますぞ」


 あ。


 図星すぎた天彦は声にも出さず頷きもせず、あるいは瞬きもできずに固まったまま、けれど必死になってうんともすんとも応じずにお得意の曖昧な笑みだけは浮かべてみせた。精一杯の意地として。

 たぶんそれが精一杯の応接だったのだろうと与六に完全に見透かされていると知りながらも。


 愛の人、からいさんやわぁ。激辛やん。際疾きわどく切り込むのが持ち味とは知っていたけれど、もう少し加減してもええんちゃうんとかなんとかたっぷりと愚痴をこぼしながら問題山積みの菊亭本拠に舞い戻るのであった。












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