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皇女の小さな夢


 塔の最上階まで戻ってきた。照明器具に火を灯す。

 本の山の影はどこまでも濃く伸びて、不気味な怪物を形作っていた。

 天蓋付きのベッドに腰かけたリュドミラは、沈黙を破ってこう言った。


「あの人は、一月後にセーリア国の国王と結婚するらしいわ。わざわざ自慢しにきたの。いいでしょって。わたしには絶対にできないからねって」

「そうか」


 セーリア国はガー皇国の西に位置する国。大陸でも国力が第三位ともいわれるほど栄えている。皇女の嫁ぎ先としてはこれ以上のものはなかなかないだろう。


「ゴミ箱ってわかる? 紙屑とか、野菜の切れ端とか、切れてしまった糸とか、要らないものをぽいって捨てるでしょ。あの人はわたしをゴミ箱だと思っている。自分の気に入らないことをぽいぽいと吐き出しにきているの。自分だけがすっきりしたくて。馬鹿みたいだわ。口が利けないから絶対に抵抗できないだろうと思っているの」


 リュドミラの顔は沈んでいるように見えた。姉に虐げられて悲しんでいる妹の姿に思えたのだ。が。


「今は我慢するしかないけれど、そのうちぎゃふんと言わせてやるわ。あんなにだらしなくてわがままな人には負けない」


 意外にもリュドミラは前向きだ。さきほどは姉に対して怖がっていると思い込んでいたが、実際は怒りに打ち震えていたのだ。


「えらいな」

「それは子どもに言うことだわ」


 褒めたつもりが、即座に文句を返された。なぜだ。


「正直ね、あの人がセーリア国王と結婚しようが、どうでもいいの。あの人が知っているかどうか知らないけれど、セーリア国王は一回り年上で、隠し子が二十人いるらしいし。国力だってガー皇国に年々吸われていっているようなものだから、数十年先には皇国か別の強豪国に併呑されてもおかしくないわ。結婚生活は、あの人が思っているより素晴らしいものにはならないと思う」

「そうか」

「でも、それが私とあの人の諍いに決着をつけるものにはならないの。私が、私自身の力であの人と対決して、勝利しなければ何にも意味がない。気が済まないの」

「おう。意外と好戦的だな。はじめて知った」

「生きるためには戦わなければならないの。ここは皇宮だから特にね。安穏と暮らせるわけがないじゃない。でも……」


 リュドミラが本心を言いあぐねている様子で、クローヴィスを上目遣いで見る。宝石のようなあ琥珀色の瞳をじっと眺めていれば、彼女は絞り出すように小さな声で、


「叶うことならば、父上やお母様と三人で仲良く暮らしてみたかったと思うことはあるの。二人が背負っている国の事情やしがらみはぜんぶ無くして、心のままに振る舞えるとしたら、どんなによかったか……」


 もう絶対に叶わないことだけれど、とリュドミラは付け足した。


「それはどうにもならなかったけれど、わたしにはまた別の夢ができたわ。そのためにここにいるの」

「どんな夢だ?」


 リュドミラはほんの少しだけ恥ずかしそうにはにかみながら、「本の外の世界に行くこと」と答えた。

 彼女の世界は塔と本の二つのみで構成されていた。本にはないことを自分の手で掴みにいけたらこれ以上うれしいことはないという。


「クロ、あなたは『外の人間』だわ。外の風をわたしに運んできてくれた。皇宮の外にも世界があって、もしかしたらもうすぐ近くまで来ているのかもしれないって」

「連れていきたいのなら連れていってやる。俺はリュドミラの傭兵だからな」

「その言葉、忘れちゃだめよ。……私も、最後まであきらめないから」


 その夜。第三皇女リュドミラは皇帝の命と称した近衛兵により拘束され、身柄は貴人用の地下牢に移された。

 彼女に付き従っていた宝玉騎士ははじめ、抵抗の意思を見せたものの、皇女が自ら捕縛のために進み出たことで大人しくなったという。

 彼は謹慎を命ぜられ、他に仕えていた者たちも同様の処分となった。

 第三皇女が咎められたのは、侍女キャロライン・ザーリーの殺害嫌疑がかかってのこと。

 異母姉にあたる第二皇女カミラはぶるぶると震えながら周囲の人々にこう言い放ったという。『また同じことをすると思っていたわ。あの子は恐ろしい悪魔で、化け物だもの』……。


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