第239話 脅威の胎動
~翌朝~
ナイトクローとユーリックの私兵団の到着を、私は文字通り首を長くして待っていた。
しかしその張り詰めた期待は、いつの間にか一瞬の抵抗も許されないまま、抗いがたい睡魔にオーバーキルされてしまったようだ。抗う術もなくソファに身を沈め、そのまま意識を手放したのだろう。
気味の悪い夢の残響が耳の奥で鳴り響く中、ハッと息を飲んで目が覚めた。
――ここはどこだ?
視界に入ったのは見慣れぬ部屋の石造りの天井。そして、体の下にある硬質なベッドの感触。夢の記憶はまだ生々しく、現実との境界が曖昧なまま、私は完全に移動させられていたことを悟った。
「 御目覚めになられましたか! おはようございます 」
薄暗い部屋の隅から、リディアさんの声が響いた。控えめな光の中、その人影がこちらへ近寄ってくる。
「 やっぱ強制的に落ちてたのか。病的な抗いがたい眠気は、魔法を使った弊害なのかな・・・なんだかどんどん酷くなってる気がするなぁ 」
私は重い体を起こし額を押さえた。まだ頭の中に微かな鈍痛が残っている。
「 あ~、ヴァイスさんたちは無事到着したの? 」
リディアさんはベッドサイドまで歩み寄り、微かに微笑んで頷いた。その表情には、すべてが片付いた安堵が見て取れた。
「 はい、ヴァイス殿を交えた審議は滞りなく終了し、裁定が下されました 」
彼女は一つ区切りを置くように、静かに息を吸い込む。
「 ユーリックは――ミラ殿が新たに興す常備軍へ、一年間の懲罰的従軍が命じられました。その身をもって、軍規により魂を鍛え直すことになります 」
リディアさんは一度言葉を切り表情を引き締め、厳しい眼差しを私に向けた。
「 そして『ナイトクロー』は、組織そのものを解体。ヴァイス殿を筆頭とする総員には、一年間の『奉仕労役』が課され、それが彼らの唯一の贖罪として確定いたしました 」
「 なるほど・・・喧嘩両成敗ですか。まぁ妥当な落としどころではありますね。ただ、蘇生不可能だった犠牲者がいたことを忘れちゃいけない。その償いをユーリックには絶対にさせないと。たとえば家族に対する賠償とかさ 」
私は納得し、小さくため息をついた。
「 ところで皆は? 」
「 それぞれ部屋が与えられ、休んでおります 」
リディアさんはそう言って、そっと目線を伏せた。
「 そう―― 」
私は頷きベッドから降りた。夢の残響がようやく薄れていくのを感じた。
▽
~大広間~
夜明けを告げる鐘が厳かに鳴り響き、領主館の大広間は深い眠りから覚め、活気に満ちた朝の準備が始まっていた。
巨大な暖炉の残り火には薪がくべられ、パチパチという音と共に、湿った石壁にこもった冷気を追い出す熱が放たれ始めていた。まだ薄暗い広間の中、給仕の少年たちが機敏に、しかし音を立てないように動き回っている。
「 急げ、急げ! 使徒様が起きてこられる前に全ての席を整えるのだ! 」
給仕長らしき老人の厳しくも低い声が響く中、使用人たちは朝食の食卓を整えていく。豪華な銀器ではなく、より実用的な陶器の皿とマグカップが、脇の長椅子の前に丁寧に並べられていた。
どこからか、すでに食欲をそそる匂いが漂ってきていた。
「 こ、これは使徒様! お早い御目覚めで。申し訳ありませんが、まだ朝食の準備が整っておりませんで・・・ 」
私とリディアさんに気付いた給仕長らしき老人は、畏まった様子で顔を強張らせ、深々と頭を下げた。
「 ああ、お気になさらず! 」
私は優しく微笑み、手を振って気遣いを見せた。
「 急ぎますので、どうぞ掛けてお待ちください! 」
老人はそう言い残し、慌てて準備に戻っていった。
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鉄鍋で煮込まれた大麦の粥は、素朴ながらも滋養に満ちた香りを広げ、その傍らで焼きたての黒パンの香りが混ざり合っていた。湯気を立てる大きな籠の中には、焼きたてのパンが山積みになっている。こちらの世界では、これを薄切りにして肉汁に浸して食べるのが日常の朝食だ。
焼きたての卵と香草のオムレツ、ソーセージを切り分けた大皿、そして干し果物とナッツが、蜂蜜の壺と共に配置される。使用人が丁寧にテーブルクロスを整えるその傍らで、給仕係が朝一番に絞ったのであろう新鮮な牛乳を水差しに注ぎ入れていた。
やがて外の光がガラス窓から差し込み始め、広間全体が黄金色に染まり始めた頃、準備は完了した。
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ロランドさんとその奥さん、子供たち、そしてミラさんも含めた私たち六名が、上段に置かれたオーク材の長大なテーブルを囲むように着席していた。バルモアさんの姿はない。
テーブルの上には燃えるように明るい炎を灯す燭台が連なり、金色の光の川を作り出している。その光が、並べられた食器や、研ぎ澄まされたワインゴブレットの縁で反射し、微かなきらめきを放っていた。
テーブルの最奥、背の高い肘掛け椅子に座るのは、本来は領主であるロランドさんなのだろうが、今は私が座っている。何度断っても聞いてはくれないので、早々に諦めた結果だ。
▽
朝食を済ませ、私たちは評議の間と呼ばれる軍議にも使われるらしい大部屋に移った。
もちろん議題は、北部のバーニシア領への進軍だ。ミラさんは、グレイウッド領、バーニシア領、ストーンヴェール領を掌握した後、旧王城に入り新生ヴァレンティ公国を再興するつもりらしい。
「 始める前に・・・ハルさんの手をこれ以上煩わせるのは、あたしの本意ではありません。どうかあちらでのトラブル解決を優先してくださいますようお願いいたします 」
ミラさんは真剣な眼差しで私を見つめた。
「 え? 」
私は不意を突かれ、思わず間の抜けた声を出してしまった。
ミラさんは私の動揺を見透かすように、確信を込めて言葉を続けた。
「 何か、解決すべき事案があるのでしょう? こちらに戻られてから、ずっとそう顔に書いてありますよ。リディア殿の顔にもです 」
リディアさんは、気まずそうに視線を下に落とした。
「 でも戻るとしたら、ちょっと事情があってね、私だけじゃなくライベルク組全員を、一旦ライベルクまで戻す必要があるのよ・・・戦力的に大丈夫? 」
私は不安を隠そうと尋ね返した。
「 それは問題ありません。グレイウッド領軍があたしの指揮下に入った時点で、条件はクリアされましたので 」
ミラさんは自信に満ちた笑みを見せた。その表情は、もう私が戦力にいなくても十分だと言っているようだった。
「 そっか・・・ 」
私はその後の発言に窮した。
率直に言って、戦力的にはまったく心配はしていない。
ただ、もう二度とミラさんたちに会えないかもしれないということを、言い出せないのだ。
伝えるのが怖い。
伝えるべきだろうか?
自分が死ぬかもしれないと伝えるべきか?
いや、今は無駄に心配をかけるべきではない。彼女には集中して成すべきことがある。
「 わかったわ。ここは君主としてのミラさんを立てるべきだわね。とりあえず今日一日は準備に使うことにして、明日になったらムコウを経由し、ライベルクに戻ることにするわ 」
私は決意を込めてそう告げた。別れを先延ばしにするための、せめてもの猶予だった。
「 畏まりました 」
ミラさんは立ち上がり、一礼して応じた。その横顔は、すでに新たな戦いへと意識を向けている。
▽
私の指示で、領主館内の人間はもちろん、兵舎にいる兵士も全て動員された。
兵士たちには町に下りてもらい、ありとあらゆる瓶を調達してきてもらう。即席ではあるが、一個でも多くの霊薬を創るためだ。
一度転移し、光輪会に空のペットボトルを大量に運んでもらう案も考えたが、信者たちが九州を西側へと移動する距離とそれにかかる時間を予測すると、得策ではないと判断したのだ。
転移前に、兵士全員にダメージカット効果の女神の盾を付与するので、数日以内であれば、激しい戦闘になっても負傷者はほぼ皆無だろうと予想される。
だがもし長引けば、付与した効果が切れてしまう恐れがある。だからこそ、回復薬は一個でも多く携帯したほうがいいだろう。
私はライベルクへの帰還と、その後の見えない未来に向けて、最後の準備に取り掛かった。
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~ウィン大陸・旧リューステール領~
「 おい、あれを見ろ! 」
雑貨屋の親父が、かすれた声で叫んだ。
領都の西門は、普段は旅人や商隊の出入りで活気に満ちている。しかし今、門前の大通りに集まった民衆の視線は、遠く西の草原に釘付けになっていた。
空は真昼の明るさだというのに、妙に重苦しい空気が漂っている。熱で揺らめく空気の向こう、地平線近くにソレは現れた。
岩の塊だ。
いや違う。
よく見れば、それはゆっくりと、しかし確かな歩調で進む巨大なゴーレムの集団だった。
一つ、二つ、三つ・・・全部で五体。
高さが三メートルはあるだろうか。粗削りのままの巨岩が、無理やり四肢と胴体の形に組み上げられたような異様な姿だ。動くたびに、硬い岩肌がゴリッ、ゴリッと互いを軋ませる鈍い音が、この距離ですら微かに聞こえてくるような気がした。
最も恐ろしいのは、その足音だ。
「 ・・・地震か? 」
誰かが呟いた。
足音が大地を叩くたびに、まるで城壁の土台が揺すられるかのように、地面にドスン、ドスンという衝撃が伝わってくる。
ゴーレムが踏みしめた草原の土は、まるで爆発でもしたかのように粉々に砕け散り、巨大な土煙となって後方へ立ち上っていた。
そして、その岩の巨兵たちの一体の肩に、一人の影があった。
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濃紺のローブを纏った、小柄な人物。
頭には、縁に真鍮の装飾が施された三角帽を被り、その下には顔の半分を覆う無表情な白い仮面がつけられていた。
性別はもちろん年齢すらも判別できない。
ただその人物が座っているゴーレムは、他の個体よりも一回り大きく、まるで玉座のようにも見えた。手には何の変哲もない木でできたような杖。しかしその杖の先端からは、微かな紫色の光が放たれており、それがそのまま五体のゴーレムを繋ぐ見えない糸になっているようにも見えた。
ゴーレムの肩に揺られながら、その仮面の魔道士は、ただ遠くの領都を見据えている。その背中から、有無を言わせぬ絶対的な力が滲み出ているのを感じた。
人々は息を殺した。
ざわめきは恐怖の重さに押し潰され、ただ無言のざわめきだけが残った。城壁の上から見下ろす兵士たちの顔も青ざめている気がした。
誰もが思っただろう。
あの岩の集団は一体どこへ向かっているのか。
そしてあれを引き連れる仮面の魔道士は、何者で何を企んでいるのか――
ゴツ、ゴツ、ゴツ・・・
ゴーレムたちの不気味な足音と、大地を震わせる振動だけが、刻一刻と領都の門に近づいてきていた。
乾いた土と焦げ付くような不安の臭いが、見る者の鼻腔の奥にへばりついて離れないのだった。
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