40 栄西のお茶
建保二年、西暦一二一四年。
二月初め。将軍一行が二所詣から帰って来た。
「お帰りなさいませ。みなさま、お疲れ様でございました」
安達景盛は、準備万端で酒の用意をしていた。一行はたちまち大宴会に突入した。
「楽しんでいるか、太郎」
実朝の言葉に、泰時は遠慮がちに答えた。
「私は、合戦での失敗以来、断酒を決心しましたので」
泰時の言葉に、実朝は笑った。
「できぬ誓いなど、最初からたてぬ方がよいぞ。正体を失うほど飲み過ぎなければよいのだ。ほどほどならば、問題はあるまい」
「それも、そうでございますね」
泰時の誓いは早くも破られてしまった。
実朝も、日頃の憂さを晴らしたいと思ったのか、杯を飲み干すのがいつもよりも早かった。
実朝は、遠くを見つめるように、ぽつりとある人物の名を口にした。
「朝盛は、どうしているのであろうか。生きているのか、生きていたとしても、もはや会うことはかなうまい」
泰時は、主君へのかなわぬ熱情を込めた朝盛の切なげな瞳と、泣き笑いのような顔を思い浮かべた。
「首は見つからなかったそうですから。きっと、どこかで、御所様との思い出を偲びながら、生きながらえていると、私は信じております」
「思い出、か。朝盛は、どうしても私との思い出が欲しいのだと言った。だが、私は、御台でなければ嫌なのだ。だから、この身は汚されても、心はやれぬとそう言ったのだ。私は結局、朝盛を傷つけることしかできなかった……」
実朝の突然の告白に、泰時は言葉を失った。生真面目な性格の泰時から見ても、朝盛は思いつめやすい男だった。
(御所様は、一体どのような状況で、あの男の本当の想いをお知りになったのだろうか。)
実朝と朝盛のその時の状況を想像した泰時は、ひどく胸が痛んだ。
「まさか、男の家臣が主人に迫ってくるなど、思ってもいなかった。あのようなことをするのは、後にも先にも朝盛だけだろうが。一体、私などのどこがよかったのだろうなあ」
自嘲気味に笑う実朝に対して、妙な苛立ちを感じた泰時は声を荒げた。
「御所様は、鈍すぎるうえに、隙だらけですから。不埒なことを考えるのは、朝盛だけとは限りませんよ」
この時点で、実朝も泰時も相当飲んでいた。酒で判断能力が鈍っていた実朝は、いつもとは違う泰時の言葉を特に気にすることもなく、言葉を返した。
「まあいい。今夜はこころゆくまで共に楽しもうではないか」
「はい御所様!今夜は、大いに飲みましょう!」
赤い顔をしている泰時はすでに出来上がっていた。
そんな泰時に対して、飲んでも全く顔に出ない時房は、呆れたように言った。
「太郎。お前は、さっき断酒を決意したとか言っていなかったか?」
「あれは、正体を失うほど飲まないという意味での断酒なのです!」
いつもの堅物ぶりはどこへやら。
泰時は、酒が入ったとたん、父親の義時や弟の朝時と同様の調子者に変化してしまった。
「たまにはよいではないか」
そう言って、実朝も泰時と共に、調子に乗って杯をどんどん重ねていく。
「御所様も。明日は、栄西和尚様との面会日でしょう!」
しかし、すでにへべれけ状態の二人の耳には、時房の諫言は全く入っていない。
酔っぱらいのつけは忘れた頃にやって来る。気の向くまま杯を重ね続けた主従は、いつの間にか記憶が無くなっていった。
目が覚めて気が付いたとき、実朝は強烈な吐き気と頭痛を感じて、泰時に訴えた。
「太郎、頭が痛くて、気分が悪い。なんとかしてくれ」
泰時にも、実朝を介抱する余裕などなかった。
「恐れながら、御所様。私も、同様です」
「そう言えば、今日は、栄西和尚との面会日だった!どうしよう!」
「どうしようと私に言われましても。帰っていただくのは失礼に当たりますし。本当のことを言って会うしかないのではありませんか」
面会に来た栄西は、実朝と泰時の様子を見て、おやおやと言った顔で笑って言った。
「これはこれは。いかがされましたかな。御所様」
「面目ない、和尚。飲み過ぎた」
同じ体たらくの泰時に対しても、栄西はからかうように言った。
「いけませんなあ。御諫めすべきご近習までが御一緒では」
若い主従は、老僧の前で、恐縮するばかりだった。
「それでは、二日酔いに効く妙薬がございますので、寺から届けさせましょう」
栄西が言った妙薬とは茶のことであった。栄西は、実朝に茶とともに、茶の効能を説いた『喫茶養生記』という書物を献上した。
栄西から届いた茶の苦みが全身に行き渡たり、主従への効果はてきめんだった。




