98・オモクロヒットの裏側・3
小悪魔マユ・98
『オモクロヒットの裏側・3』
加奈子の濁った思念の中に東京タワーとスカイツリーが見えた。
たしかに、このガラス張りからは、その両方が見えて、それは何かの象徴のように思えた……。
「あの時、あなたの一番近くにいたのはわたしなの」
一昔前の人口音声のような無機質さで加奈子は言った。視線はガラス張りに向けられたまま。
「助けなきゃ。そう思った……ほんとよ。でもその前に美紀ちゃんが動いていた。で、わたしは動けなくなってしまったの」
「どういうことですか?」
マユは、加奈子の横顔に聞いた。
「美紀ちゃんは、心からオモクロを愛している。だから、とっさに、仁科さんを助けようとしたの」
マユは、仁科香奈の顔で当惑した。
「美紀ちゃんたちは、あとからやってきて、おもしろクローバーを想色クローバーのオモクロにかえてしまった。そしてAKRに肩を並べるほどのアイドルグル-プにしたわ。力とオモクロへの愛情がなきゃできないことよ。だから、たとえオーディションの受験生でも、危険だと思ったら自然に体が動くのよ……それに圧倒されて、わたしは体が動かなかった……でも、これって言い訳よね」
「どうしてですか……」
「だって、わたしが飛び込んでいったら、おそらく、だれも怪我せずに、あなたを助けられたわ……あのとき体が動かなかったのは、わたしの心がオモクロから離れ始めている証拠」
「そんなこと、とっさのことだったんだから、いま思い悩んでもしかたないですよ」
マユの言葉に、加奈子の答えは返ってこなかった。
ロビーの小さな声や物音が騒音に聞こえるほど、加奈子の沈黙は長かった。
「でも、やっぱり、わたしが飛び込むべきだった……もともと、オモクロってアクション系だから、気持ちさえシャンとしていたらできたはず……それに、わたしだったら万一ケガをしても、グループに影響は何もない」
「考えすぎですよ、美紀さんの代わりに加奈子さんがアンダーやることになって、で……」
「それなら、もうない」
「え……?」
「ついさっき、アンダーは、真央ちゃんに替わった。たった今メールがきたとこ」
「そんな……」
「もとのオモクロのセンターじゃ、昔のイメージ引きずっちゃう。研究生あがりだけど、真央ちゃんなら、まだなんの色も付いていないし、実力もあるものね……ここから見える景色って……ごめん、なんでもない」
そう言って、加奈子は立ち上がった、事務所に戻るつもりのようだ。
マユには、加奈子が言い淀んだ言葉が分かった。
ここのガラス張りからは、東京タワーとスカイツリーの両方が見える。スカイツリーができてからは、東京タワーはかすんでいる。実際、東京タワーのまわりには超高層ビルが建ち並び、東京タワーは陰が薄い。加奈子はその姿が今の自分の姿に重なってしまったのだ。
「加奈ちゃんも事務所?」
「ええ、書類とか、いろいろあって。わたし、こういうの苦手だから間違ってないか心配で」
「貸してごらん」
加奈子は親切に、書類を見てくれた。
「ああ、名前のフリガナは片仮名だよ。うちの担当意地悪だから、チェックかもね」
「どうしよう……」
「わたしが付いていってあげるよ。さすがに、わたしが一緒なら文句も言わないだろうから」
「すみません」
「ドンマイ、ドンマイ」
「あ、信号赤です」
「チ、タイミング悪いね」
ここの信号は長い。二人は見るともなく、空を見上げた。
「ここからだと、スカイツリーっきゃ見えないんだよね」
「見えますよ、東京タワーも。ほら、あのビルの横っちょに先っぽが」
「ほんとだ。まるでバックコーラスだね」
「でも、見えることは見えます。まだ東京タワーを愛している人もたくさんいるんですから」
「だよね、お客さんはそんなに減ってないってネットに出てた……て、香奈ちゃん、なんで、わたしが東京タワー気にしてるってわかったのよ?」
「そりゃあ、会話の流れで……」
「そっか、偲ぶれど色に出にけりだね。よし、青になった。いくよ!」
長い横断歩道を渡る間に、マユは、加奈子の心に、ちょっとだけ魔法をかけた。いや、魔法と言えるほどのものでもない。おもしろクロ-バー時代の曲をちょっと元気よくハミングしてみたのだ。
横断歩道を渡りきるころには、加奈子の心には、あるアイデアと共に、小さな勇気が湧いていた……。




