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第249話 激突

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 夜は深く、冷たい風が砂と礫を噛んで運んでいた。

 月は欠け、そのぼんやりとした銀光は、眼下の「グリム原野」――ただ岩石と風だけが支配する荒涼たる不毛の地を、鉛色の曖昧な影で覆い尽くしている。


 風葬された岩のテーブルの上に、一人の人影があった。

 魔道士セルフィア・ルーメン。

 彼女はそこに静かに座していた。硬い石の上、風の唸りの中で、世界から切り離された全く動じぬ静寂の核として。


 深く被ったウィザードハットと、顔を覆い隠す仮面の下、その表情を窺い知ることはできない。

 ただ膝の上で軽く組まれた彼女の手――白磁のように透き通った指先が、月光を微かに反射していた。

 組まれた指先から、時折、極小の青い火花が散る。それは彼女が編み上げ、解き放った呪いの余波であり、彼女の内に渦巻く冷徹な魔力の表徴(ひょうちょう)だった。


 彼女は待っていた。

 その黒曜石のような静かな眼差しが、夜空の遙か一点を見つめ据えていた。

 彼女が放った呪い――それはこの世のあらゆる生命にとって、最も耐えがたい種類の悪意。

 即座の死ではない。緩慢な、しかし決して止むことのない永劫の微細な苦痛。


 現在、その呪いが発動している対象は、かつての獲物である真龍。


 遥か上空、夜空を裂く一陣の影が急速に接近していた。風の唸りとは根本的に違う、巨大な質量が大気を押し退ける、重々しい「存在の波動」だ。


 セルフィアの視線の先に、やがてその姿が星を飲み込む闇として現れた。


 真龍――その名にふさわしい神話的な威容。表皮は古の城塞の鋼鉄のようで、翼膜は夜そのもの。しかしその圧倒的な存在感の奥底に、絶え間ない震えが宿っている。


 呪いだ。

 セルフィアが編んだ「 永劫の微睡み(ドルミエンティス)


 真龍の鋼鉄の表皮、その縫い目、細胞の一つ一つ、そして魔力の流れの微細な経絡全てに、呪いの力が食い込み、常に何千もの針先で刺され続けるような痛みを発生させている。

 それは即座に戦闘力を奪うものではない。だが、一度たりとも止むことはない。呼吸のたび、心臓の鼓動のたび、魔力を行使しようとするたび、その苦痛は微塵ながらも確実に存在し続ける。


 真龍はその巨大な口から、激しい怒りを示す焼けるような咆哮を上げた。

 その響きには、呪いの浸透による微かな掠れが混じっていた。


「 来たか。逃げ足だけは誰よりも速い――古き時代の覇者よ 」


 セルフィアの声は、夜風に掻き消されそうなほど微かだったが、その侮蔑は冷気を纏う。


 真龍はセルフィアの上空で旋回を止めた。巨体を夜空に吊り下げ、その鋼のような眼が、遥か下の小さな人影を射抜く。


「 セルフィア・ルーメン! みずから追って来たか 」真龍の言葉は、天を衝く雷鳴のように響いた。


 セルフィアは膝上の手を微動だにさせず、冷たく応じた。


「 ふふふっ、随分と人語が流暢になったものだ。威厳を捨て、矮小な存在に媚びを売った証左か? 孤高の覇者がそこまで堕ちるとは。使徒ハルノの下僕にでも成り下がったのか? その背に主を乗せて来るかと期待したのだがな 」


 真龍は答えない。ただ、上空で巨体が微かに軋む。


「 まあ、よい。しかし久しいな蜥蜴(とかげ)よ。元気そうではないか、少々驚いたぞ 」

 セルフィアは淡々と言い放つ。


 術者に肉薄したためか、呪いに因る鈍痛が鋭いものに変わる。

 真龍はその苦痛に耐えながら、その巨体を大地へと降下させた。

 翼の羽ばたきは重く、泥濘(ぬかるみ)から引き剥がすようだ。

 着地の一瞬、彼は微かにバランスを崩しかけた。その一瞬の不完全さこそが、呪いの効果が強まっている確たる証拠だった。


 魔道士セルフィアは立ち上がらない。

 真龍は彼女の十数メートル先に、激しい風を巻き上げて降り立つ。


 セルフィアは仮面の下で口角を微かに上げたかもしれない。その表情は夜の闇と仮面に守られて、真龍には見えなかった。

「 聖女殿のことを知りながらも近づいたか・・・なるほどな。我はおとりというわけか。だが残念だったな、愚かな魔道士よ。生憎、お前の獲物は今宵は不在でな 」


「 それは残念だ。だが餌は――必ずしも新鮮である必要はない 」

 セルフィアはそう言い放ち、すぐに真龍の首元に目を移した。


「 ん? その不相応な首飾り(ネックレス)は・・・ 」

 真龍の強靭な鱗を縫い合わせるようにして首に掛けられた太い鎖、そしてその鎖から提げられた一振りの剣――精巧な装飾品のようだったが、微かな神聖な光を放っていた。


「 はははっ! これは面白い。その不浄な身に下げ、俺の呪いの痛みをソレで一時的に鈍らせている――と? 随分と下らない物に(すが)るものだ。ソレは、使徒ハルノの施しか? 」

 彼女の声は、真龍の苦痛を嘲笑う。


 真龍は右前脚を軽く引き、その強靭な爪が神剣の柄に触れた。

「 ああ、そうだ。何でも欲するお前のことだ。この神剣も欲するのか? だがお前の属性では、満足にこの力を御することも叶わないだろう 」


「 ふんっ、自惚れるなよ蜥蜴(とかげ)風情が 」

 セルフィアは寝かせていた杖を拾い上げ、初めて立ち上がった。その動作は極めて滑らかで、一切の無駄がない。

 硬い岩石を滑るように、一歩、真龍に向かって踏み出した。


「 もはやお前の素材は必要ない。だからといって生かしておく理由もないがな 」

 彼女の言葉と同時に、足元の岩石が軋み、青い火花が束となって彼女の周りを螺旋状に駆け巡り始めた。


 真龍は呻き、呪いの苦痛に眼を細めながらも、その巨大な口を開き戦闘体勢に入る。

          ・

          ・

          ・

 セルフィアの言葉と同時に、彼女の全身から発せられる青い魔力は、攻撃を待つ絶対零度の冷気を帯びていた。


 真龍は呪いの苦痛を無視し、本能的な怒りを爆発させる。


「 蜥蜴よ。お前の行動原理は、俺にはあまりにも単純に見えるぞ 」


 真龍は呪いの激痛に耐えながら、セルフィアの静寂を打ち破るべく、右前脚の爪を大地の岩盤を深く抉り取るように、振り上げて叩きつけた!


 ドゴオォォォォ!!


 爪がセルフィアに到達する数秒前、彼女は即座に防御術式『 三層暗円壁トリプル・ダークウォール 』を起動。


 爪の前面に、青白い三枚の障壁が展開していた!

 しかし真龍は呪いの苦痛を無視し、全身の魔力と生命力をこの一撃に注ぎ込んだ!


 ゴガアッッ!!


 真龍の凄まじい質量と本能的な破壊衝動は、二層の障壁を打ち砕く!

 三層目の障壁もヒビ割れるが、爪の勢いはそこで完全に減衰。


 ドスッ!


 爪の先端は、ヒビ割れた三層目の障壁に直撃し食い込んだ。


 セルフィアの肉体には衝撃一つ伝わらない。


「 ほう、二枚を破ったか。無駄な足掻きだが、評価しよう 」


 セルフィアの表情は変わらない。彼女は食い込んだ爪の根元めがけて、漆黒の雷を放つ!


 雷撃は真龍の爪の付け根を貫き、右前脚の腱を焼き切る。


「 ガアアアァァァアアア!! 」

 真龍は激痛に咆哮した。


 真龍は右脚の痛みを無視し、巨体をねじって巨大な尾をムチのように振り上げ、セルフィアめがけて水平に薙ぎ払った!


 セルフィアは先の攻撃の直後、尾の軌道上に『 空間置換ディスプレイスメント 』を展開していた。

 杖の先端を虚空に滑らせた瞬間、尾の先端がその見えない境界線に触れ、真龍の視界が一瞬歪む。

 尾の軌道は数メートル上空へと強制的に逸らされようとした。


 しかし真龍は腐敗した尾に、無理やり魔力と怒りを注入!

 歪曲に逆らうように、純粋な質量と出力で空間の変異を押し潰した!


 尾はわずかに上空に逸れつつも、本来の軌道に近い高さでセルフィアの頭上を通過!


 ドガァア!!


 尾がセルフィアの展開していた広域魔法障壁の縁に掠めるように直撃!

 広域障壁全体に青い波紋が広がり、セルフィアのローブが、衝撃の余波でわずかに揺れた。


「 ほう、意地を見せるか 」


 セルフィアは尾の通過の直後、尾の先端の腐敗した部分めがけて、数多の鋭利な氷の刃を雨あられと放つ!


 その魔法に、もはや術名は与えられない。ただの「処理」だ。


 氷の刃は、脆くなった尾の鱗と組織を抉り、深紅の血飛沫を上げる。


 真龍は激痛に再び咆哮していた。


 尾の損傷で体勢の維持が困難になった真龍は狂乱に駆られた。


 体内の呪いの激痛に逆らい、全身の魔力と生命力を突進力へと変換する!


 セルフィアは、その捨て身の突進を真正面から見据え、杖を水平に構えた。

 突進経路上の空間は、即座に『 重力圧縮の檻グラビティ・ケージ 』によって、重力が数十倍に圧縮される。


 突進経路上の岩盤が「圧」によって軋み、空間そのものが真龍を押し潰さんとする重力による拘束だ。真龍の速度は劇的に減速する。


 しかし、真龍は自らの肉体の限界を超えた力で、圧縮された重力場を無理やり引き裂きながら、セルフィアの眼前にまで到達した!


「 グガァアアアァァァ!! 」


 真龍の巨大な頭部が、セルフィアの防壁『 至高の防御壁アルティメット・シールド』に激突!


 ドゴォオオオオオオオォォォ!!


 障壁全体が一瞬、白く発光し、岩盤が周囲数十メートルにわたり爆発的に弾け飛ぶ!

 セルフィアは障壁の背後で静かに立っているが、その障壁に走る無数のヒビ割れは、真龍の捨て身の破壊力を物語っていた。


 セルフィアは、ヒビ割れた障壁が消滅した直後、障壁に食い込み力尽きた真龍の頭部を見下ろした。


「 終わりだ。お前の全存在をもってしても、届くのはこの無様な亀裂までか。それがお前と、この世界の理を支配する俺との、絶対的な力量の差だ 」


 真龍は力尽きながらも、その鋼鉄の眼でセルフィアを睨みつける。

 その眼には、怒りと、超えることのできない力の壁への絶望が滲んでいた。


 セルフィアは杖の先端を、真龍の頭部へと突き立てた。


永劫の微睡みドルミエンティス! 』


 杖から放たれた青黒い魔力が、真龍の脳髄を貫き、呪いによる永劫の苦痛だけを残し、全ての動きを停止させた。


 真龍の見せ場は、セルフィアの防御障壁の前で終わった。


「 昏倒したか。その身の破滅を承知で我が術式に刃向かおうとした覚悟は、見事と称えよう。だが愚かだ。お前の意地は、永劫の苦痛を長引かせるだけの最高の養分になった 」


「 さて、気長に待つとするか・・・ 」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

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― 新着の感想 ―
更新して頂きありがとうございます。 余りにもあっけなく龍さんが敗北してしまいましたね。 セルフィアさんは侮りがたい存在です。 ハルノさんのとの邂逅は如何なる結末を齎すのか。楽しみです。 次回も…
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