第250話 邂逅
湿った砂利の匂いが唐突に断ち切られ、世界が暗転する。次に肺腑を満たしたのは、研ぎ澄まされた冷たい夜気だった。
「 ――おい! 急げ! 」
鼓膜を劈くような怒号。弾かれたように顔を上げると、視界を埋め尽くしていたのは、夜の闇を焼き払わんばかりの無数の松明。そして殺気立ったライベルク王国兵の群れだった。
先頭を駆けていた騎馬兵が、突如出現した私たちの姿に気づき、慌てて手綱を引く。甲高い嘶きと共に、巨大な軍馬が頭上で前脚を高く跳ね上げた。
――押し潰される
そう錯覚するほど巨大な鉄の蹄が、私の鼻先数寸の虚空を薙いだ。凄まじい風圧に顔をしかめるが、松明の赤光に照らされた私たちを見た瞬間、兵士の顔が驚愕に引き攣る。
「 う、おぉッ!? まさか聖女様?! 」
「 ブラックモア卿もいらっしゃるのか! 」
彼は馬から転げ落ちるように飛び降りると、泥だらけの地面も厭わず、その場に平伏した。
「 ぶ、無礼を働きました、聖女様! 」
周囲の兵士たちも異変に気づき、ザッと足を止める。
「 なんだ、どうした! 」「 敵か?! 」と色めき立つ声が、私たちの姿を認めた順に波が引くように静まり返っていく。
「 聖女様だ! 」
誰かが零したその言葉は、さざ波のように――しかし爆発的な速度で軍列の奥へと伝播した。
「 聖女様だ! 聖女様が戻られたぞ! 」
先ほどまで満ちていた肌を刺すような殺気は霧散し、代わりに熱狂的な歓喜が夜を支配していく。
ガチャリ、ガチャリと甲冑の打ち鳴らされる音が連鎖した。騎乗していた者は馬を飛び降り、歩兵は武器を投げ出し、一斉にその場へ跪く。それはまるで、王の帰還を迎える儀式のようだった。
「 どうしたんですか、こんな夜中に! 何かあったんですか? 」
問いかけると、目の前の兵士は乾いた唇を舐め、強張った表情に切り替わった。
「 はっ! 真龍殿が四半日前、南東の空へと飛び去りました。伝令によれば、真龍殿と過去に因縁を持つ『魔道士』が王都に迫っているとのこと。すでにミルディア領を抜け、直轄領内に入り込んでいるのは確実かと 」
そこで一度言葉を切り、兵士は南東の夜空を忌々しげに睨みつけた。
「 敵の規模は完全に不明。我々は現在、敵襲を第一に警戒し、防衛網を敷いている段階であります 」
「 え? 龍さんが? 」
「 はい。真龍殿の言葉を借りれば――にわかには信じられませんが、『 聖女様にも勝るとも劣らない魔道士 』だとか 」
その言葉に、背筋が粟立った。
――もしかして龍さんに『呪い』とやらをかけた張本人か? いや、それ以外は考えられない。真龍の素材を未だに狙い、執拗に追ってきたというのか?
以前、龍さん本人から聞いた話では、超レアな真龍の素材を狙って、問答無用で襲いかかってきたというが・・・
――マジかよ
龍さんが逃走を選択するほどの相手。魔道士として桁外れの化け物であることは想像に難くない。
龍さんの特殊能力である『 遠方からでも対象の属性を感じ取る能力 』で、魔道士の接近に気付き王都を飛び立ったのだろう。
私や国王様が頼んだわけでもないのに、龍さんはいつの間にかライベルク王国を守護する存在になっている。
その龍さんが未だに戻ってきていないということは、相手が少数、もしくはその魔道士単体という可能性を示唆している。
もし王都を攻めるほどの大軍勢を上空から確認したならば、踵を返して報告に戻っているはずだ。
あるいは、待ち受けていた魔道士の罠にハマり、動けなくなっている可能性も考えられる。
「 規模が不明って・・・もしかして龍さん目当てじゃなくて、ライベルク王国を落とすために大軍で攻め入って来た可能性もあるって事ですか? 」
「 はい、真龍殿の警告から、その可能性もあるかと存じます。現在、防衛線を展開しつつ斥候部隊からの報告を待っている状態です 」
そもそも南からの大軍の進軍ならば、パルムさんの領軍が気付いて急使を立てているだろうし、大きく迂回しミルディア城を避け運良く誰にも見つからなかったとしても、絶賛修復中のサエスタ大橋は――大軍で渡るのは無理だ。
もし臨時の吊り橋に気付いたとしても、大軍で通過していたら時間が掛かり過ぎる上に危険だろうし、そもそも斥候部隊が慌てて報告に戻っているはず。
「 リディアさん、南東からってことは少数で吊り橋を渡ったと推測できる。旅人のふりして通過したか、考えたくないけど――吊り橋で警護任務に就いている人たちは皆殺しにされてる可能性もある 」
「 はい、わたくしも同じ考えです 」
「 私はともかくリディアさんはあんまり仮眠とれてないと思うけど――、今すぐ一緒に来てくれますか? 」
「 当然でございます! 睡眠は車内で十分とりましたので問題ございません 」リディアさんは快活に即答していた。
「 バルモアさんも呼ぼう 」兵士たちを尻目に、私は斜め掛けバッグからトランシーバーを取り出した。電子音が鳴り電源ランプが灯る。私は冷静に周波数ツマミを確認した。
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ワルキューレ三機に吊るされた私たちは、夜空を疾駆する。
方位コンパスを常に凝視し、正確に南東方向を目指す。
飛び立ってからすぐに、LEDライトの灯りを揺らしながら走る、複数の騎兵を眼下に確認した。
すぐに降下し、できるだけ驚かさないように配慮し、声を出しながら近づく――
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「 はい――、その件の魔道士は、真龍様に身内を殺されたと主張しており、まっすぐ王都に向かうと申しておりました。ハルノ様と真龍様との御関係もパルム殿が説明したのですが、聞く耳を持っていなかった様子との事にございます 」
臣下の礼のまま、ミルディア城からの使者が簡潔に報告を終えた。
「 身内を殺された? 私が龍さんから聞いてる話とは全然違うな・・・龍さんが私に嘘をついてるとは到底思えない。そのイシュリリア国の魔道士の狂言か・・・ 」
「 停止させてごめんなさいね。では、あなたたちは王都に急いでください! 」
「 畏まりました。ハルノ様――、くれぐれもお気をつけください 」
兵士さんたちの返事を聞き、即座に航路を戻した。
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南東へと進路を取り、しばらくのあいだ夜空を滑空する。
首まですっぽり覆う猫耳目出し帽は、上空の刺すような風を完璧に遮断した。平屋に置いていたダブルライダースの無骨な革を重ね着しているおかげで、体幹に寒さを感じることもない。
リディアさんもまた、ヒートテックとウィンドブレーカーの組み合わせで問題ない様子だ。
全体像としては、翼を持つ3体の魔物に連れ去られている最中の――モコモコ猫耳を頂点に、黒光りする三人が夜間飛行をしているという、なんとも無茶苦茶な絵面だろう。
私の服装に関しては、ダサいとか、かっこ悪いとか――そんな元地球の価値観はこの際どうでもいい。今はただ、この寒さ対策が命綱なのだ。
バルモアさんは横を飛んでいるが、彼は種族的に寒さに強いらしく、薄い布一枚で涼しい顔をしている。
彼の瞳が、夜の帳を鋭く射抜いた時だった。
「 ――使徒様、あれを! 」
バルモアさんの、普段からは想像もつかないほど緊迫した声が響く。
言われるまでもなく私もそれを視認していた。漆黒の絨毯のように広がる大地の一点。遥か遠方、南東の水平線から垂直に立ち昇る、真紅の光の柱。
それは炎ではない。まるで大地の血管が破裂し、煮えたぎる血が空に向かって噴き出したかのような、棒状の強烈な赤い光線だった。
光は揺らがない。夜風に煽られることもなく、太く、そしてあまりに規則正しく、暗闇を突き破って天の頂を目指している。まるで世界にできた修復不可能な傷跡のようにも見えた。
距離があるにも関わらず、その色の深さ、密度の濃さから、ただならぬ異常事態だと瞬時に理解させられる。普通の火事では決してない。あれは物理法則を無視した明確な「現象」だった。
「 あれは・・・魔法か? 」
私の声がバラクラバの中でくぐもる。隣のリディアさんが、ウィンドブレーカーの袖を強く握りしめた。彼女の顔色が、その赤い光を反射して不安げに染まっている。
「 あれは――、目印か? まさか龍さんの仕業ではないよね? 敵の魔道士の仕業か? 」
私の問いかけに、バルモアさんは無言で頷く。
この奇妙な光柱が、我々が目指すべき――王都近郊で起きている「異変」の中心であることを物語っていた。
私たちは、南東の血のような赤い灯台を目指し、飛行速度を上げた。
▽
私たちは、焼けた地表ギリギリで飛行を停止し、荒々しく土を蹴りつけて着地した。
風切り音が収束するにつれ、熱と、鉄の臭いに似た強烈な異臭が鼻腔を打つ。それは物質そのものが崩壊した時に生じる、生命が拒否する種類の瘴気だった。
数メートル級の凝縮された力を体現する真龍の巨体は、今、無残に横たわっている。誰の目から見ても明らかに――絶命していた。
その命を奪った決定的な一撃は、心臓の真上を貫くように開けられた禍々しい溶けた穴。そこから、ドクドクと脈打つような赤い光の柱が噴き上がっていた。
だが私の視線はすぐに、その龍さんの骸の傍らに引きつけられた。
そこに一人の、女性らしき魔道士然とした人物が、信じられないほどリラックスした様子で寛いでいたのだ。
そいつはローブを纏い、顔立ちや年齢を判別しにくいウィザードハットを被っている。死んでいるだろう龍さんの分厚い肩に背中を預け、まるで遠い親戚の法事で暇を持て余しているかのように、所在なげに座っていた。
その手元には、湯気を立てるマグカップのようなものが。女はそれを傾け、一日の仕事を終えたように満足げに、一口すすり込む仕草を見せた。
極度の緊張感と、暴力的な終焉の匂いが渦巻くこの現場で、この魔道士だけが、まるで自分の庭にいるかのような静謐さを保っていた。その姿は「 ゴミ処理が終わるのを待って、ティータイムを楽しんでいる 」というような、圧倒的な無関心と征服者の余裕に満ちていた。
モコモコの猫耳バラクラバの下で、冷や汗が流れるのを感じた。
コイツが龍さんを、なんでもないことのように殺したのは明白。容易に逃げることもできたのに、龍さんは王都に被害を出させないために、コイツと戦う事を選んだのかもしれない・・・
「 アレは、到底俺の手におえる相手ではございませんな・・・ 」
バルモアさんが、明確な警戒を込めた声でそう言った。
私はマグカップから湯気が立ち上る魔道士の姿を凝視した。あの赤い光は、おそらく、あの女が消すまで消えないのだろう。
一歩、また一歩と、私はその魔道士との距離を詰めた。数メートル級の龍さんの屍骸は、すぐ隣で見ると巨大な鉄塊の彫刻のようだ。鱗が剥がれ落ちた部分からは、凝固しきっていない血液が、熱で燻されながら湯気を上げていた。
その禍々しい光の中心で、魔道士は優雅にマグカップを口に運んでいる。
その態度が許せなかった。
私は口元を歪ませ、荒々しく地面を踏み鳴らした。
「 おいお前! 龍さんに何をした!? 」
甲高い怒声を叩きつける。殺意剥き出しの感情だった。
叫びは周囲の熱と瘴気を切り裂いて、正確に女魔道士の耳元に届いたはずだ。
しかし女魔道士は――すぐには反応しなかった。
女の視線は、まだマグカップに向けられたままだ。その口元以外、仮面で隠れた顔は、ただ静かにその液体を一口すすり込む。
そしてようやく、マグカップを口元からわずかに離した。
「 ふふっ、存外早かったな。嬉しい誤算ではあるが・・・使徒ハルノとは貴公のことか? 軍勢を引き連れて来たのならば芝居を打つ必要もあったが、どうやらその必要はなさそうだな 」
その声は夜風のように静かで、熱を帯びていない。
「 私がハルノだ! 龍さんを殺害したのはお前だな?! 何が目的だ! 」
私は龍さんを一瞥し、相手に気付かれないように安堵する。首が切断されていないのであれば、蘇生できる可能性が高いからだ。
女魔道士は、マグカップのような器を乱暴に投げ捨てた。
「 ふふっ、まぁそう焦るな 」
「 しかしここまでは計画通りだ。ところで貴公、奇妙な恰好をしておるな・・・ナゼそのような衣服を纏い、獣人の姿形を真似ておるのだ? 異世界ではそれが流行りなのか? 」
女の瞳は、私のライダースと猫耳バラクラバを、常識外の『異物』として認識しているようだった。
――異世界? こいつは私が異世界人と知っているのか?
「 お前――、マジで何者だ? まぁ何にせよ、龍さんに危害を加えた時点で、お前の死刑は決定事項だがな! 」
猫耳目出し帽に、上は本革Wライダースで、下に民族衣装着て、バッグは斜め掛けって・・・いくらなんでもダサすぎますよね。
あともう少しで最終回です。ほとんど読まれてないですが、継続して読んでくださっている数少ない方々に向け、感謝を込めて最後まで書き切りたいです。よろしければもう少しだけお付き合いくださると幸いでございます。よろしくお願いいたします。




