第258話 落日の聖女
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あれからさらに、二日半が経過していた。
シャルディア城、国の重要事項を決定する「円卓の間」
重厚な扉の向こうには、ライベルク国王をはじめ、第一王子オリヴァー、宰相、そして魔道士長オーレイン、元帥ドノヴァンといった国の枢機たちが、神妙な面持ちで着席していた。
彼らは待っていた。主神デュールより下された「使命」を果たし、無事に帰還した「聖女」との再会を――
「 ・・・遅いな。身体の具合が優れないとは聞いているが 」
第一王子オリヴァーが、不安を隠せない声で呟く。
彼にとってハルノは、単なる恩人以上に淡い憧憬の対象でもあった。数日前に見た、黒髪をなびかせ快活に笑う若き聖女の姿が、今も瞼の裏に焼き付いている。
「 静粛に・・・来るぞ 」
国王の厳格な声と共に、重い樫の扉が、軋んだ音を立ててゆっくりと開かれた。
室内の視線が一斉に注がれる。
誰もが、あの彼女が、少し疲れた顔で笑いながら入ってくることを想像していた。
しかし――
最初に姿を見せたのは、騎士リディア・ブラックモアだった。いつもなら凛々しい表情を崩さない彼女が、今は噛み殺したような、泣き出しそうな顔で唇を震わせている。
そのリディアが、まるで壊れ物を扱うかのように、慎重に手を貸して支えている人物。
コツ、コツ、コツ・・・
石床を叩く硬質な杖の音。
そこにいたのは、一人の「老女」だった。
その髪は、色素が抜け落ちたかのような総白髪。
かつて瑞々しい輝きを放っていた肌は、無数の皺に覆われ、頬は痩せこけ、目の周りには深い隈が刻まれている。
背は小さく丸まり、リディアの腕と杖に体重を預けながら、一歩一歩、やっとの思いで歩を進めていた。
「 ――っ!? 」
オリヴァーが息を呑み、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「 ブラックモア、その御婦人はどなただ? まさか!! 」
オリヴァーの悲痛な叫びが広間に響く。だが、リディアは涙を堪えて俯くことしかできない。
老女は静かに、しかし威厳を持って片手を上げた。その手は枯れ木のように細く、茶色い染みが浮き出ている。
「 ・・・オリヴァー殿下、数日ぶりです 」
その声はしわがれ、掠れてはいたが、間違いなくハルノの声色だった。抑揚の中に宿る知性と、相手を慈しむような響き。それは彼らがよく知るハルノのものだった。
「 な・・・、まさか・・・ 」
オリヴァーの顔から血の気が引いていく。国王もまた、握りしめた拳を円卓に押し付け、目を見開いて硬直していた。オリヴァーだけは、胸のざわつきの正体を理解し、絶望に顔を歪めた。薄っすらと予感していたハルノの異変――それが、最悪の形で目の前にあるのだと。
ハルノはリディアの手を借りて円卓の空席まで辿り着くと、深く一礼し、そして力なく椅子に腰を下ろした。その動作の一つ一つが、ひどく緩慢で、見ているだけで痛々しい。
「 驚かせてしまい、申し訳ありません・・・ですが、これが現実です。これ以上隠し通すのは無理だと判断したのと・・・単純に、老衰で突然死する可能性が、高くなったので、最後の御挨拶に・・・ 」
ハルノは自らの老いた掌を見つめながら、淡々と語り始めた。
「 デュールさんより賜った『使命』。詳細はこの際、省きますが、迫り来る――とある災厄を止めるために行使した、奇跡の代償がこれです 」
彼女は顔を上げ、凍りついた円卓の面々を見渡した。
その瞳だけは、老いを感じさせないほどに澄んでいたが、目尻の皺が彼女の過ごした濃密すぎる時間を残酷に物語っていた。
「 私の命という『燃料』を、数十年分、先払いで燃やし尽くしました・・・今の私は、肉体的には、八十前後といったところでしょうか 」
シン――と、呼吸音さえ憚られるような静寂が、部屋を支配した。
ハルノに与えられた使命――
遥か彼方の別の宇宙にある「故郷の星」を救うためだったという真実を、リディア以外、ここにいる誰も知らない。
彼らはただ、この世界の神であるデュールの命令に従い、彼女が「何か」を守ったのだろうとしか理解できないだろう。
「 たった、一つの使命のために・・・ 」
国王が、震える声で言葉を絞り出す。
「 神の命とはいえ、ハルノ殿はまだ若かった。これからの人生があったはずだ。それを、全て・・・投げ打ったと言われるのか? 」
国王の目には明らかな涙が浮かんでいた。
その重すぎる事実に、オリヴァーは崩れ落ちるように座り込み、両手で顔を覆った。
その時、末席に座っていたオーレインだけが、ギリと奥歯を噛みしめ別の思考に及んでいた。
オーレインの脳裏に、先日「鑑定の間」で封印した『転生の揺籃』が過る。
他者の命を喰らい、若さを永らえる悪魔の技術。セルフィアはそれを使い、350年を貪り、美しくあり続けた。対して目の前の聖女は、使命のために自らの時間を捧げ、老婆と成り果てた。
その対比があまりにも残酷で、そしてあまりにも――気高かった。
「 ・・・どうか、悲しまないでください 」
ハルノが困ったような、それでいて穏やかな笑みを浮かべた。その表情のシワすらも、今の彼女には年輪のような深みを与えていた。
「 少なくとも、私は納得しています。この身が朽ちようとも、大切なものが守られたのなら・・・それが、私の『生きた証』ですから 」
その言葉に、室内のすすり泣きが漏れ始めた。
傍らに立つリディアが、堪えきれずにハルノの肩に顔を埋める。
八十の老婆の姿をした二十代の聖女。
その痛々しくも神々しい姿は、その場にいる王たちの魂に、消えることのない楔を打ち込んでいた。
「 あとのことは、デュールさんに指示してますので、ペースが落ちるとは思いますが、要である霊薬の供給が途切れることはありません。ただ――、蘇生魔法を使える者がいなくなるので、その点は、どうしようもありません・・・ 」
『 主神デュールに指示を出す 』そんなことが許されるのは、使徒ハルノだけだろう。
円卓の間を支配していたのは、重苦しい絶望だった。
蘇生魔法の喪失、ポーション供給の縮小、それら国家的な損失もさることながら、目の前の「小さくなってしまった恩人」を救う手立てが何一つないという無力感が、国王たちの心を圧死させようとしていた。
「 ・・・待たれよ 」
その鉛のような沈黙を破ったのは、低く、しかし鋭い刃のような声だった。魔道士長オーレインである。
彼は席を立ち上がると、脂汗の浮かぶ額を拭おうともせず、真っ直ぐにハルノを見据えた。その瞳には、学術的な探究心と、倫理的な葛藤が激しく火花を散らすような、鬼気迫る色が宿っていた。
「 オーレイン? どうした? 」
「 陛下、そして聖女様・・・今の話を聞き、もはや躊躇っている時間はないと判断しました 」
オーレインは一度言葉を切り、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
これから口にする言葉は、宮廷魔道士として、あるいは人として、決して口にしてはならない「禁忌」だ。
だが、このまま彼女を枯れ木のように朽ちさせる罪に比べれば、地獄に落ちる方がマシだ。
「 先日の戦闘で回収したセルフィア・ルーメンの遺物・・・その中に一つだけ、解析を保留し『厳重封印』とした物品がございます 」
「 封印? なぜ今、そんな話を? 」
「 それが――『転生の揺籃』と呼ばれる、失われた魔道具である可能性が高いからです 」
その名称を聞いた瞬間、ハルノの眉がわずかに動いた。
オーレインは続ける。その声は震えていたが、言葉は明確だった。
「 本来、人の魂を新たな肉体へと定着させ、永劫の時を生きるための触媒。セルフィアが350年もの若さを保ち続けた、その根源たる機構そのものです 」
ざわっ、と室内に戦慄が走る。若さを保つ。その言葉が持つ意味を、この場の誰もが即座に理解したからだ。
「 ま、待てオーレイン! ということは、それを使えばハルノ殿の身体も!? 」
オリヴァーが食いつくように身を乗り出す。だがオーレインは首を振らず、苦渋に満ちた顔でハルノへと視線を戻した。
「 理論上は、可能なはずです。失われた肉体の若さを、別の肉体を使い再構築できるかもしれない・・・ですが 」
オーレインは拳を強く握りしめた。
「 これは『悪魔の法』です。他者の生命力を触媒とし、理をねじ曲げる冒涜的なアイテムだ・・・ 」
そこまで言うと、オーレインはその場に膝をつき頭を垂れた。
「 聖女様。貴女様のような清廉な魂を持つ御方に、このような穢れた力を使わせるなど、万死に値する提案であることは重々承知しております! しかし! 」
老魔道士の声が、悲痛な叫びへと変わる。
「 しかし、我々は貴女様を失いたくない! 邪法であろうと、禁忌であろうと! そこに『生』への細い糸があるのなら、わたくしは悪魔に魂を売ってでもそれを手繰り寄せたいと存じます! 」
床に額を擦り付けるオーレインの姿に、誰も言葉を発せなかった。
それは、この場にいる全員の総意でもあったからだ。
ハルノは驚いたように瞬きをし、やがてその老いた瞳をゆっくりとオーレインへと向けた。
「 転生の、ようらん? 」
彼女の口から零れたその言葉は、希望の光か、それとも新たな絶望への入り口か――
老婆となった聖女と、ひれ伏す老魔道士。
二人の間に流れる空気は、張り詰めた糸のように今にも切れそうだった。
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サイレンがいまさらアニメ化!激アツですね
ちなみに、あと数話で最終話になります!




