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聖痕乙女 番外編 集  作者: うさぎ屋
御使降臨大作戦
13/20

3. 宰相

 頭が痛くなる職業があるとしたら、宰相職は、その筆頭に挙げてもいいだろう。

 ディナーモは、かなり自己中心的な性格だ。人になにをいわれようが、知ったことではない。所詮、周りのほとんどは愚民である。理解されないから、それがなんだ? むしろ、理解されてたまるか、とまで感じるほどだ。


 ただ、部下が愚かなのは困る。

 知恵を絞って指示をくだしたところで、容易に誤解し、あるいは聞いたことを忘れて勝手にふるまう者たちにかかっては、意味がない。

 かれらがやりたいようにやったとしても、なんとか効果が出る盤面をつくる。あるいは、自分たちがやりたいようにやっていると思い込ませておいて、実はこちらのやりたいことをやらせる。直接的で正確、精緻な命令が必ずしも最適とは限らない。肝要なのは、最終的に望ましい結果に結びつくこと。

 あちらを押して、こちらを引っ張り、望ましい状況に持っていく。それが宰相ディナーモの仕事である。


「幽霊騒ぎ?」

「見たという噂が、女官たちのあいだに広まっているようです」

「ふむ」

「場所は東翼。見た者によって表現が違うのですが、若い男性……のようです」


 この部下は生真面目な方だ。このように言葉を濁すということは、証言に無視できない「ぶれ」があるのだろう。確認するしかないな、と宰相は考える。目撃情報がある場所が場所だ――正体は判明したようなものだが、思い込みはよくない。


「目撃者を呼べ」


 部下は、すでに隣室に目撃者を待たせていた。こういう気のきく者ばかりなら、頭痛も少しはましになるのだがと思いつつ、宰相は目撃者たちを眺めた。女官が四名。


「おまえたちが、いつ、どこで、なにを見たかを、正確に話せ」


 女たちは顔を見合わせ、あなたが、いえあなたが、という譲り合いをくりひろげていたが、ほどなく年長のひとりが口を開いた。


「わたしどもは、東翼でお仕事をいただいております。わたしがその……幽霊を見ましたのは、王太子殿下のお客人のお部屋の近くです」


 ほかの女官たちが、口々に、わたしもです、と言葉をあわせた。


「なぜ、幽霊だと思う」

「飛んでいました」

「地に足がついていませんでした」

「生きている人とは思えないほど美しい少年でした」


 これ以上なにを訊くまでもなく、幽霊の正体を確認できてしまった。

 そもそも幽霊というのは死者の面影を映すものなのであるから、生きているとは思えないほど美しい幽霊という表現は、大きな矛盾を抱えている。生きたことがなかった者は、当然、死ぬこともできない。すなわち幽霊にもなりようがない――もちろん、その正体が「人ならざる者」であるとなれば、そりゃそうだろうな、という感想しかないのだが。

 さすが王宮の女官というべきか、観察眼から得た情報は正解に限りなく近い。しかし、思い込みのせいで真実から遠ざかってしまっている。実によくある光景だ。


「少年というには、ちょっと年齢がいっていました。わたしが見ましたのは、青年でした」

「わたしは……声をかけられました」


 ほかの女官たちが、ざわついた。ひとりだけ会話したのが癪に触るようだ。


「幽霊は、なんといったのだ」

「女のひとは、背が高い男が好きってほんと? と……。わたしの下の弟くらいの年頃に見えました」


 おまえの下の弟が何歳かなど、このわたしが! 宰相ディナーモが、知るはずなかろうよ――と思いながら、彼はうなずいた。


「ふむ」


 こういうのは、へたに否定すると面倒になる。女官の弟の年齢を知りたいわけではないし、まずは受け入れて……その後、どうすべきか。

 宰相は、さまざまな場面について考えを巡らせた。このまま放置したら噂は広まるのか、広まったとしたらどこにどういう影響が出るか、あるいはここで事実を語ったらどうなるか、などなど。


「わたしは微笑みかけられました」

「わたしも」

「でも、はっと気づいたら姿が消えていて……」

「窓の外に浮いていたこともありました。二階です」

「一回、あの〈聖女〉崩れ――」


 女官はここで、自分が不穏当な表現をしたことに気がつき、こほん、と咳払いをした。

 そんな呼称があることに気づいていなかった宰相は、たまには愚民の声も聞くものだと思いつつ、先をうながした。


「殿下のお客人だな?」

「はい。殿下のお客人が、なにか見たかと尋ねてきたのですが……それはおそろしい顔をして。その……あの者は、呪われているのですか?」


 愚民の声が予想外過ぎて、宰相は眼をしばたたいた。

 その発想はなかった。


「呪われている? 殿下の客人が?」


 女官たちは全員そろって、ひっ、と息を呑んだ。思いのほか、声と表情に圧があったようだ。

 ディナーモは、権力、家柄、財力、外貌とすべて揃った男なので、女官たちにもそれなりの人気はある。ただし、言葉をかわすと頻繁に「ひっ」とさせてしまうため、あくまで「それなり」に留まる。


 ――おまえらのいう〈聖女〉崩れの方が、ずっと度胸があるぞ。


 アリスティアが〈聖女〉の証である聖痕を受けた経緯を知るディナーモは、必然的に、秘密を共有する輪に入らざるを得なかった。そのため、忙しい仕事の合間に時間を作り、彼女の教育の一部を担当することになった。知る者は少ない方がいいからだ。

 各国間の力関係や、国内の政治の現状を把握させるのが、彼の狙いだった。〈聖女〉は重要な外交の駒になる。その認識を育てるには、大神殿の浮世離れした環境では不足だとして、みずから引き受けたのだ。神殿は特定の国を贔屓しない。とはいえ、現状を理解すれば、大神殿があるこの国を重視せざるを得ないことを、思い知るはずだ。

 一連の講義は「〈聖女〉への教育」という体裁をとったため、アリスティアはそのお付きのひとりという扱いだった。ただ、〈聖女〉はとにかく黙ってうなだれているあいだに終わってほしいという態度で、これが本物だったとしたら、宰相は絶望し、替え玉を準備していたかもしれない。

 アリスティアと、もうひとりのナターリャという娘が、実質的な彼の生徒だった。

 ナターリャは事前にかなり知識があり、優秀だった。ただ、家との繋がりがあるせいか、多少ディナーモの機嫌を窺う言動があった。

 アリスティアの方は、辺境育ちということで常識がなく、おかしなところも多々あった。だが、少なくとも容易に、無意味に、怯えたりはしなかった。宰相と意見が違えば、納得するまで質問をつづけるほどだった。

 それと、責任を自分が引き受ける、ということの意味をよく理解していた。


「……いえ、そのような……そのような意味ではございません」

「では、どういう意味か?」

「ご容赦ください」


 なにをだ、と思いながら、ディナーモは部下の方を見た。

 この女たちに口止めをしても、無意味だろう。魔王の滞在はそう長くつづかない予定だし、彼女らが〈聖女〉崩れと呼ぶ客人の正体も、じきに明かされる。


「幽霊とやらを見たと話しているのは、この者たちだけか?」

「はい、今のところは」

「よかろう。……そなたらが不安がっているのはわかった。治療者を手配するゆえ、別室で待つがよい――ああ、今日は特別に大神官が来ているのだったな? 彼にたのもう」


 女官たちが、えっ、なにそれ最高! という顔になった。大神官もまた、権力、家柄、財力、外貌のすべてが揃った男だ。その上、ディナーモと違って会話の相手を「ひっ」とさせたりしないので、とても人気がある。本来、王宮への出入りは禁じられているのだが、今回は事情が事情なので特別だ――魔王との交渉を、もっとも事情をよく知る大神官抜きで進めさせるわけにはいかない。

 彼に事情を含めれば、あとは女官たちを笑顔でいいくるめるなり、任意の魔法を使うなり、勝手にやってくれるだろう。有能な相手なら、目的だけを話せばことが済む。その上、結果も期待できる。

 虫も殺さぬ顔をしているが、あれは目的を達するためにはなんでもする奴だ、とディナーモは知っている。愛弟子のためであれば、進んでやってくれるだろう。


 ――いや、愛弟子のためというより、魔族との停戦を遺漏なく機能させるため、と伝える方が有効か。


 大神官を動かすなら、そちらだ。愛する者より、より多くの民を救うことを選ぶだろうと予測できるから。

 そういう意味では、ディナーモはセレスティオを高く評価している。自分自身よりも信頼できるほどだ。

 ディナーモ自身は、愛する者と国とを天秤にかけた場合、一瞬の迷いもなく愛する者を選ぶだろう。誰もそうとは思っていないかもしれないが、彼は自分自身をそういう男だと考えている。


 ――愛する者が、今はいないだけだ。


 あるいは、こうも考えられるだろう。愛する者と国を天秤にかけるような状況に陥ること自体が、無能の証なのだ、と。

 そして、宰相ディナーモは断じて無能ではない。


「急ぎの案件は、ほかにあるか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうか。では、わたしが行って、大神官に依頼しよう。ちょうど、話したいこともある」


 魔王にも念を押さねばなるまい――出歩くな、と。

 あれは近々、天の御使として姿をあらわすことになっているのだ。王宮にいた幽霊と顔が同じだという噂がたつと、どうなるか。……それを読みきるのは、ディナーモであっても難しい。愚民は、彼の予想を変な方向に凌駕する。だから、読み切ったと考えない方がいい。

 不安要素をつぶすには、根っこから、だ。

 女官たちを部下にまかせ、宰相は悠然と歩きだした。魔王に会ったら、いってやりたいことは、いろいろある。どう持ち出すべきか――。


 そんなことを考える宰相が、「アリスティアの男性の好みを探るために変身しまくった結果、アリスティアを怒らせてしまった魔王が、一方的に物を投げつけられている」部屋にたどり着くまで、あと七百五十六歩。

次週予告:王子

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