2. シルヴェストリ
――茶番だ。
シルヴェストリは、魔王のつむじを見下ろしている。椅子に座った魔王はぴくりとも動かない。どうせ、廊下を歩いて来るアリスティアと大神官の会話に聞き耳を立てているのだろう。覗き見までしているかもしれない。いや、確実にそうしている。
意外に、魔王は独占欲が強いようだ。長いつきあいだが、ここまで対象に固執するところを見るのははじめてで、そこはシルヴェストリにも意外だった。
自分もまだ、魔王のことを知り尽くしているわけではないのだな、と。
――まぁ、知りたくもない一面なわけだが。
今日の魔王は、青年の姿をとっていた。もちろん、アリスティアの保護者である大神官に対抗してのことだ。
身長で劣るわけにはいかない、とか意味のわからないことをいって、容姿の確定が迷走したのには参った。アリィは可愛らしい方が好きかな? と問われた場合、どう答えるのが正解なのか。
迷っているあいだに、かっこいい系にも種類があるだろ、どれがいいかな、憂いを帯びた感じとか、それとも綺麗げ儚げ俺様系……となったのが敗因だから、次こそ、即答する必要がある。〈聖女〉アリスティアの好みについて。
――馬鹿らしい。
答えるのが馬鹿らしい。というより、問い自体が馬鹿らしい。なぜ、こんなことに自分が巻き込まれねばならないのか。
――停戦協定を結べること自体は、悪くない。
基本、魔族は人を見れば襲う。逆に、見なければ襲わないのだ。うまく住み分けができれば、共存は不可能ではない。双方の数が増え過ぎないことが前提になるが、今現在、どちらもかなり数は減っているので、当分は問題ないだろう。
そもそも、魔族には魔界という領域がある。そこから出なければ、人の姿を見ずに暮らすことは可能なのだ。
なぜ出て行くかというと、理由はひとつ。退屈、である。
殺されない限り死なない魔族の最大の弱点、それは暇を持て余すことだ。だから人界にも出て行くし、暴れもする。結果、命を落としてしまっても、退屈よりはマシ、とでも思っているのだろう。
――おそらく、多くの魔族はおのれの死を考えられないのだ。
理由は単純。いずれ死に至る自身を感覚することが難しいからだ。魔族は死にづらい。そのせいで、正しく死を恐れることさえできない。退屈しのぎの遊びのせいで死ぬかもしれないとは考えないし、たとえ考えが及んだとしても、だからなんだという程度の感慨しか持たない。
最上位の魔族である魔王が、暇過ぎて自壊してしまうのだから、それより下の者たちの感覚がおかしくなっても無理はない。魔王は特別なので、自壊してもまた復活するが、一般の魔族は、そうはいかない。ただ消えてしまう。
魔族全体の損耗がどれほど進もうが、魔王は露ほども気にしないが、シルヴェストリは気になる。数が減り過ぎると、集団が煮詰まって、いろいろ面倒なことが生じるからだ。
――愚か者しかいないのか、魔族には。
愚か者ばかりの方が、やりやすい面はある。だが、うんざりする。
殊に、最近の魔王は――
「シルヴェストリ、アリィを呼んで来て。もう、待てないよ。なんでずっと、あの男とふたりなんだ」
――もはや、うんざりの暴力である。
「魔王様、度量が狭い男は嫌われるといわれております」
「でも、束縛されるのが嬉しいって話も聞いたよ。いや読んだ。ええっと……」
「冷静にお考えください。あのかたが、束縛を喜ばれるような女性だと思われますか?」
「あー……うーん……それは、やってみないとわからないかな、って」
「とり返しがつかない状態になったときに、わたしに責任をとらせないという約束をしてください」
「えっ、なんで」
必ず巻き込まれるに決まってるからだ、馬鹿者が。と思ったが、シルヴェストリは、魔王が理解しやすく、受け入れやすいように答えた。
「なんででも、です」
「そうか。じゃあ、諦める」
なんでそうなるのか、シルヴェストリにはまったくわからない。が、アリスティアを呼びに行かされるよりは、よほど歓迎すべき展開なので、受け入れることにした。
「寛大なお言葉に、感謝します」
「度量は広々してるって、証言してくれるよね」
「もちろんです」
もう帰っていいかな、とシルヴェストリは思う。帰って、不変の庭園で花を眺めたい。退屈とか飽きるとか、そんな贅沢な言葉に満ちた、あの美しくも怠惰な永遠の城に戻りたい。
扉が勢いよく全開になったのも、見なかったことにしたい。
やがて憤然とした〈聖女〉がそこに立ち、両手を腰にあて、行儀の悪い子どもを嗜めるようにこちらを見たのも、気づかなかったことにしたい。
……実際、魔王は行儀の悪い子どもそのものなので、こいつを好きにしてください、と突き出したい。そして、自分だけ帰りたい。
「お待たせしてしまったようですね?」
〈聖女〉の背後から、大神官が姿をあらわした。
当代の大神官は――もちろん、シルヴェストリは何人もの大神官なる存在を見たことがある――見た目はやさしげな美青年だが、性格はいっそ苛烈な方だろう。それを表に見せないあたりが曲者なのだが、うんざりの集大成となってしまった魔王よりも、この大神官の相手をする方が、心がやすらぎそうだ。思考回路が理解しやすいし、なにより、〈聖女〉の好みの男になりたいからなんとかしてくれ、などという無茶をいってくる心配がない。
「こちらが大神官、セレスティオ様です。本日は、特別にお越しいただきました」
まだいささか怒った顔で、それでも礼儀にのっとって、〈聖女〉が大神官を紹介した。
大神官が控えめに一礼すると、次に〈聖女〉はこちら側を彼に紹介した。
「魔王ヴァラール様と、シルヴェストリ様です」
シルヴェストリには、とりたてて名告るような役職も、階級もない。魔族には不要なものだからだ。
魔王が無言なので、人間側の紹介にあわせた挨拶は、シルヴェストリの役目ということだろう。
「ご紹介に預かりました、シルヴェストリです。こちらは魔王様」
頭がイカレています、と言葉をつづけたいところだったが、一応、自重した。べつに、しなくてもいい気もする。どうせ魔王は、彼の発言など気にもとめていない。
大神官は、あらためて挨拶を返した。
「はじめて、お目にかかります。よろしくお願いします」
「はじめまして……ではないよね」
それが、魔王の第一声だった。
大神官は、慈愛に満ちた眼差しを魔王に向けた。
「そうでしょうか」
否定も肯定もしない上に、問いかけているという風でもない。お好きにどうぞ、くらいの反応だ。
……まぁ、だからといって魔王がこの問題を流すとは思えなかった。流すくらいなら、はなから指摘しない。優位に立ちたいのだろう、とシルヴェストリは分析する。場を制御する権利はこちらにある、と主張したいのだ。
「この近くで、会ってるよ。ほら、アリィが王宮に最初に来たときにさ」
「あのときの魔王様、とっても感じが悪かったです」
そして、〈聖女〉に撃墜された。
立っている位置の関係で、魔王の表情を観察できないのが残念だ。〈聖女〉は当時を思いだしたらしく、いかにも不満げな表情だ。大神官は慎ましく目を伏せていたが、シルヴェストリは、その肩がふるえているのを見逃さなかった。
――笑ってるな、これは。
魔王に気づかれたら、面倒なことになる。
シルヴェストリは、面倒ごとは嫌いだ。そこで、なめらかに話を継いだ。
「人に感じがよいと思われるのは、魔王としては問題かもしれません。ですが、これからは、そういった意識の変革も必要になるでしょう。」
「そうですね、魔王様に必要なのは、感じのよさです!」
さすがシルヴェストリ様、と口走りかねない〈聖女〉に向かって、こっちを見るな、尊敬するな、面倒なことになるから――とは言明しづらい。
魔王の逆恨みを受けるのを回避する策を思いつく前に、思わぬ方向から助けが入った。
「アリスティア、あなたなら、教えてさしあげることができるのでは? 〈聖女〉としてのふるまい、信者への声のかけかた、表情のつくりかた。これまでに学んできたことを、活かせるでしょう」
「はい、〈教導師〉様!」
さりげなく〈聖女〉を誘導すると、大神官はシルヴェストリに眼差しを向けた。
「わたしたちは別室へ」
すかさず、シルヴェストリはそれに応じた。
「そうしよう。つづき部屋に、契約魔法の準備がある」
「条項を、あらためて見直す必要があります。些細ではありますが、いくつか新しいご提案も」
「ああ。追加条項を増やす必要もあるかと思う。では、こちらへ」
魔界と神殿――相容れぬ世界に生きるふたりの呼吸が、ぴたりと合った瞬間だった。
次回予告:宰相




