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第248話 夜空への飛翔

 ――様々な可能性を考慮し、もっと具体的に確認しておくべきだった。


 なんと愚かなのか。自らの命運が懸かっているというのに。


 だが多分、明確な停止時間を教えられなかったということは、「 寿命が尽きるまで停め続けろ 」ってことなんだろう。


 だが、もし停止期間が「三日間」という明確な期限であれば、幾ばくかの猶予が生まれる可能性もゼロではない。


 焦燥と、それに打ち勝とうとする切実な希望が、私の胸の内で激しくせめぎ合った。


「 持明院さん、とんぼ返りになるけど今すぐ周防大島まで送ってほしい! 停止はこのまま維持する! 」

 私は湧き上がる焦燥を、喉の奥で無理やり押し込めるようにして、努めて明るく快活な声で指示を飛ばした。


「 もちろんです! 急ぎます 」

 持明院さんは、迷いのない力強い一言で即座に応じた。そして、考える間もなく奥山センター長へと向き直る。


「 奥山センター長。このまま観測を続け、どんな些細な変化も見逃さず、また変化があればすぐにお知らせください。広瀬と桃谷を連絡係として置いていきますので 」


 奥山さんは、持明院さんの早口ながらも要領を得た指示に静かに応えた。

「 承知いたしました 」

 奥山さんは眼鏡の奥の鋭い眼差しを、観測機器のディスプレイに向けたまま静かに一つ頷いた。

 その表情には、ここでの責務を全うしようという研究者としての揺るぎない覚悟が宿っており、張り詰めた空気の中で一つの確かな柱のようだった。


          ▽


          ▽


          ▽


 ~3時間半後~

 ~山口県・周防大島町~


 深夜のとばりが降りる周防大島の平屋に到着した。


「 ごめんなさいね、こんなド深夜に・・・ 」

 私は、迎え入れてくれたマツさんたちに心から謝意を込めて声をかけた。


「 とんでもない! 飯は本当にいらないんですか? 風呂も沸いてますが入って行かれますか? 」

 マツさんは眠気も見せず、心底から気遣うような表情で尋ねてきた。


「 いえ、ご飯も姫野さんたちと食べて。私たちはすぐ出発するよ、ありがとう。持明院さんたちはホテルに戻るから 」


「 わかりました! 」マツさんは深く詮索せず、ただただ頷く。


「 姫野さん、戻ってきたらちゃんと話すわ。でもその時は、一目瞭然な状態になってるだろうけどね・・・ 」


「 ??・・・わかった。こっちは気にせず用事を済ませてきてくれ 」

 一瞬の沈黙の後、姫野さんは観念したように、しかし強い信頼を込めた声でそう告げた。


「 うん 」


 この数時間、変化が確実に自分の身に起きているのを感じ取っていた。その進行は冷酷なまでに確かだ。


 その変化は、毎日、必然的に視界に入る自分の手に顕れていた。


 手の甲の肌。

 よく見なければ気づかないほどの、ごくわずかな張りの喪失。

 皮膚を軽く押した後の戻りが、以前よりコンマ数秒、遅くなっているように感じる。まるでこれまで微かに張っていた膜が、ごく細い針でゆっくりと空気を抜かれ始めたかのように。


 シワもまた深くなったわけではない。だが光の加減によっては、これまで見落としていた微細な網目が、はっきりとその存在を主張し始めていた。


 この変化は、まだ他者には決して気づかれないだろう。

 しかし日々自分自身を観察し続けてきた私にはわかる。


 改めて手をかざし、裏表を観察する。


 やはり気のせいではない――「確実な劣化」であることを、驚きとともに、喉元に氷を押し当てられたような冷たい諦めとして悟らせるのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ~約6時間ほど前~

 ~ライベルク王国・シャルディア城~


 闇はもはや単なる夜ではない。

 それは城を支配する冷酷なベルベットだった。


 薄く降り積もった夜のとばりは、すべてをその黒い懐に閉じ込め、城壁を護る松明たいまつの炎さえ、世界から切り離されたかのように心細く、そして小さく揺らめいていた。


 モンスターの中で最強の座に君臨する真龍。

 その巨躯は、王都を護るという静かな責務のもと、城壁の内側——最も高い中央主塔がそびえる広場で、ゆるりと息を潜めているのが日常となっていた。

 彼の存在そのものが、いつしか外敵を近寄らせない不動の防壁と化していたのだ。


 城が深い眠りに就き始めるその刻限に——、ソレは訪れた。


 背筋を這い上がるような氷の悪寒。


 それは魔力の波動として、真龍の魂の奥底、彼が持つ魔力の根源へと、氷の指で撫でるようにゆっくりと——、しかし執拗に侵食し始めた。


 以前、彼の自慢の剛腕を深く抉り、癒えるまで長い時間を要した――あの憎むべき「深淵」の属性。忌まわしい呪いの残滓が、警鐘のように彼の精神を激しく揺さぶる。


「 ——みずから追手として動いたのか 」


 真龍は、真下に広がる夜の王都を見下ろしたまま、静かに、しかし有無を言わせぬ絶対的な圧力をもって呟いた。その瞳は瞬時に熱を失い、冷え切った鋼の色へと変化する。


 邪悪な波動は明確に遠方で留まっていた。

 真龍の意識が創り出し、王国直轄領地の隅々まで張り巡らせた見えない結界を、突破するわけでもなく、しかし確実に触れようとする距離だった。


 結界を破らないのは、内側で待機する真龍を外へ引きずり出すため。城の者たちへの被害を最小限に抑えるよう配慮するであろう――真龍の性格を知り尽くしているからこその、狡猾な策略に他ならなかった。


 ここで動けば、城内の者たちに動揺が走る。だが動かなければ、あの魔道士は必ず城を外側から(なぶ)り始め、真龍が護るべき王国の平和に混乱と災厄をもたらすだろう。

 誰かに依頼されたわけでも、命令されたわけでもない真龍の責務は——、この王都に暮らす人々の静謐(せいひつ)な平和を護り抜くことだ。


 決断は――、瞬きの間だった。


 彼はその巨体を翻し、広間の隅、常に控えている近衛兵の夜間警護隊長である——老練なバルカスへと、静かに、しかし玉座から下されるかのような絶対的な命令を下した。


「 バルカス! 」


「 ハッ! 真龍殿! なにか緊急の異変が? 」


「 ああ、まさしく異変だ。直ちに城門、特に南東方向の城壁の警備を二倍にせよ。警鐘を鳴らすな。静かに、しかし最高度の警戒態勢に移れ 」


 バルカスの顔に、深い驚愕の色が刻まれる。夜中の、これほどの警戒強化を真龍から伝えられるのは前代未聞だった。


「 何者かが? 偵察兵の定時報告では、城周辺には何の異変も無いはずですが—— 」


「 報告を待つな。(われ)のテリトリーに、かつて敵対していた魔道士が再び接触している。ヤツは、我を誘い出すという最も単純かつ効果的な手を打ってきた。どれほどの戦力を引き連れているのかまでは、ここからでは流石に把握できん。だが一つ確実に言えるのは、あの魔道士は聖女殿と同様——たとえ単騎でも国を落とせるチカラを持つ異端の魔道士だ 」


 真龍は南東の闇の一点に冷たい視線を据えた。その視線の先には、もはや策略に乗るか否かの迷いは存在しない。


「 この王都を護るための最善は、もはや我が外に出て、ヤツの汚らわしい杖をへし折ることだ 」


 巨大な真龍の頭部が、バルカスの真上に覆いかぶさるように向き直る。

「 バルカス。後はすべてを任せたぞ 」

 その瞳は、もはや私情や迷いを許さない静かな灼熱を帯びていた。


「 御意に——! 真龍殿、くれぐれもお気をつけください! 」


 バルカスが深々と跪いた、その祈りの瞬間、真龍はすでに広間の夜空を突き破って飛び出していた。


 轟音ではない。それは夜の空気を切り裂く風圧の暴力。強靭な巨躯が、城の真上を旋回することすらなく、その邪悪な属性が最も濃く感じられる南東の闇へと、流星のような加速とともに飲み込まれていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

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― 新着の感想 ―
更新して頂きありがとうございます。 老化の前兆が目に見えて分かるのは本当に恐ろしいことですね。ゾッとします。 龍さんも厳しい局面に立たされるのでしょうか。 次回もよろしくお願いいたします。
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